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■ 出生前診断
たとえば、今妊娠しているとして。 生まれてくる赤ちゃんの想像をしたとしよう。
お乳を飲む姿、寝てる姿、泣いてる姿、お風呂に入ってる様子、おむつを替えるときの反応… かわいいだろうか、二重だろうか、よく笑ってくれるようになるだろうか。
いろいろ、想像するかもしれない。 そんな中、何か障害があると、告げられたとして。 たとえば、遺伝疾患がありますと、検査でわかったとして。
どれだけの具体的なイメージが、どれだけの人にできるだろう。
人工呼吸器をつけるかもしれません、点滴をしてNICUに入ることになるでしょう、将来歩けないかもしれません
けれど、産まれてみないとわかりません
きっと、イメージはあまりにも漠然として、混乱や辛さといった感情、不安などが先行するんじゃなかろうか。 もしくは、それでもやっと授かった子だ、産まれてきてくれさえすれば、頑張って育てよう と、前向きに自分を保つ方もいるかもしれない。
重症度に応じてその子にくっつく医療機器や処置、できること、予後などはさまざまに変わってくる。 けれど、医療者ですら、たとえば次に入院する子は18トリソミーかもしれないといわれても、実際産まれてみないことには重症度がわからない。 だから、 抱っこできるタイミングはある程度元気になってからなのか、 亡くなる前になってしまうのか、 ご両親が触るのもはばかられるほど、いろんな管がつくのか、全身低体温療法なんかをして、目がほとんど開かないような鎮静を受けるのか、 その子が、どんなベッドに入って、周りにどれだけの機材があって、 どれだけの緊張感があって、どういった医師の説明を受けるか、 おむつ一つさえまともにご両親が変えられる状況ではないとか、 もっと言えば、体のパーツは全部あるのかないのか、 必要な機能はあるのかないのか、 そういった、『ありとあらゆる、知らないもの』を目の前にしたときのギャップがいかほどのものか、 そしてそれを目の当たりにしたときの自分の心理状況がどうなるのか、 そしてその子どもはどうやって変化していくのか、なんて、
具体的かつ的確な想像は、誰にもできないのだ。
きわめてシビアな状況になると思います
という、きつい医師の説明を受けたとしても、
じゃあ、どうやって亡くなっていくのか
急激に酸素飽和度が低下して、脈拍がのびて、あっというまになくなるのか、 日々じわじわと体がむくんでいって、見る影もないほどパンパンになって、もう痛そうで、そんな中亡くなっていくのか、 人工呼吸器につながれて声も聴けないまま、けれど循環が保たれているから、ほかの体の状況がどうなろうと、意識レベルがどうであろうと、亡くなる日を待たねばならないのか、
そんな想像すら、医療者だってあまり具体的にはできないのだ。
しかし、いったんそういった状況を迎えてしまえば、 あとはひたすら耐える、もしくはその子どもが教えてくれる大きなもの(よろこびや、学びや、たいせつなこと)を受け続けていく。
たいせつな時間だが、辛い時間も多々ある。
一気に崖から落ちそうになった命を、こっちが死にそうな想いでつなぎとめることもある。
そんなとき、もっと、産まれる前にわからなかったのか、 ご両親の気持ちもたいへんに揺れたままの出産になって、医療処置も命も宙ぶらりんの状態で、たいへん、な。
もっと、道すじをある程度決めて、覚悟も決めておいたほうが、できることが多かったのではないのか。
と、思ったりも、していた。
けど、そう、やっぱり、ある程度診断できたからって、結局はわからないのだ。
突き詰めれば、 なんとしてでも生かすか、看取るか、 なんて、 産まれてからも揺れに揺れる気持ち だのに、出生前に色々どうこうできるわけがないのだった。
オランダの新生児科医のドキュメンタリーで、 『運命を、知ることができたなら』というフレーズが出てくる。 どうやっても亡くなってしまうなら、産む産まないというところからの選択を、とか、産んだあとの対応が、とか、医療者も、色々苦しみながら、模索しながら、後悔したり葛藤したり、自分を奮い立たせたりして、決して知ることのできない本当の運命の舞台裏で、もがいている。
「(わが子が)こんなに苦しむことになるなんて」
具体的には、特にご両親は、想像できなかった、状況が多々ある。
どうにかできたらいいのに。
でも、ことはそんなに簡単じゃなくて、
どうにかしなきゃいけない問題でもないかもしれなくて、
だから、思い、悩み、つらい。
だからこそ、 産まれること、生きていること、死ぬこと、 色々考えさせられる。 考える以上に、突き刺すように肌や心に伝わってくる、何かがある。
避けて通れぬつらさは、
避けて通ってはいけないつらさなのかもしれない。
2013年07月11日(木)
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