脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 嘆きは、ぜいたく


行けるはずだったディナーに行けなくなってしまったりとか、
Dr.がナースに買ってくれたケーキを、私は勤務の都合上食べられなかったりとか(深夜明けの今日、病棟にケーキが届いて、私は明日午後3時ぐらいからの勤務だ。ケーキはかけらも残っていないか、食べかけのきたねーケーキしかないだろう…いらんそんなの)、
今日友達とふつうにホームパーティーできるはずだったのに友達の仕事が夜9時すぎまで長引くためにそれもできなくなったりとか、
年末やっと、一年に1,2回しか家族全員で集まることのできない帰省が、上司に勝手に非常時待機勤務をすり替えられて私は帰れなくなりそうだとか、


職場のレポートの資料作成のために図書館に行ったけど、すでに閉館していた。クソ寒いなかただナチュラルな寒風摩擦を受けにいっただけだ。
図書館すらしまっている…神は私に何を言おうとしているのだ、
何かをアテにしたり期待するのが愚かしいとでも言っているのだろうか。


なんというか、上げて落とされることが多くて最終的に泣いたのだが、
今は通り過ぎて落ち着いている。



考えてみれば、何かを嘆くって、結構ぜいたくな事なんじゃないかと思う。
何かTreatがあったから、何かを持ち得ていたから、それがなくなったときに嘆く。

本来だったら、

別にディナーなんて行く予定を入れなければ無かったものだし、
クリスマスケーキも今年特別だったみたいだし、
ホームパーティーも約束しなければ存在しなかったものだし、
年末に勝手に帰省しようと思っていただけの話だ。


うっ でも涙がでてくる…


そういうエクストラな幸福を持っていた、ということ自体が、ぜいたくだったのだろうと思う。

それがなければ、嘆けなかった。


極端な話、
大切なものがあったから、失ったときに嘆いた、
大事な人がいたから、いなくなってしまったときに嘆いた、
ゆずれない信念や想いがあったから、それを捻じ曲げられたときに嘆いた、

そういうことなのかなと思った。





図書館のかえりみち、真っ暗な空を見上げた。
月と星がきれいだなーとぼんやりと思った。

ある、ものの状況でなんとかしよう。
とりあえず、資料ナシでもレポートつくるとこから。

それから、21時を過ぎて帰ってくるであろう友達のために、ごはんも用意しよう。

たとえそれもダメになっても、もう大丈夫、それはそれとして仕方ないから。




2012年12月25日(火)



 too romanticな妄想

「木星には大きな衛星が4つもあるのに、
土星は一つだけです。」


なんとなくソレを聞いたとき、ひとりだけを愛する一途な土星の図を思い浮かんだ。

けれど、と研究者は続ける。

「私は土星にも、
もともと大きな衛星がたくさんあったと考えます」


土星のまわりを形作る、うつくしい環。
その環は、真横から見ると消えてしまうほど、薄いという。

土星の直径を1.6kmの模型に縮小してまわりの環を作ったとすると、その厚みははがき一枚分ほど。


その美しい環が、土星の衛星だったとする説がある。




表面はぶあつい氷の層、中は岩石という衛星は、
土星の重力に破壊され、回転を続けながらも円状に氷の粒をひろげていく。

両手を広げるようにその氷の層を広げて、
愛する土星の周りに、死してなお美しい氷のかけらをみごとな円を描いて残し、その重い岩石のみはやがて土星に吸い込まれて消滅する。

太陽より遠い土星の南極は、より太陽に近い惑星よりも熱い熱が見られている。


どんな神話よりも、神秘的でロマンティックのようにも思える。



2012年12月12日(水)
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