脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 お門違いの祈り



どんなに神様に祈っても叶わないということは、
「それは私に祈るべきではありませんよ」という神様のメッセージなのだろう。



脳や心のヒダ、しわに、紙切れがはさまっているみたいだ
水がしみて血がしみて、ずっと気になる。
もういいかげん、お願いだから厭だと思う。思い続ける。
でも私はそれを取るすべを知らない。


2009年11月30日(月)



 好きとかいう、





私が口にしなければ、それはあったことにならない



けれど完璧に亡きものにすることができなくて、ごめん

2009年11月28日(土)



 マラソン

私はマラソンが苦手だ。
しんどいから苦手だ。


なんでマラソンってしんどいのかなって考えてみた。
ゴールがとてつもなく遠く感じて、走り続けなきゃいけないイメージがあるからだ。
ゴールっていうのは区切りってことで、走り続けなくてもいいところで、休めるところで、好きなことできるところだ。
でもゴールがあるから、そこに辿りつくまでは、って、何とか頑張れるところもある。


仕事はマラソンに似ている。
息が苦しくっても、喉が痛くっても、全身筋肉痛でも、疲労困憊でも、
走り続けなきゃならない。

ただ私の場合マラソンと違うのは、特にゴールが無さそうなところだ。

目指しているものがない。こうなりたいとか思うものもない。
ただひたすら走っている。
止まりたい止まりたい、と思っても、走るしかない。さらに叱咤される。後ろ背を叩かれる。速度を上げろといわれる。
一瞬見えた景色は、すぐに後ろに過ぎ去っていく。
振り向く余力なんか無い。



たまに、走っていることを忘れる。
そして思い出したように、全身の筋肉が痛くなって、
でも走らなきゃいけないんだ、と、歯をくいしばる。




2009年11月26日(木)



 想いのボール

TVのCMで、バレーの選手の人が。

「バレーボールは、つながっていないと出来ないんですね。

誰かのために、ボールをつなぐ。

心をつなぐ。」




それって、看護も似ているなと思った。

自分が今日看ている患者さんがよくなるために、前進できるために、
今自分ができることをして、明日につなぐ。明日看る人に、診る人につなぐ。

たとえば、手術後まだ首に中心静脈ラインが入ってて、まだ口からの摂取が何も開始されていない患者さん。全部輸液で補っている。
けれど、口からの経口摂取を開始してふつうにご飯が食べられるようになるのを目指して、術後まもなく看ているナースはドクターに、
経鼻の胃管から5%ブドウ糖液を入れて消化状況を確認してもいいか許可をもらって、消化を見ながら徐々に輸液のウエイトを胃管からの栄養に、そして経口からの摂取に切り替えていく。
だがそれはいきなり全部できるわけではなくて、段階というものがある。
ひとりではできないし、一日でもできないことが多い。そんなことが大半だ。

だから、明日看護を、治療をすすめる人のために、その患者さんが前進するために、今受け取ったボールをつなぐ。
今受け取っているボールだって、誰かが必死につないでくれたボールなのだ。
心臓を助けようとして両親がこの場所を探したボール。
それを受け取って必死に手術をしたドクターとスタッフ。
術後一番の急性期を生かし続けたスタッフ。





「よくなって」という、想いをつないでる。




でもこれって、看護だけにいえることではなくて、
たぶん色んな事にいえる事なんだろうな。


鮮やかにつながったボールは、視線をひいて見るとひとつの芸術<アート>になるんだろう。
皆は意識しなくても、そのアートを創ってるんだ。


2009年11月14日(土)



 季節とマメさの関連

昨日、ひどく風が強かった。
夜になるとびっくりするほど空気が冷えていて、三段階ぐらい寒くなったような気がした。

着々と、季節が歩みを進めてくる。



日本人のマジメさって、何だろうと考えてみた。
マメさとか、キマジメさとか。

日本には季節がある。しかも四つもあって、その移り変わりの間は虹の色みたいにとても細かく変化していく。
季節があるということは、こなすべきタスクが、備えが必要であるということだ。

冬が来るなら長袖を出さなくちゃいけない。あったかいお布団に替えなきゃいけない。
雪が降れば、雪国でたくさん雪が降るとこの人は、除雪をしなければいけない。
その季節にとれる食べ物を収穫しなきゃいけない。
夏になって食べ物に虫がわくなら、それなりの対策をしなければいけない。
湿度の高い梅雨の時期は、かびが生えないように気をつけなきゃいけない。

〜までに〜する、みたいな、期限つきのタスクをいっぱいこなすのが当たり前になってるから、時間とかにもマメだしきちっとこなしていこうとするんだよね。


それに、「しなきゃいけない」事だけじゃなくて、「したいこと」も出てくる。
氷が張るならスケートをしたい人もいる。外が寒いなら中で鍋をしたい人も出てくる。暑いなら水を浴びにいきたくもなる、その季節にしかとれない虫を採りにいきたくもなる。鮮やかにいろづく秋の色を見れば、それを歌にしたり絵にしたりしたい人も出てくる。
きっと娯楽もいっぱいあったんだと思う。だから、娯楽が発達したり大事にされたりしてるのかもしれないと、思う。




季節に応じて、必要なことがいっぱいある。
したいことも、できることもいっぱいある。
それを当たり前のようにこなしていく日本人の、なんと鮮やかなことかな、と思う。


2009年11月03日(火)
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