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■ フレーズの空間
そうかわかったぞ、歌とか音楽って、ダンスなんだ。 ステップとステップの間も、踊る人の手の先には意識が流れているし、フレーズとフレーズの間には、歌い手の息継ぎがあるし、それだけじゃない、色んなものがあるし、あるべきなんだ。 ワンフレーズやワンステップが独立してるんじゃなくて、繋がってまとまって初めて意味のあるものになるし、 そういうちゃんとした「ことば」になって初めて誰かに何か伝わる可能性が出てくるんだ。 そうして初めて形を持って記憶に残る可能性が出てくるんだ。 逆に、伝い手の意識のもとに繋がっていないと、ブレていると、その骨組みはたちまち瓦解して霧散して、外枠だけうっすらあるけど何も伝わらないただの物質に成り下がる。
フレーズ間やメロディの間には、ちゃんと歌い手や演奏する人の「余白」の意識がなきゃだめなんだ。 パラパラ漫画だって動画だってそうだ、間を川みたいに流れで繋いで繋いで、 行間を「伝えたいもの」っていう伝い手の意志や感性に基づいて埋めて、 はじめて外に伝わるかたちになるんだ。 お話だって、行間では読み手の頭で登場人物が動くくらい、まるで脳内でフィルムが再生されて、書いてないことすら想像できるくらい意識をこめて書くんだ。 それは表現物の内容量とかそういうんじゃなくて、 ヒトの五感を超えたところで伝えられる力全てを込めて。 フレーズ間の1秒でも1/10秒でも1/100秒でも、伝い手が時間と空間を支配して形作るんだ。 ほかの誰かが、ほかの誰もが、その空間でちゃんと泳げるぐらい。
なにも音楽や踊りに限ったことじゃなくて、たぶん、ほかのもそんな気がする。
大好きな曲を聴きながら歌いながら、そんなことを考える。
2009年06月06日(土)
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