窓のそと(Diary by 久野那美)
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2006年04月22日(土) |
「拍手をしたのはミッフィーの演奏が上手だったから。」 |
大阪大丸百貨店へ「ミッフィー50周年記念展」を見に行って来ました。 片耳に王冠をひっかけた「クイーンミッフィー」のポスターはめずらしく背景が卵色で素敵でした。 これまでのミッフィーの遍歴や100冊を超える作品の紹介、作者のブルーナさんのコメントや創作過程の公開などもりだくさんの展示でした。ブルーナさんのコメントの言葉は、作品同様とてもシンプルで素敵です。
「わたしはいつも、<よりよいミッフィー>を描きたいと思っています」 というコメントもさることながら、
「去年の作品(ミッフィーの演奏会)の中で、フルートを吹いたミッフィーにおじいちゃんが拍手をしますね。あのおじいさんはブルーナさんご自身でもあり、あの拍手は50周年のお祝いの拍手でもあるのでしょうか?」という記者の質問に、ブルーナさんはこんな風に答えておられました。 「ミッフィーを50年描いていて、今では私の孫娘のように感じることもありますね。でもあの拍手は50周年のお祝いの拍手ではありません。彼が拍手をしたのは、ミッフィーの演奏がとても上手だったからです。」
このコメントに、思わず涙が出そうになりました。
理由はふたつ。 ひとつは、もちろん、ミッフィーと(おじいちゃんと)ブルーナさんにとってとても大切なものがこの上なくシンプルな形できっちりと守られたこと。 もうひとつは、ブルーナさんの答は、その大切なことを無視して質問を投げかけるという、いささか失礼な(と私は思うのですが・・)インタビューの言葉に対して、必要最低限の否定の言葉しか用いていないことです。
素敵な質問に素敵な答を返すことももちろんとても素敵なことだと思うのですが、素敵でない質問に対して素敵な答を返すことはけっして不可能なことではないのですね。そしてそんな素敵な答えが返されている現場はやはり素敵な雰囲気でないはずがない・・・。当たり前のようで猛烈に難しいことをさらりと証明してみせるブルーナさんはほんとうに素敵で・・・、なんだかとっても幸せな気持ちになりました。
2006年04月21日(金) |
「もしできればでいいから、やって。」 |
と言われたときの理想的な対応てどんなだろう。
この台詞を言われると、私はかなりの確率で、それをやることになる。 「できることが多いから」というわけではもちろんなくて、 できるかどうか前もってわかることが少ないから。
自分にできるかどうか前もって分かることは重要な才能だと思う。私の学生時代のある先生は、テストの点数を正確に予測し当てた学生に10点以上のサービス点をくれた。「自分の力量が客観的に分かることは与えられた問題をすべて正解することよりも価値がある」と言っておられた。全く同感。
というわけで。そのどちらの資質にも欠ける私は「もしできればいいからやって。」といわれるととりあえず、やり始めるのだ。その結果、「やった」り「やらなかった」りすることになる。意外に簡単にできることもあれば、ずいぶん苦戦した末とにかくなんとかなることもある。未だできないままのこともある。途中でタイムアウトになって、結果的にできなかったこともある。
自分があまり前向きでないとき、あるいはとても混乱しているとき、あるいはこじんまりと閉塞していたいとき、にこの台詞に出会ったときには悩む。そして、ひとはどうやって対応するのだろうかと考える。そのとき、はじめて、この台詞が命令文であることに気づく。ひとは意外と気づかない間に命令されながら生きている。
「きっとできると思うけどやりたくない。」 「もしかしたらできるかもしれないけど、しない。」 という答は想定されていないのだ。
「できる(かもしれない)」というのはどういうことなんだろうかと考え始めると眠れなくなった。「できる」ことと「する」ことの間には無数の世界が存在している。そんなことをつらつらと考えている春の夜長。私も気づかずに言ってるのかもしれないなあと思うとさらに眠れない。春の夜は長い。特に四月の夜は。
ピアノのレッスンの帰り道です。 どうやら私はある先生についてピアノを習っているのですが、 その先生は大変不機嫌で、口数が少ないのです。 レッスンが終わりに近づくと、先生は無言になります。 生徒である私も、手を止めて先生の言葉を待ちます。 3分・・5分・・10分・・・ 何も起こりません。 ピアノのレッスンをする場所と言うのは普通、ピアノの音がよく聞こえるように静かな環境であるものですから、ピアノの音と人の声がどちらも聞こえないと、しいんと静まり返った「無音」の場所になります。 音のない時間が長く続いた後、ようやく、先生が無表情にうなづきます。 どうやら、レッスンはおしまいのようです。 私は教本や何やらをかばんにつめ、一礼してその場を去ります。
外は雨です。 雨が降っていて。 私は傘をさして、てくてくと歩きます。 雨なので、町には人の気配がありません。 雨なので、道はぐっしょりぬれ、水溜りができています。
半端な太さの道をてくてくと歩いていると、小学校のグランドの横の道に出ました。端が見えないほど広いグランドにはしっかりとラインがひいてありました。あれはたしか、トラック、とかいいましたでしょうか?
トラック、を私は見ています。 ただっ広い、人気の全くないグラウンドにひかれたトラック。 空は雲で覆われていて、真っ白です。 地面は雨を受けてぐっしょりと湿っています。 ぽつぽつぽつと振り続ける雨が水溜りの表面を絶え間なく跳ねています。 私は傘をさしています。 てくてくと、歩き続けています。 どこへむかってあるいているのかわかりません。 おそらくうちへ帰るところなのでしょうが、どれだけ歩けばうちへつくことができるのか、わかりません。 空からは雨が降っています。 むこうの方へ目を凝らしても、雨が降っています。 足元へ目を凝らしても、雨が降っています。 どこまでも雨が降っているように見えます。 いつまでも振っているようにも見えます。
ずんずんと、恐怖がつきあげてきました。 身体の奥から這い出てきて、皮膚の下を這い回るような、嫌な嫌な感じ。 それは肌の表面より外へ出て行くことはけっしてなく、排出されることのないままどんどん湧き出して身体中を満たしていく。 ただ、ひたすらに怖い。
何に対する恐怖なのかわかりませんでした。 ただ、世界がとりとめもなく広くて時間がとてもとりとめもなく長いことがどうしようもなく怖い。でも、それって疑似体験に過ぎないはずです。 雨はいつか止むはずで、トラックは一目瞭然あきらかに閉じてるのですから。
怖くて、耐えられなくなった私がやったことは、とても不思議なことでした。
もしもグラウンドの、トラックの片隅に、「傘を差した誰か」が居たらとしたらどうだろうかと考えたのです。ふと頭をかすめたその考えは、身体に充満した恐怖を少し、軽減するような気がしました。 ですので、「傘を差した誰か」がそこにいることに決めてみました。 すると、次の瞬間には、グラウンドの片隅に、傘を差した誰かが立って、こっちを見ていました。夢の中だから、その辺はわりと融通が利くのですね。
知らない人でした。そのひとは、なにをするでもなく、もしかしたらこっちをみているわけでもないかもしれなく、ただ、雨の中に傘をさして立ってるのでした。それ以上のことは、どうでもよかったんです。だから、その人はそれ以上のことは何もわからない人として、「傘を持って雨の中に」立っていました。
その人のことを、私はとても大切に感じました。 とても、とても、大切に感じました。
ああ。これだったらもしかしたら大丈夫かもしれないと、少し救われたような気分になりました。何から救われたのか、少しというのがどのくらいなのかははっきりしませんでした。
ものすごく怖い思いと、そこから奇跡的にほんの少し救われた気持ちを両方持ったまま、私は雨の中を歩き続けました。振り返ることはありませんでしたが、そのひとは、その間ずっと、その場所で傘をさして立っていたはずです。 そうに違いないのです。なぜならば、私はそこからてくてくと歩いてうちへ、向かうことができたからです。
だけど怖かった。世の中のなにもかもが無意味になるほど怖かった。 (あの傘のひとだけは無意味ではないような気がするけど、でもその意味は全然分からなかった。) 怖くて。怖くて。怖くて。もう、いいよね?いいよね? と思っていたらようやっと目が覚めました。
ずいぶんうなされて、汗をかいていました。
私はときどきこういう妙な具合の怖い夢を見るのですが、 こんな風に書き出してみても。どこが怖いのかを客観的に表現するのは難しいです。ひとに話したことろで「へえ。面白いね〜。」と言われたり、「・・ふうん。」と流されたりします。楽しんでもらえるのはよいことなのですが・・・まあ、実際怪我をしたとかそういうこともないわけですし。
朝起きてから昼過ぎまで怖くて身体がこわばってるのですが、こういう体験って、どうしたらひとに伝えられるのでしょうか。ボキャブラリーが欲しい!いえ、もっと欲をいうならば、こういう怖い体験をせずにすむ方法があれば知りたい、と切に思うのですが、でも、おそらく、本人が思うほど対してことではないのだろうな、とも頭の片隅で思ったりもするのです。
でも、少なくとも、言葉にすると恐怖感が少しずつ薄れていくような気がします。なので、今日は突然ですがこんな夢話です。 書いているうちに、「傘のひと」が誰だったのか、ちょっとわかるような気がしてきました。読んでくださった方に感謝。すいません、怖い話で・・・ いや、怖くないのかもしれませんが、それならそれで、ご迷惑をかけずにすんで良いのかもしれません・・・・。
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