窓のそと(Diary by 久野那美)

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2005年07月31日(日) ひこうき

飛行場で間近に見る、ありえないくらい「現実的な」大きさの飛行機より、
雲を引いて空を横切っていく飛行機を見るほうが好き。
飛行場も嫌いじゃないし、おおっ!でかいっ!と最初は新鮮に感動するんだけれど、あんまり長時間続かない。
そもそも、飛行場の飛行機って、上空を飛んでないし。

聞いた話では。
今この瞬間にも上空にはたくさんの飛行機が空を飛んでいて、
もしもそれらが全部一時に地上に降り立つようなことがあったら、飛行場が足りなくなるのだそうだ。つまり、飛行場はすべての飛行機を着陸させることを前提として作られていないのだということ。飛行機という制度のためには、常に、数ある飛行機のいくつかは必ず上空に居なければならない。

それを聞いたとき。なんだかぞくぞくして鳥肌が立った。
なんでなのかよくわからないけど。


2005年07月19日(火) アイアイは、たしかにおさるさんなんだろうけど・・

今月に入ってから。
お芝居のことを考える機会が多いです。
いろんなひとと会ったり話したりメールしたりメールもらったり。

私はあのとき、こんなことを考えていたなあ。とか。
私はあのとき、こんな風に言ったんだったなあ。とか。

だから、あれは、こうで、だからあれはこんなで、
だけど、あれは、ああで、要するにあれはこうで・・・。

頭の中がかたかた、かたかた、しています。

なので、ほんとうはそんなことなどを書きたいのですが、
なぜだかアイアイのうたが頭の中を離れません。
頭の中が複雑になってくると、ひとは、ついついシンプルなものを求めてしまうのでしょうか。私がめんどくさがりなだけでしょうか?

アイアイはおさるさん(の一種)です。
そのサルは、しっぽが長く、南の島に住んでいます。


「アイアイ」はそれだけを謳った唄です。
この1曲によって、アイアイは、チンパンジーよりも、ゴリラよりも有名なおさるさんになっています。

しかし。歌っていると気になってきます。
なんでこんな唄があるんでしょう?

アイアイはおさるさん(の一種)です。
そのサルは、しっぽが長く、南の島に住んでいます。


「だから何?」

という当然の疑問さえ許さない、ものすごく力技な唄です。
歌詞の半分以上が主語の割には述語はおそろしく地味です。
実際のアイアイは、しっぽや島よりも特徴的なところのいっぱいある、とっても個性的なおさるさんなのに、他のたくさんのおさるさんにもありそうな、平凡な特徴だけがくりかえし歌われています。これでは、アイアイが実際にどんなおさるさんなのか誰にもわからないんんじゃないかと思います。

そもそもも、これはいったい。誰が誰に何を伝えたくて創った唄なのか??
気持ちよく歌っていたら、アイアイの後に「は」とか「が」とかがない
のに気がつきました。
もしかしたら、もしかしたら、これは・・・・・・・・・・・・・・・。
もしかしたら、これは、誰かが南の島のアイアイたちに、
「あなたたちはね、おさるさんなんだよ。」
とおしえてあげる歌なのでしょうか?

たしかに、自分がどんな種類のおさるさんなのか、アイアイにはわかりません。おさるさんを分類するのは、おさるさんではないからです。たしかに、しっぽが長いのかどうか、アイアイにはわかりません。自分のしっぽは見えないし、「自分のしっぽはたしかに長いものである」「かつ、ほかのアイアイたちのしっぽもほかのおさるさんに比べて長いのである」ということを知る必要があるからです。南の島にいるアイアイには難しいことです。その、「南の島にいる」ということ自体、南の島から出たことのない(たぶん)アイアイにはわからないだろうと思われます。

そういう諸々を、陽気なメロディとともにアイアイに教えてあげているのはいったい誰なのか?なんのためにそんなことをするのか?そもそも、アイアイはそういうことを知りたがっているのか?

・・・・・・・考えていると、なんだか歌うのがいやになってきました。
シンプルなものって。意外と身近にみつけるのが難しいのですね。

          **************

やっぱり。アイアイについて、第三者に伝えようとしている唄である可能性の方が高いのでしょうか。でも、だとしたら。いったい誰がなんのために????


2005年07月18日(月) あじさい

滋賀へ行ったら、あじさいが咲いていた。
「あ。あじさいっ!」と思って駆け寄ったら、
雨をたっぷり吸い込んだおおきな花が、重さでそのままほとっと地面に零れ落ちてしまいそうな贅沢なおおきさの花が、りっぱな濃い緑の発破の中にうずもれていて・・。
なんとも無防備というか無計画というか・・・・。
よく見ると。隣にも、その隣にも、その隣にも、その隣にも、
重なり合うように並んでいた。

いやいや、隣の木にも、あっちの木にも、向こう側にも・・・・
よくよく目を凝らすと、そのあたり一面はたっぷりとしたあじさいでどこもかしこも埋まっているのだった。
山盛り咲いているあじさいを見ているのはとても幸せな気持ちだった。

桜とあじさいは私のいちばん好きな花。

桜とあじさいって、なんだか出会い方が違う。
桜はまず目の前に全体が出現して、おちついたらそのあと一本、一枝、ひとつの花が見えてくるのだけれど、あじさいは反対。
全体といえるほどの量のあじさいを見たことがなかったのでこれまで知らなかったんだけど、まずはひとつの(せいぜい1株の)あじさいしか目に入らない。それをめがけて駆け寄っていくので、よけいにそこだけしか目に入らない。おちついてきたら、ようやく隣の木や周りの木やあたり一面の花が見えてくる。

そして今、書きながら思ったんだけど、共通点もある。
どっちも突然現れて消えていく花。

消え方がまたちがうんだけど。
桜は、散った後はひとごとのように澄ましてるのに対して、あじさいはちりちりからからになった花の残骸を最期まで自分で抱えて逝く。

咲く時期も地味だし、花見できるような季節にも咲かないし。
あじさい・・・要領悪すぎ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも素敵。


2005年07月03日(日) とんでもないものを見てきた。

        *****

だって、楽団なんだもの。
吹き込んだりはじいたりたたいたり
物悲しげな音色が物語の幕を開く。

それで、歌ってるんだもの。
はぐれた渡り鳥の鳴き声みたいに。
ただ一心に遠くを乞う、しんと強くて悲しい声。

ぱたぱたどんどんぴーぷーどかんっ、て感じの小汚い6人と
むぐうっとした1体の人形。

6人は片時も止まることなく動き続け、しゃべり続け、
歌い続け、踊りつづけ、人形は、為されるがままに居続ける。

客席と舞台の間に梁が1本。
1本のてっぺんは天井の頂点。

ミッフィー一家がサーカスを見に行くような
シンプルな三角テント。
50人でいっぱいになる客席。

あるのは天井と床。
劇場というのは、天井と床のことだったのだ。
世界は空と地面でできてるから。

壁がないから、向こうの芝生を犬が歩いてる。
自転車が通る。
傘を差した老夫婦が散歩中。

大きな音に立ち止まって、みんなこっち見てる。
しかも寄ってくる!
こっち見てるあのひとたちを見てる客席。

誰が風景?
舞台の上は舞台の中?

外側はどこ?
物語はどこ?

なんもわからない。
ただ、ひたすら、目の前に、
ひとと、人形と、風景。

人の声。音楽。床。天井。芝生。言葉。言葉。
ぱたぱたどんどんぴーぷーどかんっ、むぐうっ。
ばたんっ。どたんっ。しゃららららら〜ん。

軽やかにみゅーじっく。リズミカルに。淡々と。
周りはますます、騒々しくて馬鹿馬鹿しくて。

それにしても・・。

幕があいたはずの物語はどこ?
中にいるのは誰?

悲しいのは誰?
歌ってるのは誰?
幸せなのは誰?
目を開けてるのは誰?

なんもわからない。

誰がどこで何をしたの?
私は今、何を見てるの?

とにかくわからない。

息をもつかせぬ展開・・というわけでもなく。
たいくつなのか?といわれれば、ときにはそんな気もするし。
長いので、落ち着きのない私にはじっと見てるのがちょっと辛い。
ほお。とか。へえ。とか、「そうだったのかあ。」とか、
「やられた〜」とか、そういうのも、いっさい無し。
何も象徴してないし、何も反証してない。と思う。

きっと・・・たいしたことは起こってないのだと思う。
ものすごく語弊のある表現だけど、なんというか、もっと、
想像を絶するほどなんでもないことがおこっている。
ただ、それだけが、純粋におこっている。

なのに。
どこまで続くのかわからない「舞台」のこちら側に、
つまり、「ここ」に、それを見ている「私が居る」。
そういうことが、こんなにも、痛々しいほど、切々と
身体に満ちてくるのはなんで?

私は芝居を見ているのに。
しかも、その芝居はこんなでこんなでこんなんなのに。

こういうものに対峙できるのは、理性とか観念とかじゃなくて、
人間の、もっと動物的な機能なのかも。
今、理性も観念も、もしかしたら感性すらも無用の長物。
使えるのは重力とか体温とかホルモンとか血圧とか、延髄とか脊椎とか・・

この状況を分類するなら、文学とか映画とかよりも、消化とか排泄とか死とか出産とかそういうのなんだろうか?
純粋に生理的に創造的な奇妙な感覚。

しかもね。
私はこの状況を、知ってるような気がしてしょうがない。
そして、ずっとそう思いたかったような気がしてならない。

それだけなんだけど。
それだけ、で、他には何もわからないんだけど。

う〜ん。どうしたらいいんだろう。
私は何を言ってるのか・・・。

    ************


このままいくら書き続けても日本語にならない。
日本語は大脳で書くからなあ。大脳非力。
たぶん、読んでもわからない。
読んでる人ごめんなさい。

さいたまの旅劇団「どくんご」さんの公演が扇町公演でありました。
千秋楽の公演を見て、さっき帰ってきました。
とりあえず、何か書いておこうと思って。
そしたらこんなことになった。
耳の奥でクラリネット鳴ってる。
まだ、しんぞうどんどんしてる。
眠れない。

なぜだか何かを書いておきたいんだけど、
今はこれが限界・・・・・・・・・・・・・・。

どくんごさんの旅はまだまだ続きます。
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2005年07月01日(金) 聞いてるだけ。



JRの駅で見たポスター。「携帯電話をマナーモードに」

これって・・・どういう状況なんだろう。

うさぎは鳴かない。音を出さない。しゃべらない。
全身いつでもマナーモード。

聞いてるだけ。
電話かかってきても聞いてるだけ。
電話かけても聞いてるだけ。

かかってきたほうはともかく、かけるほうが聞いてるだけってのは
どうなんだ?

でも。聞いてるだけ。

ぽちっと小さなボタンを押して、相手の番号をコールして、
マナーモードで呼び出して、

聞いてるだけ。

何を!?

携帯電話をはさんで。
聞いてるだけのうさぎと、聞いてるだけのうさぎ。

周りの音だけが電話を伝って届く。
車内のざわざわと、どこか遠くのざわざわが交差する。
こっちからあっちへ。
あっちからこっちへ。

誰が誰と話してるのか?

うさ友同士の会話って・・・・・・・どこまでも謎めいている。


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