窓のそと(Diary by 久野那美)

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2005年08月12日(金) 皇帝ペンギンという生き方

映画館で、「皇帝ペンギン」を見てきました。

上映開始時間を聞くために映画館に電話をかけたのですが、
「邦画は07、洋画は06をダイヤルしてください」
と言われて悩みました。
南極は・・・・・・・・・・洋なのか?
結論は、フランスで作製された作品なので「洋画」ということでした。

スクリーンいっぱいに広がる白い大陸と青い海。
長い長い列を連ねて何日もかけて海と住居を往復する黒い群れ。毎年、ただひたすらそれを繰り返す。どっかのさるのように芋を洗うようになったりもせず、何の変化もないまま長い長い長い時間を越えて世代を紡いでいくペンギンたち。信じられないような効率の悪い人生。

こ、これはいわゆるスローライフという奴なんでしょうか??

何度も、気づくと口をあけたまま、画面に見入っていました。

私も決して要領のよい方ではないけれど、あれはひどい。ひどすぎる・・。
寒くて、一年のほとんどを雪と氷にとじこめられていて、
食べ物が海にしかなくて。でも、海の近くでは子育てができなくて。集団で(!)単身赴任するペンギンたち・・。不自由な環境でみんなが各々自分のことしかしないから、不器用なペンギンは卵を壊すし、方向音痴なペンギンは道に迷って生き倒れになる。他のペンギンは知らん顔。協力してやれよ。

いいのかそれで?
他の生き物たちが南極から去っていったのに、
なんの疑問も抱かないのか?
なんとかしようと思わないのか?
文明を築けとは言わないけれど、引っ越さないなら少しは便利にしようとか思ったりしないのか?生き物として、ここまで効率の悪い、無駄の多い生き方というのは、いったい・・・・・ありなのか????!

海から何日もかかるところで卵を孵すなら、お魚を冷凍輸送して保管しようとか、みんなで協力してバケツリレー方式にしてみようか、とか、班分けして、仕事(魚とり)と子育てを分担制にしてみてはどうだろうとか、考えたりしないのか?

海から遠く離れたところに住宅地を作って、家族から1匹ずつ、何日もかかって海まで魚をとりに言って。めんどうだと思わないのか?
考えられる最もめんどうな環境で、最も効率の悪い方法で絶対に進化することもなくだらだらと生きていく理由はいったい何なんだ???


         **************

でも。ただひたすらに美しい背景を前にただひたすらに繰り返される、ただひたすらに効率の悪いドラマを延々と見ているうちに、なんだかちょっと違う気分になってきました。
「繰り返されている」つまり、

皇帝ペンギンは滅びてないのです。

彼らよりずっと快適な環境で生きている生き物たちが次々と絶滅していく中、意外と何の保護も必要とせず、マイペースだけど着実に繁栄している・・。人間の環境破壊でたくさんの生き物が絶滅したり、ペースを崩されて困ったりしている一方で、彼らは着々と子孫を繁栄させている。彼らの巣を破壊してマンションが建ったりしないし、大気汚染にさらされる心配もないからです。

あそこまで不便なところで不便に暮らしているからこそ得られる、彼らだけの特権。
・・・・・・・・・・・・もしや賢いのか?皇帝ペンギン・・。
快適な場所で暮らすためには、他の生き物と共存しなくてはいけません。他の生き物と競争しなくてはいけません。けれども、他の生き物が誰も住みたがらない不便な土地で暮らす彼らには、そういうことを考える必要がない。ただ自分たちのことだけ、考えて生きていけばいい。変化も協調もしなくていい。しなくても生きていけるからしないのですね。

ペンギンが壮絶な不自由と引き換えに得たものは、実は、途方もなく贅沢で豊かな環境なのかもしれません。価値観はさまざまですから、彼らにとって他の何よりも、競争と共存と変化がめんどうなのだとしたら、あれほど快適な生き方はないはずです。そう考えれば納得できます。永い永い時間、「予想もしない危機」にみまわれたりすることなく、同じ日々を淡々と生きてきたわけです。ちょっとうらやましいかも・・・。

では、「地球の温暖化」というのは、彼らにとってはじめての、「予想もしなかった危機」だったりするのでしょうか?南極の氷がとけはじめたとき、はじめての<変化>が起こるのでしょうか?

・・・・・・・・・おこらないような気がします。
彼らは淡々と、同じように同じ営みを繰り返しながら、静かに音もなく滅びていくような気がします。誰の助けも求めず、何の危機感も抱かず、不運を嘆くこともなく、ただ、繰り返し繰り返し行われてきたことを繰り返しながら・・・。生き物の終わり方として、それはなんだかとても美しく、完璧なものであるような気がします。悔しいくらいに。


2005年08月11日(木) 改革をするひと

自民党が、大阪市助役の大平さんに、
「大阪市で改革をするなら、国でも改革をしてほしい」
と、出馬要請をしたらしい。太平さんは、
「大阪市の改革をしてるので。」
と断ったらしい。

コントみたい。

自民党は、もしかしたら断らないかもしれないと思って頼んだのか?とりあえず頼んでみたらやっぱり断られたのか?

大阪市の改革をしてるひとは、誰がどう見ても、今、大阪市の改革で忙しいと思うんだけど。「なら、国も」って、「なら」って何?
改革というのはそんな片手間にできるもんなの?
大阪が一段落ついてから頼むならわかるけど・・。

・・・・・・・・・・・・・・・不思議すぎる。


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