窓のそと(Diary by 久野那美)
→タイトル一覧 過去へ← →未来へ
はじめて「失声症」というのになった。(正確には「神経因性声失症」というらしい) 耳はふつうに聞こえるけれど、声がでないので話すことができない。 一般の聾唖者のひとと反対の状態。 私は耳の精度はいいみたいなので(某サイトの絶対音感のテストは100点だった!)外の音はよくきこえるけど中から音が出せない状態。 うさぎさんみたい。
びょういんに行ったらストレス性のものなのでそのうちなおりますと言われたので、そのうち治るのだと思う。
ひとりでいる限り、日常生活で、意外と困ることがないことに驚く。 買い物もふつうにできるし、電車にも乗れる。 あたりまえだけど洗濯も掃除も洗い物もできる。 (洗い物をしながら歌を歌うことはできない)
できないのは他人とコミュニケーションをとること。 だからほかのひとにずいぶん迷惑をかけてしまう。 誰かに会ったりすることができないし。 いちばん問題なのは今のところ、電話ができないこと。
しばらく続きそう。うさぎの生活。
子供時代の数年を、全国有数の酒どころ、西宮の海の近くで育った。 海水浴も魚釣りもできない海。 あるのは大小さまざまな日本酒の工場と港。
子供の頃の私にとって、「海」というのはコンクリートでできた大きな入れ物にちゃぷちゃぷと入った大きな水のことだった。 「生命の源」でも「豊かな自然」でもない。 ただただ大きな、どこまでも続く果てのない水の名前だった。 文化や思想の付加価値を伴わない、ただたくさんなだけの水が、ひとの気持にどれだけのものを与えることができるのかということを、私はそこで学んだ。
夕方になるとよく、ひとりで海を見に行った。 正確に言うと、コンクリートの中にある大きな水たまりを見に行った。 斜めに光を反射する濁った水は、生命がどうの、とか自然がどうの、とかいう以前に、純粋に物理学的な理由で、とても美しかった。
海へ向かう道はとても広かった。 わけがわからないほどに広かった。 ただっ広い道路を、車がまばらに通り過ぎていった。 時折、広さに見合うだけの大きな貨物を積んだトラックが走った。 この道はそのためだけに広いのだった。 貨物は、専用のただっ広い道路を通って海へ向かった。
広い広い道路の脇には背の低い工場が並んでいた。 工場の外壁は派手に飾る理由もないためにどれもそっけなく白っぽくて、 高層にする理由もないので背丈も低かった。 だから田畑も草原もない割に、上に広がる空は意外なくらい大きかった。 住宅が少ないので、人の気配よりも建物の存在感の方が勝っていた。 海からはひっきりなしに風が吹いてくる。 遮るものがないので、静かに風が吹き渡る。 そんな中に斜めに日が差す時間になると、町中は柔らかい桃色になった。
私はずっと、夕方というのは町が桃色になることだと思っていた。 そして、どこからか新しい柔らかい香りの風が吹いてくることだと思っていた。 町というのは、空っぽの大きな道の上に大きな空が広がっているものだと思っていた。
*****
お芝居を創るとき。 私の創る場所には必ず風が吹いてくる。 人の気配のしない場所や建物や空ばかり書いてしまう。 夕方の灯りにはオレンジではなく桃色を使って欲しいと照明さんに頼んでしまう。
「海に送った灯」というお芝居を書いたとき、20年ぶりにその町へ行ってみた。 私が無意識に書いてしまっていたもの、 でも他人からは「どうして?」と不思議がられるあらゆるものが、 そこには当然のように、在った。
→タイトル一覧 過去へ← →未来へ
|