窓のそと(Diary by 久野那美)

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2001年04月26日(木) 夕方と私  

記憶の中の夕方はどれもよく似てる。

あのときのあの夕方も。
あのときのあの夕方も。
あのときのあの夕方も。

実は同じ町の風景じゃないのかと思うほど、なにか決定的に同じものがあって。
それはきっと夕方の風景にとってとても肝心な何かなのだ。

最近。日が長くなってきたので夕方はだいたい外を歩いてる。
夕方を歩くのは楽しい。
子供の頃から好きだったので夕方の記憶はたくさんある。
状況は全部違う。

あの町の夕方だったり。
あの日の夕方だったり。
あのひととの夕方だったり

季節も時代も場所も違う。

だけども何か決定的に同じものがある。それが何なのかずっとわからない。
夕方がそういう風に夕方であるための、肝心な何か。

夕方の時間。
時間の粒子が少しずつ荒くなり、どんなものにも影が差して。
町がゆっくり立体になる。
時間と場所の距離は天文学的に遠い。
近づこうとすれば残酷なほどよそよそしく、遠ざかるためには際限なく優しい時間。


決定的に同じものは何?
空の色?影の方向?光の射す角度?地球の軸の角度?
…わからないけど、何しかそういう類のものだと思っていた。

**********
夕方の時間。
時間の粒子が少しずつ荒くなり、どんなものにも影が差して。
町がゆっくり立体になる…。
少しずつ起きあがっていく町を歩いていて、今日、ふと思った。
決定的に同じものは風景の中ではなくて、風景からいつも等しく遠いところにあったのかもしれない…。

私は、私の見た夕方しか見たことがなかった。


2001年04月24日(火) 悲しいということ  

私は過剰なものが苦手なので、世界が空っぽに近い方がどちらかというと居心地がいいので、
「寂しいなあ。嫌だなあ。」とは、あんまり思わない。
「悲しいなあ」と思うことはときどきある。

どうちがうのかというと、たとえば
遠くまで響く、大きな空っぽの鐘の音はきっと、寂しくて。
中身のぎっしり詰まった、重くて分厚い鐘の音は、悲しい。

そんな違いのような気がしてる。


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