窓のそと(Diary by 久野那美)

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2001年05月20日(日) 2回目  

私はあんまり社交的な方じゃないので定期的に同じひとに会って話こんだりすることはあんまりないんだけれど、初めて会ったひとと4時間・5時間、(時々一晩)話すことは、わりとよくある。その時間の中で、「こんなことを他人に話したのは初めて。」と言われたことも言ったことも何回かある。そうやって交わした言葉は何年たっても色あせないまま、私の中でどんどん新しい意味を重ねていく。そのままほとんど会うこともなくなってしまったひともたくさんいるし、何年もたって、全く思いもかけないところで全然違う形で再会するひとも意外とたくさんいる。

経験的に。ひとって、初対面だから話さないとか、つきあいが長いから話すとかいうものじゃないと思ってる。何を話すか、いつ話すか、誰と話すかということは、タイミングの問題だ。つまり運と縁の問題だ。運と縁を楽しむのが人生の最大の贅沢だと思ってるので、ついつい誰かと誰かが初めて出会った時の話ばっかり私は作ってしまう。だっておもしろいし、そこでは時間がとっても贅沢に流れているような気がするから。

こういうとなぜか誤解されるんだけど、別に2回、3回と会いたくない訳じゃない。
何回会っても、いつも、初めて会ったときのようなあんな贅沢な時間がもてればいい。
ただ、もしもそれができないなら2回目はいらないと思うことは、よくある。


2001年05月15日(火) 最近どうしてるのか。  

人に会うときはだいたい「久しぶり」に会うので、会うたびに「最近どうしてるの?」と聞かれる。
困る。この質問に答えるのはすごく難しい。

どうしてると言われても・・・時間帯によっていろんなことするし、何もしない時間も長いし、何かしてるのか何もしてないのか自分でもよくわからない時間もあるし、確かに何かをしてるはずなんだけど何をしてるのかよくわからない時間もあるし、確かに何かをしてるはずだったんだけど気がつくと実は何もしていなかったり、気がつくと別のことをしていたりするような時間もあるし、何もしてないつもりだったけど意外とちゃんと何かをしてたりするような時間もあるし。曜日によっても違うし、お天気の日はするけど雨がふったらしないこともあるし、季節によって違うことも大いにあるし、年単位でひさしぶりなひとにはどこからどこまで話せばいいのかわからないし、そもそも最近ていつ?・・・とか考え始めると混乱してきて黙ってしまう。

よく、「聞いてはいけないことを聞いてしまった・・。」と思われて気まずい間ができる。
あわてて話題を変えられたりすることもある。
答えたくない訳じゃないよう。答え方が分からないだけだよう。

こんなとき、みんなどうしてるんだろう?質問じゃなくて慣用句なのかしら?
「もうかりまっか?」みたいな・・・。
だったら、答の方も定型のがあればいいのに。
あるのに私が知らないだけなのか・・・?

同じパターンで。
「なんでいつもそんな恰好してるの?」
ときかれた時も悩んだ。
私はそんなにもいつも同じ恰好をしてたのか?
冬はセーター着るし、夏はTシャツ着てるのに・・・。

日常会話って難しい。



2001年05月14日(月) 日記なのに来週の日曜日のこと  

私は5月がくるたびにひとつずつ年をとります。

そのせいか、5月の空がいちばん、静かでゆっくりした色をしているような気がします。誕生日だからといってもパーティをするわけでもないし、もういい年なので宣伝するのもちょっと気が引けるし、この時期わりとみんな忙しそうだし、毎年こじんまりと過ごしてるのですが、やっぱりなんだか改まった気持がします。
何年前のこの日はこんなことしてたよなあ、といちいち覚えている日なんてほかにそうそうあるものじゃないし。年をとるたびにそんなひそかに特別な思い出が増えていくのはちょっと楽しい。そのときどきでそれぞれにばらばらにあったはずの出来事が、今を拠点に振り返ってみると不思議と運命的につながってみえてきたりして、なかなかおもしろい。
時計でいうと12の場所に針がきて、毎年一瞬だけ「今」というゼロの時間を意識します。

5月20日は、今年はひさしぶりに日曜日。
どうかお天気で、きれいな空が見えますように。


2001年05月13日(日) アナログに合理的なもの  

たとえば。
文字盤のついてる時計。
正確に同じ早さで針が動いていくのを見るのが好き。
かちかちと規則正しくたてる音も好き。
ぎこちなく、でもなんとかしてまあるく並んだ数字も好き。
電池が切れたら、ねじが切れたら止まってしまうところも好き。

アナログに合理的なものって大好き。



2001年05月06日(日) 病院の秘密  

小さいサークルが苦手。
目の前に、いろんなものがたくさん並んでるのが苦手。
言葉で簡潔に説明するのが猛烈に苦手。
・・・なもので、私は病院が不得意です。

どうして病院の待合室には、椅子が内向けにまあるく並べておいてあるんでしょう。
どうして、病院の待合室にはポスターがたくさんたくさん貼ってあるんでしょう。
どうして病院の問診票は選択式の回答欄でできてるんでしょう。

診察を受ける前に、いつもここでダウンしてしまいます。
環境に負けて血圧も脈拍も急上昇してしまい、なにを治療しにきたのかわからない患者になってしまいます。
そもそも具合が悪いから病院に行くのに、行ったら待合室アレルギーになるし、ひどいときは帰り道でくらくらして吐いてしまう。少々の不調だったらうちで寝てる方がましだったりする。

たいていの病院が似たような形だけれども、あのシステムには何か秘密があるのかしら?
最近、何かと話題に上る医療問題・・・。こういう方面の改革も、いつか誰かやってくれないかなあと思うのですが、これって勝手な注文なのかなあ。



2001年05月04日(金) 洗濯物を速やかに畳むためのコツ。  

…最近、唄を歌うことにしました。
歌いながら畳むと、1曲を2回歌い終わるまでにだいたい完了することを発見したので、大幅な家事労働時間の短縮が可能になりました。タオル5枚、シャツ10枚畳むのに30分は確実に、下手すると1時間かかっていたのがなんと20分の1の時間で終わる。ちょっとずごいことです。

昔から悩んでたのですが、洗濯物をたたんでるときって、どうして意識が彼方へ飛んでいくんでしょう?手の神経に切り替えのスイッチがあるのかと思うくらい、確実にトリップしてしまいます。畳むのが嫌なわけじゃないのに。やわらかい乾いた布をたたんで積み重ねていくときのあれって、むしろ、悪くない感覚だと思うのに。

だけどもう大丈夫。
唄を歌ってる間は手に神経が集中できます。意識も作業も途切れません。
なんだか別の人になったみたいに着々と仕事がすすみます。
同じ悩みを抱えている人は少なからずいると思って、ちょっと書いてみました。
ぜひ、お試しを。

それにしても。あの間、わたしは一体どこへ行ってたんでしょう。
時々は、行って来た方がいいところなのかしら?


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