空のむこうにみえたもの
美空:misora



 同じ形の魂

今日は朝から消防局でAEDの講習を受けてきました。
私が住む市は、県下で一番AEDの設置率が高い市なのだそうです。
(それでもまだまだ足りてはいないと講師の方はおっしゃってましたが)

そもそもこの講習を受けようと思ったきっかけは、知り合いの医師の救命救急の話を聞いたことからでした。
その先生はBLS(Basic Life Support):一次救命処置のインストラクターをなさっているのですが、話を聞くにつれ、私もこのままではいけないと思うようになりました。
現在心理専攻の私ですから、この分野(BLS)に足を踏み込もうなどと思ってもいなかったですし、踏み込む以前の問題で、そういった分野があるのだということさえ知りませんでした。
あまり大きな声ではいえませんが、心肺蘇生法を自信を持って出来るかと聞かれると、正直不安がありました。
それにAEDに触れる機会もなかったので、これはしっかり身をもって体験して行動できるようにならなくてはと思い『講習を受けさせて下さい』と消防局へ駆け込んだ次第です。

3時間の講習を終えて、修了証を受け取った時は嬉しかったです。
いつ何時降りかかってくるか分からない事態に、即対応出来るように瞬時の判断力だけは鈍らせないようにしておきたいと思います。

ついでに『人工呼吸の具合が上手いですね☆』と褒められたのですが、“そういうのに上手い下手ってあるんだぁ・・・”と思ってビックリしました。



さて、タイトルについて。

『外見も大事なんだろうけど・・・中身だもん。魂の形ね。』

これは今日の会話のひとコマです。
何処からこのような話になったかというと、私が明日出席する結婚式の話からこのような流れになったのですが。

そもそも魂に形があるのかというところなんですけども、私は、あるのではないかと思います。
魂の色も。(←これをオーラと言うのでしょうか。。。?)

誰かの傍に居たいとか、居てほしいと思った時、魂の形が似ている人を無意識に選んでいるのかもしれませんね。
日々いろんな出来事に遭遇して、喜怒哀楽を表していくのでしょうが、そんな変化の中でピタリと寄り添うような考えを持っていたり、何も言わなくても傍にいてくれたりする人に安心感を覚えるのでしょう。
そのような人にはなかなか出逢えないのかもしれませんが、もしも出逢ったなら、きっと幸せなのでしょう。


魂の形はどうしたら分かるの?

2007年11月30日(金)



 心には底がないの?

今日は心の話をしていました。
人の心は深淵なのだそうです。
でも、心には底があると私は思っています。
もちろん、壁も扉も。

 海溝より深いかもしれません。
 宇宙より広いかもしれません。

それでもどこかに限界があると思うんです。
どこまでも行ってしまうのは、その限界に向かって行っているだけなのではないかと。
途中で迷ってしまえば戻ってはこれないのかもしれませんが、それでもどこかにたどり着こうとしているのではないかと思うんです。

 溺れないように。
 迷わないように。

確かにそうなのかもしれません。
出来ることなら渡りきりたいです。
出来ることなら戻ってきたいです。
でも、もしもそうできなかったら?
受け入れるしかないのでしょうね。
哀しく(悲しく)もあり、悔しくもあるのでしょうが・・・。


時々ふと思うんです。
この道で間違っていないのかなと。

驕ることがないように。

2007年11月28日(水)



 短気の治し方

今日、知り合いから質問を受けました。
『短気を治すのはどうしたら良いかなぁ!?』
『短気を治す方法とかあるかな?』と。

事情がどうなっているのか分からなかったので、先に説明をしてから少し事情を聞いてみると職場での人間関係だとその人は言っていました。
私はてっきり別の人のことかと思っていたので、ついつい性別を確認してしまいました・・・汗

短気といえば、私も昔はその気がありましたねぇ。。。
(昔の私は結構はばしい性格でしたので)
嫌なものは嫌。ダメなものはダメ。とはっきり言ってましたし、仕事の出来ない人は本当に大嫌いでした。
が、年をとるとだんだん性格は丸くなってくるものなのですね。
仕事が出来ない人もいるんだなと、皆が皆私みたいなテキパキタイプではないんだなと、そう思えるようになりました。
今の仕事は人をみて、その人に合った方法で指導をしていかなくてはならない仕事なので、人を見る目が若い頃よりも出来たのかもしれません。

人生経験がそうさせるのかもしれませんが、昔みたいにゴツゴツした岩ではなく、自分で言うのもなんですが、丸みを帯びたボールのようになりましたね。
ちょっと言うと、どこへでも転がっていけるような。
下手すると、私の意思は??と自分で突っ込みを入れたくなるような。
そんな風な性格になったように思います。

人との衝突を避けるために覚えた技かもしれません。
人ってこんなものなんだなと。。。半分諦めてしまっているのかもしれません。
でも、もしも私が理性を捨てて、言いたいことを全部言って、やりたいことを全部やったら、きっと回りにいる人は驚くのでしょうね。
ま、そうできない自分がいるんですけどね。苦笑
良くも悪くも、大人になったってことでしょうか。


『短気は損気』
忘れないようにしたいですね。


【以下回答文】
その人(以後Aさん)が何に対して短気を起こしているのかは今の話だけではよく分かりませんが、何にしてもAさんが短気を起こす原因になる事(本人にとっては事件かもしれませんね)が何かしらあるわけですね。

(中略)

例を挙げるならば、自分が思ったとおりにならない時にイライラしたり、自分の都合を優先させようとした時に、そうならない事態に陥ると不愉快になったりするわけです。

そんな時に感じる感情は負の感情なんですが、その負の感情を表に出す時、怒りという方法で感情表現をすることで“自分の意見を相手に押し付けよう”としているわけです。
そうすることで、自分(Aさん)はスッキリするわけなんですけどね、そうされた方(相手)はたまらないですよね。
傍目に、どんなに間違ったことをAさんが言っていたとしても、それを否定すればAさんは怒り出すのですから、まともに意見も出来ないということですものね。

そのAさんがいつもいつも短気でいるわけではないと思うんですよ。
何かのきっかけ(怒りを感じる引き金)が何かあるはずなんです。
そのきっかけが何なのかを、Aさん自身が先ずは知ることが大切なんですよね。
短気はけして治らないものではないですよ。
本人の考え方一つです。

・今、私は何に対してイライラしているのかな。
・怒りの感情をそのまま言葉にしたとき、相手の人はどう思って聞いているのだろう?
・もし逆の立場で自分がそうされたらどう反応するだろう

などなど、自分を振り返ることで、自分がどのような状態なのかがわかると思うんです。
そうした上で、少しだけ自分の考え方の枠(固定観念)を広げてみるといいと思いますよ。

・絶対に自分の意見(やり方)は正しいの?
(本当はもっと色々な意見(やり方)があるんじゃないの?)
・それって本当に怒るようなことなの?
(ガミガミ言わなくても穏やかに意見することができるんじゃないの?)
・自分は自分、相手は相手と少し割り切ってみてもいいんじゃないの?
(10人いれば10個の意見がある)

相手を自分の思い通りに動かすのは不可能に近いです。
実際、押さえつけられ続ければいつか反発しますし爆発します。
いずれその人の傍からみんな逃げ出してしまうことでしょう。
短気を起こしてどんどん怒りを表に出していけば、いつかは自分が一人になってしまうということを、本人が理解する必要がありますね。

自分の思いを表現する手段は“怒る”という方法だけではありませんよね。
穏やかに伝える(会話する)という方法があります。
怒って言わなくても、笑って意見することだってできるということです。
怒りに対して返ってくる反応はやはり怒りなんですよね。
笑いに対しては笑いが返ってきます。
だから、短気を起こしそうになったら、先ずはちょっと自分を見つめてみるといいでしょうね。

・あれ?今何で怒ろうとしてるんだろう?
・何で不機嫌になったんだろう?

そうやって、少しずつ自分の考え方を柔らかくしてみるといいと思います。

(中略)

短気を治す方法は考え方を変えることなんですけど、相手が短気の場合、相手の考え方を変えるのはなかなか難しいので、自分の考え方を変えるという方法があります。
長年その方法で生きて来た人に、いきなり考え方を変えろ!と言っても、よほど本人に「この性格をどうにかして変えたい!」という強い意志でもない限り変わらないものなんですよね。
それなら、自分の考え方を変えるしかないのです。

「あ、この人はこういう人なんだ」

と、相手のことを受け入れるという方法です。
自分が感じるストレスを少しは軽減することが出来ますよ。

自分が短気と思うなら、その場合も自分を受け入れることからはじめます。
そして、先に書いたとおりなんですが、変える、変わる、変わろう、とやってみることですね。

2007年11月27日(火)



 整外に行ってきた

やはり、肩と膝の調子が悪かったので、仕事終了後、駅の傍に診療時間が7時までの整形外科があったのでそこへ出向いてきました。

待ち時間はやはり1時間くらいかかりましたねぇ。
肩と右膝のレントゲンを合計10枚撮られ、治療は電気治療と温熱療法と注射を受けてきました。
治療代も自費診療も含めて約4500円。高かったぁ〜〜。泣

診断は筋を痛めてるのかもしれないねとのこと。
関節そのものにひどく異常があるわけではないけど、関節の隙間が場所によっては狭いところがあるかな・・・といった感じでした。
骨の異常ではないから、運動は続けてもいいけど無理しない程度にやってくださいね。と念を押されました。

そして、『注射しておきましょうか』と言って取り出してきたのが“ヒアルロン酸”。
『2週間に1回(肩)と1週間に1回(膝)打ちに来てください。』ってわけで、通院がしばらく続きます。
電気治療は毎日でもOKとのことでしたが、そんなに通いつめる暇もないので、行ける時には行こうかと思っています。
軽いストレッチは毎日続けてもいいとのことで、理学療法士にその方法も習うといいですよ☆とアドバイスをもらいました。
次の診察予約は12月3日。
その前に1回は治療に行こうかと思っています。

湿布の影響なのか、肩の腫れが引きました。
注射のおかげなのか、肩を回した時の痛みが軽減しました。
朝起きてもスムーズに動くし、ストレッチをやってみても以前のような痛みはなくなりました。
薬品ってやっぱり怖いなとつくづく。
普通に読んだら「クスリ」→後ろから読んだら「リスク」
薬品はやはり毒物なんだなと思います。
使い方を誤りさえしなければ問題はないんですけどね。


ふぅ・・・。
なんにしても運動したいです。
(ただ今自粛中の為、ちょっとストレスたまり気味)

2007年11月26日(月)



 試合終了

先ずは結果から。

1回戦はストレート勝ち。
2回戦はストレート負け。

結局、2回戦敗退。
敗因はモチベーションの低さでしょうね。
2回戦の対戦相手を見た瞬間に“あ、負けた”と思いましたからね。
案の定って感じです。
私もペアの相手もミスの連発。
一回戦の調子の良さはどこへやら・・・といった感じでしたね。
ん〜〜〜(ー_ー;


さてさて、結果はさておき。
昨日書いた肩の調子ですが。。。正直悪いです。
今日の準備運動の時から右肩だけが固まってました。
筋を伸ばすのに苦労したのなんのって。
ありえないだろうと言うくらい固まってましたねぇ。。。苦笑
2回戦の時には膝も調子狂ってましたしね。
踏んだり蹴ったりです。
明日受診しようと真剣に思ったのは言うまでもありません。
今夜は膝と肩に湿布を貼って眠ろうと思います。

参った・・・。
てか、湿布残ってたかな??


ついでに、さっき飲みかけていたワインを倒して膝に浴びせてしまいました。
PCの前に座りつつ飲んでいたんですが、ここに置いておくと手が当たった時に多分こぼすな・・・と思ったんです。
そしたら、やっぱりでした。
ま、そんなものです。
何をやっても上手くいかない日もあります。


最近はかなりのお疲れモードですね。
自分でも、これでよく怪我しないなと思います。
実際は膝と肩を痛めているので、怪我とはいかなくても調子が悪いことに違いはないのですが。
しばらくは治療に専念しようと思います。
勉強もしないといけませんしね。
目の前に迫っているロープレ(カウンセリング)の事もどうにかしなくては。
読まなくちゃいけない本が2冊。
やらなくちゃいけない仕事が2つ。
眠る時間はどこへやら・・・。

2007年11月25日(日)



 試合前夜

今夜は満月でしたね。
月がとても綺麗でした。
一番高いところに月が上がった頃、家に帰り着きました。
・・・しばらく眺めていたのは内緒です。爆


明日はバドの試合です。
調子はそこそこ。悪くはありません。
(すこぶる快調というわけでもありませんが)
ちょっと、右肩がおかしいかな。
腫れているような気がします。
騙し騙しやってたのがココにきて限界に達したといった感じです。
“整形外科に行ってみようかな”と思うくらい芳しくありません。
ついでに膝も診てもらった方がいいだろうね。
ただねぇ・・・近くにある整外は患者さんがとても多くて、診療時間までの待ち時間がとても長いというのが難点なんですよね。
でも、明後日は午後から暇なので受診してみようと思っています。
ま、明日の試合の調子次第です。


逢えば逢うほど切ないのはどうしてでしょうね。
どんなに手を伸ばしても届くことはないような、そんな感覚に陥ります。

あの人が出来る事は何があるでしょう?
そして、私に出来る事は?


帰る場所であるように・・・。か。

2007年11月24日(土)



 旅に行こうかな

今夜は家に一人だったので、久しぶりにドラマ(TV)を観ました。
家族が居るとTVを観ないのかって?
“観ない”です。
というか、家族が居るから観ないわけではなく、平日だから観ないだけですが。。。
TVスポーツ観戦は好きなので、バレーボールは家族と一緒にたまに観てますよ。

今夜観たドラマは京都の舞妓さん(実在の人物)を描いたドラマでした。
どうして私がこのドラマを観ようと思ったかと言うと、京都が映っていたからです。
それだけ??と思われるかもしれませんが、それだけです。
それだけの理由でそのドラマを観てました。
出演者や内容に興味がなかったわけではありませんが、それよりも私は京都の景色(風景)に惹かれました。

不思議なのですが、京都にはいような懐かしさを覚えます。
私もとは兵庫生まれの大阪育ち。
幼少期は大阪で過ごしました。
(京都に住んだことは一度もありません)
今は西のほうに移り住んでいますが、たまに京都へ行きたくなります。
大阪ではなく、京都へ行きたくなるんですよねぇ。。。不思議。
落ち着くのです。京都の街並みを見ていると。
何だか安心するのです。戻ってきたようで。

行くなら今がいいのでしょうね。
紅葉がそろそろ見ごろでしょうし。
春の桜もいいんですけどね。
冬の京都を見てみたい気もします。
またお寺回りしたいなぁ〜。

京都へ日帰りで旅ををするには距離的に難しいらしく、最低1泊は必要とのこと。
その時間が取れていれば、とっくの昔に行ってるのでしょうけどね。
2日を費やす余裕がありません。
でもね。。。行きたいのですよ。
何をしに行くのかと聞かれるとちょっと返答に困るのですが、京都の街並みの中に居たいのかもしれません。


ドラマを観ていたらますます行きたくなりました。
ここ(日記)には、ずっと前から行きたい!行きたい!!と書いてはいるんですけどね。
結局は行けずじまい。
やっぱり、強制的に時間を捻出しなくてはダメなのかもしれませんね。

2007年11月23日(金)



 神様、一つだけ

神様、どうか…一つだけ願いを聞いて下さい。

気力と体力が回復するまで、あの人に休養を与えて下さい。

( ̄人 ̄)祈


2007年11月22日(木)



 To whom does the following permit the weakness?

学生が言いました。
「先生、次の時間、話し合いをしたいのですが・・・」
内容は聞くまでも無くわかっていました。
とある一人の学生についてです。
話し合う時間は90分。
実質、学生同士が話し合ったのは60分くらいでしょうか。
内容については触れませんが。。。

ひと段落ついたところで、話して聞かせました。
医療の話(対症療法と原因療法)を引用して。

私もそうでしたが、どうして人は逃げ場を求めるのでしょうね。
逃げたところでどこにも答えなんてないのに。
(不完全な私が言うなって感じですが)
対症療法では病気が完治できず、いつかは原因療法を用いなければならないように、原因から目を背けて逃げてばかりでは何の解決にもならないと言うことを話しました。

 戻れる場所があるうちに。
 帰っておいでと言ってくれるうちに。
 ここにおいでと言ってもらえるうちに。

本当に戻りたいのなら戻る術を探しなさい、と。
お互い譲り合うことと、労わり合うことを忘れないように、と。

どのくらい通じたのでしょうね。
それは本人たちにしかわかりません。
時として立ち止まらなくては見えないものもあります。
それに気づいてもらいたいです。



さて、タイトルですが。
今日の話し合いの中で、ふと思い出した言葉がこれでした。
とある人の歌詞の中の一文です。

 次はどれに弱さを許す?

私が今こうやって上を向けるようになったのは、この言葉に出会ってからです。

 “次は”どれに弱さを許す?

・・・次??
その前があるってことよね。
そして、また同じことを繰り返そうとしているということよね。
そう思った瞬間、目(心)から鱗が落ちました。
そっか・・・わかる人にはわかるんだ・・・と。
逃げれば逃げるほど、逃げ場はなくなっていくのです。
いつかその“次”はなくなるんです。
いつかは終わりが来る。

それからでしょうか。
私が立ち向かうことを覚えたのは。
躓いても、転んでも、また立ち上がろうと思うようになったのは。
今回の学生の件についても同じなんです。
逃げてもいい。
逃げてもいいけど、いつかは立ち向かわなくてはならない日が来る。ということを覚えていてほしいです。


向かい風を受けて立つその後ろ姿が、凛々しく見えるように。



『次はどれに弱さを許す?』

2007年11月21日(水)



 本格的に風邪?

一応今日の仕事が終了しました。

予定していた学生の面接練習がキャンセルになったので、残業でもして帰ろうかな〜と思っていたのですが…ここにきて、朝から痛かったノドが本格的に痛みだしました。
と言いますか、首が重いです。
肩に何か荷物を担いでいるような重圧感があります。
こんな時は決まって熱がある…。
体温を見るとますます具合が悪くなりそうなので、とにかく今日は帰ることにしようと思います。
またしても風邪かなぁ〜。

インフルエンザが流行りだしてますからねぇ…。
目に見えない外敵だけに何処からやってくるかはわかりませんが、手洗いとうがいだけは怠らずに続けようと思います。

皆様もお気をつけ下さいね☆

2007年11月20日(火)



 そんなこともありました。

入院って本当に暇だよね。
私が入院した時もかなり暇だった。
ある程度体力が戻ってからの話だけどね。。。苦笑

いつだったかな、もう12年も前か。あれは冬でしたね。
一回だけ(10日間だったかな)入院したことがあるんですよ。
その日は、夜中に腹痛で眼が覚めてお手洗いに行ったのです。
どうにもこうにも激痛で眠れそうになかったのでね。
今にして思えば、母上様と入れ違いにお手洗いへ入ったのが良かった。
その後すぐ“バタン!!!”と中から何やらものすごい音がしたんだそうです。
私自身、すれ違って扉を閉めた所までは覚えているんですけど、その先の記憶が一切無くて、気がついた時には母上様が私の名前を呼びながら頬をパチパチたたいていた所でした。
結局、倒れた原因は起立性低血圧だったんですが、腹痛の原因はストレスによる過敏性大腸炎だったみたい。
しかも倒れ方がまずかったようで、顔面を便器の淵で強打してしまって前歯を一本骨折したんです。
挙句の果てに痙攣もひどく、下唇を思いっきり噛んでいたらしくて出血もあったらしい。
そりゃ・・・母上様も驚くってことです。
救急車が駆けつけた時にはとにかく寒い寒いの一点張りだったらしい。
というか、その頃には私の意識もある程度回復していて、全身の脱力はひどかったものの、会話は出来るまでになっていました。
とにかく廊下で横になったままガタガタ震えていたのを覚えています。

その後、救急車で国立NR病院まで運ばれ即刻入院となったわけなんです。
にしても、その移動時間が長かったのなんのって・・・泣
夜中だったにも関わらず、かるーく、30分は救急車に揺られましたよ。
受け入れ先が無かったという理由で。
単に倒れただけだったら内科の救急でよかったのでしょうが、私運悪く口腔内外からの出血があったものですから、ただの外科では受け入れられないと言われ、歯科系はNR病院しか駄目だとなり、遠路遥々となったわけです。
あれには本当に参った。。。

で、到着後処置を受けるも、腹痛はいっこうに治まることを知らず、浣腸(食事中ならごめんなさい)なるものを初めて体験したのもあの時でした。
そして、点滴やら採血・腹部レントゲン諸々。あれやこれやといじられ続け、病棟も空きベットがないからと外科病棟へ連れて行かれ夜は更けていったのでした。

結局、私どうやら約1日半眠り続けたらしく、眼が覚めた時に母上様がとても驚いてたのをボンヤリと覚えています。
体力は底を尽き、意識こそハッキリとはしていたものの、ベットから起き上がることも出来ず、食事はおろか用を足すのでさえベットの上でしたからねぇ。
あれには本当に参りまくり。
ちょっとでも動くと呼吸困難になるんですから、そりゃベットから動かないでください!と注意もされるってことです。
浣腸、導尿、24時間点滴・絶食。
何でこんなめに遭うのかな。。。と思いましたね。

結局入院中に口に出来たものはお粥とお茶だけでした。
病棟が内科に移ってからは点滴は外れたものの、食事制限がかかり、腸に負担がかからないようにと、お菓子も駄目でした。
味気ない食事を7日くらいだったかな、続けたおかげで、ただでさえ痩せていたのに、マスマスほっそりスリムになりましたよ。爆

入院していることを誰にも言わなかったので、誰かがお見舞いに来るわけでもなく、お友達は雑誌だけでしたね。w
入院後、一時期はブランドものに非常に詳しくなりましたよ。ww
表紙から背表紙まで、1ページも漏らすことなく隅々まで読めば、そりゃ・・・詳しくもなります。

体力が回復してからはお風呂にもどうにか入れるようになり、看護師さんにお願いして一人で一番最後に入らせてもらっていました。
他の人と一緒なんて・・・ありえないです。はい。マジで。


とまぁ、そんなこんなで超退屈な入院生活でした。
仕事が原因でストレス過多だったにもかかわらず、仕事したい!!と思ったくらいですから、よほど暇だったのでしょうね。w
やっぱり、心身ともに健康が一番。
一番なんですけどねぇ。。。
最近は微妙に調子悪いです。トホホ・・・。



何で、こんな昔話かって???
そういう気分だったからです。苦笑
特に深い意味はないのですよ。

特に深い意味はね。w

2007年11月19日(月)



 その哀しみと不安が消えるように

ずっと連絡がなかったので、名前を呼んでみた。

そうしたら、8度の熱があり寝込んでいると言う。

 薬は飲んだのだろうか・・・
 何か食事は摂ったのだろうか・・・
 暖かくして眠っているだろうか・・・

そんな↑ことが一気に頭の中を駆け巡った。

こんな時が一番辛い。

傍にも行けないし、声も掛けられない。




出来ることなら、今すぐにでも逢いに行きたい。

その哀しみと不安が消えるように。

2007年11月18日(日)



 久しぶりの長電話

やっと医療の試験が終了しました。
学科はパーフェクトだったと思います。
実技も大丈夫っぽいので、合格してるはず。
結構ドキドキしてたんだけどなぁ。
終わってみるとあっけなかったです。苦笑

さて、今日は夕方17時からバドの練習がありました。
17時〜21時まで体育館が押さえてあるから早めに来てください!!
と連絡があったのですが、いささか17時には間に合わず、それでも18時には体育館にいたと思います。
さすがに3時間練習はしんどかったです。

その帰り道、久しぶりに長電話(1.5時間くらいかな)しながら帰りました。
多分、“そろそろヤバイ”と無意識からの危険信号が出ていたのでしょう。
他の誰にも言えない胸の内を。。。(と言うと大げさですが)弱音を、泣き言を言いながら帰りました。
途中コーヒーが飲みたくなったので、車を止めて飲んだりしながら。

結局のところ、ひどく何かを話したわけでもなく、ただ、今はかなり疲れが溜まっているということと、そろそろ精神的にヤバイということぐらいしか話しませんでした。と言うか、話せませんでしたし、それ以上の内容を話したくはありませんでした。
それでも、相談事をする時にはこの人に話すのだから、やはりどこか安心できる部分があるのでしょう。

その会話の中で、一番救われたのは『それを咎めたりはしない』と言ってくれたことでしょうか。(いやはや、流石。)
その言葉がひどく心に響いて、思わず涙がこぼれました。
そして、私はそんなにもいっぱいいっぱいなんだな・・・と、再確認してしまいました。

人間は弱い生き物なんですよね。
それは十二分に分かっているのですが、それでも頑張りたいと思ったり、やっぱりダメなのかなと思ったり、右往左往しながら生きているのです。




・・・肩凝りが早く消失しますように。祈

2007年11月17日(土)



 ボージョレー解禁

さて、今年はどうなんだろう。

何年か前に飲んだボージョレーは高価だっただけに本当に美味しかったんだよ〜☆

先ず今夜は明日の試験に備えて375mlから開けてみたいと思います。





ん?
いつ買ったかって?
そーねー。
“何処に行くの?”の時あたりかな。

感想はまた後で♪





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飲んでみました。

何だろう・・・今年のは渋みが目立つ気がする。
気のせいかなぁ。
去年はもう少しまろやかだったような。

母上に至っては『濃すぎ』ときたもんだ。
ぉぃぉぃ・・・
濃いのは“濃厚”と言って別に問題はないのですよ。母上。


あと少し残りがあるから、それは明日の夜飲んで終わりです。

2007年11月16日(金)



 今夜は試写会

ただ今、ちょうど正午のサイレンが鳴りました。

・・・眠いね。
仕事をしていてもウトウトしちゃう。
昨日眠るのが少し遅かったしね。
だいたい、勉強(実技入力)しながらPCの前でウトウトしてたし。
ダメじゃん。。。爆

はてさて。
バレーボールは3−1で負けましたね。
残念。
2セット目、競って競っていいところまでいったのに、あれを落としたのが痛かった。

今夜は映画の試写会に行ってきます。
『めがね』だったかな。
応募していたら当たりました♪
いったいどんな映画なのか・・・邦画は時として難しい。苦笑


さて、仕事に戻ります。

ばいば〜〜い☆(^▽^)ノ”

2007年11月15日(木)



 夕学講座に行ってきた。

今日は商工会議所がやっていた後期の夕学(せきがく)五十講を受けてきた。
正しくは、慶應丸の内シティキャンパス2007年度後期『夕学五十講』というのですが。

テーマ
「こころの時代の心理学」
タイトル
「ひとりの時間が自分らしさをつくる 孤独であるためのレッスン」
内容
1.真の意味で「自己中心」であれ
2.孤独力を養え。
 わかりあえる人とわかりあえばそれでいい、という潔さを持て
3.マイ・スペースの見つけ方
4.うちなる心の声に耳をすませ
5.ポジティブシンキングから、インナースペースへ
6.偶然の出会いや出来事、共時性に心を開け
7.「運命の方向感覚」を取り戻せ
8.一歩踏み出す勇気を持て

講師は明治大学文学部教授の“諸富 祥彦”先生。
臨床心理士、日本カウンセリング学会認定カウンセラー、上級教育カウンセラー、学校心理士などなど、多くの肩書きを持っていらっしゃる先生でした。
お見かけするに私のタイプでは・・・(以下自粛)でしたが、流石に若者を相手によくお話をなさるからなのか、40の半ばを過ぎていらっしゃるわりには口調が若かったです。

どうして私がこの講座を受けようと思ったかというと、話は簡単で、職場に商工会議所からのチラシが回ってきたからです。
私の職場は商工会議所の傍にあるのですが、検定試験などでよくお世話になっている関係であれこれとチラシが回ってきます。
(ついでに言うと、私の同級生も勤務していますし。。。w)
その中にこの夕学五十講のチラシもありました。
よりによって、どうして心理学なの?ってところでしょうが、現在某大学が開いている心理学の公開講座を受講中でして、今年で2年目になります。
その関係からどうせ聞くなら心理系がいいよ。。。と思いまして、申し込んでみたわけです。

このところ“言葉”についてあれこれ考える時間が多かった私ですが、今日の講座では少し違うことを考えさせられました。
それについては以前も少し考えたことがあったのですが、偶然と必然、運命と宿命についてでした。
や、もちろんこんな言葉は一度だって諸富先生の口からは出てはきていませんでしたよ。(手元の資料の中に偶然と運命いう言葉だけはでてきますが)
ただ、話を聞いていく中でふと思い出したんです。
自分で過去に書いたものを。
何事も起こるべくして起こるし、人との出逢いも出逢うべくして出逢う。
今は別れて別の路を進んだとしても、本当に必要ならまたどこかで出逢う。
そんな感じのことを過去に書いたことがあったなぁ〜と。

感想はというと、実は・・・・正直なところ“ない”のです。
ぃゃ、語弊があるか。
聞いていて面白かったですし、ためにもなりました。
自分がやってきたことが間違いではなかったんだなと思いましたし、そう思えてよかったなとも思いました。
(普通はこれを感想というのでしょうが・・・苦笑)
でも、今の私にはこれは感想ではなくて、経過であり結果なんです。
何と言えばイイのでしょう。。。上手く言葉にはできないのですが。困

そう、、、何かが引っかかっているのです。
何なんでしょう。
スッキリしない。
手元資料の中に書いてあった一文を引用すると、

 「何かがおかしい」と感じたら、
   まずは自分の心の声に耳をすませることが重要です。

今の私はもろにこれなのです。
ハッキリと認識しているわけではないのですが、何かが頭の中に引っかかってしまっているのです。
講座そのものは有意義だったはず。
自分を振り返る時間もあって満足したはず。
なのに、講座の後に残ったものは消化不良な感情。
言葉で言い表すにはかなり無理がある。
だから凄くビミョウ。
しばらくこのモヤモヤと付き合わなくちゃいけないみたいです。

ふぅ・・・・。



来月もまた別の話を聞きに行く予定にしています。
その時には感想を書けるといいのですが。苦笑

さて、1時を回ってしまったのでそろそろ“寝る:ねる”・・・いや“眠る:ねむる”ことにします。
おやすみなさ〜い。



追伸:
寝ると眠る。
私の中では少々意味合いが違うのです。

2007年11月13日(火)



 読みかけの小説

ストレスかな。
今日は胸が痛い。
風邪かな。
ついでに体もだるい。


久しぶりに、本当に久しぶりに、ゆっくりとした夜を過ごしている。
ベットの中で本を読むなんて何年振りだろう。
冬が近づくと毛布に包まる日が多くなる。
これも夜の長さ故か。

2007年11月12日(月)



 ”言葉にする”こと

文字書きの私がこんなことを言う(書く)のは、一体どういうことかとお思いになるかもしれないが、この数日の思いを“書いて”みようと思う。

先日仕事の都合で図書館へ出向いた。
目的の本は特になかったので、何かお勧めの本はないかと図書館推薦のお勧めコーナーをボーっと眺めていた。
読書の秋を意識した感の色濃い書物が新刊をメインに並べられていた。
眺めることしばし、私の目に一冊の本が留まった。
そのタイトルに惹かれるように手に取った本は文庫本サイズの150ページ程度の薄い小説だった。

『天空』

ご存知の方もあるかもしれない。
柏森さとみサンという長崎県出身の挿絵ライターさんが書いたものだ。

「わたし」は身動きできないほど
   縛られていた過去の鎖から
     少しずつ解かれていく―――。
            (背表紙より)

本の背表紙にかいてあった文章を読んで、私はこの本を借りるのではなく、内容を確認することもなく“購入”することを決めた。
この本を購入しなくてはいけないと強く思った。

そして、その日の夕方には本屋へ車を走らせ注文を依頼した。
が・・・この本。
出版部数が少なかったらしく、現段階では品切れとのことだった。
次の増刷もいつになるか分からないとのことで、いつ入荷できるかも分からないと店員さんに念を押された。
『それでも構いません。』と注文をして帰った。

それから2週間程過ぎた頃だったか、私の携帯電話に“入荷しました!”という知らせが届いた。
そして昨日の夕方、仕事が済んだ後に引き取りに行った。
すぐ読みたかったが、昨日の夜は日記のとおりバドの練習だったのでページを開くことは出来ず、結局今日読んた。
150ページというページ量だったからかも知れないが一気に読み終えた。
内容的にも読み続けるのに苦になるものではなかったからだとも思う。

内容は。。。
ぜひ、皆様も一度手にとって読んでみていただきたい。
薄さのせいもあって内容が少々足りていない気もしないではないが、それでも一読する甲斐は往々にしてあると思う。
少なくとも私は、この本に出会えてよかったと心から思う。
出会うべくして出会った本だとも思っている。
先日から言葉について考えることが多くなっていた私にとって、この本はその答えをくれたようにさえ思う。

「言葉にすることで、人はあんしんするのかもしれない」(本文より)

先日の日記に『言葉は不完全なコミュニケーションツール』だという言葉に出会ったと書いたが、これを教えてくれた人はこうも言っていた。
“言葉は感情を現す手段の一つであって、今の正しい気持ちを言い表しているものではない”と。
確かにそうなのかもしれないなと思った。
“愛している”という言葉だけが、愛の表現方法ではないし、その言葉の裏にはもっと複雑で深い感情があるはずなのだ。
でも、それを全て言葉にするのは難しく不可能なので、最も手っ取り早く相手を安心させることが出来る“愛している”という言葉を用いているだけなのだろう。

文字書きのくせに、血迷ったかと思われるかもしれないが、今私の中で“言葉”が不完全で無意味なモノに見え始めているのは事実だ。
それでも、私はこうやって文字を使って感情(考え)を表現している。

“言葉には魂が宿る”

これは揺ぎ無い真実だと思っている。
神に祈りを捧げる時、声に出して祈るという行為には“言霊”を信じる者の願いが込められているのだと思う。
不言実行は確かに美徳かもしれない。
たが、有言実行の何が悪いのだろうか。
言わないことも言うことも、どちらも正しい選択なのだろうと思い始めている。
時として言わなければならない場面があり、時として言う必要がない場面がある。
だたそれだけのことなのだろう。

私は、傍にいない人に想いを伝えるべく言葉に想いを託す。
それをどう受け止めるかは、受け止める側の心の位置次第なのだろう。
誰かには大きく心に響く言葉となり、誰かには陳腐な言葉として映る。
言葉とは、そういった二面性を秘めているのだなと、この数日間で痛感した。
行動に移すことも時には良いのだろう。
時には言葉を用いることも。
必要な時に必要な手段を使うことが出来ればそれで良いのではないかと思う。


多分私は、これからも言葉を表現の手段として遣い続ける。
例えそれが不完全で無意味なものであったとしても、一人でもその言葉で何かを得ることが出来るのなら。
私が書いたものがどのくらいのモノなのかは分からないし、何かを動かせるほどの力があるとも思えない。
それでも、やはり書き続けたい。

それは私自身の為でもあるから。


2007年11月11日(日)



 今日の体調と練習結果

熱 → 無
咳 → そこそこ
腹痛 → 回復
肩 → まーまー
膝 → 問題なし
心 → 無

というわけで、今夜はバドミントンの練習へ行ってこようと思います。

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戻ってきました。
今日は絶不調でしたぁ・・・泣
体が思うように動かない。
試合近いのになぁ。
こういうのをスランプって言うんです。
楽器を吹いている時にもたまにあったんです。こんなことが。
しばらく練習しないでいると調子は勝手に元に戻ってくれるのですが。

練習に来ていた友人の旦那さんからは、
“空ちゃん、全然(打てていない)じゃな〜〜い。(^^;”
“そんなんじゃ試合に負けるよ”
と言われ、ショックの上塗りをされる始末。

練習用の激重ラケットに持ち替えて基礎打ちをやったのが良くなかったのか、それとも右肩が調子悪かったのか、若しくは全体的に筋肉を上手く使いきれていなかったのか。。。
原因が何処にあるのか自分でもちょっと良くわからないのですが、何にしても、今日の練習はミスの連発で我ながら“ありえない・・・”と思いました。


昨日のが全身運動だとするなら、ただの全身筋肉疲労なのだろうか????
(ー"ー;) ン〜〜〜ン

2007年11月10日(土)



 Time of the relief between hilts.

“ふと、寂しかった”

正直な心情だろうか。

バレーボールの試合を観ているようで、観ていないようで。

背を向けながらこんな事を考えていた。



夜の景色を眺めるのは好き。
昼間の街並みとは違って見えるから。
無数のライトに照らされて華やかに見えるから。



“何故かとてもやるせなかった”

傍にある温かさが切なさを加速させた。

一言一言が胸に突き刺さった。

現実世界に戻っていく車の中でこんな事を考えていた。



眠っている間は幸せ。
何も考えずに済むから。
ただそこにある温かさを感じていられるから。



多分またうまく伝わらない。
この日記はけして悪い意味で書いているわけではない。
今言葉で表現するのは難しい。
ちょうど、シーソーの真ん中でどうにかバランスをとっているようで。



『つかの間の安らぎの時間』

2007年11月09日(金)



 心配事が増える。

今日は近くのショッピングセンターが全館あげての感謝祭だというので、夕方から買い物に出ていました。
冬物の商品が所狭しと並び、夕方といえども人の波が途絶えることはなく、思った以上の盛況振りでした。

私の目的物は数箇所に分かれていたので、人が少ない場所から買い物を済ませ、さて・・・帰ろうかなと思った時でした。
今日は朝から、あまりスッキリとしない内容のメールを出し続けていたのですが、そのやりとりは一日がかりで続き、もちろん夕方の買い物の時にも続いていました。
内容はどんどんおかしな方向へ進んでいくし、どんな言葉を使っても正しくは理解してもらえず、いい加減“もう無理だ!!”と思い、

『今から行くから“逃げずに”待ってて』

と返信を出して車へ乗り込んだのでした。
結局その場所へは行かずに済んだのですが、確実にイライラモードは全開だったと思います。


いつだったかどこかに書いたかもしれませんが、私は今持っているHP(空のむこう)の存在を知人や身近な人には知らせていません。
それは何故かって??
今回みたいなことが起こるからです。
身近な人が読むと、余計な心配事が増えるみたいなのです。

以前あった一番の驚き事項は、空のむこうが誘引となって家庭内不和が起こった家族がありました。
(この件はまったくの見ず知らずの読者さんでしたが・・・)
そりゃーもう・・・驚くというか、絶句でしたよ。
女性の読者さんだったのですが「会いたいので会ってもらえませんか?」ばりの勢いでしたしね。
そりゃ、旦那さんは驚いたことでしょう。
見ず知らずの、たかがネットの世界に存在する架空の人かもしれない誰かに、自分の妻がはまってしまったのですから。

私が知らないところで起こったこんな事があって以来、絶対身近な人には知らせるまいと誓ったのですが・・・。
何故か今回、知らせざるを得ない事情ができましてとても身近な人に知らせました。
すると・・・やはり、お互いに心配事が増えたわけです。


今は誤解も解けたようなので(解けたよね〜??解けてるよねぇ〜???)一安心なのですが、これが、まだまだ続くようなら困ったなぁ・・・と思ってみたり。

ふぅ。。。
久しぶりにハラハラした一日でした。





追伸:
『言葉は不完全なコミュニケーションツール』
久しぶりにヒット!な言葉に出会いました。

2007年11月08日(木)



 かくれんぼ??

「どこでしょう?」

こんなメールが届いた。

“どこって・・・(^^;どこなの??”と、素で思った私。

家の前にいるとでも?? いや、その線はありえない。

などと考えることしばし。

『ん?どこって?!(何の話??)』(@_@;

「帰る場所」

“おぉ〜〜〜、その話しかぁ!!!”(^^;




一瞬、かくれんぼでもしているのかと思ったのでした。

いやはや・・・やっぱり日本語って難しいねぇ。

主語って大切だよね。

たまーに私も主語が抜けていることがあるけどね。。。苦笑

特に、ここに書く日記にはね。。。爆




だって・・・主語を書くと微妙に困ることもあるんだもん!!(^^;


2007年11月06日(火)



 一人で観る夜景

出張の帰り路(みち)。
ライトアップされた街並みを眺めていた。
空気が澄んでいるからだろうか。。。夏の夜景よりも冬の夜景の方が綺麗だと思う。
二人で見る夜景は嫌いじゃない。
寒くても、寄り添って眺めていれば、それはそれで暖かいから。


最近思うのは、どうして人と人は出会うのかということ。
そう・・・タイミングなんてお構いなしに。
や、普段から色々な人と出会ってはいるのだろう。
ただその出会った人たちが、自分にとってどのくらいのウエイトを占めるかの違いだけ。

今、私は泣けなくなっている。
思いっきり泣ければいいのだろうが、涙が枯れたのかと思うほど、一粒も涙は落ちない。
多分何かから逃げている。
恐怖を感じないように『心』がどこかへ行ってしまっているのだろう。
言いたいことを言えず、聞きたいことも聞けず強がりばかり。
“あれ?元気なかったの?”
そんな風に言われることで、また私は私じゃなくなっていく気がする。
こうやって、また一つ一つ鎧を身にまとっていくのだろう。


誰にも助けは求められない。
この路を選んだのは私。。。私自身。
例えそれが茨の路であったとしても『後悔』の言葉は口に出来ない。
きっとこの選択が私自身を苦しめる。
寂しさを選んだのは私。
孤独を選んだのは私。
あったはずの温かい手を振りほどいたのは私。
そう・・・全ては自分で選んだ路。
逃げ路なんて何処にもない。
後戻りも出来ない。
ただ前に歩いていくだけ。


出張からの帰り路。
こんなことを考えながら帰ってきた。

一人で観る夜景。
どのくらい伝わっているのだろう。
この想いは。

2007年11月02日(金)
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