一色達夫の日記

2009年04月30日(木) 農作業 佳境に入る 節々痛し

一日中 苗箱の準備作業。夜20時も過ぎて、ようやく予定の700箱が出来上がった。
出来上がった箱の山を眺めながら、つい数ヶ月前には考えもしなかったわが身の変化に思いを馳せる。

それにしても足腰関節の方々が痛むものだ。
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この間にも、6月に予定している自治会行事の打ち合わせが入ったり、来客があったり、待っていた郵便が来たり と、それなりに時は動く。



2009年04月29日(水) 人間ヲッチング

祝日だというのに国旗を立てている家が少ない。
このこと一つを捉えて日本人の愛国心を計ることはどうかと思いながらも、なんとも嘆かわしい限りだと感じながら一日を過ごした。

朝から田圃の見回りと水入れ、合間に苗箱の準備作業。
ひと段落付いたところで産業文化フェスティバルを見に出かけた。

久しぶりの人間ヲッチングは、色々取り混ぜて満腹感有り。それにしても商店街は来るたびにシャッターが閉まっている所が多くなっている。
中心市街地活性化の様々な施策は、効果を発揮していないと見るのは私だけだろうか。

友人知人顔見知り。会う人度に市議選挙への不出馬と今後の事を聞かれてしまう。この様子では、市議選挙の投票率を3%ほど下げた原因を作っていたようで なんとも申し訳ないような 感覚に囚われる。
今後のことについてはどうこう言ってみても人の口に戸は立てられないのだから、「西条の今後はどうあるべきか」という本質の話題を提供していくよう努めることだ。

商店街のこと。これまでゴマンと議論を重ねているはずなにの、低落傾向に歯止めが掛からないのは情けない。我田引水ばかりが闊歩して、全体の利益のためにまとまるということが無いのだろうか。
一つの方策を上げれば、商店街全体を禁煙ゾーンとする宣言をすることなど明日からでも出来て大きな話題となるものを。

毎日作物の生長を見守る生活が主となりたまに大勢の人ごみに出てくると、(良かれ悪しかれ)人が集団となった時の物事の本質が見えてくるようで面白い。

新図書館の貸し出しカードを作れるコーナーがあったことは良。家内と二人で早速作ってもらった。6月1日オープン時、貸し出す本が無くならないよう、万全の準備をすることだ。
新しい施設に古本が並べられている光景だけは見たくないものだが、あの市長なのだから多くを望むほうが無理かと、貸し出しカードを見ながら一つため息一色達夫。



2009年04月28日(火) 農業経営 次々出てくる初体験

朝から田畑を見回ったあとは、苗箱の準備作業。

14時からはJA西条で青色申告会の第1回通常総会に出席。
あれよあれよという間に専業農家で認定農業者となり、そしたら次々に新しい事柄が出てくることもあり、現在農業の深部に触れるような感じです。

現在会員は20名。パソコンを使って農業簿記ソフトによる簡単経理処理が出来る、親切丁寧指導をしてくれるそうでなんだかワクワクするのだ。

夜は、共済組合の地区総代・共済部長会への出席。
こちらの方も、地域農業の現状が分かってためにある会だ。



2009年04月27日(月) 市長選挙を何故戦ったのか

毎日毎日、田圃の畦に穴あけるモグラの見回りと、大きくなりだした野菜をついばみに来る鳥を追うことに明け暮れている、私は元西条市議の田舎のおっちゃん一色達夫。

そんな私のつれづれ日記にも、熱心に通ってくれる読者の方々。ほんとうに有り難いことだ。
そのようなご奇特な方々に何かの参考となればと書き続けている訳は、私を支持してくれた方々への心ばかりのお礼と、私がやめてもらいたいと批判した伊藤宏太郎氏の4年間を監視する役割を果たすためでもある。

だから、市長選挙に敗れたからといって直ぐ次に控えている市議選挙に出るつもりなど、市長選挙への出馬表明した時から爪の垢ほども無い。

西条市の財産である ひうち会館 を運営しているインプルーブ株式会社の事務所の位置が、駐車場であった事実。
その事実を突きつけられても、何の手建ても打たなかった伊藤幸太郎氏の行為は、市民を愚弄するものだとの認識から 辞めてもらう以外に無い と考えての市長選挙への出馬である。
また、この事実が分かった時点で市議会の中には何の動きも出なかったことをもって、現状の市議会に幻滅したこともある。

だから市長選挙に敗れたからといって、一色達夫が市議に戻ってやれる仕事にも、何の魅力も感じていないことは最初から分かっていることだ。

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だが、この社会には、そんな考えを理解する方ばかりではないことは、出馬表明してから直ぐに分かった。

議員控え室に来て、私の目の前で、一色議員さん良く決断したねえ、これで市長選挙に負けても次の市議選挙に出たら楽々当選じゃ。

と平気で口にする議員が出てきたことには唖然とした。

以後、このようなことを平気で口にするお方は、社会の中枢を担っているような地位に付いている方々に多いことを知り、つくづくと残念でならなかった。

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市長選挙が近づいてくると、伊藤市長の取り巻き連中が、

一色達夫は選挙に弱いから、市長選挙を市議選のための名前を売るためにつこうとんじゃ 

と吹聴して回っていることも複数聞いた。
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昨日の日記に書いたことは、こういう複線があった故に感じることなのだ。
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自分が、この西条市はどうあるべきだと感じて行動しているのか。そのことを一人でも多くの市民に伝えたい。一日一日がそればかりで過ぎていく。
だから、選挙に敗れた後のことなど頭の片隅にも浮かばないのが、市長候補としての私の思考回路の状態だった。

4年後のことは分からない。

だが、まがりなりにも市長候補して選挙を戦った者の義務として、何時でも取って代われる市長のストックとして、泥まみれの作業着と長靴姿であろうとも凛として立ち居振舞わなければならないと考える。
それがこの地域における、健全な民主主義社会の姿だと私は思うから。



2009年04月26日(日) 民主党 はげます会

専業農家 晴耕雨読 悠々自適 の時を謳歌する一色達夫。
土日休みとしている訳ではないのだが、今日は四国中央市川之江会館で16時から開催される「衆議院議員選挙民主党候補者」の激励会に出かけていった。
弁士は参議院議員友近聡郎さん と民主党幹事長 鳩山由紀夫さん。友近さんの話が21分と鳩山さんの話が20分。もっと色々聞きたいところだが、今日中に帰る予定の人の話はそうそう長くは聞けないのだろう。

政治的情報はマスコミやネットでゴマンと入手できるが、本人の話を直接的に聞くに勝るものはない。そう思っての行動だが、その甲斐はあったと感じる。

入り口で握手をした方は、私の顔を見て「この前の市議選に出てませんでしたね」とおっしゃた。そうでしょうね。一色達夫に対する認識など、そんな程度なのでしょう。とコン本的にシラケタ。
この程度がこの地の民主党の認識なのだろう。

人が家庭も親戚も友人関係にも波風立てて、決断したことをこの程度にしか評価しないのだから、民主党などちょっと逆風が吹けば歩舎利込むんでしょうねえ。

弁士の話はそれなりに会場を盛り上げる。が私は盛り下がったままで推移。

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催しが終わって顔見知りのマスコミに、西条の情勢はどうですかと聞かれたので、とおるちゃんが逆転してますよ と答えておいた。

学者さんが活動していた時には、自民党への魅力を無くして離れていた本来保守層が、新しい候補を得て再び戻っている。権力を握っている者は、それから離れることの危機感をばねに、本来保守層の掘り起しを丹念にやっていることなど誰の目にも見えていることだ。

だのに、まだユニオンと風頼みのこの地の民主党。リベラルを標榜しながら、権力から距離をおく住民運動や社会活動を取り込めないままに、片肺的に続けている民主党政治活動。

相手は 「ボランティアが原点です」とおっしゃっているお方ですよ。
あと少しで必ずある選挙。さあどうするんでしょうね。このままだと惨敗率復活も危うい。



2009年04月25日(土) 人に頭を下げなくて良くなると

選挙などというものは、歩いて頭を下げて なんぼ のようなものだ。
本来あるべき「何をやりたいがためにその地位に付きたいのか」などというものは 二の次 三の次。
選挙に出た人の悪口はゴマンと聞こえてくるが、そのような評判の悪いお方に限って結構な票数を取って 祝当選 バンンザーーーイ という図式は何時もながらの光景。 

そういう私も選挙を誤解(違う)五回も戦ってきたが、選挙に出ないということがこんなに楽なものかと、久々に感じるばかりだ。

人に頭を下げなくて良くなると、これまで頭の隅にあった「ここで本音を出すとあとあとまずい」などという下心を取り除いて、言いたいことは言いたい放題できるようになる。ああ 久しぶりに痛快だ。

西条人などというものは言ってることと、いざという時に採る行動がしばしば違うことに、これまで幾度遭遇してきたことか。
市議ならば、建前と本音が一致した波長の合う人だけを相手としていれば良いが、それも社会の過半数を占めていないと、やりたいことがやれる可能性の巾は狭い。

それが、昨年の市長選挙で嫌というほど分かった。
さあ、だからどうする一色達夫は 
それなりの地位を得るため、頭を下げ続けることなど嫌なこった。
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などと考えながら、雨の日は雨の日なりの仕事をこなしていく。
土が湿ったところで野菜の定植作業 等。
夜は、映画鑑賞。家族サービス



2009年04月24日(金) 何のために何をするのか

動機付け。最近では モチベーション という言葉で語られることが多い、人が行動を起こすときの意識付け。

何のために 何をするのか

一人の行動ならば、あまり考えなくてもよいことだが、集団がある方向に動き出すときには大きな問題となる。
このことを常に考えながら行動していると、問題点や結果がおのずと見えてくるのだが、社会の中には行動の動機がどうも理解できないお方がいるようだ。

そのような見方は一色達夫の側からの見え方であり、その人にはその人なりの考えがあるのだろう。
人生長くなると必要に迫られそこまで踏み込んで考えてみるのだが、考えれば考えるほど私とは行動の動機が違うことに行き当たってしまう。

人それぞれ顔かたちが違うのだから、行動の動機が違って当然なことは分かっているが、本来人として同じであるべき社会規範の面までも違っていることには閉口してしまう。

事例を挙げれば、「人の話はまず聞いてみる」ということを社会規範とすれば、この人の話したことは「何が何でも否定してかかる」ということだろう。
このような態度を採るお方には、社会の中で様々な役に付いている人が数多くいるが、その場面に遭遇すると ・何のために{自分がお山の大将でいるために} ・何をする{自分以外の目立つ奴は何が何でも蹴落としておく}
なのかな、と一色達夫は分析して何時も し ら け る の だ

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午前中 共済組合の理事会に出席。
午後 農作業。室内で出来る苗箱の準備作業で遅くなり、夕食は21時過ぎから



2009年04月23日(木) 感じる心 創造(想像)する心

私はメモをとる。仕事でも趣味でも、昨日したことを今日もまったく同じに なぞる 必要はない。昨年したことを反省し今年に生かすためには、良かったこと悪かったこと、準備物の状況はどうだったのか等々、メモをとって読み返してから始めなければ。

だが、様々な場面を経験していると、昨年のことが今年に生かされない場面に遭遇することがある。どうしてなのだろうと考えてみるのだが、私とはものの感じ方が違う方がいるようだ。
この方々に私の考え方を伝え、実際にやって見せてそして今年を迎えても、やっぱり昨年と同じマニュアルなど提示されるとガッカリする。
めげずに、また同じ事を伝えるのだが、さあ今年が終わって来年はどうなることやら。

すっきりと事が運ぶには様々な要件が重なるのだから、旨くいかないところの何処をどう組み替えていくのか。想像してから創造していけば、状況は見えてくる。どうしてそれが見えないのだろう。不思議だ。
そんなことばかり感じている私が、不思議な存在なのだろうか。?

まあいいや。あんまり見えすぎると深みに入る。
人生すべからず 見ざる聞かざる言わざる 。うんん 表題と違う



2009年04月22日(水) 暖かくなると、様々なものが動き出す

初めて手がける早期コシヒカリの栽培は、これまで私がやってきた稲作とはまるっきり違った様相だ。中手の ヒノヒカリ を中心に作付けしていた頃は、植え付けから一週間もすればぐんぐんと伸びていた背丈が、コシヒカリの場合は3週間たってもひ弱なままである。

それでもこのところの暖かさに、じわりじわりとその背丈を伸ばしだしたことが見て取れ、見回りの目も楽しくなってくる。

暖かくなると稲ばかりでなく、様々なものが動き出す。長い生き物は決まった場所を徘徊するようで、ビックリで始まった同じへびへの遭遇も、朝夕お目かかかれば慣れたもの。

雑草の伸びはその速さを増すのは仕方が無いといっても、水田の畦に穴を開けるモグラの活動は願い下げだ。

朝9時半から14時まで、お役をいただいている仕事に費やす。夕方までトラクタ作業。夜は7時半から自治会の役員会。
暖かくなって、専業農家は既に臨戦態勢。休みなし。



2009年04月21日(火) 地域作りは重層構造

水田の見回りをしていて、二枚の田にノビエがびっしりと生えているのを見つける。一日で10枚の田圃に植え付けをして、同じように水管理をしているつもりでも、除草剤の効き具合に違いが出てきている。
今までならば忙しさにかまけて雑草のことなどホッタラカシだったものが、専業農家となるとそうはいかない。早速JAに出かけて事後処理の方法を指導いただいた。
なるほど 良い除草剤が生育状況に合わせて準備されていることに安心した。
この年になるまで米作りに携わっていても、まだまだ知らないことが多いようだ。稲作りも奥が深いです。

JAではもう一つの用件である、昨日の部落座談会についての意見交換をする。今後の方向性について専門家の意見は参考となる。
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市役所に出向き、自治会関係と農業関係の要件の処理。こちらも 市民の役にたつ所 である。

私の地域は、自治会関係の仕事だけではあらゆる面でのその環境は守れないし現状の維持も出来ない。その大部分が非農家の方々となっている現状からして、自治会事業とともに、農業関係の方々が元気に活動していなければならない。地域作りは重層構造。
その点からこの地域は不安要因が大きくなっている現状を、如何に打破し発展への反転構成に出るのか。自治会長であり農業者である私がやるべき仕事は、新たな領域を目指す必要に迫られている。

そう考えてみると、今まで入手している情報と経験だけでは、先に進めないと感じ出した。
だから、情報収集。それにはその道の専門家に話を聞くことだ。
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夜は7時半から地区社協の年次総会に、地域選出評議員として出席。
会議の議長をおおせつかる。
依頼が来た仕事は出来る限り引き受けて、時を回していくことによる貢献も大事な仕事。



2009年04月20日(月) 米政策改革 部落座談会

水田農業構造改革対策について、西条市とJAの担当者からの説明を受けるための部落座談会が19時から開催された。

この座談会は昨年に引き続いての開催だが、集会に参加する私の立場がこの一年で大きく変わったところから、大きな関心を持って臨んだ。が、参加している地域の方々にとっては、その私の変化についてあまり関心を持たれているとは言いがたい。
そこのところから生まれるギャップを如実に感じ、なんだかイラつきを覚える私だった。

この2年ばかりの間に地域は、ほんの少しだが明るい兆しが見えている部分がある。それを大きな流れにするため、新たな米政策のどの部分に触手を伸ばせば良いのか。
誰しもが果実を得られる方策は確かにあるのに、その見え方が地域全体のものとなっていないと感じるもどかしさ。

頃合を見計らって、新たな 仕掛け を作らなければならないと感じる。
あああ いつも何時もの先導役は、しんどい作業だがやらねばなるまい。



2009年04月19日(日) 好天のもと 投票率下がる

午前中に市議会議員選挙の投票を済ませ、午後は文化会館で開催される
花王ファミリーコンサートin西条 千住真理子ヴァイオリン・リサイタル の鑑賞。
花王の主催で開催されるクラッシックの催しに、1000円の入場料金を払って2時間。満員の聴衆が集まれば 成功裏に催しは終了した となる定番ストーリー。
文化会館が平成8年にオープンして13年。そろそろ次の段階に進んでも遅くは無いのだが、との感想をもったと記しておこうか。

はっきり言えば、このアーチストの持っているもっと高い能力と芸術性を楽しみたかったですね というところだ。

帰宅後、夕方までトラクタの運転。

西条市議会議員選挙は、好天に関わらず、投票率は前回よりも4、29ポイントの低下。低調の予想通り、この結果は誠に残念。
開票してから分かる様々な事柄に、何時もながらの人生の悲喜こもごもを実感するばかりだ。

私 一色達夫 としても、これで区切りがついた。
この状況の中で自分のやりたいことをやりながら、時を重ねることによる様々な事柄の醸成を図る楽しみを謳歌しよう。



2009年04月18日(土) 選挙は人を育てる か

全市一区で行われる市議会議員選挙。広い広い地域の中に、34台の街宣カーがバラけているせいか、これまでの市議会議員選挙に比べてわりと静かな一週間ではあった。

最終日の今日、街宣カーの様子を見比べてみると、各候補の 個性 が垣間見られるようだ。それは、私が各候補の人となりと選挙を戦う背景を、あらまし把握できているせいもあるのだろう。

西条市の現状をどう分析し、それと自分の理想とする姿を重ね合わせ、これからの市議会議員としての活動をどう進めようとするつもりなのか。私の目から見て、そのような基本姿勢について明確に見えている候補は少ない。

しかし今日に至って、ごく少数ではあるが選挙を通じて、人間的にまた能力的に見て大きな成長を遂げている候補はいる。

選挙は民主主義の基本。棄権はこの社会の中で数少ない権利を自らが放棄するもの。たとえ選びたい候補はいなくても、やっぱり選挙には行こう。そこからしか、明日は開かれない。

明日の天気予報は 晴れ

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水稲の作付け面積が増えたのに伴い、農業資材の買い足し。田圃の見回り。家周りの整理整頓。
二日続けての防除の疲れがあり、五月の陽気の中で、いささか休養気味なのんびりとした一日。



2009年04月17日(金) 種まき 様々

百姓とは百の生を産む人。だが、にわか専業農家の私には、数種類の種まきしか経験が無い。

農業で生計を立てる目処が立った頃より、そこで様々な野菜の種まきをやりだしたのだが、これがなかなか面白いがなかなか面倒だ。

同じ日に種を蒔いても、1週間で芽を出すものもあれば1月経てようやく半分くらいの芽を出すものもある。
直播 箱蒔 ふく土はどうする。土地は酸性アルカリ 肥料はどうする 連作障害はどうなの。 家族消費に合わせ収穫量と時期はどう調整しようか等々、配慮しなければならないことは山ほどある。

収穫まで半年かかる米麦に比べて、野菜は勝負が早いといっても、なかなか難しい。そしてその面白さに 虜の私 かな。すっかり百姓気分。

昨日と今日で、麦の赤カビ病防除を済ませる。
その傍を「お仕事ご苦労様」とそろいのジャンバーのお手振り部隊。降りてきて手伝えと、叫びたくなるこのしんどさよ。



2009年04月16日(木) だんだん良くなる 法華の太鼓

だんだん良くなる 法華の太鼓 という言葉、あまり頻繁に使うフレーズではないが、最近 騒々しい方々の アナウンスを嫌々ながらでも聞いていると、どうしてもこの言葉が思い出される。

これまでその渦中にいたこともある私の難解か(違う)何回かの経験では、アナウンスさんの言葉尻が お願いします から お願い申し上げます となってきたら もう終盤。だんだん良くなる法華の太鼓 から 良くなった頃には早終盤 ということのようだ。

「物心付いた頃からこんなに静かなのは初めてだ」と、ぼっそりとつぶやいた家族の言葉が、平穏な我が家のこの頃を言いえて妙。

複数の方から「一色さんなんで出てないんぞね ビックリしたがね」と言われるのには閉口するこの頃。(17日記入)



2009年04月15日(水) 医療技術の進歩

赤ん坊の頃に股関節の脱臼をしたキャリアを持つ妻が、ここ数年痛みがひどくなっているようだ。
彼女自身は、私や家族に心配をかけまいとして 痛い とは言わないが、その動作や歩き方から判断してかなり悪いように感じる。

昨年の夏から秋にかけて西条市の各地を歩き回ったことが、この病をさらにひどくしたように感じて、良い先生の診断を受けるように促してはいた。

秋から冬、そして春が来て生活の目処が立ったこの時期、ようやく決心が付いたようで、今日は朝から重信の病院に出かけていった。

私は家で様々な用事を済ませ帰りを待つ。そして夜も遅くなって帰って来た妻に先生の診断結果を詳しく聞いてみた。

赤ん坊の時、股関節の脱臼が見つかってその処置の方法は、脱臼した骨を元に戻し、ギブスで固めるというものだったようだ。
この方法の次には、バンドで固定する方法に変わってきたということだが、一定期間ギブスで固める治療方法を採った人は、この頃大方の人が痛みがひどくなっているという。

痛みがひどくて悪い方の足をかばうため、その結果として足を引きずるように歩き、そして筋力が落ちて又一層悪くするという。

この治療方法としては、骨盤と大たい骨の かみ合わせ部分 をそっくりと削り取り、そこにセラミックの骨を埋め込むのだそうだ。
この治療方法の出始めた頃は、セラミックの耐用年数が10年くらいというところから、痛みがひどくなる60歳頃に手術をしてある程度の年齢まで持たせるということのようだった。

この手術の方法を説明した冊子を読むと、耐用年数は大体15年ぐらいと記していたが、今日診察を受けた先生の説明では 「私が手術した方は20年ぐらいはもっていて、悪くなって再手術したことはありません」と言ってくれたそうだ。

だが先生の説明には、この手術を行って良くなるのは50%です。後は本人の努力で落ちた筋肉を付けるリハビリや体重制限・生活習慣に気をつけるというようなことをしなければなりません。という 一番大事な ことがあったという。

如何に医療技術が進歩しようとも、手術で全て良くなるわけではない。本人の努力が一番大切。
このことは、社会生活を営むうえで、様々なシーンに言えることだ。

彼女、腹を括ったようだ。さあ大変。本人の努力の次には 家族の協力
落ち込んでなどいられない が (17日記入) 



2009年04月14日(火) ゆずりは の頃

久しぶりの雨は作物ばかりでなく、人の心根にまで染み渡り、その本来あるべき瑞々しさを取り戻すようだ。

このところ滞っていた日記の記入を雨を機会に行っていると、日常に流れて忘れている自分を自分で観察するという行為を思い出させてくれるようだ。

このところの日常は、雨の日は農作業が休みとなる。そして晴れを待つ間にも、次の農作業の段取りを考えて行動する。その合間に農作業以外の事を消化していくのだが、付けたしのようなその行動に若干の反省が無くもない。

方々を移動する間にも、木々の新芽が雨に生えることを見て取る。その葉に今年を託し、昨年の葉は雨に濡れた地表を覆いつくしている。

季節は正直にそのサイクルを回していくが、人の社会ではどうなのだろう。

新生よりも劣化が目立つ政官業学報。最近交わしたある農業者との会話の中に「維持と成長」という言葉があった。
昨年と同じ事を繰り返す 農 の世界にも成長はある。私の現状は、維持に分類されるのだが、その中にも年輪を重ね次の世代に伝える何かがあれば幸いなり。

雨は詩人



2009年04月13日(月) 営農計画書 提出期限

新年度となってこの時期になると、営農計画書の提出がある。
そこで期限までに条件を整えるための動きがでてくるようだ。

これまで何年来続けてきたことではあるが、大幅に経営規模が増える今年はそれなりの動きがでてくる。
今日は朝からこれに関することで関係者間を廻るが、中にはなかなか難しい事がある。(14日記入)



2009年04月12日(日) 晴れの日は 暑い アツイ アツイタタカイ か

9時から予定されていた 狂犬病の予防注射の実施に立ち会う。
自治体が行う様々な事業の中で、その現場に立ち会うことによって社会の現状が理解できることがある。

暑い アツイ 中、遊休農地の整備作業をしてる傍を、アツイアツイタタカイを展開している方々が通り過ぎて行く。
このように覚めた目で見る自分が不市議 (違う) 思議 ではあるが、ステージを変えた自分の視点にはそうとしか映らない。

自分の行動を図るときに、中にいた時の経験が、外に出てまた新たな展開を見せてくる。どんどんと積み重ねられ、そして結果としての重層構造を為したとき、得られる果実はどうなるのか。何時までたっても明日への期待を想像する創造行動がまた楽しい。(14日記入)



2009年04月11日(土) 晴れの日が続く

晴れ 里木池農地水入れ。遊休農地の整備作業。

19時半より太鼓台運営委員会の開催。今日は平成21年度の運営役員の選任が一番の議題であった。
小さな地域社会の中では、人事は落ち着くところに落ち着くものだ。

何年も続いてやっている祭礼ではあるが、今年は今年のアイデアが湧いてくる。さあ、試してみようかこのやり方。
キーワードは 理論と正攻法ばかりでなく 強気で攻める ということかな。(14日記入)



2009年04月10日(金) 香川行

母のアッシー君で香川行。高速道路沿線にはそこかしこに桜が花開き、絶好の風景が展開されていく。1時間もしないあいだに愛媛のごつごつした山の風景から、讃岐特有のなだらかな丘陵地となり、第二の故郷の空気は良いものだ。

目的の地に入ると、丁度この地の市長と市議の選挙が近いようで、町の辻辻にポスター掲示場所が設えられていた。その特徴は、塗装も何も施されていない茶色のベニヤ板で、西条市の白い綺麗なポスター掲示場所を見慣れている私には、「こういう材料を使うやり方」もあるのかと参考になった。
二つの材料代はそうそう違わないで手間賃が「設置費用の違い」となるとは予想するが、市民の皆さんの受け止め方の違いをどう考えて設定するのかということだろう。

見える風景が違うように自治体の仕事のやり方も違う。いつもながらの感じ方の違いは、いつもいつも刺激があるものだ。

夕方、農地の耕作依頼個所を見に行く。水系の違いによって農業の事情が違うことが、新しいところを見に行く度に見えてきて、こちらも刺激があるものだ。

19時半から、校区自治会の「総会」に出席。事前の役員会には甲子園行で欠席していたので、今日の資料には事前に目を通していなかった。
出席者からの指摘はその通りで、会を運営する者は心しなければならない視点である。今後の参考としなければならない。
(14日記入)



2009年04月09日(木) 晴れ

4月9日 晴れ 里木池水入れ 遊休農地の整備 トラクタ作業

スーパーカブの風防取り付け エンジンオイル交換10668円
南京錠の合鍵2本作成

と 手帳への記入がありそこそこの仕事と用事は済ませているのだが、精神的に落ち込むことがあり、日記を付ける気になれず就眠(14日記入)



2009年04月08日(水) 小学校の入学式

昨年の桜はアットいう間に盛りが過ぎてしまったが、今年は開花が早かったあとの冷え込みで今が盛りと咲き誇っている。
今日はまた晴天という絶好の日に小学校の入学式が挙行された。その式典に地区自治会長としての来賓出席。

作物の生長も良いものだが、人の成長を見るのはもっと楽しく良いものだ。その過程にある様々な式典は、世の移り変わりを反映する部分と何時までも変わらない部分との混在で、なお楽しく良いものだ。



2009年04月07日(火) NPO法人の立ち上げ

西条市議会議員選挙が12日に告示されるが、この頃となると議員の通信簿なるものが巷に出回ってくる。

この情報の中に、4年間で発言回数 ゼロ という 猛者 が数人いる。市長の弟もこのなかの一人だが、このことをこの時期にネットで発信するのは公職選挙法には触れないのかな。
まあまあ、それも西条市民の選択なのだから致し方ないか。選挙が終われば議会の中で見てきたことを、そろそろちらりちらり出していこうかと考えている一色達夫。

と下世話な話題はここまでとして、私も人の評論ばかりしていないで、実践活動としての仕掛けを作らねばならない。
さし当たって、NPO法人を一つ立ち上げるための準備に入った。

私のこの日記の中での NPO法人 の話題といえば、市長と懇意な小林氏が立ち上げた 「西条スポーツ・文化支援協会」 のことがあるが、こんな胡散臭い ものではなく、正真正銘の非営利活動法人である。

NPO法が議員立法で出来る前から、その必要性を提示してきた私だが、これまでに自分で立ち上げた経験は無い。そのギャップを埋めることによって、一色達夫の実践者としての幅を広げられたらと考えている。

ということで、資料を出そうと思って書斎の棚を物色したのだが、NPO法人の資料としては 「西条スポーツ・文化支援協会」 のものしか見当たらないのだから苦笑い。
そこで早速ネット検索したら、内閣府の案内に行き当たった。ので、ここからの資料請求から始めることとした。

・・・・た く 貧乏暇なし だーーー 



2009年04月06日(月) 何処もかしこも 余計なものがくっついてくる

専業農家として様々な仕事が次々に出てくるこの頃だが、以前から継続的に取り組んでいる様々な事柄にも、次々に仕事が出てくるこの頃だ。

対象を前にすれば、「この状況のここをこう変えればこう良くなる」というプロセスが見えてしまい、しまいには自分がその対象にドップリト浸かっている。いうところの どつぼに入る ことが分かっているので、この頃では対象を前にしても出来る限り発言も行動もしないことを心がけてはいるのだが、そうするとイライラが募ってしまうことも分かっている。

損な性分は一生直らないのは分かっているから、この状況に折り合いを付けて、せっせと イライラ している自分をシビアに見るこの頃だ。
それにしても、社会のあらゆるところでの劣化は目に余る。

このところのイライラは、このPCにもいえる。データを取ろうと思ってネットを開いても、何とかで圧縮された文章がなかなか開かない。お勧めにしたがってソフトをインストールするのはよいが、いつの間にかヤッホーだかグーグーだかがくっついてきてPC画面が満艦飾。
これがなかなか消せないシステムになっているようで、ヤンナッチャウ。

TV画面しかり。字幕が出るのは当たり前。頼みもしない小窓に余計なしたり顔が出るわ出るわ。
自然を相手に、作物の育つ経過を楽しむ健全生活者には、社会の騒々しさには嫌悪感が増すばかり。

余計なものがもう一つ。何兆円かの財政出動。自由主義下の資本主義経済は、もう既に成長の目など何処にもないものを、何時まで余計な財政出動を繰り返すのやら。行き着く先には国の破綻が待つばかり。
そのときには、食料を確保している者だけが生き延びる てか 



2009年04月05日(日) 活気の無い会でも、席は一つ埋めなきゃなんない

9時半から13時半まで会に出席。
これまでで一番活気の無い会となった。が、私は私の役割を果たした後は一切の発言は無し。あえて発言して仕事を増やすことはない。
何処に行っても火中の栗を拾う役割ばかりしていたら、こっちの身がモタナイ。
会を活発に動かそうと思う人が少なければ、結果はこんなものでしょう。

帰宅後は田植えの片付けと田圃の見回り。
次は6月に使う田植え機は、次の品種用に株間の調整。水洗と若干の整備。



2009年04月04日(土) 晴耕雨読の実践 ダーーー

早期コシヒカリの田植えを最優先していたここ数日。
昨日一日で植え終わった今日は、天気予報通りの雨となる。そうすれば、農作業の疲れを癒すことを兼ねた(?)事務作業だ。
朝からPCの前に座り、自治会役員の平成21年度名簿の作成から始まり、自治会活動のお知らせ、太鼓台運営委員会の年度当初の会議招集のお知らせ文章の作成作業と続く。
出来上がれば、各組役員さんに配布して自治会内の回覧に回すことと、委員さんへの配布作業。

降り止まない雨は、植えたばかりの苗を静かに揺らし、しばし見とれる私だ。生来の百姓の血は、農地に作物が無いと落ち着かない。花冷えのまだ寒さが残るこの季節に稲があることの違和感も、雨に打たれるひ弱な姿を見ていると、やがて来る実りを思い描いて何時しか微笑みに変わっている。

昼過ぎからは雨の中での農作業を少しこなして、あとは雑用を済ませに町に出る。

新聞に出ていたナンプレの難易度4は二つ解けたのだが、難易度5で挫折した。
肉体疲労に頭の疲労が重なり、日記も付けずばたんきゅうの就眠。いたって健康的な我が生活は、晴耕雨読の実践だ。(5日記入)




2009年04月03日(金) 早期コシヒカリの田植え

このところの普段は朝寝坊ぎになのだが、田植えの予定がある今日は6時半には目覚める。
一年中で6月は一番昼間の時間が長く朝5時にはもう明るいが、4月の朝6時半はまだ薄暗い。身体に染み付いたそんな季節感覚を振り払い、未経験ゾーンへの突入は気温5度の中での開始となる。

田植え機を駆り田圃まで移動、田植え補助員の妻の運転する軽トラで苗の引き取りに向かう。
今回の水田農業への取り組みを機会として、機械の準備もしていたので、農機具やさんに来てもらって、取り扱い説明を兼ねて田植え作業は始まった。

田植え時の労力軽減のための技術進歩は見るべきものがある。
その恩恵を受け今年は、田植えと同時の 施肥 殺虫剤散布 除草剤散布 と一度に四つの作業ができるのだ。
加えて早期コシヒカルは、粗植栽培で行うよう栽培指針にある。

昨年までのうちの田植えは 田植え機の設定を 株間18cm、苗量普通 で行っていたものを 株間24cm 苗量最小 で実施する。
このため、田植えが終わったところでの苗量の消費は、昨年までの半分量という結果となった。

4日かかって代かきを終えた水田への田植えは、二日間を見込んでいたものが、今日一日で全て終えることができた。しかも、田植え途中で私は農業施設改修の現地調査への立会い、妻は葬儀への焼香に出かける用事をこなす。

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日本に稲作が伝播してから国としての文化が発展して以来、延々と土を耕し歴史を積み重ねてきた。それでもなお新たな稲作栽培の技術とともに地域の状況も積み重ねていく。
その中での一個の人格の歴史も積み重ね、ほんの一瞬の中で輝くことができるのか。身体のしんどさのなかにも、精神の覚醒を感じる一日ではあった。



2009年04月02日(木) 早期コシヒカリ 栽培

4日間かかって、早期コシヒカリを植える田圃の代かき作業が完了した。

年度代わり特有の様々な事務処理をしながらの、田圃作業は未経験ゾーンなので、時間と体力の配分がどうも巧くない。

この栽培方法に取り組んでいる隣の地区の様子を伺いながら、それに合わせての作業調整だ。暖かくなる昼間は良いとしても、日が傾くと途端に寒さが身にまとわり付き、背を丸めての作業はなんだか違和感。



2009年04月01日(水) 遅ればせながらの HP壁紙の変更

一日伸ばしになっていたが、ようやくHP壁紙の変更が出来た。
ページの更新や付けたし程度は自分で出来ていたものが、少しの間触らないでいたらやり方を綺麗さっぱりと忘れている。
マニュアルを引っ張り出せば思い出すのだろうが、HPをいじくることの優先順位が落ちている状況では、それもやらずじまいで月日が過ぎていった。

年度代わりの今日にいたって、遅ればせながらのではある。人と状況の評論をするのであれば、自分の周辺を整理して掛からなければならないことは重々承知しながら、この体たらくは反省のきわみ。

そこで、(恒例の)えいぷりるふーる の話題提供は なし。(4月2日記入)


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