一色達夫の日記

2008年01月31日(木) 西条市文化協会「芸術文化賞」贈呈式

動員がかかって、14時から総合文化会館小ホールで開催された{西条市文化協会「芸術文化賞」贈呈式}に出席し、席を一つ埋めた。

月の終わり頃に議員宛に送られてくる月行事予定表には、今日の催しが掲載されているが、動員がかからなかったら わざわざ 出かけていくほどの興味が沸いてこなかったかもしれない。
自称文化人(?)一色達夫にしてこんな状態なのだが、一般人にとって今日の催しはどう受け止められているのか、はなはだ心もとない限りだ。

旧西条市においては 石井秋平氏のご好意によって創設された基金によって行われる石井文化功労賞があり、年年でどなたが受賞するのかそれなりに興味があった。
それが合併を機に、村上記念基金とともに図書館建設のための基金として模様替えを行った。その折には、「今後の文化賞の取り扱いをどのように考えているのか」と質したところ、一般財源によって継続しますということだった。

今日の芸術文化賞がそれにあたるのかどうかは確かめていないが、たぶんそうなのだろう。(議員の日記に たぶん などと書くなと言われそうだ)

日記を付ける段になって気になり、昨年のこの時期にこの催しがあったかどうか月行事予定表を調べてみた。それに受賞者が誰だったのか市広報も調べてみたが、どちらもそれらしい記載は無い。
ここまで調べてみてはたと気づいたのが、文化協会の合併かなにかか、新市全体での表彰に変更するためだったかで、先延ばしとなったような話を聞いたような記憶が蘇ってきた。(がこれも定かでない)

今日の催しの司会者や会長挨拶のなかにも、それらしい言葉があったのかどうか記憶に残っていないので、今日の「芸術文化賞」の意味合いが分からない。
「文化協会は市行政や教育委員会に大変お世話になっています」と再三にわたってたてるのは良いが、あくまでも一般人が自主的に集まって組織している会ならば、それなりのアピールがあってしかるべきと感じた。
ようするに、それだけ文化協会自体としての情報発信に欠けているということだ。

議員たる者オールマイティーを求められる。だから「たぶん」や「定かでない」「記憶に残っていない」「分かっていない」部分は、正確なことを確かめておく必要があるだろう。が、どうもこの件については「積極的に」という意識が薄い一色達夫なのです。



2008年01月30日(水) 西条藩政200年の庶民教育「父母状」について

15時半から催された「西条・新居浜市議団市政協議会」での講演、三木秋男さんによる{西条藩政200年の庶民教育「父母状」について}が面白かった。

西条の住人でありながら、我が地の藩政時代の歴史についての知識が、今まであまりにも少なかったことを自覚した。
歴代藩主が江戸詰めであったことは知っていても、本家筋である紀州藩徳川家との関係がどんなものであり、この西条での藩政をどう執り行っていたのか知らなかった。

その一端が、今日の講演で聞けたことと同時に、現在に通じる庶民意識がどう形成されていたのかまでも、なんだか思い当たることがあり一人合点がいった。
講演のなかに、西条藩政時代のなかで興味深い出来事がある。新田開発によって、最終4万3千石ほどになっていたという西条藩の石高のこと。
西条藩からの 上がり が3万石と紀州藩からの合力米2万石。合わせて5万石での藩政運営であれば、藩政運営にさほど熱心でなくても十分な生活ができるだろう。それが 新田開発 によって、石高を上げる考えがどこから出てきて、その仕事を誰がどのように行ったのか。禎端の新田開発によって得られたものが、西条市発展の礎となって現在まで受け継がれているように感じる。
この歴史をたどれば、西条の未来を考えるうえでの大きな参考となるように思えてくる。

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「西条・新居浜市議団市政協議会」の意見交換会のなかでは、新居浜市が新年度から取り組みの準備をしていると伝え聞く、地区公民館の管理運営体制の変更についての情報収集。
私の知識欲を大いにくすぐられた会であった。



2008年01月29日(火) 後期高齢者医療制度 No、3

平成20年4月から「後期高齢者医療制度」が始まります というお知らせが2月の市広報に掲載されている。

この内容は、これまでの制度と大きく変わるところが対比されて提示されるのではなく、県の医療連合議会において定められた制度を専門用語そのままに提示している。だからこの広報に掲載された内容では、これまで世帯毎の保険料納入であったものが個人毎の保険料となることすら、読んだ人には分からない。

その点は、他のところからの情報でいずれ大方の知るところとなるだろうが、それだけではない部分でのこの制度についての懸念は、皆目分からないままでの制度の開始となるだろう。

そうだからといって、議員が勉強も何もしないで その時を迎える ばかりでよいわけがない。

4月からの制度運用を目指して個人宛に保険証が送られて来るというように、着々と準備が進んでいるように見えるが、この制度での診療報酬がどうなるのか、まだ決まっていないというような情報もある。
保険で受けられる医療を制限するよう、診療報酬を包括払い(定額制)とし、保険が使える医療に上限をつけることなど、具体的内容が2月に示される予定という。

この情報を素直に読み解けば、高額医療を受けることを制限されるようなことになりかねないということのようだ。
いずれにしてもその全容がわからないままに、制度運用の準備だけが着々と進んでいるとすれば、大きな問題をはらんでいるといえる。



2008年01月28日(月) えひめ地産池消フェアinいよてつ高島屋を視察

夕方から松山に用事があったことを利用して、いよてつ高島屋地下で開催されている 「えひめ地産池消フェアinいよてつ高島屋」を視察した。
「えひめ愛フード推進機構」主催により、1月23日から1月29日までの1週間の期間で開催される催しを見てみようと思い立ったのは、西条市が市民の税金を投入してこの高島屋地下で開催した特産品フェアとどう違うのかを検証するためだった。

何かに取り組んでいれば、仕事を良くやっていると評価を下せば議員も楽ではあるが、市民の税金を投入して事業者の便宜を図る以上、その成果から事業の妥当性を判断しなければならない。

市に限らず、県でも国でも産業振興は施策の重要部分ではある。そんな重層構造を成した産業振興策のなかで、(言葉に語弊があるが)我田引水を図っていくことができるかどうかが問われる。

当たり前のことは さておいて
高島屋のイベント状況は

昨年11月に西条市が特産品フェアを行っていたそっくりそのままの場所とスペースで、今回の催しは行われていた。出展内容をぐるっと見て回ってみたが、残念ながら西条産品は無い。
それだけの情報を仕入れるのに、要した経費は駐車料金320円てか
まあこれも仕事のうちだ

例によって高島屋デパ地下を視察。
西条産品が一点あった。長野県産富山県産福井県産と表示された同様商品の中の一点として。この前にこの商品を見た時は西条産の一点だったのだが、今回はライバルが3県登場している。これが有名デパ地下の現状か。



2008年01月27日(日) 後期高齢者医療制度 No、2

医療保険制度の恩恵を受けるためには、その義務として所得に応じた負担をすることは誰もが理解しているところだ。
自治体毎に運営されている国民健康保険は、自治体毎の保険料(保険税)が決まっていることも、大方の人が理解しているだろう。だからこの保険料(保険税)の高低によって、自治体毎の福祉水準を 秤にかける ような評価をされることがある。

地域の元気人の多少、医療水準のこと、医療機関の方針、保険料の算定基準等々あって初めてその地域の一人ひとりの負担というものが決まってくるのだが、出ている金額の多少という材料でのみ判断するというほうが、分かりが良いためなのかだろう。

そんなところから特別会計で運営される保険会計に、一般会計から税金を投入して保険料(保険税)を低く抑える処置をすることがままあった。

新西条市の場合旧2市2町で違っていた保険料を、合併によって一気に平準化するには変化度合いが大きいため、10億円からの税金を保険会計に繰り入れる 激変緩和措置 を行っている。

後期高齢者医療制度が始まると、今まで世帯ごとであった保険料の納入が、個人ごとの負担となる。ここで、この額が今までの負担とどう変化するのかが、個人にとっては最大の関心事だろう。25日にあった校区での説明会のおりに、出ていた質問は負担額の件が多かった。
各報道機関の後期高齢者医療制度についての報道内容は、その問いに答えるように個人別試算数値を出していることが多い。

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この問題 全容理解までには未だ至っていない。今日はここまで。 



2008年01月26日(土) 地域活動と農作業

8時から始まった小学校のリサイクル活動の手伝い。
小学校PTA活動の一環であるリサイクル活動に自治会も協力していることと、保護者の中に軽トラを所有している人がいないこともあり、積極的に関わっている。
この日のために、自宅に溜め込んでいる新聞紙やダンボールを出すのだが、色々あって色々なところから回収してきたもので私の軽トラはほぼ満杯になる。それと自治会内での回覧による呼びかけで、もう一台の軽トラが満杯になり、今日の成果は計軽2台での搬入でした。

合併による新市が発足してから「資源リサイクル活動報奨金」制度が始まったが、現在はどれくらいのグループが登録しているのか確認はしていない。活動の活性化が望まれるが、まずは自らの実践からだ。

11時頃から夕方まで裸麦の管理作業に従事。圧踏と追肥散布作業を一気に70a。
24日の新聞紙上に「大麦・はだか麦の安定生産に関するシンポジューム」(農林水産省主催)が松山市で開催されたとの記事が掲載されている。
生産拡大に寄与するため、こちらも実践活動。

夜7時より、農業共済組合の地区部長会に出席。猪被害のことが話題になる。
昼間の疲れが出て、日記も付けずに就眠(27日記入)



2008年01月25日(金) 後期高齢者医療制度

まず、島根県大田市での研修のまとめ作業。
二日分のHP日記を記入後、出張報告書の作成および大田市担当者へのお礼はがきを書く。

13時半からは、地区公民館を会場として開催された「後期高齢者医療制度」の説明会に出かけた。
会場には、制度対象者の方々25名ほどが参加していた。市担当者からの説明はパンフレットに従い、4月からの制度実施に伴いどんなふうに変化するのかを示された。

これまで議会において広域連合の設立に関する予算等が審議され、さる12月議会では制度実施における保険料の説明などがあった。そのため、制度についてのあらましは理解できたつもりではいたが、このような制度となる意味がどのようなものなのか、いまいち理解し難いというのが本音である。

介護保険の導入時には長い準備期間があり、それなりに制度に対する理解というものが深まっていたようにも思うが、この「後期高齢者医療制度」の導入については唐突にという感じを持ってしまう。
制度移行に伴う対象者が1300万人といわれ、高齢者医療の将来的枠組みの決定であるに関わらず、何故制度改定なのかそしてそのための議論がどうであったのかが見えない。

当面2年間については軽減措置があるから今は社会は静かだが、まんどな保険料の年金天引きが始まれば、「高い負担がイヤなら、なるべく医者にはかからないようにしなさい」という考え方を広める目的があったことが、この制度の狙いであったと理解されるのだろうか。



2008年01月24日(木) 石見銀山を歩く

大田市駅前の宿から路線バスに乗車し石見銀山に向かう。

「大森町・銀山柵内」にある、「大森代官所跡」「熊谷家住宅」「大森銀山重要伝統的建造物郡保存地区」「龍源寺間歩」を歩いて見て回る。3kmほどの区間だが、途中雪が舞う上り坂の道筋は足に来た。

都合3時間ほどとなったこの地区の視察行だが、それでも銀山の全容を知るまでには至らないとの感覚が残る。
無数と形容されるほどの大小様々な採掘口の跡。名のある人から無縁仏まで様々な墓が点在する。比べて立派な作りの神社仏閣が点在するこの地に、展開されてきた歴史の積み重ねが見える。

「銀」という希少金属をめぐって、繰り広げられた人間模様が悲しい。

そして、現在を生きる我々が、歴史の中から何を学んで未来を展望するのだろうか。
瀬戸内の海とは違った顔を見せる荒れた日本海を車窓から眺めながら、この悲しさは、四国へんろ道と通じるのもがあると思う。



2008年01月23日(水) 島根県大田市での 行政視察実施

「四国へんろ道文化世界遺産」登録に向けての活動の参考とするため、昨年世界遺産に登録された「石見銀山」について調査する目的をもって、島根県大田市での行政視察研修を計画した。

自治体合併によって5つの霊場を有する自治体となった新西条市だが、この文化的資産の「世界遺産登録」に向けた動きに対して、それほど熱心に取り組んでいるとは言い難い。
そんな現状に対して、自分のスタンスをこれからどう採っていけばよいのか、参考にしたいとの想いがあった。

6時6分発 しおかぜ に乗車、岡山からは やくも で出雲市まで。そこからは一両編成各駅停車のワンマンカーで、山陰の荒れた日本海の風景を眺めながらの長旅である。
JR大田市駅に降りた途端、いたるところに 祝世界遺産登録 の言葉がある。あいにくの雨に打たれながら、20分ほどの距離を町の様子を 視察 の目で市役所まで歩く。

14時から始まった研修は銀山に関する様々な資料を基に、行政における時系列での取り組みのあらましが良く理解できた。

30年以上にわたる地元の取り組みに、文化的価値を「指定」というハードルを越えることによる裏付け。それには、出雲大社がある地域である島根という土地柄がプラスに影響していると私は感じた。
今回の大きなハードルを越えた要因は、それら地道な取り組みに加えて、国際的価値観のいかなるものかを心得た、ロビー外交の勝利という面が大きいようだ。

「石見銀山」というマイナーと思われていた価値を、一躍メジーに引き上げる。その取り組みは多くの示唆にとみ、四国におけるこれからの行動が如何にあるべきかを示してくれる。
石見銀山とは、お隣の新居浜市が「金銀胴サミット」によって交流を持っている。知らず知らずのうちに、対比している一色達夫の思考回路。

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市役所の直ぐ近くにある大田市中央図書館を見せてもらった。
窓側に巡らしたキャットヲークに強力な水銀灯を取り付け、大きなアールが付いた白い天井を照らし、その間接照明で書架の本を見せている設計が面白い。



2008年01月22日(火) 第5回 松山分水に関する意見交換会 の傍聴

第5回 松山分水に関する意見交換会が新居浜市で開催されたので傍聴に出かけた。
この問題については社会的に関心が高いようで、西条市議、松山市議を中心に約30名の傍聴者と、マスコミ各社が詰め掛けていた。

今日は、愛媛県からの説明として
テーマ「加茂川の水利用と黒瀬ダムの放流操作について」愛媛県土木部河川港湾局 水資源対策課 課長 の講演があった。

パワーポイントによる40分の説明のあと、質疑応答の時間があり、
西条市から
・西条市は市域全体の水資源調査を2年間かけて行っているが、河川管理者としての愛媛県において調査する考えについてどうなのか。
・加茂川の正常流量をどう考えているのか。環境変化をどう捉えているのか。加茂川総合計画及び黒瀬ダムの管理マニュアルの見直しが必要ではないのか。
・松山市は自前での水資源開発をすれば良いと考えるが、県はどう捉えているのか。
松山市からは
・今日、黒瀬ダムを見学してきたが水が濁っているように見える。その原因は。
・西条市における地下水塩水化への懸念をどう把握しているのか。

めぼしい所では、このような趣旨の質問があった。
県からは、西条市における水資源調査の結果による課題については提示して欲しい。その中から話し合っていけば良い。という答えがあったが、聞いていて、河川管理者として新たな課題に対する積極的対応に欠けているように感じた。

講演での説明は、昭和48年にダムが出来て以来これまで実施されていたことでしかない。現在では、ダムに流れ込む山の様子も変わり、地球環境の変化による気象変動も大きくなった。
水の都 西条 といても、水資源は有限である。自然の恩恵を受け今まで安穏と暮らしてきた西条市民も、現状を直視し将来についての不安を募らせている。
加えて、河川法が改正となり環境という観点を含めた管理計画作成が求められるなか、なにも手が付けられないままの状態である。

西条市からの質問は、河川管理者として当然行ってしかるべき仕事についての指摘であろう。

松山市からの質問については、
「西条市におけるあの平成16年台風災害がどうであったのか把握していないようだ。」結局のところ、災害の当事者で無い者の視点とはこんなものなのかと感じた。



2008年01月21日(月) 日本図書館協会 四国ブロックの集い in愛媛

今日は大寒。外は一面の銀世界。
少しの躊躇が入ったが、今日松山市で開催される「日本図書館協会 四国ブロックの集い in愛媛」に、「西条市新図書館建設を進める会」の方3名で出かけた。

高速道路が積雪のため川内西条間は通行止めとなっていたため、予想はしていたのだが案の定丹原町湯谷口から東温市までの国道11号線桜三里は、大渋滞で通り抜けるのに90分ほどを要した。
それで、会議が始まる13時には35分遅れの到着となる。

今日のお目当ては、元浦安図書館館長の常世田良氏の講演を聞くことだった。到着遅れのため後半の部分のみの聴講となったが、配布されたレジュメを読んだり質問への答えを聞けたことで、今日の松山行は有意義なものとなった。

図書館は、ただおとなしくお客さんの求めに応じて本を貸し出していたのではだめだ。運営に当たる者はその存在意義を社会に認めさせるため、様々なアピールを重ねていくことだ。
日本の公務員は言われた仕事はきっちりとこなすことができる。ならば、その命令を発する者を選らばなければならない。過激なことを言うようだが、それ図書館の将来のためには一番良いことだ。担当者からのボトムアップで良い仕事ができるとすれば、それはトップが良いからにほかならない。

公務員を離れた常世田さんが話す言葉は、日本社会のあらゆる場面に通じる。西条市の図書館作りが理念と計画性の欠如からくる騒動で、無駄に2年以上も遅れたことをみれば分かりきったことである。

帰りは今治回りとする。これは正解だった。
北条の道の駅 風早の郷風和里 で休憩。ここの産直市は小規模だが充実している。過日、ある産直市で買ったたこ飯は300円で、たこが5切れほどしか入っていなかった。風和里で買った鯛めしは280円で鯛がどっさり入っていた。
それで今日は幸せな一日だったと感じるのだから、ここの鯛めしはお買い得ですよ。

松山では雪は皆無だったのに、今治湯浦まできたら途端に雪景色に変わった。
移動しながらの地域情報の入手手段をどうすればよいのか、気候の局所変動が顕在化してきた今日、防災を考えるうえでの課題の一つなのかと今日一日の移動のなかから感じる。



2008年01月20日(日) 久々に雪が積もった

朝からの霙が昼には雪となり、夜半まで降り続いて15cmほどの積雪となった。
子どもたちが話すには、ここ数年このような積雪の記憶が無いようだ。暖冬模様のこの冬が一変した雪景色に、何故だか清清しい気分にさせられる。
郷愁に浸ってばかりいられないのは、この地が雪には慣れていないから。所要で出かけた帰り道に、路肩に突っ込んだ自動車一台、溝に横転した宅急便の自動車一台。
かく言う私も横滑りが二度有り、危うく事故るところだった。主に農業用に使用する軽トラが、四輪駆動なのがこういう時に役に立つ。

文化会館の運営について、指摘する文章を作成して提示しておく。窓口対応がマニアル通りのソフトムードなのは、それはそれで結構なこと。だが、だからといって管理者が行っていることが、社会に対して誠実であるかどうかは別な問題だ。

文化会館展示室では、今日から「ほのぼの親子の凧展」が開催されている。この催しを行っている方々は、旧東予で青少年健全育成に関する取り組みを熱心に行っている。昨年はひうち会館1階での展示会であったが、今年は此処文化会館での展示である。
広くなった活動範囲を有効に使うように、様々な仕掛けを試みている様子を拝見する度に、こちらが勉強させていただくことが多くある。
凧以外の活動も含めて今後もどんな動き方をするのか、注目して見させていただくのが大いに楽しみだ。



2008年01月19日(土) 早大エジプト発掘40年展 鑑賞

県立美術館で開催されている「早大エジプト発掘40年展」を鑑賞に出かけた。
午後2時過ぎの入館となったのだが、会場は都会のラッシュアワー並の人ごみで、そんななかでの鑑賞は、最初から引いてしまっている状態である。
それでも、たまの学術鑑賞を有意義なものとするため、人ごみのなかを掻き分け展示品を見て回っていると、さすがエジプト5000年の歴史に引き込まれていくのだった。

エジプト文明の解明は、墓を発くことによって成り立っているようだ。ミイラを葬るための様式や、その儀式としての調度品の数々は、いずれも現代に通じる意匠が素晴らしい。
考古学だったか歴史だったかの大学学部の生徒募集のパンフレットに、「過去を振り返れば未来が見える」というコピーがあったが、まさに言いえて妙だ。
人間文明の発祥地の一つであるエジプトは、そのエッセンスが現在に繋がりこの日本にも受け継がれ今だ影響し続けているようだ。

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松山行は、続いて高島屋とまつちかタウン、銀店街の散策へ。
デパ地下の食品売り場の様子、まつちかタウンの愛媛県内道の駅物産店の様子等、何時しか何時もの視察の目 ってか。

書店に寄り道し武田邦彦氏の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」1と2を購入。2冊で1999円。
帰宅して拾い読みしてみたのだが、なかなか面白い内容が書かれている。

折りしも、マスコミは製紙業界の古紙率偽装問題をスクラム組んで取り上げている。そのどこかの新聞に、新聞用紙の値上げ問題が話題となっていないか注意しているのだが、今のところ何も無い。 さて 



2008年01月18日(金) JAおちいまばり 産直市 彩菜 さいさいきて屋

過日、JAおちいまばり が開設した 直販所 「彩菜 さいさいきて屋」を見てきた。
西条市には水都市や周ちゃん広場がありそれなりに繁盛しているのだが、「JAおちいまばり」が満を持して開設した産直市がどんな様子なのか気になった。それとともに、今治市役所職員による 食 の取り組みについての講演の中で紹介されていた、産直市に併設して日曜菜園が開設されているという様子を見るのが大きな目的だった。

見た感想は、(言葉は悪いが)後発者の有利さを如何なく発揮していると見た。現在まで様々なところで開設されている産直市の、良いところと悪いところを把握したうえで、うまくいくエッセンスだけを凝縮したような雰囲気がある。

この日とは別に、朝倉を訪れる機会があったのだが、この地区の丘陵地に「上朝倉米」という幟が林立している光景を見ていた。
その「上朝倉米」が「さいさいきて屋」に、他の今治地域産の米よりも若干高い値が付いて陳列されている。

旨い米が採れる地域というものは、言うといわぬとにかかわらず、大方の知るところとなっている。大体のJAには食味計が導入されているので、同じJAの中でも旨い米の採れる地区というものは分かっているはずだ。
だが、同じJAの中でも地区によって、価格差を付けてのブランド化を打ち出す 根性 のあるところは多いだろうか。
それぞれに地域事情があることは承知しながらも、我が西条ではどうだろうと、30kg8600円の値札を見てしばし腕組みする。

その他、様々な収穫があった今治産直市の見学。
近くにも見習うべき取り組みがあると、感心しきりな私でした。 



2008年01月17日(木) 本物って(No、1) 古紙率偽装

年賀はがきの再生紙問題が起きている。
再生紙として日本郵政が発注した基準が守られず、古紙の配合が少ない「偽装」の用紙が納入されていたということだ。

この他にも、グリーン購入法対象商品の古紙率が、軒並み少ないというデータも報道されている。
不遜であるとの謗り受けることを承知しながら言わせてもらえば、私はこの報道に接して思わず笑ってしまった。

何故かといえば、グリーン購入法の趣旨は環境負荷が少ない物の消費を推進しましょうというものだと思うが、製紙業界が軒並み古紙率を下げている現状をどう見るのかということだ。

製紙業界が古紙率を下げる要因は、品質に自信がもてないなどと説明しているが、一にもに二にも生産コストの問題からだろうことは想像がつく。ならば、発注者や購入者は、要求する規格通りの製品がどれくらいの環境負荷であり、その製品価格がどうなるのか把握できているのだろうか。
ようするに、「偽装」した製品と発注仕様の製品を比べてみて、どちらがどうなのか、シビアに検討したデータを持っているのかということだ。

偽装は責められるべきことだ。

だが、社会というものはえてして、再生紙という「看板」やグリーン購入法対象という「お墨付き」だけあれば、それでOKという風潮に流される。
環境問題からの森林減少に歯止めを掛かるための方法として、古紙リサイクルの促進が言われているなかで、それがうまく回った中での再生紙仕様と使用がかみ合っているかどうかということだ。

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ある時ある場所の製紙工場の生産現場を視察したときの、従業員の話していたことが思い出される。

環境問題重視の社会風潮があるので、その方達用に紙の色を黒くしているものも生産しています。古紙を使おうがバージンパルプだろうが、紙の色は変わらなく作れます。
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さて西条市だが、西条市行政が使っている用紙は黒い。市販の安いコピー用紙と比べてみても、その色の違いは歴然と分かる。
何故、この黒い用紙を使うようになったのか、環境配慮なのか購入費用の面からなのかその理由を聞いたことが無いが、私はこの黒さといい表面のざらつき具合といいあまり好きではない。

だからといって、一色達夫は「環境問題に無関心だ」と、後ろ指を差されることは無いとの自尊心は持っているつもりだ。



2008年01月16日(水) 公民館運営を地域に移行 新居浜での動き

仏様の正月。墓参りを済ませてから一日の仕事が始まる。

今日の愛媛新聞3面に、公民館の運営を地域に移行させる動きが新居浜市で始まったとの記事が掲載されている。

昨年高松市で、公民館を教育委員会の管理運営から外し、地域コミュニティセンターとして地域の自主運営とする取り組みを視察してきた。
地域連合自治会でも昨年12月に研修してきたところだが、新居浜市の動きについて高松研修の成果としての予備知識があれば、その試みの目指すところが理解し易い。

新居浜市議会での昨年12月議会における一般質問のなかで、公民館運営につての質問が出ていたので、何か動きがあるのかと予想はしていたのだが、思わぬ早い動きに「やっぱり新居浜からか」との感想をもった。

話が横道にそれるが、新居浜市議会では本会議質問は対面方式、その質問内容はネットを含む事前公開が行われている。

記事は、その試みの目的とするところを、「主事の引き上げや厳しい財政難の軽減などが狙い」としているが、私は、自治の本旨をどう捕らえるかという視点がこの記事には欠けていると思う。

地域に住する者が、それぞれ持っている意思と能力を持ち寄り、協議して地域自治を具現化する。公民館という戦後民主主義の教育施設の権化と思しき場所を、地域住民の自主運営へ一大転換を図る画期的なことだ。
それを、自治体運営における財政難問題というような、矮小化した視点ばかりでものを判断していたのでは、何時まで経っても愛媛の住民意識はその成熟度を増すことにならない。



2008年01月15日(火) 西条市介護保険サービスマップ

昨年末、西条市において 増えたもの 減ったもの について日記に記入した。これは、私が地域を歩いてみて持った感想からのものだった。
その中で 「介護施設が増えた」 と書いたが、実際にどれくらい増えているのか知りたいと思い、年始の挨拶に訪れた福祉課で資料をもらってきた。

福祉課の窓口には3枚つづりになった「西条市介護保険サービスマップ」を提示しているのだが、言われてから気付く私の注意不足がこんなところで明らかとなる。

この資料には、西条市内で営業する介護施設が網羅されているが、この資料を一覧して、しばし絶句の一色達夫である。
旧西条市内の介護施設のなかでも、初めて聞く事業者があるのだ。それが新西条市内の事業者とその施設となると、どんな運営形態を採っているのか分からない部分がもっと多くなる。

これではいけない。増えた増えたで済ませることではない。

高齢化社会に拍車が掛かる今日、介護施設が増えるのは当たり前。その現状を踏まえて、如何に考えるのかが議員として問われる。それが、施設の概要も把握できていなのでは、あんた話になんないよ。



2008年01月14日(月) 「治水対策協働モデル事業」の実施

新しい年が始まったと思ったら早くも 1 17 が近づいている。
この日に合わせるように、被災者のその後の様子が伝えられ、防災への意識喚起が図られている。
西条市における自然災害としては、やはり平成16年の台風災害の記憶がいまだに生なましい。

この平成16年には、相次ぐ台風の来襲によって、河川への土砂堆積があり、21号台風による増水による災害をより大きくした。
その後3年が経過し災害復旧工事は粗方終了したが、河川における土砂堆積については、まだそのまま放置されているところが多い。

河川のその多くは県が管理しているが、財政逼迫によって河川管理に回ってくるお金が少ないことは周知のことだ。
そこで知恵を絞り考え出されたのが「治水対策協働モデル事業」だ。

西条市においては現在、加茂川、中山川、大明神川(?)で行われている。
このうち加茂川では、武丈公園付近の河床から採取した土砂を、現在造成中のコメリ(飯岡)に運んでいる。

加茂川と中山川の事業現場を視察してみると事業についてその詳細を詳しく書いた看板がある。

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「治水対策協働モデル事業」
この事業は平成16年の出水により河床に土砂が堆積し、治水上の支障が生じている箇所のうち、土砂の有効活用が見込める箇所において、県(河川管理者)が、河床掘削工事の代行を条件として、河川砂利の採取を希望する民間事業者を公募し、採取許可等を与えることにより、民間活力を導入した効率的な河床掘削と砂利の有効利用を図るもので、平成17年度から実施しています。
(この事業により期待される効果)
1、治水上支障となっている河床の土砂を掘削除去することにより、流下能力が向上します。
2、河床掘削工事を民間に代行させることにより、工事の促進と費用の削減が図れます。
3、掘削した土砂には、コンクリート骨材等としての活用が見込める砂利等が含まれており、資源の有効利用が図れます。

加茂川における採取の期間
平成19年9月27日〜平成20年9月27日

中山川における採取の期間
平成19年10月5日〜平成20年9月5日

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言うところのゼロ予算事業のヒット策だ。



2008年01月13日(日) 平成20年度 成人式

西条市の成人式は 丹原文化会館と 総合文化会館の2箇所で開催される。

午前と午後に開催される成人式のうち、午後1時半より開催された旧西条地区と旧小松町の対象者が参加する式典へ出席した。

例年通りの光景が見られる成人式であるが、この一人一人のこれからの人生が、実り多きものであることを願うばかりだ。



2008年01月12日(土) 扇のかなめ地域 小松行

春先のような霧雨が降る一日だった。
小松温芳図書館郷土資料室での特別展を鑑賞にでかける。小規模ではあるが小松1万石の歴史を感じさせる特別展である。
比べて旧西条市は3万石の親藩大名でありながら、歴史的資料の乏しさからくる文化的企画展の貧困さは遺憾ともし難いものだ。

足を伸ばして椿交流館で一休み。ここからの眺望は扇の要位置からの様相だ。かの時代の方々は、この位置から広がる道前平野の変貌の様子を、どんな思いで眺めていたのだろうか。
一つの地域となってその想いを、如何様にもアナウンスできそうなものだが。
生まれた時から長年、西条市を東の方角から眺めていた私には、新鮮な感覚で地域全体を見ることができるこの地ではある。だが、そのような感覚を覚える度合いとしては、今は西からの眺めに分があるのはどうしてだろう。

椿ハウス内の椿は、既に花の盛りのものもある。椿一輪展は3月1日と2日に予定されている。
石鎚ハイウェイオアシス館の入り口に「東予郷土館収蔵品展」と書かれているのに心を動かされて入館したのだが・・・・・。

小松町北川地域の中山川で行われている「治水対策協働モデル事業」の様子を視察。この事業は加茂川でも行われている。



2008年01月11日(金) 四季なりイチゴの栽培

農に関する技術的なことに触れる。
その理由は、西条市が進める食に関する事業について、是非についての判断材料の提供のためではなく、その疑問点を明らかにするためだ。
例の日陰ハウスを見た時に、この事業は 非 だとの私の結論は出ている。

農業に関する情報収集元として、日本農業新聞と農業共済新聞を注意深く読んでいると、農業に関する政策的なことに始まり、各地の農家が取り組む農業経営の紹介まで様々な事が入手できる。

その中でイチゴ栽培について取り上げると
07年11月14日付けの農業共済新聞に 四季なりイチゴ 省力化狙い高設土耕 との表題が付いて石川県の農家のことが小さな記事で紹介されている。
記事によると、4月に定植し、収穫は6月中旬が1回目、2回目が7月から8月、3回目が10月からと3回行う。

私が農業高校で学んでいた30年前頃は、イチゴの路地トンネル加温栽培によって、4月頃に出荷する方式が画期的なことだった。それが現在では、品種改良や栽培技術の確立によって、日本国内で四季を通じて収穫できるまでになっているようだ。

このような情報を持っていないなかで、西条市が取り組むMH冷凍機を利用したイチゴ栽培技術の研究などと提示されると、これは 面白い などと感じてしまうのだろうが、植物の成長における温度の果たす役割などはその一要素に過ぎず、研究し尽くされたものだろう。

私の見たところ今回のイチゴ栽培研究は、MH冷凍機の延命のための要素が大きい事業だと感じる。この感覚が ハズレル ことが、市民の税金の無駄使いとならないことになるのだが



2008年01月10日(木) 地産地消の取り組みについて

西条市農村環境計画 農村振興基本計画に関連して「地産地消の取り組み」の観点から西条市の現状を見ると、特色というものがあることがわかる。

西条市議会では平成18年12月22日に「地元産米を中心とした農産物の地産地消の推進に関する決議」を行っている。
この決議から1年が経過して、現実として決議の趣旨がどれくらい モノにっている のか、データを示してもらえば良いと私は思う。

昨日の日記のなかで、地元産米の学校給食への利用のことに触れたが、学校給食における他の食材についての地元産品の利用という観点も必要だ。
その観点から、四国中央市の「農村環境計画書」を検証すると、「学校給食における地元産農産物の利用状況(旧土居町)の平成13年から16年のデータが示されおり、西条市の計画書との違いが分かる。

西条市の場合サイクスオンリーで、「西条市食品加工流通コンビナート構想」たらに花を持たすことが計画書作成の底流にあると、ある種の 特色が出てくる 原因となる。
それが、地産地消や身土不二や旬の食材を活かすという普遍的要素を、あらぬ方向に歪めることとなっていないか。

食というものに対して、偏りの無い栄養バランスと季節変動や地域偏向の視点から100%地産地消とはならないことは、議論をする必要のないことだ。
地産地消をどこまでの範囲として考えるのか、地域自治体のレベルか県のレベルか国のレベルかによって考え方が違ってくることも、既に議論の結果が出ているのではないだろうか。



2008年01月09日(水) 西条市農村環境計画 農村振興基本計画のHP掲載

1月7日に西条市のHP上に「西条市農村環境計画」「農村振興基本計画」が掲載された。
昨年の12月議会で、この計画について一般質問で取り上げてから、年が変わってようやくHP上に掲載された。遅ればせながら との感が無きにしも非ずだが、まずは良い状況ができた。

西条市のHPは入り口がシンプルナな作りで、中身が充実というところだが、お目当ての情報に行き当たることに難があると言えなくもない。
自治体によっては、表紙の部分に、HP上に掲載されている情報のあらましを網羅している作りにしているところもある。

たとえば、その自治体で現在進行形な全ての計画を一まとめにしている。これだと、その自治体が、どんな方向性を持って運営しているのかが、大体のところ分かってくる。
西条市のように、各部の仕事内容の中に包含して掲載しているのと、大きな違いがあるということだ。

話を農村環境計画の件に戻して

12月議会での質問の中で、西条市の農村環境計画と四国中央市の農村環境計画の掲載内容の違いを出し、西条市の計画に掲載されていない項目についての考え方を再質問した。
その違いの事例として、学校給食米の生産状況を出したところ、教育委員会が西条市の現状について答弁してくれた。週3回の実施で地元米9万トンを消費しているとのことだ。

この数字から、どれぐらいの面積での米生産が学校給食用として消費されているのか計算してみたら、10a当たり420kg(7俵)の出来高として約21haとなる。
四国中央市の農村環境計画に掲載されている平成17年度の数字が、20ha84000kgであるところと比べてみて大差ないことが分かる。

西条市の場合、取り組みの現状を宣伝することがどうも下手のようだ。



2008年01月08日(火) 産業道路 西ひうち の美化対策を強化しなきゃ

1時間ほど掛けて、西条市の干拓地域を見て回った。

言いたかないが、西条市のメイン道路である産業道路と、大きな工業出荷額を生み出す西ひうちの各所が、美化対策を強化しなければならない状況だ。

産業道路では、昨年から県による新しい事業が始まっているが、このことについてもシビアな評価をしなければならないのではないか。
そんななかで、CI戦略が行き届いている企業の入り口は綺麗である。この点と点を結んで線とすることが一番良い方法だろうと私は思うが、それが未だ理解されないことは遺憾ともし難い。

西条市が展開する鳴り物入り事業に、深く関わっていると私は見ているお方が管理運営している「ひうち会館」が、美化対策を強化しなけりゃならない状態なのだから、他のところばかりが綺麗になるはずがない。
などとわざわざ余計な引き合いに出すことはないのだが、それで納得していたら、ますます●くなるばかり。

サイクスの前は一頃に比べたら綺麗になっているのだから、美的感覚という類のものが分からない人ばかりではないとは思うのだが。

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アサヒビールに乗り入れている観光バスに乗車していた方から、「ここまで来るまでの西条市の道路のなんと●いこと」という言葉を聞いた人がいる。
観光バスに乗っている人は視線が高いから、道路の状態が良く分かるのだろう。
そのことを踏まえての、今日の見回り。
なんとも残念だ

西条市のHPには
西条市の産業観光の一翼を担う
アサヒビール四国工場の工場見学者が100万人を突破
とある



2008年01月07日(月) 愛媛出版文化賞 永納山城と熟田津

第23回愛媛出版文化賞に、白石成二さん(西条市楠在住)の「永納山城と熟田津」が選ばれている。

朝鮮式古代山城として国の史跡に指定された「永納山城」については、興味を持って事あるごとに足を運んでいるが、訪れる度に古人(イニシエビト)の歩んだ歴史に思いを馳せるに余りある魅力を感じさせられる。

今回の出版文化賞を受賞した白石さんについては、昨年5月に開催された「永納山城の会」総会のおりに講話を聞いており、古代史という地道な活動に光が当たることを共に喜びたいものだ。

「永納山古代山城跡」のことを研究し、また、保存活用方法を考えるうえで、同時代に建設された他の同様の史跡のことが参考となる。
そこで、平成17年2月に岡山県総社市の古代山城を視察したのだが、永納山城の発掘調査が進むにつれて同様山城と同じ形式を採っていることが分かり、考古学の面白さを実感するばかりだ。

そんなことが重なり、今後の西条市での史跡保存活用の参考とするため、今度は福岡県大野城市にある、水城跡(ミズキアト)と大野城跡(オオノジョウアト)を視察してこようと考えている。
この古代山城は大宰府との関係が深いように、白石さんの講話のおりに配布してくれた資料から読み取れる。

日本の古代文化は、朝鮮半島から流入してきたものに多くの影響を受けているが、その一端がここ西条市にも存在する。
なんというこのロマンの香り。これを活かさない手はない。
 



2008年01月06日(日) 自治会新春行事 など

校区連合自治会主催による「新春ふれあい大会」が9時スタートで開催された。私は運営スタッフとして、8時集合で催しに参加した。
朝の冷え込みから防寒準備を怠りなく出かけたのだが、大会がスタートした頃には快晴無風で気温もグングンと上昇し汗ばむほどの陽気となった。

大会は、長いコース(約10,3km)と短いコース(約4,8km)を地区公民館発着で歩き、その途中に設けられたイベント会場での催しを楽しむというもの。歩いたあとには、婦人会が用意してくれた 七草粥 が提供され、地区住民の正月イベントとして定着している。

コース途中のチェックポイントでのスタンプ押しが、スタッフとしての私の仕事だった。予定の場所で待っていると、野球のユニホームを着た小学生の一団がランニングをして通りすぎて行く。その子供たちとともに保護者と思われる方々も一緒に走っていき、乗用車での伴走と見られる方も通っていく。

今日は、隣の校区である飯岡で活動するスポーツ少年団とともに玉津スポーツ少年団も 練習初めの催しがあったようだ。
TVニュースでは、武道の鍛錬に精出す方々による初練習および鏡開きがあったと報道されている。

1月行事予定表には、東予運動公園において「西条市子ども凧あげ大会」が開催されるとある。ポカポカ陽気は各種イベント開催には好都合だが、凧あげには不都合だろう。以前この催しを見学に出かけたときは、無風状態で皆さん苦労していたことが思い出される。
この催しを主催している方々は新西条市のなかで、大きくなった地域を旨く使って活発に動いている。

今日は、そんな日曜日。



2008年01月05日(土) KYキャラをどう律して行くか

KYキャラという言葉が流行っている(らしい)
空気(K)読めない(Y)というのだそうだ。

西条市議会議員としての仕事をしていく者として、市役所の雰囲気や市長の意向、それに議会内での方向性を読めず(読まず)、独立独歩で自分のキャラクターを崩さない一色達夫などは、KYキャラの典型だろう。

だがここで一歩進んで、回りの空気を意図的に壊そうと行動して、自分が思っていた反応が帰ってくるのを読みきるのも、それはそれで痛快ではある。

KYK 「空気読めないキャラ」ではなく、「空気を読んで壊しにかかろう」 だ

雰囲気 空気を作って、何かを実現に向かわせることは、社会のリーダーとしてやるべきことだ。だが、その場にあってその方向性が自分の意図したことと違うのならば、あえて空気を壊して混ぜておくのも必要なこと。
やがて結果が出てくれば、その行動の是非が評価されることもある。

ここで一番注意すべきことは、空気を壊す者を攻撃することによって、組織なりリーダーなりへの帰属意識を高めようとする手法をとる者がいることだ。
それは誰の、どんな場面の、どんな行動だ(言葉だ)、とは名指ししないが。



2008年01月04日(金) 小野氏と白石氏の遭遇

2008年の公式初仕事は「総合文化会館」で11時より催された「新年市民祝賀会」への出席。
市長挨拶の中で、市政に関するどのようなことを取り上げるかによって、昨年西条市が取り組んだ事業のあらましが明確となる。その事業の数々に市議会議員としてどう関わったかを自分なりに検証し、今年にどう結びつけるかを考える。

小ホールに移って催される祝宴のなかで、興味深い出来事に遭遇した。
正月元旦の各紙に、今年予定される各種議員や首長の選挙のことが掲載されている。このなかで、ここ「愛媛3区での激戦が予想される」とある、小野氏と白石氏が会場に姿を見せていたが、狭い会場内でご両人が遭遇した。
ま近でいた私の目に、その光景が飛び込んできたのだが、名刺交換をしているところを見ると初対面だったようだ。

このご両人を中心に、社会の様々な事象が回って行く光景がやがて展開される。その結果が日本の政治状況につながっていく。
ざわついた会場にあって、その一角だけがエヤーポケットとなったような・・・・

散会後連年通り、サイクスでの新春賀詞交歓会に参加。
こういう特定な業種の方々が集まる会への参加も、大切な仕事の一環だと思えば身の処し方もだいぶ慣れてきた。

市役所に出向き、挨拶回りと数件のレクチャーを受け帰宅。



2008年01月03日(木) 初笑い 初稽古

新春恒例の華道教室生け初め式に出席。
今年はいつもとパターンが違って、初笑い 初稽古となった。
議員は、求めに応じて様々なキャラを披露する多芸者でないと務まらない。

TVを席巻した感のあるお笑い瞬間芸の、笑いのパターンをなぞることもたまにはいいか。

書斎の片付けもひと段落。資料の整理やメモの書き直しから、今年の仕事のあらましがまとまった。
正月三が日が過ぎれば、一つづつ取り掛かることとなる。



2008年01月02日(水) 本物追求

昨年とまったく同じパターンでの年賀状作成になった一日。
違うことといえば、それが夫婦二人(っきり)での作成となったこと。
子供たちは、それぞれに自分の時間を持ち、親のことよりもそちらのほうを優先する甲子年の初めである。

昨年から持ち越している書斎の片付けのほうは、手帳やメモやカレンダーを2008年仕様にリセットする作業がひと段落してからだ。
早くやんないと、直ぐに新しい仕事が始まるのに、いつもながらのバタバタを今年も繰り返す。

年賀状の文面には、平成19年を表す漢字「偽」と、この言葉に相対する「本物」という言葉を使った。

社会の現状を「場当たり」から、「本物志向」へと転換を願う想いを込め、自分自身の一年間の指針ともしたいと表明する年の初めの行いとした。



2008年01月01日(火) 20080101

「20080101」と日記の日付けを打ち込むことで、新しい年となったことを実感する私だ。
折からの寒波襲来に、寝床の足元がしんしんと冷え込み、目覚めの感覚を億劫なものとする。新年早々に、この意志の弱さはなんだとばかりに布団を跳ね飛ばし、あとは新年特有の行動に邁進する一日となる。

飯積神社と伊曾乃神社に妻と二人で初詣。型どおりのお参りを済まし、伊曾乃神社の門を出たとき、そこに鎮座する狛犬に目がいった。何度も見ている狛犬で、今まで興味も示さなかったのに、今日は台座に彫っている作者名に注目する。
五百亀とあるではないか。西条市出身の彫塑作家 伊藤五百亀 さんの作品である。

近づいてよくよく見ると、表情が凛々しくて(?)なかなか良い。だが、顔にくもの巣が張っているのはいただけない。台座に上り、手で払っているところを、知り合いに声を掛けられた。正月早々に、なんだか恥ずかしい光景が展開されたようだ。

JR西条駅前にオープンした鉄道文化館の見学。正月なので今日のところは「O系新幹線先頭車両は良い」とだけ記しておく。
問題点はそのうちレポートする予定。

ここにも伊藤五百亀さんの作品、十河信二像がある。旧鷹丸体育館前に設置していたものを、駅前整備を機会に移設してきたもの。移設に伴う費用のなかで、ブロンズ像の洗浄費用も含まれていたように記憶しているが、どうもあまり綺麗にはなっていない。
目にごみが付いているのを払っていたら、ここでは入館者に奇異な目で見られた。妻に話すと、「正月早々まだ顔を洗っていないんじゃないの」とチャチャを入れる。夫の奇異な行動にも、長年連れ添った妻は慣れている のだ。

正月早々のお粗末。今年もよろしく。暗い世のなか楽しく行こう。

年賀状作成に掛かる。


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