2007年10月31日(水) |
第4回 松山分水の関する意見交換会 傍聴 |
14時より市役所5階会議室で開催された「第4回 松山分水の関する意見交換会」を傍聴した。傍聴者の予定は50名で満員となっていたところから、この事項への関心の高さがうかがえた。傍聴者の中には顔見知りの松山市議数名。
今日の会の中心は、「水利権・正常流量について」と題した 講演を聞くこと。講師は 国土交通省四国地方整備局 河川部 河川管理課長 嘉田功氏。
8月に徳島県で開催された 「全国川のシンポジューム」で仕入れた知識から、平成9年に改正された「改正河川法」について少しは知っていたが、今回の講演を聴いて更なる理解が(私の中では)進んだようだ。
黒瀬ダム工業用水の赤字問題が、いつの間にか松山の水不足解消策とドッキングして、分水で全て解決(イッチョアガリ)といわんばかりのマスコミ報道と重なり、市民の大きな関心事項となっている。
それが、「西条市の原風景とでもいうべき加茂川の環境問題を是正するため、改正河川法の趣旨が大きくクローズアップされてきた」という今日の状況である。 平成9年の改正河川法の制定から既に10年を経ているが、全国的にみても、この法の趣旨にのっとった河川管理計画の修正がまだまだ進んでいない。そのような状況に鑑みて、水問題についての関係者の合意を得ることの難しさと重要性を感じる。
嘉田功氏による90分の講義のあと、質問の時間がとられたとき、西条市の行政関係者から4つの質問があったが、この4題は、西条市の将来にわたる環境問題を考えるうえで 重要事項 となると私は感じた。
普段は議員や市民からの質問・要望に答える側の行政マンではあるが、(攻守ところを変へ)質問に出てきた時に、そんな普段の訓練(?)の成果がでてきたのだろうか。聞いていて「質問かくあるべき」と関心した。
15時45分終了。 大いなる成果のあった、会の傍聴である。
2007年10月30日(火) |
小松地区地域懇談会 なんとももったいない現状 |
19時から小松地区地域懇談会が小松公民館で開催された。 傍聴に出かけたのだが、最後まで席に座っているのには苦痛を伴った。
2市2町の中で、一番人口が少なく地域面積も狭い旧小松町だが、この地区の文化集積度は、他の2市1町と比べても一番だ。この面を新市の中で活かす方法は多いと感じるが、現状は全体の中で埋没している。 そこのところに光を当てる取り組みを私は期待するのだが、今日の地域懇談会では(合併地域審議会の中でも)全然見当たらなかった。
前人の知恵がこの地域に受け継がれていることを、ここを訪れる度に感じるのだが、未だ眠りについたままなのはもったいない。
意思ある方々の覚醒を期待するばかりだ。
2007年10月29日(月) |
平成16年 西条市台風災害の記録 |
昨日開催された「防災士フォローアップ研修」で配布された「平成16年 西条市台風災害の記録」との表題が付いた冊子が手元にある。
昨日この冊子を見たとき、「平成16年の台風災害を忘れないために有意義な記録誌が出来たか」と思っていた。 が、改めて検討してみると、どうも「西条市の防災事業の現状が見えるようだ」と感じてしまった。
同様の記録誌について、私の手元には既に ・平成16年災害体験集 未曾有の災害と戦った 四国各地の声(平成17年6月刊行)四国建設業協会連合会(発行) ・道路災害の記録2004愛媛県東部(平成18年1月 入手)愛媛県土木部道路都市局道路維持課(発行) ・平成16年台風災害を振り返って −四国地方整備局の取り組みと今後の対応ー (平成17年3月 刊行) 国土交通省 四国地方整備局(発行) ・台風21号 交通ネットワーク 遮断影響調査 国土交通省 四国地方整備局 松山河川国道事務所(発行) ・地域のために 平成16年 新居浜市災害復旧支援ボランテェア活動報告書 新居浜市社会福祉協議会(発行) がある。
西条市の記録集は平成16年の台風災害から3年を経てようやく刊行されたということだ。 掲載内容については、災害復旧に要した費用はいくらかかったのか、事業費の出所は、事業名は、その個所数はと行政用語が羅列されているが、このような事柄にどんな意味があるというのだろうか。
うがった見方をすれば「あの災害に当たって、行政はこんなに仕事をしています」との免罪符とするつもりなのだろうか。それなら、それは仕事の方向性が少し違うように私は思う。
行政内部における記録集としても、住民向けの記録集としても、どうも的が外れている。 いったい誰にどんなに役立つように編集したのか。それとも、私の根性が曲がっているのでそう感じてしまうのか。
2007年10月28日(日) |
ひうち会館で 防災士フォローアップ研修 |
9時半から17時まで、ひうち会館で開催された「防災士フォローアップ研修」に参加。参加者名簿に示された研修出席者は84名。
会場の駐車場に着いてまず目に入ったのは、植え込みに生えた雑草の酷さだった。萱やセイタカアワダチ草が生い茂り、歩道まではみ出しているところもある。このひうち会館の管理運営は、かの有名人さんが当たっているはずだ。 この有名人さん、西条市が鳴り物入りで進めるスポーツ事業や防災事業、サイクス関連等々の事業に顔出ししているが、そちらのほうが忙しいのか植栽管理までは手が回らないようだ。
ーーーーー 「防災士フォローアップ研修」のメイン講師は、元東京都副知事の青山やすし氏。この人の講演は「自治体議会政策学会」の研修で聞いたことがあるので、今回で2度目となる。 前回は、三宅島噴火による東京都の対策本部を指揮した話を中心にお聞きしたが、今回は「防災士研修」ということで、災害全般について「最新の災害情報と市民防災の課題」と題して80分間の講義だった。
午後は、出席者が3班に分かれての「災害救助技術を身につける(実技指導)」が3時間あった。
防災士は体力勝負。そこに知力を加えて、日頃よりの研修、訓練を怠り無く。そしてエンドレス。
2007年10月27日(土) |
雨が降ったので休養 とはいかない会長さん |
昨日は、嵐のような雨が降った。地球温暖化の影響で、このような集中豪雨的な雨の降り方をするのかと、ただただため息が出るばかりだ。 今日も午前中は雨。農作業にならないので休養といきたいところだが、貧乏性が災いしてか仕事は次々に出てくるばかり。 今日の夜開催される、太鼓台運営委員会に提示する、太鼓台運行実績表をまとめにかかる。毎年の運行実績データを見ていると、大谷太鼓台の運行ばかりではない、祭礼全体の課題というものも見えてくる。それを活かして改善にかかれるかどうかは、人それぞれの捉え方だが。
雨も上がった午後は、コンバインの掃除に費やす。
19時半から開催された太鼓台運営委員会は、祭礼全般を振り返っての反省点を出し合い、来年につなげるべき様々な点について意見を出し合えた。そのため終了したのは23時近くとなった。
今日で完了した事柄もあるが、結論が出なくて積み残した課題もある。それらは、これから様々な人の意見も聞きながら、処理していななければならない。大きな仕事をし終えたあとには、また新たな仕事が出てくる。
会長さんは多忙です。
2007年10月26日(金) |
総合文化会館 たかが自販機というなかれ |
26日から28日までの3日間、総合文化会館小ホールで「防災士養成講座」が開講している。 私は昨年受講して、3日間のハードさを体験したのだが、今年受講する方々はどんな感想を持つだろうか。 西条市の防災事業は、サイクスとの間で随意契約するという疑問のある部分があるが、この防災士養成については評価に値する。そこで少し気になって、夕方近く文化会館を覗いてみた。 係員と少し話してみたら、今年の受講生は140名とのことだった。
ーーーーー ややあってトイレに入ろうとして、清涼飲料水の自販機があるのを見つけて愕然とした。それも2台、「災害対応型」というイルミネーションが眩いばかりだ。
ほんとうに 愕然 とする。
西条市総合文化会館は、平成8年に開館以来、自販機は設置していない。 なぜかといって、この場所には必要無いからだ。それが、指定管理者になって、より良き文化の殿堂としての施設管理などかなぐり捨て、なんでもありの思考を市民に押し付けてきたようだ。
この文化会館は、建設当時から社会規範の先端思想を取り入れた設計となっている。それが分かっていない者が施設管理をやると、こういうことになる。
自販機などは、この社会の中では必要最小限であるべき機械だ。この自販機を動かす電気を作るために発電所ひとついる。ポイ捨ごみの多くはタバコと空き缶。それが日本では小学一年生でも自販機で簡単に手に入る。 文化会館の中での飲食は必要最小限であるべき。そこで、喉の渇きを癒すための装置として、水飲み場が各所に設置されている。 西条市で、まだ分煙思考など全然見向きもされない時、この文化会館では分煙施設となっていた。(ここを禁煙にするのには、一苦労したが。)
そんな文化思想が理解できないで、簡単に自販機を設置しようとする管理者に、文化会館を運営する資格があるといえるだろうか。
たかが自販機 ではない。文化意識の問題だ。
部落内の休耕田に植えられたコスモスが満開となっている。
8月のからから天気の時、共同水源の水当番をしている時期に、「コスモスに水をやりたいのでポンプを回しています。」との連絡をいただいたので、知ることは知っていた。 この頃、少し奥まった農地にコスモスが綺麗な花を咲かせているのを遠目に見ていたが、この月曜日に用事があり出かけた折見せてもらったら、これが見事な花盛りである。火曜日に催しがあると聞いて出かけたら、地域のお年寄りを中心に近所の人たちが集まり、秋の花見の賑わいとなった。
昨年まで稲が実っていた田圃だが、耕作者が高齢のため休耕となり、その跡地が草原になるのを防止するためもあってのコスモス栽培とのこと。 8月の暑い時期の種まきから除草の手間をかけただけに、草丈が揃って40a一面花の絨毯となっている。
花を見ている方々の顔が、自然に笑顔となっていくのは、華の精が人に乗り移るせいだろうか。
部落内では、条件の悪い農地が耕作放棄地状態となり、セイタカアワダチソウの黄色い花を咲かせだした。こちらの花は願い下げだが、高齢化が進んだ部落内の事情で如何ともし難い。 コスモスの種をもらって、来年は少しでも花の絨毯を広げられるよう、心は動くがどこまでやれるか保障の限りでない。 それはそれとしてまず今年は、コスモスを眺めて心を癒すばかり。
10時より総合文化会館で開催された「西条市合同慰霊祭」に出席。1時間ほどで終了。 あとの一日、秋晴れの良い天気だというのに、書斎にこもり資料整理に費やした。
資料の中に、自治体広報の特集記事がでていたのだが、住民との情報共有の重要アイテムとしての、広報の活用が全国的にはどのようであるかよく理解できる。
さて、そこで西条市の広報だが、出来具合について皆さんの評価はどうなのだろう。私の評価は「なんとかならないか」という程度のものだが。
広報の編集についてのひとつの情報
今治市での市制懇談会に出かけたおり、今治市の広報をもらってきた。 西条市のものと明確に違う点は ・横書き、右開き ・月2回の発行 したがって1回の広報のページ数は18枚程度。 ちなみに、西条市広報平成19年10月号は40ページとなっている。
今日のところは記事の内容についてまでは触れないでおこうか
2007年10月23日(火) |
県産裸麦 需要が急増 |
10月15日付け愛媛新聞に「県産裸麦 需要が急増」との表題の付いた特集記事が掲載されている。 祭礼の真っ只中にあっても、西条市の農業における基幹作物である裸麦のことなのだから、見逃すことはできない記事である。 内容は、これまでにも日記に記入したとおり、焼酎ブームや健康志向を追い風として、需要が急増していることと、その需要になかなか応えられない県内農業の現状が指摘されている。
これまでにも書いたとおり、今時物が売れない時代に、売れ口がある商品の生産増しを図らない手はないのだが、その具体策を強力に推し進めようとする状況が見えないと感じられてならない。
ーーーーー
今日14時から地区のJAで、平成19年度麦生産についての説明会が開催された。急な案内だったのだが、時間をやりくりして出席した。 話は裸麦の栽培における留意点の説明が主だったが、そのなかでも、除草剤の変更と雑草の繁茂状況についての話があった。
農業改良普及所からの職員も出席していたので、「地球温暖化の影響による植生の変化やそれに伴う農業技術への留意点についてどうみていますか」と質問してみた。 答えは私の感じていたとおり、温暖化の影響は、農業生産に対して確実に影響しているとのことだった。 高原の気候を利用して栽培していた久万町のリンゴが、出来にくくなっているとの話には驚かされた。
会の中で、玉津地区における裸麦栽培面積が、本年から新しく作付けを予定している人が一名出てきたことにより、昨年よりも若干増えていると報告された。 なんだか嬉しくなる。
朝一番にこなした仕事は昨日の日記記入。このところ農作業と祭礼関係の活動が重なり、日記の記入が滞りがちだが、一日経ってから昨日のことを振り返るのも、違った観点からの文章が導き出せてまた良いものだ。
机の上に溜まっている資料を整理していたら、提出期限が過ぎているものが出てきたりして、辛いものがある。それでも電話連絡や直接対応によって、この遅れの部分を取り返すべく事務処理等をこなしていく。
ひと段落したら、麦撒き準備の農作業に取り掛かり夕方まで。 遅くならない時間に町に出かけ、買い物や雑用を済ませ、19時よりは市役所別館4階会議室で開催された「都市計画{特別用地地域}の変更(素案)に係る説明・意見陳述会に出席。
パワーポイントによる8分間の説明によると 国によるコンパコトシティーの実現に向けた、中心市街地空洞化予防のための、準工業地域全域での大規模集客施設制限地区の指定、という目的を持った都市計画の変更ということ。
純粋な出席者は私も含めて3名の様子。 コンパクトシティーの実現を目指すという目的には賛成だが、様々な規制の網がかかる中で、この計画の変更でもって西条市の現状がどのように変化するのかどうなのか。あまり影響は無いような印象を持った。 19時30分には終了。
秋晴れの一日。部落内の休耕田に栽培しているコスモスが見ごろとなっている。しゅうめい菊が蕾を膨らまし始めている。 てっせんに花一輪、きんぐさりの花一輪は、いつまでも続いた暑さによる狂い咲きか。今年の金木犀は、咲くのが遅かった。
2007年10月21日(日) |
「祭礼」という非日常の世界の中で |
8時から「祭礼行事」の最終片付けに参加。 太鼓台と太鼓小屋の解体収納。集会所の片付けと太鼓小屋への備品収納作業は、午前中にはあらまし終了した。
13時より、同じ祭礼に奉納する飯岡本郷太鼓台の新調に伴うお別れ運行と、譲り受けた地区の受け入れ行事を、部落の青年部員と伴にお祝いかたがた見物に出かけた。
この行事を見ながら、大谷太鼓台が昭和56年に復興した当時の事をつい昨日のことのように思い出していた。 時代が巡り、地域の指導的立場にある人の後を付いて行くだけでよかった時から、自分が先導しなければならない年齢と立場になった。その時に至って、如何なる選択と行動をとればよいのか、祭礼という非日常の世界の中では特別にそのことが感じられる。
今年は特に、例年とは違う事をしたこともあり、成果が大きかった部分で負担も大きくなるという現実を体験した。 その負担をしんどいばかりの事と感じず、成果への道程にともなう汗をかく部分とすることが出来れば良い。 太鼓台が上がらなかった上がらなかったで、上がれば上がったで、今日も明日も明後日も、いや年がら年中、生きてこの地域で生活を営む限り、汗をかき続けなければならない。
19時から祭礼打ち上げ会。 帰宅は深夜。(22日記入)
2007年10月20日(土) |
東京農大教授講演会 日本女子ソフトボール |
10時から西条総合文化会館小ホールで開催された「東京農大教授 進士五十八氏」によるまちづくり講演会を聴講する。演題は「地域らしさのあるまちづくり」12時11分まで。
氏は内子町で開催されたシンポジュームに出席したことに合わせて西条市を訪れ、急遽の講演会が決定したようだ。 ネット上に
「第19回全国農村アメニテイ・シンポジウムが午後から内子座で開会されました。 『農村の風景づくり−地域の元気は、都市との連携共生対流から』と題して東京農業大学教授の進士 五十八先生の少々内子をアピールして頂きながらの解りやすいお話の後、新潟・滋賀(地域づくり先進地)・高知・内子(新規就農者)の四名をパネリストにパネルデイスカッションがおこなわれました。」
との文章がある。
講演は、内子での講演に使ったパワーポイントによる資料に、若干の修正を加えたような内容ではないのかと感じた。 聴講者は約70名。顔見知りの市役所幹部が大方を占めている。
私が氏の講演を聞くのは2回目となる。東京で開催された自治政策講座の講師としての話だったが、その模様は03年7月28日付けの日記にアップしている。
はっきり言えば議員を対象としたその時の話のほうが、今回の内容よりも格段に内容の濃いものだった。 が、「農」を基調とした地域再生の話は、それなりの得るところがあった。
「氏の話を聞いて西条市が何をするのか」そこのところが分からない。「食の取り組み」についての参考とするつもりであるのなら、氏の専門分野とは違うと思うが。 講演を聴いている時に用意していた私の質問は「全国500いくつの自治体が制定している景観条例について、どのように修正したら良いと思われますか」というもの。だが、講演が長引き、質問の時間が無かったことが残念。
ーーーーー 西条ひうち球場で開催されている「日本女子ソフトボール」 ルネサス高崎 対 ホンダ を少し観戦する。日本のトップチームの公式戦を見るのは初めてのこと。そのパワー溢れる俊敏さには、目を見張るものがある。 ーーーーー オレンジハイツ西の丘陵地の工事現場に出向く。東部上水道低区配水池工事と表示されている。
2007年10月19日(金) |
祭礼モードから、少し日常モードへ |
母にせかされ朝一番に、新米を遠くに住む姉の家に送る荷造り作業があった。 あとは、昨日に続いての祭礼の片付け作業。様々な支払い事やお礼での行動。ハッピのクリーニング出しから、事務用品の準備まで、祭礼が終わったら終わったで、何時も通りの作業が目白押し。
その合間にも、農業関係の仕事や自治会の仕事も入り、祭礼モードから、少し日常モードへの切り替えが進んでいく。
JR西条駅前広場の工事は本格化しだした。 飯岡地区に出店するコメリパワー西条店は、予定地にテントが建ち紅白幕が張られるている。地鎮祭だろうか。 オレンジハイツ西側の丘陵地の天辺でブルが工事をしている。東部上水道の配水池なのかどうか、確認しておかなければならない。
愛媛第3選挙区で活動している民主党の白石洋一さんが、グランフジ近くの交差点地で事務所を開設している。15日に街頭演説をしているのをしばらく聞かせてもらった。9、11から人生が変わったことが、氏のHPで詳しく語られている。
郵便局の民営化に伴う様々な変化を、目の当たりにすることが多くなりつつある。今頃になって、各国での郵便事業民営化にともなう失敗事例が語られる。つい2年前の改革協奏曲が今では色あせ、その弊害部分に社会が蝕まれているところなのだろうか。
9時より始まった祭礼の片付け作業は、昨日の余韻に浸りながらの楽しい時間である。 太鼓台がよく上がり、けが人も出さず、トラブル無く奉納を終えることが出来たことが、みんなの共通認識としてある。それによって、様々な苦労を伴う準備作業が、よりよき思い出に昇華されるひと時である。
様々な使用備品を点検し掃除し、員数チェックをしながら、来年度に向けた作業計画が立てられていく。この作業をしておくことにより、来年度の準備作業がスムーズに動くことになり、資金計画も立てやすくなる。 旧西条では祭礼が終わったその日から始まる暦があるが、この暦に合わせるように、次の祭礼に向けた準備が始まるのだ。
祭りを繰り返す毎に、社会の移り変わりを如実に感じる。食品の値段がどう変化しているのか。担き夫の参加状況によって、職場や仕事の関係での変化がどうであるのか。人心の変化、経済状況の変化、そして部落内の様々な変化を。
それに伴って、この地域での様々な活動をどう修正し、強化策を講じ、更なる発展への道筋をどう付けていくのか。自分ひとりでは出来ないことでも、みんなの知恵と力を持ち寄れば大きな力となる。 そう、あの重たい太鼓台を差し上げることが出来るように。 (19日記入)
2007年10月17日(水) |
平成19年度 祭礼 無事に太鼓台の奉納を終える |
1時起床。普段なら就眠の時間から、祭礼に伴う行動が始まった。 1時半には集会所へ出向き鍵を開け、太鼓台の出発準備。 2時には太鼓台を留め置いている所藪部落での出発式に臨む。準備を整え定刻の2時半には集会所前にて出発式。 挨拶では、「新調なった太鼓に合わせ参加する者の心を共鳴させ、姿形が良くなった太鼓台に同調するような所作の綺麗さを心がけてください。」という趣旨の話をさせてもらった。
昨年は、朝一番の担きくらべ会場での参加人員が少なく苦労をしたのだが、今年は他地区の太鼓台と十分にお付き合いができる人数が揃い、「今年は太鼓台が上がる」との思いを強くした。
神輿に伴って、一日各地区を巡行。夕方には神社前での担き上げ。それまで10台の太鼓台が揃って差し上げることが出来ていなかったのだが、17時からの一斉担き上げでは、見事に揃い、観衆の拍手喝采を浴びた。 2度目の一斉担き上げでは揃うことが出来なかったのは心残りだが、力を出し尽くした爽快感は、参加者だれもが共有する祭りの醍醐味。
19時25分、集会所へ無事の帰還。 飾り幕を外し、重を下ろし、太鼓を抜いてあとの骨組みを太鼓小屋へ収納。あらかたの片付けを済ませたのち、残った面々での打ち上げ。 全ての人が帰ったのち、最後の片付けを済まして22時に帰宅。
責任者は、人より一番先に来て、一番あとに帰ることを旨とすべし。 (19日記入)
2007年10月16日(火) |
平成19年度祭礼 太鼓台運行 |
6時起床。様々な準備作業ですに寝不足だが、パッチリと目が覚めるのは一年一度の祭礼だから。 居住まいを正して、自分なりの安全祈願をしてのち食事。7時には集会所に出かけた。 天候はうす曇。絶好の祭礼日和となった。
準備は昨夜のうちにあらかた出来上がっていたので、8時3分より出発の挨拶が始まり13分には太鼓台の運行が始まった。 そこからは例年通り、太鼓台の運行に伴う伴走車から、様々なフォローに当たる。例年と違うのは、新調なった長胴太鼓の音色と、遠めにも姿形が良くなった大谷太鼓台の姿を堪能することだ。
今年26回目の太鼓台運行となるが、普段の年とは違う想いをもっての伴走車の運転である。
午前中は部落内を運行、昼過ぎからは他部落の運行、15時半からフジ玉津店で、太鼓台4台による担きくらべに参加、18時には神社前にて宵祭り。 予定の21時を30分超過しての太鼓台運行となったが、事故無く終えることが出来たことはなにより。 (19日記入)
祭礼時、神輿が地域内を巡行してきたときお神楽をあげる「お神楽場」の設営を、8時半から行う。
ひと段落したら、今度は昨日使った資料の片付けやこの三日間で滞っている資料の整理。次は家内の祭礼準備に取り掛かる。 玄関周りの掃除が済めば、ご神灯と定式幕を玄関先につるし、庭先の草刈作業と庭木の剪定。 買い物に出た足で、加茂川武丈公園対岸に設営された「観光ブランド化事業による桟敷席」を視察する。 なかなか考えた場所に設営したものだとは思うが、ここまで観光バスを進入させ、また祭礼終了後宿泊先まで移動させることでの混雑をどうクリアするかが課題だろうと感じた。
例年なら15日は部落の太鼓台が夜間運行するのだが、今年は昨日の行事があったので今日はお休み。夜の空いた時間に、新居浜市地域での太鼓台イベントの見学に出かけた。 同じ祭礼に奉納する太鼓台でも、自治体を超えてある地域のイベントには特徴がある。それを把握しておくことも何かの役に立つと思っての行動だが、それなりに得るものがあった。
明日からの二日間は、祭礼三昧。祭礼に参加する方々こぞっての無事な帰還を願って、最善を尽くすのみ。
2007年10月14日(日) |
太鼓台 長胴太鼓ならびに 重新調お披露目式 |
7時より、今日12時から予定の「太鼓台 長胴太鼓ならびに 重新調お披露目式」の準備作業。 太鼓台のほうは、青年部が早くから準備をしてくれているので、私は式典準備のほうに専念できる。
準備万端整ったところで、太鼓台復興記念碑への餅のお供えと、復興に多大な貢献のあった方の墓参りを行った。
予定の8時少し過ぎに、太鼓台は地域内へのお披露目運行に出発。 お披露目式会場準備。
12時から予定通り開始された式典には、お祝いに駆けつけてくれた近郊の自治会関係者、青年部や地域住民300名ほどで盛会となった。 記念の餅撒きがひと段落してのち、太鼓台のかき上げ。3度の差し上げがなり、これでこれまでの苦労が報われた。
片付け作業の終了後、ほか弁でのささやかな打ち上げ。16時帰宅。 22時には就眠(15日記入)
昨日は餅つき作業で一日がアットいう間に過ぎていった。 今日は朝から祭礼準備のための、家の片付け作業と明日予定のお披露目式の準備作業。
農作業に使った機械器具を入念に掃除して収納。と書けば一行のことでも、1年間食べる米の収納から始まり、小米の重量チェック、籾袋の掃除収納、籾摺り機とグレーダーの掃除収納と、米生産に使う機械器具は多岐にわたる。 今日一日の作業でも、乾燥機とコンバインの掃除が残ってしまった。
こちらの作業がひと段落したら、明日予定の太鼓台長胴太鼓お披露目式の準備に取り掛かる。式次第と付帯文章の作成、CATVへの催し案内のFAX入れ。 会場設営は、テント、机、椅子の会場への運搬と拡声器の準備。
夜20時も過ぎてから、昼間の仕事を終えた青年部の面々が、太鼓台の飾り幕取り付け作業にかかりだした。その作業がひと段落したら、明日の仕事の段取りのミーテング。
明日は7時集合予定。日記も付けず就眠(15日記入)
2007年10月12日(金) |
長胴太鼓のお披露目式の準備 大車輪の活躍か |
眠気眼がまだ抜けきらない8時、携帯電話のベルが鳴る。きたあーーー、と思ったら予想通り婦人部の責任者からの呼び出しである。 会長さんなんしょんぞね。早くガスコンロ用意してくれないと餅が蒸せんがね。手伝いの人大勢来てくれているのに。
それからが 一日 目の回る大車輪の活躍(?)が始まった。
ガス屋さんに電話を入れると、祭りの炊き出しに使う予定でガスコンロは予約で一杯だとの返事。夕方には返すからと何とか頼み込んで、一台借りられることになり、軽トラで走る。借りて帰って集会所に据付、今度は薪での蒸し器のセット。 手伝いの手が回りだしたら、今度は餅を入れるポリ袋とシールテープ、餅取り粉の買い増し。集会所に帰って蒸し器の火の番もそこそこに、今度は手伝いの人の昼食弁当の手配。 昼で帰る人に代わって餅切り機の操作を三臼分やったら、すでに2俵半のもち米が4000個あまりの紅白餅になった。
昼食で一息入れ、今度は警察に祭礼に伴う通行許可書をもらいに行く。JAでひとつ別の用事を済ませて集会所に帰ったら、袋詰め作業は既に終盤。今度は、それを入れるダンボール箱の手配である。
14日の日曜日12時から地区のグランドで、長胴太鼓のお披露目式を行う。
そのお祝いとして 餅撒き をすることなり、持ち寄りで餅米1俵手配していたら、昨日には計2俵半ものもち米が集会所にあるではないか。 誰が持って来てくれたのか分からないままに、急遽の、お手伝いと道具の手配は婦人部がちゃんちゃんとやってくれている。だが、予定の倍以上の量の餅つき作業は、傍から見ていて戦争状態。男はこんなときは、はいはいと婦人部の言うなりに動いているばかりだ。
2000袋の餅を仕上げ、道具も綺麗に洗い、提供してくれた人や手伝いの人へのお礼もちゃんちゃんと手配し、会長さんこの道具家まで運んで と最後の仕事を言い付け夕餉の支度に引き上げていく。日本の女性は強いのだ。
ガスコンロを返し、集会所の掃除を済ませたら、ようやく我に返ってお茶を一杯。
2007年10月11日(木) |
稲刈り終了 祭礼行事に突入 |
午前中霧雨模様。祭礼関係の仕事をこなしているうちに直ぐに昼となり、最終の稲刈りに取り掛かり、夕方までには全て終了。あとは細々とした片付けがあるが、合間に取り掛かるとして祭礼関係の買出し等の仕事に取り掛かる。
担き夫保険への加入や、打ち合わせ等、こちらのほうも最終の仕上げ段階になってきた。 週間天気予報では17日まで晴れ時々雲り。大きな崩れがないように祈るばかり。
2007年10月10日(水) |
旧体育の日 晴れの特異日だが |
10月10日は旧体育の日。東京オリンピックを記念して出来た国民の祝日も、いつの間にか変えられてしまいました。 気象の統計上から晴れの特異日として割り出し、オリンピックの開会式の日程を決めた。などという記憶も、もう過去の遺物なのだろう。だが、一度刷り込まれた意識は、今後も今日という日を迎える度によみがえることだろう。
一日曇り空だが、雨は降らない。けれど、昨夜来の雨で田んぼは水浸し。こんな状態に、最後の稲刈りは順延。
納屋の片付け、祭礼関係の準備作業、自治会関係の仕事に費やした一日。
河川清掃の報告書に付帯する写真をプリントしに出かけた道筋。神社の前の河川内を整備している様子を見る。以前は、ブルで整地したのみであったものが、今日はローラー掛けをして綺麗に均している。足元に川原の石がごろごろある中で太鼓台を担ぐことが当たり前であった頃から、随分と変わったものだが、これも時代の流れ。 この作業。地元近くの建設業者さんの奉仕作業として行われる。
この付近の河川敷きは、祭礼当日駐車場となるため、7日の河川清掃で綺麗に草が刈られている。祭礼がなければ、こんな奉仕作業に出る人もいなく、荒れ放題だろうねと妻と話す。
神社前の河川堤防には、見物人用場所取りの青シートがずらり敷かれた。今年はいつから敷かれるかと観察していたら3日から始まり 一気 の出来事。年々早まるこの光景。これも10月の風物詩。
西条食の取り組みに関連して、農業高校における研究発表全国大会のことを書こうと思ったが、資料を引っ張り出しただけでやめた。
2007年10月09日(火) |
雨模様の一日を幸いに 事務処理多数 |
2日から始まった今年の稲刈り作業。今日は一日雨模様を幸いに、たまっている各種事務を処理していく。 骨休めを兼ねた書斎での作業だが、ここでの作業がないと農作業も対外活動もできないのだから疎かにできない。
まず、10日が提出期限の「平成19年播 麦資材注文書」の記入。JAから配布されてきた資料を参考に、今年の麦作付けと稲作付けを見越した計画を立て、それに伴った資材の注文数を決定していく。 JAから配布されてきた資料の中で注目するのは、第一に価格表、第二に薬剤の種類の変更状況。肥料については、このところ栽培体系が確立されているので昨年通りとなる。
価格表が着いてくるのは、資材費を抑えて農家の手取り額を高めるためへの配慮。肥料は以前は国内生産のメーカー品だったが、最近は元肥も穂肥も「アラジン403」という種類に統一されている。これは原産国 ヨルダン の輸入品。この種類に変わって導入されたとき、オヤと思って注目していたら、だま(粒状肥料が固まる状態)になっていることがあり、機械散布作業に支障が出ていた。だが最近では品質も改良され、稲作栽培体系についてもこの肥料を 兼用 されており、低価格と品質の両立もなされたと感じる。
麦薬剤は、除草剤の種類に注目。この面での開発が進んだことによって、麦栽培は収量増しを含めて向上したと私は見ている。だが、草の種類と生える時期に合わせた除草剤の選択と組み合わせおよび散布回数の増加。それに伴う資材費の増加を加味した中から、作業体系を自分なりに組み立てなければならない。
薬剤は、単位によっても価格差が出る。1L入りの価格単価よりも5L入りの価格単価のほうが安いので、使う全量と価格総額を計算してから注文していく。この机上の作業だけでも5万円くらいの差が出てくる。
一農家の、日常的なこんな 努力 に対して、西条市が市民の税金を使って行う 食 に関する取り組みはどうなのか。 そこに、私の言う 的外れ こじつけ との批判感覚が出てくるのだ。
肥料に関しての資材費を抑える方法としては、トラックによる直接大量搬入による流通経費の抑制という方法もある。
ーーーーー 7日に行った河川清掃の参加者名簿の集計。 この地域の河川清掃は、校区連合自治会を窓口に環境部が対応し、その申し合わせによって補助金支給の事務処理も行われる。 今年、大谷連合自治会からの参加は昨年よりも多い104名で、草狩り機台数39台、軽トラ7台。
ーーーーー 自治会内に配布する祭礼関係の運行計画書の作成。 7日の河川清掃の結果によって、14日の運行計画が決まる状態だったので、例年よりも若干遅れ気味の作成と配布となる。 資料が出来上がれば、この遅れを取り戻すための行動が必須。
ーーーーー 昼間からの雨脚が夜には強くなる。「晴耕雨読」の隠遁生活には程遠い、生活パターンのなか、降ったら降ったで パップダパッポ。(ああ忙しい)
2007年10月08日(月) |
鼠被害で思わぬ時間の消費 |
6日に残ってしまった籾摺り作業を始める前に、籾摺り機の不調の原因究明作業。 各部を点検していたら、籾が循環するパイプの中から布切れが出てきた。ここに籾が引っかかって循環が悪くなり効率が落ちていたようだ。この布切れはおそらくは鼠の仕業だろう。 農業をやっていればこんなこともある。 今日の作業は、6日の時よりも半分くらいの時間で終了した。
鼠の被害で思い出す話がある。
イチゴ栽培農家の方が話していたこと。イチゴの出荷は共同選かによって行われているので、品質に異常が出ると共同責任となる。 市場に出荷したイチゴの箱から殺鼠剤が出てきて、市場までその方がお断りい行ったことがあるという。この原因は、イチゴの箱をたくさん組み立てて置いておくと、ネヅミが来て糞をすることがあるのだそうだ。そこで殺鼠剤を置いていたものが、市場出荷の時そのまま出てしまったらしい。
イチゴ出荷の最盛期には寝る間も惜しんでの作業となる場合がある。その時期を外してたくさんの箱を準備しておくことがあるが、そのことによっての弊害が出てきた事例。 一度でもこのようなことがあると、市場での信用を無くして競りの価格が低く抑えられることになる。
「食」を生産する現場では、日常的にこんな苦労をクリアしながら行われている。
2007年10月07日(日) |
河川清掃 稲刈り 太鼓台組み立て |
8時から地域の河川清掃作業実施。14日には長胴太鼓新調お披露目式が予定されているので、そのための太鼓台進入路確保を兼ね何時もの年とは違う場所まで河川の草刈作業を実施する。 そのため予定の時間をオーバーしたのだが、皆さん協力してくれ何とか出来上がった。折から気温も上昇したなか長時間の作業への参加はありがたいかぎり。
12時より祭礼に伴う担き夫打ち合わせ会。青年部中心に8時より実施していた太鼓台組み立て作業の手を休め、婦人部が用意してくれた昼食を囲みながらの会議。
13時半にはコンバイン上の人となる。来週は天気が悪そうなので、急ぎの取り入れ作業は真っ暗になった18時半まで。 残りは10aほどまでにこぎ着けた。
ーーーーー 7日に愛媛新聞に掲載されていた「大学と連携した地域づくり」事業について気になる点がある。
「冷水でイチゴ早期栽培」との記事だが、農業というものが全然分かっていないんじゃないかと思うばかりだ。 農産物の栽培における温度管理技術を開発などと、既に確立されているものを今頃何言ってんだろう。 「こじつけ」が目立つと感じる西条市における食の取り組みについては、徹底的に解説しなければならない。
2007年10月06日(土) |
農作業と自治会役員会 |
祭礼には新米を食べようと、今日はもみすり作業をする。 だが、機械を運転し出した途端に籾が詰まってしまった。 その後も調子が上がらないまま、変なところから米がもれ出したりして苦労を強いられる。
妻によると、「私が嫁に来る以前からこの機械を使っているんじゃないの。買った記憶が無いもの。」と言う。 ならば、もう20年も使っているということだ。寿命がくるのも仕方が無いかと思いつつ、作業を進めていく。
この作業は途中でけりを付け、飯米用の稲刈り。 刈り取ったもみを乾燥機に投入し通風スイッチを入れて即入浴、牛乳一杯を腹に流し込んで19時半から予定の自治会役員会へ。
議題は祭礼関係のことと明日予定の河川清掃の打ち合わせ。今後の予定について。
21時半帰宅。乾燥機のバーナーに点火、食事。 HPも開かず就眠(8日記入)
2007年10月05日(金) |
外国人研修生特区について No、2 |
外国人研修生特区についての報道が気になり過去のデータを調べてみた。
小泉改革が華やかなりし03年10月。合併前の東予11市町村が「外国人研修生特区」を申請、03年12月には認定されたとの報道がある。 以来、巷の話題になることも無く、次に報道をにぎわしたのは06年3月に地元紙に特集された「3年間の隣人」No8(06年3月20日付け)に、「規制緩和に弊害あり」として全国展開が先送りされたとの記事だ。
この記事を受け、早速06年3月20付け一色達夫HP日記に、「研修生特区の評価について」として取り上げている。
この件についての報道を受け 06年3月22日の議会全員協議会において、担当部長より「愛媛県東予地域外国人研修生受け入れ特区の現状について」報告があった。
そのおりの事件表に書かれた メモ には、
全国モデル 2月15日推進本部による審査 H18年下半期に再度評価 60社対象 69社 計3度の計画変更により38社(西条市内14社) 特区計画について努力する 問題点が指摘されたのは西条市内業者なのか 新聞報道によってその内容を知った 西条市内5社に不適正事例 残業させた パスポートのコピーを持たせていた 第一次受け入れ組織 組合 企業に対して話
とある
ーーーーー あれから1年と半年が経過し、久しぶりにこの話題が報道によってもたらされた。
06年3月20日付け新聞記事には
事務局の西条市企画課は「自治体に法的権限がなく限界もあるが、失踪対策や制度の勉強会を開くなど、関係機関と連帯し適正化に努力する」と特区を継続する考え。
と書かれている。
全国に数ある 特区 のなかで、旨く地域活性化に結びつけた事例があるのだろうが、小泉劇場政治の終焉とともにとんと聞かれなくなった。 地域アイデアを経済活動にシフトすることに見出した西条市。この善後策をどう考えるのか。
2007年10月04日(木) |
稲刈り 三日目 ・外国人研修生特区の報道 |
この地域の水稲主要品種である ヒノヒカリ は、作りやすくしかも食味も良いので作付面積が一番多い。収穫期にはJAのカントリーエレベーターに入庫が集中するので、対象地域を東西に分け、一日おきに集荷することになっている。 今日は、東地区は出荷ができないので、自家消費用の刈り取り作業である。
途中、パラリと雨が落ちてきたがそれでも一日持ち、おかげで予定していた作業は無事終了した。
ーーーーー 一日の作業が終了し、家に上がって聞いたニュースで「外国人研修生特区」のことが報道されていた。 西条市が事務局となり 今治、新居浜両市とともに内閣府の認定を受けていた特区。通常3人までの外国人研修生を倍の6人まで受け入れるという特区なのだが、これがトラブル続きのようだ。受け入れ69社のうち、トラブルがあって31社を外したとのこと。 同じような特区である北海道では、トラブル無くいっているのに、この地域は異常に多い。どんな事情があるのか調査する と報道されている。
地元産業界からの要請を受ける形で始まったこの特区。当初の鳴り物入りが、鳴りを潜めて行政内からの発信は ?。
通常3年の研修期間を(どなたか威勢よく)「5年に延ばせばどうか」などと言っていたような記憶があるのだが、さてどなただったか。
2007年10月03日(水) |
・稲刈り ・ピアノコンサート |
日中は稲刈り。猪被害が出ている圃場の刈り取り作業は長時間を要し、しかも収量は大幅減。 コンバインの刃が痛む恐れがあるのだが、稲わらをカッターに通しておかなおと麦撒き作業に支障がでるので、時間がかかってもコンバインを通しておく。 さて今日の作業も終了というときに、トラブル発生。これで今日の夜の予定が大幅に狂ってしまった。
汗を流し、食事は牛乳一杯をお腹に流し込んだだけで文化会館に向かう。 久しぶりのピアノコンサートは大幅な遅刻である。 19時15分に着いた時には、後半の始まる直前。ばたばたとした中でのクラッシク音楽鑑賞は、それでも来て良かったと感じるに十分過ぎるものだった。 ピアニストは中華人民共和国北京出身の譚小裳(タン・シャオタン)氏。 中国人のクラッシク演奏家の音を聞くのは初めての経験だが、一音聞いただけで、私の精神は鑑賞モードに切り替わった。 そして、最初に頭に浮かんだのは「そうか中国と欧州は陸続きなんだ」という、なんとも至極当然の事柄。
譚氏の個性がそうなのか、それとも中国人民の共通する文化性なのかは知る由もないが、これまで感じたことがない思考回路が働いたことが不思議だった。
一曲目のシューベルト即興曲オーパ90ナンバー2 は、ピアノから音楽が 流れ出てくる 。これまで ピアノから音楽が あふれ出てくる という感覚を持ったことはあるが、スタインウエイから「ゆったりと あくまでも さらりと流れ出てくる。」
うーん。世界は広い。音楽は永久なる探求の対象か。
やらねばならない仕事がこのところ詰まっているので、ちょっと早めの収穫作業に取り掛かる。 折からの曇り空でしかも無風という天候のため、朝露が10過ぎても取れない。そんな湿った状態のなかに、かまわずコンバインを動かしていく。 トラブルも無く一日の収穫作業は終えたが、乾燥機に投入した籾の乾燥は長時間を要しそうだ。
自宅の裏の水田を自家消費用に刈り取った作業のため、一日出かけず仕舞いとなったが、空き時間と夜半になってから、自治会関係の仕事は予定をこなすことができた。
乾燥機は、もう17年も使っているため、何時トラブルかも分からない。新品の時にはスイッチを押すだけで自動点火していたものが、燃料をバーナーに直接たらし、ライターで点火しなければならない状態だ。 巻き上げ用バケットは磨耗しているし、Vベルトやローラーからは異音が聞こえる。
運転中にトラブッタら、それこそ火災になって一年間の食料が パー になりかねない。今日は徹夜の監視となるか。 日本の農家は機械で貧乏をする。我が家はその典型。
2007年10月01日(月) |
農業政策の難しさ「遺伝子組み換え品種」 |
西条を一日留守にするだけで、後の始末に日程が詰まってしまう状態となる。 やる仕事があることは有り難いことだが、こんな時は一つ一つの仕事の正確性が落ちないように注意しなければならない。
そんなことを思いながら、昨日の雨により米の収穫作業が出来ないことを幸いに、事務処理作業に精を出す。普段ならこちらから出かけて行って用件を済ませるところを、電話での依頼が多くなる。 それはそれで時間を有効に使う手段であると納得しながらも、難しいところだと一人電話口でお願いの頭を下げるばかり。
「難しい」といえば、土日の日記の表題に「難しい」が続いた。 そこで、難しいついでに今日の表題も「難しい」を付けてみた。
ーーーーー 昨日、大阪から帰って食事もそこそこに出席した農業関係の会で感じたことと同時に、農業新聞に掲載されていた「遺伝子組み換え品種」の記事から受けた印象から、農業政策の難しさを感じたからだ。
西条市における食の取り組みへの疑問について触れた時に、遺伝子組み換え品種のことを書いたように記憶しているが、今回の記事は、そのことをあらためて思い起こさせる。
農業委員を務めていた時の研修で、タキイ種苗の研究所に行ったおり、合衆国の種子企業モンサントによる農業支配のことを聞いた。
遺伝子組み換え品種の特許によって、世界の穀物市場を支配する戦略を展開する巨大企業。その日本進出に如何に対応するか。その成否が日本農業の将来と通じるものがある。
今のところ遺伝子組み換え品種にたいする拒否反応を示す日本市場によって、その進出を食い止めている状態だが、日本の食糧自給率が上がらない現状において、何時までもこのままで推移するとは思えない。 記事は、その点には触れてはいないが、百姓の現状を 現場 から実感する限りにおいて、「遺伝子組み換え品種の解禁」を考えなければならないと考える。 地球温暖化の影響は、雑草繁茂速度の加速をももたらすように感じる。そうなれば、大豆などの夏穀物の生産に影響がでるのではないか。
農業における生産活動とは、雑草との戦いの日々なのだ。
遺伝子組み換え品種は、除草剤とセットされることによって、その生産量を飛躍的に増大させる。だが、その種子は一代交配によって作られるので毎年更新せねばならない。モンサントは種子と除草剤をセットで売るため、世界の穀物市場を支配する。
農業の将来は、既に巨大企業の掌中に握られ、それ抜きには語れなくなっている。実験室と瀟洒なオフィスの中で農業の根本が形成される状態がある中で、その対策について大方の日本人は、安眠を貪る状態が続いているのだろう。
何年たってもものにならない冷凍機を後生大事に、食に関する調査研究などと打ち出すどこかの市の状態。これがその典型かと情けない感情を抑えながら、目前の仕事をこなすばかりの一色達夫。
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