三日連続での裸麦の取り入れ作業。 今年も様々トラブル続きの中だったがようやく終了。続いて、コンバインの掃除、来年用の種子の天日乾燥、夕刻には調整袋詰めと作業を続けて、麦の作業にはけりを付けた。
そんな中、昼食時には郵送されてきた6月議会の議案資料にざっと目を通し、本職の仕事の方も一応の目配り。 議案第79号として「西条市公の施設に係る指定管理者の指定手続き等に関する条例」が提案されていることも確認。一般会計補正予算には「新図書館整備事業」として33657千円が計上されている。
夜。節々が痛む体をいたわりながら、議案書に目を通す。
明日はもう6月。明日からは、田植えの準備をしながら、改選後初の議会に臨むための準備を並行。 一年で一番忙しい(充実の)時。さあ雨が待ち遠しい。
今日中に裸麦の収穫作業を終わらせようと、勇んで作業に出かけたのだが、のっけから挫折。コンバインのエンジンがかからないではないか。キャタピラを修理したばかりだというのに、スクラップかと情けなくなりつつ農機具やさんを呼んだ。 流石餅は餅屋。原因は燃料系統の詰まりによるものだった。
このトラブルによる遅れがひびいて、夕方6時までコンバイン大車輪だったのだがあと10aほどが残ってしまった。
今日は暑くて体力消耗。
夕食をおえて 「自治体の組織・人事の明日を読む」「指定管理者制度とアウトソーシング」という表題の付いた資料を出してみたのだが、細かな字がかすんで見える。
すいません。今日は勉強しないで 二日分の日記を付けて寝ます。
2005年05月29日(日) |
東奔西走 バタンキュウ |
東予有料道路を使って今治市の境にある「道前育成園」のふれあい即売会に出かける。 9時半からの開始となっていたので有料道路を使っての行程を採ったのだが、それでも我が家からの所要時間は35分。 この施設を訪れたのは、平成10年頃以来の事だと記憶にある。以前は「道前福祉衛生事務組合」が運営していたのだが、合併によって事務組合が解消され、西条市立の施設となり、西条市議会として直接的に所管事項となった。そのための視察を兼ねての行程ではある。
開始当初は駐車場が一杯となるような人出。施設入所者による手作り品や、地域のサークルや学校の出店による掘り出し物を目当ての人々が、折からの好天のもと思い思いの買い物を楽しんでいる様子だった。 一つ気になったのが、施設敷地内での喫煙者がまだいること。雑踏の中で平気で喫煙する人には閉口するとともに、出店者とおぼしき人が灰皿を囲み集団で喫煙している姿は時代錯誤の感あり。 県施設内では禁煙が実施され、何万人という人出のあるかの産業祭でも禁煙だというのに。この方面での西条市の無頓着は嘆かわしい限り。
前回来訪したこの施設での即売会では縁台を買うのが目的の一つだったのだが、今回は(電話で)妻に聞いて格安らしいキャベツをニつ200円。
人の集まる所には出かけておくことだ。愛媛新聞で特集していた永納山遺跡に関する情報が入手できた。拾い物です。
西条市の東の外れにある自宅から、西条市の西の外れまで来ているあいだに農機具やさんがコンバインの修理OK (とキボード叩いていたら、居間から妻の悲鳴が聞こえてきた。なにかと思い行ってみるとムカデが出たと大騒ぎしている。鋏でちょん切ってゴミ箱ポイ。男を上げた一色達夫。) 東予有料道路をとって返して11時過ぎから裸麦の収穫作業。薄暗くなるまで農作業に専念。
入浴後牛乳一杯お腹に入れただけで、また東予有料道路を使って丹原であった会議に出席。大幅な遅刻とはなったが、是非に出席して話しておくべきことがあったので。 会には23時近くまで居て辞する。今度は国道11号を通っての帰宅。深夜で通行量が少なくなれば丹原ならばこちらの方が早いようだ。しかも無料。
帰宅後カレーライス2ハイ食べてバタンキュウ。 日記は30日に記入。
2005年05月28日(土) |
アウトソーシング PFI 指定管理者制度No4 |
PFIは、公共施設の建設管理に民間活力(資金とノウハウ)を導入するため、議員立法によって日本に導入された。 もう数年前になるが、M県のK市での図書館建設についてPFI方式で行うというプロジェクトについての視察研修をさせてもらった。
その頃はPFIはまだ馴染みが薄く、先行事例が少ないところへの導入ということで、担当職員が様々な思考を繰り返している様子が見えた。 この仕事のそもそもは、市長のお声掛かりでの導入ということだったが、契約条項の作成に専門の弁護士が必要のようで、如何に上司の命令とはいえその苦労が 気の毒 になった事を記憶している。
それに管理運営も契約によるとのことだったが、図書館という公共施設でのボランティア活動などをどんなに導入併用するつもりなのか、民間活力導入という錦の御旗のもとで様々な問題点が散見され、こんなことなら公共が直営で建設運営することのメリットのほうが大きいように正直感じたものだった。 M県K市の図書館がその後どんな運営がなされているのか、気になってネット検索しても分からなかった。
PFI方式の公共施設建設で、もう一つの懸念を持った 事件 としては、国だったかの施設建設に関する鹿島建設と森ビルの法定係争。 建設コストみのでの入札では鹿島に軍配が上がるものの、その後のランニングコストを含めた仕様では森ビルの方に歩があることが係争の主旨だと記憶している。
このような事例から私が感じている事は、(今までさんざん言ってきたことだが)公共という価値をどのように評価するのかによって、お金の額では図れない物差しが必要であるということだ。 そのことが「自治体職員の削減が単純に財政危機回避のため」だけから出た発想に対する、私の「地域自治崩壊の危険性」というレポートとして出てくる。
昨日までのレポートは、新聞の職員削減キャンペーン記事を見ながら思いつくままに書いていたのだが、この問題は今後の地域自治体の取り組むべき大きな課題として存在するようで、今日目を通した地方自治に関する手持ち資料のなかに研究者のレポートが多数見つかった。 数点拾い読みして見る中で、私の描いていた懸念通りの内容があり、状況をそれなりに分析していけば行き着くところは同じなのかとミョウに納得。
これから西条市でも導入が見込まれる「指定管理者制度」(3月議会での市長施政方針に出ている)についても、そのチェックリストが今日だけでも多数出てきた。
そのひとつ 「2003年の地方自治法改正で設けられた指定管理者制度は、自治体行政のアウトソーシング手法のひとつである。しかし、率直にいえばあまり性質(たち)のよいものとは思えない」(福島大学行政社会学部教授 今井照) との文章が、私の心に棘刺した。
昨日は一日自治会の組み内の方の葬儀の手伝い。
今日は朝から裸麦の収穫作業。一日で38aの収穫との予定を立て、昼食もコンバインを運転しながら取る大車輪の活躍。 この分なら予定通り終了となるだろう と思い出した夕刻16時過ぎ、刈り取り部のガイドが破損。その部品を外した状態でもいけそうだと一列運転したら、今度はキャタピラゴムローラーが切れて運転不能になってしまった。 昨年の台風災害後の稲刈りで方々傷んだ後遺症がでているのか。いたるところガタガタ状態。 1990年に153万円で購入した15馬力のコンバインなのだが、もう寿命が来ているようだ。かといって、新車を下ろす馬力も無いし、当分の間使わなければどうしょうもない。 農機具メーカーに修理依頼したが、部品を高松の営業所からの取り寄せとかで、修理は早くて日曜日とのこと。 今年は天気が続くので、収穫作業もまだまだゆとりがあるけれど、いささか閉口気味ではある。
27日 今日は総合文化会館で「西条市合併記念式典」が予定されていた。 例年なら麦の収穫も終わっている頃なので、出席の返事を出していたのだが、遅れ気味の麦の収穫の方を優先した。 代わりとはいかないけれど、下の娘が所属する東中学校音楽部がアトラクションとして合唱を披露したそうだ。 演奏曲目に合わせて法被を着てのステージ。私の20年来着ている祭礼用法被が舞台に上がった。
本人は欠席だが、自然の実りに感謝する祭礼奉納行事のための、汗と土埃の染み込んだ法被が、娘の体を包んでの合併記念式典への出席。 巡り合わせとはいえ、何だか示唆に富んでいると、埃を吸って真っ黒になった鼻をかみながら一人想うばかり
2005年05月26日(木) |
アウトソーシング PFI 指定管理者制度No3 |
自治体職員の削減は地域自治崩壊の危険性」というテーマをまだ引きずっている。
引きずるというよりも、正面から取り組んでいるといったほうが合っている。 何時までも引きずっていないで、議会や行政の裏話や何を実践していますとの話や夢のある話を書きたいところだが、そうは行かない。 その理由は、ここしばらくいや当面はこんなしんどいことが政治の中心テーマとならざるをえないから。 新市の市長と議員が決まれば、こののち4年間は政治テーマにじっくりと取り組む事となる。 市長は、財政逼迫の中から如何にして仕事の実績を積み上げていくか、議員はそんな市長の顔色をうかがいながらそれぞれの想いを如何にして実現していくか、丁々発止の攻防戦。 市長提案を丸飲みする議会ならば、二元代表制の意義が失落。熾烈な選挙を勝ち抜いて出ていった価値がない。
新西条市でのこれからの行政運営は、財政力指数が落ちてくる中で益々高まってくる地域課題に、如何に対応するかが大きなテーマとなっている。 その対処方法はシンプル 税収を増やす方策を採って、出を制する。この両面作戦のバリエーションを如何に組み合わせるか。
行政の仕事もせんじ詰めればこれだけのことなのだが、それが公の仕事であるばかりに手続きという行程を踏まなければならないから話がややこしくなる。
どうも今日はシステムがおかしい。ウイルスバスターの「ウイルス緊急警告」ばかりがでている。 もう寝る 明日に続く
2005年05月25日(水) |
アウトソーシング PFI 指定管理者制度No2 |
伸びきった行政機構という戦線を縮小していく方法としては、外部委託(アウトソーシング)がよく使われる方法だろうか。一般営利企業ならば不採算部門は撤退かもしくは売却などで整理することもあるが、行政が作った施設や施策を売却や廃止することは、地域自治体ではまだまだ出来ないだろう。
もっとも最近では、国の施設などは地域自治体へタダ同然での売却や、郵政民営化に代表される公営事業の整理統合が出てきたり、地域自治体でも特区や地域再生計画で実施する方法も開かれてきてはいるが、そうした整理統合は地域にとっては縮小撤退という心理的マイナスイメージがあるため、そうそう実施する首長はいないだろう。
どこかの自治体での職員の大幅削減施策が、時代の寵児としてもてはやされているように見えるものの、講演を聞いたり資料を検証したりしてみる限りでは、自治体面積が狭い所で人口密度が高くしかも生活レベルが高いという事情が見えてくる。 そんな事例をどんな自治体にでも当てはめられる訳ではなく、地域の特性に合わせての施策展開が不可欠であることはいうまでもない。
ましてや公共施設の建設運営や福祉教育関係等の施策展開は、本来が不採算だから公共の福祉向上という大命題のもと、公が受け持っていることは既に書いた。
そう言い切ってしまうと、一色達夫は、一度増やしたサービスは維持しろ職員減らすな、もう一つ「税金は上げるな」としか言っていないように吹聴する輩が出てくる。 ようするに一色達夫は、人の言っていることやしていることの背景を分析して、煽動的であったり、恫喝であったり、朝令暮改であったり、洗脳であったり、責任転嫁であったり、寄らしむべし知らしむべからずであったりすることに憤っているだけなのだが。
言っていることやしていることが真っ当なことだと理解したら、推進役に是非に回りたいところだが、世の中私の感性にピッタリフィットすることが少なすぎるのが嘆かわしい。
今日も表題からそれた
2005年05月24日(火) |
新西条市観光協会平成17年度定期総会 |
父が逝って2ヶ月。市議会議員選挙から早一月が過ぎていった。
振り返る間もなく一日一日を重ねている間にも、季節は正直に過ぎていきもう麦秋。 取り入れの下準備のため朝から草刈り作業。昼食を終えてから農作業服を背広に着替えて、小松ハイウエイオアシスで開催される「新西条市観光協会平成17年度定期総会」に出かける。 家から国道11号に出て会場に到着するまでの所要時間は35分。14時開会の4分前に着席できた。
自治体合併に伴って観光協会も合併し、今日は初の定期総会。ということで、会場には約70名の出席。旧西条市の方々ならばあらまし顔と名前が分かるけれど、今回は知らない顔が会場を埋めている。
総会は、新しい体制での会議ということで、会場からは活発な質問がでていた。総会資料に目を通し説明を聞いていると、旧市町の事業をそのまま継続していることが理解できる。
会場に来るまでに私が用意していた質問は 「JR西条駅前の再開発事業でもって、観光関連施設を設置するとの計画が俎上に上っているが、その事への対応はどう考えているのか。」 というものだった。 が、総会資料に目を通し、皆さんの質問を聞いている中からの私の質問は 「事業予算として新規事業準備基金への積み立て金240万円が予定されているが、この内容考えを説明願いたい。」
新会長からの答えは 「今後、新規の事業展開を考える中からコンサルタントを利用しての事業計画を立てるようなことも考慮した場合、手持ち資金が必要となるため基金として積み立てたい。」 新体制で運営する中から、次なる事業展開もそれなりに見えてくるだろうから、今日の所はこの答えを了とした。
15時半には終了。オアシスの物品販売コーナーを少し覗いて帰路に付く。 帰宅後、薄暗くなるまで草刈り作業。日本一の裸麦生産への少しばかりの貢献も楽じゃない。
2005年05月23日(月) |
アウトソーシング PFI 指定管理者制度 |
これまで、様々な時代の要求に従って整備されてきた公共施設なり制度なりは、社会共通の経費として不可欠なものと大方の支持が得られていたとしよう。そんな社会共通の経費が税収で賄えないとなった途端に、昨日までの支持が手のひらを返すように迷惑施設や制度のように言われる。 げに社会とは身勝手なものだ。
確かに時の為政者が自分への支持をつなぎ止めるために、様々な施設を作ったりお手盛り補助金をばらまいたりの話は絶えない。 そんなムダに大鉈を振るう者が、大衆の支持を長期にわたり得ていくのは至難の業なのかもしれない。 そういう意味からしたら小泉さんの改革は「中身がない故に」長期の支持を得られているのかもしれないなあ。(何だか逆説的) そんなところから「自治体職員の削減キャンペーン」を張る者が、時代の要請に基づくものとして一定の支持が得られているように見えるのは、今までにも書いてきたように「私ら苦労しているのだからオマエ等も」というようなやっかみばかりからだとしたら、もう議論が成り立たない。
公的施設の建設や公的制度の制定は、本来が採算に合わない部分を皆さんの税金を持ち寄って賄うもの。ならば、そのリストラ(このサイのリストラの意味は再構築ではなく整理という意味で使った)を行うのなら、「これまで行ってきた住民サービスは落ちます」とはっきりと言うべきだ。 それを「現行の住民サービスの質を維持しながら」などと、オブラートでものを包んだ言い方をするから批判したくなる。
私はこれまで、今日のあることを示唆して ・自治体合併はそんなにバラ色ではありませんよ。しかし、この愛媛にあって避けて通れないのならば、その全容を知り抜いた上で住民合意の下で可否を決しましょう。そのための手段としては住民投票という方法があります。 ・これからの自治体運営は、様々な面で厳しい選択を迫られるけれど、それを打破していく方法は、徹底した情報公開の下での住民参加による住民主体の政策展開です。
そんな提案を許否してご自分達の思った通りに事を進め、辻褄が合わなくなった事に知らぬ顔のはんべいを決め込んでいる方々が確かにいるでしょうが。 その一人がマスコミだっただけの話し。
表題からそれたなあ
自治体組織のスリム化を図り財政危機を乗り切る方法は、法立に基づいて行うことでしかないことは既に述べた。 その様々な方法の問題点を指摘しておくのも、これも議員の仕事の一つ。 議員とは因果な仕事だが、これも皆さんの税金で養ってもらっている者の宿命だからねえ。 もう夜も更けた。明日に続く
2005年05月22日(日) |
久しぶりの雨の日曜日 |
天気予報通り雨。 先週は、籾まき作業などの農作業をした後遺症で、何だか腰に違和感がある。 朝の目覚めもそんなに快適なものではない中、8時からのため池用水路掃除の協同作業に出かける。 雨は乾ききった大地を甦らせるように、時に激しく作業する体に降りかかる。 今年の作業参加者は私も含めて9名。昼までの作業で粗方出来上がったのだが、今年から農地借り受けで作付けする予定にしている田への用水路は、利用不可のままで残ってしまった。また時間を作って復旧させる必要がある。
地域の農地を一枚でも荒廃させないようにと思い、引き受けてはみたものの管理するのも一朝一夕にはいかない苦労。
昼食を終えてからは、一つ用件を済ませてから、雨を幸いにデスクワーク。 チョットした調べものに取りかかるも、成果が上がらないうちに夕刻となる。
19時半からは、遅れていた祭礼関係の年度始めの集会に参加。新年度役員と年度計画を話し合い。新たな取り組みの提案も出て、それなりに成果があがったよう。
地域の小学校子供会対抗球技大会は雨中開催であったとのこと。女子は準決勝戦まで進出。男子は6年生が欠場の状態なるも1勝1敗。 そんな話題もでて地域の集会所の夜は更けゆく。
2005年05月21日(土) |
公の仕事をするということ |
「自治体職員の削減は地域自治崩壊の危険性」という表題でまだまだ書きたいところだが、この側面だけに縛られていると視点が片寄ってしまうので、今日は表題を変えてみた。が、中身は「・・・No6」
自治体職員は3つの顔を持つとよくいわれる。 一つは、自治を担う専門職としての顔 二つは、役所勤めをする職業人としての顔 三つは、地域住民としての顔
公の仕事をするということは、常に住民の視線にさらされながら完璧な結果を求められるといえる。さらには、公であるが故に仕事内容の守秘義務が課せられ、労働者としての権利も制約を受けるという特殊性を持つ。
それでも、地域の一部の方々から「役所人間をもっと減らせ」との要求が出るのは、「一部お日様西西」のお方がおられる らしい 事と、公なるが故に役所の仕事内容が「いわゆる役所仕事」になりがちで分かりづらい点からだろうか。
役所が、首切りもリソトラも無い安定職場で、楽しているとのやっかみはこのサイおいておこうか。
以上、自治体職員からの視点。
次に、公の仕事を受ける側からの事を言えば、 まだ役所などという公共機関ができていない時代には、公の施設は、地域の方々の出仕や出資によって整備され、協同の施設を作る事への協力は当たり前の事であり、また請け負って仕事をさせてもらえることは名誉なことで、請負者は入れ足での仕事をすることに誇りを感じていたのではないか。
しかし、そんな事は遠い昔話、今では、県武道館の建設工事トラブルのように、公の仕事から如何に儲けようかとの企業理念が闊歩する寂しい世相である。
政治も然り。
戦後からの話に限定すれば、儲け話を公に求め、右肩あがりの時はそれでも良かったが、左前になった時でも景気浮揚を公共投資に求め、1000兆円という借金の山を作っても平気のへいざ。国の金が足らないと言って自治体合併を求め、そのどさくさに紛れて 急ぎ働きで 稼いでいる業界が見え隠れしている。
これでは、公のためにマジメに奉仕している者が浮かばれない。
過去への反省の無い者は、徹底的に白日の下にさらしておかないと、直ぐにゾンビのごとく甦る。
2005年05月20日(金) |
自治体職員の削減は地域自治崩壊の危険性No5 |
公僕という言葉はもう死語となったのだろうか。
愛媛新聞の自治体職員削減に関する記事を読んでいると、社会の批判から逃れられない職業人をとらえて「縛って叩く」やり方に見えてくる。 近頃頻発する児童が巻き込まれた事件に対してよくマスコミがやる、校長を筆頭にした教職員をカメラの前に引き出し、世間に対して頭を下げさせるあのやり方と大差ない。
公僕=公衆のための職業にある人 公衆のための職業にある人を削減するということは、その地域には公共のための担い手は少なくても良いという事に通じる。 法に定められた仕事をこなし、住民に対してあまねくその恩恵を享受してもらうためには、職員数とその配置はおいそれとは変更出来ないのが真実ではないのだろうか。 それをあたかも知恵と努力で実現出来るように文章をつづる無神経さ。
一自治体に一つの本庁を置けば、それは効率の良い運営ができる。だが、それにも面積や交通手段の点で限度がある。だから新西条市のようにだだっ広い自治体では、各エリアをカバーする総合支所を配置するほうがかえって仕事の効率があがる場合が出てくる。 その見極めは個人の主観が入るから難しいが、足繁く地域に通って行政の仕事内容をチェックしていると、適正状況が見えてくるものだ。
合併で直ぐにその削減効果が見えるのは首長を筆頭とした特別職と議員の数だけ。それに黒塗りの乗用車。 事務事業の見直しと一元化での効果を期待できなくはないが、IT技術活用を併用しなければならないし、その初期投資額が膨大になる。福祉・教育・環境・建設関係には人が居てなんぼの世界。 ああこのもつれた糸を解きほどくのは至難の技。
自治体職員の削減をいうのならば、公共機関が担っているどの仕事を、どれだけの人数と予算でこなすようにしろと、具体的に示して欲しいものだね。それもサービス低下をきたさないという大原則で。
2005年05月19日(木) |
自治体職員の削減は地域自治崩壊の危険性No4 |
5月5日の愛媛新聞における「自治体職員削減」に関する特集記事。 この表題には「改革の荒波 税収期待薄」「船出 早くも財政悲鳴」とある。この表題を見れば職員削減は時のすう勢のように受け止められるだろう。
しかし、私はこの表題からこの特集記事を 煽り だと明言する。
そもそも、自治体合併に向かうタイムスケジュールの中で住民説明に使った資料を今一度見直してほしい。そこには、職員削減計画は向こう10年で、退職者に対して新規採用の抑制で目標達成と示している。今頃職員削減推進を煽るということは、この住民説明資料を反故にしろという事と受けとめられるがいかがか。
さらに、自治体合併資料には、国からの交付税は合併自治体に対しては旧自治体での算定額を保証すると示している。このアメの部分が無くなったので「船出 早くも財政悲鳴」となったのか。その事には愛媛新聞の記事は触れず終い。 (もっとも、合併年度の額を保証するとはいっていないのがくせ者なのだが。)
もう一つ、自治体合併資料には、向こう10年間の財政計画が示されている。 自治体職員削減の根拠を「税収期待薄」「財政悲鳴」に求めるのならば、自治体合併に伴う「向こう10年間の財政計画」も、既に破綻したと受け止められるがいかがか。
合併に関する様々な計画はそれが示されて1年も経たないというのに、既に様々な面で破綻をきたしていると愛媛新聞が捉えているとしたら、むしろ、そんなずさんな計画を示した時の政治と首長を凶弾すべきではないのか。
そんな姿勢こそがジャーナリストとしての王道であろうと私は思うのだが。
2005年05月18日(水) |
自治体職員の削減は地域自治崩壊の危険性No3 |
5月12日付け愛媛新聞の社説7行目 「財政難から、県内市町が職員数の削減に踏み切らざるを得なくなっているのだ。多くの問題があろうが、知恵と努力で軟着陸を目指してほしい。」とある。
この文面、一件まともな事を書いているように見えるが、支離滅裂である。
「財政難から職員の削減に踏み切る」とはどういう意味か理解に苦しむ。 そもそも、自治体の仕事は法によって定められているのであって、お金が無いといって「職員を削減して法によって定められた仕事を放棄してもよい」とでも言いたいのだろうか。 そして「知恵と努力で軟着陸を目指す」のは一体誰に対して言っているのだろうか。 5月5日の「自治体職員削減特集」には、「自治体首長どう対応」との副題があるから、この場合「知恵と努力で軟着陸を目指す」主体は自治体の首長だとしよう。 しかし、その「・・・どう対応」との各記事を読んで見ても、各自治体の対応には全然違いが無い事が理解できるだろう。すなわち「自治体職員の削減」問題に対しては法の定めによるマニュアル通りの対応しかしようがなく「知恵と努力の出しようがない」のが現状ではないのか。
百歩譲って、知恵と努力のしようがあるとしたら、それは、自治体経営への参画に対する崇高な理想に燃えた職員と、自らの地域の課題に対して自らが責任の一端を担うとの地域自治意識の高い住民との協力によって、自治のコストを削減する努力を行うことではないか。
社説の後段、前段の部分で振り上げた拳をすごすごと下ろしている文章が書かれている。「しかし、各市町が適正な職員数を見いだすのは、なかなか難しい。・・」
結局のところ、こんな原因を作った根本を暴き出すことなく、事象のみを捉えようとしたところに愛媛新聞の一連のこの問題にたいする記事の破綻原因を私は見いだすのだが。
2005年05月17日(火) |
自治体職員の削減は地域自治崩壊の危険性No2 |
基礎自治体の規模は国によって様々な様相を見せる。ということは既にこの日記に詳しく書いただろうか。
フランスでは自治組織が3万とかあるようだし、その他の国々でも地域自治の観点からそれぞれの形態をとっているようだ。 日本のそれは、徴兵制を敷くための戸籍管理の必要性から郡役所が出来上がり、そこから様々な行政需要が加味されていく中から市町村制が発展していったようだ。 (この分析、大ざっぱなものだから歴史的観点からは逸脱しているかもしれない)
何時かの一般質問の時に、市町村の枠組みは序序に大きくなっていったけれど、県の枠組みは変わらないと言ったように思う。 その理由は、日本の地形からして人の交流具合を考えた場合、現在の県の領域を越えてのものは地勢上無理があるためのようだ。これは交通が如何に発達した現在でもそう多くは違わない。
そんな人的移動の必然から自治体の規模が決まり、その規模が自治体経営の効率も良いという必然を伴う。
5月8日の愛媛新聞の「支所地域は職員過疎」の記事の副表題に「遠距離通勤急増悲鳴も」とあるが、自治体の規模が大きくなればこのような 非効率 が出てくるのは 当たり前。 そんな 「非効率」 の元で 「住民サービスの質を維持する」ことを誰が保証するというのだろうか。 自治体職員が通勤だけに悲鳴を上げていて、はたして良い仕事が出来るとでもいうのだろうか。 それに加えての職員削減推進記事かえ。
自治体合併が議論の俎上にあがってきたとき、私はある職員に「自治体の規模が大きくなったらそれだけ地域経営の効率が悪くなるでしょう」と言うと、「それは交通網の整備でカバー出来ます」と事も無げに言ってのけたのには開いた口がふさがらなかった。そんな道路整備の財源が何処にあると言うのですか○○部長さんよう。 合併のささやかなご褒美に有料道路を無料にしますと言ってみたり、もっと大きな合併をしないとこのトンネルを塞ぎますよと言ってみたり。
おおよそ、理論の整合性も無いままに自治体合併に走って、その先にあったものは、やっぱり、不毛の自治体経営理論ではないのですか。
2005年05月16日(月) |
自治体職員の削減は地域自治崩壊の危険性No1 |
自治体の仕事内容は法に定められている。これは行政事務の常識。 その仕事内容に見合う職員数も必然的に決まってくる。これも常識。
そこが自治体が一般企業との違いの最たるところ。だから、この法に定められた仕事をこなすために必要な予算も国によって保証される。
・法によって定められた仕事をこなすために必要な予算のことを「基準財政需要額」という。
・この仕事をこなすに見合うその地域からの税収入は「基準財政収入額」
・地域自治体の中で、基準財政需要額をその地域の基準財政収入額だけで賄なえない場合、その額を国から補填されるのが(この補填は国の義務)交付税。
バブル崩壊後の経済政策の失敗によって、国が地方に回すお金が無くなってしまい、したがって必然的に行財政改革が出てきた。 その「改革のお手本」を時の政治は何処に求めたか。
それがイギリスのサッチャー改革だったらしい。だが、サッチャーのそれは、国の機構を根こそぎ改革する 凄い ものだったらしい、が、日本のそれは「中央集権の利権を温存したままの」ちゃちなものでしかなかったようだ。
地域の自治体が使うお金の総額など、国のムダ使いに比べたら微々たるものであるにかかわらず、時の政治は一番手を付け易い「地域自治の先兵である」地域自治体のリストラ(すなわち自治体合併)を押し進めた。 この推進のために 数々のアメとムチ を用意したのはいうまでもないこと。
このアメの一つに群がったのが 議員の在任特例 であることはいうまでもないこと。 その他にも数々ある。
法によって義務図付けられた予算は、当然国が保証するべきであるにかかわらず、年毎の交付税の算定基準を 一方的に変化(この場合削減と言ったほうがあたっているのかもしれないが、私にもそこはよく分からない)させてきて、自治体の財政方の頭を悩ませているようだ。
自治体職員の定数を考える場合、そんな基本的な事から始まる地域自治の有り様を踏まえたうえで、議論するべきであるのかかわらず、 愛媛新聞の「自治体職員削減に関する特集」は、何ら触れず終いの「その掲載意図が分からない」記事でしかない。 ましてや5月12日の社説の主旨は、そんな原因を作った政治への言及もないままであることが、そもそも私の疑問を持つところである。
2005年05月15日(日) |
そろそろ農作業に取りかからないと |
このところの好天で、裸麦が黄色く色づきはじめた。 この分だと今年は収穫時期が早くなりそうだ。 日本一の裸麦生産に貢献するのは、梅雨入り間近のほんの数日の刈り取り時期に集中しての作業の善し悪しにかかっている。
その前後は、水稲の苗の準備や田植え準備で農作業にかかりっきりとなるのだが、その合間にいや6月議会準備の合間をぬっての諸作業。
田畑の畦は雑草が繁茂しているし、昨年の災害を受けた田畑は手つかずのままで残っているしで、気ばかりは農作業にむいてはいるが、諸般の事情があってなかなか取りかかれないでいる。 もう籾の水洗はし終えて明日には苗箱の準備、明後日には籾まきと予定には入れたのだが。
それをしながら、職員削減についてのレポートをまとめてHPにアップしないといけないし、ああやること一杯だ。
土曜日。久しぶりに昼間の予定は入っていなかった。 近づいている農繁期のための準備をしたり、部屋の片づけをしたり、夜に予定していた仲間内の催しの準備をしたり。 合併で大きくなった活動範囲をカバーするための資料整理をしたり。
年中無休ともいえる議員の、タマの休日も何だかんだと仕事はあるものだ。 専門職として議員をやっていると、4年ごとの選挙と3ヶ月ごとの議会が、活動のメリハリを付けるポイントとなってくる。 そんなところから当面の仕事としては、改選後初の6月定例議会の準備をすることが最重要な仕事となるのだが、その内容はまだ漠然としたものでしかない。
夜の仲間内の催しが盛り上がり、もう深夜となったので、今日は「自治体職員の削減」という重要課題に触れる気力も湧かず、このまま就眠とするか。
2005年05月13日(金) |
自治体合併に希望はあったのか「自治体職員の削減」 |
昨日は、朝10時半からの行事への参加から始まり、昼3時過ぎからは遠来のお客さんを送って松山空港まで出かける等、新聞に目を通さないままに日記を付けて就眠とした。
ところが、今日の朝、昨日の新聞を読んでみると、社説に「自治体職員の削減」問題が取り上げられているではないか。同時に、今日付けの新聞には、昨日日記で触れた「西条市定員適正化計画」がそのままの形で掲載されている。
そのタイミングのピッタリかげんに、私の10日の日記の内容が影響したのかと深読みしてしまった。同時に、この問題昨日触れたとおり、今後の自治体経営の大きな課題として積極的に関わっていかなければならないと意を新たにした。
そういうところから、今日は12日付けの愛媛新聞社説についての感想を少し。
この社説の冒頭 「2年前に70だった市町村数は現在23。今年中に20市町となり、県内の合併はほぼ完了する。新自治体は 希望に燃えて 船出したばかりだが、思わぬ暗礁に乗り上げている」 と書かれているが、 この文面だけで、この社説の内容が矛盾に満ちた代物であることが分かる。
そもそも自治体合併が希望に燃えて行われたものなのかどうか、社説を書くほどの地位に付いている者ならば分かっているはずだ。 真から 希望に燃えて 行われたと思っているとしたら、もうこれ以上この社説や自治体合併について書いたところで 議論 にはならないと言える。
冒頭の文章だけについてもう一つ指摘すると 「思わぬ暗礁に乗り上げている」と書いているが、職員削減は合併協議の段階から分かっていること。この「職員と議員等の特別職の削減効果で新たな投資が出来ます」とバラ色のパンフレットを振りかざしていたのはついこの間のことでしょうが。 その舌の根も乾かないうちに「思わぬ暗礁」とは、まあ物書きは気楽なものですね。
2005年05月12日(木) |
西条市定員適正化計画 |
5月12日(木)10:54 議員用FAXに「西条市定員適正化計画について」 との内容の文章が入った。
10日には「愛媛新聞の記事内容について」 11日には「総務委員会への所属について」 に引っかけて「職員適正化計画」についての懸念を書いた途端に、総務部職員課からの「お知らせ」である。
議員に対する早手回しなお知らせは、どんな意図が何処から働いた結果なのかを詮索するのは(ひとまず)ヨコに置いておくとして、そのタイミングの良さに関心しきりである。 その内容は、
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各位 総務部職員課 「西条市定員適正化計画について」 標記について、別紙のとおり策定したのでお知らせします。 なお、今後は、本計画に基づき、適正な職員数の確保に努めてまいりますのでよろしくお願い申し上げます。
1 定員適正化目標 合併時を基準とし、平成17年度〜平成21年度の5カ年で100名(7,1%)の削減を目標とします。
2 定員適正化計画の基本的な考え方 合併によるスケールメリットを最大限活かし、将来の本庁方式を見据えた組織機構の構築、事務事業の見直し、さらには指定管理者制度の導入等を行い、現行の住民サービスの質を維持しながら、さらなる行財政運営の効率化を目指すとともに職員数の削減を図ります。
3 定員適正化計画の年次別推進計画の概要 H16年(合併時)職員数1409名 H17年 1年目 1379 H18年 2年目 1379 H19年 3年目 1373 H20年 4年目 1343 H21年 5年目 1309
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この数値目標は、合併協議の中で既に提示されているものであるのだが、より具体化してくる段では、その様々なところに課題が見えてくるだろう。 「合併のスケールメリット」という一言を取り上げてみても、現時点ではそんなもん有るのか?と思えなくもない。
この課題。11日の日記に書いた以上に、いや、大きな課題として積極的に取り組む必要があるようだ。 2の「定員適正化計画の基本的考え方」を実現するのは、綱渡り的ですから。 この文章についての私の考えを書こうと思ったら、日記1週間分かかるほどの内容がありますよ。
2005年05月11日(水) |
改選後の臨時議会 議会はドラマか |
改選後初の議会が10時より開催された。 今日の主な予定は、議長選出と委員会構成。 議長副議長とも波乱無く最大会派の中から選出された。私は人物本位に徹し、思った通りに対処した。
続いての委員会構成では、私は総務委員会に所属することとなる。 自治体合併による事務事業の一元化も一段落付いたところなので、この委員会での懸案事項はさほど無いようにも見受けられる。が、昨日の日記で指摘したような職員数の適正化計画等のように、将来的な課題も内包しているだろう。
続いての「新居浜西条地区広域市町村圏事務組合議会議員」の選任についてで、一波乱置きそうな雰囲気がでてきたのだが、皆さん 大人の対応 で、結局のところ議会内人事は丸く収まった。
というのが 最初議長は、指名推薦で議会内での3議員を選出しようとしたのだが、議場より選挙という声が挙がって選挙となった。最大会派は選挙になった時の準備が出来ていなかったようで、少数会派からの選出の動きが出たのである。 最大会派は24名。後残りの10名が一人で結束して投票すれば、一名の議員を出すことが出来るワケである。 しかし、少数会派は白票投票を選択した。 理由は、ここで争って一名の議員を出したとしても、後に控えている特別委員会の委員選出の方で仕返しされる。 結局、24名が綺麗に3当分され最大会派所属議員3名に8票づつが入り、目出度く選挙は終了。
あとからの 臨海特別委員会と図書館建設調査特別委員会 委員に、少数会派所属議員の内からもそれなりに選出された。 これを称して大人の対応。
この顛末は議事録に残っていることだから、その様子をそのままアップしても、何ら支障はないでしょう。ね
要するに、そんな駆け引きで議会構成が決まったとしても、議会活動の中から行政の仕事の質を如何にチェックできるかが問題。 大勢の目で見ていても、総合福祉会館の設計のように使い勝手の悪いものが出てくるのだから。
そんな反省の上に立って、一色達夫は自分の感性を信じて、市民の利益追求のための仕事をしていけば良いだけのことだ。
議会は 筋書き通りのドラマ てか
2005年05月10日(火) |
地元紙の自治体職員数に対する意味不明な動き |
地元紙の5月5日付け14面に「県内合併自治体職員削減」についての特集記事が掲載された。続いて8日には「支所地域は職員過疎」との記事が掲載されている。
この二つの記事。どう読んでみてもその意図するところが分からない。
自治体合併を煽った地元紙が、それが一段落したので、今度は自治体職員数削減を各自治体間で競わせようとしているように受け止められなくもない。
自治体合併でもって地域自治をガタガタにしておいて、次には、地域経営の最先端を担う自治体職員を削減しようとする。そんな動きならば、黙って見過ごすワケにはいかない。 地域住民の感情の中には、「自治体職員はろくな仕事をしていないのだからもっと減らせ」という声が一定存在することは有るにしても、そんな感情論に迎合しての地元紙の記事であるとしたら、おいおいちょっと待てと言いたい。
「地域課題に対して、その責任を最終的に誰が担うのか」との明確な理念も示さないままに、時の流れに乗って、リストラ(職員の削減)ばかりを追う先には、地域のあらゆる面での荒廃と衰退しか待ってはいないのではないか。
地元紙は紹介しないが、鳥取県では片山知事のもと「鳥取ニューデール政策」として、職員と理事者の合意の元に、賃金削減で捻出した資金で図書館司書等の新たな雇用を創出している。 そのようなやり方もあることを紹介しないままに、職員の総数ばかり削減することを煽る。 自分が特集した記事でもって社会が動き、踊り出すのを見て ほくそ笑んでいる としたら、そんなジャーナリストは批判されるべきだ。
2005年05月09日(月) |
西に東に 超多忙だった |
朝6時50分に家を出て ひとつ用を済ませてから そのまま9時開催の「西条市議会 会派 代表者会議」の傍聴に行く。 会派に属さない議員として 傍聴 だけはできるので、まあ 好都合ではあるのだが。
終了後 市内の保育園で開催されたチェロコンサートの鑑賞。終演後演奏者と一緒に食事をいただきながらの一時。
一度帰宅し、チェロ台を小松中学まで運び、その帰り足で14時から開催の「西条市議会 全員協議会」に臨む。 全員協議会の内容は、朝の会派代表者会議と同じ。 終了と同時に、小松中学での体育館こけら落としチェロコンサート終了との連絡が入る。 市役所から小松中学に直行しチェロ台を積み込み。中学校施設および体育館施設の「視察」となる。 西条市立小松中学校の施設は、その校舎と体育館を建て替えてまったく新しくなっている。 木材を多数使用した校舎は、その設計が 丹原東中学校 とよく似ていると感じる。丹原東中学校では、図書室を校舎中央に設置していたが、西日が直接入る弊害があり、どうも使い勝手が悪いように記憶しているのだが、小松中学校の場合は、中央をフィリースペースとしている様子。 体育館は県の木造公共物補助制度を利用。 私は経験出来なかったが、この施設、内部の残響が大きいらしい。天井や壁面が木材板で 埋め尽くされ ているので、その影響が内部の音の吸収を妨げているようだ。 その点はもう少し調べてみる必要がありそうだ。
チェロ台は、そのまま禎瑞小学校まで運ぶ。
夕刻、久しぶりにお花の稽古に向かう。
夜は時間が空いたので、一つ用件をいれたのだが、その話の中から大きな課題をいただいた。 どのように対処したら良いのか・・・。基本は 何が地域にとって最良の方法か を常に考えて行動することだろうけれど。
帰宅後、玄関に花を活けたのだが、それを見た妻に「これ先生に見てもらったの、何だかばらばらじゃない」と言われた。 心の動揺を見透かされている。
入浴後、居間でちょっとヨコになったら、そのまま朝まで
2005年05月08日(日) |
忙中にあっての諸手続き |
予定が3つ重なってしまい、何だか中途半端な感が否めない一日。
朝6時半に起床して水田の水路掃除。今年はまた一人作付けを止めた人が出て、その分また全ての役割が重くなった。 掃除が終わらないままに9時には帰宅、今度は地区の運動会に参加。 昼食まで参加し、次は14時からのチェロのホームコンサートに参加。演奏者は、昨日に続いてのナオキ。
今日は30名限定のコンサート。演奏曲目は昨日と同じなのだが、小さな空間ではまた違った味わいがある。 アンコール曲が終わったあと、お茶を飲みながらの珠玉の一時。話題が途切れたので(場を盛り上げるためもあり)私から 「西洋と東洋の人種の違いによる音楽性の違いをどう感じていますか」との至極シンプルな質問をしてみた。 ナオキからの答えは、 「究極は個人の資質によるところが大きいようだが、傾向としては、ロシア・ドイツ・フランスでその国民性による文化性の違いがでてくるようです。東洋でも中国・韓国・日本でもまた違っていると思います。」
夜、久々に早く帰宅、金曜日に市役所でもらってきた、父の死去に伴う諸手続き書類を整える。 もう一月にもなるのだが、諸事情があって、こちらの手続きが滞っていた。 必要なものをまとめて一度にすれば良いのだが、それは後から気づくこと。 これまで必要無かった事だった故に やり方 に疎い。 此処に来て母に急かされながらの実施となる。
市役所窓口は、何処も丁寧に対応してくれて助かる。もっとも、こちらの面が割れているから故の事ではない。
そんな手続きをこなしながらも、一つまた一つと父の名がこの社会から消えて行く事に寂しさを覚える。97歳の大往生ですらこうなのに、JR事故のような突然若い命が消えていく関係者の思いはどんなだろうか。 大きな慟哭を伴うことは察して余りある。
2005年05月07日(土) |
チェロコンサート 贅沢な時間を過ごす |
文化会館リハーサル室で夜6時半から開催される「チェロコンサート」を、今日一番の予定に入れて、一日を組み立てる。
朝9時からの準備に顔出ししたら、文化会館では西条市内の奉仕団体主催による作陶展が今日から開催されている。 時間を割いて鑑賞したが、茶道に使用する水指しが主な展示物だったのだが、形態が人物を想像するようで、その造形の面白さを堪能。
昼間は、水田の畦草刈り。 夕方5時からは、明日予定の校区自治会運動会の準備に顔出し。
コンサートは100名限定の至極内間の催。出演者は、西条へは今回で4度目となる「ナオキ・ヘーデンボルグ」。26歳になってのコンサートである。 今日の夜は他に会が2つあったのだが、今日は、このコンサートへの参加を優先させてもらった。 切った張ったの生きるか死ぬかの時間を過ごしてきた身を、芸術のシャワーを浴びせて精神の浄化を図っておかないと、人に対して攻撃的となってしまう。 そんなところからの今日の行動なのだが、ナオキはその期待に十分応えてくれた。
コンサートが終わってからの交流会で、私からの質問は、 「3年前のコンサートの時は、演奏作品に 人の死 をテーマとしたものを選んでいましたが、今回は華やいだ・ロマンの薫りに包まれた・躍動感あふれる作品が多かったように思う。このような作品を選定するにいたった心の変化はどんなものなのですか」 答えは 「確かに作品の幅は増えたと思います。前回は、身の回りで人の死に遭遇することが多くそのような作品を選ぶ心境にあったことは確かです」
打ち上げ会の時、彼から逆に「この地域が合併して、どんな状況ですか」との質問を受けた。 私の答えは、 「この前の演奏会の帰りに自動車の中であなたは{資本主義の行き着くところは、一人の独裁者と一つの銀行}と言っていましたが、合併によってそのような傾向が見えてきたように感じています。それは民主主義の崩壊ですから、そうならないよう地域作りへ参画する個人の意識啓発に務めていくつもりです」
芸術は人と人の間に存在し、新たな出会いを作っていく。 今日一日、素晴らしく贅沢な時間を過ごすことができた。
2005年05月06日(金) |
平成17年度 西条市議会議員選挙 総費用 |
選挙経費の報告期限が9日なので、昨日のうちに書類をまとめ、出た経費が 369259円
私のHP上にアップしているデータで確認したら、 ・平成11年 ・平成15年のおりとそうは違わないようだ。 主な違いは、備品を購入したかどうかだけのもの。 今回は立て看板を新しく作成したのが大きかった。
あと、後援会活動の経費は、後援会報16号と17号「一色達夫2005マニフェスト」の印刷費用及びコピー機の更新費用が主なもの。 HP上へのアップは、平成15年の政治活動経費のアップ以来滞っている、平成16年度分の政治活動経費の部分と、平成17年分は1月から4月までの経費を後援会活動経費と選挙経費とに分けてアップするため、我が家の財務大臣にデータ提出の依頼中。
この他に、選挙費用の中に公費負担部分がある。 その主なものは、・ポスター印刷費用 ・街宣車運転手日当 ・街宣車燃料費。 この公費負担部分は市民の皆様の税金なのだから、極力少なくなるように考慮したつもり。
街宣車は普段妻がのっているミニカTOPに自前のスピーカを載せ、主に私が街宣して回る。ボランティアのアナウンサーが確保できたときは、運転手と私の3人で走っている。燃料費はガソリン100Lでおつりがくるくらいでしょう。 街宣車は無くてもいいように思うのだが、支持者は街宣車が回ってくるのを待っていてくれるし、少数だがアナウンサーや運転手の交代要員を申し出てくれる方もいるので、準備はしている。
そんな手作り選挙ももう板について4回目。今回は、選挙期間中に大嵐で大看板が倒れてしまうハプニング。これは次の時には新しく作らないといけないので、大損害だった。
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人の選挙手法は人それぞれであろうが、今回の選挙で目に付いたのはタクシー借り上げによる街選車のことだろう。 公費負担で認められているといっても、陣容が強力と世間一般が認めている候補者が、タクシー借り上げの大型車で走っているのにはビックリしたとの声。 そのナンバープレートを見た人がなおビックリ。「・777」の大当たり。 コレくらいのこだわりがないとラクラク上位当選は出来ないのだろうが・・・。
私には到底マネの出来ない選挙手法なので、ある意味で尊敬してしまう。
2005年05月05日(木) |
子供の日 の催し物に参加 |
5月5日「子供の日」。あさいちで国旗を立てて国民の祝日への祝意を表す。
今日は大谷地区での行事として「子供の日 おやこ ピザ焼き大会」が催された。 昨年までは「子供の日 サッカー大会」を行っていたのだが、子供の数も少なくなってチームが作れない懸念もあったところから、今年は新規の試みである。
子供達を中心に、保護者の父母、自治会役員、総勢40名ほどが、指導者の手ほどきよろしく、生地作りからトッピング刻み盛りつけ焼き上げまで、ワイヤイガヤガヤの中での作業。 形も焼き上がりも不揃いのピザだが、それはそれで場の話題となり、立夏の太陽に照らされながら一日楽しい時間となった。
片づけまで付き合って14時には帰宅。
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明日が提出期限となっている、農業共済関係種類の取りまとめ作業。 農家戸数ばかりが多いけれど、そのほとんどが、休耕や貸付で実際の耕作者は少なくなっている。そんなところに地域農業の現状を見る思い。
五月晴れの今日4日は「国民の休日」という旗日。 幼いときには、そんな休日は無かったと 頭の大部分に刷り込まれている 中年にとって、どうも実感が湧かない旗日である。 そんなところからか、国旗を掲げる事も忘れてしまっているのだから、なんとも締まらない話である。
遠来のお客さんを出迎えに、10時過ぎから松山に向かったのだが、松山インターの出口が渋滞し、30分も余計にかかった。 けれど、市内はうって変わって自動車の数も少なく、休日による町中の変化を実感。松山市内も普段がコレくらいだと良いのにと、田舎者の欲求は何だかやっぱりそれなりである。(?)
そんな連休あいだにも、この時期特有の様々な行事の予定が入ってくる。 日によっては会の重複が3つにもなり、その選択と事前の調整に苦労が重なります。 これに農作業の予定が入って、5月は瞬く間の出来事の様相。
身辺取り込んでいたら、世間の常識から乖離するときがある。 新聞紙上にやたら憲法論議が掲載されていると思ったら、今日は憲法記念日だった。 それほどに、先の選挙の残務整理と日常の雑事に忙殺されているこのところではある。
選挙にかかった費用は、過去3回の選挙の時と大差ないようだ。前回よりも立て看板を新しく塗り直した費用だけが余分にかかっている。
立て看板は「顔写真入り」のものとした。 これは、以前に神奈川県逗子市での視察研修の折りに、町中のあらこちらに顔写真入り立て看板が立っているのを見て、西条市での選挙の折りにパクッテやろうと思っていた。以来、作成のための準備をしていたのだが、このような技術を持っている業者はこの地域ではなかなか見つからず、時期が近づいて若干焦ったが、偶然飛び込んだ業者がOKで、上手く事が運んだ。
社会のリーダーたらんと欲する立候補者が、自分をアピールする手段が 旧態依然 では話にならない。 だが、この地域では人と違った事をすれば、それだけ風当たりが強いことは覚悟しなければならない。 だから、事前のリサーチは入念に行った。 この種の立て看板は、この地域では私が初めて試みるものではないことも、把握したうえでの決行である。(旧小松町の地域に、公明党の国政選挙立候補者が設置している) 選挙手法としては、実際は二番煎じではあるのだが、旧西条市選挙区では 創業者利益 はそれなりに得られ話題性はあったようだ。 次の選挙の折りに、やりたい人はどうぞ。巷からあれは一色達夫の真似で二番煎じだと言われる恐れは有りませんから。次にやる方は、この地では三番煎じですからね。
話が表題からそれたようだが、憲法の元制定されている法律は守らなければならないということからの、私の選挙に関する一つのアピールでした。
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4月から別生活をはじめた娘から宅急便で華駕籠が届いた。 メールには「20回目の結婚記念日おめでとう」とある。そうか、忘れていた。 顔を見合わせた妻が言った言葉。「20年ねえ、お互い良く辛抱したわね」
2005年05月02日(月) |
24 5 2 1 1 1 ってか |
新西条市議会の会派構成が 「 24 5 2 1 1 1 」となるもよう。 自民 民主 共産 公明 新社会 無所属なのだが、波乱もなく予想通りの構成だろう。 自民の24は寄らば大樹の陰で、小選挙区となった影響なのか、派閥を形成するだけの根性のある大物がいないだけなのか、仲良しクラブでワイワイと活動するのだろう。 まずは理事者には好都合な会派構成ではあろう。 ナゼって、それは言わぬが華。
私は、合併前の状況に戻り、無所属の一人での活動とする。 78名の時の会派無所属クラブ5名の代表としての活動は良い勉強になった。 自由気ままに思った事を出来ていた時と違い、意見調整に時間を使っていた時期は、「人間関係への配慮」という 一種の技術 を私に少しは身につける効果をもたらしただろう。そうでないと、貴重な時間を費やした甲斐がないからね。
問題山積する地域にあって、向こう4年間また自由に飛び回れると思ったら、何だか高見に立て下界を見渡すような爽快感を感じてしまう。
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昨日の山での事で書き忘れていた事一つ。
災害地のヘリコプター視察への批判の言葉を多数聞いた。 「そんなことをやっている暇があったら早く道路を直せ!!!。」との被災地での生活実体験からくるであろう厳しい言葉。
2005年05月01日(日) |
荒川 大福寺 春祭り |
誘われて荒川(旧西条市の山間部)の大福寺 春祭り に出かけた。 この地域の関係者からの話として、「昨年の台風災害の状況を見に来た市議はいなかった」との お叱り の言葉も、私の今日の行動を誘引した。
一日、あいにくの雨。山は薄靄に包まれ、新緑をなおいっそう色鮮やかにしている。そんな風情を楽しむ間も無く、国道から林道につながる入り口での通行規制により、この地域の現状を実感することとなる。 山間部の住居に通じる唯一の生活道が台風による崖崩れによって通行止めとなり、今だ復旧していない。孤立している地域との連絡は、崖崩れ現場に市によって設置された歩道と簡易モノレールによる物資輸送。道路不通によって上部に取り残された自動車が、道路不通現場から住居までの輸送手段として威力を発揮している。その自動車の燃料もモノレールで上げているとのことだった。
災害現場の復旧作業は、私の観たところようやく取りかかったばかりの様子。この分では当分この不便な状況が続くのだろう。 祭り参加者からの、その いわゆるお役所仕事 の悠長さをなじる言葉を、甘んじて受けながら「すいません」とただ言うばかりの一色達夫。 昨年だったか、この寺の上部にある工房にお邪魔して 素麺 をご馳走になったのだが、その様子はどうなのだろうか。4月29日の産業文化フェスの時に、この工房の主の姿を見かけているのだが、声を掛けていない事を今日になって悔やんでいる。
修験者による大護摩供養は、神仏混合の伝統文化の真髄を見るようで、こちらの心までもが浄化されるようだった。あとの火渡り神事は、邪悪な心を持っている政治家などがやると、何だか足が大やけどを負いそうで躊躇したのだが、手を引かれて泣く泣く実行に移した。が、無事終了。 これで、冬至の水行と今日の火行の両方を経験できた。
「六根清浄」なんだか今日一日の足取りが軽い。社会にはまだまだ経験していないことがあることを実感した今日、暦は早くも皐月となる。
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