一色達夫の日記

2004年11月30日(火) 西条市地域防災計画

あらためて「西条市地域防災計画」を手にとって見る。

資料棚にあったのは
「地震災害対策偏」(平成9年3月発行)

「風水害等対策偏」(平成10年12月発行)
の二冊。

目次を見ていくと、地震災害対策偏と風水害対策偏のいずれにも、自主防災組織育成計画との文字が目に付く。
両方のその項目を読んでみると、粗方同じ文章が書かれている。

松山市での自主防災組織一覧にあった第1号結成は平成7年2月12日となっており、それから順次結成団体が増えている。こんなところから組織結成への取り組みの継続性が一目瞭然。

比べて西条市はどうなのか
計画倒れ と切り捨てたら語弊があるのだろうが、知らべれば調べるほどに・・・
一項目 だけ を捉えて取り組み遅れを指摘することは、防災対策の全体像を歪め見てしまうことになりかねないから慎むべきではある。が、



2004年11月29日(月) 防災心得十箇条

11月25日 大洲市での研修のおり 国土交通省の鳥居氏よりいただいた、資料の中に、
{住民の防災心得十箇条}を書いたシールがある。その内容は

一・日頃の人の絆を大切に
二・昔からの言い伝え
三・危険個所を念頭に
四・高い位置に避難場所を
五・慌てて外に飛び出さない
六・隣同士、声を掛け合う
七・一人で行動しない
八・棒で水中を探りながら歩く
九・電気、電話は使えない
十・力を合わせて助け合う

この中で注目すべき点は、共同で事にあたることを標した項目が4つあるということだ。
防災における第一は自助であり、ついで共助の大切さを表すものだろう。

9月29日の台風21号被害を受け、30日には自治会内でスグに人が出て道具を持ち寄り後かたづけをしている現場をみたが、このような事が出来る地域では、災害当時には、一人暮らしや体の不自由な方を助ける手だても講じられていたようだ。

鳥居氏は講演の中で「災害は必ずやってくる」ものだと話していた。
備えあれば憂い無し。
日頃の自治会活動の中に自主防災の考えを追加すること。今なら組織はスグにできるだろう。



2004年11月28日(日) 満員御礼東京ドーム

今年の10大ニュースを挙げる頃となった。
その中に「プロ野球のストライキ実施」が入るだろうか。
2リーグ制維持で古田が 読売新聞のえらいさんに「たかが選手が」などと言われながらもガンバッテいたころ、日記に東京ドームの入場者数について書いた事がある。
5万5千の入場者などと ウソッパチ をTV放送で言っているという内容。

今日の新聞に、東京ドーム巨人戦の入場者が 満員 ではないことを認め、実数を公表する意向であるとの記事が掲載されている。
巨人戦のTV視聴率が落ちていることは、皆さん分かっていることだろうが、その影響は深刻であるようだ。本来ドル箱である放映権もHNKに売り渡し出したところから推察して、TV放送のスポンサーも確保することが難しくなっているのだろう。
過去の人気に胡座をかいて自助努力を怠り、金にあかせて球界の4番バッターばかりを買いあさっても、人気と実力を維持することができないようだ。
それを、満員御礼とウソを放送し、巨人選手の活躍場面ばかり観衆の声援のボリュームを上げて誤魔化している。こんなことが今回の報道で、白日のもとにさらされたということのようだ。

えらいさんオーナーが去り、重石が取れたところからの内部改革の始まりならば
、チョットは歓迎もしようが、この企業、時の権力者と同調しての世論操作も目に余るので、まだまだ信用ならない。

実態の伴わないものを歪曲して伝えるのは、TVを頂点とした報道が得意としているもの。うかうか信用しての付和雷同は慎むべし。



2004年11月27日(土) 県内自主防災組織事情(平成市議の会資料より抜粋)

「平成市議の会」研修会用の資料として、各地の市議が持ち寄ったデータの中から「自主防災組織」についての記述を抜粋。

・大洲市
主な課題として・自主防災組織が100%活動していなかった。
(大洲市では、現在部落単位で3ヶ所が組織されている)
その他の課題・自主防災組織の立ち上げ。

・新居浜市・自主防災組織(自治会活動の活性化)

・西条市
今後の課題として・自主防災組織編成など、地域で支え・助け合う仕組みづくり。

・八幡浜市
八幡浜市自主防災会設置要綱を平成16年4月1日から施行し、自主防災組織づくりに努め、今年9月末現在で6組織、世帯で1492世帯、人口で4084人(組織率12,8%)の地域が自主防災組織として取り組んでいる。

・伊予市
自主防災組織の育成について、現在の当市の組織率は13,2%にすぎないため、今後、自主防災組織の結成について推進していくこととしている。

・松山市
平成17年度重点的取り組み事業(自主防災組織結成率向上等)
との表題で、2ページにわたって詳細に記載。

松山市のHPからその内容が閲覧可能。
そこから抜粋すると
平成7年2月12日の第一号結成から、平成16年9月22日現在で269組織が結成されている(組織一覧表をHP上で公開している)。世帯数では93108世帯。組織率45、9%。

今回入手の資料だけでの検討では、やはりというか、松山市での取り組みが、ダントツで進んでいる様子。

余談として
旧東予市でもすでに取り組んでいるとの話を聞いたことがあるが、その内容を記載した資料は まだ 探し出せないまま。 



2004年11月26日(金) 愛媛平成市議の会「第18回研修」in大洲

大洲の朝は朝霧の中。内陸部特有の朝の風物詩。
朝霧のかかる日は日中は天気となるのだそうだが、朝方には洗濯物は乾かないので困るそうだ。

そんな朝靄の中、地元大洲市の議員と商工観光課職員の案内で、新装なった大洲城天守閣を見学。
構想以来10年。この企画に賛同する有志の方々の寄付金5億円あまりも建設資金の一部として、史実に基づいて忠実に復元され、この9月に一般公開されている。
丁度、時を同じくして開催されていた、愛媛まちまみ博の宣伝効果とも重なり、予想を上回る来場者があるとのこと。
かなり以前に、木造で再建された天守閣を見学したことがあるが、座板の止めが ねじ釘(一見して市買品だと分かる)でなされていて興を削がれた経験があるのだが、この大洲城は、江戸当時の姿のままに復元されている様子。

続いて案内してくれた臥龍山荘の説明も、商工観光課職員が よどみのない口調で明瞭にしてくれ、この方面に対する大洲市の取り組み姿勢をかいま見る。
大洲藩加藤6万石の伝統文化を大切に守っている土地柄を、市職員の態度からもうかがえ、大洲での研修をさらに有意義なものとしたようだ。

帰宅後14時より麦蒔き作業。夜19時までかかって、昨日途中でほったらかしていった8aの除草剤散布作業と、4aの麦蒔き作業を終える。

この作業が1日遅れとなり、研修参加費用1万5千円(宿泊費込み)、交通費2千円、夜の懇親会参加費3千円で計2万円を自費負担での参加でも、やっぱり出かけてよかった大洲行。勉強を怠らないのは議員としての必須条件。
各地の政治状況の情報もちょっと入手。これは企業秘密。



2004年11月25日(木) 愛媛平成市議の会「第18回研修」in大洲

平成の時代になった市議で組織する「愛媛平成市議の会」の第18回研修会が、大洲市を会場として開催された。西条市議会からは6名の参加。
今回のテーマは「災害の現状と課題」

今年は台風災害が多発した年であったし、それに追い打ちをかけるような中越地震の発生で、この方面への取り組みの重要性が増している。西条市でも21号台風による災害の経験があったので、大きな関心をもって研修に臨んだ。

14時より開会行事のあと
第1部「新潟中越地震うどんボランティアに参加して」
大洲ライオンズクラブ 委員長 浜田氏の報告
第2部「地域の防災力について」
国土交通省四国地方整備局 大洲河川国道事務所長 鳥居氏の講演
第3部「各市の報告及び意見交換」
新居浜市。西条市。大洲市。の議員の報告

第1部
・中越地震のニュースは連日報道されているが、それは、ごく一部分の状況の抜き書きでしかないことが、現場に入って活動した報告者の話から伺い知ることができる。
・10月23日の地震発生後 即 神戸市が動いている。彼らは阪神淡路大震災対応から学んだノウハウを持っている。が、現場ではけっしてそれを押しつけない。平成7年の教訓を提示し、現地の方々に選択してもらう態度で臨んでいたという。
・被災地に必要なものを必要なだけ送る事。(賞味期限の切れた おにぎり は食べられなくて大量廃棄された。)
・現地の状況は現地でも分からない。日によって、時間によって急激に変化する。
そんな現場に電話をかけるのは×。そんな時にHPの立ち上げは有効なコミュニケーションの手段となる。
・議員に注意してもらいたい事は、緊急時に頼りになる公共施設、学校の体育館や病院が崩れてはどうしようもない。地震に耐えられる建物であるように考えてほしい。

第2部
大洲地域における水害対策の現状と課題及び防災対策を1時間にわたり講演。
・南海地震の起こる可能性は、今後30年間で40%程度の発生確率。
・南海地震発生時の 西条市での推定震度は5、津波高は2〜3m。
・地震、土石流、高潮、洪水等の様々な災害に対して、安全安心を確保するための自助、共助、公助。地域、行政、家庭での強力関係の構築について。

第3部
・各地の(今年の)災害の現状と課題については、この関係の資料が一度に入手でき、また、取り組みを見比べられることができる。この資料は使える。
・自主防災組織結成の取り組みは、既に行われている自治体が多い。その点で西条市の取り組みは遅いことを痛感する。



2004年11月24日(水) 城のある地域の必然性(市長選挙の無投票考)

古く平安の昔、大和朝廷が発足してから何時の頃からか地域を効率的に治めるタメに条里制を敷いた。(歴史の歪曲容赦)
これは、支配階級を維持するための税金を効率的に徴収することの必然があり、精神的な支配のためには国分寺、国分尼寺を各地に配置した。(すごい歪曲)

各地の国分寺のあるところは、その地域の中心地であり、その回りには住人が集まり住んでいたのだろう。
これが、次第に武士階級が台頭してくると、群雄割拠を勝ち抜くために強固な城を築いたが、全国統一が成るころには、町を形成するシンボルとしての護領主様の城のイメージが出来上がる。
日本全国城のある地域は、住民が暮らし易い必然が有る故に 選ばれた地域 であるようだ。
その一つである西条市は徳川御三家の一つ紀州藩の分かれ という由緒正しいお家柄である松平家が治めていた。これは、石鎚山のお膝元で災害が少なく、豊かな自然の恵みを享受できることが約束された土地だったことが、この地が親藩の家柄の台所として選ばれた大きな理由なのだろう。

其処に住む住人は、年に一度の祭りに全勢力をつぎ込んで、仲間内での連帯を確認する作業によって、あとの364日を安穏と暮らしていける。まことに暮らし易い土地なのである。

内部や小人数では ぐちぐち 言っていても、本音は 大勢と体制追従で大同団結する。だから、この町では保守も革新も根は同じところから出ている。
このところの選挙では自民、民主拮抗した票が出ているが、中央政治という一つ遠いところの選択だからだろう。

この地域のこのような特徴が原因で大失敗したのが 記憶に新しいところでは県知事選挙。 愛媛の大勢は新人待望論でまとまっていたのに、現職に義理立てして票をまとめた。
しばらく謹慎していたのだが、ここで議会は、ウルトラC(今はE難度のワザか)のワザを出す。新人を応援した革新系の議員を副議長に迎え、その人を仲介役にして知事に会いにいった。
それからの関係修復は早い。ここらあたりが頭の良さと切り替えの早さ。
以後、県の行う政策に否は唱えない。
「合併で西条市は損をするのによく決断しましたね」「合併のささやかなご褒美に東予有料道路の無料化を考えましょう」などと言われても、ひたすら擁護に回る。

対立軸はいくらでもあるのに、それをうやむやに時をやり過ごす。これでは、意欲ある新人は出て来づらい。市長選挙を頂点に、諸々の組織に言える傾向でしょうね。

と、ある方が言っていたが、なかなか含蓄ある分析であると関心する。

明日は泊まりがけで大洲での研修。この地には新しく天守閣が出来た。
報道では、市長選挙の前哨戦がハヤ始まっている様子。
同じ城のある地域。とくと話を聞いてこようか。



2004年11月23日(火) 新市の市長が決まる

2市2町が合併し、人口116600名を擁する新しい西条市の舵取り役である市長が決まった。
旧西條市長を3期にわたり務めていた伊藤宏太郎氏以外に立候補する者が無く、静かな中での市長決定である。
伊藤氏は平成3年の初めての市議選挙立候補のおりから無投票で選出されており、これで連続5回の選挙を全て無投票での選出となった。

新市の市長選挙が無投票となった理由については、一言で言えば、この地域のある意味での豊かさが成せる技であり、大きな対立軸を見いだせないことに由来するのだろう。
この地域の過去の市長選挙の様相を分析すると、保守同士の感情的対立が選挙という場でもって噴出するという、およそ住民にはその候補者の政策の違いなど比べるよしもないような代物であったのではないだろうか。

それが、衆議院が小選挙区となり、保守王国愛媛にあって、中央との政策の整合性にさえ気を配っていたら、さほどに人物は問わない風潮が蔓延して、もろもろ牙を研ぐ事を止め、地域の首長とのパイプの太さばかりに気を配ることに終始することとなる。

思考を内に向かせ、事なかれでおればパイの分け前をいただける。
ようするに「ぬるま湯体質」が事の白黒を付ける行為を回避する。
それでも、今日も明日も明後日も、太陽は昇り沈んでいく。
豊かな恵みの地域に生まれた幸せを感じるべきなのか、それとも

このテーマは今まで意図的に避けてきたのだが、政治の端っこにでも連なる者ならば、やっぱり触れねばならないかな。



2004年11月22日(月) 議会内会派 無所属クラブ の結成

11月1日をもって西条市議会議員となった78名の中で、このたび5名でもって「無所属クラブ」を結成し、今日届け出た。

合併以前から水面下での調整によって保守系会派として
自民クラブ45名
周桑自民クラブ13名
が結成され
さらに
民主党会派7名
共産党会派4名
公明党会派3名
が名乗り出ていた。

これに遅れての話合い調整の結果、今回の会派誕生ということとなる。
どういうワケか私が代表に推され、これからの会派内の連絡調整役を引き受けた。会派の皆さんは私よりの年上の方ばかりなのだが、一番小回りの効く者ということが代表選考の大きな要因となったようだ。

皆さん様々な経験を積んできた方ばかりだから、是々非々の立場を堅持し、それぞれの議会活動を応援できるような下支えが出来ればと思う。

私はこれまでの議会内活動は、初めのうちは同期の方々と勉強会を持っていたが、年を重ねるについれ一人で活動する方に向かった。その方が、誰に遠慮することなく自由な立場で自分の主張を展開できるし、フットワーク良く調査研究に飛び回る事もできた。仲間内の調整や付き合いに手間をとられるよりも、その時間を勉強に回すほうが政策を練り上げられる。
仲間内からの情報も重要ではあるが、ある意味ではネット上や市民の中にこそ新鮮な現場の声がある。
議会内の皆さんの調査研究の成果は、時々の質疑、一般質問や委員会審議の中からでも入手できる。
それに旧西条市議会では、定例会毎に一般質問一人30分の発言時間が保証されていたのも好都合だった。議員が発言して実効するのは行政。

新市となって、議会内ではきっちりとした会派制で運営することとなり、一時期思案投首的であったが、そこは良くしたもので 類は友を呼ぶ である。
代表ともなれば、これまでのような気楽な行動はチョット横に置いて、会派内の皆さんの期待に背くことなく、皆さんのお世話事を第一に考えなければならないだろう。
私にとって、そのような行動はある意味では 未知なる領域 となる。
これも経験。すべてのものが人生の糧となる。
メンバーの皆さんはそれぞれに歴戦の強者のようだし、頼もしい人生の先輩方の良いところを、このさい十分吸収させてもらおうと思う。



2004年11月21日(日) 農業における 直接支払制度

農作業をしながらも農政について考えている。

一昔前の農民という方々は、狭い農地を額に汗して精一杯耕すことによって収穫を得る喜びを味わっていた。そうした努力は、狭い国土をくまなく有効利用し、地域の環境保全という副次的利益を、地域が享受出来ていたといえる。
だが、そんな一人一人の努力は経済成長の過程のなかでいつの間にか過去のものとなり、山村や農業地帯から若者が消え、荒廃田が国土を覆いつくす現状となっている。

農政 イコール NO政 などと揶揄されながらも、こんな状況に歯止めを掛けるべく、農業農村基本法の改正などの施策を展開している。
私は、この法律の条文を読み解く限りにおいて、十分に的を射た改正だと思っているのだが、これが現場での振興計画実効に即結び付かない現状がある。

例えば中山間地域における「直接支払い制度」。
耕作不利地域における農業振興を図るため、一定要件を満たした地域に対しての所得保障制度なのだが、これの適用がなかなか難しい。
西条市で補助要件を当てはめると、兎之山地区があるとの話を聞いたことがある。しかし、土地の傾斜度や集団化や農業振興地域の指定(いわゆる青地指定)が重なり、直接保証の恩恵を受けられないままとなっているようだ。

「直接支払制度」の導入は民主党の参議院選挙用マニフェストにも記載されているのだが、その適用要件は現行制度とどう違うのかが分からない。

各種税制や福祉制度における補助要件については、所得や財産による対象者制限が明確になっている。これは、この方面に熱心な政党等の活動によって、これまでの充実を見てきたのだろう。
その点、農政については、ある意味においてブラックボックス的であり、自民党の独壇場で事が進んできたのかもしれない。そんな中で、民主党は菅前代表の農村行脚でわかるように、この方面への切り込みを図っているようだ。

都市部で強く、地方で弱いとの定評がある民社党が、自民党の牙城とも言えるような農村部に浸透するには、現農政の何処をどう改革するのかとの明確な政策を提示することが必須だが、現在、その成果はまだまだだと私は感じている。

提示した政策が、その地域の何処にどんなに影響しどんな明るい明日が拓かれるのか。現行制度では適用できない地域であっても、地域マニフェストでもって新たな制度を提示できれば、意欲のある人間は振り向いてくれる。
そんなことが、現在の西条市政には欠けているし、ましてやそれを促す政治家は?。(それは私も含めてだ。と農業政策資料を見ながらため息)
もっともっと資料を集めて、「地域農業政策マニフェスト」が書けるまでしないといけない。そうでないと、天下の政党を批評するなど百年早いか。

一つ一つの制度を直接現場で実効に移すときの適用要件をどうクリアするのか。それは、制度を十分理解して、農業再生に意欲を見せる行政マンと農民が、一致協力して初めて出来上がる。
それが、現行制度すらもが十分に機能していないことにもどかしさを感じる、農業実践者としての偽らざる意見。
ウーム。いくら読み返してみても文章が観念的すぎる。農政は む ず か し い。



2004年11月20日(土) 久しぶりの松竹歌舞伎鑑賞

日中は遅れ気味の農作業に専念。
早めに切り上げて16時から西条市総合文化会館で開催される「松竹歌舞伎」の鑑賞に出かける。
西条市の自主事業なので、一席を埋めるのも市議の仕事のようなもの。などと理由付けしながら、久しぶりの歌舞伎鑑賞ではある。

この催し、12時からと16時からの一日2回の公演。昼間の開催時間に合わせて、12月に開催するピアノコンサートのお知らせチラシを配布しにいった妻によると、入りは500名といったところだろうかという。
夜の公演の入りも、似通った様子。出し物が 勧進帳 で、出演が松本幸四郎 板東三津五郎 中村芝雀 という一枚看板ばかりだというのに。

10月、11月と催し物が続いたのに加えて、新居浜、西条での台風災害による後遺症が、こんなところに出ているように感じる。

遠来の出演者さんに、せめてものお礼の心を込め 大和屋 高麗屋 と声を掛けさせてもらった。
芝居の出来はそれなりに良。勧進帳の囃子方が上演中に居眠りをしているのは、連日の強行軍のタメか。まあ ご愛敬。

19時半には帰宅。
夕食後書斎の資料整理。
災害関係資料 合併事務関係資料 臨時議会資料 議会解散運動関係資料 祭礼関係資料 教育基本法関係資料 加えて 介護保険関係資料 農業政策関係資料 が折り重なり、何時まで経っても片づかない。
これでは頭がパンクしそうになるばかり。情報の整理による実践活動へのリンクが一番なのだが。

歌舞伎鑑賞による精神のリフレッシュが、もう埃まみれ。か



2004年11月19日(金) 遊休農地と耕作放棄地

作付けされていない農地が増えている。
このような農地の定義は、遊休農地と耕作放棄地に別れるのだが、この区別を付けるのがあんがいと難しい。
平野部で作付けされていない農地は一見して分かり、周辺の農地や民家に迷惑をかけるので所有者が管理している。しかし、1年も管理を怠ると途端に雑草が生い茂り、景観上も支障が出てくる場合が多くなっているようだ。
これが2年、3年と続くと耕作放棄地となり、復田するには重機の投入が必要となる場合も出てくる。

私の家の周囲にも遊休地、耕作放棄地が点在しているのだが、この解消には厄介な問題が横たわっている。
その一つの解消策が、昨日の日記に書いた農業委員会による指導だが、そこまで機関を頼るのではない地元としての自助努力が必要。

そんな思いもあって、今年の麦作から一枚でも引き受けようと心準備はしているのだが、このところの議会の方の仕事と天候不順とが重なり、焦るばかりで仕事は進まない。

災害による地域の孤立がこの西条市でも何時現実のものとなるかわからない状況の中で、食料自給率の向上が災害に強い地域生き残り策として重要性を増す。それに呼応する農業政策の展開が、政治課題として必然的に重要性を増してくる。

政策展開を農業実践者としてを体現できる私としては、活躍の場が広がるというものなのだが、現実はお天道様と相談しながらではある。



2004年11月18日(木) 農業経営基盤強化促進法の強化

「農業経営基盤強化促進法」が平成15年の国会において、その一部が改正された。
この改正の中で、私が注目して今年の9月議会一般質問に取り上げたのが、 遊休農地の解消 を図るための 罰則(10万円)の条文。

このことについて旧西條市議会における伊藤市長の答弁を紐解いてみると、 農業委員会 からの市長に対する通知が(今のところ)無いから、この法律の適用による 遊休農地解消 のための施策はいまだ採っていない。と受け止められる。

法律が改正となってまだ1年も経過していないから、まだ農業委員会も動いてはいないのだろう。が、法律という 錦の御旗 があれば、遊休農地解消のための施策実施は やりやすくなる。

地域独自の施策を提言しつつ、法の根拠に基づく施策展開を促すのも議員の仕事。
どちらが仕事がやりやすいかと言えば、法の根拠に基づく施策展開は 言い逃れ できない のだから、当然こちらの方。

その事が分かっているのだろう、私の二度目の質問には理事者は答えていない。ふふふ。
農業委員会としても新しい仕事の展開が期待できますね。



2004年11月17日(水) 老人会 青年部

元気な熟年者を、地域の様々な活動に携わってもらい、生き甲斐を持つ生活の墓から健康管理をしていく方法。

60歳から入会する 老人会青年部 の結成。
70歳より老人会。

60年かかって出来る財産は 知識 経験 人格 人脈 ゆとり 財力。

これだけの財産を活かして地域活動に当たれば、その地域は活性化されること請け合い。如何に若い活動的な者がいても、とてもじゃないけどかなわない。

介護保険の保険料アップが必至となっているような状況で、取り組んでみる価値が有る。
研修会で仕込んできた ネタ の一つの披露。



2004年11月16日(火) 新西条市議会 臨時議会 この閉塞感は

10時より「新西条市議会」臨時議会が開催された。
2市2町が合併し、新西条市となって78名の議員が誕生した。今日は、その78名でもって議長 副議長 委員会構成の決定。 理事者提案206の条例 平成16年度暫定予算 専決処分の審議 が主な内容。

全員協議会でもって事前の話し合いがなされるのだが、議会内45名の最大会派からの意義なし じゃない 異議なしの声で全てが決せられる。
これまでの西条市議会の雰囲気とは違う 数の理論 の闊歩に、暗澹たる思いが駆け巡った。

こんな状況に、皆さんはどんな感覚をもっているのかと、例の定点観測。
議場を埋めるお歴々のお顔は、心なしか精気にかける。
まあ、今日は模様眺めなのか、これからこの議会の中でどんな活動をしていくのか、今後の展開が今から楽しみではある。
だが、今日のような閉塞感は願い下げにしてもらいたいものだ。

閉塞感のなかでの一筋の光明。
そんな状態の中でも世の中良くしたモノ。こんな私とでも議会内で一緒に活動しよう といってくれる方々が出てくる。
いずれも私よりも年上の人生の先輩方ばかりなので、胸襟を開いて色々な話を聞かせてもらえそうだ。

私は消防教育委員会に所属。議会は18時過ぎまでかかって、全ての議事を終了。

明日と明後日は松山での研修に泊まりで参加予定。その内容は18日に記入予定。
気分転換になるだろう。



2004年11月15日(月) 新市の 条例 暫定予算 を読む

明日の新市臨時議会で議題にあがる予定の、206の条例と平成16年度暫定予算説明書を読んだ。
その資料の厚さが7cmにもおよぶ代物だから、読んだといっても項目だけを拾い読みするだけで時間が過ぎていった。

旧西條市では見かけなかった項目が多数あり、正直な話、その内容が把握できていないものもある。福祉衛生事務組合が司っていた仕事内容が予算書に出てきたり、施設の管理条例が出てきたり、合併による事務事業の一元化が目に見える。

資料を読み解くなかで、事務のすり合わせで トリアエズ 全項目を羅列したであろう部分も散見された。今日の作業だけでも、オモシロイ データが多数見つかった。今後の仕事の参考となる。

明日に備えて、今日は此処まで。



2004年11月14日(日) お先達さん

西条市で言う お先達さん とは、石鎚大権現を信仰する人を導く各地の指導者の総称。
7月1日の 御山開き の日には、各地からこのお先達さんに導かれた信者サンが 何枚暖房 じゃない ナンマイダンボウ(字が分からない)を唱えながら石鎚山山頂を目指す。

今日は朝7時半から夕方5時過ぎまで、一日趣味の会のお手伝い。
1年に1度あるかないかのお手伝いなのだが、仕事とは違う緊張感の元、先輩方の所作や言葉から得るものが多い。ので、声を掛けられたらついつい付き合ってしまう。
妻は、小学校の文化祭で、こちらも趣味の会(ボランティアだったか)の一日絵本やサンの手伝い。文化祭の様子も見ておきたかったのだが仕方がない。

昼間の行事で一日が過ぎたのだが、ある方のお見舞いに失礼とは思いながら19時過ぎに出かけた。
前々からその存在は知っていたが、親しく話す機会に恵まれず、初対面から二度目にして今日はお見舞いを口実に、どうしても話を聞いておきたかった方だった。

1時間半、様々な話を聞かせてもらったが、その話の端々に原理原則は覆さない とう信念の様なものが伺え、やはり想像していた通りの方で話を聞いておいて良かった。

私が1995年 平成7年 に、それまでの仕事を辞めて市議選挙に出たとき、父は既に痴呆が進んで政治の話は理解できない状態だった。そんなだから、ダメだったらどうするんだなどという愚痴を聞かなくても良い半面、一番身近な人と相談するという精神的支えを得ることは出来なかった。
ただ、調子が良いときに、当選したということが理解できたようで喜んでいたと母から聞いたことが、親不孝な渡世に足を踏みいれた息子の、せめてもの癒しとはなった。

だから、父の世代のような年輩の方の話を聞く事が、私にとっては自分がこれから年を経ていくことの必然を知る縁となるようだ。
昼間の趣味の会と夜のお見舞い。人生の教えを請うことができた一日。
お先達さんに導かれ高見に登る。今日はそんな言葉が頭に浮かんだ日だった。

ヘッドライトに照らされた町中のミズキもケヤキも、もう紅葉の真っ盛り。



2004年11月13日(土) イラク ファルージャで何が起こっている

イラクのファルージャで、米軍1万人による大規模な掃討作戦が展開されているようだ。
日本の報道関係者が全て(?)イラクから引き上げている状態の中で、米国側からの報道画面しか見ることができない私たちには、ここでいったい何が行われているのか知る術は無い。

ネットで検索してみても、新聞報道以上の情報は配信されていない。

そんな中で、自衛隊イラク戦争派遣の、第4次要員200名が旅だったとの報道がなされる。自衛隊が活動しているところが非戦闘地域なのだから、行く人見送る人全てが笑顔の図柄である。
派遣の期限切れが迫っているのだが、このノー天気な首相の元では派遣延長は決まったも同然。
まず米国追従ありき。そこに物事の全てを合わせて言いつくろう。何とも政治家の言葉も理性が亡くなった いや 無くなったものだ。

こんな軽い言葉の首相が、今だ高い支持率だというのだが、情報操作のからくりが巧みに張り巡らされているのではないかと、考えずにはいられないこの惨状。
国民が、そのことに気づかないほど不感症となってしまっているのか。それとも、自民党の中に人材が枯渇していることを見抜いて、次の人を願望する意志が持てないだけなのか。

「ファルージャからの避難民が15万人」とのネット情報を流してくれた事もあり、今日はイラク情勢への対応不信から国政批判。



2004年11月12日(金) 定点観測の次は移動観測

定点観測から一夜明けて、次は移動観測。
条例読みも重要だが、現状は現場にあると、今日は移動観測。
場所は企業秘密としておこうか。

合併によって、活動の範囲が広くなった産物として、11月1日を境として以前と今日では、見える風景が違ってくる。顔出しするこちらの立場が相手にとって違ったのだから、当然として反応も違うことに必然があるのだが、使用前使用後のようにガラリと変わるとこちらが面食らう。
そんな変化と同時に、あらたな出会いがあった今日。

19時から西条市総合文化会館で伊藤宏太郎後援会総会がある。
あらたな市の舵取り役に名乗りを上げる方が、どんな話をするのかと興味を持ち席を一つ埋める。
22分に渡った話の中で、メモに残った項目の中では、これまでの産業政策の実績がその多くを占めている。
定点観測で痛感したことは、真面目な議論のないところに発展は無いということ。

一つの項目を捉えて事実を上げれば 自主防災組織への取り組み。
伊藤氏は今日の時点でその必要性を上げている事を良しとはする。が、西条市ではその組織がかなり以前に組織された2団体に留まっていることをどう説明するのだろうか。はっきりいえば、他地域と比べてのその取り組みの遅れがどうしてでてきたのかという理由。
既に旧東予市でも新居浜市でもその組織結成に取り組んでいる。
本年3月議会で 自主防災組織への取り組み について安藤議員が質問しているが、伊藤氏は「やります」とは言っていない。
他地域における自主防災組織の運営形態がどのようであるのか、結成までの意識啓発に行政はどう積極的に関係したのか。そんな観点から、この問題に取り組もうとの熱意が、残された議事録を読んだ限りでは感じられない。

次回12月議会では、一般質問の項目に取り上げられる事は確実だと予想するが、新市長の答弁が待ち遠しい。
自治会サイドでは今回の災害の経験から、その組織化の必要性は既に認識している。そんな中で、近い内にあるだろう行政からの打ち出し内容と、地域住民が望む内容が合致するのか。

今日の日記。書いているうちに、内容が自主防災組織の方が主になった。
「議論による発展」を説明するのに、事例を上げた結果の所以。

人は発展するために変化するのは当然だが、そのためには過去にはどんな考え方だったかを検証しておく必要がある。だから、地域自治組織について旧西條市議会の中でどんな議論があったかということに、いつかの時点では触れなければならないだろう。

経験した後から理解するのなら誰でも出来る。地域住民の生命財産を守る責務を口にするのなら、相手はどんな立場の人でもその話には耳を傾けねばならない。
他者の所作を見て我が身を質すでいかなきゃ。と感じた今日の定点観測。



2004年11月11日(木) 定点観測No2 新西条市議会 全員協議会

13:30より 新西条市議会 の全員協議会が、庁舎別館5階の大会議室で開催された。
11月16日開催予定の臨時議会に先立って、事務局からの議事運営についての説明を受けるのが主な日程。

初めて78名の議員の全容をこの目で確かめたが、これまで私が経験してきたことに照らし合わせてみて、これでは個々の方々の顔も考え方も見えないと感じた。
それは、私にこれだけの方々の氏素性を分析して理解するだけの能力が無いだけのことなのか。それとも、ここに集った皆さんが私と同じ感覚を持っているのか。建て前と本音が違うことの間々ある政治の世界では、確かめる術も無しか。

ただ 定点観測 で、感想を述べるのみ。

窓の外では西条のある意味での名物人が、この場の状況を評論してくれている。
皆さん聞こえているはずなのに無反応。言わぬが花の雰囲気に、何だか違和感。

78名の議員の会派(仮)は
自民クラブ45名
周桑自民クラブ13名
市政フォーラム(仮称)7名
日本共産党4名
公明党議員団3名
無会派6名(一色達夫含む)

大半の皆さん滞り無く、依って立つところを確保している様子。

この数字の分析によって、この地域の政治状況があらまし理解できるようだ。
全員の顔ぶれを見た昼間には、ある意味引いてしまったような私の感覚が、数回の咀嚼が済んだ夜には消化終了。
今日一日の出来事での情報収集量は膨大。ようするに今まで西條市議会で起きていた事柄が、人数が多くなっただけのこと。そこに、新しい動きの目も少しだけある。
その目が大きく育つか 否か を定点観測。といいながら     



2004年11月10日(水) 定点観測

この言葉、本来は気象用語なのだろうか。
気になって辞書を手に取ってみると
定点観測「国際的に決められた海洋上の定点で、観測船によって連続的に行う気象および海洋観測」とあった。
やっぱり気象用語から出ていた。
だが、昨今この言葉、あまり聞かれなくなったのではないだろうか。

宇宙開発の進展から、気象衛星がその地位を取って代わり、観測船による定点観測はその内容が変わっているのではないだろうか。

なんで今日そんな言葉が日記に出てきたかというと、条例を長い時間読んでいる状態から、ふとこの言葉が頭の中に浮かんできた。
このあいだの苺苗の植え付けで腰を曲げていたのがひびいたのか、同じ姿勢でいたら腰が痛くなった。それで気分転換に、田に出て麦蒔きの準備作業実施。

同じ田で、行き交う自動車の様子を 定点観測 してみると、これからでも社会状況が透け見えてくるから面白い。
やたらダンプカーが闊歩している。それも、今までここら当たりであまり見かけなかった業者の車が。
近づいてみると、台風21号災害復旧工事車両 との文字が見える。
他地域からの応援車両が、多数活躍中の様子。

明日は、新西条市議会 全員協議会。78名の議員の初顔合わせか。
こちらの 定点観測 は、どんなモノやら。



2004年11月09日(火) 平成16年第1回西条市議会臨時会 議案書送付

新西条市議会の第1回臨時会は今月16日に招集される。
今日、その議案書が送付されてきた。
いよいよ始まるのか という感覚よりも、まづ第一にその議案書の分厚さに我ながら圧倒されてしまう。厚さにして6cmにもなる。
議案書の半分は新市の206件の条例であり、あとは一般会計の暫定予算書。

議案全てに目を通す必要があると考え、1ページ目から読み出した。
これは大変だが、読みこなしてはじめて新市の議員としてモノが言える。特に条例は新市の憲法ともいべきものだから、旧に比べてどうなのかを把握しながらの作業となる。
今日は2時間ほど費やしたが、正直ダウン。気分転換に農作業少々。

夜18時より、神社の祭礼太鼓台運営委員会に出席。
17日の太鼓台運行実績資料が役立った。
参集した方々の話を聞くうち、世代交代に伴う役員人選の大変さがどこも同じなことが分かる。人材が得られたら、その仕事の善し悪しが決まったようなもの。

ここしばらくは、資料読みと農作業の日々が続くか。



2004年11月08日(月) 米の作況指数

秋は収穫の季節と同時に種まきの季節でもある。
10月は天候不順で延び延びとなっていた農作業も、このところの好天で捗りつつある。
今日は母の言い付けで玉ねぎのマルチを買いに園芸店に出かけたのだが、そこにある玉ねぎ苗の値段を見てビックリした。
50本で350円とある。
例年ならば100本単位で売られているのだが、今年は半分の50本でしかも小さい。
最初は、家庭菜園用に小束にしたのかと思ったのだが、それならば値段をそれなりに設定するだろうと思った。しばらく考え はた と気付いた。

今年は秋の種蒔き時に台風や雨が重なり、作業に支障が出ているという話を思い出した。
それと、野菜類の価格高騰。

昼間のそんな情報収集から、夜になってgooグルってみた。
検索項目欄へのインプットは 作況指数。
「作況指数」とは、米の10a当たり平均収量を100として、その年の収穫が高いか低いかを数値化するもの。

今年の指数はかなり悪いだろうとネットにあるデータを拾い出して見たところ、9月の発表時点で102とあるものが、10月には98に下方修正している。また、9月時点でのデータをこのように修正することは珍しいとの記述も見られた。
この数字に 農家としての感覚で 違和感を持ち、更に検索していくとやはりあった。九州85。高知81。
愛媛新聞には92との発表。これはあくまでも平均だから、東予の悪い所はもっと低い数値が出るのではないだろうか。
ヒノヒカリを収穫している時に農機具やさんから仕入れた話や、地区の農家の方から聞いた話では、台風被害で白穂となったほ場が多い松山三井では10a当たりで1俵あるなしとのこと。

災害の多かった年を表す数値として、この指数を記憶に留めておくことも、必要なことだろう。それと、ものの値段のことも。

それにしても玉ねぎ苗が倍額とは。



2004年11月07日(日) 文化祭二つ

秋晴れの一日。
玉津校区では、東中学校文化祭と玉津連合自治会文化祭が同時に開催された。
まずは、東中学校での校内音楽会の鑑賞。各組みごとでの合唱と、先のNHKコンクールに出場した合唱部のだしものがあった。
1年生から始まって3年生へ進んで行く中で、その出来映えが違ってくるのが歴然としている。さらに合唱部の声の清らかさも、また歴然としている。
生徒達の成長と教育の積み重ねの過程を観ているようで一つの感動だった。

連合自治会の文化祭は、昨年度までは小学校との共催だったものを、今年から自治会単独開催となったようだ。その経緯については把握していない。
皆さんの話し合いの結果ならば、これもまた試みだろう。

帰宅して高校野球四国大会決勝戦をTV観戦していたら、知人からの呼び出し電話あり。話が面白く、コーヒー一杯で2時間ばかりが瞬く間に過ぎた。

家庭菜園のイチゴの植え付け作業。真夏の暑さと台風災害が重なり、苗が少なくてスグに終了。

19時から自治会の役員会に出席。
台風災害の対処方法や、防災・防犯対策についての話で、会議は長時間となる。
二日続きの会議は疲れる。頭の痛い話が多くなるとなおさらに。
今まで取り組まなくても良かったような事項や、難しい課題から、様々な仕事をいただく。



2004年11月06日(土) 新居浜市市民の森ボラ 古豪西条高校復活なる

9時半より「新居浜市市民の森」での石鎚水源の森づくりボランティアに参加。
宇摩でのボラの時の経験により刈り払い機を持参しての、広葉樹林の下草刈り作業。正解だった。
ここも先の台風の被害を受けて、至るところ小規模な土砂崩れがある。公園のトリム遊具が今だ土砂に埋まったままとなっている。新居浜市でも被災ヶ所が多いからここまでまだ手が回っていない様子だ。
この公園内にある学習館は小規模だが、森への理解を深めるために有意義のようだ。公園管理棟だけでは芸がないから。
ボラは12時までで終了。紅葉の季節に、一人でも来訪者があって自然に親しんでくれたら良。

返り足で、舟木地区の国道片側通行ヶ所を見る。急傾斜地の土砂崩れで、完全復旧までまだ時間がかかりそうな様子。
台風21号の時には、高速道路、国道11号、県道壬生川新居浜野田線の3本ともが不通となり、結果として西条市の東口が閉ざされた。この地点で足止めとなり、瀬戸大橋・中国道・しまなみ海道経由でようやく西条に帰り着いたという話も耳にした。
そんな経験からすると、この舟木地区の国道の状況に関心を寄せずには済まされない。この付近が同じ土質の所からして、今からも土砂崩れの可能性が高い。
市内交通渋滞緩和のため、国道バイパスの工事が進められているが、災害対策や復旧対策から考慮すれば、この舟木地区の3車線化が求められるように感じた。

帰宅したら、TVでは丁度高校野球秋の四国大会準決勝戦の真っ最中。
西条高校は済美高校に4対3で勝つ。決勝戦進出はなんと16年振りとのこと。これで来春の甲子園選抜大会への出場は確定だろう。
夏の大会準優勝投手 福井 をうち崩し、戸田・津島の両投手は済美強力打線を良くしのいだ。キャプテン セカンド越智の好守備もあり、堂々の決勝進出である。

古豪 西条高校 復活なる。

夜19時半から太鼓台運営委員会。
好天の元での祭礼運行であり、とりたてての反省点は出なかったのだが、青年部からの思いの丈を聞いていると時計は0時近くになっていた。
彼らは彼らナリに社会と真正面から向き合っている。
この子達の想いに、自分はどんな手助けができるのか。ただ、時間を共有して見守ることしか私にはできないだろう。それで十分なのだろうとは思いつつ



2004年11月05日(金) 福祉政策におけるハードとソフト

行政が受け持つ仕事の中で、大別してハード整備とソフト整備があるが、福祉面ではソフト整備がその政策において重要な位置づけがなされると考える。

そんな考えは、宮城県知事の浅野さんが知事選挙に立候補した時の、何百億もかけた福祉施設建設を白紙にした話から、得るに至ったように思う。
ノーマライゼーションの考えから、普通の生活の中で福祉政策を実施していくとの施策展開は、施設整備を行う事が一種の隔離政策となることへの反省から出てきたようだ。
青年団時代から長年ボランティア活動に携わってきた経験から、浅野さんの話は賛同するに値する考え方だと思った。

保健・医療・福祉を担うハード整備について言えば、その専門性を持った施設は民間事業によって主に整備される。介護保険施設も西条市の場合は民間活力によってその大部分が整備された。したがって行政は事務部門を担当することによってソフト充実に特化することができる。

これが文化施設だとそうは行かない。施設使用料などでその施設の建設費用や維持費を出すことが出来ない専門施設は、行政によって建設しないと民間での整備は不可能。たとえば文化会館であり、図書館であり、美術館であり。
このような文化施設はハードが整備され、その施設を使ってのソフトの充実によって、地域住民が高い文化性を享受することが出来る。

だが、私が経験した文化施設のハード整備についての顛末話は、出来の悪いハードによってソフトが十分に機能しない事があまりにも多いのだ。

その点で、福祉施設のハードについては、今まで各地の福祉施設を視察させてもらっても、その出来の悪さが目に付く事は少なかったように 今までは 感じていた。
強いて言えば過剰投資かな。

語弊があることを承知で言えば、
事務所は傾いていても福祉の仕事は出来る。
お風呂は民間が十分に整備しているし、利用券の配布事業もしている。
集会施設は各地区に公民館・集会所を整備している。
プールは民間施設が営業している。

そんな中で、あえて福祉施設を整備するのであれば、その整備するハードによって福祉のどの部分をどう担うのかという、明解な理論が必要だと私は考えていた。

議員だといっても、それは人間だからどうしても好みは出てくる。そんな偏りを無くするために、人の話を聞き、要望の内容を吟味してその実現に努力しなければならない。
だから、福祉施設を作ると決まった時点で、その設計図を活動報告で公表したりしながら利用者の要望把握に務めたつもりでいた。
しかし、そんな私の行動は、福祉施設への及び腰以外のなにものでもなかったようだ。



2004年11月04日(木) 西条市総合福祉センターのオープン

10月12日に「西条市総合福祉センター」がオープンした。
自治体合併までに間に合わせることが至上命題であったワケではないのだが、本当にバタバタした中でのオープンとなったように私は感じる。

開館記念行事は10月11日だった。議員としての出席案内をいただいていたのだが、丁度東京行きと重なり、そちらの方を優先したので、施設を見て回るのは後日となった。

台風災害、祭礼行事、が重なり気になりながら、この施設についての 評論 が後回しとなっていたことは ご容赦。

10月中には施設をくまなく見学し、今日は夜の利用状況を 視察 する。主に水浴訓練室の状況。

介護保険制度の見直し議論が進んでいる事は既に書いたか。いや、マダだったか。
折に触れて細切れに書いたのだったか。
介護保険料が2012年度には月額6000円にもなろうとの厚生労働省の試算が報道されたことは既に触れた。このような負担増しにならないよう、介護にいたらない健康人を育てるために、介護予防措置に重点を置いた施策の推進は必須。
そこで、新しくオープンした西条市総合福祉センターの施設を使っての、市民健康増進運動の展開が求められ、すでにそのような方向で職員を配置、健康教室の開講がなされている。
この教室は午前中だけの開講だが、仕事をしている方々のため、夜の開講が望まれるとの要望があることは既に触れている。
だが、一応のオープンから、最初に準備されたメニューが市民の方々のどのように浸透したかどうかを判断してからでも遅くはない。

そこでの、今日、夜の状況を確認するための行動。

この総合福祉センターの出来映えとその運営についても、思うところをつづらねばならないだろう。その文章は、自分のこれまで持っていた思考への反省が多くなりそうだ。
5月に書いていた「住み慣れたまちで安心して暮らすために」のシリーズ続き、となるようだが、それでは福祉限定になるから違う視点で書くほうが良さそうかな。



2004年11月03日(水) ふれあい交流会

地区社協と自治会主催による「ふれあい交流会」が11時半から開催された。
普段の年は、9月に敬老会行事として開催されている催しを、地区社協の要請によって趣向を変えてこの時期に開催したもの。地区のグランドにテントを立て、敷物を敷いて青空の下での交流会である。

朝から、会場設営等の準備に出る。自治会役員サンと地元婦人会、自治会青年部の協力によって、スムーズな準備と催しとなった。参加対象者は地区内の70歳以上の方40名。

曇り空で時々北風が吹く肌寒い中、大正琴の演奏やアトラクション等の余興に、和気藹々とした雰囲気が満ちている。

時は介護保険の運営見なおし議論がなされており、介護予防措置がその重要性を増していく状況にある。自治体の財政が逼迫してくる中で、行政に頼らない地域の力で解決する活動が、今後益々必要とされてくる。
それは、福祉関係に限らず、子育て支援、教育、環境整備、地域安全対策、地域産業(農業)等でも当てはまる事。

社協支部長も自治会長もその事を挨拶の中で述べておられた。

今回の台風21号による被災経験が、自分達での自己防衛の必要性と地域の協力体制の重要性を考える大きなきっかけとなっていることが、皆さんとの話の中で感じられる。





2004年11月02日(火) 騒々しくも殺伐とした社会にあって

早いもので2004年も残すところあと2か月となった。
まだ2か月有るといっても、2004年 平成16年 を振り返れば、災害の年と総称されるだろうほどに、次々と襲ってきた台風や地震の事が記憶として残るのだろう。
それと同時に、相次ぐ凶悪犯罪や低年齢化が顕在化し、騒々しくも殺伐とした社会状況が定着した年としても。

こんな社会状況にあって、人々の心を暖かさで包むものは、将来への希望の火を見つけだす行いであり、文化・芸術に心を遊ばせるゆとりなのだろう。
だからこそ、日常の忙しさの中からも時間を作り出し、地域のホールや美術館に足を運び、命の洗濯をする必要がある。

西条市では文化会館を中心に、この秋には、なまびピア事業などの様々な催しが用意されていたのだが、残念ながら21号台風に伴って中止となった事業が出たり、開催しても入場者がイマイチに留まっている様子。
10月23日に開催された オーケストラアンサンブル金沢と中村紘子さん のコンサートは、500人ほどの入場者に留まったそうだ。かく言う私も、楽しみとしていた催しなのだが聴く機会を逃した。

夜、忙しさにかまけてこのところご無沙汰していた文化サークルの月例会に顔出し。12月にピアノコンサートを予定しているので、その打ち合わせが主な議題。
今日、文化会館小ホールでコンサートが開催されていたそうだが、寂しい入場者だったという。

新潟地震で全村民が避難した山古志村の村長が、「全村民の意志を一つにまとめる手だてとして、村の誇る錦鯉や闘牛などの文化を大切にしたい」と言っていたのが印象に残る。

明日は文化の日。
日本人として、地域に根ざした文化をどのように継承しているのか考える日としたい。



2004年11月01日(月) 新 西条市 の誕生

西條市・東予市・丹原町・小松町の2市2町が合併し、今日から新 西条市 となる。

時代の流れの中で 洞ヶ峠 を決め込んでいた西條市が、大勢がこちらに向かうと分かった途端に、一気にTOPギヤでアクセルを踏み込んでの今日である。
にたにた笑いながら あくまでもニュートラルです などと答弁していた輩がいたことを今でも鮮明に覚えている。

合併で何が変わったのかと問われれば、「旧西條市では何も変わりません」と答える。だが、それは、「一年に一度も市役所を訪れることもない市民に方々にとっては」という前提が付く。行政に深く関わっている方々にとっては、一生一度の大きな転換点となる出来事であろう。
また、旧西條市以外の方々にとっては、生まれてこの方使っていた地名が変わるという違和感を伴うものだと推察する。

西條市は洞ヶ峠を決め込んでいます、と講演会の中で話した関西学院大学の小西教授は、「西條市が合併に走るのなら、持てる者の度量でちょっとだけ我慢をしてください」とも話した。
旧西條市民は、その事を理解した上での合併であると承知したとは、私には到底思えない。
そんな祝祭感無き合併を迎え、市議会議員として日々どういう活動をしていけば良いのか。
悶々とする日々を送ってばかりはいられない。

こんな時代の転換点にあって、議会に議席を持つ者の責任において、様々な勉強だけはさせてもらったと胸を張って言える。

保守政治が利権構造の呪縛にからめ取られ、あらたな公共事業の垂れ流しを誘発しるような特例を設け、地域自治への理念無き自治体リストラに走らせる。そこに群がる魑魅魍魎どもの騒動。そんなざわめきが、断末魔の叫びのような様相を呈してきた。

騒動の渦中にあって、冷ややかに情勢分析をしているのではない。税金を払って社会を支えてくれている方々に、冷静に次なる導を指し印す事こそが選ばれし者の使命。
これまでに至った過程と期間が無駄とならないよう、新西条市民の幸せのため日夜行動あるのみ。


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