2003年12月31日(水) |
年末 一日片付けばかり |
日のある内は、普段ほったらかしの庭木の剪定作業。 夕暮れ時からは、納屋の整理。 夕食を済ませた後は、書斎の片付け。 たまに紅白歌合戦を見るのだが、手を付けた仕事の方が優先されて、いつの間にか2003年も終わり2004年1月1日となる。
一年を振り返る間も無く、いつも通りの一日が過ぎていった。
氏神様への初詣の誘いが子供達からあった頃、丁度平成7年4月の初選挙の時の写真が本棚の片隅から出てきた。その写真に写っている息子と、今日の息子を見比べながら、8年の歳月を想い一時感嘆にふける。
写真に写る私は髪も有るし、妻はスリム。 髪が薄くなった分、知識と経験は濃くなっただろうか。そんな他愛のない事を思っていたら、再びの催促。 過ぎていった平成15年の様々な事柄が走馬燈のように脳裏を巡って行くが、ひとまずは初詣と日記記入で今日は睡眠とするか。
読者の皆様 良いお年をお迎え下さい。
2003年12月30日(火) |
松山三越 第9の祭典2003 鑑賞 |
この時期、様々な用が有るのだが、今日は思い立って松山三越のアトリウムコートで開催される「ベートーベン第9交響曲演奏会」を聞きに出かけた。
高速道路は長距離トラックや年末年始の遠出の自家用車も少なく、折からの好天も手伝って快適なドライブとなった。が、妻は「餅つき機」を相手の年末作業。子供達も同行はしてくれず、独りポッチの松山行はカーラジオ相手のチョット寂しい目の時間とは相成った。
今年で4年連続の開催という事だが、私が聞きに来たのは初めての事。年末の買い物客で賑わう商店街に面した吹き抜けの会場は、14時の開演15分前から一睡の余地も無いほどの人混みであった。 オケは「ウッドランドノーツ」と松山西高吹奏楽部のプロとアマのジョイント。ソリストはソプラノ今久保宏美さん(西条市出身)ら4人。加えて公募で集まった100名の合唱団。指揮白石卓也。 会場が、買い物客で賑わう都会のまっただ中のデパートであり、オケは急ごしらえなのだから、多くは期待していなかった演奏会ではある。 結果はやはりというか、楽章間や楽章の途中でも拍手が入ったり、人が絶えず出入りしたり、吹奏楽器のモロに外れた音が聞こえたりと、予想通りの演奏会ではあった。
だが、ベートーベンという人類が得た天才からのメッセージの持てる力を引き出そうと、1時間10分の演奏を精一杯こなそうとするオケ一人一人の謙虚さや、歓喜の歌を歌いたいために集まった合唱団の喜びに満ちた表情などにより、自分が此処にいることの幸せを感じることの出来た演奏会であった。 歓喜の歌は、三越アトリウムコートを覆ったガラス屋根を付き抜け、雲一つ無い青空の彼方までも、人間世界の幸せを願うその詩の意味を届けているようであった。
パンフレットに記されていた、指揮者フルトベングラーの言葉「多くの場合、感動は人の中にあるのではなく、人と人の間にある」が心にズンと落ちてくる。 感動は人と人の間にある。それで人間なのか。
忙中の閑。出かけて良かった。
平成8年に、西条市総合文化会館のオープン記念で第9が演奏されて久しい。 文化会館オープン10周年記念イベントを、仕掛ける時期がそろそろ近づいてきたのだが。さあてと。
2003年12月29日(月) |
地下水保全条例へのパブリックコメント No2 |
私が行ったパブリックコメントは過去2回ある。 いずれも愛媛県が募集するものへのコメントであった。 一回目は「愛媛県総合文化会館周辺部への文化施設整備計画についての意見募集」 二回目は「新県立図書館建設についての要望」
二回目の、県立図書館への意見については2002年9月27日付けの日記に、その内容を記入している。 パブリックコメントについての日記を記入するに当たって、当時の日記を読み返してみたのだが、我ながら良いことを言っていると改めて認識したね。
この二回のパブリックコメントについて、一回目のものは確か県の企画部署が募集していたのだが、私からのメール応募にたいして、募集の担当者から直ぐにお礼の返事が来た。 だが、二回目のものについては、「返事は無かった」。この二回目のコメント募集の担当は教育委員会であり、こんなところに愛媛の教育関係部署の有り様を、私なりに再認識したのだった。 その後は県のHPを訪れること無く、日常の中で流れていたのだが、今回久しぶりに開いてみて、パブリックコメントのやり方についての多少の知識は有られたようだ。 が、県内自治体でのこの方法についてザットだが検討してみると、愛媛県内では新居浜市の市民参加のやり方がもっとも進んでいるように感じた。 さらに詳しく日本全国での実施状況を分析すれば、西条市が参考とするべき方法はあるだろう。
このパブリックコメントと同時に、各種審議会への公募委員募集を平行して実施するのが、自治体施策への住民参加を進める上での有るべき姿であり、新居浜市での実施の様子が一目瞭然にわかり、その点が私が新居浜市を評価した根拠ともなった。
この公募委員については「西条市新図書館建設調査研究費」163万円が議会提案された時、一色達夫の質疑の一項目として「審議会委員への公募委員の募集」を言ったのだが、答えは やりません だった。
西条市では初めての折角のパブリックコメントなのだから、その実施の成果が多くなるよう、コマーシャル活動を緻密にやっていくことなのだが、現在のところその点での不満を感じるところではある。 そんなところも含めて、今後この制度を西条市に根付かせて行くためには、「意見募集実施要綱」の制定や「審議会への公募委員募集」についての制度化等、実施についての条件整理をしておく必要がありそうだ。
2003年12月28日(日) |
きのおけない仲間達との忘年会 |
こんな仕事をしていると酒を飲むのも仕事の内。 だが、酒は飲んでもけっつして酔ってはいけない時の方が多いのがツライ職業ではある。 そんな浮き世の渡世の中で、今日は気の置けない仲間達との忘年会。 ビールにワインに焼酎に。手近にあった アルコール類 という名の付くものを総ざらえしたような、今日の 宴会ではあった。 水炊き 焼き肉 オードブル。一年一度の豪勢な食べ物に、私も子供達も腹一杯胸一杯。 がーーーーー。もうだめだ 目がかすむ 寝るzzzzzzz。
2003年12月27日(土) |
地下水保全条例へのパブリックコメント No1 |
水の都西条の看板である「うちぬき」を保全するため、かねてよりその制定の時期と内容が話題となっていた「地下水の保全に関する条例」の要綱が、市役所の担当部署から標されている。 市議会議員にこの内容が提示されたのは、12月議会の建設消防委員会の開催日である12月11日、議案審議が終わった後の協議会において。 議員全員には12月議会最終日19日の全員協議会においてである。 11日の委員会傍聴のおり、傍聴議員にも要綱が配布されたのだが、全文を詳しく検証するだけの詳細な知識と時間が無かった故に、19日の全員協議会までに私が事前の準備ができていた質問は3点。
・罰則の条文には過料の額を提示するほうが良いのでは。 ・条例の施行規則制定に関する条文はどのように考えるのか。 ・この条例要綱を市民に標して、意見を求める「パブリックコメント」を実施する考えは。
答えは、その方向で実施することを考えています。とのことだった。
「パブリックコメント」は、行政の施策実施に当たって事前に巾広い意見聞き、施策に反映させる手段として、このところ盛んに実施されている政治への住民参加を図る手法の一つである。 西条市議会での一般質問でも取り上げられた事があるのだが、「政策実施前における事前公表によっての市民意見の募集」は、これまで西条市では実施されていなかった。
のだが、今回初めて「地下水の保全に関する条例要綱」についてのパブリックコメントが12月22日から平成16年1月30日までの期間で実施されている。 一般質問への市長答弁は、必ずしも積極的とはいえないニュアンスだったように記憶いるのだが、今回の件については迅速な対応で、市民参加行政の推進についてひとまずは前進したと評価できる。 実施方法は、この条例要綱を西条市のHPに掲示し、書面または電子メールによる。
さて、このパブリックコメントと地下水保全条例の両方は、これかの西条市の町づくりを考える上で大きな柱となる問題だから、私の考えをまとめておかなければならないだろう。
その一番は 「西条市の町の顔としての地下水保全について、市民がどのように行動するのか」を条例化する重要事項なのだから、このパブリックコメントには「がっばって下さい」の一言でも良いから、多くの方々が参加して頂きたい。 これをしないでおいて、行政や議員まかせで文句を言うだけや無関心を装うのではいけませんよ西条市民。
昨日の会議は、正味疲れた。 本来会議に持ち寄る知識と情報は、正確で新鮮であるのが必須であり、そしてより良き結論を導き出すための標となるように使って行くのが、衆人に求められなお認められる事となるだろう。 しかし今日私が自分の足で確認していった情報は、昨日の会議の多くの時間を費やしたものとは明らかな違いがあり、なんだか気抜けがしてしまった。
昨日のこと 長時間の緊張から解き放たれたせいか、帰宅してからの私は不機嫌であり、突然の怒りを落とされた妻は、アアまたかというような顔をしながら遅い夜食の準備もそこそこに、そそくさと寝入ってしまった。 年も押し詰まっての会議であり、主になって動いて頂いている方々の状況報告を受ける事を主眼においていたので、結果として私としての事前準備を怠っていたきらいがあった。
そんな反省点を早めにカバーしておくため、今日の情報確認作業なのだが、役所はご用お納めなのにご苦労なことでした。 この件に関する報告文章の作成、提示。来年早々の会議設定を約する。
よしよし。これで仕事が一つあがった。
正月準備の片づけもの多数。
2003年12月25日(木) |
2市2町合併協議会第14回会議傍聴 |
13時半より東予市総合福祉センターで開催された「第14回合併協議会」を傍聴した。委員29名中26名の参加。事務局職員、報道関係者多数。傍聴者6名(内西条市議3名) 議事は継続協議となっていた2件についての確認と新市建設計画の策定確認で51分には終了。 西条市中央公民館が廃止されることが確認され、西条市総合文化会館の全施設が一体での管理運営が出来るようになる。一色達夫が合併協議のメリットを言う時の第一番の項目が出来たのだが、諸手を挙げて歓迎するワケにもいかず、なんとも複雑な心境ではある。 今日の会議をもって、粗方の事務事業のすり合わせは出来たようだ。
会議の冒頭、12月23日付けの愛媛新聞紙上「丹原町議会報告」に掲載された、{合併協議会の場で青野勝東予市長が(任期延長を)再考すべきだと発言したことについて、渡辺町長は「議案の提案者の発言として適当でない。4市町の首長間の信頼関係にひびを入れるような事態になった」と批判した}との文章について、渡辺丹原町長が、丹原町議会での議事録を読んでいただいたら分かるように、私は、ひびが入ったとか、批判したとかはしていない。訂正記事の掲載を要求します。と弁明した。
この件については、21日付け愛媛新聞紙上「年末記者ノート12」欄で「議員任期延長に批判」住民の意思反映されず との記事が掲載されていた。 それに加えて、県内合併協議において松野町と伊予市が脱退したことが気になっているのか、合併協議への批判の火種を消そうと当局が過剰反応しているように私には感じられた。 火種を消そうと思うのなら、批判の対象である「議員任期延長についての方針」を修正することこそが取るべき道だと思うのだが、当局は延長批判する者を叩く事にばかりご執心である。
夜19時半から22時56分まで農地基盤整備地権者集会。 延々3時間、お茶も飲まずに会議が続いた。 これだけの時間を費やす根性があるのなら、基盤整備事業をやり遂げることぐらい朝飯前 と私は思うが、人それぞれの価値観があるようなので、そうは上手くはいかないのが世のならい。 皆さんこの事業への取り組みの必要性は認識しているのだが、線引き廃止・合併問題で補助事業の今後に対する懸念・農業を取り巻く社会情勢の悪化等があり、最初の一歩がなかなか踏み出せないでいる状況である。 内憂外患、ここが正念場。
2003年12月24日(水) |
年末 資料整理と新年準備 |
今年も残すところ1週間となった。 クリスマスイブという事で、町のお菓子屋さんの前は、どこも混雑のピークが訪れている。一見してクリスマスケーキと分かる箱を下げ、家路を急ぐ人々に、変わらない年末の光景を見る。 かく言う私はというば、昨年の 思いつき のケーキがあまりにも評判が悪かったので、今年はおとなしく妻の仕事として任せておいた。
一日の大半が書斎の資料整理にかかってしまった。だが、どうにも片づかなくて、明日の会議の資料を探してのネット検索でもって、またまた資料の束が机の上に散乱することとなってしまった。
外はポカポカ陽気。 寒さは得意では無いのだが、この暖かさは地球温暖化の兆候なのかと気になる。 22日の水行の時、先立ちさんが、20年前に始めた時は水温6度でしたが、今年は9度あります。地球環境がおかしくなっているのではないかと、こんなところから如実に感じます。と言っていた。
そろそろ今年の総括と、新年に望む抱負といた類のものを考えなければならないと思うのだが、どうも沢山あり過ぎて集計するのが困難のよう。 新年には、今年の積み残し仕事に手を付ける事で終始しそうだ。どうもメリハリを付けがたい年末ではある。
2003年12月23日(火) |
風の舞 上映会とフォーラム |
新居浜市の市議会議員さんに誘われて、新居浜市文化センター中ホールで開催された、風の舞上映会とフォーラムに参加した。
「風の舞」とは、ハンセン病国立療養所大島青松園に建設された「合同墓」モニュメント。 この島で生涯を終えた人々の魂が、風に乗って解き放たれることを願って作られたこのモニュメントに込められた、数々の人々の想いを伝えるため制作された58分の映画。 映画全編を通じての主軸に、この島で12歳から生活する詩人塔和子さんの詩を置き、生涯を国家権力による強制隔離政策の犠牲となって終えていった方々への鎮魂を願って綴られている。
塔和子さんの詩は、人間は人間と関わってこそその存在意義を感じる事が出来るとの人生観を表すものであり、朗読を担当している吉永小百合の稟とした音色によって、その言魂を観衆に伝えてあまりあった。
国家は、その国土とする所に生活する国民全ての権利を保障するために憲法を定め、国民の義務によって成り立っている。その義務を定めるものが法律であるのだろうが、この法律の名の下にこれまでに数々の過ちを犯してきた。 敗戦後、この法律を作るのは選挙によって選ばれた者によって民主的に制定されるようになってからも、やはり数々の誤りを犯してきたことは歴史の事実として受け止めなければならない。
そんな事実を突きつけられる今日の映画は、権力を握っている者は如何にあるべきかとの原点を認識するのに恰好の機会となった。 さらに、フォーラムのパナラー3名の方それぞれの体験談は、人間の尊厳を冒される側に立っている者の心根を伝え、様々な形で繰り広げられる人間の営みの中に潜む差別意識の根深さを感じた。コーディネーターは佐々木新居浜市長。
ハンセン病国家賠償請求裁判の原告団長でもあった、大島青松園入所者自治会長である 曽我野一美氏の言葉にあった、 阿蘇黒河温泉ホテルの件について、数々の取材を受けましたが、論理的な面からの感想としては「今頃なにを言っているのだろう との心境です」と答えます、が、感情論的な面からの感想としては「私の心の中にもあのホテルの人と同じような、一種の弱さを持っています」と答えました。 という話が鮮烈であった。
人間の無知によって作れ出される差別意識と同時に、国家権力によってもまた多くの差別が作りだされた。その免罪符を得ようとでもするように、人権教育という多くの取り組みがまた権力によって進められてきた。 そのような教育の多くは、論理を教えてやろうという傲慢と欺瞞の匂いがなかったか。
人間という自然の一部が、その高度に発達した文明ゆえに作り出してきた差別という文化。その解消への取り組みは、人間の心理の中に潜む気高きものとおぞましきもの、強さと弱さ、陽の部分と陰の部分の両面が一人の人格の中に存在するのだという事実への認識を深めて行く作業無くしては成り立たない。 人権推進という美名の元に繰り広げられる数々の取り組みに、少なからぬ違和感を持っていた私にとって、曽我野氏の率直な言葉は、大きな共感をもって受け入れるに値する内容であった。
パネラーの言葉から、精神障害者に対する法律の見なおしがこれから俎上に上ってくるようにも感じた。
夕方、花の稽古に向かう。例年通り正月用の若松を生花で生ける。
夕食もそこそこに一番下の子を伴い3人で、西条市内のイルミネーションツアー。 最初は神戸地区のクリスマスロードを散策し、小学校での催しでのぜんざいをいただく。サンタさん多数でのサービスが微笑ましい。地域全体での取り組みという。 神戸に来る道筋である国道から見えた飯岡地区でも、何か催し物をしていたようだ。 次は、川沿町児童公園前の通り。次はTVで放送されたという、砂盛町評判の個人宅。次は下喜多川の個人宅。 凍てついた冬の街角に、時ならぬ見物の人混み。その数祭りの雑踏に劣らずといえり。
これだけのものが出てくると、市税からの補助を含めてやっている商店街の電飾がなんとも貧弱ではある。ボランティアの手が入っているそうで、批評は出来ないのだが。
2003年12月22日(月) |
冬至水行 一陽来復 六根清浄 |
石鎚山極楽寺にて行われた 冬至水行 に参加。 昨年初めての参加の時には要領が分からずに戸惑う事もあったが、2度目となった今年は精神的なゆとりも出てきて、一年の垢を洗い落とし新年を迎える心の準備が出来上がった。かな。
19時より、極楽寺本堂にて護摩供開始。石鎚の大神の降臨を求め、一心にお勤めをしたあと、参加30名加茂川の水辺に向かい松明に点火後 えいー とのかけ声もろとも入水。六根清浄を唱え、己の身体に巣くう悪霊もろとも一年の垢を石鎚の霊水で洗い流す。
初参加の昨年は、躊躇する心を奮い立たせるようにと、友人に参加の声掛けをしたり、周囲に公言したりの 自分追い詰め作戦 を展開したのだが、今年はそれほどの気分の高ぶりもなく、なんだか恒例行事へ参加するような気軽さとなった。
だが、やはり 行 とは良いものだ。宗教観はあまり強い方だとは自己評価しない。そんな私の日常精神も、本堂に流れる声明や錫杖の音、法螺貝の響き太鼓のリズム、護摩木のはじける音抹香の匂いという、そんな日本古来の精神文化のまっただ中に身体を委ねているうちに、深層に眠る心根を呼び覚まされるようだ。
冬至。今日を境として暦は陽に転じ明日からは春となる。
年内に予定の行事も多々あるのだが、今日は般若湯に酔い、おおらかな心根でもって、過ぎ去りし年を反省し来るべき新たな年への誓いをたてる。
2003年12月21日(日) |
第2回 スノーカーニバルin石鎚 |
昨年に続いて「石鎚スキー場」で開催された「スノーカーニバルin石鎚」に参加する。 10時過ぎ訪れたスキー場は、折からの寒波によってもたらされた積雪によって、絶好のコンディション。昨年の、ガスがかかって何も見えない状況から一変した快晴のもと、実行委員会での準備万端怠りなく、イベントは滞り無く終了。 今日がスキー場の開場ということで、この日を待っていたスキーヤー・スノーボーダーが繰り出し、催し物目当てと家族サービスを兼ねた親子連れと合わせて、会場は終日賑わいを見せていた。 かく言う私も大抽選会の景品には、少なからぬ期待をしていたのだが、残念ながら今年も当たらなかった。 そんなふうなちょっぴりの不満があったものの、遠くしまなみ海道までも見渡せる眼下の絶景を横目に、1年ぶりのスキーを満喫できたのだった。
今日の石鎚行の目的はもう一つ、昨年、このスキー場の管理会社に申し込んでいた石鎚ロープウエイの「障害者割引制度」の表示について、その実施の状況を確認することだった。 その経緯は昨年12月の日記に記入済み。 石鎚スキー場へメールにての申し込みに対し、実施しますとの返答をいただいていたのだが、一年ぶりの訪問によっての確認とはなった。結果は、ちょっと目立ちにくい表示方法ではあったが、まずは返答通りの実施が行われていることが確認できた。
市税を投入しての今日のカーニバルの感想としては、2年目で要領も良くなり定着はしたようだが、イベントとしての成果が今回で定まったように思う。 絶好のコンディション状況での開催として、今日くらいの成果でもって 了 とするならそれも良しだが、更なる発展を望むのならば、新たな仕掛けを付帯していくことも考えなければならないだろう。
若かりし頃の私が、スキーに入れあげだした頃は、まだ石鎚スキー場は整備がされておらず、美川スキー場や大山まで遠出するか、笹ヶ峰に登り足だけが頼りの山スキーを楽しむかだった。 それが、高度経済成長期と時を同じくして石鎚スキー場も整備がなされ、この地域でのスキー愛好家も若者を中心にその数を増やしていった。 だが、時代は移り、若者文化も多様化と絶対数の減少、家族サービスの減少、また、他のスキー場の整備の進展によって、わが西条のスキー場を訪れてくれる方々も、減少の一途をたどっているように推察する。 そんな中で始まった「石鎚スノーカーニバル」ではあるが、西条市の持てる資源を有効活用していく手段として、今後も有効な手段の一つとはなり得ていく。
ここに留まることなく「あんたの会社、もっと儲かる」式に、更なる成果を追求するのであれば、次年度に向かって検討していく事項は様々出てくる。
私がこの石鎚スキー場の障害者割引制度表示の事に気づいた最初は、迂闊なことにある方に、「リフト料金に高齢者割引が付いていたハズなんですけど」と言われたからだった。そこで各地のスキー場の状況を調査し、スキー協会にもプッシュしてみたのだが、結局のところは「対象者が少ないので実施しません」で終息。 現在は、若者よりも、元気な高齢者の方が時間とお金があるとみているのだが、その方面のお客を開拓するつもりが無いのなら、口の出しようが無い。 私に問いかけた方がよく出かけるという長野方面のスキー場では、「高齢者割引当たり前」とのことだった。(まあ余談だがね)
ウインタースポーツ人口を増やすために、子供・若者・高齢者・女性全ての年代層と初心者から上級者・競技者までを網羅した体系的な取り組みをしていくこと。 このところスキー関係の事情には疎くなっているので的ハズレかもしれないが、「スノーカーニバル」に競技を加えることも一つ考えられる。 大抽選会でスノーボードを引き当てたのが遠く徳島からのお客様だったことは、示唆に富んでいる。この事業の予算審議の時、「高知方面への宣伝はどうなのか」と質問したのは一色達夫だったかな。
今日は、この山行きの他 新居浜市文化センターでの「第2回市民コンサート オーケストラと歌おう クリスマス市民コンサート」(平成15年度県民総合文化祭企画公募事業)の後半30分を鑑賞。瀬戸フィルによるドボルザーク「新世界より」は、まあまあだった。 19時より、自治会の会議と、同級会の打ち合わせが重なった。 青年部による太鼓台飾り幕の修理作業の手伝い1時間。
2003年12月20日(土) |
子に従い 土佐に遊ぶ |
尊皇攘夷の嵐が吹き荒れている頃、土佐にあり、龍馬に広く世界に目を向ける事を説いたという画人「河田小龍」。 事務所にあった「幕末土佐のハイカラ画人 河田小龍 展」の案内チラシを見て、息子が「これ見に行きたい」と言った。
マンガ「おーい龍馬」の中にも、へんな絵描きとして登場するこの人物を知っていたのか知らないままなのか、息子のそんな言葉に私も興味をそそられ、二人で高知県立美術館まで出かけた。 他の家族も誘ったのだが、年末それぞれに用事を抱えての事ゆえの二人旅となる。 折からの冬型の気圧配置によって、山間部では吹雪となるあいにくの天候だったが、平野部それも太平洋側では好天であり、まずまずは順調な行程となった。
高知県立美術館の開館10周年記念事業として開催されたこの展覧会は、幕末日本にとって重要な役割を演じた人物を排出した時代にあって、その同時代に、日本史を文化面から彩りを添える活躍をした人物を紹介する試みであった。
私自身この人物について、これまでの知識が皆無であったのだが、裏日本の湿った空気を毎日吸ってかび臭くなっている体を、表日本の風に当ててリフレッシュする効果と相まって、幕末史についての知識を一つ追加する事となった土佐行きであった。 展覧会は、河田小龍の生涯に渡る画業を網羅し、その才能に満ちあふれ様々な手法を手中のものとした画人の仕事の全容を伝えてはいる。 だが、どうも高知人は おおざっぱ なのか、展示方法などに工夫が見られず、画業がどのように成長し開花し変化し成熟し、時代とどう関わったのかとか、画人の精神的変化は如何にあったのかなどの、研究成果としての展覧会の意図は認められず残念ではあった。
息子のリクエストに従い、続いて桂浜の龍馬に会いに行く。 山間部の吹雪とはうって変わり、太平洋は米国まで見えるかというほどに真っ青な海と空。 普段カメラを向けると、嫌がってまともに写ろうとしない息子が、龍馬像の前ではにこにこ笑いながら記念撮影をせがんでくる。 やっぱり龍馬には、男を惹きつけるそんなオーラが出ているのだろう。
龍馬像の隣には仮設の足場が組まれ、龍馬の顔を間近で見られるようにしている。その階段の踊り場には短冊が吊され、訪れた人々の想いが綴られていた。 ・龍馬ブッシュに一言 ・今の時代に龍馬に会いたい ・龍馬さん、小泉に変わって日本の政治をして ・龍馬も太平洋も、まっこと大きいぜよ ・この海の向こうは米国か
日本の行く末を憂う人々の心情が、龍馬への想いとなって現れている事を感じ、政治家の端くれに連なる者の責任を新たにする。
2003年12月19日(金) |
平成15年度 12月議会 の終了 |
朝から北風が吹き、本格的な冬の訪れである。 一日、冬型の気圧配置は続き、雲の切れ間から時折姿を表す山肌もうっすらと雪化粧をしている。こうなると、行き交う人々もその背を丸め、足早にそしてせかせかと年の瀬を迎える心模様となる。 12月議会最終日。10時開会で、各委員長による委員会審議状況の報告があり、全ての議案が全員賛成で成立した。請願1件が賛成者少数で不採択となる。内容は「年金改悪反対・大増税の中止を求める請願」
議会終了後の全員協議会で、2市2町合併協議会の状況報告、普通財産の取り扱いについて、地下水保全条例案要綱について等の説明報告がある。 質疑を数点行う。
昼食後、市役所内での用件を済ませ、町場での仕事を済ませながら一度帰宅。 夕方5時半より懇親会に出席。明日明後日は用が詰まっているので、一次会のみで8時帰宅。
12月議会での印象は、議案が少ないので 活発な とは言い難い議会ではあった。それはそれとして、自分では、数年後にはものになるだろうことを願って、石を投げるとの意志を標すことができた事柄が数件あり、メリハリをつける事はできただろう。 その中から、次の議会までにはやっておかなければならないと思う事も数件出てきた。 ハルウララの頃の仕事を考えながら、こたつみかんで家族団らん。 明日も冬型の気圧配置で寒くなりそう。
2003年12月18日(木) |
松野町 伊予市 次はドコかな |
年末を控えての新聞紙上には、この所暗いニュースばかりが目に付く。 イラク関連、自衛隊派遣、武器輸出三原則の見なおし、加えて税制改革の混迷。 そんな中、愛媛県内では 穏やかな 年末をむかえているのかと思いきや、合併協議からの伊予市の離脱のニュースが目を引いた。 先の松野町に続いての伊予市の離脱である。
元々が理念や戦略など希薄な中での 右へ習え的 雪崩を打っての合併協奏曲なのだから、あって当然の結果ではある。 この伊予市・松前町・双海町・中山町 1市3町での合併協議、立ち上げまでに時間がかかり、任意協議会の中での協議の中で、議員の身分について「合併即選挙定数削減」を打ち出していた。 そんな姿勢から「合併とはなんぞや」という基本の部分を知り抜き、メリットをどう出していくかという協議を重ねた中から動き出していると、私としても認識していた協議会だった。 だから、今進んでいる協議結果が将来自分の地域にとって、どんな変化をもたらすのかという重要事項を計算した上での、今回の協議会離脱決断なのだろう。
この地域、合併の枠組みが決まり、立ち上げまでに時間がかかったのには、それなりの理由があるだろう。 その第一理由は、この地域には合併の必然が存在しないのでは無いのだろう。松前町は早くからホールを建設したりして、しっかりとした町づくりを進めている。伊予市には議会に人物がいる。双海町は夕焼けの町で有名。中山町は栗の里。山間部と海岸部での町づくりノウハウは違うし、住民の気質も違うと思う。 第2理由は、松山近郊地域ということで、文化圏は松山に組み込まれ、伊予郡としてのまとまりはどんな状況だったのだろうか。 第3理由は、合併が将来の地域にどんな影響をもたらすのかを真剣に考え、そのメリット・デメリットがあらまし分かっている住民が多いと思う。 (自治省主催によるこの地域での合併シンポを覗いた時、御用学者の意見に辛辣な批判を浴びせた人がいた)
合併を考えるのなら、松山市と一緒になりたいと思っている周辺自治体は多いだろう。だが、県にお愛想をしなくても良い松山市には、周辺地域を引き受けて人口増を図るという自治体戦略は持っていない。政令指定都市(?)は人口何十万だったか?。数年前、多くの権限委譲を受けたがそれに伴う財源が付いてこなくて、仕事が忙しくなっただけという新聞記事もあったかな。 そんな松山市の態度に、独自の生き残り策を模索しての、周辺地域自治体の方針決定なのだが、さて、この顛末や如何に。
自治体合併という イベント が無ければ、私もこんな知識を修得する必要も無かったのかもしれない。自治体の生業全てを勉強する機会の提供という メリット があるとすれば、合併もそれはそれで 良い方に転ぶ事を期待することもできるのだが、願わくば、各地に相互不信の種を蒔くだけに終わりかねない状況ではなく、心沸き立つ政治の姿が現れることを望むものだ。
一人きりなら しんどい「つつましく生きる自治体の創造仕事」だが、これで二人になった。さて、次はドコかな。
2003年12月17日(水) |
水都西条21 から グランドデザイン へ |
昨日書けなかった「西条グランドデザイン」報告書を読んでの感想。
この試みは、西条商工会議所が中心となって、西条市の目指すべきまちづくりへの提言をまとめていたもの。期間は平成14年4月からの約2年を要している。 本来12月22日に報告会が開催されて、その場での公表というスケジュールとなるのだが、私は22日には「寒行」を決行するつもりなので、この会には欠席の連絡をしていた。ので、事前に報告書を郵送してくれた。
22日が過ぎてから感想を言う方が良いのかも知れないが、まあ良いだろう。
2年間の検討の結果として、西条市として取り組むべき 11のアクションプランを提示している。 この内容を見ての感想は、「中身が薄められてパンチ力に欠ける」というのが正直なところだ。
こう感じる理由は、今回の提言に先立つ平成10年4月に、「水都西条21」での提言として3項目あったのだが、その提言をどう踏まえているのだろうか、という心に引っかかるものがあるからだ。
その提言とは「加茂川河口野鳥公園」「うちぬき基金事業」「西条文庫建設事業」の3点。 この3点は西条市の 山 町 海 という3つの 売り物 を、充実させ、外にアピールしていくための具体的な事業として、是非に実現すれば良いと私も感じている。 その取り組み内容としては、 いけない、自分ばかりの宣伝していると、また語弊を生じる 西条市議会でも、この「水都西条21」からの提言実現を求める請願が採択されている。 なお、私としても皆様の意志に沿うべく、鋭意努力させていただき その具体的事例としては ・「加茂川河口野鳥公園」については、日本重要湿地500選に指定されている「千葉県木更津市」の取り組みを視察し、一般質問でも取り上げた。 ・「うちぬき基金」は西条市の命の源である「うちぬき」を保全するため、森林保全のための基金を作ろうとの提言。森林行政の参考とするため、会派研修で、大分県日田市での森林行政の視察、島根県松江市での「森林交付税創設シンポ」への出席を行った。同僚議員が森林保全についての一般質問を行い、行政でも市有林での切り捨て間伐事業が少しづつではあるが実現している。 ・「西条文庫」は図書館の新築提言。 これは、12月議会で「図書館建設基金条例」が提案され、取り組み10年、ようやくタイムスケジュールがほぼ確定し、より良い図書館とするための具体的内容の提言と実行が、いよいよ本格化する。
と言わないといけないでしょうね。
このように平成10年の提言は素晴らしい内容なのだから、その提言が具体化しだした今日、その流れをより太いものとする取り組み(いわゆる 言った者のフォロー)を行う事が肝要と思うのだが。 それに追いつけての今回の提言ではあるが、
報告書の最終章 4「今後の課題」〜取り組み戦略について〜 に書かれているように、提言事項が如何に実行に移され、その過程において、私としても共に行動できる事柄を見つけ出していくべく努力したい。というところです。
2003年12月16日(火) |
一年の納めの月、片づけ仕事色々 |
今年もアッという間に一年が過ぎようとしている。 思えば早いもので、あれもこれもと思っていた仕事の内で、積み残しが数知れず有ることの思いを巡らしながらも、一年の納め仕事に取りかかる。 朝から農作業の片づけ。農機具屋さんの来訪でトラクタのオイル交換、コンバインの点検修理。苺の来年の苗用の畑の準備。 妻と一番下の娘が試しに蒔いた枇杷の芽がでたので、畑への植え替え。ゴミ整理。 柚子・伊予かん・ネーブルの収穫は、また明日にでもしようか。
新年そうそうに開かれる同級会の連絡、農業関係の集会の段取り。 空いた時間に、商工会議所から送られてきた「西条のグランドデザイン」報告書に目を通し、又以前の資料を出してみたり。 様々次々と思いつくままの仕事をこなしながらも、一年の出来事を思い返している。
娘がPCでCDのコピーをしていてトラブル発生、怒りたくりながらマニアルを読み、何とか事無きこととなる。 そんなことで、夜も更けてしまい、「西条GD」の内容について感じたことをレポートしようと思っていた、日記記入予定が狂った。
昨日はいろいろとあって精神的に疲れていたのだろうか、月曜日だというのに朝寝坊をしてしまった。 農機具屋さんの、農機具修理代金受け取り訪問の声に目を醒ます状態だった。世間では年末のかけとり時期となっているのにと反省。
年内に片付けておくこといろいろと考えながら軽トラで出かけようと支度していると、「ただいまマイクのテスト中」という広報放送の声が聞こえてくる。 かねて工事中だった防災広報サイレンの試験放送だと分かり、現場に行ってみた。 昨日の火災現場でお世話になった消防署員と工事業者、職員立ち会いでの試験放送。 この地域は、防災サイレンの難視聴地域だったため、西条市内全域での難視聴解消事業で、緊急サイレンと緊急放送装置を付ける工事をしていた。
昨日が昨日だから、余計にその必要性を感じ、半鐘台の上に取り付けられた出来上がったばかりの装置を見上げて、何だか感嘆深い。
大谷部落では、今年防火水槽を1基新たに設置し、これで消防署が定める規定通りの消防水利が出来上がった。 昨日の火災では、この水槽の内2基が空になるまで放水したそうで、その必要性と威力を十分理解ができる。 残りは、簡易水道のパイプラインに直接設置されている消防水利用の栓から取水をするのだが、こちらの方は、昨日の消火作業中に圧力が変動したという。 丁度夕食支度の時間と重なり、減圧と濁りが出たとの事だった。その事についての報告があったのだが、これは緊急事態だから致し方ないということです。
この地域の簡易水道は、規格能力一杯近くでの運用なので、緊急時にはそんな支障もあると分かったが、上水道ラインが完成すると、今回のような緊急使用時での減圧状況も解消されるようだ。 消防団員が、西部地区の上水道ができて良くなった。次は東部上水道をやれば、こちらも良くなるよ、と話しているのを聞き、東部上水道計画についての質問や質疑をした一色達夫としては、やるべき仕事をこなせた事のちょとばかりの満足感を覚えた。
台風時の「水防本部」の設置状況、火災現場等、災害面のことだけでも51歳となった今日でも、まだまだ経験していない事項、覗いていない現場はあるものだ。 地震については芸予地震の時、玉津小学校の校舎が震度4でユサユサと揺れるのを現場で見て、その恐ろしさを経験した。将来予想される南海地震を想定しての準備を怠りなくしておく必要有り。
災害に対して的確に対応できる行政職員を中心に、消防団員が各地域をカバーし、そして地域の方々みんなが協力して災難に対処できる体制を作っておくこと。 地域コミュニティの確立は、社会生活全ての基本であり、それは災害という緊急時にも、被害を最小限に食い止めるための必須条件だろう。
2003年12月14日(日) |
駅伝 柔道 火災発生 激動 の一日 |
12月議会での一般質問の中で取り上げた「西条市陸上競技場」を使った「第53回西条市駅伝競走大会」を見学に行く。 9時スタート。参加83チーム、約600名の参加者との挨拶があった。 総合運動公園を駅伝に使用したときの支障点の確認。やっぱり階段部の特設スロープには難あり。それにスロープを降りて、交差点に出るところの導線に難がある。この部分の歩道の植え込みを北に若干撤去したほうが良い。 走路が交差するという難点がどんな状況なのかも確認できた、が、この部分はああしかならないだろう。 この大会を開催するために、多くのスタッフが動いているがその様子を見ていて、スポーツの清々しさを感じていた。時、やなことが一つあった。 参加者の大部分が中学・高校生で、そんな若やいだ雰囲気と雲一つ無い好天なのに。残念。
隣の総合体育館では、西条市近県柔道大会が開催されていた。こちらも覗く。 武道でも、柔道と剣道では、応援の仕方から違うという事を感じながら、しばし観戦。高校生となったら、チームによっての力の差が歴然としているようだが、1回だけの観戦では分からないかな。
3時過ぎからレモンの収穫作業。
日暮れ近く、サイレンの音が鳴り響き、どうしたのかと思って見たら黒煙が上がっている。火災発生。 妻から、部落内の住宅が燃えているとの電話が入り、大急ぎで現場に駆けつける。 留守にしていた住居から火が出て全焼となる。 消防署員、地元消防団の活躍には敬服した。20時過ぎ鎮火、消防は全て撤収。出火原因は、今日の時点では不明。
集会所でやっている、青年部の作業を少し手伝い21時半ころ帰宅。 TVがイラクのフセイン元大統領拘束のニュースを伝えている。 激動の と言うに相応しい一日となった。
2003年12月13日(土) |
伊藤市政における経済重視政策をどう見るか |
伊藤市長ご執心の「西条市産業情報支援センター」で開催された、「西条桂塾オープニングセミナー」を覗いて見た。 14時から16時35分まで、休憩無しでみっちりと「こうすれば儲かる」という話を聞いた。 支援センターの津田氏よりの開会挨拶10分。司会よりの講師紹介5分。 日本アシスト代表取締役 桂幹人 氏の講演35分。 西条桂塾1期生4名による体験発表1時間。3名の仮定出しに対する桂氏の指導35分。最後 西条桂塾第2期生募集のお知らせ で終了となる。
終了して帰っている私に、「どう、商売したくなった」と声を掛けた者がいた。
この言葉一つで、今日のセミナーに対する私の評価は、ほぼ決定したようなものだった。
戦後、いや明治維新以後、「日本は国を富ます」というただ一つの事に邁進してきたのだろう。その結果として、世界第2位の経済大国に発展するという大成功をおさめた。結果 やった事といえば、ジャパンイズNoワンとおごり高ぶり、御大臣三昧。あげくにバブルがはじければ、国が次に目指す方向が分からず、上から下への右往左往の10年。 まだまだ、経済の更なる活力の在処を求めての、一辺倒思考が続くのだろう。
そんな、社会風潮に迎合したのか、それが全てとの判断か、伊藤市政における経済活性化政策が目について仕方がない。
おっと、19時から忘年会。今日は痛飲するつもりなので、日記の追加記入は出来ないだろう。 これ以上は、一色達夫の個人的趣味の羅列となるから、視察レポートはここらで留め、2時間半を費やして得たものは、自分の仕事に活かしていくとしょうか
2003年12月12日(金) |
12月議会 総務企画産業委員会 議案審査 |
10時より「総務企画産業委員会」の議案審議。 現地調査は無し。中央施設等建設基金条例を廃止する条例案から審議を開始。 一般会計の補正予算は、その殆どが給与改定による減額補正。 来年2月に実施予定の「人材マッチング・合同就職面接会」事業予算くらいが事業らしい事業で審議は昼までには終了。 午後からは、請願の審査に入る。 6月議会に提出された「国民・住民奉仕ができる公務員制度」確立を求める請願 は今回も継続される。私も文章をよくよく読んでみるのだが、正直な話よく分からない。この方面の 改革 はどちらの側から見るかによって、見方が違って大きく違ってくるだろう。
この12月議会に提出された、あと4件の請願はいずれも継続となった。 私は「イラクへの自衛隊派遣の中止を求める意見書の提出を求める請願」と「日米地位協定の抜本的見なおしを求める意見書提出を求める請願」に賛成意見。「北朝鮮に対する経済制裁をしない事を求める請願」に反対意見を述べた。
平成7年に市議会議員となり、議会審議の模様を初めて経験した頃は、自民党系列から出た請願はフリーパス状態で採択となり、革新系やその他からのもとは継続として1年で審議未了とすることが殆どだった。その頃から比べれば、3期目となり議員の顔ぶれも大幅に変わった今年からは、内容によっては即決となる請願も出てきているが、それでも 継続 の声が出ることが多い。
一人から 継続 の声が出ると、この動議を優先してはかる慣例となっているので、請願内容についての議論が無いままに、その場が終わってしまう。 私自身、これまで数多くの請願に対しての継続に賛成してきたのだが、もうそんな その場逃れ は止めなければならないと思う。
政治とは、様々な議論の上に成り立つ代物ではある。が、結局は 賛成 反対 の二者択一の世界。それを回避する請願審査にたいする継続動議は、言論の府である議会の権威を 貶める 事につながってくる。
ましてやイラクへの自衛隊派遣中止を求める請願などは、次の3月議会では請願の含意が失効してしまう。 イラク復興事業に対して、イラク戦争に反対した国々を閉め出そうとの政策をブッシュが打ち出したという。こうなればもう ならず者国家 はお互いだ、ということになる。 石油利権を失う事が怖くて、何十万という同胞の血を流して手に入れた平和憲法の理念を踏み外そうとする自民党政治。 その末端に荷担する面々の行き着く先を、この目でしっかと確かめてやる。
その誓いを忘れないようにするためにも、一つの誓いをたてた今日2003年12月12日。
レモンの収穫。 去年と同じように、遠く西条市内を眺めながら、ほの香る柑橘特有の芳香に気分を落ち着け、キャリー4つがすぐに一杯になった。 だが、夜になってPCに向かう頃には、やっぱり苛つく一色達夫。
来年1月に鳥取県米子市で開催されるフォーラムへの参加を決め、まだ視察研修の経験の無い鳥取県での研修先をネットで探して見たが、今日のところは上手く行かなかった。
10時から生活福祉教育委員会の傍聴。 今回の議会では、案件が少ない。この委員会もいつもの議会ならある現地調査が無かった。10時即議案審査に入る。 まず「図書館建設基金条例」の審議。 設置には全員賛成だが、5つの基金を廃止する件に関しての質疑がある。 この基金を設置するきっかけとなった、篤志家の意志をどう表していくかが問題となる。 私が質疑をした含意はその点だったから、行政側に対しての 要望 は、より強固なものとなっただろう。
二つの公民館建設については、やはり土地の問題が議論となる。当世駐車場は広ければ広いにこしたことはないけれど、なかなかそうは行かない様子。 玉津公民館でも、駐車スペースの拡大要望があるところから、議員と担当とのやり取りを、興味を持って聞かせてもらった。
昼からは建設委員会の傍聴。私が質疑をした廃棄物処分場用地取得と住宅敷金利子運用事業については、審議があっさりと流れ不満ではあるが、人それぞれ興味の有り様は違うのだから遺憾ともしがたいというところだ。
協議会で出た2案件は興味を持った。議会最終日の全員協議会で正式な話が出るだろうから、質問を準備しておこうという気になった。
15時ころ、市役所を出る頃には雨足が強くなる。 一昨日だったか、石鎚に初冠雪があった。質問が一段落して議員控え室から見た山肌が、白くなっている事に気付いた。
この2週間近く、議会活動に集中している間に、季節は冬のまっただ中。 日本も冬の時代へ突入かと、遠望する山々の寒々とした光景から思う。季節は暦通りに巡ってくるのに、自然の一部である人間の営みには、終末に向かう暗い季節の色しか重なっては来ないのか。
そんなブルーな気分の中でも、二言 三言交わす方々との会話の中に、近い将来、遠い将来への希望の種まきをしていく。3年後ぐらいには形があらわれるかな。 そぼ降る雨に、今日は山は見えない。 この雨があがったら、山はもっと白さを増しているだろうか。寒暖計の目盛りを確認しながら、こんなところに明日の楽しみを見つけている。
夜は、明日の委員会の準備。 議案は少ないが、請願が数件ある。全ての請願について意見を準備しておこうとは思うのだが。
2003年12月10日(水) |
12月議会 一般質問 |
今日は4名の一般質問がある。 こちらの仕事を終わらせた ゆとりの中、他の議員の仕事内容を見させてもらうと、自分の目では分からなかった部分が見えて来て、次回の私の質問のテーマが粗方決まってくる。 日頃、自分の 獲物 ばかりに目が向いていると、直ぐ近くにある美味なる物を見落としてしまうのだろう。自分の仕事を早めに終わらせたという心のゆとりが、新たな視点を取り戻す効果を生む。いつもこうあるべきなのだが。
今日の質問の中では、平和についての市長の考え、合併新市建設計画、障害者支援問題で得るものがあった。 ・最近のイラク問題について、自衛隊派遣への危うさは、市長も感じている。 ・障害者支援体制についての質問には、自分の経験という生の声を訴える力を感じた。 この問題についての私の経験も、いずれ何かの機会に吐露しなけらばならないだろう。
合併新市建設計画。この1300億からの投資的経費を使う計画の西条市分の概要が助役から提示された。 その中で、駅前を含むまちづくり総合支援事業、リサイクルプラザ建設、東部公園、中心市街地活性化計画、二つの文化会館の活用策、等の具体的な話が提示されたのだが、いつの間にか「バラ色の将来に期待している一色達夫に気付いて」ギクリとした。 まちづくりのための、そんな費用を生み出すための自治体合併なのだが、その保証をいったい誰がしてくれるのか。大半が国の借金頼みであることを、目先の事業実現への夢で、いつの間にか忘れている。 更に、一つひとつの事業を形ある物としていくまでの、様々な苦労に想いを巡らさず、「この際欲しい物全部言といて」という安易さを容認している。
2日間の一般質問が終わり、その他もろもろの状況を振り返り、今思う浮かぶ言葉は 子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
2003年12月09日(火) |
12月議会 一般質問 |
平成15年12月議会一般質問。 1番で登壇。1回目22分、2回目8分で、持ち時間30分を目一杯使った。
やれやれ 一仕事が終わったという安堵感と、新たな課題への想いが脳裏を交錯し、走馬燈のようにぐるぐる回っている。
質疑は、議案が提案される1週間前からの準備だから、いつもいつも急ごしらえの様相を呈しているようだ。 それでも今回は、図書館・廃棄物処理場・住宅敷金利子の3件とも、これまでのデータが活かせて良かった。
質問は事前に準備をしていた項目から、11月28日の時点で急遽変更となった。 「歴史遺産調査報告会」は、560万円を使っての事業の成果報告会であったが、0系新幹線、観光案内所(観光協会)の駅前移転、JR西条駅ロータリー整備、と、これまでに質問してきた事項についての、新たな動きを受けての質問。
文化財の保護については「愛媛温故紀行」という冊子との出会いから、だんじりの文化財指定、千町の棚田、加茂川河口、歴史調査が趣味の方からの情報、松平頼啓筆の軸購入の経緯等の情報回路がつながって、質問要旨が出来上がった。
この質問の中から、文化財保護について、行政としてやるべき新たな課題がほの見えてくる。 いつまでいっても尽きることのない、行政課題の数々。
文化行政の範疇である文化会館、図書館については、これまでに数度質問をしているのだが、文化財保護については、そういえば初めての質問だった。 質問文章を考えている時間がすごく楽しかった。 やっぱりここらあたりが、私のライフワークなのかもしれない。
明日も一般質問の残り(4名)があるので、早めの就眠。
2003年12月08日(月) |
12月議会 議案質疑 夜は一般質問の準備 |
気分を変えてみようと、3番目の姉からプレゼントされたイタリー製のネクタイを初めて締めた。 埼玉の美術館でのガイドボランティアを、この頃の生きがいとしている姉の、欧州美術館巡りのおりのお土産だった。 さずが、ファッションの本場製だけあって、色柄も気に入り、手触りもいい感じだった。のに、締め方に失敗して、朝一の気分がそがれてしまう。 ゲン をかつぐほうじゃあないとの自覚はあるのだけれど、出がけに何だか いやな予感。 案の定質疑が止まってしまった。 改めて、普段からの言葉の使い方から気を付けていなければ、との気持ちを新たにする。 質疑は午後2時過ぎには終了。
帰宅。二つほどの用事を済ませて、気分転換と思い、麦の発芽具合を見て回る。 自然は正直。種蒔きに順番に育っている。そんな自然の営みを、北風に吹かれながら観察していると、人間社会の争い事が小さなものに思えてくる。と言いたいところだが・・・・。 達夫よ 踏まれても踏まれても、この麦のようにたくましく生き抜くのだ とかっこよく踏ん切りをつけたいものだね。
あとは明日の一般質問の準備に専念する。 原稿を読んでみたのだが、1回目が23分もかかりそうだ。 新しい提案もあるので、仕方がないか。
今日は妻の誕生日だというのに、つま らない日だったなあ。
2003年12月07日(日) |
飯岡文化祭 玉津音楽会 質疑文章修正 |
吹く風がめっきりと冷たくなった。今日は大雪。 昼前に隣の校区である飯岡校区の文化祭を覗きに行く。私の校区の玉津と、こ飯岡が一つの中学校区を形成しているので、何か毎の催しには極力参加顔出しするように心がけている。 今日は妻との二人連れ。妻のお目当ては「一日本屋さん」での絵本展示即売の様子を見ること。読み聞かせボランティアの方達で、絵本販売の手伝いをして。収益の一部をいただいて活動費用に充てているとのことだった。自分達のグループでもやってみたいとのことでの 視察 ということらしい。
飯岡校区は一頃、宅地開発が盛んで、小学校の児童数が一時期600名以上になっていた。だが、現在は337名と激減し、児童数激増の時代に整備した施設には 空き がある。 玉津校区では現在児童数538名。そんな児童数が反映したのか、文化祭の風景も二つの地区には違いがある様子。 飯岡校区は地域活動が伝統的に盛んなところであるので、文化祭の出し物や運営にも活かされている。 玉津と飯岡。お互い西条市の東に位置する地域であり、切磋琢磨しながら一つの中学区域をこれからも形成していくのだろう。
うどんを食べて一度帰宅。13時半には玉津小学校での音楽発表会へ。 一番下の子の 最後 の発表会。クラスの中で一人 アコーディオン を担当していることに感動を覚えた。 親の知らぬ間に 子は育つ。 低学年から高学年に上がるにしたがい、出し物の音楽の種類も、演出も高度になっていくのが手に取るように分かり、教育の力を感じる一時。
おやつの時間を過ぎてから深夜まで、明日の質疑3件の文章修正に励む。 数字の齟齬があったりして、一人でのチェックを十二分にしておくことの重要性を改めて思う。 明日のために、早めの就眠。
2003年12月06日(土) |
12月議会の準備 質問文章の作成 |
3ヶ月毎の「自分追い詰め作戦」「情報と知識の棚卸し作戦」、でこの1週間資料の山との格闘で過ぎていった。 今日は土曜日。普通の人は休日だろうと思い、朝寝坊で体のリフレッシュを図った。が、いざキーボードに向かうとなかなか文章が進まない。 今回は質疑・質問で計6項目も通告したものだから、余計に頭が混乱状況なのだろう。 お隣は葬儀なので、室内で静かにPCにむかうのだが。 質問文章の作成の最後となった「文化財等の保護について」は、近代化遺産に目を向けての市教育委員会としての取り組みを聞くものだが、なんだか引用文章ばかりの質問文章となった。 文化財保護に関しては法律や条例によるという「学術的知見による」というところを押さえておく必要があるだろうから、文章もどうしても統一的なものとならざるをえないだろうか。 最近注目をあびるようになった、幕末から昭和20年頃までの日本近代化期における文化財の保護を中心に据えての質問。 自分の言葉で聞く必要があるとは想いながらも、どうしても「引用」という安易な方法に行ってしまう、自分の能力の無さが 情けなくおもいつつ ようやくのことで深夜に全ての文章が一応の完成となる。
葬儀の間は降らなかった雨が、見送りが済んだころに降り出す。やっぱり 涙雨 か。 今日7日は24節季のひとつ大雪。本格的な冬に向かう一日。明日の質疑3件の準備の予定。
朝のうちに用を2つ済ませて帰宅してみると、お隣のお婆さんが亡くなられたとの知らせが妻からもたらされる。 部落内でも、組が違うのでお手伝い等には行かなくても良いのだが、参列者が多いと言うことで、お隣と隣接する畑の片づけに取りかかる。 手が回らなくて、いつもほったらかしの畑で、お隣にもさぞ迷惑を掛けているとの思いに捕らわれながら、お婆さんの冥福をお祈りしながらの片づけ作業。
昨日に続いての12月議会での質疑の文章作成。夕方までに1件仕上げる。 夕方、お悔やみに行く。 夜半、もう1件の質疑文章の作成。読み返してみると、どれもワンパターンな文章構成で苦笑い。 6件全部仕上げてからの微修正としようと、かまわず質問文章に取りかかったのだが、キーボードの叩きすぎか、左手が痛く、左肩も凝ってくる。 ミスタッチの連続は、もう頭が働いていない証拠なのだろうと、文章作成は終了として、日記記入にかかる。 こちらは、スムーズに文章が進むのだが・・・・・・。質問文章は
夜半には雨となる。 お母さんを亡くされた隣家の奥さんが 涙雨になりますね とおっしゃっていた。 93歳での旅立ちだそうだが、やっぱり親はいつまでもいてくれる存在であったようだ。 96歳と81歳の親が健在でいてくれる、自分の幸せを想い目頭が熱くなる。
93歳での親の見送りでも悲しいのに、働き盛りの45歳と30歳の息子を見送る親はどんな思いなのだろう。マイクを向ければ、職に殉じて立派だったと答えるだろうが
週刊誌のコマーシャルに 「小泉 そんなにイラクに行きたいのなら、売れない息子と一緒に行け」と言うのがあった。同感だ。
2003年12月04日(木) |
12月議会 質疑 質問 文章作成 |
いつも議会での質疑・質問文章の作成は、深夜にした書かれないのに、前回の9月議会からは、どうしたことか宗旨替えして昼間のキーボード格闘となっている。 今回も、朝からの取りかかりで、夕方には質疑文章が一件、一応のストーリーが書けた。 現在深夜の2時前。質問文章の一件作成。日記から流用できる文章があるので助かる。人間やっぱり普段からの積み重ねが 大切 のようです。
だがやっと全体の三分の一。山場はまだまだ越えてはいない。 一日、書類の山と、TV画面のにらめっこで目がしょぼつく。 世界の中の日本として、重要な選択を迫られている時期に、書きたい事が山ほどあるけれど、今は、西条市議会議員としての仕事に集中するべし。
昼間、宅配での住宅探しに訊ねて来たご婦人が、この前の選挙の時、貴方に投票しましたよ。私、隠れファンです。と言われたのには どぎまぎ してしまった。
お歳暮配りのアルバイトの様子だった。 激動の世界があったとしても、町では普段と変わりなく季節が移り変わっていく。
2003年12月03日(水) |
12月議会 質疑の通告 で体力消耗 |
2日続きの徹夜で、夕食後の こたつ が睡魔を誘う。 今日は早めに就眠しようと決意するのだが、いざPCに向かうとついついよそ見が多くなる。 議案質疑を考えている合間の気分転換もかねて、麦蒔きの最終作業。 今年は雨にたたられ大幅に遅れの作業となったが、折からの温暖気候に最初の頃に蒔いた田圃の麦は早くも芽を出している。 突貫作業がたたってか少々腰痛がする。もう無理が利かない歳となっているコトを、こんなところで確認しながら、頭脳作業と肉体労働のバランスに注意するコトを心に留める。 夕刻の一時を、納屋の片づけや雑用に費やし、いざ決戦前の周辺整理。
さて、今議会 一般質問は 3項目、議案質疑も3項目の通告。 質疑は昨日一日での内容検討となったが、何だか日頃の準備が役立ちそう。これが巡り合わせというやつか。 文章作成の悪戦苦闘を承知しながらの通告だが、3ヶ月毎の「自分追い詰め作戦」「資料と知識の棚卸し作戦」の火蓋はきられた。 資料との格闘は明日からとして、今日は今日のうちの就眠としよう。(何日ぶりかな)
2003年12月02日(火) |
平成15年 12月議会の開会 |
10時より 平成15年度12月議会の開会。 9時半に議会事務局に付き、早速一般質問の通告。今回は1番だった。 議会開会挨拶で、市長より3期目に望む所信表明がある。 続いて決算審査特別委員会の委員長報告 50分。これで昼となり、休憩後13時より全員協議会。 一般質問通告に伴う担当者との打ち合わせ。
夜は質疑の検討で、昨日に続いての夜更かし。 図書館建設基金条例・補正予算・財産の取得について の3点質疑を用意した。 明日 通告予定。 本日の日記は、これにて終了。就眠。
2003年12月01日(月) |
師走 12月議会の準備 |
今年も残すところ1ヶ月となった。 いろいろあった年の、締めくくり仕事である12月議会での質問の検討で夜も更けての日記記入となる。 概要は決まっているのだが、枝葉を付ける作業に、資料を引っぱり出したり、現場確認に行ったり、人に会って話を聞いたり。 で、一日がアッという間に過ぎていった。 通告文書への清書は明日として、今日はもう寝る。
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