2003年11月30日(日) |
不信の連鎖をどこで断ち切るか |
イラクで、日本人外交官2人がその人生の幕を下ろした。 そのニュースを聞いて、とうとう日本人に犠牲者が出たのかと、やり切れない思いにとらわれた。
今日の日記の表題を「戦争大好き人間に鉄槌を」としようと思ったのだが、日本のそんな輩は「虎の威を借る狐」にしか過ぎないと感じ、もっと世界的な民族対立の中に今日の状況が作り出されているとの考えから、表題を提示した。
今回のイラク戦争は、合衆国内における9/11同時多発テロに端を発している事に、時間を逆戻りさせなければ、事の本質を矮小化してしまうこととなる。 なぜ、合衆国がテロの標的となるのか。イスラム過激派の少数者による犯行という側面は何故出てくるのか。その根本原因となっている世界の歴史を認識してかからないと、いつか来た道を再びたどることとなりかねない。
世界を覆う欧州文明と、その覇権思想と相容れない他の文明との対立構造は、これまでの世界史にあまたのページを重ねて来た。 アレクサンダー大王の遠征から十字軍の遠征、植民地支配から資本主義による経済支配まで、世界史・社会史を彩る文明対立構造は、欧州文明による搾取の歴史ではなかったのか。
そんな文明対立の中で、利益を得ようとする姑息な輩は、時の政権と結託して 戦争 という殺し合いの場に、多くの善良な人間を駆り立てていった。 文明の一つの到達点として、民主主義が世界に平和を約束する制度として定着した21世紀の社会にあっても、ある一定の民族による巨大資産によって世論操作がいとも容易く行われてはいないか。 目先の状況に目を奪われるあまり、電話一本で小国の経済までも破綻においやることのできるような、巨大権力構造の存在を忘れてはいないか。 世界を席巻するそんな文明と経済支配構造の、一方に組みする事によって日本は生きながらえなければならないと、一体誰が何時決めたのか。
経済の発展は人間を貧困から救い、豊は生活を保障するために目指すべきもの。宗教は人間の精神の安息を約束し、人間同士が信頼し合って生活して行くために不可欠なるもの。 だが、その精神を歪曲する人間によって、人間同士の対立の連鎖は何時まで続いていくというのだろうか。
私たちの時代に、私たちの国から、私たちの地域からその不信の連鎖を断ち切る行動を起こしていくべきである。
日本は敗戦後五十数年、国の名による戦争によって他国民を一人も殺してはいない。日本人はその平和主義、安全第一主義を誇りとして世界に主張すべきである。 時の政権の指示によって、自国民がその人生を絶たれたとしても、戦争大好き人間の誘導に乗って、国の方針を誤ってはならない。 声と態度のでかさでバッチを付けている方々は、往々にしてその勇ましさが高じて戦争大好き人間が多いようだ。自民党にも民主党にもそんな種類の方々が闊歩していないか。アンテナを伸ばして感度を良くして監視の目を怠りなく。
昨日に続いての雨空。晴耕雨読を地で行くように、書斎に籠もっての資料整理。 議会が近いと、質問の準備のための資料が溜まり、机の上にうずたかく積み上げられる。そんな資料の中から、要るもの要らないもの項目別に振り分け、コピーをしたりファイリングをしたり。いつもながらの作業を続けながら、ついつい資料を読み出したら、いつの間にか夕方近くとなってしまう。
降り続く雨に行き場を無くした息子は珍しく勉強中。参考書を買うため書店へのアッシー君の依頼がある。気分転換に出向いた書店に、昨日の報告会の中でコマーシャルしていた「愛媛温故紀行」を見つけて手に取る。西条歴史遺産として報告されていた建造物が、カラー写真で紹介されている事に気持ちが動かされ、ついつい立ち読み時間が長くなる。 本の内容は、愛媛県が平成13・14年に実施した「愛媛近代化遺産総合調査」の報告書であり、愛媛県内の明治・大正・昭和(20年まで)の建造物に光を当てる目的で編纂されている。昨日のディスカッションのパネラー3人も調査・執筆者に名をつらねている。 定価2500円の値打ちを認め購入。(政治活動の資料費がかさむが仕方がない) 新西条市区域内での近代化遺産が網羅されているし、登録有形文化財の表記もなされている事にも興味を持った。
硬い学術書的イメージを払拭し、気軽に手にとって読んでもらいたいとの願いが序文として提示され、この本が如何なる目的と位置づけでもって編集したかが明解である。 昨日「西条市歴史遺産に関する調査報告書」の難点を指摘したが、その指摘の根拠となる対比資料が、うまく発行してくれたものだと巡り合わせの妙を感じる。
「販売部数が仕事の内容を決める」といったような、成果主義が目に見える2500円の本と、読みにくい昨日の調査報告書。見比べながら、564万円という市民の税金を消化して、これだけの成果なのかとやり切れない思いにとらわれる。 このセンスの悪さは遺憾ともしがたい。
資料整理で夜も更けた。
2003年11月28日(金) |
西条市歴史遺産調査研究報告会 |
13時15分から西条市総合文化会館小ホールで「西条市歴史遺産調査研究報告会」があった。基調講演、調査報告、パネルディスカッションとのスケジュールで16時25分終了。参加者136名とのこと。参加者は市役所職員、公民館等教育関係者、西条史談会会員、女性奉仕団体会員等の見知った方々が多かった。市議会議員も数名。 この調査報告書は9月25日付けで市議会議員宛に事前に送られてきていた。
基調講演と調査報告は、担当した報告者の話術が巧みで、メモ帳1ページが埋まった。人間誰しも 故郷 を持ち上げられると良い気分になるのは当然だろう。 そんな良い気分で「歴史を活かす西条のまちづくり」と題したパネルディスカッションに期待して聞いていたのだが だがだがだが なんだかトーンダウンして・・・。 聞きながら、そんなに感じる原因を探していた結果、この報告会は、「日本ナショナルトラストの仕事を西条で実現するため」を最大の目的としてセッテイングしているからそうなるのだろうと思うに至った。
歴史遺産調査であるのに、担当は西条市役所企画調整課。このような表題とするのなら本来ならば教育委員会の担当とするべきではないだろうか。 そんな ざらついた 感覚を持ちながら帰宅したのだが、19時過ぎに今日の報告会に参加していた市民の方から電話をいただいた。 開口一番「あんな誘導がある報告会はけしからん。禎瑞・氷見に片寄っている。今回は良しとしても第2・第3回の調査を予定しているのですか」
報告会との違和感を感じたのは、私一人では無かったのかとちょっと安心して、そういう観点から、報告書の隅から隅まで読み返して見た。 人間一度疑問の目で見出すといけない。根が天の邪鬼なのが災いしてか、どうもいけない。 手近にあった「西条いいとこ・いいもの探し(市制60周年記念冊子)」・「大町歴史と史跡めぐり」と見比べて資料を検証し直した。
第一に今回の報告書、印刷写真が不鮮明であることが致命傷だ。それと歴史遺産としての分類方法と取り上げ方が曖昧で、資料としての方向性が不明確。参考文献の提示があるのが学術調査報告書の常道ではないだろうか。調査スケジュールはこれだけで十分だったのだろうか。 観光開発、近代産業発展史、民族学、土木学、建築史、鉄道資料、人物奉賛、地域発展史、伝承技術、宗教学、等 「歴史遺産」という大括りの中でも、素人が思い当たる分類方法でもこれだけあげることができる。
今回の報告書の中には、確かに私が初めて知る事の出来た地域資源が多数存在する。ディスカッションの中にも初めて聞く言葉もあって、知識集約のためそれなりに参考とはなった。そういう点から見たら今回の企画にも価値があるのだが。
今回の仕事に要した費用を調べてみると、平成14年6月議会提案「歴史遺産・自然資源調査研究事業委託料564万1千円」とある。全額市からの持ち出しのようだ。予算に対する質疑もなされている。(財)日本ナショナルトラストへの委託事業。
日本ナショナルトラストの仕事による滋賀県長浜市の「鉄道文化館」(平成12年10月開館)は、平成14年に市議会総務企画産業委員会で視察済み。 宝くじ協会による建設費用1億円の助成を受けて、市からの持ち出しは年間管理費900万円、長浜市の年間観光予算1億2千万とメモッテイル。 メモがもう一つ、平成6年に350万円の予算で日本ナショナルトラストに基本調査依頼とある。 視察した時には周辺地域整備のための工事中だった。
地域の持てる資源を最大限活かし、少ない予算で地域発展のための最大の効果を上げる。その過程において、様々な可能性を追求するのが 行政とそれをコントロールする方の仕事だろう。 そんな仕事内容を、あらゆる角度から監視するのが議員の仕事。 市民の税金564万1千円が生きた金として、将来大きな花を咲かせるための投資となるか。それとも親方○の○外郭団体の仕事を作っただけで終わるのか。 これからが行政の腕の見せ所。
ここはじっくりと見させてもらいましょうか。
朝から細かい雨が断続的に降っている。 こんな雨の事を 時雨 というのだろうかと、夜になってから辞書で調べてみたら しぐれ「秋から冬にかけて時々ぱらぱら降る小雨」とあった。やっぱり、この言葉で良かったのだと、一人納得している。 四季折々の風情を言い表す日本語には、さまざまな言葉があるのだろうが、日常の会話の中からは既に消え去り、もう辞書の中だけにある目汚しとなってしまった。
この時期にしか使えない言葉そのままの しぐれ の中で、一日麦蒔き作業。 あと3日もすれば 師走 となるこの時期に、来春の実りのための種まき作業。 稲の生長にも詩的なものを感じて、先人はさまざまな言葉を残し伝えている。比べて麦は、日本文化の裏舞台を支える役割を演じているのか、何だか忘れられた存在のようだ。 そんな損な役割だが 「花の咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ、やがて大きな花が咲く」 という言葉を地で行くその生長の過程は、やっぱり詩的な作物ではある。
松野町の合併協議会離脱表明に対する知事のコメントが新聞報道されている。 この知事、県民に対して平気で冷たい言葉を使う事ができるようだ。 内子町でのトンネル開通記念式典での、「更なる広域合併をしないとこのトンネル塞ぎますよ」発言を代表格として、西条市でも「西条は損をするのによく合併を決断しましたね」の発言があった。等々
合衆国大統領は2期までだが、その任期の終盤には政権は 死に体 となって、めぼしい政策は打ち出せなくなるそうだ。合衆国には、その事を表する言葉があるそうだが忘れてしまった。
あと1年もしたら、愛媛の政治の風は次の知事の人選に吹き出すのだそうだ。2期目の就任論説新聞記事にそんな文章があった。
前知事から現知事に代わった時、多くの県民はそれなりの期待をもって迎えたのだろう。そうして8年が経ち、また新しい知事が誕生するのだろうが、その時には、この人に愛媛県民はどんな評価を下すのだろうか。 すでにその評価は出ているように私は思えてならない。
今日の空模様と、知事の事、なんの関係も無いようだが、何だか重なり合う人生模様。
うしろすがたのしぐれていくか (山頭火)
2003年11月26日(水) |
図書館についての二つの報道について |
今日の地方紙には、図書館についての二つの報道がある。 一つは「図書館に求められるもの」という表題で、この7日に新築開館した「川之江市図書館」についての特集記事。 もう一つは、「市図書館建設へ教育基金を改廃(来年度内に事業着手)」との表題で、西条市12月議会に提案される政策についての報道。
二つの報道の共通項は「図書館」ということで、一見何のつながりも無いように思えるが、私にはその内容から、重要な要素がほの見えるのだった。
川之江図書館を見学しての感想は、すでに10月22日の日記に記入済み。 この新築図書館についての報道は11月19日に一度、「新生・川之江市立図書館が盛況」との表題でなされている。その記事に追いつけての今日の特集記事は、開館直後の盛況は一時的な現象であるとの見方もあり、施設運営の将来像への 投げかけ をするためのもののようだ。
図書館は本の貸し出しをする機能があればOKというものではなく、 報道の内容を転記すれば 「利用者同士の交流の場としての機能が求められ、起業やビジネス向け資料の充実、教育機関との連携、障害者サービスなど、住民が求めるあらゆる情報を提供できる経営戦略が必要になっている」 と、今さら言うまでもないことが列挙されている。
ならば、新川之江図書館の機能に、そのような経営戦略を打ち出すことのできる 仕掛け が備わっているのか、との疑問がでるのだが、私の観たところでは、そのようなソフトを提供するハード面でのスペースは
自治体合併を控えて、愛媛の方々の自治体では 急ぎ働き 的な駆け込み事業が展開されてはいないか。 川之江の図書館。土居町の体育館。菊間町の体育館。小松町の温泉。等
地域地域にはそれぞれに事情があっての事業展開なのだろうが、地域の将来展望を見据え、悔いを残さないためには、基本計画を十分に練り上げてから施設建設に取りかかる事は必須であろう。
西条市民待望久しい 新図書館 がいよいよ建設に向かって動き出しそうだ。 だが、新図書館 という 名 の付いている 箱 が出来ればそれで良いというものではけしてない。 基本コンセプトを標せば 「新県立図書館との連携を見据え、地域の総合情報発信基地としての機能をゆとりあるスペースの中に挿入し、新西条市の中央図書館としての位置づけを十分に果たすことができる」となろうか。
14年度中に事業着手はよいけれど、急ぎ働きで怪我する事のないよう、資金をケチることなど努々考えないことだ。 文化会館の時と同様に一色達夫のチェックは厳しいぞ。
2003年11月25日(火) |
市長選挙があったとしても |
平成15年度12月議会の議案書が届けられた。 麦蒔きで田に出かけて留守の間に市役所の担当者がいつも通り届けてくれたようだ。 夕方、仕事を終え、パラパラと資料に目を通している私の頭に浮かんだのは、
「たとえ市長選挙があったとしても現職が勝っていただろう」ということだった。
この数年12月補正予算は、年毎に少なくなっていくのだが、ご多分にもれず今回も補正項目は少ない。中で私の目引いたのは予算資料の投資的経費調 では教育費の 西条地区公民館建設事業 と橘地区公民館建設事業 いずれも設計委託料。 議案では50号の 西条市図書館建設基金条例。 これだけの 弾 があれば 選挙戦の終盤に 一発逆転できるだろう。
スケジュールで言えば 23日 告示 25日 2地区の公民館建設予算 と 図書館建設基金創設の発表 30日 投票
告示までに各校区の後援会組織を作っておいて、状況を見て、選挙戦の終盤に このめぼしい政策を宣伝して回る。西条市政の現状において圧倒的な 対立軸 が見いだせない状況においては、このハード建設の打ち出しは現職有利に働く。
こんな事が何故私の頭に浮かぶかというと、12年前の市長選挙の光景が今でもおりに触れて想い出されるからだ。 その時の選挙終盤に、大票田である神拝校区へのハード建設を標す立て看板が、この地区のメイン道路に林立した。選挙結果は、僅差で現職が勝った。
2地区の公民館建設については、いずれも、昨年の玉津校区公民館の増改築の時から「次にはこの校区への建設を」と言う意見があったもので、12月議会の 質疑 でその概況が明らかとなるだろう。が、現時点で私の知る限りでは、土地からの準備が出来ているのか情報が無い。 図書館建設基金は3億円を積み立てると提案されているが、その原資は「教育文化振興基金2億2422万円」等5つの基金に積み立てられていた資金を、条例廃止までして 名義替え するだけの 操作 でしかない。 文章の創作ひとつで、政策をアピール出来るということだ。 これならば、平成11年に前科のある図書館建設のための調査建設費用100万円よりも格段の効果が期待できる。
権力とは一度掴むと恐ろしいものだ。
市長選挙がある事を想定しての 議案の提出なのかどうか。私の単なる「げすの勘ぐり」かも知れないと思いつつも、しばし頭の中が真っ白になった。
天気予報が昼過ぎからの下り坂を告げているので、早朝よりの 麦蒔き作業 に拍車をかける。 日中は好天。昼過ぎから序序に雲が増えてくるも、一日雨は落ちなかった。 お陰で夕方7時まで、作業が捗った。 そんな振り替え休日だが、用件は出てくるものだ。
明日からの予定だった部落の集会所の、炊事場床面の修繕工事に今日から取りかかってくれて、その様子を見ておく仕事が入る。
昭和54年建設の部落集会所は築後24年を経て、雨漏りによる天井板の剥がれや床面の痛みがひどくなり、かねてより修繕の声が上がっていたのだが、自治会予算が限られているところから延び延びとなっていた。 そんなところに、市における集会所修繕のための予算が年間での大枠として提案されたので、早速、申請して工事にかかることとした。 5・6月位に申請手続きをして、7月には工事完了を予定していたのだが、思わぬ所に差し障りが出て、取りかかりが今日という日になってしまった。
仕事全般の進め方を、自分のペースを基に全て「そんなもの」と考えがちだが、社会には「様々な考えと行動パターン」を持って生活している人がいる。
この仕事の 段取り全般 を自治会長から依頼され、引き受けたものの思わぬ手間がかかった。 まあ、年度中には事後手続き全般が終了しそうだから、何事も経験と良い方に解釈するとしようか。
集会所と言えば、西条市内の自治会での建設要望がまだまだ多いようだ。 新築実績は平成13年度 1件 平成14年度 2件。 この間の合併協議会に提案された事務事業の調整案のなかに「集会所建設」が提案されているのだが「現行制度を基本として、新市移行後速やかに新たな制度を創設する」となっている。 具体的な調整内容には、「負担割合は、2市2町の地元の負担割合の最低に設定する」と記されているが、「新たな制度の創設」前と後の集会所建設において、地元負担割合に大幅な違いが出ないよう、注意を払っておく必要がありそうだ。
西条市長選挙の告示日。現市長伊藤宏太郎氏1人の立候補で、3回続いての無投票で西条市長が決まった。 2市2町合併まで1年の任期を務める市長の選出が、市民の選択の機会を持たないままの決定となった。 「この原因を何処にもとめるか」とあれこれ分析するのか。 「静かで良かった」と無関心を決め込むのが利口な人間の処世術か。 「西条には人材がいないのか」と他人のせいにして評論家を決め込むか。 「誰がやっても同じ」と諦め、風が吹くのを気長に待つのか。 「幸運な人だ」と人生の巡り合わせを達観するのか。 「代わり映えしない」とだらだらと流れに任せるのか。
人それぞれ、心に思う事が有るのだろうが、西条というところは、そんな思いが実際の行動となって現れてこない。今のところは。
過去の西条市長選挙を振り返ってみると、保守同士の勢力争いから選挙になったように感じる。「どんな政策を実現したいから市長を目指す」という 対立軸 が見えないままの市長選挙だったのではないだろうか。 国政選挙が中選挙区当時は保守同士の派閥争いが、選挙という形態で決着を付けるという事になったのだろうが、小選挙区になってそんな元気の良い 選挙好き も鳴りを潜め、この間の国政選挙も静かなものだった。 その結果が西条市の投票率52%となって現れてくる。 選挙の見返りが期待できない 良好な状況 が、無関心に拍車をかけているとしたら、この地の民主主義の底も 推し量れる。
この10年近くの西条市行政を俯瞰してみると、バブルが弾けてこちら税収が伸び悩み、過去の市長の残していった仕事の精算に、そのほとんどの財源と時間を束縛される状況ではないか。 市議会議員としてこの8年間、西条市行政の動きを観察しながら、市長とは 因果な役職だ と思う事の多い歳月だった。
この地の恵まれた資源を活かして 穏やかにゆったりと生きる 地域づくりを目指して、様々な仕掛けを作って、住民参加意識の啓発を行ってきたと自負するが、今だ道通し。恵まれた地域故に リスク を負いたくないという市民感情とのズレはまだまだ修復途上である。 ましてや「寝た子を起こすな」が深層心理の中に息づき、建て前と本音が違う事が往々にしてあると、こちらの腰が折れてしまう。
対市長は是々非々でかまわない。上位機関からの下請け仕事の 出来 をチェックするなら、一般質問の質に気を付ければ良い。 2元代表の一方である市長が決まった。その人が選挙というチェックを受けていないのなら、もう一方の代表である選挙で選ばれた議員がしっかりとチェックすれば良い。
悶々と、そんな事を考えながら、麦蒔き作業に精を出す。 選挙カーが1回だけ連呼して行った。今日、勤労感謝の日。
2003年11月22日(土) |
構造改革特区 認定の内示 |
21日午後2時過ぎ、議員用FAXに西条市役所より「愛媛県東予地域外国人研修生受け入れ特区」に関して、認定の内示を受けたとの報告があった。
この地域における、外国人研修生受け入れ枠を増やすための「特区申請」についての私の考え方については、10月7日から11日にかけての日記に既に記入した。
市役所からのFAXに書かれている「計画の意義、目標」と、今日新聞発表になった全国各地における特区構想の内容を比べてみて、改めてこの地における「研修生受け入れ枠拡大特区」への疑問が倍加するのだった。
既に日記に記入した全国各地の特区には、20人学級特区、外国語教育特区等がある。今回の全国ユニーク事例には景観特区、どぶろく特区、ロボット特区、ボランティア輸送の有償化特区などが紹介されている。
付けられた名前を聞いただけで「心沸き立つ思い」にさせられる。
何故かというと、そのいずれもが、地域の特性、資源を活かし、地域を住み良くしたいという想いを 具現 するために 知恵 を絞ったという事が明解だからだろう。 特に「ボランティア輸送の有償化」特区などは、これからの少子高齢化社会における地域助け合いの一つの方策を 全国 に広める、先進事例となる可能性を持っているだろう。この方法ならば、地域循環バスに多額の行政予算をつぎ込まなくても、移動手段弱者にたいする課題解決となる。(旅客運送法がクリアできれば全国に広がる)。タクシー業界も、法律に守られて利益を享受するばかりではなく、業界における社会貢献と新たな需要開拓のきっかけとすれば良い。(これは国会議員の仕事かな)
翻って「外国人研修生受け入れ」特区は、受け入れ企業における「モルヒネ」にならないか。今回の枠拡大は人数の倍増のみのようだ。申請はどんな内容で、その内今回どの部分が認められ、どんな かせ が課せられたかはFAXからはわからない。次は在留期限を3年から5年にしろとの要望がすでにでているようだ。その次にはどんな要望がでてくるのやら?。
「計画の意義、目標」に書かれた言葉が 美辞麗句を並べただけ にならない保証を、この構想を進めたお方が背負うということを 肝に銘ずべし。 議員はそこのところを 監視する 責務を負う。かな。やれやれ 又新しい仕事が増えるよ。
昼間は農作業が主。
夜、国会議員が主催する勉強会に久しぶりに出席。 代議士が「今回の改選で憲法問題調査会」をやりたいというので、「憲法のどの部分を守り、どの部分を加筆、削除したいと考えているのですか」と質問してみた。 が、答えは、「基本理念はこうありたい」という全ての人が賛同するような内容で、細部にわたる答えは聞けなかった。 今回の国政選挙 自民党は改憲、民主党は創憲とマニフェストに書いている。 細部のどの部分で、どんな言葉を使うかが今から重要となるのだろうが、さて?。
今日は?????の日か。
2003年11月21日(金) |
給与改定のための臨時議会 加藤諦三を読む |
10時より「臨時議会」 人事院勧告の基づく給与改定議案の審議のみ。11時50分終了。 共産党議員よりの反対討論があったのみで、他異論無く議決。
図書館に寄って 加藤諦三「日本型うつ病社会の構造」を探すも無し。リクエストしておく。 書店に寄って聞いたら、あったので購入。PHP研究所刊1500円。 昼間、農作業。夜 一気読み。 著者がいわんとするする事は、私が思っている事と同じ内容で、大枠では納得いくものだった。が、社会構造を企業人中心による精神構造の 崩壊 との観点のみから捉える見方には 異質 な考え方を持った。
そんな読後感は、私の経歴が「趣味がこうじて43歳にして会社を辞め、議員となった」という行動パターンから来るのだろうと思った。 それと、地域の政治・経済状況に少なからぬ責任を負う者として、国の財政破綻を招かない処方箋をどうしても求めてしまうので、心理学者の目からの現状分析だけでは 飽き足らないものを感じる。
一気読みで疲れたし、ここ数日での 麦蒔き を済ませなければならないので、短い日記で就眠とする。
2003年11月20日(木) |
朝日と読売 求める自治体の姿が全然違う |
昨日の日記では 愛媛新聞社説についての 怒り を書いた。 今日は読売新聞について。
市町村合併についての 11月15日 朝日新聞社説 「1万人はおかしい」 11月17日 読売新聞社説 「知事がひと肌脱ぐしかない」
との文章中で、「政府の地方制度調査会答申」について、まるきり違う評価をしている。
この調査会は「小泉首相」のお覚え目出度い 方々 によって組織されている「ご用調査会」の色合いが濃いコトは、各種報道によって衆人の知るところだろう。 だから、だされた答申は、かの片山鳥取県知事から東芝製品の不買運動を示唆されたような、東芝会長の所属した審議会 と似たりよったりの物となるのは明らかだったようだ。(ちょっと齟齬があるかも)
この答申についての各社の社説は、そのまま その社の政治的姿勢を 表現するものなのだろう。
我が家では 読売新聞 は取っていない。 ので、議会事務局に出向いたおりに、手に取って社説を読んでみて、その内容が「審議会答申に諸手をあげての賛同を記している」ことに驚いてしまった。 この社説では 小単位での自治体を全て 悪 と規定し、自治体の人口規模の最低ラインを1万人とすることに「基本原則が示されたのは前進だ」としている。
全国3200の自治体が、それぞれどんな経緯をもってこの数字に収斂されてきたのか。その地政的・文化的背景に思いを巡らすことなく、アメをぶら下げても言うことを聞かない 市町村 には「交付税交付金を削減するというムチを検討しろ」と切って捨てる 冷血漢 ぶりである。 地方交付税交付金の総額の中で、小規模自治体への配分割合は少ない というデータを日記に書こうと思っていたのに、そのデータが見つからないのが残念。
金の力で各球団の4バン打者を買いあさる企業姿勢が、こんな所にも出ていると思うのは私だけだろうか。
これ以上書くのも時間の無駄。なんで私がそんなに怒るのか、その資料を欲しい欲しい人はメールででもご請求を どうど。
以前 妻に、「政策の参考に朝日と読み比べるため読売新聞も取りたいのだけど」 と言ったことがある。 帰ってきた答えは、 これ以上あなたの資料費を増やしたら 家計に響くわよ。それに読売は偏向記事ばかりだから私は嫌いよ。その偏向記事毎日読んで、毎日ぶつぶつ怒るあなたの顔見るのはもっと嫌いよ。
2003年11月19日(水) |
松野町 あんたは悪くない |
今日の地方紙に「きほく合併協議会」を離脱した松野町を 叩く 記事が掲載された。 3面の、町長に聞く との記事を真ん中に、左に「県は困惑」との記事を配し(脅しをかけ)、右に「感情論に先走りしている」との社説を掲げる ねんの入れようである。
私がこの記事を捉えて 何故 松野町を叩く と感じるのか。 それは、今回の自治体合併が当事者の自主性に任せると言いながら、県主導での必然を演出している点。 社説は「まず合併ありき」に誘導する趣旨で書かれている点で、文章に脈絡が無い。 町長へのインタビュー記事は、例えていうなら、町長の口から上位機関への批判的言葉を引き出そうとの意図を感じてしまう。 いたずらに住民への不安を 煽る だけの内容でしかない。
社説は、合併が 善 であるとの結論から、それに反する行動を ヤリダマに上げるだけの意図で書かれてはいないか。 この原因となった広見町・日吉村の行動への言及は、全て 善 であるとの認識に立ち 「不信は合併した後で長い年月をかけて取り除くことだってできよう。」 「ゴタゴタの解決策は、走りながら考えればいい。」 とは、 何とも乱暴なやり方を奨励する文章だ。
こんな乱暴な文章で締めくくり、松野町の決断については 「戦略抜きの情緒論のよなものが見える。」 「気がかりなのは、長期的視野に立っての決定かどうかという点」 と、筆者の感情丸出しでの文章に終始している。
「離脱は真っ当な選択とは思えない」という記者の考えの根拠として、松野町の財政の硬直化と合併による財政支援措置を上げている。が、だったら記者は、合併した後の財政健全化と、合併特例法による財政支援を 保証 でもしてくれるのだろうか。
「地域ごとに多様な生き方が選択できる。そのような自治体制度が私たちの理想だと思う。」 と理想論を 付け足す のなら、それに向かって社会を誘導してこそジャーナリストとしての社会貢献を図れると私は思うが如何か。
財政硬直化した2町1村が合併したところで、財政健全化は図れない。それに、合併前に新庁舎建設の既成事実を作ってしまったら、合併特例債は、この建物の建設費用だけで 霧 となって消えていく。後には借金が残る事をどう地域戦略に組み込み、長期的視野に立っての町づくりをしていくというのだろうか。
「人間は感情の動物である」
その感情を害されたら、一緒になって新しい町を作って行く気力など 失われる。
そんな地域的な感情に何の配慮も無い、今日の愛媛新聞の特集。
切り抜いて保存しておいて、自治体合併騒動が 一段落した時、取り出してもう一度読み返して見よう。 バブルの後始末に空白の10年を費やしてもまだ日本は 落ち込む だけ。 自治体合併騒動による 空白の3年 の後始末は、新聞社にでもお願いしようか。
2003年11月18日(火) |
男女共同参画推進 研修会を終えて |
「平成市議の会」第16回研修会。 2日目は、朝9時からの「モーニングトーク」。昨日の研修内容への感想・意見・平成市議の会研修会の持ち方についての意見を、参加者全員で出し合い、今後の参考とした。 私は、桐木氏の講演の中で、「議員提案による行政推進」の部分への関心をもった事。この方面での行政としての仕事と市民活動との連携をどうマッチさせていくかが今後の課題。「次世代育成支援対策推進法」制定によって出てくる「男性の育児休暇取得率の数値目標設定等で、今後の共同参画が進むと思う。と発言。
他の参加者からの発言で注目したのは、 ・このテーマはドコから出てきたのか。その推進結果として出来てくる社会の姿が見えない「危うさ」を感じている。 ・女性の社会進出の結果として、結婚しない女性、子供を作らない女性の増加にどう対処していくのか。男女共同参画から進めた、少子化対策などへ波及する状況へも配慮する必要がある。
今後の研修会の持ち方・進め方についても、「結論を出さない、超党派での集会に徹し、新しく入会してくる議員への配慮を中心に考える」という会設立当初の趣旨に立ち返るという事が確認された。
10時で失礼しようと思っていたのだが、「新居浜市広瀬歴史記念館」見学にもお付き合いする。 以前に新居浜・西条議員交流会で見学して以来 2度目 の見学なのだが、館長が詳しく説明していただけ、改めて、新居浜近代発展の基礎を築いた 広瀬宰平 氏の業績への認識を新たにした。 この記念館の展示品の中に、広瀬宰平 への西条藩からの名字帯刀を許す書状があり、この地域における歴史的つながりの一端に想いを巡らす。
夜、日記を付ける前、資料棚の中にあった 「西条市女性行動計画」(平成7年3月発行) 「西条市男女共同参画計画」(平成14年3月発行) に改めて目を通す。
研修会に参加する 前 に目を通しておくべき資料であったと 反省 することしきりな一色達夫。 1975年「国際婦人年」から始まった「世界を舞台とした」歴史から、現在までの取り組みの変遷。西条市の平成7年と14年との計画の対比によって、この課題の全容が おぼろげながら も頭に入る。
今回の研修テーマについては、日頃の妻の 使い勝手の良さ についつい甘え、趣味の会やサークル活動での女性の元気の良さを日常的に見ているところから、疎くなっていたきらいがあったようだ。 こんな機会を作ってくれた 新居浜市の議員に感謝。
2003年11月17日(月) |
平成市議の会「男女共同参画社会」研修 |
14時から新居浜市で開催の「愛媛平成市議の会」第16回研修会に参加。 今回の研修テーマは「男女共同参画社会づくりを目指して」 ・まず松山東雲短期大学助教授 桐木陽子氏の講演を1時間聴講。 ・次、各議員の所属市の取り組みを報告(8市) ・18:00から 懇親会 次 二次会。
今日は、研修テーマーについての情報も、参加各議員の活動情報も、オフレコ細心 違う最新情報も、お酒も たらふく詰め込んで 満杯状況。 明日も9時から「モーニングトーク」の予定なので、今日は これまで。 明日、覚えているものを 追加記入予定。
◎18日追加記入 さて第16回研修会について、17日時点での感想と、18日に研修が終わった後での感想は、どうも違ったようなので、追加記入は 18日の日記の方が適当だろう。 17日の感想の、事実の部分だけを追加記入するとなると ・桐木氏の講演は1時間の内に、この問題の歴史的背景から始まって、現在の状況までを巧くまとめて 魅力 あるものとはしていた。 講演の終盤には、聴講者が地域議員という事を踏まえて、男女共同参画推進条例制定への「議員提案」の可能性追求に言及し、私の興味をくすぐった。 ・参加議員の所属するそれぞれの市での、この問題への取り組み事例発表は、残念ながら 準備不足 は否めず、折角の機会を十分には活かしきれないものとなった。 ・その中で、条例制定した新居浜・宇和島・松山の3市の内、松山市での、制定から3ヶ月の修正についての議員からの内容報告は、この問題の「求めるものによる条文の難しさ」がおぼろげながら分かって まずは良かった。
後の懇親会。1次会 2次回 とも旧交を温めたり、情報交換したりで、多いに盛り上がった。研修会のこの方面での 成果 は大であった。
2003年11月16日(日) |
地区文化祭 西条市産業祭 |
久しぶりの晴天のもと、秋 恒例の二つの行事を見て回る。 一つは小学校区での地区文化祭。もう一つは西条市産業祭。
地区文化祭は、毎年文化の日頃に実施されるのだが、今年は 諸般の事情によって 西条市産業祭と同じ日の開催となった。 地区文化祭は、今年4月に増改築がなった公民館を文化祭で使い 使い初め だったので、地区事業のソフト面がどのようにリメイクされているかに、会場に足を向けることの期待があった。
公民館会場と、小学校会場を連動させてのイベント設営。スケジュール調整も出来ており、まずはご苦労様です。 小学校生活発表会会場と公民館演芸部門を分離しての設置は妥当。カラオケ発表は体育館のようにあまり広い会場では 栄えないから。 小学校施設での会場設営にも昨年とは違ったところも見受けられ、展示部門の発表は学習活動発表も含めて、努力の跡が見受けられた。
西条市産業祭。 規模は、昨年同様と見受けた。大体の産業・出典可能な企業を網羅しており、飽和状況とも受け止められるが、実施趣旨のよっぽどの変更がないと、これ以上の規模拡大は無理だろうか。
二つの会場をツアーしてみて、私は、今日の 収穫 のキーワードを 食 とした。
校区文化祭での展示に「給食につついてのコーナー」があったが、普段子供達が食べている食事を実際に見ることの 無い 状況で、このコーナーは日本の 食 を考える上での良い参考となった。 カロリー計算から始まり、普通の家庭では偏りがちな野菜類の摂取奨励。給食に使う食材の生産地表示は、地産地消・食料の国内自給を考える上での目でみるデータとして面白かった。
続いての西条市産業祭では、一頃よりは少なくなってはいるが、会場の農業高校ならではの「食料生産」についての展示コーナーはまだまだ健在で、今後の食料不安到来に備える地域の取り組み拠点としての 位置づけ が出来ると ちょっとだけ 頼もしく感じるのだった。
展示コーナーに「千町・藤の石地区 棚田の保全」についての取り組み紹介を見つけ、私もこの地域の保全についての一般質問をしたこともあるところから興味をそそられた。 私のHPのリンクコーナーにある「西条農業高校のHP」に、その取り組みが紹介されているのだが、更新が滞っていて、その後の取り組み経緯が解らなかった。航空写真からトレースした棚田全景図などが制作されているのを見て、これだけの成果をさらに活かしていく新たな取り組みの必要性を再認識した。
昨日の「ソロプチミスト西条」主催の絵画展会場で、西条市長は来賓挨拶の中で 「食 への打ち出しをやってみたい」といったような話をしていたが、さて、期待してもよいのかどうか。
産業祭会場のいたるところに「平成16年からこの施設は全面禁煙となります」と、早手回しな表示が見受けられる。県施設での全面禁煙は既に進んでいる。 それにしても 西条市での取り組みの遅い事よ。 来年も分煙機のレンタル予算を組むつもりなのだろうかな。
2003年11月15日(土) |
トラクタ運転7時間。どちらかというとオフ |
「国際ソロプチミスト西条」が主催する「こどもたちの絵画展」に出品した、下の娘の絵が優秀賞に選ばれ、今日10時から文化会館(いやまだ西条市中央公民館だ)展示室で表彰式があった。
上の娘に比べて写真の数が少ない事を 申し訳なく思う親心 で、妻と二人で見に出かけた。 作品は、夏休みに書いたそうだが、私にとっては始めてみるもので、「地域探検に付近の川の上流まで歩いていった時の思い出を絵にしたものだ」、と紹介文が添えられていた。 いつもながら、子供の成長には驚かされる。親が親だから、大人になったら ただの人 になるのだろうが、小学生の 情景を切り取る発想、絵の色使い、探検に心躍らせる人物描写などの感性の豊かさ。 さぞや目を細めて見ているだろうと、普段の自分に戻り、会場全体を見て回る。
帰宅後、このところの天候不順で のびのび になっている田の耕運。作物の取り入れが終わっている田を全部耕運。終了20時。
いつも一気にやってしまうので体にはやっぱり負担がかかっているようだ。この年になると。 今日から出した電気こたつでうたた寝。日記記入が深夜になった。 という訳で、政治関係の活動は どちらかというとオフ。
2003年11月14日(金) |
現西条市中央公民館廃止 赤木かん子講演会 |
ああ愉快だ。
平成6年頃、西条市総合文化会館の設計図が出来上がった時、当時、文化会館建設運動をしていた私たちは「文化会館と公民館の複合施設とする事」に反対した。 理由は、文化とういものを総合的に継承・発展させていくためには、大別してパフォーマンス部門と展示部門の両方を行うことができる事。そのために建設する予定規模の中に両方が入るのなら一体管理が出来る事。 他にも数かぎりない理由で、公民館施設の併設には反対したのだが、「こういう文化施設の建設には補助金が出ない。が、公民館という名目なら補助がある」という大きな理由によって、西条市総合文化会館は西条市中央公民館との複合施設となった。
まあ、理由を言っていたら朝までかかるが。
文化会館建設運動に携わった私たちにとっては曰く因縁のある、その「西条市中央公民館」が廃止となって、現西条市総合文化会館に一本化された管理・運営を行うという事になるという。
今日開催された2市2町合併協議会(第13回)での 各種事務事業(教育関係)の取り扱い(その2)の中で「公民館管理運営」についての事務局提案があり、東予市中央公民館を新市の中央公民館とし、西条市中央公民館は廃止するとの 方針 だという。
あれーーーーーーーーーー。
と思い、事務局に 「公民館を建てるのに6000万からの補助金を貰っているのに、文部科学省は廃止に承知するの」と確認しみた。
答えは「縦割り行政で、その他の事業の見直しはダメなのに、この件だけがOKのようです」と言うではないか。
合併効果がこんな時こんなところに出てくるとは アア愉快。
だが、直ぐに次の課題が出てくるのがこの家業。 ・総合文化会館の運営スタッフ増員はどうなるか。 ・中央公民館が東予市に移って、公民館での事業がどのように変化してくるか。 ・文化会館と公民館の事業についての連携・連帯状況をどう整理するか。
文化会館の運営は市長部局の考えで修正は容易だが、地域自治会との連携が主の公民館運営は現場での住民との軋轢が心配ではある。
この事についても書いていたら朝までかかる。
夜、7時半から昨日に引き続いて 赤木かん子さんの講演を聞く。 昨日の対象者とは変わった対象者の今日は、昨日と全然違う話が聞けてメモがノート3枚。 私が聞きたかった質問は ・文部科学省が推進している学校図書室図書標準についての考えは。 ・西条市で今年から学校図書室の図書購入費用として昨年の300万円から800万円に増額されたのだが、図書購入に関する事で文学系とレファレンス系の比率を半々にという議会答弁があったのだが。 答えは 「比率云々というよりも、読める、使える本がどれだけあるかが問題だ」という、考えて見たら至極当たり前の答えが返ってきて「私は納得」。
かん子さんの話を書いていたらまたまた朝までかかる。
10時過ぎに講演会が終わり、帰りの車の中で 一緒に聞きに言った「読み聞かせ」をやってる妻に、 昨日、かん子さんに「今読み聞かせをしている方々は30〜40代の方が多そうだけど、その人達は50〜60になった時、子供達との年齢ギャップをどう埋めるの」と聞いてみたかった。 というと、妻は、 「その時はストーリテラーになるのよ。昔お爺さんお婆さんが囲炉裏の側で孫達に昔話を話して聞かせたように。そうやって歴史は繰り返すのじゃあない」
うーーーーーーむ。なるほど。まいったね。
2003年11月13日(木) |
赤木かん子 のブックトーク in神拝 |
朝9時半から「赤木かん子講演会・今、こどもに楽しんでもらえる本とは」を神拝公民館で聞く。12時15分まで。参加者20名。
この人の講演を聞くのは、昨年11月27日以来で、計3回目となる。 今回の話の内容は表題の通り、絵本などの「読み聞かせ」をしているグループの方々中心の話だったので、「図書館作り」についてのノウハウを吸収したい私の心とは若干ずれるところがあった。 それでも、この人一種独特の語り口から得られたものは多かった。
「読み聞かせ」をするものの心得は、とにかく本の知識を数限りなく吸収し、ボイストレーニングは怠りなく、着ていく服への気配りを忘れないよう、演出を凝らして、他人の子に聞いてもらうんだという事を肝に銘じて行うべし。 良い仕事をしようとしたらそれなりの金と時間がかかる。100m走れない人には「読み聞かせ」はムリ。とヤル者の安易さを戒める言葉がポンポンと飛び出してくる。 この話の内容ならば、「読み聞かせ」という対象を「議員の仕事」と置き換えても相通じるところがあると、うなずきながら聞いていた。
子供の絵本も年々変化し、良い本は少ない。 地域の図書室の書架を良くしようと思うなら、良い司書を置くのが原則。だが、いないのなら、図書館に本のリクエストをして買いそろえるという手もある。 講演メモのごく一部だが、等々の話があった。
明日は市内小学校で5年生対象に「調べ学習のしかた」の実践指導をするそうだ。夜は「調べ学習のしかた・百科事典から分類別の資料へ」との講演会がある。
一つ聞きたい事があるので、参加する予定。
2003年11月12日(水) |
チャレンジデー資料入手 おお面白い |
7月31日の日記に記入した「チャレンジデー」についての資料を、議会事務局が入手してくれた。 有り難い。 これで、自治体と自治体の対戦相手をどんなにして決めるのかという疑問が解けた。日本財団の助成事業として「笹川スポーツ財団」が全国に呼びかけて実施しているということだ。 名探偵コナンなら「謎は解けた」と言うだろうね。
夕方からずっとこの資料を読んでいるのだが、面白さ半分、難しさ半分といったところだ。
面白さ の部分は ・資料の中にあったビデオを見たのだが、全市を上げてのスポーツイベントとして、健康作り等の意識啓発に打ってつけの事業のようだ。 ・笹川スポーツ財団からの、運営資金面の援助やイベントグッズの提供が受けられる。
難しさ の部分は ・実施11年目の今年は全国市町村91ヶ所での実施となっているが、資金の出所 があってのイベントの様相はないか。 ・実施自治体が比較的小規模自治体の様子。3万人以上の自治体での実施が少ない様子。 ・日本財団のこれまでの助成内容と一致するところはないか。 ・実施までの意識醸成には相当の熱意を持っての取り組みが必要ではないか。 ・波方町での実施が2回に止まっているのが気になる。
そういうところから、これまでに実施した自治体への調査を今少しして見なければなるまい。 自分が納得できないと、人にも勧められないのは当たり前だから。
2003年11月11日(火) |
当世 廃棄物処分場事情 No3 |
そろそろ麦まき作業にかからなければならないのだが、このところの天候不順でどうにもならない。 そんな事で、資料整理に集中していた午前中。 午後、様々な要件を済ませながらも気に掛かっていた、先週取りかかって調査し残している 東予市の廃棄物処分場 を視察に行く。 現場到着が午後4時を回っていて、丁度係員が門を閉じようとしている所で、十分には観察出来なかったのだが、「処分場の容量がどの様な状況なのかを自分の目で確かめる」という当初の目的は達することが出来た。
東予市一般廃棄物処分場 処分内容は「家庭の不燃ゴミ及び一斉清掃ゴミ」 平成6年4月に開設〜平成20年までの設置期間。
この施設を視察したのは、平成8年の3月だった。 その時は使用開始間もないという事で、搬入された廃棄物の量もビビたるものであったが、施設使用予定期間を既に半分以上過ぎた状態である今回は、高い土盛りが出来上がっており、この地域の住民生活の必然として出来上がった状況に、年の流れを感じてしまう。
場所は、大明神川にそって本谷温泉に向かう道筋にあるのだが、曲がるべき所を行き過ぎてしまい、地域の住民に聞かなければならなかった。 案内標識の一つ無いので怪訝に思っていると、説明していただいた係員が「開設の時の地元意向として看板の設置が出来なかった」との事情を教えてくれた。 河川上流にこの様な施設を設置する事は、いくら 水質調査を実施します と明言しても、なかなか地元合意が得られない事を改めて認識する。
その点で、排水流入地域が短いという地形である、西条市船屋から新居浜磯浦地区にかけての丘陵地に、廃棄物処分場が林立する所以を感じる。
クリーンダストの操業開始を機会として、改めてこの地域での廃棄物処分状況を検証し直したのだが、まだ、「廃棄物処理法?等の関係法令を検証しないまま」の私の意見として披瀝すると
・家庭廃棄物として埋め立て処理された物の中には、焼却可能品又は他の処理方法があるとおもわれるものの混入が見られる。 ・剪定屑・木材屑・雑草屑などは「安定型処理」する事が出来ないのだろうか。 ・産業廃棄物処分場は産業活動を行ううえで、必要なものではあるが、需要と供給のバランスを見定めて、開設運営については地元合意を必須条件に慎重に対処する事。
・西条市家庭一般廃棄物処分場「管理型」 の施設建設については急ぐ必要は無い。 ・が開設予定地の用地確保等の準備は進めておくこと。 ・施設建設時期は西条市周辺地域の廃棄物発生状況と処分場容量から判断。 ・それも資源リサイクル、分別収集の徹底を優先して行い、出来るだけ先延ばしする。 ・施設建設についてはPFI方式による建設と施設運営や、施設使用料による独立採算の検討を行い、財政への負担軽減を図る。
と並べてみたのだが、まだまだ検証を続けねばなるまい。
2003年11月10日(月) |
国政選挙 大阪 天理 の情報整理 |
6時10分着東予港着 オレンジフェリーで帰西。 フェリーの中では、夜中の1時過ぎまでTVで衆議院選挙の開票結果を聞いていた。 これで当面、日本の政治に変化は 無い 事となった。 利権と保守の貴方任せ政治を選択することによって、この国はアメリカ合衆国追従外交を基本に、巨大資本中心経済政策、中央集権による統治国家の温存、海外利権を守るための海外派兵政策の推進、財政建て直しの先送り、赤字国債発行による水膨れ財政の継続、保守政治永遠政権を死守するための教育施策を推進していくという事となった。
「マニフェスト選挙」と名は付いたが、その内容は、7月の研修で聞いていた通りの「各政党が準備するマニフェストは1835年頃のイギリスでのものの類」という事が納得出来たものでしかなかった。 自民党のものには具体的数値の提示と実現行程が標されていない。民主党のものは、まあ内容が充実するであろう次回を期待しよう。公明党のものは入手出来なかった。共産党は護憲・戦争反対・年金制度充実は良いけれど、足腰の弱さで実現性に疑問。 その他の政党は、政策立案能力さえも疑問である事が露見したのかも。 これでは、一部族議員の思いのままと官僚による政治に流れていくという所以だ。
マニフェストをいうのなら、各政党ともに千ページに及ぶようなものを書店で売るような状況に、早く近づける努力を惜しまないことだ。 私も、そんな政策要綱を読み解ける力を身につけるべく、更なる精進をしていかなければなるまい。
気になるのが投票率。西条市では愛媛の市の中では松山市に次ぐ2番目に低い投票率に留まっている。 こんなところに西条人の政治に対する深層心理を感じる。
3日分の日記記入。掲示板へのレス記入。赤木かん子さん講演会の案内。HP検索で一日過ぎていった。
急ぎ足の旅行となって、おみあげに不都合が生じる。デズニーキャラを独り占めした下の子が一番良い目をしたようで、家庭内に不協和音。 辛辣なる政治批判を繰り広げられても、家庭内の女子と小人の機嫌取りには失敗した一色達夫。
2003年11月09日(日) |
縁あって天理市での一日 |
中学の修学旅行。二十歳のころの単車旅行で明日村を訪れて以来の奈良県を訪れる。 2番目の姉の娘。私からみれば一番年上の姪が、縁あって天理教の協会長を務める男性と結婚することとなり、都合の付いた一家をあげての天理市行きとなった。
このような縁が無かったら、人生の中で経験する事のない、かいま見ることの無かった宗教世界を経験することとなり、またひとつ良い知識を得ることのできた一日となった。
天理教と言えば、近所にもあるその協会を日常的に見ているのだが、その内面をのぞくことはなかった。 姪の結婚式が、本部内の神殿の、一般の人が足を踏み入れる事を許されることのない結界の中で執り行われたのだが、なんとも広大な敷地、建物の大きさ、ちり一つ付いていない荘厳な建物全体が醸し出す雰囲気に、人間の精神性の一つの到達点を見る思いとなった。 高校生の頃より、全国いたるところの 神社 仏閣 城郭 歴史遺産 を見て回った私だが、まだ知らない世界があったようだ。
それにもまして、市議会議員としての 目 から見ての驚きは、「天理市内の道路・空き地・水路等々に ゴミ が見あたらない」という事だった。 天理教の本部を中心に、天理市内に建っている 詰所 と呼ばれる建物が多数あり、そこに寝泊まりして修行する各地の信者さんが、日常的に綺麗に掃除するとのこと。
これまでに日本各地の自治体への研修を実施してきたが、こんなところ見たことナイ。 自分の町を綺麗にしましょう。等々の取り組みで、条例を作り、罰則を設け、予算を付け、意識啓発を図り、相互監視システムを作って行く。そんな作業が政治の仕事として、いつの間にか 当たり前 だと思っていたが、「最も基本とすべきは人間の精神にある」ことを天理市という町全体から 教えられる。
結婚式の間中、ニコニコと笑い顔を絶やさず、周囲に気を使い、伴侶を立て、参加者全ての方々を幸福な気分で送り出してくれた。 そんな姪の永久の幸せを祈り、政治の基本は人間の精神にあることを再認識するきっかけをつくってくれたことに感謝。
2003年11月08日(土) |
大阪の街を歩く一日 住吉大社 戎橋 |
高齢の母を伴っての旅行だということで、明日の結婚式より一日早めの大阪。 オレンジフェリーを降り、住之江の姉の家に母を残して、私は例によってタウンヲッチングに出かける。
午前中、自転車でぶらぶらと地域探索。住吉大社に行き当たり国宝住吉大社社殿を見学、いや参拝かな。 10何年ぶりの再訪ではあるが、以前の記憶はやっぱり薄れてしまっているようだ。 15日が七五三詣でということで、一週間早めの参拝の方々も多く境内は賑わい、子供達を中心に動いている家族それぞれの姿は、大都会の喧噪の中にあっても人間社会の不変なるものを感じさせてくれる。 お払いを受ける神妙なる子供達。それを見守るおじいさんおばあさん。一度に30組もの まとめて のお払いではあるが、巫女による奉納神楽を目に当たりにして、なんだかこっちまでもが幸せ気分に浸る薄曇りの週末。 大社の隣には住吉公園。こちらは家族ずれ、アベック、縁台将棋の人々、浮浪者、四国の片田舎からでてきたジャージにつっかけのウロウロ周囲を観察する変な男。等々で賑わっている。 公園の池で釣りをしている腕白坊主。それに声を掛けるオヤジ。全てが関西もんという雰囲気に、なんだかなじんでいる自分を感じ、思わず苦笑い。
午後は電車で15分の位置にある大阪の繁華街 えびす 周辺の探索。
まず、阪神タイガース優勝のおり、その名を轟かせた 戎橋。グリコの看板はタイガース縦縞から、いつもの見慣れた姿にかえっている。 蟹の大きな看板があったり、千日前商店街、たこ焼きの匂い、食い倒れ大阪の名に恥じない飲食店の数々。デズニーグッズの店に入って「モンスターズ・インク」「リロ&スティッチ」のキャラをおみあげに購入。そのラッシュ以上の混雑に、オジサンはバテました。 夕刻近く、法善寺横町、水掛不動、夫婦ぜんざい。 法善寺には、じっと手を合わせるスリムな体に白の上下の服をまとった水商売風の女性。その動かぬ後ろ姿に、これぞ関西という風情をしばし楽しむ。
東京は無国籍化して、すでに日本の文化景勝地でも精神継承地でも無くなったのか。 その点、上方は、そのアホさかげんを隠すことなく、いまでもコテコテの関西風。 歩き回って棒のような足とは裏腹に、その精神は何だか安らぐ大阪の夜。
昨日の演奏会後の交流会で、参加者が演奏者に「年齢による教育のありよう」といったものの質問をしていた。
詳しく言うと 小学校3年生くらいの生徒へのピアノ教育の場合「テンポを上げることの指導をしてもよいのでしょうか。ロシアの指導はどのようにしているのでしょうか。」 というもの。
興味がそそられて、答を聞いていると、通訳を務めているかたが
ロシアでは幼児期では、とにかく遊ばせる。砂遊び。積み木遊び。刃物を使った工作。等々。そして、頭での感覚と手足の感覚が一致出来る位まで成長してから、本格的なピアノ教育を初めて行く。遊びの延長線上でピアノの鍵盤に慣れさせるというような事はしない。 「これからピアノの教育をします」という自覚の元に、教育を積み重ねて行く。 また、短い曲を選び「その曲の性格は何であるか」という感性の領域を最初から大切にしていく。 といったような答えだった。
だだ、楽譜に書かれている事を忠実に なぞる 教え方とは 根本的に違うような所が、なんとはなく理解できる気がした。
HP上に「アメリア・アナレス」さんの「新しい鑑賞教育プログラム」(MIARA)の事が短く紹介されていた。 5つほどのパネルを見て、感じた事を事を出し、人の話を受け入れ、人との違いを知り、さらに観察する といったプログラム内容が紹介されているが、この話、昨日聞いた話に一脈通じるものがあるように思えた。
「情報リテラシー能力を付ける教育」というような言葉も見受けられる現在、キーワードは 感性 なのかな とおもったりもする。
9日に天理市である姪の結婚式出席のため、今から オレンジフリーに乗船する。 多分9日 帰宅後、日記記入予定。 推考不足容赦。
2003年11月06日(木) |
「ショパンの夜」ピアノコンサート |
さて、この感動をどんな言葉にして書き残したら良いのだろうか。
所属している「西条文化サロンさざなみ」で主催する初めてのピアノコンサート。 演奏者は くらしき作陽大学 にピアノ教育特任教授として招聘されているロシアのピアニスト「アンドレイ・ピサレフ」氏。
プログラムはショパンオンリー ・プレリュード第25番 ・子守歌 ・ソナタ第3番 休憩をはさんで ・ノクターン第19番 ・スケルツォ第1番 第2番 第3番 第4番
ピアノはスタンウェイ
ホールは西条市総合文化会館大ホール
聴衆は、音楽をこよなく愛するこの地の愛好家500名
星の数ほどのピアニストがこの世には存在するが、作曲家の描こうとした音の世界を、名器と呼ばれるピアノの能力をふるに出し切り、忠実に再現し、しかも聴衆を幸せな時間に浸らせてくれる名手には、そうそう出会えるものではない。
若かりし頃より、クラッシック音楽の神髄というものが理解出来ないままに、様々な演奏会に足を運んできた。年を経るに従い、数多くの演奏者の音を聞き比べているうちに、何時とはなしに眠気をもよおすか苛立ちを覚えるか。そんな演奏会が多い現状に、作曲家の描こうとしている心象世界を理解出来ないまま、今日まで音楽に心奪われることのない無碍なる時間を過ごしていたようだ。
夏の入道雲のように、音がスタンウェイからむくむくと湧き出てくる。低音域・高音域同時に湧き出る音のスコールは、容赦なくホールいっぱいに降り注ぎ、無防備な聴衆をたちまちのうちに音の洪水で押し流してしまう。 そんな嵐に飲み込まれながらも、けっして苦しい息遣いにさせられるのではなく、やがては音の楽園に行き着く安心感をあたえるのは、今日のプログラムが、音楽による幸せ世界に人々を誘う意図を持って並べられたものだからだろうか。
四国の片田舎に 買われてきた ドイツ産まれの名器が、何時も寂しくお遊戯のお付き合いをさせられていたのに、今日ばかりは秘められていた能力いっぱいの仕事をしている。 アンコールは4曲。西条では珍しいスタンディングオベーション。私もたまらず参加する。ブラボーの声と共に。 最後に披露してくれたショパンの革命には、おもわず涙する。
こんな感動の一夜。 調律師に、「今夜はピアノが喜んでいましたね」と声を掛ける。 答えて、「喜び過ぎて・・・・。」
アンケートの一枚に、「これだけの演奏なのに、もっと調律をしっかりしておかないと演奏者に失礼です。」とあった。 ーーーむ。この地にも、スゴイ耳の持ち主がいるのだろうか。アンケートには記名が無かったので、確かめる術も無い。 自分などまだまだ足下にも及ばない、その感性の鋭さに、未踏の芸術領域の永遠を思う。 さて、今からワインを開ける。こんなまたとない至福の日、酔わずに済ませりょうか。
2003年11月05日(水) |
当世 廃棄物処分場事情 No2 |
先頃 営業開始した「クリーンダスト廃棄物処分場」と、現在閉鎖中の「明越産業廃棄物処分場」を見学させてもらった。
「クリーンダスト」は、入り口から処分場現場まで、曲がりくねった道路を昇っていかなければならない。 全て舗装はしているのだが、その経路の長さに「これほどの建設経費を掛けてもペイできるのだろうか」との疑問が湧いてくる。 処分場からは、昨日視察した住友共電の残灰処分場が見える。その広さに、改めて目を見張るものがある。 当の「クリーンダスト」は、第1期工事の途中で営業開始したそうで、現在まだ工事中だった。この1期工事で10万立米の処分見込み。2期・3期工事で計35万立米の廃棄物を処分出来る予定との事。(処理能力はウロ覚えのため正確でないかも) 処理済みの排水は、丁度新居浜市と西条市の境となっている谷を通って瀬戸内海に流れるとのこと。だから、漁業組合への申請は2つ出したとのことだった。
「明越産業廃棄物処分場」は平成12年8月をもって閉鎖した と看板に表示されていた。だが、その後の浸透水処理のため、常時管理人が張り付いているとのこと。 廃水処理装置を見せてもらったが、常時監視している地下水に異常値は出ないのに「廃棄物処分場設置基準」で閉鎖後も廃水処理はしなけらばならないとのことで、このような施設を運営する側からの 大変さ が理解できる。 埋め立て終了した処分場には土を覆って、最終的には 杉 の植林をして 自然回帰 を図っている。
香川県豊島での廃棄物問題。先頃愛媛県によって処理が開始された玉川町での硫酸ピッチ問題。松山近郊での廃棄物不法埋め立て問題。等、その存在がとかく世間を騒がせている廃棄物。 だが、県による 営業許可を得て 業として営んでいるこの地の施設については、6枚綴りの産業廃棄物管理表(マニフェスト)によって処理される過程が定着しているようで、別段問題ないように感じる。
「明越産業」については、営業許可を得た部分での処理が終了して閉鎖しているのだが、現在、新たに25万立米程度の営業許可を申請しているとのことだった。
この地域が「産業廃棄物銀座」と言われるように処理場が林立している状況は、地元近くに住む議員として 好ましいことでは無い にしても、社会活動・産業活動を行って行く上で、何処かに必要な施設であるならば、周辺環境への配慮を怠らず、許可権者の許可と監視の元での適正営業を条件として 反対するものではない。
西条市での「一般廃棄物処分場」建設については、東予市の処分場の状況を再度この目で確かめ、市民生活上での廃棄物排出状況、財政状況、等今少し精査してみないと意見は言えない、。と、今日の時点では思っている。
2003年11月04日(火) |
当世 廃棄物処分場事情 No1 |
私の住んでいる地域の裏山は、標高200m足らずのなだらかな丘陵地が連なり、直ぐに海岸部に到達する形態であったが、遠浅の海岸部は埋め立てられている。 この山、民家に近いこともあってよく山火事が起きる。 このような地形と事情により、雑木が覆い茂り、この頃では人が入ることも希となっている様子だ。 そんな地形に加え、この地域が有数の工業地帯と人口密集地である事情から、海岸部に面する丘陵地の谷のという谷には「廃棄物処分場」が林立している状況となっている。
東から西へあげてみると ・愛媛県廃棄物処理施設「溶融装置設置」 ・新居浜市一般廃棄物処分場「管理型」 ・住友共同電力残灰処分場「管理型」
・クリーンダスト(産業廃棄物処分場)「管理型」 ・明越産業廃棄物処分場「管理型」(閉鎖)
・西条市一般廃棄物処分場
この6つの廃棄物処分場に加えて、住友共電とクリーンダストの間の谷に ・新居浜市斎場 明越産業と西条市処分場の間に、 ・西条市一般廃棄物処分場「管理型」 を開設するため、現在計画中 という状況である。
これだけ揃うと、さしずめ「産廃銀座」という名称をいただいても不思議ではない。
1996年、県による「産業廃棄物溶融装置」の建設計画が明らかとなった時、排煙が谷を越えて裏側にある玉津校区に流れてくる恐れから、この装置建設についての一般質問をするために、この地域にある全処分場を見学して回った。 紆余曲折はあったが、県の施設は建設され稼働しているが、この装置の建設を機会として、私の部落周辺部で毎年「土壌ダイオキシン濃度の測定」が行われるようになり、その結果は市報に掲載されている。
この6つの処分場の内、「クリーンダスト」は営利企業の経営による「産業廃棄物処分場」として、先頃営業を開始したばかりである。
この施設について、地元選出の市議から、一色議員も「地元だから関心を持って見ておけば如何ですか」という要請を受けたので、本日、久しぶりに各施設を見て回った。 出足が遅く、本日回れたのは3施設。後2ヶ所は明日に出直す事とする。
今日見た内で「ビックリした」のは新居浜市の一般廃棄物処分場。 粗方埋まって、もう満杯状況。係員に聞いてみると、契約はあと2年、容積的にはあと3年でしょうとのこと。 前回見たのがもう7年も前なのだから、当然といえば当然なのだが、記憶にある施設状況と今日見るその地形の変貌を目の当たりにして 唖然 としてしまった。 観察して思った事は、お隣の自治体の事だから・・・・が。
明日、早起き予定なので、今日の日記はこれまで。
2003年11月03日(月) |
中国・邦人留学生の寸劇騒動 |
中国西安市の西北大学外語学院の文化祭で日本人留学生が演じた卑わいな寸劇に端を発した反日騒動は、ほぼ収束状態になったそうだ。
この件に関する新聞論評を私なりに分析してみると、中国国内社会がどんな状況なのか、共産党一党での指導体制のなかで庶民感情が読みにくい現状を、こんな機会を捉えて分析してみようとの意図が読みとれる。
これから世界政治に益々その存在感を発揮してくるであろう 隣人 を理解する上で、そんな分析も必要でろうと新聞論評の内容を評価はする。
そんな分析に加えて、日本人のごく一般的な若者が、どんな社会観と自国と他国の文化への造詣を身につけているのかという、基礎能力内容を推し量り、疎かにされている民族文化継承への啓発文章があることを私は期待したい。
事の経緯を伝える新聞紙上によると、3人の留学生は文化祭の「出し物」が前日まで決まらず、「恰好で目立ち」「観客に笑ってもらいたかっただけ」という理由で、当日の出し物を考えたのだという。
この文章を読んで、私は茶道での知人が言っていた事を思いだした。 「青年の船」に乗って国際研修しているとき、交流会で自国の文化を披露して下さいと求められたのだという。乗船していた日本人の誰も名乗り出ないので、仕方なく私が「謡いをうたい、仕舞を披露したのよ」。青年の船に乗るような各地のリーダーばかりだったのに、日本の伝統文化を身につけている人など皆無なのよ一色さん。
今回の騒動を引き起こした邦人留学生の中に、そんな芸を身につけている学生がいたら、マタとない日本文化紹介の機会となったであろうに。 今回の若者も、日本の中では、ごく普通の社会常識を身につけた者なのだろうが、それが、国際社会の中での規格と照らし合わせてみると、邦人の、ある部分での能力が欠落している事が明らかとなったという事だろう。
一日雨。付き合ってくれる妻と小学生の娘との3人で、知人の陶芸家の秋の釜出し市をのぞきに出かける。 上の二人は、もう自分の世界を持ってしまい付き合ってはくれない。 人間性がそのまま作風に現れているような作品の数々。今回もその変わりない炎の芸術を堪能し、雨空の秋の日を良き心根で過ごす。
今日 文化の日
2003年11月02日(日) |
西条・新居浜 二つの文化祭 |
昨夜来の雨で、今日は農作業は休みとする。 そこで文化の秋を体感しようと西条・新居浜の文化祭に出かけた。 文化祭といっても、西条は西条小学校文化祭。新居浜では新居浜工業高等専門学校文化祭(国領祭)。 毎年、11月の第1日曜日は、校区の自治会文化祭が入っているのだが、今年は「玉津公民館」が増築になって実施内容の精査のためか16日にずれ込んでいる。 そこで、予定が空いたこともあって他校区の実施内容を 視察 がてらの行動となった。 西条小学校の校舎は、いわゆるマッチ箱様式のものと、切り妻屋根の2棟ある。 この内マッチ箱様式の建物は、数年前 雨漏り がして大規模改造した経歴を持つ。 思えば、西条小学校の校舎に足を踏み入れるのは、あの大規模改造の予算を審議していたときの、現地視察のとき以来ではないだろうか。 ーーたくもう。これではいけませんねえ。
そんな想い出を 思い出し、文化祭の様子を見がてら、校舎を隅々まで見せてもらった。 児童数530名あまり。1学年3クラスずつのようで、各教室に並んでいる机の数から一クラス30名ほどである事が推察される。 民主党がマニフェストで言う小学校の30人学級は、既にここでは実現出来ているのだろうか。 校舎もゆったりとレイアウト出来ている様子だし、この学校に通っている児童は、ある意味恵まれていると言えるだろうか。 各教室の出し物を見てまわる間、児童達の笑顔がそこかしこ。
新居浜高専の「国領祭」は、今年38回目との事。 まだ高校生のころ、姉に連れられて訪れた事があるような記憶。 もう30年も前の事だから、今回が初めての訪問だといったほうが当たっている。
新居浜市に弁理士サテライト事務所が開設されたことを記念してのシンポに参加のおり、この国立の施設内で時代の最先端を行く研究がなされていると紹介されていた。 そんな取り組みがどの様な状況の中で行われているのか、見学出来る事を期待しての行動だった。 が、部活の「食べ物コーナー」ばかりが目立つ会場で、先端技術紹介を期待した私の目論見は 果たせない ままとなった。 学生風俗。校舎の様子。お祭り騒ぎ。散乱したゴミ。焼きそばソースの匂い。 そんな状況をしり目に、探し当てた教科展示コーナーで たたら製鉄による日本刀は1500年持ち、高炉製鉄による鉄は20年しか持たないという表示に「匠の技」を越えられない現代技術の限界を知る。 ロボコン出場のロボットも、鍵のかかった展示ケースの中だと、興味半減する。ロボットはやっぱり 動いてなんぼ だよね。
図書館のドアーに貼ってあった「ブックハンティング」参加募集のお知らせは面白い。 学生が、読みたい本をバスツアーで買い出しにいくのだという。行き先は香川の宮脇書店。案内には「図書館よりも沢山本がある」と書かれている。もちろん図書購入費は図書室持ち。
学生風俗はどうだろうと「やっぱりやるべき事はやっているのだろうか」。見かけだけでは判断出来ないとは思いつつ、もうちょっと シャッキ と出来ないか、と思うのは世代感覚の相違か。
2003年11月01日(土) |
もう11月 秋も深まりゆく |
もう11月だ。 庭に大きな場所を取って鎮座している2本の甘柿の木。今年は鈴なりの実を付け、秋の日を受けて日毎にその色を濃くしている。 甘柿だといっても食べ頃の甘さになる頃には熟柿の寸前で、そんな頃合いの良い一品には鳥たちが飛んできて自然の恵みを得ている。 11月に入って木の葉っぱが落ちる頃が食べ頃であると思い、鳥たちの餌となるままに見ていたのだけれど、一つ、また一つと身の数が少なくなると、やっぱり待ってはいられない。 食事の後のデザートとなった四つ切りの柿は、実りの秋の味を満喫させてくれる。
コスモスは桃色の花を咲き乱れさせ、秋桜の名の通りの存在感。 百日草は、やっぱりしぶとく まだ 生き残っている。 しゅうめい菊は、可憐な花を秋桜の間からのぞかせ、清楚なたたずまい。 その側には 桔梗の白が凛とした風情を醸し出す。 ブルーサファイヤ(朝鮮朝顔)は、このごにおよんで勢力拡大中。 その足下には、そろそろ ネリネが顔を出す頃だろうか。 石蕗は大きくなった。黄色の花が終われば、種を飛ばして其処ここに進出するだろう。 山茶花にはもう二輪の花。
そんな庭先を通りながら、裏の畑にトラクタを入れようとしていて、糸瓜のツルを引っかけて大きな一つを落としてしまった。収穫までまだまだ早いのに何としたことだ。妻が楽しみにしていたものなのに。 くわばらくわばら。
時々、街宣車が遠くに近くに連呼の声を届けていく。 天下分け目の合戦だというのに、村の秋は静かに過ぎゆく。
夜。太鼓台の運営委員会。祭礼運行全般についての反省と来年に向けての取り組みを話し合う。
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