昨日、ノアに障害があることを書いた。 そこで今日は、「障害」について今の僕の考え方を書こう。
電車に、大声で独り言をつぶやいている養護学校の子が居たとする。
声に驚き、僕はその子を二度見する。
明らかにわかるカツラを被ったおじさんが前に座ったとする。
真意を疑い、僕はその人を二度見する。
モデル並に美人な人が前に座ったとする。
驚き、僕はその人を二度見する。
並べた三つ。
いずれにせよ僕は二度見するわけだ。
個性が強いから、目を引く。
要するに言いたいのは、障害は個性だって事。
皆それぞれ個性があって、 強かったり弱かったり、 生活に不便だったり便利だったり。
障害は個性の中の一つにしか過ぎない。
だからちっとも可哀相じゃない。
ノアが頭を振ってるのを見て、僕はいつも笑う。 それはただ、面白くて。
そして頭を撫でる。
同時に、可愛い奴だと、心から思う。
僕を一生懸命見ているために、振れてしまうのだから。
ノアは、個性が強いだけ。
だから僕は、ノアが障害犬だと言うことに何の感情も無い。
「毛の色が真っ黒な犬なんだよ」 と言うのと同じ。
ま、そういうこと。
可愛いから飼うの。
ほんといい仔。
可哀相なのは、飼えなくなった飼い主だよ。
申し訳なかった。
いつか僕も、人に 「僕、女の子が好きなんだよね。個性的でしょ?」
と言えるようになりたいなぁ。
ね、ノア。
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