■大晦日とは思えないほど大掃除がはかどっていないわが家にダンナの弟夫妻がやってきた。似たもの同士が結婚するように世の中できているのか、なまけ者の長男夫婦とは対照的に次男夫婦は実によく働く。身長が足りなくて替えるタイミングを逃していた電球を次男は次々と替え、その嫁は埃と虫の死骸で汚れた電球カバーを磨き上げてくれる。「掃除が大好きなんです。とくに拭き掃除」と目を輝かせるこの嫁、大阪からクイックルワイパー持参でやってきた。感心感心。ガラス窓がピカピカになった。家の掃除があらかた終わると、次男はパソコンの掃除(ウィルス退治と散らかったファイルの整理)に取りかかり、嫁はうちのダンナが今日になって書きはじめた年賀状にせっせと切手を貼っていく。できすぎた夫婦の協力で、家の中は見違えるようにきれいになった。「電球がつくと、こんなに部屋が明るくなるんだね」とはしゃいでいる私とダンナを見て、次男夫婦は苦笑。今年最後のティータイムは、おみやげに買ってきてもらった大和郷のパウンドハウスのケーキ。ケーキ好きの間で日本一と噂される苺のショートケーキをはじめ、どのケーキも愛らしい姿で誘惑してくる。フォークでつつきあって食べる。来年もおいしいケーキに出会えますように。 2001年12月31日(月) 祈り2000年12月31日(日) 2000年12月のおきらくレシピ
2001年12月31日(月) 祈り2000年12月31日(日) 2000年12月のおきらくレシピ
■名古屋に住む小学校時代の同級生・亜紀ちゃんから「赤レンガ倉庫でやってる石井竜也の展覧会に行くんだけど、一緒に横浜めぐりしない?遊ぶパワーなら負けないよ」と挑発的なお誘い。朝11時に桜木町駅で待ち合わせ。横浜は行くたびに風景が変わっている気がする。また新しい建物ができていたが、ゆったりと距離を保って建てられているせいか息苦しさはない。馬車道と呼ばれるウッドデッキの道を15分歩いて赤レンガ倉庫着。「NUDE」と題されたエキシビジョンは、石井氏が1997年から行っているアートライブ(観客の前で真っ白な立体像に絵を描いていくパフォーマンス)で創り上げた作品約50体を一堂に展示したもの。年ごとにテーマがあり、2002年は「卵」をテーマにテロでゆれる世界に平和のメッセージを発信。「混卵」「戦卵」など作品のタイトルのつけ方もユニーク。■赤レンガ倉庫のテナントを冷やかし(CA4LAで帽子とっかえひっかえしたり、ランドリーでクリスマスプレゼントのシャツを買ったり)、中華街へ。重慶飯店で餃子や小龍包や大根餅など飲茶のランチ。土産屋めぐりをし、怪しいチャイナ服ロボットに手招きされて奥まった雑居ビルの中へ。雑貨屋がいろいろ入っていて楽しいところだった。椰子の実の器に魅せられて観葉植物を、アイデアに膝を打ってポケットつきマグネットを買う。長い行列の江戸清のチャーシューパオ(焼豚入り豚まん)をほおばる。お土産に買った同發飯店の豚まん2個も家に帰ってぺロリ。完全に豚まん中毒だ。通常の体積の倍は軽くあるジャンボ豚まん、3個でいったい何グラム!?■夕方5時から石井竜也GROUND ANGELなるイベントをやるということで、30分ほど歩いて赤レンガ倉庫に戻る。地上に天使が舞い降りるってことで倉庫の前の石畳に映像が映し出されるのだが、真横から見るとよくわからなかった。倉庫の1階にある馬車道アイスは、かなりヒット。上にかぶせた最中の皮をスプーンで割りながら食べる。「ハーゲンダッツでよりどり7つ盛りの日(そういうのが名古屋の店にはあるらしい)もぺロリと食べれる」というアイス大好きな亜紀ちゃんも大満足。おそろしくきれいな夜景に口を開きっぱなしにしながら横浜の町を後にする。建物ごと浮かび上がるような光の量にも、それを狙って三脚を立ててカメラを構える人の数にもびっくり。いやはや昼も夜も絵になる街。
■ロッテルダムに赴任中の夫とロンドンに留学中の妻という夫妻が一時帰国して訪ねてくれる。「500キロの距離だから東京-大阪みたいなものよ」と言われ、ヨーロッパだなあと感じる。英語で仕事をすることについては「語学力の問題よりも、日本語で言いたいことを持っているかどうかが大切。伝えたい気持ちがあれば伝わる」という言葉に納得。「イギリスの水はコーヒーには向いていないので紅茶が発達した」「ヨーロッパの人はアメリカが好きじゃないのか、スタバを見かけない」「ロンドン大学と名乗る大学は何十とある」「ロッテルダムでカフェというとマリファナのことを指す場合があるので注意」などと興味深い話を聞かせてもらう。おみやげのオランダコーヒーはカフェオレ向きの苦味が気に入る。こってり甘いメープルシロップのワッフルと一緒にいただく。■海外に暮らす知人が年々増えてきた。おさななじみで日本一おしゃべりなヨシカはべルリンで研究生活を送っているので、日本はここ数年少し静かだ。彼女から届いたメールに書かれていたベルリンの映画事情が面白かった。(以下引用) 「さすがにベルリンは大きな映画祭をやるだけ心意気のある街で、映画の人気度はちょっとしたもの、それにものすごい数の映画館があります。それにもピンキリで、日本のワーナーマイカルみたいな音響も座席も整ったキレイなのや、この前行ったある映画館は、広い部屋に、普通の家にある2,3人掛けのソファーを100人分くらい並べたものでした。映画は白い壁に映し出されて、部屋の中は黄色、水色、黒や赤などナド色とりどりのソファー、部屋の脇にはバーがあって、映画に支障の無い様に赤外線ランプみたいなランプの下で商売やってます、客はバーに座ってでも、ソファーに座ってでも映画を見ることができます。とても変わった風景でした」
■年賀状を書く。メールがあるので以前よりはありがたみは減ったけれど、「年賀状だけで(年賀状があるおかげで)つながっている人」は結構いる。年に一枚が大事な意味を持っている人から順に書くので毎日のように会っている職場の同僚は後回し。20枚ほど書いてから、はっと気づく。切手を買ってない。できるだけ早く届けたいので、郵便局が開く連休明けまで待てない。虎の子の切手コレクションをくずすことにした。コレクションといっても大げさなものじゃなくて、いろんな種類の記念切手を少しずつ取っておいたもの。マニアックな記念切手や花シリーズ、日本の歌シリーズ、建築シリーズなどなど。12年前の未年のお年玉切手もある。当時は41円だった。10円足して出してみよう。ガーデニングをはじめた友人には花の切手、猫に縁のあるあの人には猫が日向ぼっこしている切手、元気かなあと気になる彼女には「上を向いて歩こう」の歌詞が入った切手、新婚さんには花嫁の切手‥‥とうまい具合にマッチングできる場合はいいのだが、シンクロの切手、これはどうしよう。しゃれのわかる高校時代の同級生、O君なら笑ってくれるだろう。競輪の切手が当たったKちゃん、免許取立てにこじつけるのは無理があるよね。お許しを。こうして42枚の年賀状が旅立った。■夜は銀座小劇場で鉄カフェ1st drip(第1回公演)を見る。座長(でいいのかな)で脚本・演出の川上徹也さんに招待していただく。16のショートコントというかショートショート劇。いつもの川上さんの作品とは趣が違い、どっと爆笑という感じではなく、くすっと笑えるような話。肩の力を抜いて、それこそカフェでお茶するように楽しめる1時間40分だった。個人的にはいろいろと疲れもたまっていたときで、味つけといい温度といいちょうどいい飲みごろ。次回来店時には別のものが飲みたくなっているかもしれないけど。役者さんたちとお話ししたいなあと思ったら「一緒に飲みに行きませんか」と川上さん。喜んで!と返事したものの川上さんを見失ってしまい、一人で銀座4丁目の角のル・カフェ・ドトール(別名:高級ドトール)でお茶して帰る。 2001年12月21日(金) サプライズ
2001年12月21日(金) サプライズ
■わたしの健康運を司っている星があるとしたら、その星は今、とても悪い位置にあるのではと思う。前代未聞のかぶれ事件に続いて、今年最悪の風邪を引き、昨日病み上がりで出社したら、頭がふらふらしていたせいか、指一本で引出しを開けようとしてしまった。伸びきった爪が一身でGを受け止めた瞬間、メキッといやーな感覚が走った。真中あたりで爪が横に裂け、割れ目から血がじわーと滲んでくる。あまりの痛さにギャーギャー騒いだら、血に弱いまわりの男性社員たちのほうが青ざめた。かろうじてつながった爪を死守しなければ生肉が裸になってしまう。まずはこの伸びた爪を短くせねば。こいつがでしゃばるから災いを招いたのだ。しかし爪切りを当てるだけでも激痛が走る。爪の裂け目を押さえて固定し、慎重に爪を切る。それからうがい用に持っていたイソジンで消毒し、バンドエイドで固定。だが、きつく巻くとうっ血するので包帯に切り替える。お風呂に入るときはビニール袋をかぶせて水から守り、寝るときは手袋代わりに靴下をはめて衝撃を避け、生爪様の機嫌を損ねないように気を遣いながら生活している。ちょっとでも手荒なまねをしたら生肉の刑。 2001年12月20日(木) 幸せの粒
2001年12月20日(木) 幸せの粒
■夕方6時から、東京ディズニーランドのスペシャルイベント「クリスマス・ファンタジー」へ。ワールドバザールのイルミネーションをくぐりぬける間にクリスマス気分は高まるばかり。ショーウィンドウのディスプレイもクリスマス色。まずはシンデレラ城のまわりをひとめぐり。大好物のチュロス(ストロベリー味はなくなっていて、シナモン味を買う)をかじりながらキャッスルショーを観る。盛り上がってきたところで雨が降り出し、途中で終わってしまい残念。白を基調にした衣装がかわいかった。「ミクロアドベンチャー」を初体験(これが予想外の面白さ。迫り来るヘビや足の下を駆け抜けるネズミにギャーギャー騒ぐ)し、シューティングギャラリーで射撃の才能ゼロを自覚(200円で15発。一発も当たらず)し、行列につられて並んだターキーかぶりながらEパレ(正式名は東京ディズニーランド エレクトリカルパレード ドリームライツ)にうっとり。あの音楽を聴くだけで胸が高鳴る。何度見てもEパレは最高。「プーさんのハニーハント」が30分待ちになっていたので列についたら20分ほどで乗れてラッキー。終わって出てくると空には花火。お得意先ということで視察を兼ねて行ったのだけど、仕事のことなんて忘れさせてしまう魔法が東京ディズニーランドにはあるのだった。10時前にパークを後にしてしまったけれど、4時間弱でこんなに思いきり遊べる場所はなかなかないなあーと、あらためてその「楽しませ力」に感心。平日夜6時からならアフター6パスポート(2800円)がおすすめ。 2001年12月19日(水) 害虫
2001年12月19日(水) 害虫
シナリオ作家協会に入って9か月。会合やパーティーの案内は何度か送られてきたが、毎回平日ということもあって参加する機会を逃していた。今夜の忘年会ではじめて行事デビューとなったが、受付を終えてまわりを見渡しても知っている人はいない。正確にはメディアでお見かけてしている大先生方は顔を見るとわかるのだが、いきなり「今年入会した者です」と挨拶に行くのも変な話。森岡利行さんが来られるはずだが到着が遅れている。この場にいる人で、かろうじて知り合いと呼べるのは、協会に入るよう誘ってくれた勝目貴久氏しかいない。勝目氏は友人の叔父さんで、三年前に彼女の披露宴でお会いしたときに「シナリオを書いているなら僕が理事をしている協会に入りなさい」と声をかけてくださった。当時は入会資格がなかった(劇場公開作品または2時間ドラマを1作品以上書いていないと入れない)のだが、ようやく入会できた今は時間が経ち過ぎて勝目氏の顔がわからない。いろんな方に「勝目氏ですか」と聞いて、笑われたり、「心外な!(僕はもっと若いですよー)」と言われたりして、やっと探し当て、ご挨拶する。乾杯に続いて菊島賞(協会員の投票で決まる、今年最も活躍した脚本家をたたえる賞)の授与式。今年の受賞者は『KT』の荒井晴彦氏。「シナリオは書き直される運命にあるし、自分の思い通りの形にならないことが多い。その悔しさを知っている仲間に選ばれるこの賞が欲しかった」といったことを挨拶された。乾杯の音頭といい表彰状の文面といいスピーチといい、言葉を生業にしている集団だけあって、どれも気がきいている。森岡さんが到着し、シナリオ学校の教え子、千葉美鈴さんを紹介される。『路地裏の優しい猫』フォトブックのキャプションを書く際の参考に、千葉さんの書いた台詞を見せてもらったのだが、女の子の感情がヴィヴィッドに伝わり、言葉選びのセンスにも感心した。その褒め言葉を森岡さんから伝え聞いて、「もっと書こうって勇気をもらったんです」と千葉さん。書くことが楽しくてたまらないという感じ。来年はコンクールにも挑戦するとのことなので、『月刊ドラマ』や『月刊シナリオ』で彼女の名前を探す楽しみができた。この二誌の編集長さんにもお会いする。月刊シナリオに掲載されたおかげで、脚本家は無名ながらパコの知名度は高かった。『女学生の友』や先日放送された『よど号ハイジャック事件』の脚本を書かれた加藤正人さんは、「パコダテ人、知ってる!前田監督と十文字映画祭でお会いしました」と爽やかに言ってくださった。全員に当たる抽選大会で当たったのはグアムのTシャツ。DVDプレーヤーやパン焼き機を当てて会費の元を取る計画は失敗。 2001年12月16日(日) こだま
2001年12月16日(日) こだま
■毎年「今年もクリスマスが来たなあ」と気づかせてくれるのは、12月の初旬に忘れず届けられる国際小包。ドイツに住むAnnettからで、中には、ひとつひとつクリスマス仕様に包装されたプレゼント(Weihnachtsgeschenk)がぎっしり。「食べるもの」「身につけるもの」「クリスマスのもの」に大きく分けられるが、今年の「食べるもの」はひと冬越せそうなチョコレート攻撃、「身につけるもの」はシャンプー、パジャマ、Tシャツと、手編みのナイトシューズ、「クリスマスのもの」はオルゴール(音楽に合わせて人形がくるくるとスケートするのが愛らしい)とポプリつきキャンドル立てとクリスマス柄メッシュ地のカバーをかぶせた小物入れ。恒例の「仰天雑誌」は入っていなかった。
■ヰタ・マキ公演『戦場がメリークリスマス』を見る。ヰタ・マキことヰタ・マキニカソスという演劇ユニットがあることを今まで知らなかったので、公演を見るのもはじめてだった。知らせてくれたのは出演者の宮村陽子(写真)。大学時代にライバル校のチアリーダーだった彼女は、西宮球場や宝が池競技場でも光っていて、注目と憧れを集めていた。華やかなイメージからわたしが一方的に『キャロル』と呼ぶ彼女は、チアリーダーの指導員を経て舞台女優の道に進んだ。天職だ。劇団MOTHERを経て現在はフリーとして活躍する彼女は、あちこちの劇団の公演に客演している。キャロルの芝居を見るたび、いい刺激とパワーをもらっているのだが、今回の客演ではちょっぴりセクシーな一面も披露してくれ、このままでは置いてけぼりを食らう一方だ!と危機感さえ抱かせるほど素敵だった。ピタピタミニのチューブドレスをまとって踊る姿は、ボディラインもダンスのキレも現役時代のまま、いやむしろ磨きがかかっていると言っていいくらい。見られている張り合いが彼女自身のハリになっているように見える。肩も太股もしばらく出してないなあとわが身を振り返り、落差に驚愕。かぶれてる場合とちゃうで。■ヰタ・マキ、かなり面白かった。歌ありダンスありギャグありでわたし好み。いいお芝居に当たると、トクしたみたいで気分がいい。役者さんは達者だし、台詞はよく練られているし、話の転がり方が意表を突いていて最後までドキドキし通しだったのだけど……惜しまれるのはラスト。ちょっと物足りなかった。もうひとひねりで化けそうなんだけど。
会社の100周年事業として各国(外資系なので世界のあちこちに会社がある)で何か社会の役に立つことをやろうという話になり、日本ではメイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンのPR活動を支援することになった。メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンは、アメリカで生まれ、世界32か国で10万人以上の難病の子どもたちの夢をかなえてきた非営利ボランティア団体、Make a Wishの日本支部。その事務局長の大野さんを迎えた説明会に、今日出席した。これまでも存在はなんとなく知っていたものの、実際に活動されている人の言葉は力強く、心を打った。「夢を見る力は、生きる力。長い闘病生活で夢を見ることさえ忘れている子どもたちに、もう一度夢を見てもらい、その夢をかなえることで、生きる力を励ましたい」と日々奔走されているが、その活動は病気の進行という「時間の壁」と限られた予算という「お金の壁」との闘いでもあるようだ。「活動は三輪車のようなもの。夢をかなえる前輪、資金調達と広報という二つの後輪。この三つの車輪がかみあわないとうまく進めない」と大野さん。難病と闘う子どもたちとその家族が、一人でも多く、一日でも早くメイク・ア・ウィッシュに出会うためにも、ひとつでも多くの夢を実現させるためにも、この団体を広く知ってもらい、理解と共感を呼びかけることが大事、と訴えられた。しんと静まり返って説明に耳を傾ける社員の間から、鼻をすすり上げる音が聞こえてきた。夢を見るというあまりにピュアな行為の大切さに気づかされ、心が揺さぶられる。夢を実現した子どもの一人、呼吸器をつけている少年の映像が、自分の子ども時代を思い出させた。幼稚園の年少組まで、ぜんそくに悩まされていた。幸い、発作が止むと元気に走り回っていたし、空気のきれいな町に引っ越すと嘘のように治ってしまったので、さほど重い症状ではなかったのだろう。それでも、小さな体(今でも小さいけれど)に受け止めるには十分な重荷だった。風邪で咳き込むのは大人になった今でも苦しいけれど、当時はひとつ咳するたびに体が反り返った。息が苦しいのは生きるのが苦しいこと。時間とともに辛い記憶は薄れてしまったけれど、うまく呼吸ができなくて「このまま死んでしまうんじゃないか」と怖かったこと、祖母が背中をさすりながら「かわいそうになあ。代わってあげられたら、ええのになあ」と言ったことなどは覚えている。咳が止まらないときに思ったのは「早く楽になりたい」ということだった。その気持ちは生きたいというベクトルと逆のほうを向いている。発作が長引いていたら、ぜんそくが治らなかったら、今のように前向きな考え方をできていただろうか。呼吸器をつけた少年は、わたしが体験したのとは比べようもない試練と闘い続けている。そのような状態で夢や希望を持ち続けることは並大抵ではないだろうと想像する。同じ夢をかなえるにも、健康な体の子どもの何倍も大きなエネルギーが必要になるだろう。けれど、どんな子どもにも夢を見る権利があるし、それをかなえるチャンスがなくてはならない。そんな人として当たり前のことを当たり前にできる社会を目指して活動しているのが、メイク・ア・ウィッシュという団体なのだと理解した。アメリカで暮らした一年間、「善意」はもっと身近なところでやりとりされていた。教会の存在も大きいのだろう。日本では、ややもすると、慈善は偽善と誤解され、ボランティアというと堅苦しさを感じてしまうことが多い。だけど、本当は「shareしたい」という気持ちを、できる範囲で示すだけのことなのかもしれない。わたしにも何かできることはないだろうかとメイク・ア・ウィッシュのサイトをのぞいてみると、使用済みテレカを集める、マイレージを寄付するなど個人でできる協力が見つかった。その中に「リンク協力」とある。まずはこのカフェを使って後輪のひとつを後押しすることから始めてみようと思っている。 2001年12月11日(火) 『ハッシュ!』 1本の傘 2本のスポイト
2001年12月11日(火) 『ハッシュ!』 1本の傘 2本のスポイト
■先週金曜日に『爽美林』のお試しボトル(450円)が届き、煮沸水で30倍に薄めて化粧水として使っている。爽美林は茶色い木酢液を蒸留した高濃度・高純度液。色は透明だが、無臭とはいかず、利用者が口をそろえる「特有の匂い」がある。硫黄のような臭さだとイヤだなあと思っていたら、意外と悪い匂いじゃない。よく言えばベーコンなどを燻すチップの匂い。原材料は「くぬぎ・なら」となっているので、似ても不思議はない。ただ、不思議な匂いであることは間違いなく、ダンナは「変な匂い」とはっきり言う。会社ではあまり人に顔を近づけないようにしているが、電車に乗っていると、気のせいか近くの乗客が鼻をひくひくさせているように見える。傍迷惑かもしれないが、これでわがカブレラ君が引退してくれれば万々歳。爽美林効果かどうかは断定できないけれど、腫れはだいぶましになった。爽美林の情報をくれたのは、前田監督。「肌がかぶれて誰とも会いたくないねん」と電話でボヤいたところ、「そらぁ美人台無しやなあ。カカカ」と笑いながら「宣伝メール来てたから転送したる」と教えてくれたのだった。というわけで、勝手に美人計画を始動。爽美林と並行して、月曜日に届いた森下仁丹のビフィーナも試している。レモン味で飲みやすいので無理なく続けられそう。送られた無料サンプル3包だけでは効果はよくわからないので、結局は1箱注文することに。うまい具合に千円割引ハガキが同封されている。商売上手、と思ったら森下仁丹は大阪の会社だった。
■昨夜の天気予報では「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるが積もらない」と言っていたのに、朝起きると外は雪化粧。東京の人は雪に慣れていないので会社も大騒ぎ。電車が止まって会議に遅れる、バイク便が出ない(そりゃ危ない)から入稿できない、「布団を出る気がしない」という出社拒否社員も現れ、てんやわんや。すぐ近くの編集スタジオまで歩くのにいつもの倍の時間がかかってしまう。それでも会社の窓のくもりガラス越しに広がる銀世界(写真だと灰色がかってるけど)は何とも言えない雰囲気があって、トクした気分。
■肌が弱いので年中トラブルに見舞われているが、前代未聞のすごいことが起きてしまった。週末から右側の頬の辺りかゆくなっていたなと思ったら、ブツブツが出現し、あれよあれよという間に顔の右半分を占拠してしまったのだ。いつもの肌荒れではなく、どうやらかぶれてしまったらしい。土曜日に年賀状用の写真を撮ったとき、慣れない厚化粧をしたせいだ。使った頬紅は三年前に買った無添加のもの。腐っていたに違いない。物を捨てずに取っておくから、こういうことになる。それにしても、困った困った。赤みやかゆみには慣れっこになっているが、今回のは凹凸があるのでタチが悪い。ファンデーションで隠すと、月面のクレーターのようである。我ながら怖い。気持ち悪い。月曜、火曜とたまたま有休を取っていたのだが、届けを出してなくても会社を休んでいるところだった。さすがに三日も休むわけにもいかず、今日は出社したのだが、同僚が何も言わないのが、かえって居心地悪い。「どうしたの、その顔?」と聞かれたら、「カブレラ」とボケをかますつもりだったのに。誰も突っ込めないほどひどいのかと思うと、余計に気が滅入る。ようやく夕方になってデザイナーのFさんが軽い口調で「どしたの?」と声をかけてきた。たちまち一緒にいた人たちが「そうそう、どうしたんだよ」と聞いてきて、やっぱりみんな気にしているのに気を遣って黙っていたんだなあとわかる。「手で触っちゃダメだよ」「君はそもそも肌質を改善したほうがいい」などと親身にアドバイス攻めに遭い、やっとわがカブレラは市民権を得る。「腸をきれいにすると肌もきれいになるよ」と言うK氏にビフィーナをすすめられる。森下仁丹のホームページに行ってみると、ちょうど無料サンプルキャンペーンをやっていたので申し込む。会社に行くときは憂鬱だったけど、行ってみると収穫があるものだ。
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