度々旅
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大学のサークルの先輩が、真打ちになりその披露口演。 ひさしぶりに、みんなが集まる会に出席。数年ぶりに会う先輩もいたり。そして、あー、なんてこの人たちといるのが心地よいんだろと思う。
この人たちといるとき、一番好きな自分になれてる気がする。
二年くらい前からキャンプにはまってる。一昨年、出雲まで車で出かけたのがきっかけだ。その前にも数回やったことはあったけど。出雲への往復は一泊目以外は全てキャンプ場。あちこちで四泊くらい泊まったのかな。お盆の時期でも、飛び込みで泊まれるキャンプ場泊は、計画できない、計画してもすぐ気分が変わる私向けだ。ついでに、地元の食材を自分たちですぐに調理できるのもいい。
というわけで、それ以来どっか出かけたい!という漠然とした気持ちは大概キャンプで消化してる。
というわけで、土日にも行ってきました。群馬にお気に入りのキャンプ場があり、今年すでに二回目。管理人さんとのほどよい距離感と、手作りのフィールドに心奪われてます。ついでに、温泉も、道の駅も近いし。今回は初の山登りもオプションにしてみた。本当は朝早くでて、9時から4時間くらいを堪能するはずだったけど、キャンプするのが辛くなりそうなので、往復二時間のほぼハイキングコースに変更。気がゆるみ、寝坊。ついでに夏休みで高速道路は渋滞。
登山口についたのは、12時頃。あー、やっぱりぐうたらな私達。そして、いざ登り始め。私も想像してなかったんだどね。。。スタートから沢登り状態だなんて。歩いて十分でカモシカに会うなんて。すぐにロープの世話になるなんて。赤い印をたどってはいるものの、道を間違ったらヤバイななんて道。
配偶者は、高尾山を想像しながら私に連れてこられたもんだから、あれー?ってかんじ。私は私で、体力に不安を。会社の人に連れていってもらったケービングのおかげで、なんとなくこんな山道は想像してたし、嫌いじゃないんだけど。いかんせん、この時間。午後からお気楽にのぼり、雨でも降られ、降りて来れなくなったら恥ずかしいことこの上ない。そんなわけで、一時間くらいのハイキングで終えました。
でも、ちょー楽しかった。岩ものぼったし。誰とも会わなかったし。
この週末は、数ヶ月ぶりにパソコンを会社に置いてきた。全部忘れて汗だくになりながら、堪能した。
インドの家族からメールが届いた。なんだか、私が悶々としているタイミングにいつもメールをくれる気がする。たわいもない内容だけれども、神に私たちの健康と good lifeを祈ってますという文面を毎回見ては、ゲストハウス内にあるテンプルを思い出して、ちょっと心がしびれる。
去年の2月に数年ぶりに行ったとき、久しぶりに3泊くらいしたんだけれども、毎日パーティーだ!といって夕飯を食べさせてもらってた。なぜか、結婚の儀式までしてもらった。籍をいれてから数年たってたけれども、本当に本当にうれしかった。翌日はサリーを着せられ、その翌日はオイルマッサージをしてもらい。今まで5回くらい行ってるのかな。この家族が私のインドのすべてだ。毎回このゲストハウスによってるわけじゃないけれども、この家族がいなければ、私のインド通いは続いてないだろうな。
最初に行ってから15年近く。私がすごくかわいがってたバブーはほぼ大人で。前回はまだ子供だったはずなのに、今回はお互い照れてしまいどうしていいかわからなかった。時が経つのは早い。幸い?大人になったバブーは、とても素敵なイケメンインド人に成長しており、女子にも人気らしい。養子にもらってもいいくらい大好きだったバブーが、女子に人気で女の子から電話が結構かかってくるらしいというのを聞いて、若干嫉妬もしたけれど、絶対バブーの結婚式には行きたいな。
あー、あの家族に会いたい。でも、今年の夏はちょっと行けなさそう。来年あたりはゆっくり行きたいな。料理も習ってきたい。
昼寝しすぎました。昼寝というか、朝昼ごはん食べてからごろごろしてたら夕方でした。
連休二日目の昨日は徹夜明けで館山へ釣りにいきました。小さな鯖がたくさんつれて、針から落ちた鯖を通りがかりの猫にとられたりしながら、楽しく過ごしました。まぁ、行きも帰りも車のなかで熟睡。釣りの間も寝まくってたけど。 今朝は、鯖サンドを食べ。あー、美味しかったぁ!と満足し。そして一日終わってしまったかんじ。
ほんとは仕事進めたほうが良かったんだろうけど。寝ちゃったんだもん。
そんなわけで、眠れない。明日も仕事。なんか、疲れたな。
便利になったもんだ。電車のなかで、立ちながらこれを書いてる。今仕事の帰り。紙で書いてた日記帳の時代でさえ、外で日記を書くことなんてなかった。
環境も向かってるものも同じなんだけど、なんかやっぱりメールとかと日記って違うんだなと。日記って、あくまでも自分向けのものなのかもしれない。こんな公開しといてなんだけど。
さて、先週土曜日のこと。
どの靴もボロボロでみっともないと親に言われ続け。この間なんか、会社いくときにバックル?ベルト?的なものがとれた。ヒール部分が削れて靴屋で直すのも恥ずかしいレベルだっあり、皮の縫い目が割れてきてたり、穴があいてきたり。とにかく、女子の靴としてはあるまじき靴だらけだった。
私だってそんな靴を、履いていたいわけじゃないんだけど、靴って、結局履き始めてからしか、足にあってるのかあってないのかもわかんないから、選ぶのが楽しくない。だから、自分の足にあった靴は、とことん履くようにしてる。四回くらい直し続けて履いてた靴もある。そのときは、修理屋さんが、本来、革靴はこうやって履くものです!いたく感動してたもんだ。
が、さすがに一足もまともな靴がないのはいかがなものかと自分でも思い、やっと買いにいきました。が、まだお目当ての店はあいてなかったので、他のデパートに鍋を見にいき。そして、その後立ち寄った職人展みたいなところで出会ってしまいました。
薩摩柘植のブラシ。よくある、穴にとかす毛?部分をさしてるのではなくて、櫛のように削ってあるのが三列にならんでるもの。おばちゃんに許可をとり髪をとかしてみると、あり得ない気持ちよさ。頭に心地よい刺激がはしり、静電気もおきず、髪どおりもよし。
で、買ってしまいました。櫛に出す金額ではありませんでしたが、買ってしまいました。嬉しくて嬉しくて、何度もとかしてます。まだ3日目ですが、朝おきてとかすのが、楽しくて仕方ない。
会社で歴史調べをしている。たったこれだけのことを、調べるのになぜこんなに時間がかかるのだ!という毎日だ。技術の会社なんだけれども、そもそも私は技術のことわかってないし。だから、なお一層しんどい。
で、今日は終日インタビュー。聞くのはいいが、自分で書く余力がないので、今日のぶんには編集さんに入ってもらった。
が、あたしが編集だったら、ちょっと辛いよね。こんな技術の話。。。みたいな時間、絶対寝てた。編集さんも、私のアシスタントも。 やばい、やばいと、話の方向をあちこちに散らせて、みんなを起こした。
午前、午後とみっちり昭和三十年代から五十年くらいの話をきいた。で、夕方からは私だけで技術研究所の所長に開発話などを聞いた。
とても面白かった。みんな自分史つくったほうがいいよ!卒業文集ならぬ、退職文集とかあるといいのに。
とおもった。
調理器具なんて、煮たり、焼いたりできれば、なんとかなるもの。底が薄くても。特に土鍋があれば、なんとかなるもの。
そう思ってました。ご飯も、炊飯器が壊れてから土鍋で炊いてます。炊飯用土鍋というのが、ホームセンターに売ってて安かったので、それを使ってます。だって、10年以上前に友達からもらった、本当にシンプルな機能しかついてなかった炊飯器を使っていた私には、今の炊飯器がピンキリの値段すぎて、どれを選んでいいかわからなかったんだもの。
そんな私ですが、先日からスパイス料理(インド料理)を習いに行き始めました。まだ1回だけれども。料理については、これまでちゃんと習ったことはなく、本能的なものか、材料さえ与えられれば適当に食べれるものをつくれます。調理に関する知識はたぶん、「食べるのが好き」ということだけで得てきてました。旅番組が好きというだけで、地理の点数がよかったように、料理番組とかどこかで食べたものとか、そういうのだけでそれなりに吸収できていたのです。
で、人生初の料理教室的な場所。そこで使った鍋が、本当に使いやすくて感動した。こげない。火のあたりが柔らかいというか、へらを通して、そのほくほく感が伝わってくるというか。
「道具」というものをこれまでなめすぎてました。今まで「土鍋があればだいたいいける」と思っていたのですが、ものすごくいろんな鍋に興味がわいてきてしまい、会社の昼休みも電車の行き帰りも、今日は鍋のことで頭がいっぱいなのでした。
どれを買おう〜。
昨年の十月に、実家に戻りました。おうちを直して。二階が住処です。家をつくるときの私の希望は、旅先のゲストハウスにいるみたいに暮らしたいでした。だから、寝所とかバスルームとかベランダはイメージがあったのですが、リビングは全くイメージつかず。だから、どこに照明があるとよいかとか、全くわからず。ついでに、カーテンもレールつけたくない。どーしていいかわからないって感じでした。
住んでから、自分たちで電球買ってきて天井にコードをのばしたり、本棚をつくったり、収納箱をつくったり。自分たちといっても、ほとんど配偶者がやっててましたが。先週やっとこさ、カーテンポールをつくり、カーテンもどきの布をかけ、そこその体裁が整いました。
で、今日。家を建ててくれた建築家の先生とスタジオ主催のオープンハウスを我が家で実施。これから家を建てるのを検討してる人達が見にきました。
母が住む一階は建具と障子にこだわっており、職人さんも建築家の先生もものすごい達成感があったようで、それをそのまま母が嬉しそうに話してました。
対して二階は、ゲストハウス目指しただけあり、隠す収納にはなってないので、フルオープン。自作の棚や台にみなさん関心を持たれ、配偶者はご満悦でした。
来年もオープンハウスやって、それまでにあれをつくろう、これをつくろうと目標ができたようで。来年、自分たちの家がどーなってるのかちょっと私たちも楽しみです。
時々書いては、あー、本当に久しぶりだなぁとおもう。そして、少し日記を振り返っては、とても不思議な気持ちになる。これ、自分が書いたの?と。感情に任せて書いてるときのは、よくまぁこんなに悶々としてる心を言葉に変換できるなぁと我ながは感心してしまう。
それにしても、ほんとに長い間書いてなかったな。たぶん、上司へのメールが日記代わりにだったんだな。そんな上司は今年初めに飛ばされちゃったけど。私は心に穴がぽっかり空いて、仕事してたら急に涙がとまらなくなったりしてた。そんな気持ちは忘れてしまったけど、失恋ってこういうものだったかもしれない。。。なんて、思うほど。
上司は、私の独り言メールにまっとうに返事をくれたことはない。だからどんなに垂れ流しても、恥ずかしくなかった。文章にすることで私が消化したり、発散したりしてるというのを理解して、吐き出したあとはスッキリしてることも理解して、何も触れて来なかったんだとおもう。
上司は、正しいと思ったことをやっただけだった。私も同じ思いでやってた。ちゃんととるべき人に承認もとってた。腹をくくった仲間も集まってきてた。誰もが必要なことと言ってた。
にも関わらず、ある日突然、理由になってない理由で上司はとばされた。ほぼ一心同体だったわたしは、残された。今までやってたことを全否定され、私はそこに心をこめてたのに。あなたは悪くない、あいつが全部一人でやったこと。そう言われた。
仲間は、上司はやり方を失敗した。エライ人たちへの根回しが足りなかったという。そうかもしれないけど、上司は真っ向勝負をし掛けてたのだから仕方ない。
そんなかんじで、色々あって半年。飛ばされ上司とのお別れからやっと浮上してきたみたいだ。
とはいえ、同じビル内にいて以前と変わらぬ密度なんだけれども。
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