度々旅
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2005年07月28日(木) 夏がきた

 ふてくされているあたしです。上司にふてくされっぷりが通用したのか、会議に出ないで帰ってこれた。う、うれしいい。。。上司は、嫌なことや言いにくいことを言わない。なんとなく空気であたしにやれよということを要求する。それがすごく嫌で、はっきり言ってくださいってかんじだった。卑怯だ。「それでね」という一言が出る度に、え、そんなの聞いてないし、関わってないのに、なんで話されてるの?やれってこと?というのが多く、そして対応している自分がなんだかなぁーと思ってた。
 ランチを、フルバイト仲間と取り、組織に情は持っちゃだめだよと遺言を言われた。彼女は背中越しで、あたしの状況を観察していたようで、あたしの前にいた正規職員とあたしがまったく同じ扱いで、すぐに同じことを要求されててありえないよ!と。彼女はとても優秀な子なので、彼女の上司も彼女にいろいろやらせたかったようだが、この待遇でこれ以上やらせられないとラインを引かれていたらしい。それにくらべ、うちにはラインってもんが無いんですよ。ただの事務が味けない場合もあるが、われわれの場合は、生活と他への勉強のために働いており、それ自体ははっきり採用の面接でも言っている。あぁー。
 けれど、理解者がいるということやら、直属上司以外からは慰労の言葉をボソっと言われるので、それを支えにまだがんばれそうだ。
 帰ってきて、近所のプールへ。中学校が夏休み中だけ自由解放していた。歩い5分というのは良い。その後、家の窓から花火を堪能。この花火大会の存在自体知らなかったが、まさか窓からまっすぐ見えると思わなかった。それも、予想外にデカイ。そして、土用のうなぎを食べる。
 やっと夏がきたようだ。心にも体にも。


2005年07月27日(水)

 火曜日会社にて、エレベーターから降りるときに先輩と会い、顔色悪いよ!と言われ、いろいろ話した。メールでも話したりしたら、あたしの状況をすごくわかってくれた。というか、先輩、十二指腸炎、食道炎、円形脱毛症ってマジですか?そんなことになって、よく辞めずにがんばりましたね。。。彼女は契約社員なので、同じ契約社員がもう一人長くいるからなんとかやってこれたとのこと。あたしがフルタイムバイト仲間がいなくなるショックもお分かりのようで。プラス、あたしが与えられそして要求されている仕事が、バイトであり短い期間なのに精神的に過酷なモノばかりであること、指示が明確でなく、何もわかってないときから気付きと責任を要求されることの負担すべてを理解された。そして、あたしの上司について一言、逃げるからね。。。ああ、それなんですよ。逃げるんですよ。気付けば、なんでもかんでもあたしの責任になってるんですよ!!!
 決してバイトと思って甘く考えたことはなく、賃金をもらっているからには、拒否権がないことも知っていますが、担当という言葉ですべてを片付けられるのはいささか疑問で。。。その後あたしはふてくされる位のゲンキを取り戻した。
 なるほどなぁと思った。うちには、はっきりいえば管理職と末端しかいなくって、末端の人達は本当に仲が良い。支え合いだったのね。最初から違う部署の末端の人達が、とても私を気遣ってくれていたのはわかっていたけれど、今回のことでなんだかいろいろ共有することができたようだ。知らない間に、呼ばれ方まで下の名前になってた。でも、彼女達の仕事へ対する姿勢はすごい。以前何かで、最近の若い人達は、会社への思いは希薄だが、仕事への思いと責任感は上より強いことがあると読んだ。それかぁ、、と思った。とにかく、一日一日なんとか越えましょう。


2005年07月25日(月)

 一泊で土日サークルで一緒だった人達と熱海へ。ただの旅行なのに、合宿と言ってしまうところが、なんだか嬉しい。
 しかし、よく寝てしまった。車中でも一人寝てしまい、宴会中も寝てしまい、夜も一番に寝てしまった。ありえねえ。でも、みんながダラダラ酒を呑み、かつてのように部屋を汚くさせて、体臭だか酒の匂いだか、食べ物の匂いだかが混ざって、ムワーっとした空気の中、みんなの横で寝てるのはすごく安心した。男女6名だが、何の疑問もなくひとつの部屋しかとってないところが、家族だなぁと。
 保養所だったので、カラオケルームやら卓球ルームを無料で勝手に使えた。カラオケルームは、かなり広く走ったり飛びながら女子だけで大騒ぎしてたら、地震。熱海だから地震が大きいのだろうくらいに思ってたら、北海道にいる先輩から、3人の携帯に着信。地震どうだった?と聞かれる。あたし達が熱海にいることなど知らないはずなので、もしや東京で大きな地震?と思い家に電話したら、怒られた。連絡が遅い!と。いや、むしろ、お母さん。自分で無事の電話をくれよ。。。
 2日目は、海で適当に遊び、秘宝館で気分が萎え、帰ってきた。
 そこからあたしはぶっ壊れ、同居人に今の状況をあたりまくり、大泣きして暴れ、同居人に取り抑えられ、体中が痛いのと、目が開かないので、月曜日会社を休んでしまった。ああ、あたしったら本気でギリギリラインにいたのね。。。。


2005年07月22日(金) ヨガ

 何がって、夏なのにかなり駄目っぷりを発揮して、先週あたりなんかどん底だった。あまりにも精神的にヒドイので、自分が病気になったりするんではと思ったくらいだった。同じフルタイムバイトがいなくなることは、かなりショックで、そこからプツンとたまっていたものが、うおおおおおと出てしまったようだ。
 あまりにも自分との乖離がヒドイので、先週からヨガを復活。2年ぶりくらいに先生に電話して、どおしたのぉーと心配され、とにかくいらっしゃいと言ってくださったので、会社帰りにオメオメうちから1時間半のところまで通いだしだ。なんだか、シャバーサナーとか太陽礼拝中とかにぼろぼろナミダが出てきて、ここにいる人達はまったく知らない人なのに、なんでこんなに心地良いんだろうと思った。


2005年07月12日(火)

 なんだか最近仕事が暇だ。最初があまりにも忙しかったので拍子抜け状態だ。自分で仕事を勝手に作ったりするものの、働き始めて数ヶ月のあたしが思いつくことはすぐ終わる。勝手にいろいろソフトをいじくり、勉強したりするものの、時間はなかなか進まない。
 夕方になりやっと新しい仕事を引き継いでもらい、そこからは時間が早かった。ああ、仕事をもらえるってありがたい。他部署のバイトの子と、今日は暇だったとお互いに帰り際に会話し、こういうことを言える相手がいるってのは嬉しいなと。
 あまりにも一日がシャンとしていないので、力が余っており、その後友人とご飯。いやぁ、あたし、知らぬ間に忙しいことが身についてしまっていたのね。なんて思ったり。
 毎日がイベントだったあの時代を語り、今の日々も毎日がイベント状態にしたくなるあたし達。あたし達はまだ若い。互いに成長したのだと言いあい、けれどまだまだ成長してしまうんだなぁー、これからなのだと笑い合う。あたしの大切な数少ないオナゴ友達。


2005年07月11日(月)

 最近、朝起きるとベランダのトマトを食べている。ほんとにおいしい。育ててよかったなぁーと毎朝思う。こんなことなら、もっと植えておけばよかった。 
 それに比べ、ミニ大根。かなりエゲツナイ形に育ってる。そもそも、果たしてこんな大量の大根が必要だったのだろうか。種を蒔きすぎて、ぎつぎつなので上の方は細い。けれど、下の方はまるでお尻のような形になっている。つか、男性器をも思わせるんですが。。。そして、ますます食べる気をなくした。友達を呼んで、引っこ抜かせてあげたいが、そうもいかないので、何人かに写真を撮ってメールを送った。そのうち、お守りとして皆に配ろう。


2005年07月10日(日)

なんだか、ハードで壊れた1週間を過ごしていたような気がする。月、火と先週末の余韻に浸りながら過ごす。水曜日に会社の人に呑みに連れて行かれ、銀座の大人の世界を知る。あたしの憧れの世界はあまりにも素敵で、そこにいる人にまるで新聞記者が取材するかのように質問しまくる。その受け答えにますます尊敬のまなざしをあたしは向ける。帰ってきてゲロ吐いて同居人に迷惑かけてる自分を冷たい目で見ながら、到底足元にも及ばないなぁと思う。彼女達は女性の中の女性だ。
 木曜日は、二日酔いなんだか、夜の蝶があたしの周りをまだ飛んでいるんだか、一日中ふらふわした状態で過ごす。昼休み、近くの公園のベンチで風を受けながら、生きているなぁなんて思う。朝まで呑んで授業に出て、その後大学の林の中で一服しながら、宇宙と同化したような気分で心地良いのと同じ感覚で嬉しくなる。昨日蝶々と戯れてた上司がコーヒーを飲んでいるのを見て、あたしもコーヒーが飲みたくなり、会社帰りに謎の喫茶店に入る。適当に好みを伝えて出てきたモノは、インディアンモンスーン。その瞬間、あたしったら絶好調すぎると怖くなる。
 金曜日、大学の恩師と再び呑む。先生は私服で現れ、私は気づかずに素通りする。先生、さわやかすぎます。他の人も交え結局1時近くまで飲む。ああ、また帰れない。場所を変えコーヒーを飲み、だらだら時間を過ごし、場所を変えまただらだら過ごし、あたしったら壊れてるなぁーとぼやく。朝6時、最近お決まりの胃痛に悩まされ、日常を思い出し、タナトフォビアのことをカミングアウトし、インドに帰りたいとわけのわからないことを言い出す。
 痛い頭を抱えながら朝帰ってきて、歯医者へ行き、衛生士に歯を磨かれなたら気持ちよくて寝てしまう。同居人と父親と3人と歯医者へ行くという奇妙な図は2ヶ月近く続いているが、やっと私は卒業。あとは仲良く二人で通ってくれ。
 父親の呑みの誘いをお断りし、昼ごろ帰ってきて、たくさん寝て日曜朝方起きて、あれ今日も休み?あたしの休みはいつまで続くんだと変な気持ちになる。どうやらあたしは今週働いていた感覚が無いようだ。メールを見ると昨日の朝まで一緒にいた人間から心配メールが入ってた。なんだか少しだけ優越感に浸りながら再び少し眠りについて今。爽やかだ。
 壊れたときに、最後に引っ張りあげてもらう人にはまだ連絡をとりたくない。だからもう少しこの状態であたしはいたいようだ。たまにはそんなこともあるさと、ベランダのトマトを食べ、甘美な味とはこの味のことを言うのかなどと思う。壊れてるあたしに離婚だ離婚と騒ぐ同居人。あたしはあんたと結婚してないよとぼやく。つか、あたしが寝ている間にきれいな体になって戻ってきたパソコンに、ウィルスみたいなもんを入れて反撃をするなよ。


2005年07月02日(土) 花嫁と鯱と膿

 万博翌日、熱田神宮に行く。花嫁を見た。ここで先輩が式を挙げたことを思い出す。あれをやりたい。神社の中を花嫁衣裳で歩く。これぞ嫁入りの図。バージンロードを歩いたら大笑いをし、大笑いされそうなあたしでも、厳粛な空気を醸し出せそうだ。しかし、何が理由なのかわからんけれど、あたしが木の写真を撮ってたら、知らないおっちゃんにあそこにヘビがいると教えられ。歩いていたら、今日は土俵入り前の奉納で横綱が来ると教えられ、あたしは雇ってもいないガイドのおっちゃんにいつも話しかけられるお得な人間だ。
 その後、名古屋城に行くものの、鯱がねぇよ。改修中。友人と券売をしている入り口で悩む。今後名古屋に来ることは考えられても、名古屋城まで来るだろうか。電車賃をかけてここまで来て、城内に入らないのはいかがなものか。しかし、鯱はないわけで、やっぱりもう一度来ることになるのだろうか。とダラダラ話し、結局万博チケット持参は100円引きということで入った。そして、城になかなか辿りつけず、ぐるぐる歩いた。そりゃそうだ。地図も見ないで、あっさり門に辿りついたら城は簡単に陥落してしまう。
 その後以前18切符で途中下車したときに食べた店で味噌カツを堪能し、やっぱり味噌カツは少しでいいと同じことを思い、名古屋を去った。
 そして、家に帰るかと思いきや、東京駅から立川へ。飲み会に遅く参加。愛しき院生仲間たち。先生の御本出版お祝いを称しての飲み会。まさかまさか、私にも先生が本をくださるとは。すごく感動した。いや、本当は涙が出そうだった。私が手伝ったことは、資料収集程度だったけれど、授業参加者が皆本をもらっているということを耳にしていたので、自分は卒業してしまいもうそんな身分じゃないとちょっと寂しく思いながら、自分で本を買っていた。それが、いただけた。教え子認定を受けたようで、そして未だ私の場所があるような気分で、なんて愛しい先生なんだろうと思った。
 私にとってこの人たちはなんて素敵な宝物なのだろうと思い、かつてのような会話に安心した。話題はつきず、自分がやっていた学問の楽しみと味わいを思い出す。そして、専門じゃないけれどなんとなくとって、結局最後までこのゼミに参加したことを誇らしく思った。私が入社拒否したとき、先輩がすぐに来週からゼミへ来るように連絡をくれた。私は救われた。私はさして発言もできず、参加しているとは思えないまま過ごしていたので、そんな私でもあのゼミに場所があったのだとすごく大きなモノに包まれた気分だった。
 そういう大切な人達との時間によって、私はこの3ヶ月の間の違和感や不安定さがジワジワと湧いてきてしまった。何が問題で、何が原因かなんてわからないけれど、とにかくすごく疲れていたようだ。仕事をして、資格の勉強を始めて、テキストを読み続ける。外からは順調に見える私の中はじくじく腐り始めていて、膿だらけだった。結局一人の先輩と朝まで一緒にいて、私はその膿を出していた。帰りの電車の中で、なぜか涙がボロボロ出てきて、なんてあたしは恥ずかしいヤツなんだと思ったが、自分のやっていた学問への思いも一緒に溢れてきて、どうしようもなかった。けれど、そんなかつてのような生活を少しだけして、もう少しなんとかやってみれるような気がした。いつの間にか、私にはサークルの仲間以外にも新しい家族ができていたようだ。なんて素敵な家族なんだろう。そして、彼らがいることでどれだけ助けられ、私は生きていられるんだろう。


2005年07月01日(金) 万博とやらに行ってみた

 友人が愛地球博のチケットをもらっていたので、行ってみた。行く前から何の期待もなかったけれど、ああ、やっぱりこんなものかという感じだった。木曜日の夜バスで向かい、金曜日は大雨。バカな二人は傘を持っていないし、途中で買うのも忘れてた。ゲート前で並んでいる間にずぶ濡れになり、ああ、もう帰りたい、何をしているんだいったいという気持ちでいっぱい。私たちに、後ろにいたカップルが哀れに思ったのか傘を一本貸してくれた。
 インド館にて、インド人はインドにいるときと代わらぬ方法の商売をしており、値札は書かれておらず、NO高いを繰り返す。フレンド価格でブレスレットを買う。最初にふっかけてきた値段は3000円だったが、あっさり1500円になった。大好きだよあんた達。
 パキスタン館で奏でられている民族音楽と歌は素敵だった。歌っている男は悪魔にしか見えなかったが、今でもその顔を思い出す。そういう顔って、すげぇ。
 で、まったく話題になっていないけれど人間の先祖ルーシーが来てた。マンモスを大騒ぎするならば、ルーシーも大騒ぎするレベルだ。けれど、アフリカの共同館のエチオピアコーナーにひっそりいて、誰もが見逃しそうだった。というか、気付いてないだろう。所詮、万博で人間の叡智なんちゃらってのは建前で、観光誘致のための博覧会というのが、あたしの本音だった。
 万博ってのは、日本みたいな国でやるのではなく、国民の多くが異国を知らぬまま一生を終えていくような場所や、やっと国民が外へ飛び出し始めたような国でやるべきだ。それでこそ、見た者が何かを感じることができると思う。
 しかし、キッコロとモリゾーはかわいいな。


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