度々旅
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2004年10月31日(日)

 イラク人質事件。とてもショックだった。ここ数日、それ関係の記事を読む度に、ああなんてバカなんだと思っていたけれど、やっぱり助かって欲しかった。知らないうちに、やけに親近感も湧いていた。生きて帰って来て、散々世間に叩かれ、怒られて、でも生きて帰ってこれてよかったななんて言われて欲しかった。生きてなければそれもできやしない。
 旅に出ると、結構彼みたいな人はいる。危険だと言われているのに、出かけて行ってしまって、周りに心配されている人。帰って来た本人はケロっとしてる。でもその陰にはミッシングペーパーがばらまかれている人もたくさんいる。旅する時には、自分のことが印刷されたミッシングペーパーを想像する力も必要だと思う。
 以前アメリカでゲストハウスを探している時に、声を掛けてきた男性がいた。私は無視したのだけれど、友人は彼が親切な人であると判断、ついて行こうと言った。夜で人通りが少なく、初めての場所だったので、私は躊躇し、彼の親切を拒絶したのだけれど、友人にはそんなあたしの態度が信じられなかったらしい。結局彼は良い人で、ゲストハウスまで連れて行ってくれた。そして私は、友人に怒られ、明日謝りに行こうと言われた。
 今でもその時の私の判断は間違っていなかったと思うし、向こうから近寄って来た時には特に警戒すべきだと思う。人を信じれないことは悲しいけれど、身を守るためには仕方がない。それが、銃も何も持ってない旅行者の唯一の身を守る手段なのだから。
 今回の彼が、どのように拘束されたのかはまだ明らかではない。ただ、バクダットの昼間の光景をテレビで見ていたら、騒々しい普通のアジア都市に私には見えた。でも、日常がそこにあるからといって、危険がないわけではない。危険な場所だからといって、そこで普通の生活が営まれていないというわけではないのだ。危険とは目に見える何かの形として存在しているわけではない。それを見た時には終わりの時かもしれない。だから、私達旅をする人間は、警告に従わなければならない。危険を確かめることは、できないのだから。

 彼はなんて良い名前をつけられていたのだろう。彼の死が政治的にこれから利用されることがないよう願う。


2004年10月27日(水) いろんな所でいろんなコトが起きている

 友人と午後はテレビにかぶりつきだった。ハイパーレスキュー隊って言葉を初めて知った。早い時間の報道で3人生存と伝えられた時、思わず拍手した。そう思っていただけに、お母さんのことを聞いた時のショックは大きかった。阪神大震災の時、何かできないかと思い、いてもたってもいられなかった。で、同学年の子に声を掛けて生理用品を送った。アノ頃は今よりも、思ってすぐに行動に移すことができたらしい。
 そんな中、イラクで人質事件。あああ。なんてタイミングが悪い人なんだろう。今回は前回と違って、ただの旅行者。危機感もあまりなかったようだ。同情の余地無しのところはあるけれど、ある意味純粋一般人、純粋民間人だ。何かに雇われているわけでもないし、特別な思想があるようでもない。「すみません」というか細い声と、諦めが漂ったような表情を見てたら、あまりにも情けなくなって、そんな情けない奴は、殺しても意味ないからさっさと返してくれと思った。家族の気持ちなどを思うと、とにかく無事に解放されることを願う。
 いろんな所でいろんなコトが起きているけれど、あたしの日常はいつもと同じ。夜は友達の車で新しくできた温泉銭湯へ。そんなお年頃ではないのに、ニキビが急にでてきたので、漢方パックなどもしてもらう。こんな当たり前の日常が、いつになく大切に思えた一日だった。
 


2004年10月25日(月)

 なんか、すごく読みたくてすごく書きたいモードに突入したみたいです。良かった。安心した。こういう波がうまい具合にやってきた。

 伊勢に行く時に電車の中で会ったネパリーからのメールがこの間来てた。車内で一緒に写真を取ったので、メールで送っておいたのだ。今カトマンズにいるとのこと。いやぁ、メールっていい。あっちの行った時、一緒に写真をとると「送ってくれ」と言われる。で、送ってはいるんだけれど、果たしてついているのかどうかは疑問。返事が来ないのですもの。メールで確認してみると、一ヶ月、二ヶ月とたっても、「届いてないよ」の返事しかないんだが。。。。
 でも、ヒンディー語やって気付いたんだわな。数字書き方が違かった。これが原因なのだろうか。けれど、他の国の人でも返事こないしな。
 というわけで。メールの確実性は嬉しい。
 そんなネパリーは、来月日本に来る。何か必要だったら言ってと書いてくれたので、ずっと考えていたのだけれど、特別ないことに気付いた。モモとダルバート食べたいくらいしか浮かばなかった。


2004年10月24日(日) 隣の君へ

 隣の君、12時に起きたね。昨日寝たのは、2時頃じゃないかい?とにかく、それが全部わかるくらい、君の足音はウルサイのだよ。。。
 つか、夜中に帰ってきて、そんなにドアをアパート全部に響く程の音で閉めなくてもいいじゃないか。思わずそれで、起きてしまうこと多々だよ。君が家を出て行くのも、帰ってくるのもドアをバタン!ズシン!と閉めて、ローカをズシズシ歩く音でこっちにはわかってしまうんだよ。
 先日は夜中に重低音が響いてきて、あまりにも耐えられなくて翌日大家さんに言ってみた。注意をしてくれたらしいのだけれど、何も変わらず。この間まで、週に何回かは帰ってこなかったのだけれど、彼女と別れたのだろうか、毎晩いるよ。とほほほほ。
 掃除が好きなようで、掃除の音も半端じゃない。どこから飛び降りているんだい?ズシン!ってなんだよ。おい。今もまたズシン!って。こっちはその度に、ビクっとしてしまうよ。そんなに驚かせないでおくれよ。
 とまぁ、一度も話したことがない、顔も一回しか見たことがない君の生活を、ストーカーばりに私は知っています。そんなにあたしに教えてくれなくていいから、歩き方を変えてくれよ。鉄筋で、こんなに足音が響くのでしょうか。ズシン!っと揺れるんでしょうか。。。。あああ、洗濯物を干すために、そんなに大きな音で窓を開けなくていいから。。。


2004年10月20日(水) 雨漏り

「おいおい雨漏り大変だぞ」

 父からのメール。そう、この間は私のアパート。今は実家で雨漏りなのだ。うちの実家は増築、改築などで、3つの年代で構成されている。そのうちの一番古い部分が雨漏りなのだ。かつては祖父母の寝室で、最近は父が寝ているその部屋では雨漏り大発生。
 前回の台風の時に発生したその雨漏り。直す前にまたまたやって来た台風。その部屋は床も歩くとへこんだりしてしまう程傷んでいるわけで、けれど思い出もいっぱいなわけで。湿気はすごいわけで。けれど、その古さが哀愁漂ってていい感じなわけで。ぶっ壊して直すべきか、とりあえず屋根と床だけ直すべきか、未だ思案中。
 あたし的にはそのまま残したいんだけれどね。というか、家族全員そう思っているんだけれどね。なんとも傷みっぷりが激しいので困っているところ。中途半端に直して、4つの年代で構成される家ってのも、なんだしなーと。
 あんた、来年帰ってくるの?結婚したとして、ここ住むの?これから先住むの?それなら建て替えるけれどみたいなことを言われ、そんなのわからんよとしか答えられん。ちなみに既に2世帯住居として、トイレも台所も一階、二階両方にある。だから、住もうと思えばあたしが結婚したとしても住める造りではあるんだけれど。
 しかし、親子だなぁーと。父のメールの文面から、状況を楽しんでいるのが伝わってきたよ。あたしも、この間困った困ったと思いながら、楽しんでしまったもの。


2004年10月17日(日)

 起きたら、久し振りにすっきり晴れていたので動物園に行った。多摩動物公園なのだけれど、やっぱり上野の方が好きだなぁと。動物達は、多摩の方がノビノビしているけれど、あたしはちょっと病んでる上野の動物達が好きだ。なぜか身近に感じてしまうのだ。
 


2004年10月13日(水) 慣れないこと

 学会の手伝いやら、友人からもらったテープ起こしと編集の仕事やら、論文やら、授業の準備やら、履歴書書きやらで、なんだかんだと珍しく忙しい日々を送ってました。ふぅ。
 昼に頭痛がするので、少し横になったら・・・今起きたよ!18時です。4時間以上寝てしまった。ううう。慣れないことをするってのは、疲れるんだなと。
 けれど、忙しいというのはとても良い睡眠をもたらすのだなぁと、しみじみ実感。あたしは昔から、寝つきが悪い。高校の頃から特に悪い。やっと眠れるのは、3時くらいってことは多々あった。1時間しか眠れなかったなんてこともよくあった。でも、よく考えたらあの頃は毎日学校やら塾やら行って、それなりに忙しく過ごしていたはずなんだけれど。とにかく、寝つきがずーっと悪いのだ。
 台風がやってきた週末は学会のお手伝いで、朝から晩まで働いた。帰って来て、シャワーを浴びてテレビを見てたら知らないうちに朝まで寝てた。他の人も同じだったようで、翌日「昨日はよく眠れた。」「あんなに、すぐ眠れるなんて気持ちかった」と口々で言っていた。そして、社会人って大変というのも、意見が一致したところ。けれど、朝家を出て、帰って来るまでしっかり充実した時間が日々送れるって羨ましいというのも一致。
 朝起きて9時に机に向かったところで、勉強を始めることはできても、夜までずーっとできないし、寧ろ1時間くらいしか集中できないし、考えているうちに寝てしまう。そうかと思うと、夜寝ようと思ったときに、あれやこれやと浮かんでくるわ、体が疲れていないからやけに目が冴えるはで眠れない。やっと眠れたとしても、夢の中でまでテキストの内容を考えたりしてしまう。。。どうやらこれは、あたしだけではないらしく、寧ろうちの学科全体の話らしく「なんだ、みんな同じなんだぁ」という声が飛び交った。。。。
 そんなかんじで、日々の自分の生活と比較しつつ、あたし達は数日働き、労働の喜びを感じていた(はず)。
 そんな喜びを感じつつ、あたしは余った弁当を、家に大きな犬がいるのでと3個もらってきた。


2004年10月04日(月)

 不安定な今日この頃。論文だけに専念しろよ、あたしってかんじ。けれど、現実的な問題も目の前に見えるわけで。書き上げた後のことを考えて、ここまで先が見えないこともなく、かなり不安になるわけで。
 少しだけ就職活動を前期にしたものの、壁にぶちあたり、資格などに逃げようかと思いつつも、それをとるためにまた回り道するのもなんだしなぁと思ってみたり。と悩むならば、行動を起こせと、再び活動を始めてみるも、撃沈したり。ああ、現実って厳しいのねと。
 同学年は、殆ど就職気分になっている。といっても、誰一人として来年春以降が決まっていないのが、あたし達。資格もない、専門分野もないということで、あたし達はいったい何をやっていたのだろうと不安になり、もう消えてしまいたいと嘆くあたし達に、今まで遊んできたのではないのだから、勉強してたんだからと励ましてくれる先生。救われました。
 身一つで歩くのに疲れ、社会に受け入れてもらいたいと嘆くあたしたち。形には見えないけれど、勉強していたのだと胸をはり、お互いに頑張りましょうよ、我が仲間たち。
 


こげんき |MAILBBS

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