度々旅
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2004年09月29日(水)

 ここ数日、久し振りに正直な自分と向かい合っていた気がする。すごく疲れたけれど、すごく収穫があった。
 8年近く抱えていたいろんな思いを、やっと解放することができた。あたしは昔から、自分の中に生じたいろんな思いを、見ないふりをすることがある。けれど、それが時々にょきっと顔を出し、どうしようもなくなる。かつてはまだ若かったので、思いをぶつけて、解決しようとしてた。けれど、大人になるにつれて、保守的になり、冷静になり、メタな自分が働き、自分の中で必死に忘れようとしたり、ごまかそうとたりして、解決をはかる。そうそう、忙しかったり、他に夢中になることがあれば、忘れることができるからだ。
 そんな中でも、ずっと忘れられない思いがあった。その相手と数年ぶりで先日再会した。忘れられなかった思いは、どんどん膨らんで、何度か会った後にメールを交わした。ひねくれ者のあたしは、言いたいことをうまく言えなくて、最後は「どんだけ怒ってるんだ!」と言われ、だんだん遠まわしに、気付いて欲しいと思いながら、文章をつくっていることが嫌になってきて、そして面倒になってきて、正直な気持ちを8年分伝えた。互いに半分キレ気味で、メールのやり取りをした後、電話でちゃんと話した。すべてわかってくれて嬉しかった。守りたいモノ。壊したくないモノ。大人になると、かつてのように無茶な行動はできないわけで。無茶な行動をした時、失うものは多すぎるわけで。そういうのを、一緒に抱えてくれたのが嬉しかった。
 でも一番の収穫は、あたしには本当にわかりあえる女友達がいるということが、わかったことかもしれない。
 それにしても、最近男の先輩に言われた「男はバカなんだよ。何を期待しているの?」それがよくわかった数日だった。


2004年09月25日(土) あの頃

 サークルの時の先輩が、一年仕事で東京に来ていたのだが、山梨へ帰るというので送別会。少ないメンバーだったけれど、あたしにとっての黄金メンバーだったような気がする。訳あって、最後までサークルにいたわけではないので、公式な場には参加できないあたし。だからこそ、この面子で集えるってのはすごく嬉しかった。当時の相方だった友人Iが来れなかったのは、残念。今更、彼女とのコンビは絶妙だったと痛感する。
 呑んだ後、ラーメンを食べカラオケへ。懐かしい声でかつて一緒に聞き、歌った歌が、あちこちで。ちょっと泣けてきた。歳とったんだなぁーと。あたしだけ学生を続けているので、こういう時、自分の変化の無さに悲しくなる。成長したのだろうかと自分に何度も問いかけてしまった。
 帰りのタクシーで、友人Hが「もうあの頃は戻ってこないんだよ。悲しい」と言っていた。あの頃が戻ってくることはないけれど、あの頃は消えることなく、今に至り、そしてこの先もずっと続いているわけで、そういうものを大切にしたいと思った。そのためには、自分もあの頃の人たちが前に歩いているのと出来る限り同じ歩調で、歩いて行きたいものだなと。
 そんなことを思いつつ、久し振りに酔った。頭いてぇ。


2004年09月20日(月) 楽しいこと

 素人芸を楽しんできた。サークルの先輩たちの寄席である。久し振りに聞いたよ落語。かなりキツかったが、社会人になっても、ああやって会を開けて客を呼べるってすげぇなぁと素直に思った。上達しているのもスゴイ。同窓会みたいなもんで、こういうことができるって素敵だわさ。
 しかし、なんかちょっと羨ましかったよ。あたしは好きで落語をやっていたわけではないし、今も別に落語が好きなわけでない。だから、あの人たちが社会人になっても夢中でガンバレルのがちょっと羨ましかった。
 今日も授業。明日も授業。あたしの平坦な日々は続くわけで、そんな中一つでも楽しみを見つけて、頑張れるのは羨ましい。今のあたしには、そういうのがないなぁと思った。ちょっとそれが悲しくなった。
 指導教官が、朝起きたら死にたくなった。何も楽しいことがない。布団から出たくなかった。と言っていたのを思い出した。 
 しかしだ。よく考えたら、会えるだけで幸せになったり、嬉しくなる仲間がいるわけで、それだけで幸せといえば幸せなのかもしれん。


2004年09月18日(土) 秋刀魚祭

 実家へ友人を連れて帰った。ここ数年恒例になっている、サンマ祭開催である。母親の田舎の友人からサンマを送ってもらい、大量に食べた。
 庭において七厘でサンマを焼いてバクバク食べる。しかし、父と友人よ。あたしがいない間、炎がボーボーと上がっているのを横目で見つつ、ほったらかしで、真っ黒焦げにしていたよ。ヲイ。一通り焼いて食べた後は、刺身などなど。とにかく、たらふくサンマを食べた。その後、昼寝。犬と共にゴロゴロしているうちに寝てしまった。夕方起きたら、あっちの部屋では母がこっちの部屋では友人が、そっちの部屋では父が寝てた。なんか、結局いつもこうなるなぁー。

 それにしてもである。母の包丁さばきはさすがだ。そして、こういう食材を送ってくれる人がいることもありがたい。母の人脈をあたしも確保したいものだ。くちばし?が黄色いサンマ。スーパーじゃ見ないよ。
 帰りにピオーネをもらって帰って来た。これはあたしの浪人時代の友人の実家のもの。なんか、気付けば産地直送ばかり増えている。母は海の物担当。あたしは畑のもの担当って具合で、友人の輪が出来上がっているようだ。


2004年09月17日(金)

 とりあえず夏の発表も終わり一息。けれど、課題はでかく、大きな山を抱えてしまったようだ。しかし、臆することなく発言したり出来るようになってきた気がする。これは嬉しい。

 いかにもW教授の弟子って内容だと言われ、なんだか嬉しくなった。内容の質はともかく、興味の対象はかなり教授と重なっているので、かなり無謀なことを始めたり言い出しても、「面白い」で片付けてくれるのが嬉しい。「面白い」その一言で、一番痛い「何がやりたいのか、何が言いたいのかわからない」という批判が他から出るのをシャットアウトされるので、かなりありがたいです。もちろん、テーマが面白いだけであって、内容が追いついていないので、結局はいろいろ批判や指摘をうけるのだけれど、あたしは興味をどう問題化するかってところで、いつも苦労しているので、問題設定でゴーサインがでると、かなりやりやすくなる。これを研究の対象にして良いのですねえええってかんじで、はりきってしまう。

 けれど、時間的に間に合わないとも言われ、どうやって焦点を絞り論じるかは早急に決断せねばならん。というわけで、ゴーサインが出た以上やらねばならんし、やりたいし、けれど問題山積み。果たして解決できるのだろうかとの不安は大。ガムバロウ。ふと思ったのだけれど、「面白い」ってのはどの分野でも評価する時に使う言葉なのでしょうか。


2004年09月10日(金) 泥棒だったのか?

 先日の夜の訪問について、友人に話してみる。「それって、単純に考えて泥棒じゃない?」えええええええ。そういうことなの?あたしの部屋に泥棒が入ろうとしてたの?それって、ヤバイじゃん。
 急に気味悪くなってきた。これからは戸締り気をつけよう。寝る時はチェーンをかけることにしよう。今更防犯意識が芽生えてきた。ちなみに、あたしの窓からは交番が見える。ついでに3階である。そんなわけで、泥棒なんて入らんだろうと思っていたのだが、そうか、そういやドアから入るって手があったんだわ。おおこわい。
 そんなことを思いつつ、ピンポンの音にいつもはかけないチェーンをかけて出ると、あれま、前来たインテリ新聞勧誘員ではありませんか。また話しこんじゃったよ。。途中で「私はどうやらオルグられているらしい」と気付いた。どうでもいいんだけれど、最近文字の上であーだこーだと言ってて鬱憤がたまっていたので、おっちゃんの主張に反論してみた。批判してみた。しかしそれがいけなかったようで、30分近くですよ。面倒になってきたので、気分は極右で言いたいことを言っておいた。そんなんじゃ、社会で受け入れられないくらいのことまで言われたよ。会社の面接を受ける時、隠していてもバレるからって。いや、あんた。あんたが見抜いてないんだよ。あたしが、楽しんで反論しているだけってことを。。。
 とまぁ、適当に気分をぬきつつ、半分くらいまで原稿の方は解決してきた。最後の一押し。しかし、これが大変だったりするのである。


2004年09月08日(水) 深夜にドアをガチャ

 先ほど、部屋を暗くしてパソコンとテレビの光だけで過ごしていたら、隣人が帰ってきた。うるせーーーー。友達を連れてきているようで、いつにも増してうるせぇ。
 とにかく、起きたな、帰って来て何か物を置いたな、立ち上がって何かしてるってのがわかるくらいに、足音やら物音がうるさい。深夜でも壁越しに音楽のズズズという音が聞こえてくる。
 今までこんなにうるさい隣人はいなかったので、こいつはどんな歩き方して、どんな物の置き方してるんだぁぁ!!と思って過ごしてた。一回だけ顔を見たことあるんだけれど、その音楽の嗜好とは異なっていたので、へ?と思った。でも、毎夜友達引き連れてきて騒いでいるわけでもないし、そいつがどんな歩き方をしているが知らないが、まぁ私なぞよりも下の人の方がもっと辛い目にあっているであろうし、下の人が我慢しているならば、私も我慢しようと。ま、わざわざ文句言うのも面倒だし、大家さんに言うのも最近の大家さん見てるとかわいそうだしなぁ。。と。ほっといたわけであります。
 で、今夜もいつも通り、「お、帰ってきたな。友達連れてきたな。」などと思っていた。でも、隣のドアが開く前に、チャイムがなっていたので、友人が訪問しただけなのかもしれない。隣人も時には静かに過ごしていることもあるだろうし。
 そんな感じでいつも通り隣人の生活を想像していた。するとですよ。いきなり、あたしの部屋のドアが開くではありませんか?ええええ?どうやら、あたしは鍵を閉め忘れていた模様。隣人がその友人かわからないが、のぞいてる。「え?」と思わず声を出してしまったわけだが、ドアは半開きのまま、その覗き人は去って行った。
 おい!せめて、ドア閉めていけよ。間違ったなら間違ったでいいが、開けっ放しはないだろうよ。さすがに腹が立ち文句を言いにドアまで行ったが、ローカにも階段にも人がいない。ついでに、部屋に戻って窓で隣の部屋を確認したが電気はついてない。意味がわからない。たずねてきて、間違って部屋を開けたならば、部屋に人はいるはず。しかし、人はいないのである。
 はぁ?気持ち悪いよりも、ムショウに腹立たしい。文句を言うタイミングを失い、本当に隣人やその友人が開けたのかもわからないゆえ、後から文句を言うにも言えず。起きていたから良いものの、寝ていたらドア開けっ放しにされたままだったかもしれん。あ、もちろん鍵をかけてないあたしも悪かったわけではあるが。
 腹たつなぁ。


2004年09月06日(月)

 研究発表の原稿、文字足りているし、良い例も使えたし、まぁこんなもんでいいかと思ってました。が、当日まで日があるわけで、印刷にまわすにはまだ早いわけで、見直したりしながら日々過ごしていたのですが、なんか違うんですよ。どっかごまかしているんですよ。やけに、こぎれいにまとめているんですよ。直した方が・・・と思いつつも、違和感を見ないふりして過ごしておりました。
 しかーし。昨日の夜寝ながら考えていたら、なんかこのまま発表するのはあまりにも気持ち悪いって思いが湧いてきて、見ないふりしていた手抜き部分がすっごい問題な気がしてきて、寝れなくて寝れなくて、とうとう根本改革に今朝から手を出してしまいました。ありゃー。
 間に合うのか、あたし?という不安もありながら、この気持ち悪い原稿を人前で読む方が、もっと気持ち悪いし、むしろ責任とれないと思いやりはじめましたよ。今日の時点で文字数は4分の1くらいに減ってしまった。基本構造まで変える始末だ。
 マラソンの野口選手が「走った距離は裏切らない」と言っていたけれど、今の状況は「読んで考えた時間は裏切らない」を信じるのみ。けれども、一度書いたのを、やっぱりと思って書き直し、結局時間がなくて崩壊して一番ダメな状況に論文出してしまって大変なことになった人などを思い出し、ああそうなったらどうしようと、本当は不安だらけなのであります。


2004年09月02日(木) 管理人

 数日前、部屋にいたら、隣でドンドンすごい音がして、外でも声がうるさかった。何事?と思い、布団を入れるついでにドアの外に出て見たら、どうやら友人が来て、「入れろよ」「嫌だよ」とやりあっている時に、その友達がドアを蹴ったらしい。で、ドアが閉まらなくなったらしい。
「オイどうしてくれんだよ。マジかよおまえら」みたいなかんじ。男の子三人でウダウダやってた。で、閉めるべく、またドアを蹴ったり、ドアに体当たりしたり。おいおい・・・

 部屋に入ってから、自分の部屋のドア越しに、彼らの声を聞いてたら「管理人に言えばなおしてもらえる」みたいな声。え、管理人?なるほど。と思った。うちのアパートは、大家さんがすべて管理していて、管理会社は一切関わってない。その大家さんは、管理人って思われているのか。なんか、最近このアパートで起きていることに納得。
 私達のいる部屋は、大家さんのモノで、それを私達が借りている。けれど、管理人って響きは、この部屋は私達の部屋で、それを管理人が管理してくれているみたいなイメージ。だから、最近引っ越す時とかもトラブルが多くて大家さんは困っていたのね。
 人のモノを借りているという意識が低いらしい。部屋のシャワーの出が悪いと言って、大家さんに散々文句を言い、工事をさせて、それでも文句行って結局出て行った人。大家さんに何も告げずに、引っ越して行って部屋の確認で来て欲しいと言っても来ない人。そういや、隣の棟では騒音を理由でトラブルがあったらしい。毎日夜に騒いでうるさい部屋があったので、「静かにして欲しい」と隣人が頼んだら、翌日うるさい部屋の人が自分の先輩を大勢連れてやってきて、注意した側の部屋の窓とかを割ったり「コロスゾー」と叫んだりと、警察沙汰寸前だったらしい。 ちなみに、その事件、部屋の窓を割った側の親にも連絡して来てもらったけれど、窓の費用とか一切出さずとのこと。なんだかなー。
 管理人じゃなくて大家さんで、あたし達は借りている側なんだけれどなぁ。


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