度々旅
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2004年11月18日(木)

 論文を書き終わったという人の日記を読んだりして、あわあわと焦ったりしている日々です。やばい。
 昼夜逆転が直ったと思ったら、また戻ったりして。だからといって夜にガシガシ書いているわけでもなく。反省。どうやらあたしの中に、今まで書いたものを切り貼りすればなんとかなるみたいな甘えがあったようで。けれど、実際問題としてそれじゃ、ダメだろう。自分的に納得しないだろう。今まで何やってたんだってことになるだろうと思うわけだ。
 けれど、今までやったことをなんとかこぼさず入れたい、そこから練りだしたいという思いもあり、それの間で、右往左往。やっぱり、この論は次の章だよな。いや、でもこれを先に言っておかないと真意が通じないような。ああ、でもその点はちゃんと書いておけばいいか。ああ、でもやっぱり文脈に沿ってないから唐突だよな。それにしつこいな。とか、そういうことばっかり。
 机のところには、大きく流れを書いて、ここにはあの資料、ここにはあのレジュメと使うものも書いているのに、どうしてこう気持ちよく進められないんだろう。まぁ、そんなものか。
 けれど、こんな生活もあと1ヶ月くらいと思えば、がんばれるさ。ああ、あと一ヶ月なのにゴールが見えてないのかなんて笑わないでくださいね。いつもそうなんですから。。。
 でも、とにもかくにも、今週中に書くぞ。ゴールを見出すぞ。意地でも。とここで宣言してみるのでありました。

追記
あれ、ノートが一冊見つからないよ。数日前まであったのに。
英語のテキストに関するメモ中心のノートだよ。
本棚からあれこれ出しては、その辺に積み上げ、かなり机周囲はヤバイことになってるし。探し物で土砂崩れを何度起こしたことか。あああ、インクも切れた。しっちゃかめっちゃかだ。


2004年11月11日(木)

 久しぶりに鍋らしい鍋を食べた。キムチは入ってないが、味はキムチ鍋でである。ニラ、椎茸、白菜、豆腐、豚肉、ネギ、油揚げなどなど、私にしては久しぶりにいろいろな具材を入れることができた貴重な鍋である。
 ここで肉団子も入れることにした。が、豚と牛の合挽きのひき肉しかない。鳥ひき肉って高い。よく考えたら謎だ。塊の肉は、鳥が一番安いってのに。。。それだけ、豚や牛は塊として売れないところがあるってことなのかな。
 で、その豚と牛のひき肉でつくったら、あれまぁ、やわらかくできた。相変わらずあたしは目分量で調味料を入れる。冷蔵庫に以前肉についてきた豚丼のタレなるものがあったので、それを入れ、味噌などを入れ、生姜、卵、片栗粉、ニラ、ネギなどと一緒に練る。で、なんとなくゴマ油も入れてみた。片栗粉が多かったせいか、このゴマ油のせいだか知らないが、すっげー軟らかく、フワフワにできた。感動。
 ついでに、処分に困っていた乾燥のフォーも入れた。ウマイ。だいたい麺類ってもんは、すぐ食べれるからいいわけなのに、フォーの場合もどすのに1時間もかかる。これを待つのは苦痛だ。よって、なかなか減らないでいた。そんなわけで、鍋に入れるとは、自分としてはナイスアイデア!。完全にもどってなくても、鍋で長時間グツグツしてりゃ軟らかくなるわけで。
 ああ、野菜が高い今、次に具沢山の鍋を食べれるのはいつだろう。。。


2004年11月10日(水) 小さな好きなこと、嫌いなこと

 HP全然いじくってないなぁーと、久し振りに自分のページを眺める。ああ、リンクきれているよとか気付く。つくるのは簡単だが、育てるのは大変という言葉が身に沁みる。で、いじりたくなったりする。完全に論文からの逃避だ。いけんいけん。
 咳が少しでる程度で、風邪の方はだいぶ治った。甘えて休むことなく、授業に出たから治った気がする。そんなもんだ。
 先日、寝ている間に口の中に血が溜まっていたと母が電話をしてきた。すぐに、いつも行く大学病院で検査をして、昨日結果が出たが何もなかったとのこと。一安心。それにしても、この間は肺に陰があるといわれ、今度は口の中に血がたまるって、次々と検査しなければならないことだらけで母も忙しい。去年までは祖父母のことで忙しかったぶん、どっといろいろ出てきたのかもしれん。とりあえず、一つずつしっかり検査して、安心して過ごせるようになってから、次の人生を母には歩み始めて欲しいと思う。そういや、父は痛風になってた。同じ歳のうちの教授もなってた。父の話をしたら、教授は嬉しそうだった。仲間ができると、嬉しいものなのかもしれない。

 ふと思ったのだけれど、日常生活において、小さな好きなことと嫌いなことができていることを発見。米袋から米櫃に米をうつすこと、乾いた洗濯物をもとの場所に戻すこと、アイロンの片付け、乾いた食器をしまうこと、凍った氷を型からはずすこと、麦茶をつくること等々のことが、あたしはあまり好きではないらしい。それに対して、ゴミ出し、洗濯物を干す作業、床の埃などを集めてゴミ箱に入れること、爪楊枝で細かいところを掃除すること、エアコンのフィルターの掃除、牛乳パックの分解?等々は、好きなことらしい。基本的に片付けは嫌いなようだ。


2004年11月09日(火) 介護

 友人からテープおこし&編集の仕事をもらう。専用のプレーヤーでやっているわけではないので、結構きつい。
 で、講演の内容はというと、介護関係のもの。ああ。なんか、あれだなーと。講演の内容は介護に関係したことがある人にとっては、ごくごく当たり前の、基本的な意識の話だよなぁーと。つまり、専門的知識があっても、それを生かすことができるかできないかってのは、その人の意識の問題か?と。で、その意識の問題をわざわざ講演会でお金を払ってまで聞かないとわからない人が、そういう仕事に関わっているのか?と、少しがっかりした。
 思い出したが、母は介護認定や施設でおかしいことがあると、すぐに役所に連絡してた。クレーマーか?と思うほどで、きっと母はブラックリストにのっているよと思ったが、母が役所に通報している内容はもっともなことばかりだった。真冬、年寄りに布団をかけず、二晩おいておくってどういうことよ。なんでそういうふうになったのか説明してくれと母は言ったが、説明なし。内部での連絡ミスならミスで、それがどこでそうなったかわからない限り、また起きるだろうよ。で、母は役所に文句を言い、役所が調査に入ってみたり。母いわく、「この区の介護が良くなったら、あたしのおかげ」。それくらい、役所の人はいろいろ母に言われて動いてくれていた。何度か、うちに謝りにもきたけれど、毎回「これからもどんどん言ってください。利用者からの声が改善に一番つながるので」と、まぁ社交辞令かもしれないが言っていた。
 最初に祖父が入った施設は、車椅子に体を結びつけたり、一見ヒドイことをしていたが、ちゃんと説明をしてくれたし、働いている人たちも、常に入所者に話しかけてて、古くて決してキレイとはいえないけれど、開放的で明るい雰囲気。それが二箇所目の施設は、キレイにして、白いピアノやら、ソファーやらコーヒーカウンターやらつくっているが、働いている人は年寄りの名前すら呼ばないし、昼間は車椅子に座らせて置いたまんまだった。
 ほんと、入るところで差がでるよなと。最近友人のおばぁ様も痴呆が始まり、施設へ入った。入るために世話をしてくれた人は、施設を待っているうちに亡くなってしまった親戚がいて、そのときと状況が似ているという理由から、なんとか早く入れるようにがんばってくれたらしい。こうやって、良い人に出会えることが、介護においてはかなり力になるよなぁと。
 母が常々言っているのは、若い人はともかく、自分の親や家族もみないで、資格とって他人の年寄り見ているなんておかしい。自分の家族をみた人を優先的に、そういう職につかせるべきだ。これはかなり同意。講演会の資料の写真を見ていたら、職員が入所者と一緒に食事をとっている写真があり、「これはいいねぇ」と言ったら、友人曰く、「この写真は、職員と入所者が一緒に食事をしたら、入所者が食事をよく食べるようになったという説明に使われていた。何も言われなければ、自分はこの写真の何がポイントかわからなかったが、わかる人にはわかるんだな。」だそうで、こういう観点が、やっぱり介護したことあるかないかで、変わってくるんだろうなぁと。枡添氏が、自分の親の介護をして、国会議員になることを決意したってのは、よくわかる。やっぱり、介護経験者が頑張るしかないんだろうなと痛感。自分で困ったりしたことがない限り、気付かないことって多いのだと思う。
 けれど、介護したことがなくても当たり前に気付きそうなことができない人が、専門職として働いているのも驚き。施設で母がいろんな人の名前を呼んで話しかけていたら、「そうかぁ、名前呼ぶといいんですね」と職員が言ったらしい。さすがに、そこまでは・・・と思っていたら、この講演会のテープを聞く限り、かなりありえる話だなぁと。専門的知識を得る前に、身につけるべきことがあるだろうよと言いたくなった。で、今回のテープの内容はそういうことばかりで、悲しくなったのでした。
 けれど、まぁ、介護関係の仕事をしている人も辛いところはあるに違いない。家族の意識ってのもそれぞれ違うし。そのギャップの大きさで、悩んでいる人もいるんだろうなぁと。熱心な人ほど、医師との連携以上に、家族について悩むことが多いだろうなぁと、いろいろ思うのでありました。
 


2004年11月08日(月)

 今朝は結局6時過ぎまで眠れず。起きて授業の準備と思いつつ、9時から5分ごとに目覚ましを止め、やっと起きたのは11時。ふえ。相変わらず苦しいし、頭痛がする。薬がたくさん入ったカンを開け、一つ一つネットで調べてどれを飲むべきか悩む。なんて便利になったのでしょう。
 授業後に保健センターで診察してもらう。喘息ではなくて、気管が少し炎症しているとのこと。そんなわけでターゲットの気管支拡張剤などの薬はもらえず。ガッカリ。結局いつもの抗生物質や漢方を処方された。しかし、これがまた効かないんだなぁ。毎回もらっては効かなくて、自分に合う抗生物質もらいに病院に行くハメになる。それはイラネーって言いたいけれど、保健センターのおばちゃん恐くて言い出せない。次に行く時は、診察の時点で薬を持って行って、これ以外にしてくれと頼むことにしよう。
 しかし、外に出ると風邪ってのは熱があっても部屋にいる時よりは動けるもので。なかなかゲンキになった。そして、思わず本屋で手にした本。
『秘儀伝授―エゾテリスムの世界』リュック・ブノワ著
 診察の待ち時間なんかに読んでみたが、面白い。あたしは小説などでさえ、完読できない人間なのだけれど、これは久々に完読できそうな予感。


2004年11月07日(日) 眠りたい

 こんな時間に起きてていいはずがない。午前3時半。あたしは風邪をひいている。金曜日から本格化した風邪。土曜日朝にはかなり良くなっていたが、夕方から再び熱が出る。腹が立つこともあり、怒りと共に体もヒートアップ。夜10時ごろに完全就寝するも、午前4時頃汗が気持ち悪くて起きた。熱は下がってる。着替えて、お湯など沸かし部屋の湿度を上げ、このままいくと、朝起きたら治っているぞと再び寝る。
 しかーし。日曜昼ごろやっとの思いで起きると、熱がぶり返し。ちきしょー。汗で体がキモチワルイので、シャワーを浴び、髪を乾かし再び布団へ。しかし、明日の授業の準備がを終わってねー。布団の中でせこせこテキストを読むも、訳しては忘れ訳しては忘れでいっこうに内容が頭に入ってこない。
 そんなこんなしているうちに、風邪自体は良くなっている気がするが、息が苦しい。ゼェゼェしないものの、確実に気管が細くなってて苦しい。
 とりあえず喘息の発作用の吸入などをする。旅に出る時に、念のため病院でもらっていたものが役立った。他にも貼るお薬などをひき出しをひっくり返して探し、どれを併用して良いのか忘れてるのでネットで調べてみたり。
 で、今ですよ。寝ようとしても眠れないんですよ。気管支拡張剤は、どうやら眠りを妨げる働きをするようだ。そんな犠牲も払っているのに、いまいち苦しさが取れない。さっきから、布団などを重ねて苦しくない姿勢で寝れるようにするも、眠れない。どうすりゃ、いいんだ。テキスト読めば眠くなるかと思いきや、眠くならない上に、相変わらず内容も頭に入ってこない。眠りたいよ。風邪なのに。。。


2004年11月06日(土)

 早速風邪をひいた。ううう。うつされた。諦めて一日寝てた。起きる度に、鼻水ダラダラ→喉痛い→熱が出るってな具合に、いろんな症状が出て来る。以前病院でもらった風邪薬を飲んでひたすら寝た。冷えピタって気持ちい。今回初体験。まる24時間くらい、風邪のために寝ていたら、だいぶよくなった模様。今日一日で完治するといいな。
 今は、寝過ぎてだるいのか、風邪でだるいのかわからずとりあえず起きてみた。鼻水と咳は相変わらずとまらない。喉の痛みがなくなっただけで、随分らくちん。なおったというより、風邪の初期状況に戻っただけって気がしないでもない。
 風邪などひいている場合ではないのだ。たるんでいる証拠。大反省。


・・・・ティッシュ、一日で一箱使い切ってしまったよ。


2004年11月02日(火)

 なんだかここ一ヶ月くらい、生きているんだか何しているんだか、夢の中にいるような現実感の無い日々を送っていた気がする。とことん寝て、とことん堕ちて、這い上がって来たような感覚。で、気付けば論文提出まであと2ヶ月ないじゃありませんか。マジですか???今まで読んだものがどこかへ行ってしまったのではないかと思う程、頭の中は空っぽの日々だった。それが、やっと頭が動き出した。
 先のことばかり考えて、タナトフォビア復活の日々を送っていた。最近この言葉を知ったのだけれど、訳せば死恐怖症。うまく言えないし、説明しようとすると恐怖の感覚が目を覚ますので詳しく書きませんが、まぁ、無とか死とか、無限とか宇宙とかとにかくそういうものを考えたりすると、発作みたいのが起きるのです。小さい頃からあったこの症状。ふとしたことをきっかけに、体の中にうわあああああと、とてつもない恐怖が広がってくる。この症状が、発作であると知り、これも一種の恐怖症なのだと死ってから、だいぶラクになりました。ここ数年、この症状は消えていたんですがね。今年に入って、これが復活して、かなり生きにくくなり、夜が嫌でたまらなかった。
 難しいところで、これが起きると、日常に支障を来たし始める。で、日常に専念できなくなって、発作が起きやすくなるという悪循環。あぁ〜。閉所恐怖症やら、高所恐怖症やらよくわからなかったのだけれれど、自分のこの感覚が恐怖症の一種だとわかるようになってから、なる程なと思う日々。日常のことに追われるのが、これから逃げる一番簡単な方法。というわけで、やっと動き始めた頭を論文に集中させるのだ。


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