度々旅
INDEXpastwill


2003年01月31日(金) 地獄

 今日の日記は、汚いものが嫌いな方や、女は美しくあるべしって方は読まない方がよろしいかも。。。


 風邪気味のあたくしは、早く寝ようとしました。そのときです、地獄がやってきました。もう、喘息で救急車に運ばれたときや、交通事故にあったとき、両国国技館の前で雪の中腹痛で電話ボックスの中にうずくまり、救助されたときの辛さなど、もう比較にもならないくらいの、地獄であります。

 最初は、うげぇ、ちょっと気持ち悪いというくらいで、トイレで吐いてしまえばラクになるかなというかんじだったのですが、それからだんだん腹痛がやってきました。一度布団にもぐりこむものの、腹痛と吐き気がどんどこどんどこ強くなってきます。
 再びトイレに駆け込み、うげぇ〜と。だんだん腹痛の方がひどくなり、便座に座り、便座に顔を向けと交代に便座便座という状況。もう、パンツを脱いだり、はいたりしている余裕はありません。あああ。このまま死んでしまうのではないかしらというぐらい、どこが痛くてどこが気持ち悪いんだかわからない状態。腰にバスタオルをまき、サークルをともにした、ウンコもゲロも掃除をした仲の友人に助けを求めるものの、どうしてもらうわけにもいかず、友人も途方にくれてる状態。時間がたてばたつ程、うごぇ〜、助けてくれぇい!失神したいよ、殴ってくれ!ってなかんじに。
 救急車を呼ぼうかと言われ、しかしいくらあたくしといえども、この醜態を見ず知らずの人に見られて良いほど、女は捨てきれず、「失神したら、呼んでくれ、それまでは女でいさせてくれぇい」とわけのわからないことを、意識が遠のくなか叫んでおります。
 ああ、このまま本当に失神してしまえばよいのに、そうしたら恥もなにもなく、気づいたら病院のベッドの上ってのが良いなぁと思うものの、痛さと気持ち悪さはいっこうにおさまりません。
 なんとか正露丸を飲むものの、それも再びうげぇ〜。何が原因なのさ。と、いろいろ振り返りながら、夕飯に食べたイカと思われ。。。イカおばけがあたしに憑いている!と騒ぎ出し、イカを退治しろぉとのたうちまわる私。これは食あたり?と思い、なんとかはかなければと思うものの、もう胃の中のものは、ほとんど吐き出されており、何もはけない。必死に水を飲んでははき、そしてトイレにすわり。
 上も下もすごい洪水です。ナイアガラの滝状態であります。そんな状態で、1時間くらい格闘のすえ、正露丸が効きはじめたようで、なんとか、布団まで戻ってこれる状態になりました。
 あああ。辛い。辛い。おなかは少し落ち着いたものの、今度は体の関節が痛くなり、マッサージをしてもらいながら、ああ、イカがあたしの体をイカにしようとしている。妖怪イカがとりついたと思い込むわたし。
 暖かい紅茶を用意してもらい、まだ不安なので友人に少し一緒にいてもらっておりました。格闘はじめて2時間くらい後のことです。うぐぐぐ、気持ち悪い。再び、イカが動き始めたようだ。必死に起き上がった時点で、うげぇ。友人が、私にゴミばこを渡そうとするも、何を思ったか友人は、違うあたらしい袋を探し始めた。おい!ゴミ箱でよいよ。それをくれよ!と思うものの、もう口をあけられない状態の私。ビニールが渡されそうなその時、うぼぼぼぉごほ。。。。
 あぁ〜〜。途方にくれる二人。笑い事にでもしなければ、この状況を受け入れられない私たち。。。ごめんよ、友人。一緒にサークルで寝ゲロを掃除したとはいえ、サークルやめてからも、そんなことが続いて。。。
 最後の吐きが良かったのか、あたしはだいぶ爽快な気分で、風呂に入り、すっきりすっきり。布団カバーやシーツをはがして、洗濯をしてくれた友人。本当に、ありがとう。この恩は一生忘れないよ。本当に、忘れないよ。これから、あなたと本当に大切にするよ。と、心の中でつぶやき、何度もお礼。
 友人が、あたしを置いて帰れたのは、朝方4時。イカも、私からいなくなったよう。そして、やっと落ち着いて寝れて、今これを書くにいたる。しかし、金を積むといわれても、もうあの時間には戻りたくない。あの辛さを忘れたくなく、ここに書いているのだけれど、読んでくださったかた、ありがとう。汚い私で、ごめんなさい。とほほほ


2003年01月29日(水) うまくできてるもんだ

 レポートを書き終えて、朝方寝てみたら見る夢は、その内容ばかり。うぐぐぐ。夢が、あんな内容では認めないって言ってる。。。と思い、昼過ぎに起きて直すかぁと思ったら、どうやら風邪をひいた模様。
 同じ授業をとっている仲間と今日は飲み会だったのに。。鼻水はとまる気配はないし、くしゃみもとまらないので、諦める。欠席の連絡をすべく電話をすると、もちろんレポートの話題になるわけで、とっくに出したよといわれ、ちょっと落ち込む。ま、予想したけどさ。
 外にほとんど出ていないこの私がひいた風邪は、決してインフルエンザではないだろうと安心し、こりゃ、飲み会を休んでレポートを直せという指令を夢だけではなく、体まで出しているんだなと、机へ向かう。
 今日の飲み会があるから、今日までに完成させようと思っていたために無理をした体は、風邪をひき、反対にそれによって再び時間を与えられたわけで、結構うまくできているなぁなんて思ってしまった。
 鼻水を垂れ流していたのだけれど、もらったゼナとやらを飲んだらなおった。これって、単なる疲れで本当は風邪ではなかったのかしらん。
 


2003年01月28日(火)

久しぶりの日記だ。ここ一週間くらい、一日学校に行った以外社会と触れておりません。あ、テレビなどは別で。それも、これもレポートのせい。あああ。やっと今、一応書き終わりました。
 なんだか、結局レポートなどは、事前に準備し初めても、なかなか盛り上がらず、気持ちが盛り上がるのは、提出間際で、しかしそのときには、もうそれで改めて書き直すほどの、時間も気力も体力も無い状態だ。
 だから、なんとなく書き終わっても、まだなんか、吐き出せそうだし、もっと整理できそうだし。。。と、思ってしまう。
 そういえば、国語系がまったく駄目だったにも関わらず、受験生のときになぜか小論文は得意だった。ああ、文章を書くって本当に体力いるのねぇと思った。しかし、その頃に比べて私の文章力が上がっているのかわからない。寧ろ、未消化なものがたくさんありすぎて、何も書けなくなっているような気もする。
 うぬぅ。これは、どうにかしなければと思いながら、今回のレポートを書いていたけれど、あの頃のような書けた!という解放感が得られない。となると、これはまだまだ練った方が良いんだな。あああ。
 


2003年01月21日(火) 時間を食い潰す

 あたしったら、天才なんではないかしら。。。時間を無駄に使う才能ありすぎ。。。怖いくらい。「ちょっと時間があまったから、君消化しておいてくれよ。」なんて、仕事があったらならば、これぞ天職ってかんじなのではなかろうか。

 レポートを書くために、机に向かったものの、結局一文字もかけず。ぁぁぁぁ。日割りでいくと、締め切りまで、一日3枚書けばどうにかなります。しかし、今日をつぶしてしまったために、一日3枚以上書かねばならなくなりました。間に合うのでしょうか。いや、間に合わせねばならないのですが、どうしてこう、時間は内容あることしてないのに、すすんでいってしまうのでしょう。

 暇という言葉は、私には当てはまらないようで、何もしていないときでも、時間が経つのが遅いなぁなんて思うことはありません。やっぱり、ある意味これは才能ではなかろうかと。しかし、そんな才能は、入院でもして絶対安静という状況以外は、役立たないような。そういや、入院しているとき、毎日あっという間に時間がすぎていたよ。検査も何もなく、ただベッドの上にいただけなのに。

 こんなことを思い出して、この才能を生かす方法を考えているこの時間も、やっぱり無駄に過ごしているような。


2003年01月19日(日)

 ここ最近の生活といえば、人間ってこんなに寝れるのね。。。体内時計って本当にあるの?ってな具合であります。

 以前は朝方寝たとしても、日が出ている間に起き上がり活動していたはずなのに、最近ではいつもお日様とすれ違いのような。だからといって、夜寝て朝起きても、寒いよ〜と再び布団にもぐりこみ、気付けばお日様はやっぱりどこにもいない。。。

 原因を少し考えてみたのです。そして、寒いのがいけないのではないか?と。寒いと、私はすぐにお風呂に入ります。それでもやっぱり寒くて、今度は毛布にくるまります。それでも寒いと、たたんだお布団を再び敷きます。そして、もぐりこみ、本を読んで、あれれれれと。

 ああ。困ったちん。お日様、もう少し仲良くなりたいよ。とほほほ

 

 


2003年01月15日(水) 意見を述べる

 時々、自分の意見を言うのが怖くなる。自分が学んでいることを考えると、いやぁ、こんな学問やっているのに、それはいけないことなのだけれどと思い。けれども、こんな学問やっているがために、反論もたくさんあるわけで、ますます自分の意見とやらを言うのが怖くなる。

 けれども教えられたことを、そのまま鵜呑みにしてしまうような年でもないわけで、時々ガンコに相手に反論をしたくなることもあり。しかし、影響されやすい私は、反論すると同時にオルグられることも多々あり。いかんね。

 自分が意見を言うときは、常に攻撃されることを想定するわけで、しかし攻撃に耐えうるような主張をつくるってのは、本当に難しいことだなとひしひしと感じる最近。けれど、反論に値もしないと足蹴にされるよりは、論駁してやるぞという気持ちを起こさせることができるのならば、それはある程度の形にはなっているのだろうなと思ってみたり。

 いろいろな話をするたびに、軽々しく意見を言うことができる年齢ではなくなったんだなぁと思わされる。何かにコミットして、自分の力で考え自分で学び、それからしか何も言ってはいけないんだなぁとも思ったりして。それにしても、軽々しく「あれは駄目だよ」と言ってしまう人の多さにも、驚いたりして。

 多くのことは、簡単には答えは出ないはずで、だからこそ答えというか意見は分かれてしまうわけで。まぁ、あんまり多くの問題に対して手を出すわけにはいかないので、自分の身の回りの問題、自分の専門分野だけでも、せめて堂々と自分の主張を言えるようにならねばと思うしだい。


2003年01月14日(火) 布団を干す

 昨日は腹痛のため、一日中布団の世界へ。腹痛。。。よく、起きるのです。まるで小学生のようだ。何でも食べるのに、急に腹痛になる。それにしても、昨日のはすごかった。インドで水を飲んでも、あんな風になったことなかったのに。。。

 というわけで、今回の連休はなんだか寝ているうちに終わってしまい、どうやら毎日暖かかったようで、それなのに洗濯をすることができず、布団も干せず。とほほほ

 挽回すべく、徹夜して、朝ベランダの氷が溶けてもいないうちから、洗濯物を干し、ついでに布団も干した。東向きの私の部屋のベランダが日が当たる時間は、午前中の前半のみ。気温が暖かくなったころには、お日様の光はどこかへいってしまった。よって、今度は西側のアパートのローカ?に布団を移動。

 お昼ごろには、布団はふかふかになり。そして、お日様のにおいとあたたかさを含んだ布団へと、再びもぐりこんだのでした。


2003年01月12日(日) 仲間

 土曜日に実家へ帰り、少しいざこざがあった。いつものことだけれど、こういうことは、やはりこたえる。

 金曜日の夜に、大学時代の仲間の一人から1年ぶりくらいに連絡があった。そして、土曜の夜には、他の一人から電話へ留守電があった。

 まるで、彼らは私が落ち込むことを知っていたかのように、うまいタイミングで私を思い出し、別にどうでも良い話をするために、連絡をよこしていた。しかし、その電話によって、私には彼らがいるという安心感をもたらしてくれた。特別何かを話すわけではないけれど、互いの存在確認のみによって、ただ安心させられたり、支えられたりする。このような仲間がいて良かった。

 未だ一緒に大学に残っている友人は、今年論文が書けずじまいで、途方に暮れていた。いつもの通り、基本的に私はほおっておいた。一ヶ月の間数回メールを送ったが、彼女からの返信はなかった。そして、やっと数日前に返信があり、生き返ったらしいので、会った。

 彼女が言うには、私からのメールのタイミングのよさに驚いたという。短いメールなのに、彼女が思っていることとぴったり合っていて、それはもう、私が彼女が何を今考えているのかがわかっているかのようだったというのだ。そして、「あんた、すごいよ。助けられたよ。」と言ってくれた。

 私が何の気なしに送ったメールは、彼女を助けていた。それも、別に彼女のことを思って書いた内容でもない。そして、今回仲間からの私への電話も、別段私のためにかけてきた電話でもない。

 でも、根っこでつながっていた仲間というのは、こういうものなのかもしれないと思った。そして、こういうものだから、やっぱりこの人たちは、大切な仲間なのかもしれないとも思った。

 


2003年01月10日(金) 反省文

 日本語は、やっぱり難しい。というよりも、あたしの日本語能力のなさが、ひどいのだ。

 だから、ただでさえ日本語下手な私が、案に誰かに何かを伝えたいと思って文章を書いたり、言葉を発したりするなんて、やめた方が無難なようだ。伝えたいことは、直接相手に、伝えなければ駄目だな。

 ちょっと、反省したのでした。


2003年01月08日(水)

 リアル感が乏しいまま、生きていると、時々感じる。けれども、そのリアル感というものが何かわかっているわけではない。ただ、こういうものだろうと勝手に思っているだけだ。

 何らかのリアル感を要求されながら、日々を過ごしている。その要求されているものとは、何なのであろうか。それこそ、虚像に過ぎないのではないだろうか。

 私自身が今いる、感じている、リアル感がないと感じている、それこそが、リアルなものであり、それを反省し続けることは、単なる無限後退に陥るだけに違いない。一度反省してしまうと、それは反省以前より薄い感覚、概念になってしまう。ならば、反省などしなければ良いではないかと思うのだが、そうもいかない。生きていて、何かを考えている限り、反省は付随してしまう。

 無限後退に陥らないためには、どこかに確信を持たなければならない。その確信は、私が今ここにいる、私は私を見つめている、自分を信じている、自分に対する信頼、自分への信、と、再び、確信のない信の無限後退に陥ってしまうようだ。

 果たして、信とは基礎付け可能なものなのであろうか。普遍的であり、永続的な基礎付けは結局のところ、無理なのではないだろうか。


2003年01月06日(月) 気持ちの垂れ流し

 大人な行動がとれない私は、怒りやイライラは別として、嬉しい楽しい悲しいなどという気持ちを、出さずにはいられない。それでいながら、その気持ちを打ち明けた相手に、一緒に悲しんだり、喜んだりされてしまうと、心地悪い。まぁ、その相手の反応の度合いにもよるのだけれど。

 世の中には、他人に生じたことに対する喜び好き、心配好きな人がおり、喜び好きはまだ良いのだけれど、心配好きってのは、案外厄介なものだ。明らかに、あなた心配しているという、そういう自分が好きなんでしょと言いたくなるときがある。そんな、人のことばかり心配したり悲しんだり喜んだりして、世の中全部をしっかり引き受けて生きていけるなんて、それは尊敬に値することなのかもしれないけれど、あたしはそういう相手が苦手なのだ。

 思わず自分の喜びや悲しみを言葉にして伝えてしまい、相手がそれに過剰に反応すると、あれ、あたしはあながた思う程、そんなに喜んでいないし、悲しんでいないのではないかと思ってしまうのだ。素直でなくて、ごめんなさい。

 そんな私は、相手がいつもと変わらずに、あたしの感情を適当に受け流してくれると、本当に安心するし、心地良いし、後から自己嫌悪に陥らずにすむので感謝する。そうなのだ、自分の気持ちを垂れ流しながら生きている私としては、相手にいつまでもその時の私の気持ちを考慮されて接っされると、ホントごめんなさい。あたしが、自分の気持ちを発してしまったばかりに。ホントあの時だけなの。今はもう平気なの。あの時だって、ホントではなかったかもしれないし。と思ってしまうのだ。

 


2003年01月05日(日) 日常

 よく考えたら、冬休みなんてあっという間で、気づけば学校が始まるのは目の前で、正月気分なんて結局の所味わえなかったのではないかと思いつつ、正月気分ってなんだ?と思い返しながらテレビを見れば、サザエさんの家は、賑やかに、これぞ日本の正月という雰囲気で、ああ、こういう正月を送ってみたいものだと心から思い、しかしこんな正月は日本のどこかに果たして残っているのだろうかと疑問に思っていた、今日であります。

 やっぱり、祭り気分はクリスマスから大晦日までのようで。そして、元旦になった途端に、ああ、とうとう年が明けてしまったと、毎年毎年現実へ引き戻され、憂鬱な気持ちで過ごしているような。

 年が新しくなったところで、時がだいぶたったわけでもなく、去年のテキストの続きを今年見たところで、やっぱりわからない所はわからないわけで。結局のところ、平坦な日常は断絶などなく続いているのだなと改めて実感。しかし、それでも良いのです。断絶はなくとも、日常の旅路に突然現れる山や谷は、充分に私を楽しませ、苦しめ、やっぱり日常は平坦ではないかもしれないと思わせてくれるのですから。

 


2003年01月04日(土)

 とっくに新年も明けたわけですが、なんだか、大晦日からあっという間に時間が過ぎてしまい、あれ〜あれ〜というかんじで、日記を書いておりませんでした。

 さて、大晦日は雪の中高尾山へ登り、がくがく震えながら頂上でラーメンをすすったのは良いけれど、楽しみにしていたコーヒー豆を持って行き忘れ、沸かしたお湯は手を温めるだけの働きを。。。そんなドジを踏みながらも、おみくじで大吉と出て、前回引いた凶はもう期限が切れたのねと喜んだしだい。しかし、雪のため結局、ご来光は拝めず。また来年だな。

 そして、元旦はぐーすかぐーすか寝て、翌日実家に帰り、おじいちゃん孝行。でっかい観覧車に乗って、お〜富士山!と感激。

 3日、再びアパートへ戻り、大学の友人がなぜか沼津からやってきて、駅で私を待ち、アパートまで車で送って去って行った。おい、会っていた時間は15分にも満たないよ。

 と、そんなこんなで、バタバタと時間をすごし、正月なのかそうでないのかよくわからず、ただ、毎日雪が降っていたような。


 さて、今更ですが、今年の目標はといえば、友人からの年賀状に書いてあった、「あなたにとって、不愉快な一年になりませんように。」が、ふさわしいような。周りにやさしい気持ちで過ごせたら良いなと。そして、大好きなものが増えることを祈っております。


こげんき |MAILBBS

↑エンピツ投票ボタン
My追加