度々旅
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2003年02月28日(金) 午前中

 昼間の生活に慣れたのは良いけれど、昼間に本を読むってのはなかなか集中できないものだ。すぐに他のことが気になったりしてしまう。駄目だなぁ。
 昔から感じていたのだけれど、午前中ってのは短い。けれど、午前中に何もしないですごすと、なんだかもう一日の半分以上を無駄にしたような気持ちになってしまう。これから挽回可能な時間はたっぷりあるのに、ああ駄目だぁ。明日から頑張ろうなんて思ってしまう。いけない。いけない。
 しかし、高校までは、午前中に授業を4個もやっていたわけで。午前中をかなり濃密に使って、午後はお気楽に過ごしていたわけで。きっと、あの習慣から午前中に一日にすべき大概のことを済ませなければならないというような、脅迫観念が植え付けられてしまったのではないかと思う。。。
 一日のスタート時間が、あの頃より遅いのだから、午前をうまく使えないのはしょうがないのだけれど、もう少し有意義に過ごせるようになりたいなぁ。


2003年02月26日(水)

メルヘンの国と思って出かけたら、ディズニーシーって冒険の国だったのね。。。ちょっと、怖かった。歳のせい?アトラクションに乗るたびに、こえぇよぉぉぉというかんじだった。
 あのミッキーたちと写真をとるとき、彼らにはマニュアルがあって、子供が最優先なわけで、子供が多いと一緒にとってもらうには、頑張らなければならないけれど、そういう気力のない私は、あんた誰?ディズニーのキャラ?というようなやつとしか写真をとってなかった。
 そんなふうにキャラとの写真をとり子供心を思い出そうとするものの、なんとなく給料のことだとか、こいつはバイトか?とか、建物のカーテンの奥は事務所?などと裏を考えてしまうもう大人な自分。
 ディズニーキャラの有名どころでは、一番愛想のないプーが好きなわけだけれど、ショーにもいないし、歩いてもいない。
 しょうがないので、これで我慢した。







プーの親子??



2003年02月25日(火)

 これと言って書くこともなく、毎日淡々と過ごしております。何も予定を入れない生活ってのは、すばらしいなぁなどと思いながら、しかし心の中はあれもこれもやらねばとあせっているような。
 
 明日は、メルヘンの国へ久々の挑戦です。ここ何年か、メルヘンの国は医者に禁止されてるなどとほざいて、そういう場所へのお誘いを断っていたのだけれど、急に行きたくなった。明日に備えて早く寝ようと思ったら、今夜に限ってなかなか寝付けず。まるで、遠足前夜の子供のようだ。


2003年02月24日(月)

 朝起きて、夜寝るという、ごくごく当たり前のことが、体を壊して以来続いている。けれど、昼間の時間の使い方というのを、どこかへ忘れてきてしまっていたようで、なんども何もしない間に、時間が過ぎているような気もする。
 何かをするってことは、量ではかれるものではないけれど、量ではかれたら、ラクチンなのになぁと思う。

 それにしても、今日は寒いぞ。


2003年02月18日(火) 彼がいなくなった日から

 自分を振り返るときに必ず思い出す人がいる。彼とは小学校で一緒だった。違う中学に進んでからも、道端で私を見つけると大きな声で遠くから呼んでくれた。
 高校2年の今ごろ、彼はバイク事故でいなくなってしまった。一週間意識不明の状態が続き、そのままいなくなった。私はその間、毎日毎日病院に通った。たぶん、見舞いや心配という気持ちよりも、彼の事故に対し、あまりにもリアル感がなく、病院へ通うことによってそれを感じようとしていたのだと思う。病院では、私が知っている友人や彼の中学以後の友人が毎日ロビーにたむろっていた。私は、中学以後、彼と特別に親しくしたわけではないが、親同士が仲良かったというためか、彼の親にまるで私が彼の恋人のような言葉をかけられていた覚えがある。「大丈夫だから。君を置いていかないから」と何度も言われた。その時、申し訳なさでいっぱいだったのを覚えている。
 彼がいなくなった日、それを病院で彼の父親から皆に伝えられたとき、みんなが一斉に泣き出した。自動販売機を殴りつけるものもいた。私はうずくまりながら、必死に泣こうとしていた。そんな皆に対し、彼の小学校以来の親友が涙を流さずに冷静に言葉をかけていた。私に対して「立てよ」と言った彼の声を今も覚えている。いなくなってしまった彼は、その親友に会いにバイクで家を訪ねたが不在だったため、自宅へ戻ろうとしたその帰り道で、事故にあった。たぶん、その親友はそこで泣いて暴れていた誰よりも悲しみを持っていたであろう。その彼が冷静に振舞っている姿によって、私は余計自分のリアル感の乏しさや、皆の暴れている姿を「映画みたい」と思ってしまった自分のひどさを思い知らされた。
 さすがに、もう息をしていない彼と会ったときは、涙が出てきたが、その後も必死に彼はいない。彼はいない。これは現実なのだ。私は、私の友人を一人なくしたのだと自分に言い聞かせ、必死に悲しもうとしていた。

 あれから、だいぶ時が流れた。今でも時々彼の家に遊びに行く。彼の写真は、いつまでも10代のままとまっている。その事実によって、私は自分に流れているときを感じ、そして彼の時が止まっていることを知る。それを思い知らされるたびに、私は私の人生を振り返り、彼の止まった時と比較する。彼には流れなかった時間が私にはある。彼には流れない時間が、これからも私にはある。私は、私に流れる時間を生きなければならない。
 時間がたてばたつ程、私に流れる時間と彼に流れた時間の差が大きくなればなる程、彼がいなくなってしまったという事実を実感し始めている。そして、それを実感するたびに私は私に流れる時間を無駄にしてはいけないと思いしらされるのだ。


2003年02月17日(月)

 春という季節が苦手だ。陽気は心地よくて好きなのだが、春特有の雰囲気がどうも駄目だ。2月の終わりから、5月の連休くらいまで、なんだか心地悪かったり、寂しかったり。変化が大きな時期というのが、駄目なのだ。
 今年の自分は、特別な変化はなく過ごすこの季節だが、それはそれで自分だけ置いてけぼりをくったような気持ちである。だからといって、自分に変化がある時のこの季節はもっと嫌いなのだけれど。
 3月は、お別れがあって寂しく、4月は新しい風と、やる気が満ちている周りの雰囲気に戸惑ってしまう。9月が年度始めだったならば、春に対する感じ方もだいぶ異なっていたのではないだろうか。もっと素直に、春を楽しめたのではないだろうか。そんなことを思ってしまう。ついでに、入学試験もこんな時期ではなく、夏真っ盛りだったならば、辛さや苦しさが半減するんではなかろうかと思ってしまう。
 そんなことを考えていたら、サークルの時の仲間からの電話。おい、勢いで結婚して1ヶ月で離婚するなよ。それも、母親以外の家族に結婚したという事実も内緒だなんて。。。相変わらず、自分の人生かけて笑いをとっているなぁとある意味感心してしまった。そして、学生の時と変わらぬバカをやっているけれども、仕事もして自分の人生を楽しんでやりたいことをやって生きている貴方はすごいとつくづく思い、元気をもらったのでした。


2003年02月15日(土) 散歩

 天気が良かったので、隣の駅まで歩いてみた。途中までは行ったことがあったのだけれど、道がカーブになっているので、その先が見えていなかった。だから、隣の駅まではもっと距離があるのだろうと思っていたら、なんだそのカーブを行ったらすぐだったのね。
 目的なく歩くのは結構好きだ。昔は、親とケンカするとよく歩いていた。夜、土手を腹をたてて歩いていると、どうして自分が腹を立てていたのか忘れてしまう。母親の実家に帰ったときも、駅で親とケンカし車を降りた。祖父の家から近くの駅まではいつも車だった。だから車を降りた時、しまった・・・と思った。祖父の家までの道がわからない。車から見ていた断片的な景色を頼りに、犬と夜の道をてくてく歩いた。
 間違って、港に出てしまったり、有料橋に出てしまったり。犬の帰省本能ってやつに頼ろうとも思ったけれど、犬が選ぶ道はことごとく間違っているし。。。知らない夜道は少し怖かったので、横断歩道に置いてあった、黄色い旗を勝手に拝借し、それを振りながら歩いていた。途中、車から知らない男の子たちが声をかけてきたけれど、その旗をふってみたらどこかへ行ってしまった。ああ。なんで財布も携帯も車の中に置いてきてしまったんだろう、っていうかなんでケンカしたんだ?と思いながら、歩き続け、祖父の家にやっとの思いでついた頃には、すっかりケンカの理由は忘れていた。
 私が迷子になっていた間、親はさすがに数時間帰ってこないし、夜だし、知らない場所だしということで、駅から祖父の家までの道沿いにある交番に、あたしと犬が通らなかったか聞きに行ったらしいが、いい年した人間が迷子ってことはないだろうと笑われたらしい。そりゃそうだ。
 そんなことを思い出しながら、昼間の腹を立てていない散歩もなかなか楽しいなぁと思うのでした。
 


2003年02月13日(木)

 別にバレンタインデーだからというわけでもなく、ただクルミをもらったのでクルミチョコケーキをつくってみた。Topsのチョコレートケーキを目指したのだけれど、あれってスポンジにクルミが入ってた?そうだったような気がしたので、一応そうしてみたのだけれど、なんとなく違う。うむぅ。やっぱりプロのようにはいかんな。
 ついでに、欲張っていつもよりスポンジを大きくしてみたら、クリームが足りなくなり、バランスが悪い。








というわけで、こんなかんじの出来上がり。むぅ。


2003年02月10日(月)

 バスに乗ったら、後ろの席のおじさんが、何かのおまじないのように、両手を合わせ指を交差させては離すということを繰り返していた。どうやら、決まった回数があったようで、一生懸命やっていた。それが終わったら今度は口をパクパクと鳴らしていた。これも決まった回数があったようだ。
 ご飯を食べようとお店へ入り、席へ案内されたら、隣の席で一人で黙々と食べていたおじさんが、急に見えない誰かと交信をはじめた。おじさんの話をまとめると、いや、まとまらないや。聞き取れたのは、裁判に負けた。小泉が終わったら消費税が上がる。夢で見たとおりだ。前科18犯なのだから、すぐに戻るにきまってる。菅直人はたたけばホコリが出る。というなんとなく興味そそられる内容なのだけれども、何せ見えない誰かとの交信なので、うまく聞き取れなかった。
 そんなおじさんたちがいると、よく交信の相手をさせられることが多いのだけれど、今日はさせられなかった。ちょっと安心したけれど、物足りない気持ちもした。


2003年02月09日(日)

 すぐに病院に行ったのが良かったようで、熱は昨日すっかり下がり、今日の朝はとっても気持ちが良い気分で起きれた。2月に入ってからずっと体調が思わしくなかったので、今日みたいなすっきり気分で体も軽いのは久しぶりのような。おまけに、春みたいな陽気。なんだか、それだけで幸せいっぱいの気持ちでありました。
 すぐに布団を干して、洗濯をして、窓もドアも開けて、風邪に侵された部屋に外の空気をたっぷり入れて、なんて気持ちが良いのかしらん。
 今日は、春だねぇ、気持ちが良いねぇ、幸せだねぇと何度言ったかわからない。昼過ぎから買い物がてら散歩をし、外でぼーっと過ごしてみたり、幸せついでにケーキを買ってみたりと、もうなんともいえぬ幸せ感をかみ締めてすごしておりました。
 いやいや、健康ってのは本当にありがたい。自分の体を少し粗末にしていたことを思い知らされた最近。ごめんね、あたしの体くん。これからは、気をつけるよ。


2003年02月07日(金)

 木曜日、鼻水がとまらずティッシュを一箱使いきってしまった。鼻炎?風邪?もしかしてインフルエンザ?などとびくびくしながら、一応家にあった薬を飲み寝ようとしたら、頭を壁にゴチンと打ち、もともと少しあった頭痛が、ずきずきと。。。なんだか、とっても寂しく悲しい気持ちに。イカ事件以来踏んだり蹴ったりだ。
 金曜日、午前7時熱をはかると、35.7度と平熱。おおお。良かった良かった。けれども、頭痛がするのでも少し寝てみた。すると、9時に熱は37.0度。なぬ?10時に37.8度・・・・。うううう。風邪あるいは、インフルエンザ確定!恐ろしい。
 いつもは、ここで寝て直そうと頑張るのだけれど、インフルエンザかもしれないと思ったら恐ろしく、即効病院へ行った。
 風邪ですね。という先生の言葉が信じられず、特効薬がないからそんなこと言っているんではないのか?と思い、何度も念を押したが風邪だと言われ、「ヨカッタ」と喜んでみたら、インフルエンザが流行った年の風邪も、かなりのものだよと言われた。普段風邪をひくと、喉と気管が真っ先に痛くなるのだけれど、その症状がないので嬉しいなぁと思っていたら、先生は、「これから喉痛くなるから」とか、「これから熱がガンガンあがるから」と。ううう。
 ちきしょうめ。イカ以来、半絶食状態が続き、体が弱っているところに今度は風邪か。頭の打ったところもまだ痛いし。これも、節分に豆を撒かなかったからかもしれない。今更ながら、豆まきが非常にしたくなってきたのでした。ぐぅぐぅ。


2003年02月03日(月)

 旅先で現地の家族というものに触れると、いつも考えるのが、この家族が私を受け入れてくれるように、私の家族が彼らを受け入れることができるのだろうかということだ。そして、無理だな。。。と思う度に、悲しくなる。私の実家は、何かずれてしまっているような気がする。それが、なぜなのか、どうしたらそのずれはなくなるのかがわからないのが辛い。
 祖父が先日倒れ、痴呆は悪化した。祖父を世話する父や母の姿を見ながら、彼らが今の祖父と同じ状態になることがいずれはやってくるのかもしれないと思うと、ぞっとする。それは、彼らの世話をしなければならないということではなく、彼らが祖父のような状態になる前に、私は何か彼らを喜ばせるようなことができるのであろうかという不安のようなものだ。
 幼い頃の家族写真は、そのときにも何か家族の問題を抱えていたのかもしれないが、私の目にはズレが見えない。だから、もしかするとあの頃が一番父も母も幸せであったのかもしれないと感じてしまう。私が年を重ねれば重ねるほど、私の目に映る親の姿、特に母の姿は辛そうなものばかりだ。
 そして、私自身は年を重ねれば重ねる程、ますます勝手になり、親に対して何らかの喜びを感じさせてあげられるような生き方からどんどん離れているような気がする。本当に申し訳ない。
 祖父は、今88歳ではあるけれど、ここ10年は長生きしたことによって悲しみや苦しみばかり背負うはめになってしまった。私の両親が、同じようにこの先、そのようなものばかりになってしまうのではないかという不安で、時々どうしようもなくなる。
 でも、親に対する不安や悲しみのようなこの何とも言えない気持ちは、結局のところ私が、自分で後で後悔したくないという、自分勝手な思いなのかもしれない。本当に彼らに笑顔を運ぼうと思ったら、簡単にできるのかもしれない。私が、私の勝手な生き方を前提に考えているから、何も方法が思いつかないだけなのかもしれない。そう思うと、ますますごめんなさいの言葉しかないのだけれど。。。


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