度々旅
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大好きなものが、今年もたくさん増えた。私の周りのすべてに感謝。去年の今頃は、スタート地点にも立てず、ただただ崖っぷちにいる気持ちばかりで、周りに対する感謝と、愛情に欠けていたような気もする。でも、崖っぷちだと思っていたのは、私が勝手に思っていただけだ。崖から落ちたところで、終わりになってしまうことはない。崖から落ちたら、また新しい場が開けるのだから。崖を上っても、そこから落ちても、常に場は開けているはずなのだから。
過去の場でも、新しい場でも、そこで得たものを、ぱくぱく食べ、力にして前に進みたいと思う。それが、本当に前なのかは関係ない。私が前だと思えば前なのだから。
何よりも、私自身が「思う」ことが大切なのだ。だって、これは私の道なのだから。ただ、できる限り人を傷つけない、そういう道を歩きたいとは思う。でも、きっと、大好きなたくさんのものを傷つけながら、歩いている私。傷つけながらも、この道でしか歩けない私。人を傷つけてしまってまで作った道だから、私は責任を持って歩かなければならない。
毎年毎年、年の初めには予想もつかないようなことがやってくる。この予想もつかないことが、私自身には、とても素晴らしいものとなる。もともと完成予定図などない、私が描く大きな絵は、一本のエンピツで描いているにも関わらず、ふとしたはずみでひいた一本の線によって、次にエンピツの先を置く場所が決まったりする。それが、毎回楽しい。何ができるんだろう。どんな絵を私は描こうとしているんだろう。自分に対し、わくわくする。あまりにも大きな画用紙は、どこまで続いているのかわからないから、時々前に描いた線を見て、あれ、この線邪魔だなと思う。けれど、もうそれは消せない。ただ、その線をいかにして生かすか、生かさなければと、時々昔の線に夢中になる。
そうやって、何かの刺激で、広い画用紙の新しいところに出て行っては、戻ってきてのくりかえしだ。エンピツで書いた線という、私の生きている道は、そうやって絵を完成させている。そのエンピツで、たくさんの大好きなものを描いていきたい。大好きな線ができると同時に、好きではなくなってしまう線を、大好きな線で飲み込んで、新しい絵にしてあげたい。
たくさんの大好きなものが、今年も増えた。愛しいたくさんの人とものに、感謝を。感謝の気持ちを抱えることができる、今の私の平和なときが、世界にも訪れることを祈りつつ。
みなさまも、大好きが増えますように。来年もお付き合いをお願いいたします。
夕方、駅で、友人と待ち合わせ「おなかがすいた」と言われ向かった先は、スーパー。そして、試食コーナー。
そして、そのついでに買い物もしようとしたのですが、お正月値段と申しましょうか、いつも手に入るよりずっとお高い値段で肉やら魚やら野菜が売られております。こうなうると、困ってしまいます。で、ぐるぐる回り、夜になってまたくることに。
そして、夜再び行ったわけですが、これまた値段が下がっても、やっぱり普段よりお高いわけです。というか、高い食材しか置いてない???うぐぅ。年始年末は、普段と同じように生活しようとしても、自然とお金が出ていく仕組みになっているようで。とほほ。
さて、今、今年を振り返るか、明日振り返るか悩みながら、こんなことを書いているのですが、ちょっとぐらい今日も今年を思い返してみようかと。かと。かと。。。 あれ、あたし今年は、台湾、インド、ネパールって行ったんだ。すっかり、遠い昔のような。それでいて、一年はすごく早かった。なのに、ひとつひとつの記憶が、薄い。悲しい。旅に出ても、それを一番に楽しむことができなくなってる。しょうがないといえば、しょうがない。あたしのfirst priorityとすべきことは、今、ほかにあるのだから。それは、嬉しいことであるし、幸せなことであるけれど、実際のところ、それでもがいているのが現状。もがいて、もがいて。どこへ、いくやら。
掃除。掃除。せっせと、掃除。この大掃除なるものが、大好きだ。日頃、見て見ぬふりしていた所まで、歯ブラシや割り箸を活用し、掃除。
ぴかぴかになったお風呂に入り、ぴかぴかになった、台所に立つのは楽しい。けれど、やっぱり壁紙はだいぶ汚れているのよね。一人暮らしの部屋なんて、全てのことを一つの場でやるわけなので、いろんな汚れがついている。壁紙用の洗剤を使っても、なんだか、気休め。ああ。
とはいえ、だいぶ綺麗になったので気持ち良く過ごせるぞ。
さて。去年は、少し正月料理なども作ってみたのだけれど、今年はやる気が出ず、やめ。だから、あとは年賀状を出せばよいのだな。年賀状。あああ。さすがに、そろそろ書かないと。
ちょっと、面白いアルバイトをさせていただいている。普段の生活が、豊かになるようなアルバイトなので、お仕事をくださった方に、非常に感謝している。そのお仕事で、今まで行ったことがない場所を、ふらふらと歩いた。
そうそう、いつもならば、ふらふら、ぼけ〜、と歩き、時々この木はなんだ?帰ったら調べようと思い、そして結局忘れてしまう。しかし、今日はわからないことをすぐに教えてくれる先生が横にいて、普段歩いている時の何倍ものものを見れ、感じ、知ることができた。
基本的に歩くのは嫌いではない。ただ、時間制限があったり、きっちりコースが決まっているような歩き方は苦手。ふらふら、思うがままに面白いものを見つけながら歩いたり、無目的に夜ふらついたりするのが好きなのだ。そして、今日の歩き方は理想的な、ふらふらの仕方であった。
となると、今日一緒に歩いて下さった方は、私のふらふら歩きの師匠?それは、素敵。
父親からの実家に正月に帰って来い電話によって、かなり暗い気持ちだ。もう私にとっては、実家で正月や元旦というのは、トラウマを抱えた状態なので、嫌で嫌でしょうがない。
せっかくだから、数泊しろと言われたため、ますます帰りたくない。 生まれてこのかた、まったく楽しい正月、罵倒や涙を見ない正月ってのを味わったことがないので、一年で一番嫌いな時なのだ。
あぁ〜。正月なんて、なければよいのに。
そういや、年賀状も作っていないわ。あああ。面倒だ。困ったな。クリスマスが終わってからの10日くらいは、毎年、地獄の気分だ。この10日は、とっても短いはずなのに、気持ちの面ではいろいろなものが詰め込まされるようで、それについていけない。
相変わらず飲んだくれの日々であります。ああ、今年ほど毎夜毎夜飲み歩いているのは、初めてなのではないでしょうか。
テレビをつけてみたら、くりすますくりすますくりすますであります。そして、あと24時間ほどたつと、正月正月正月になるんだろうな。変なの。25日が終わった途端、CMがいっせいに変わるのは、この国くらいなのではないかしら。
今年最後の運だめし。母からの指令もうけ、競馬場にいざ出陣。そして、敗退。ふえぇ。勝ったならば、その後新宿にでも繰り出そうと思っていたけれど、しょうがないので府中の酔いどれどもが集う居酒屋で、ビールをぐひぐひと。ここのところ、毎日飲んでおります。
帰りの電車にて、寒いので開いている窓を閉めようとすると、おじさんに「換気中だから、閉めては駄目だよ。」と言われた。おじさんは、電車のエアコンから出ている空気が汚れていると保健所にまで文句を言いに行ったけど、相手にされなかったとこぼしていた。そんなおじさんのカバンから、競馬新聞が見えた。 「勝った?」 「勝ったよ〜〜!!」 と答えるおじさん。話を聞けば、有馬で数十万円稼いでいた。うぐ。すげぇ〜。そんなおじさんは、カバンの中から「競馬」「年金」と表紙に書かれた、二冊の厚い書類を出した。「勉強しなきゃ駄目だよ」と言いながら見せてくれたその書類には、オッズ表やら、いろんな分析文章やら、綺麗にファイルされていた。日曜日に競馬をやって、月曜火曜と、その分析を毎週毎週やっているという。そりゃ、元気だわ。その65歳になる、おっちゃん?は「俺なんか、もうすぐ死んじゃうんだから、どうせ。あと、30年もしたらさぁ。だから、若い人たち頑張ってよ」と言い残して去って行った。30年。。。まだまだ、生きる気じゃないの、おっちゃん。
子供ってあまり好きではないのです。でも、たぶん自分に子供が出来たら、とんでもなくかわいがり、かわいさ余って、いじめてしまうのではないかしらとも思っております。
で、その子供なのですが、なぜだか、電車の中で、他にも席が空いているにも関わらず子供を私の真横に座らせる親子が多いのはなぜ?そして、大概その子供達の靴が、私の足にあたっているわけです。なぜ、お母さん方は、子供が座席から窓の外を見る時、靴を脱がせてくれないのでしょうか。そして、なんとなく子供の足を避けるのですが、子供ってのは反抗的でして、私の顔を見て、また私の足に靴をあててくるのです。そして、「負けないぞ」という雰囲気満々なのです。これは、こっちも負けてられんと、頑張るわけですが、何せ小心者なので、お母様に、私がお宅のお子さんと無言の戦いをしているとばれてはいけないわけで。なかなか、敵は手ごわいわけです。
そして今日、電車に乗ったら、席がかなり空いているにもかかわらず、やっぱり乗ってきた親子は私の横に座るわけです。もちろん、子供が私側。その子供がですよ。そいつが、こともあろうに電車の中でコーンポタージュを飲んで、こぼすではないですが。座席には、黄色いコーン。母親は、子供を怒って必死に拭いていますが、それでも飲み続ける子供。そして、こぼす子供。。。
でも、よく考えたのです。あたしが嫌いなのは、子供自体ではなく、その母親さまではないかと。子供が、電車の中で紙コップの飲み物を飲んだらどうなるかおわかりでないですかと。靴は脱がせて下さいと。電車の中で走り回らせないで下さいと。
はっきりいえたら、良いのにな。言えないんだなぁ、こわくて。
最近の生活といえば、世間の時間を全く無視して、寝たいときに眠り、お風呂に入りたい時にはいり、机に向かいたいときに向かって、極楽天国なかんじ。
しかし、頭の中では、年明けのレポートのことが気になってみたり、今週末の発表が気になってみたり、ならばやれば良いのに、ほけぇぇ〜と。年末、世間は忙しいようなので、自分の身分を利用して、ゆっくり過ごしてみたいなと。
さて、友人が自分のHPを以前教えてくれたのだけれど、その友人と今週会うのが、ちょいと憂鬱。テンション高すぎです。友達って本当に素敵♪みたいなことを、自分の友達に見せるページに書かれてしまうと、なんだか、遠のきたくなるのは、なぜでしょう。素直じゃないんだな。こりゃ。
「私の友達の定義は」などと、友達に見せるってのは、どうなんざんしょ。あえて、その定義からはずれてみたくなる私は、ひねくれ者?はずれてみても、お友達でいてくれるかしらん。
真夜中というか朝方、なんとなく気持ちが落ちつかないので、瞑想。ヨーガの先生には、寝る間に5分やるように言われているけれど、そう毎日気持ちがうちに入るわけでもないので、やりたい時だけやる。
自分癒しついでに、台湾で買ってきて残っていた烏龍茶を茶器で入れて、楽しむ。香を満喫した所で、今度はお香を炊く。
そうか。もう年末なのか。随分今年は、早いなと時間を振り返ってみる。あまりにも早くて、まったくもって年末という気はしなく、ただただ、今週いろいろな人と会わなければならないのは、憂鬱だけれど、これって年末特有かぁなどと思う。
そういえばヨーガをやっていると人に言うと、大丈夫なの?と聞かれることが多い。世間では、やっぱり宗教団体がらみだとか、怪しいだとか思われているようだ。ちょっと、悲しい。
実家では、祖父の痴呆がますます進んでいる。悲しいけれど、現実。人は、ある日を境に、本当に壊れてしまう。
祖母は、ある年の大晦日に、急におかしくなった。そして、祖母が亡くなって、一周忌をやった次の日に、祖父は表情がなくなった。それから、段々と痴呆はすすんでいる。暴れたり、徘徊したりということはないが、下の方は、そろそろ駄目だ。オムツをはかせないできた、母も、さすがに限界がきた。
父の兄弟は、自分の親であるにも関わらず、母に面倒を任せっぱなしである。それでいて、「大変ですね。すごいですね。」という他人事のような言葉しか、母に向けない。決して、「ありがとう」という言葉を言わない。なぜだか、不思議でしょうがない。
一度、父の弟の家に、祖父をあずけた時、祖父は、家を出て迷子になった。保護されたとき、母の名前ばかり言っていたという。祖父にとっては、息子の嫁である母が、一番の信頼できる人になっているのだ。その祖父は、弟の家からオムツをされて、実家に帰された。それ以来、母は祖父を父の兄弟へ預けることを拒否している。
今CMで、頑張らない介護という言葉をよく耳にする。きっと、介護経験をしたことがある人ならば、涙が出るようなCMだ。母は、祖父を人として、世話をしてきたから、簡単にはオムツをすることが出来なかった。食事も、味などもうわからないだろうけれど、常に彩りを考え、栄養を考え、寂しいものにならないようにしてきた。祖父がもともとおしゃれだったこともあり、着替えをしっかりさせていた。
愛情がある人ほど、かつての時の姿でいてほしい、壊れていても人なんだという思いがぬぐえず、介護は辛いものになってしまう。母は、頑張らなければという気持ちでやってきたわけではなく、祖父を愛していたから、オムツをできなかったし、汚い格好もさせれなかったし、食事もしっかりさせてきた。
オムツをしても良いかなぁと、私に連絡してきたとき、きっと母は自分が祖父を投げ出してしまうというような気持ちになっていたのだと思う。でも、もうしょうがない。母が壊れてしまってはしょうがない。
父は、父で、祖父が実際そこまで壊れてしまったことで、いらついている。今までは、母が父の兄弟に対して文句を言い、それをなだめていた父の余裕はなくなるだろう。寧ろ、いらつく父を母が支えなければならない。私は、一人逃げて、離れて暮らしていることを申し訳ないと思う。でも、またあのドロドロの中に入ってしまったら、母を支えることも出来ず、ただ、自分を守る発言しかできないような気もする。
今までどうり、母の文句を電話で聞き、母をなだめ、父と母の間に入って、そのすれ違いを修復することしか、今の私には出来ない。
前にも書いたような気がするけれど、「会おう」というお誘いのメールや電話に悩まされることが時々ある。この人とは2人で会って話しても、楽しくないな、そんな君の近況報告を垂れ流されても困るし、というような相手がいる。
でも、そういう相手って、特に断りづらかったりする。で、最近また困り中。いや、はっきり、君とは2人で会いたくないのだよ。と言えばいいんだけれど、それもなかなか言えないわけで。うぬぅ。
日にち指定で、「この日に会おう」と言われると、ああ、いやだなと思った時には、「その日は無理です」と言えばよいのだけれど、あなたの都合にあわせると言われると、これはもう辛いわけで。で、これまたそういう相手に限って、忙しいので当分会えませんと連絡すると、「少しも?近くまで行くから。15日は?16日は?」とくるわけです。
時々あるのですが、もう、その攻撃が面倒で、会ってしまったりして、そして、帰りに、やっぱり無駄な時間を過ごしてしまったなぁなどと。プラス、相手にもそんな気持ちで会うということは、申し訳ないわけで。自己嫌悪したり。
というわけで、困り中。きっと、会いたくないのだよと言ったところで、なんで?などと面倒なことがあったり、他の友達に迷惑がかかったりするんだろうな。あああ。
以前のバイトの時の女の子と2人で久し振りに飲むことに。いつもならば、こういう時は、特に仲良くなった元上司の人が、スポンサーとしていてくれるのだが、転勤してしまった。うぬぬ。
今回はスポンサーなしかと思っていたら、私達の待ち合わせの時間に、その元上司のおじさんがが電話をかけてきた。なんと、新宿にいるというではないの。どうも、友達がメールで忘年会をやると連絡していたらしい。あ〜、大人って、新幹線で地方から駆けつけるくらいどうってことないのね・・・。それも、こんなあたしたちにご飯を食べさせるという理由だけで。。。
きっと、この上司だったおじさんと、私のお金の感覚は、ゼロが1つどころか、2つくらい違うんだろうなぁ。はっきり言えば、住む世界さえ違うような。でも、バイトを辞めてからも、こうやって関係が続いて、かわいがってもらえていて嬉しい。しかし、おじさんが、果たして楽しんでいるのかは謎。金持ちがやる道楽はよくわからん。
私の指導教授は、教え子を放し飼い状態なのだが、久し振りにこの先のことや、研究のことを聞かれた。聞かれたといっても、「この先どうするつもりか知りませんが」という前置きがあって、もし〜するならば、みたいな話だ。
そして、散々、「飯食っていけませんよ。」だとか、「仕事ありませんよ」だとか言われた。
最後に、「もうはっきり言っちゃうと、こんな学問やるのやめた方がいいですよ」と言われた。
「こんなことやっても、何の役にも立ちやしない。頭がおかしいんですよ、こんなことやってるのは」と言い出した。
そんな教授に、「でも、先生は楽しそうですよね」と言ったら、「私は、おかしいんです」と笑ってた。
ますます、先生が大好きになった。
出会いというものは、面白いもので。私の唯一の特技というか、能力というか、そういうものは、人との出会い運が良いということだと思っている。フラフラしていると、なんだか素敵な方と会えたりする。
そういえば、電車で声を掛けられることも多い。女装した男性に声をかけられ、電車に乗っている間「彼氏が出来ないのよ〜」なんて話をずっと聞いていた。
異国の方に声を掛けられることも多く、「私はマホメットと言います。お話ししましょう。」といきなり言われたこともある。マホメットって。。。
落ち込んで動物園に行った帰りに、不忍池で、似顔絵を描かせてくれと言われたこともあった。あの絵は、どこに行ったんだろう。
まぁ、とにかく、そういう通り過ぎてしまうような出会いも含めて、いろいろな人といろいろな場で出会ったりする。彼ら、彼女らは、私の中で縦糸になったり、横糸になったりして、素敵な何かをつくってくれている。
そして、今日あった出会いも、また私の中の素敵な何かを作るための、大切な糸になりそうで、嬉しい。
2002年12月09日(月) |
love&peace |
雪の中、久し振りにヨガへ。いやいや、実に数ヶ月ぶり。私のほかにいる生徒さんはお休み。久し振りの登場と、こんな雪の日にわざわざ来たということで、先生と受付の人に大歓迎を受け、なんだか心地良い気分。先生の気の中でのヨガは気持ちよく、最初は体がバラバラな感じだったのに、最後の瞑想の時には、体が一つにまとまったかんじになれた。体中が、変に縮んでいたんだな。
終わってから埼玉へ。電車の方向を間違えて渋谷で降りたら、なかなか電車が来ず、非常に寒い中30分以上駅のホームで待ちぼうけ。うぬぬ。
そして、2度目のジョン・レノンミュージアム。前回、腹痛に襲われたために見れなかった部屋を中心に。
と、完全にジョンと会えるモードで、ジョンレノンライブ。しかし、待てど暮らせど、ジョンは出てこない。トータス松本に惚れてみたりしたが、やっぱりジョンに会いたい。坂本龍一に感激したが、やっぱりジョンがいないと寂しい。
しかし、ヨーコが出てきた途端に、そんな気持ちは吹っ飛んでしまった。感涙ってこういうこと?と思うほど、涙が出た。
ヨーコと共に、手を高く掲げ、power to the people!!!!と叫んだ時の気持ちは、ずっと残る。その時は、きっとジョンもいた。
深夜、降りだした雪。朝になったら、積もってた。
わくわく。
でも、今日がお出かけの日と気付き、困った。
家から出たくない。
外からは、チェーンを巻いたタイヤの音が聞こえる。
テレビをつけたら、音がザーっていっていた。
アンテナ曲がった?
わくわく。わくわく
邦画を観ている時に特に思うのだけれど、映画の音って好き。テレビの音は、なんとなくとんがっているようなかんじ。そして、生活音が消されているような。でも、映画は、そういう無駄な音というか、ちょっとした音が、とても素敵に聞こえる。そして、曇ったようなその音は、心地良い。
部屋の中で、一つ一つ自分の立てる音に耳を傾けてみる。ビールの缶を空ける音が、大好きなことに気付く。物をテーブルに置く音も物によってちがくて、コップを置いてみたり、鍵を置いてみたり、本を置いてみたり、ちょっと楽しくなる。
そう、意識をすれば邦画のような世界は、非常に身近なもので、あんな音や情景は沢山溢れていて、あまりにも近すぎて、気付かずに過ごしている。それを、映画を観ることによって思い出す。変な話だ。
自分の視界を、映画のスクリーンと思ってみると、これが案外楽しくて、鼻をかんでゴミ箱に投げたティッシュが、ゴミ箱に入らずに落ちているとか、こんがらがった髪の毛をとかしているブラシとか、石鹸を泡立てている手とか、一つ一つが魅力的な構図に見えた。
友人が余っているチケットがあるということで、武道館に全日のプロレスを見に行きました。おおおおお。女子と違って、音がすごいのね。パシン、パシン!と。痛くないのでしょうか?いろいろ不思議な気持ちになりました。大きな声では言えませんが、どこまで本当なのでしょうか?みんな、どういう気持ちで盛り上がっているのでしょうか。やっぱり、日々東スポとか読んでいないと、面白さを楽しめないのでしょうか。奥が深い、エンターテイメントなのでしょうか。頭を悩ませてしまいました。
そんな帰り、新宿で思い出横丁。。いや、しょんべん横丁へ。焼き鳥横丁にあるお店には行ったことがあったのだけど、しょんべん横丁は、いつも入りたいなと思いつつ、あの道を歩くだけでありました。よって、今日は念願の横丁体験だったわけであります。
あの適当さ、食べ物の安さを臭さ。心地良すぎ。あ〜、きっと私は、ここの横丁の店に入ってしまったら、帰ってこれないのではないかと思っていましたが、案の定そうなりそう。これ以上、新宿で新たなお店を探す気がうせました。
いつもならば、値段を気にして飲む私も、今日ばかりは、何も考えず、がしがし食べ、飲んでおりました。サービスでもらった魚の煮こごりは、うんまかったな。好物アシタバのてんぷらもうんまかった。帰りには、なぜかおにぎりを厨房にいるお兄さんから土産で持たされ、ふらふら帰ってまいりました。ありがとうよ。しかし、やっぱり魚は臭かったな。
入学?入院?してやっと、仲間達と打ち解けてきたようだ。お金もないこともあり、あまり皆と食事をしていなかったのだが、少しだけでも行き始めた。去年から一緒に学んでいる友人とは、2人で会話することも多く、彼から色々な情報を聞くことが多かった。どうも、彼とは波長があっていたようで、同じ笑いの感覚をもっていた。
皆で食事に行くと、その彼が中心になって笑いが起きていた。入学したての頃は、特に話題もなく、結局「何研究しているんですか?」が挨拶代わりだった。それが、段々研究とは離れた会話が出来るようになってきた。皆のそういう部分を引き出している、彼の存在は大きいなとおもった。そして彼に感謝した。
それにしても、彼も私も互いに、「やるな。こいつ」と笑いに関して思っていた。その彼にしては、無難な笑いのとり方だったので、油をがしがし注いでいた。いつもは回りのひきを見ている彼も、油を注がれるものだから、ヒートアップ。ひゃっほ〜い!ってな具合。その結果、私達は、変わり者の烙印、いや勲章を戴いた。
あれ。院生になったのだから、ちょいとそういう部分は控えて生きていこうと思っていたのに。ちょっと、嬉しいような、やっぱりあたしは笑われ者?とちょいと不安になるのでした。
学校内に、いちょう並木があるとは知らなんだ。
何度も何度も歩いた道なのに、それがいちょう並木であることをまったく意識したことがなかった。
テレビで、いちょう並木を見て、良いなぁ。うちの学校にも欲しいなぁと思っていたら、実はあった。
何度も見ていたのに、意識していないと、記憶として残っていないものだな。
そういえば、学校内のその道を思い出すとき、なんとなく黄色いイメージがあったのは、そういうわけだったのか。
2002年12月02日(月) |
大きな利益・小さな被害 |
世の中には合理的に割り切れないことが多々ある。道路公団のニュースを見るたびに感じること。政治家が吠えている姿を見ると、どうせ自己利益のために反対しているのだろうと勝手に思ってしまうが、反対と唱える市民団体などは、決してそういうわけでもないだろう。少なくとも、金銭的な利益のために、反対しているわけではないだろう。
ロシアでテロがあった時のプーチンの決断に対して、ロシア国民は大方賛成であった。アメリカでテロが起きたとき、飛行機の一つがホワイトハウスに向かっているという情報が流れた。その時、政府はその民間機を打ち落とそうとしていたという話もある。イラクに関しては、アメリカは何度かフセイン暗殺に失敗している。
何かの重さと何かの重さを測るのは難しい。被害の大きさを比べて、決断をする。そこに犠牲が生まれる。道路や新幹線に関しては、殺人という直接的なことではないが、地元民や、公共事業から仕事をもらっている業者にとっては、大問題であって、数字で割り切れないものがある。
それぞれの個人は、やっぱり自分がかわいい。自己利益が一番大切に違いない。少なくとも、私は日本経済の危機といわれ、もう危ないんだと言われても実感はなく、自分に関わる税金が上がることに対し反対を唱えたく思う。しかし、自分が国の中枢に関わる人間だったり、それぞれの共同体で責任をとるべき立場の人間だったならばそれではいけない。割り切ることが必要だ。その時に考えるのは、その共同体の、最大の利益を念頭に置くのか、最小の被害を念頭に置くのか。どちらかだ。
さて、道路に関してのこと。この場合は、もう最大の利益を念頭に置いている場合ではないのではないだろうか。もう、最小の被害を考えて、これ以上被害を拡大しないことが一番なのではないだろうか。大きな利益を生むためには、つまり国全体に高速道路が通り、便利になるというのは、もう無理なのではないだろうか。大きな利益を生むためには、それなりの体力が必要だ。しかし、もうその体力はない。これ以上被害を増やさない。そういうネガティブな決断が求められるときがあっても良いのではなかろうか。
先週の睡眠不足を解消すべく、ぐーすかぐーすか眠った。睡眠を貪るとはこういうことだわね。
久し振りにHPをいじくる。なかなか旅の記録はすすまない。というか、ビルダー欲しいぞ。人のページを見ては、かっこ良いのぉ。と。ビルダー無しで、タグだけで闘っているわけだが、少しいじくってないと、だんだん訳がわからなくなってくる。
その上、初期の方のページは後先考えずアップしていたので、かなりお恥ずかしいかんじ。少しづつ修正。勉強しながらだわね。ビルダーがあると、思い描いたように出来るのでしょうか。
最低限のタグを必死にネット上で覚えたわけですが、やはりそれはそれで人様のページと比べるとお恥ずかしいかぎり。そのうち、時間をかけてゆっくり直そうと思いつつ、とりあえず、夏の旅を。。。今年度中になんとかなるのかぁ?って、もう12月だ。とほほ。
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