度々旅
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2002年10月30日(水) セーター

 実は、先日の旅のおり、ネパールで大量の冬の衣料品を仕入れてました。日本では、冬の洋服は夏と違ってお高いので、ここぞとばかり買いました。お金がある買い物って、楽しいわぁ〜と調子に乗りました。だって、セーターが500円しないのですもの。

 きっと日本では絶対に買わないであろう、毛糸の帽子やハートの模様のマフラーまで。他にショールやセーターや、毛糸のカバンや、なんやらと。というわけで、寒くなるにつれて、一つずつ新しいものを取り出しております。これが、うれしいんだなぁ。





ということで、お気に入りの象のセーターでございます。こんな年齢でこれを着ていて良いのか???という気もしましたが、象好きの私は、もう、これで象と一緒にぬくぬくということで、幸せいっぱいなのです。


2002年10月28日(月) あたたかさ

 はっきり言って、寒いのはお嫌いなのです。いや、苦手なのです。寒いだけでいらいらしてしまうのです。なんで、指やつま先が冷たいんだ!ちくしょう!って。体は寒くないのに、その部分のために暖房器具を使わなければならないというのも腹立たしいのです。

 しかし。。。実は、本当は、寒いからこそ感じることが出来る幸せを愛しております。寒いなかにある、暖かいものにじーんときてしまいます。寒い時の空気も大好きです。ぴーんとはりつめたような、あの感覚が大好きです。

 夏の洋服を準備するより、冬の洋服の準備をする方が好きです。ああ、この毛糸くんたちが、私を寒さから守ってくれるのねと、嬉しくて嬉しくて。暑さのためには、脱げばよいですが、寒さのためには、彼らがいないと、私はこごえて死んでしまう。ぴゅーぴゅー風が吹くなか、暖かい布にくるまれて、歩いているのは、それだけで、幸せ。また、真夏のがりがり君も良いですが、冬の鍋は心の中まで温かくなる。温かい飲み物は、それを飲んだだけでほっとする。

 となると、幸せって、あたたかいこと?満たされるって、あたたかいこと?そんな気がいたします。今宵も、あたたかい毛布にくるまれて、ぬくぬくと幸せ気分にひたります。寒いからこそ感じるあたたかさ。だから、本当は寒いのは、嫌いじゃないのです。


2002年10月27日(日)

 久し振りにすっきりと晴れ、起きるとすぐにはりきって布団を干し、洗濯をした。やっと夏布団と冬布団を干して交換することが出来た。

 その後散歩がてら、ビデオ屋に張り切って行くと、あれぇい、シャッターが閉まっている。とほほ。近所には2件のビデオ屋があり、家に近い方は値段が安いが品数が少ない。遠い方は、春先に入会無料になる時期があるので、その時に入会しようといつも思いながら、いつもタイミングを逃し、結局安い品数の少ない方の会員でいる。しかし、つぶれてしまったのだろうか。ぅぅ。

 映画を見て、ゆっくり過ごしたいモードは高鳴るばかりなので、品数の多い方の会員である友人に電話し、ビデオ屋まで来てもらい借りてもらった。いつも、ありがとう。あなたの、100円引き券を消費させてもらっているのは、殆ど私です。そのまま友人の買い物にも付き合い、帰り道川原でたこ焼きをほおばり、おお、これも素敵な休日だぞと。

 家に戻り、毛布にくるまりながらゴロゴロとし、ポップコーンを食べながら天皇賞を見て、その後映画。「東京ゴミ女」。最近字幕がいやで、邦画の方がお気に入り。

 と、途中で卒業以来会っていなかった高校の友人が電話がかかってきた。私の電話番号を、他の友人から聞いたらしく、どきどきしながらかけてきた。ふぅ。なかなか、行方不明者になれんものだ。それにしても、私の番号を許可なく教えた友人よ。。。

 最初は、名乗られてもよく聞こえず、誰?と聞きなおすわけにもいかず、そのまま適当に話して、さぐりを入れて、いろいろヒントをとりだし、やっと相手が誰かわかったよ。とりあえず、私のことを覚えていてくれ、会いたいと思い、どきどきしながら電話をかけてくれてありがとう。

 夜は、風呂上りにビールを飲み、本を読み。

 洗濯して、川原でぼーっとして、ビデオを見て、昔の友人と電話をして、風呂上がりにビールを飲みと、なんだか、これぞOLの休日なんて思って、嬉しくなったが、私はしがない貧乏学生。ホントは、この中に勉強の文字がないといけなかったような気もする。。。


2002年10月24日(木)

 この間まで、夏の終わりを引きずりながらの秋だったのが、もう冬の気配を含んだ秋。布団から出るのが、辛くなってまいりました。

 相変わらず、早寝が続いているのですが、それに慣れたのか、早くに眠くなるのに、早くに起きれなくなりつつある。ふぇ。でも、日の出が遅くなっているので、そんなもんかね。

 世界では色々なことが起きておりますが、私の周りでは結婚ブームが起きている模様。まったく結婚に現実味を感じていない私は、いきなりくる結婚式のお知らせにとまどってしまっております。いや、結婚する友人の相手なり、近況なり知ってれば良いのでしょうが、そういうことは知らないのに、いきなり結婚式に来てね♪、みたいな、うきうきの連絡がくると、はっ?と思ってしまう私は、駄目っ子?毎回、おめでとう!という言葉が、なんだか心から出てこない私め。

 結婚式も、祝儀なしで、パーティーに参加費?制ならば良いのです。まだ。しかし、普通に披露宴とかやられてしまうと、いや、あんたこれから旦那に養ってもらうってだけでも幸せ者なのに、それさえわからん私に祝儀をくれですって!?と。あたしは、今あんたの結婚の相手も知らないのだし、毎回付き合うたびに、結婚するかもと言っていたのだし、だから今回が本当に良いのかわからんし、おめでとうって私が思えるように、いろいろ解説してくれよ。などと思う私は、人として駄目?

 そんなことを、これまた仕事をやめ勉強中の身、もと会社の先輩の結婚式に呼ばれ「交通費を払ってくれるならまだしも、祝儀を数万払えとは何事だ!」と怒っている友人と、のたうちまわっているのでした。

 あ。。。別に、自分が結婚できないからとかではないの。この怒りは。ただ、貧乏がゆえ?


2002年10月22日(火)

 夕方、急に思い立って机の高さを変えようかと。私が机にして、パソコンを置いているテーブルは、足を調節して高さが変えられる。ずっと座椅子に座ってパソコンに向かっていたのだが、どんどん腰が曲がっている気がしていた。これは、絶対に椅子で座るようにした方が良いなぁと思っていた。

 そして、テーブルを一番高い高さに。しかし、もともと机として使うテーブルではないので、低い。テーブルの下に、ダンボールを二枚敷き、その上に布を敷いてテーブルを置いたが、やはりまだ低い。むぅ。でも、地べたに座りたくない。ど〜しよう。

1、低い高さの椅子を購入
2、テーブルの下に、何かを置いてテーブルの高さを高くする。

どちらかなのだが、2の場合。何を置こう。。レンガなどでは、不安定だし。困ったなぁ。低い高さの椅子が、落ちていることが一番の解決策なのだけれど。。。


2002年10月21日(月) 社長 逃げた

 昨日、私の日記にグーグルの検索から飛んできた方の検索の言葉「社長・逃げた」。今までで一番笑ってしまいました。そういや、ある日の日記にその二つの言葉がありました。果たして、この検索をした方は、何が知りたかったのか・・・。ちょいと、気になります。

 友人がしている仕事の、データ入力が間に合わないとのことで、「雇ってほしいなぁ」とぼやいたら、外注という形で、一枚20円で家で入力することになりました。これが安いんだか、高いんだかわかりませぬが、憧れの内職。頑張れば時給800円以上になるので、結構良いのかもしれませぬ。やはり持つべきものは友というかんじ。

 


2002年10月18日(金) 芋虫。

 10月に入ってから、なんとなく気付いていたのです。私のバジルの葉が、虫に食べられているんではないかと。葉が、なんだかちぎれているなぁと。でも、外に置いているからしょうがないし、大した量じゃないから良いわと思ってほっといたのです。

 一週間くらい前、雨が降った日に部屋の中にプランターを置いて寝ました。夜中。。。。いるんです。ながひょろい、芋虫のようなものが、部屋の壁を這っている。なぁ〜ぬぅ〜。プランターの土の中に常駐していたとは。。。必死で外へそいつをほおり投げ、ああ。これで解決。

 と、思っていました。しかし、翌日も葉は食べられている模様。そして、葉に黒いものがついている。。。うんこ。。。ちきしょう!悲しくなりながら、うんこがついた葉をむしりました。

 で、先ほど。やっと、犯人を発見です。バジルに食いついているそいつ。もしかしたら、この間外へ投げたつもりで、ベランダ内に残っていたのかもと思い、今回はしっかりと、ベランダの外へほおり投げました。

 これで、解決したのでしょうか。ちなみに、夜中に芋虫を発見した日は、二匹というか、二回部屋の中で見ているのです。一回目は、ティッシュで何重にもしてゴミ箱へ。二回目は、もしかするとさっきのがゴミ箱から這い出したのかもと思い、外へ。つまり、芋虫との出会いは、今夜で3回目。全て同じ芋虫なのか。それとも、違うのか。違うとなると、まだプランターの土の中に常駐しているやつもいるかも。。。。。

 とりあえず、明日の朝、葉に黒いものがついていないことを願うばかり。


2002年10月17日(木) 右や左へ

 学校では、わたくし、ちょいと変わり者に見られているような気がしている最近。よく考えたら、去年からの知り合い以外とは、あんまりじっくりお話しをしていなかったことに気付いた。どうやら、思想的な部分に関しても、私の精神構造に関しても、勝手な想像をされている模様。

 たくさん話したことがない人は、私の普段の様子や他の人と私がしている会話から、私像をつくっているのでしょうが、特に思想的な部分においては、○○と言っていたから、右に違いないだとか、左に違いないだと勝手に思われている模様。っていうか、右の教授と話して、その内容に関しては同感だと言っていたら、周りに右だと思われていた。そして、世間で言う右イメージを持たれていた模様。いや、いいんですけどね、どっちと思われても。

 学部の頃思ったのだけど、右は悪いとか、共産党は悪いだとか、革○は悪いだとか、よく言う人がいたけれど、どこが悪いの?と聞くと、「だって、怖いじゃん」くらいの答えしか返ってこない。何を考えて、彼らが行動しているのか、わからずに拒否するってのがわからん。じゃ、あんたはどう思っているのさ?と聞いても、別にその人なりの答えが返ってくるではなく、そういうこと聞くこと自体、私がおかしいと思われた場面もあった。いや、それでその人が幸せに平和に暮らしていくのは良いのですが、仮にも官僚を目指していたりして、そういうこと言われてしまうと、なんだかなぁ〜と思ってしまうわけですよ。

 たちの悪いことに、そういう人は、ちょいと思想的な部分の話に触れると、その人を、極右や極左として、駄目なものとして扱う。同じ視線で、語れずに、正論を言われても、あんた、使えない正論を言って何になるのさ。代替案を出せよ、みんなそんなことをわかった上で、それが出来ないから、危機感感じて、勉強して、それぞれが自分の思う方向にコミットして、闘っているんだよと思うわけです。

 今回、私に勝手に右レッテルを貼っていた彼は、別に私を非難するつもりではなく、ただ、自分が社会正義論を勉強中だったから、右の人の発想を聞いてみたいと思って私にいろいろ聞いてきたということだったので良かったのですが。といっても、今の私が右にコミットしているというわけでもなく、以前はなんのためらいもなく、左に流れつつあったわけで、いまさらですが、そもそも左や右ってなんなのよ、と思って勉強している所。だから、彼と同じ状態なんだな。よって、彼と同じ状況であるわけであります。こういう話題がタブーとみなすこと自体、そもそもパターナリズムによるものなのかもしれないのに、それさえ気付かない平和な世の中は、いつまで続くことができるのでしょうか。それまでに、私は私がコミットする何かにたどりつくことが出来るのでしょうか。


2002年10月14日(月) 決断

 ここのところ、日に日に眠くなる時間が早くなり、気付けば9時に寝て朝4時半に起きるという所まで。どうしてこう、極端なんでしょ。昔のように、少しの睡眠時間でやっていけなくなりつつあるし。睡眠時間が減ると、すぐに体を壊すし。なんだかなぁ。

 お友達の日記に、退職届を出したというものがあった。声を出すほど驚いた。決断というのは、本当にとんでもなく疲れるし勇気がいるものである。大きな決断をしたという行為に対して、お疲れさまぁと言いたい。

 私は決断というものが、非常に苦手だ。どうしても、大きなきっかけがあったり、せっぱつまったりしないと決断できない。それが、自分の生活や将来に関われば関わる程、先延ばしである。何か大きな決断をするという時は、現在に変化がもたらされるということ。現在にいるのは、以前何らかの決断をしたからだ。以前の決断を超え、新たな決断をし、新たな現在をつくる。常に私は、以前の現在を抱握しながら進みたいと思う。だが、思うように上手くいかない。何せ、決断は環境を変えてしまう。環境の変化がいつも怖い。私は臆病者なのだ。

 決断に決断を重ねていると、過去の自分と大きなずれが出来てもくる。過去に思い描いていた自分とのずれが出てくる。時々それに、ぞっとする。自分では過去の自分を、過去の現在を、抱握しているつもりが、逃げてきただけなのかもしれないと。

 決断が良かったのか、悪かったのかは、決断後の自分したいだ。本当は、決断するのは怖くないのかもしれない。いつも前を向いて、今の自分だけ見ていれば。


2002年10月13日(日) 自然に親しむ日

 先日に引き続き、出かけたいモードが金曜日くらいから盛り上がってきた週末。再び競馬じゃぁ、芸がないと思案。やはり、外が良い。外で時間が過ごせる所。友人と相談した結果、大きな公園に行き、自然に親しもうと。

 こりゃ、お弁当のために、前日から唐揚げのために鶏肉を漬け込む。しかし、友人ともども、当日寝坊。電車とバスに揺られて目的地に到達したのは、結局12時。

 初めての場所なので、園内をうろうろして、やっと自分たちの場所を木陰に決め、インドで買ってきた大きな布を敷く。なんだか、それだけでもうかなりの遠足気分は味わえている。

 むしゃむしゃとお弁当を食べ、寒いのでその後日向へ移動。そこで、お菓子を食べながらゴロゴロ。としているうちに、本格的に一時間以上寝てしまった。気付けば、3時すぎ。ありゃ。太陽の下で寝るというのは、気持ちよいが結構疲れるもので、二人とも何か大きなことをした後のようにぐったり。

 しかし、こんなことで帰っては近所の家でも出来ることではないか!と、あせって風が吹く中バドミントン。しかし、寝起きなので、なかなか続かず、すぐに嫌になる。では次は園内散策!と思い、うろつきながら、どんぐりを拾ってみたり。しかし、どんぐり。何気なく手に持っていたら、割れ、中身を見てみると、白いものが動いている。うわぁ〜、と思わず地面に投げつけ、どんぐり拾いも断念。

 広い公園を甘くみた私達の水分は、一本のペットボトルに入れて凍らしたお茶のみ。この頃には、もともと痛かった私の喉はヒリヒリ状態。2人とも、「帰ろう・・・」と呟き、家路へ。そして、結局は近所の公園で出来たことなのではないか。果たして、この公園を選択したことは良かったのかとぶつぶつ。

 どこでも寝てしまう私たちが、いけないのでしょうか。私達の自然に親しむ日は、自然の中で昼寝をする日として終わってしまったよ。

 


2002年10月11日(金) 象がやってきた

 上野動物園にタイから新しい象がやって来た。アティ(太陽)とウタイ(日の出)だ。たしか、今いる上野動物園のインド象の名は、アーシャとダーヤ。今ではこの二匹も、あの狭い柵の中で、だい〜ぶ、疲れたかんじ。

 私は、無類の象好きで、象を見ているだけで幸せになる。インド象だろうが、アフリカ象だろうが、関係ない。あの円らな瞳を見ていると、もうなんとも言えん気持ち。自分の象好きに気付く前から、無意識のうちに粘土細工も、絵も、工作も、全部象だった。アフリカにいる象達は、群れをつくっている。父親象は別行動なので、母親象が中心の群れ。お年頃のメス象に、オス象がアプローチしてくると、そのメス象以外は離れて、交尾の様子を遠くから見守る。象ってあの大きさから個人行動のように見えるが、違うということを知って、ますます好きになったの10年以上前。

 一時期、落ち込むたんびに、上野動物園の象に会いに行っていた。もっぱら、今では死んでしまったジャンボという象と向かいあっていた。その頃のジャンボは既に疲れきっていて、一時間以上同じ位置で、同じ左右運動をしているような状態だった。そんなジャンボが死んだ時は、悲しくて悲しくて、かなり落ち込んだ。死ぬ前にも一度会いたかったよと。

 多摩動物園の象は、園内の奥の方にいる。象に会うために急いでも15分は、坂をガシガシ上らないと会えない。そして、上野動物園に比べ、緑に囲まれている象は柵の向こうに小さな象社会ができており、あまり人間のことを気にせず過ごしている。そのためか、象と向かい合うというかんじではなく、なんとなく彼らと仲良しになる雰囲気ではない。まぁ、象と仲良しになるってのも、私の勝手な感じ方なのだけれど。

 そういや、上野動物園も長いことご無沙汰。ウタイとアティに会いに、行かねば。ああ、新しい象がやって来た!嬉しいなぁ。仲良しになりたいなぁ。


2002年10月09日(水) 冷蔵庫

 北海道から二つの荷物が届きました。一つは箱いっぱいの、じゃがいもとたまねぎ。もう一つは、ししゃもとジンギスカンとラーメンとたくさんのチョコ。嬉しいぞ。親戚のおばちゃんありがとう。あたしは、食には困らない星の下に生まれたのかも。

 で、とりあえずお肉は冷凍したのです。しかし今私の家の冷凍庫には大量の食材が入っています。肉が安いときに買いだめしたためです。で、野菜もたっぷりあります。どうもスーパーが棚卸の日だったらしく、格安でいろいろなものが売られておりました。それぞれ手を施したりして、冷蔵庫に入っています。つまり、今うちの冷蔵庫は大量の食材をお腹にたっぷりと抱えています。

 家に外から帰ってきた時、氷が少し解けていました。うぬ?もしかして、冷凍庫の扉が少し開いていたのかも。ぎゅうぎゅうだし。と思っておりましたが、新しく作った氷は何時間たっても、冷たいお水のままです。こりゃ、もしかすると、ひょっとすると。。。。うわ〜〜ん、冷蔵庫がどうやらご機嫌を損ねたらしいのです。年に数回、こういうことがあります。温度が下がらない。どして、食材が沢山ある時にこうなるの!と悲しくなりながら、とりあえずコンセントを抜いてみました。

 だいたい、これで直ることが多いのです。以前、それでも直らず修理に出したこともありますが・・・。さて、直るのでしょうか。直ってくだされ。ひたすら、願っております。


2002年10月06日(日) 古き良き日本

 たまには、休日に外へ出かけるのも良いかなと。(毎日休日みたいなものですが)ついでに、徹夜をして出かければ、体内時計を少しなおせて尚良いかなと。

 しかし、これといってどこに行けば良いのかわからない。都心をぷらぷらするのは疲れるし、お金もないし欲しいものもないので買い物というのもいまいち。徹夜で遠出も疲れる。映画というのもなんだしなぁ。。紅葉を楽しみに行くにもちょいと早いし。むぅ。

 外で、適度に何かに夢中になって楽しめて、お金もあまり使わずにすむところ。。。そうだ、競馬に行こう!秋だし。

 というわけで、お弁当持参で、実に3年振りくらいで競馬場へ。東京競馬場はまだ馬が走っていないので入場料を払わずにすむ。芝生でごろごろして、ちまちま100づつでも賭けて、熱くなれ、うまくいけばお金まで増える。こりゃいい。財布の中身を少なく持っていきゃぁ、余計にお金を使わずにすむし。

 さて、長いこと行っていなかったら、買い方が増えていてとまどった。私が行っていた頃は、ワイドも3連複もなかったような。で、4Rくらいから200円くらいずつ賭ける。お金も減らさず長く遊びたいと思い、恥ずかしいことに複勝などを中心に。で、資金もつきはじめた10R。3連複というやつに挑戦。期待せずにいたら、うぉうぉうぉ!きたではないの!驚いた。

 いやぁ、気持ちよかった。自分が選んだ馬が、1.2.3位だなんて。

 競馬はいいなぁ。芝生でゴロゴロ、昼間っからビールを飲んで、100円賭けただけでも興奮して、「させ!させ!」って声を張り上げて、ドキドキできて。最近は、カップルも多い。たくさんのお金を賭けてなければ、一日中遊んでもそれ程お金かからないし。お金を増やすことを目的に行かなければ、良い場所だ。

 それにしても、競馬場は古き良き日本が残っていた。世の中が路上喫煙で騒いでいるというのに、建物ないでも余裕でたばこをすて、ゴミをすて、座り込んだり、立ったまま蕎麦をかっこんだり。下町っ子の私めは、こういう風景に安心するのでした。


2002年10月05日(土)

 恐ろしいことに、昼夜が逆転した状態。さすがにやばいぞと思い、徹夜して昼間起きて、夜早く寝て直そうと思ったが、一日中家にいる日にチャレンジしたので、寝ずに頑張れるはずもなく、断念。むむ。しかし、この時期は毎年そうかも。夜早く寝ても、起きれないし。冬眠の準備?

 解決しなければ。。。


2002年10月03日(木)

 昨日学校を休み、おそるおそる今日学校へ行く。私の担当箇所までまわってこなかったとのこと。ひとまず安心。が・・・・。昨日、レジュメを研究室へ送ったわけだが、そのアドレスは教授方数名へ転送されるものだったということが発覚。それも、中国の天文学についてのレジュメなので、専門分野から離れたもの。急に、わけのわからない漢字がたくさん並んだレジュメを送られてしまった教授は、何事か!と。あああ。やはり体を壊すとろくなことがない。

 学校へ行く道で、バッタを発見。バッタは、10年ぶり位なのでは?と思う程見てなかった。だから懐かしい気持ち。はやり外は良いなぁ。まだ台風の時に土が含んだ水が、川へと大量に流れている。なんとなく、全体が湿っぽい風景。その中に、秋がたくさん。コスモスもかわいく咲いていた。

 拉致家族の記者会見を見ながら、かの国のことを考える。マスコミでバイトしていた時に聞いた、かの国に関する話を思い出した。今まで情報として流れていないものが、かの国に関しては沢山ある。マスコミは権力を監視する立場でありながら、大きな権力であり、我々のもとに届く情報は加工されたものでしかない。情報は商品なのだから。それぞれの立場から思想操作をしているようにしか私には見えない。それによって、国民のかの国に関する認識にずれが生じていることを、今回感じた。

 しかし、真実は一つなのだ。それは、戦争に関しても、あらゆる歴史解釈に関してもいえること。しかし、真実を手に入れるための最も良い方法を、未だ見つけることができない。


2002年10月02日(水) 体を大切に

 昨日はなかなか寝付けず、やっと寝ても浅い眠り。そして、やっと寝れたと思ったら、朝頭痛に襲われ。。。。とほほ。授業休んでしまいました。もしかすると、自分の担当箇所がまわってくるかもしれぬ、という恐怖もありましたが、なんとも体の調子がおかしいのでしょうがない。とりあえず、作ったレジュメを研究室へメール。自分の場所まで、まわってきていないことを願うばかり。おお。明日学校行くのが恐ろしい。

 ということで、天気の良い本日は臨時休暇。窓から見る青空は気持ちがよくて、これが薬がわりになった模様。日が沈む頃にはだいぶ体もよくなり安心。

 小学生の頃などは、風邪をひいて学校を休むのが嬉しくてしょうがなかった。そうかぁ、お母さんはこの時間にお昼ご飯を食べているのね。このテレビを見ているのね。などと自分が普段いない時の家族の様子を観察れきる。そのうえ、人が授業を受けている時に、寝たりテレビを見たりできるのである。風邪の辛さなんて、痛くも痒くもない!

 そういや、小学生の頃風邪で休んだ次の日は、宿題をやってこなくて良いみたいな暗黙の了解があった。しかし、母はそれを許してくれなかった。休むというのは遅れるということなのだから、母は私を遅れさせないようにしていたわけだ。今思えば、当たり前のことだ。私が体を壊しているうちに、授業は勝手に進み、後から自分でやらなければならない。体を壊すということは、もうとんでもない障害なのである。
 
 まぁ、明日はしっかり学校へ行けそうなので、とりあえず安心。


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