度々旅
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2002年09月30日(月) 仲間

 夜、雨が上がったので、外へ。水分をたっぷりと吸い込んだ少し冷たい空気は気持ちが良い。雨は上がっているものの、水の壁が私を閉じ込めているような感覚。闇と雨。私が好きなものだ。

 青空の下で、心が広がるのも良いが、闇夜に自分の中へ心がすーと入り込むのはもっと良い。自分自身と対峙できる。

 朝方友人からの返信メールに気付いた。「俺にメールをよこすくらいだから、相当弱っていると思う。」そんな一言に、涙が出てきた。私は弱っていたのだ。それをずっと認めたくなかったのだ。

 弱っている、やる気がない、壁に当たっている。そんな言葉を吐くということは、逃げているという状態の時だと思う。だから、決してそういう言葉を吐くのはやめようと思っていた。しかし、確かに私は弱っているのだ。弱っている自分を、無視しようとしていた。弱っているのではなく、逃げているのだ。それは、自分としては認めたくない。そういう気持ちだった。

 そして、逃げているに過ぎない自分をコントロールすることに必死だった。しかし、逃げているのではなく、確実に弱っていたらしい。途方に暮れていたらしい。一歩一歩歩くことに疲れていたらしい。そんな疲れた状態で自分をコントロールできるはずがない。そんな私は自分でも思いもかけない相手にメールを送っていた。私の中の私が無意識に仲間の助けを必要としたのだろう。そして、その仲間は、確実に私を救い出してくれた。

 彼は、一歩一歩着実に歩き始めていた。去年、今の私のような状態だった彼は、しっかり再び立ち上がっていた。そして結果を出していた。近況と、愛想のない言葉が添えられた冷たくみえる彼の文章は、仲間としての温かさに溢れていた。こんな短い文によって長い間底に沈んでいた私が、立ち上がれそうな気持ちになったのは、彼が仲間だったからだ。

 別れの日に、「ここにいるやつは、みんな俺の家族だ」と言った人がいた。この言葉は、私の中に生きている。そして、仲間みんなの中に生きていた。そういう仲間と出会えたこと、そして短い言葉でも、互いをしっかりと支えあえるような仲間になる時間を過去に持てたことを嬉しく思う。そろそろ立ち上がれそうだ。


2002年09月28日(土) 前に歩く

 寒くてお布団から出れず、3度寝くらいした。一度起きたものの、あまりにもたまったやるべきことを目の前に、やけくそになり再び不貞寝。気付けば、完全に今日一日終わったといえる時間。さすがに驚いた。ふえぇ〜〜〜ん。

 しょうがないさぁ・・・。と自分に言い聞かせ、気持ちを引き締めようと水シャワーなど浴びてみたり。

 どうも弱っているらしく、昔の仲間を思い出したり。そんな昔の仲間と、一年ぶり位で、電話で数分話し、気持ちが落ち着いた。別に特別な会話でなくても、こういうのって、安心や安定をもたらすものだなぁと。

 大学の仲間は、卒業し、それぞれの道を歩み、私と数名だけがまだ学校に残っている。場所が変わらないというのは、自分がまったく前へ進めていないのではないかと、少し私を不安にさせる。時間は進んでいるが、私の場所は変わらない。彼らは、前に進み、新しい世界で生きている。私は、彼らといた時と同じ世界の延長線上にいる。そして、そこでもがいている。

 彼らと会った時に、同じ場で留まって、まったく前に進めていないと思われるのではなく、前に歩いていると思われたい。ふと、そう思った。互いに対する信頼感や安心感は変わらず、しかし別の道でしっかり前に向かって歩いているのだなという気持ちで、再会できるように、場所が変わらなくとも、私の中で、私は前に歩かねば。


2002年09月27日(金) 妄想癖

 なんとなく、頭の中がつまってます。つまっていると言っても、いろんなものが入りすぎて、すっきりしないというのではなく、蓋が閉じて、何も入らないというかんじ。困った。ホント困った。機能停止状態。困った。。。

 そんな気分を抱えて田んぼ道を歩いていたら、あれ、まぁ、稲が刈られておりました。うう。いつの間に?今年こそは、稲の成長をしっかりと観察していようと思っていたのに。。。私の最後のはっきりとした記憶は、緑の絨毯がウネウネと風で揺れている状態でした。

 でも、なんとなく黄金色の絨毯も、見たような気がする。気のせい?やはり、しっかり意識していないと記憶として残らない、脳に印象付けられないんだなぁと実感。

 そうそう、意識しないで歩いたりしている時に、私が何をしているかというと、大きな声では言えないのですが、妄想なのです。本を持たずに電車に乗った時や、寝る前にもします。。これがいけないのかなぁ。これって、私特有のことなのか不安だったのですが、知り合いから、暇な時、妄想でもするかぁ〜と、小一時間過ごす人がいると聞いて安心しました。

 そんな私は、夢を見ることにはまり、夢を見るために寝る時期があります。でも、最近はあまり楽しい夢を見れない。見たい夢を見れる技が欲しいなぁと切に思うのですが、実際そんなことが出来たら、私は夢の世界の住人として一生を過ごしそうだ。


数日前にHPの植物日記更新♪


2002年09月25日(水)

 キンモクセイの香りが漂っています。優しい香りで好きなのだけれど、なんとなくトイレの香りって思ってしまうのは、私だけでしょうか。

 目が痛い。目というより、目尻がしわしわ痛い。しわしわ?ええと、鼻をかみすぎた後みたいな痛さ。原因はわかりませぬ。

 夜は窓の外から虫の声が聞こえます。この声が聞こえなくなるのって、よく考えたらいつ頃か知りません。この声が聞こえなくなったら、秋が深まったということでしょうか。

 真っ赤なノースリープ、かなりのスリットのロングスカート、高いヒールのサンダルで、お尻を振りながら歩いている女の子を畑の間の道で見ました。季節にも場所にもあっていなくって、なんだか笑ってしまいました。

 下手すると、来週発表を3つ抱えそうです。

 


2002年09月24日(火)

 夕方ドラマの再放送。なにげなく見ていると、先日までやっていた、小泉今日子や黒木瞳が出ていた“恋を何年休んでますか”(こんなタイトル?)だった。おい!それ、あたしのことじゃないですか!などと思い、ほげ〜と見てしまいました。結婚しているわけでもないのに、妙にリアルさを感じてしまい、ちょっと悲しくなりました。

 夜に本を読みながら、何気なく小谷美紗子を聞いておりました。これまた、なんだか悲しくなりました。いや、別にこの人の曲を別れた恋人と聞いたことがあるとかではありません。大学2年ごろ、なにげなく男の先輩に恋愛話とやらをふりましたら、先輩はこれを聴け!と言って、小谷の失恋の曲を流しはじめました。大爆笑したのを覚えています。その先輩の彼女は、女子高生で、留守電に「別れて下さい」といれられていたそうな。

 そんな昔のことをふと思い出して、あのころは、恋愛などというものへの感情が自分の中にあったなぁ〜などと。

 その先輩は小谷のアルバムを貸してくれました。私にとって、小谷の曲=その先輩になりました。きっと私はあの先輩が好きだったのでしょう。卒業式の日、先輩は私の家から学校に行きました。でも、お互いに何も気持ちは交わしませんでした。今でも、それは良かったと思っています。ただ、「私は男としてではなく、人としてあなたを好きだ」とだけ言いました。

 別に、いまさらあの先輩を思い出して、切なくなっているのではなくて、小谷を聞くことによって、対象のない恋心だけが抽出され、妙に恥ずかしい気持ちになっているのでした。みなさまにも、そんな曲があるのではないでしょうか。


2002年09月22日(日) 果物の皮

 雨ということもあり、だいぶ気温が下がっております。秋ですな〜。もう夏が去ってしまうことを悲しんだりしてはおりません。秋なら秋を堪能しようではありませぬかという気持ちです。

 冷蔵庫には、一人暮らしには不似合いなことに、梨、りんご、柿が入っております。全部もらい物ですが。実家から送られてきた梨。これが居様に大きいのです。プリンスメロンより大きいかも。

 さて、皆様はこれらの果物は皮をむくでしょうか?私の友人に柿の皮をむかずに丸ごと食べている人がいます。これは、ちょっと驚きました。ちなみに、私は基本的に柿と梨の皮はむきます。りんごはその時々ですが。果物の皮を剥くと、貧乏性のせいでしょうか、捨てるに忍びないといつも思うのです。そうそう、グレープフルーツやみかんの皮も、いつももったいないなぁと。

 そこでです、この皮を有効利用しようとそのままお風呂に入れてみたり、乾燥させてお風呂に入れてみたりするわけです。しかし、香りを楽しむとか、肌がつるつるになるというような、期待していた程の効果はないような。柿の皮などは、お湯がぬるぬるするだけで、反対に気持ち悪いことに。。。みかんの皮は、掃除に使うなどの方法もありますが、その他の果物の皮。なんか良い使い方はないですかね。

 


2002年09月20日(金)

 ネパールの友人とメールのやりとり。お互いの母国語ではない英語でのやりとり。会話ならば、寧ろ母国語ではない人との方がラクチンなのだが、文章になると、辛い辛い。

 二人とやりとりを数回しているのだが、一人はホテルのマネージャーというだけあって、綺麗な文章。なかなか粋な英語を使ってくださり、かたくない文ということから、結構英語を使いこなしているのだなと。寧ろ、私の文章が下手っぴで、かたくてお恥ずかしいというかんじ。

 しかし、もう一人。。。まず、せめてスペル間違いをしないで欲しい。文法よりも何よりも、スペルを間違われたら、訳がわかりませぬ。数多くある間違えの中には、書きたかった単語を音で予測できるものもあるのですが、全くわからないものも多々。そして、文のつながりがなくて、過去とか未来とかそういうものを気にして書いているのかもわからなくて、誰のことを言っているのかもわからなくて、困った。。。

 で。そんな彼は私の文章を理解しているのでしょうか?と疑問があるわけです。もしかすると辞書を持っていないかも、と思い、出来るだけ簡単な単語で書いて、一文を短くするという気を使っているのですが、彼はそんな私におかまいなしに、わけのわからない、つながりのわからない文を書いてくるわけです。私が何かを質問しても、その答えの文章が、なんとなくずれているのです。

 これは、2重の勘違い文を送りあっているのかも。私が書いた文を彼が少しずれて読み、返事を書くときに、また英語力のために書きたいこととずれが生じる。。。もしかするとですよ、彼もそう思っているかもしれない。やはり日本人は英語駄目だなぁ〜なんて。し・か・し、何度読んでも私にはスペル間違いはないわけでして、文も中学生が読めるであろう文なわけです。

 今まで、英語でのコミュニケーションは、文章の方がラクチンと思っていたのです。何せ、日本人の英語はtalk用ではありませんから。しかし、それも相手によるのだなぁと。相手が会話英語の場合は、文だとますます困難になるのだなぁと。 


2002年09月18日(水) 本当はわからない

 ええと。昨日の日記は、今読んでみると少し誤解を生むような形の文章ではなかったかと、反省しているのであります。これも私の文章力のなさであり、それプラス今回のことで、私なりの見解というものがはっきり見出せずにいるというところに理由があります。

 決して、拉致問題が国家の犠牲として、公の犠牲としてとらえるべきだと申したわけではありません。

 あの場での公とは「和」の実現へと向けられるであろう視点として用いていました。昨日も言いましたように、「私」を捨てるは国家に従順であれということではなく、互いを考えよ、互いを考慮せよということでして、和から出発して考えていたのであります。となると、延長線上に国と国の和を実現するという「公」もあるのではないかと思いました。その方向へ向かうために、交渉再開は評価できるのではないかと思ったしだいです。

 今、学校では子供を叩くことが禁止されていますが、果たしてそれで教室という小さな社会は成り立っていくのでしょうか。言葉や意思が通じるようになるのは、人でも国家でも同じスタンス同じ秩序感がある場合です。子供に、社会的秩序を教える段階で、大人の秩序を最初から適用し、暴力はいけない、だから叩かないというのは、少し無理があると思います。力を使わないというのは、理想論であって、現実的ではないと思うのです。

 でも、今までかたくなに門を閉ざしていた国が、直接的な力を用いる前にどういう理由にせよ門を開いた。門が開いたならば、そこへ日本は入り込み、同じスタンスを持つことが出来る国、客観的とまでいいませんが、自国のことだけではなく、せめてアジア全体のことを考えられる国になることを希望するわけです。

 となると、やっと門を開いた国を、自国を守る視点だけではなく、周囲に目を向ける視点「公」の視点を交渉によってもたらすことをすることが、これから出来るのではないかと。そう思ったのであります。

 あの国が、そういう視点を持たない限り、拉致問題に対しても真実が語られずになってしまうのではないかと。そういう気持ちであったのです。交渉に期待するというのは楽観的かもしれません。でも、出来る限り力を使わずにこれから歩んでいきたい。そう思うのです。そのために、開いた門を閉ざしてはならないと。

 と長々と書きましたが、私が今思っているところは、少しでも開いた門を開け続けようとした。それは評価したい。そこだけがはっきりしているのであって、今後どのようにしていくべきなのかは、お恥ずかしいことにはっきり言えないのが現状です。先に国交を結んだ南と日本の関係。その他、日本と中国。現状を考えれば考える程、根っこが深くなっていって、どうしようもない。国がもともと持つ民族性まで考えだす始末で、合理的な考察な苦手な私としては、国同士の関係の理由を探しても、解決法を偏っているにせよはっきり示せないという状態です。わからないのに、こんなことを書いてしまうことに対しても反省ですが。昨日の文章を無責任に投げ出したくなかったので。
 


2002年09月17日(火) 「公」と「私」

 ええと。非常にショックでした。北朝鮮問題。世論は今回の件に関して厳しいとマスコミで言っております。ということなので、世論を調べるべくいろいろな人の日記や掲示板を見てみたりしました。その結果、世論は厳しいが、私の個人の意見ではよくやったと思うというものが多かったであります。そして、私個人的にもその感想であります。

 首相は他に方法があったのでしょうか。私にはわかりません。首相は「公」であって、「私」ではありません。やはり「公」として彼は決断したのだと思います。「私」が「公」をつくるのでしょうか、それとも「公」という前提で「私」は生きているのでしょうか。難しいところです。横田さんのお母様の言葉にその両極面が非常に現れていたと思います。

 もちろん遺族の方の思いを考えると、国交正常化交渉の開始があまりにも早急で、納得できないというのもわかります。自分が遺族だったら、戦争だ野郎くらい言ったと思います。たぶん。

 聖徳太子は十七条憲法において、国家の理想の原理として「和」を置きました。その和の原理と議論の仕方を結び付け、客観的な理に達する道として衆論を重んじています。それは、衆論が多数意見であるからではなく、人々が私を離れ、平らな気持ちで物事を考えたならば、衆論がおのずから理に向かうであろうということです。ここでいう平らとは、民、臣が私をなくし、公を念頭に事を考えることだと思います。また、私をなくすとは、決して公(国家)に従順になれということでなく、よこしまな気持ちをなくせということであります。
 この憲法は道徳的訓戒に近いものであるので、罰則を要求するものでもなく、中央集権的国家の成立の準備であり、公共的生活を行う上での人の道、国家に関する限りの人の道を説いたものであります。

 さて、ここでです。かつては、君(天皇)=国家=公であったわけであります。それは、天皇の神聖性によって保たれてもおりました。よって、詔に対しては臣、民は必ずそれを承らなければなりませんでした。私見ですが、臣、民は和によって客観的な理に辿り着き、国家を築いていくわけで、神聖性を保つ君が発する言葉は、宗教家が発する言葉のように何も語らぬ語りであったのではないでしょうか。

 現在の日本においてその図は成り立っていません。しかし首相という存在があります。首相は君ではありません。首相は神聖性も持ち合わせておりません。となるとです、彼の行動はどこにあるのかと。民意を反映した「公」なのか、彼独自が考える「公」なのか。そして、国民全体が「公」に関する人の道というものを考えているのかと。

 少し、アナクロな「私」と「公」を持ち出してしまいました。というのも、今までの半島と日本の関係も考えていたら、なんだか私の中で今日のことがよくわからんのです。そして、国家とか国と国ということもよくわからんのです。ただ、やっぱり、首相は「公」としては評価できる行動、決断をしたのではないでしょうか。と。


2002年09月14日(土)

 急に寒くなり、虫の声も少し小さくなった今夜。急遽出した毛布。干さずにかぶったためか、鼻がむずむず、鼻センサー。ちなみに目もちょいと痒い。うにゅぅ。

 本日は父と二人で昼間っから飲み屋へ。この飲み屋、下町では知る人ぞ知るホルモン屋。確か平日は午後2時開店。今日は12時開店。飲んだくれ親父達が開店前から並ぶ。開店と同時に満席。親はずっとこの店に通い続けている。私は久し振り。

 ここには、懐かしいような下町の図が残っている。メニューはないので、初めての客は、周りの人が食べているものを見て「それ何?」と聞きながら頼む。なみなみとコップにつがれる焼酎を口の方からお迎え。もちろんコップの下には、こぼれたお酒を受けるお皿。マスターは客の飲む量、酔い加減を観察して、客に合わせてお酒の濃さを調整。酔っ払いは追い出される。灰皿はなく、おやじ達は、床に吸殻を落とし、競馬の時期、赤鉛筆を耳に新聞に目を向けるおやじ、初めての客にいろいろ教えるおやじ、常連同士で語らうおやじ、素敵な空間。とにかく、おやじおやじおやじというような店。

 でも、時々テレビで紹介されるようになり、少しばかり女性客も昔よりちらほらと。

 「今日は飲みすぎ」とマスターに言われ、自分が幼い頃、そこで酒を飲む自分の姿は想像したことなかったなぁと思う。子供の時始めてそこに行ってから、まったく変わらない空気がずっとここには溢れている。そして、この先も私達の年代がその店を愛し続けていくのだろう。

 帰りに、昔と同じように駅前でコロッケを買い食い。父は実家へ、私はアパートへ。昼間から赤い顔した親子がふらふら帰宅。


2002年09月12日(木) ○○しなきゃ 2

 休み中の学校は良い。人が少なくて良い。

 と思いながら、行ってみたら、結構人が多くて、ちょっと悲しかった。

 ○○しなきゃゲームを、少しづつ実践中。一番の課題、朝起きるは無理でした。まぁ、朝7時まで起きていた時点で、駄目なのはわかっていたのですが、早く寝なければと寝たものの、眠れなかったのですからしょうがない。

 昼ごろ起きて、お風呂掃除をして、原稿を友人に確認してもらうために準備して、郵便局でネパールに手紙を出して、学校へ行って、研究会のための仕事を終わらせ、友人に原稿の確認をしてもらい、レジュメを作って、図書館で調べ物をして、一緒に帰る友達を待つ間決めた本を読んで、帰り道その友達を家に招待したついでに夕飯を作ってあげ、二人で食べた後に食器をすぐに洗い、帰った後に風呂に入り、今日やる分のテキストを読み。。。

 と、これをやる前に全て、今度でいいや。後でやろう。行くのやめよう。今日はやめようという内容の言葉が入ってます。そして、いや、やらねば。という言葉が入ってます。

 となると、もしこのゲームを始めていなければ、全部とはいいませんが、上記のことをやっていないわけです。 こりゃ、今までずいぶんやらねばならぬことをやっていなかったということです。でも、そのやらねばならないが、やらなかったことの中でも、本当にやらないと困る!ってことは、どこかで補ってきたわけです。不思議。どこで補ってきたのでしょう。

 いや、補ってきてないから、いい歳して、ふらふらしているわたくしが出来上がっているのか。。。。


2002年09月11日(水) ○○しなきゃ

 ちょっと、本気で心を入れ替えようかと思ったのです。よくあるではないですか。あ、洗濯物いれなきゃ。後でいいや。。。食器洗わなきゃ。後でいいや。。。ああ、冷蔵庫の豆腐が腐るかも。いや、明日も食べれるさ。。。この番組を見たら、テレビを消そう。あ、次のニュースも見たら消そう。。。起きなければ。もう少し寝よう。。。レポートやらなきゃ。いや、明日にしよう。。。授業でなきゃ。来年とりなおそう。。。

 そんなかんじで、十数年生きてまいりました。いやいや、そろそろそれではいけないのではないかと。。。
 本来は、何かある時は前もって準備していないと気が済まない性格のはずなのです。中学の頃は、期末テストの3週間前から準備というような、今では考えれらない子でした。でもね。そうやって、前から気をつめていると、段々疲れてくる。それで、嫌になって、そういうことをいつの間にかやらなくなりました。でも、何もしないのに、相変わらず気持ちだけは早い段階からあせるのです。とほ。

 そして、最近では、早い段階から気持ちだけあせって、やらねばと思いつつも、直前までダラダラと実のない時間を過ごしております。ならば、思いたったらその時に集中してなんでもやりゃぁいいのではないかと。当たり前のことに気付いたわけであります。

 となると、実生活もそれを気をつけなければなりませぬ。そうそう、最初に書いたように、起きなきゃと思ったら起きれば良いわけで、牛乳を飲み終えたら、すぐにパックを洗って干せば良いわけです。計画をたてて何かをすることが苦手な私は、思ったら即行動というやつを、実践すべきなんではないかと気付いたわけです。

 いや、無理だとは思うんですけれどね。でも、頭に浮かんでしまった、○○をやらなきゃ!をすぐに行動に移せたら、もしかしたら、私ったら、進歩を遂げられるんじゃないかと思ってみたりして、少しゲーム感覚で楽しんで実践してみるのも良いのではないかと思ったわけであります。
 


2002年09月10日(火) 一番安いのください

 ご近所のお店。薬や雑貨を売っている。葉書や切手も売っている。本日葉書を買いに行きました。何に使うか聞かれ、懸賞の応募にと言うと、おばちゃんは、数年前の残暑見舞い葉書を数枚ただでくれました。ありがと〜〜おばちゃん。

 ちなみに、このお店。絆創膏を買いに行った時、一番安いのをくださいと言ったら、100円分くらいばら売りしてくれたこともある。

 ばら売りってのは、良いなぁ。たくさん買ったとしても、使いきらないうちにどこかへ行ってしまうのだし、安いからといってお買い得品と書いてある大きな物を買っても、一人暮らしだと邪魔になってしまう。お買い得品といって、量を増やさないで良いから、値段を下げておくれよと思う。
 
 必要な分だけを手に入れる。それがばら売りだと可能になる。こういうことは、個人商店でしかできないことだ。こういうお店は、いつまでも残って欲しいもの。
 
 そういえば、友達もそのお店に体温計を買いに行って、「一番安いのをください」と言ったそうな。この周辺は学生が多いので、きっとそのお店では、「一番安いのください」が合言葉みたくなっているのだろう。友人は、その時歯ブラシも買おうとしていて、「一番安いのください」と再び言ったら、ただでくれたらしい。おばちゃん。本当にありがとう。


2002年09月09日(月) 街頭演説

 民主党の代表選挙立候補者の街頭演説に出くわした。菅氏と横路氏の演説は終わっており、鳩山氏と、野田氏の演説のみ立ち止まって聞いてみた。鳩山氏は相変わらずなかんじ。野田氏には、勝手連が沢山ついているようで、聞いている側が適度に盛り上がっておりました。

 ところで、この選挙。私達一般市民が投票するには1000円払ってサポーターになることによって可能になるとのこと。むぅ。党首=首相だったならば、払っても良いかもと思いつつも、1000円払ってまで投票して党首や首相なって欲しい人はいないのぉ〜と。

 結局二人の演説しか聞けなかったが、それぞれの言い分もわかるし、政策も頷ける所が多々。しかし、その政策の先にある社会の未来というものが、やっぱり見えないなぁというのが本音。政策というものが、現状の修正や改善を目的としたものが多いことにいつも納得がいかない。現状を直すのではなくて、その先に築こうとしている社会に向かって政策を展開して欲しいものだなと。

 官僚主体の政治であり、民主主義国家という名を掲げながらも社会主義国家であると言われるわが国であります。いつも思うのは、そういう中途半端さがいけないのだと。国民自身も悪いのでありますが、何かが起きると、国や企業に責任を求めますが、責任をとってくれる場があるということは、そこに対して、自分の選択権を少しばかり委ねることになる。

 例えば、レストランで残り物を持ち帰りたいと言った場合、レストラン側は食中毒を恐れてそれを拒否することがある。でも、私は持って帰りたい。レストランがとめるのを無視して、私が残り物を持って帰り腹痛に見舞われたら、あ〜言うこと聞いておけばよかった。私って、バカねぇ。と思うことでしょう。反対に、レストランが持って帰ることを勧めも、とめもしなかった場合に、私が残り物を持って帰ってきて、腹痛になったならば。。。もしかしたら、こういう時の責任のありかは法律で決まっているのかもしれませんが、私自身の見解では、こういう場合も持って帰ってきてしまった自分の判断ミスということで、自分に責任があるなと感じます。私自身が、選択する自由を行使して、自分の判断で行った行為なのですから。でも、人によってはレストランが持って帰ってはいけないという表示をしていなかったとレストランに責任を求める場合もあるでしょう。

 どこまで相手に責任をとって欲しいのか。国民側が、どこまで自己選択権を持っていたいのか、それを明確にすることが非常に重要だなと思うのであります。公務員の給料や人数が多いから、賃金カット、人員削減しろとかではなくて、どこまで必要か国民は考えるべきであり、そのためにはどれだけの予算が必要であるかを国がはっきりさせ、互いに納得していかなければならない。国民全ての願望を満たし、平和かつ公平、皆豊かなどということは無理なのですから、して欲しい所と、我慢することを国民自身がもっと考えて、国の方向を考えていかなければ、いつまでたっても、目の前の問題をえっちらおっちらと直して、うねうねぐるぐると回っている、前が見えぬ国になってしまうなと思う。

 どこまで必要か。どこまで、自分で選択したいか。どこまで守って欲しいか。守って欲しいし、与えて欲しいし、選択もしたいというのは、無理なのですから。
 


2002年09月05日(木) NHKの深夜映像

 寝る時に、テレビをつけたままで寝ることが多い。聞きながら寝るわけではなく、なんとなく、小さな明かりと小さな音があると安心するからだ。そういう時は、だいたいの場合NHKだ。

 NHKで、深夜番組をやっていない時、音楽とともにいろいろな映像が流れる。それを見るのが結構好きで、ぼ〜っと見続けて、寝れなくなってしまうことも多い。

 その中で、深夜3時ごろからかしら。ある時代の音楽を流して、その時の映像を流すというものがある。これが、なかなか面白い。そして、ちょっと切なくなる。昨日は80年代シリーズで、映像は500円硬貨発行や、消費税導入の様子だ。そうかぁ、そんな昔のことだったのかなどと思う。この映像を見ていて、服装や化粧を観察するのも面白い。どう見ても、バブルの頃の映像は恥ずかしいかんじ。でも、70年代はかっこいいなぁと思ってしまう。この感覚も、今だから感じるのでしょうか。

 自分の生まれた頃や、自分が生まれる前の映像を見ると、父や母の若き頃の姿を思い浮かべ、彼らはこの時、何を感じていたのだろうかと思う。そして、彼らのその頃の年齢に段々近づいている私を振り返ってみたり。。私が知らない時の彼らが、その映像の中で笑っている若者にかぶさり、彼らにもこういう笑顔があったのだろうと思うと共に、私が知っている彼らは、滅多にこんな笑顔を見せないことに寂しくなる。そして、笑顔を作り出してあげることの出来ない自分を、少し悔やんだりする。


2002年09月04日(水) 浮と放

 本日も外を歩けば汗がだらだらと。。。夏はまだ頑張ってくれているようで、嬉しいなと。

 私のこの日記は、「エンピツ」という所のスペースをお借りしております。そこでです。お気づきの方もいらっしゃると思うのですが、旅から帰ってきて、私はこの日記を登録しているジャンルの変更を行いました。私は、旅/放浪というジャンルにしたはずなんです。しかしですよ。このエンピツ。トップ画面には、ジャンル旅/放浪となっているのですが、他の画面では、私が登録しているのは、旅/浮浪となっているではないですか。(試しに、この日記の下の方にある、エンピツのバナーからエンピツのHPにいき、旅/放浪ってジャンルの所押してみてくださいな。)

 放浪と浮浪。なんだか、ずいぶんイメージが違います。でも、なんだか私には、浮浪の方がぴったりなような気がしております。エンピツの方が確信犯的にやっていることなのでしょうか。本当はやっぱり、放浪なのでしょうか。もし統一するということならば、浮浪の方が良いななんて思ったりしています。
 ちなみに浮浪という言葉の方は、根付いていないという所が強く、放浪という言葉の方はさまよっているという動きの所が強調されているようであります。
 


2002年09月03日(火) 秋刀魚

 昨日は、実家の庭で秋刀魚を七輪で焼いた。遠火で焼いていたので、だいぶ気長な作業。庭に座り込んでいると、虫の音が聞こえ、時々秋刀魚のあぶらが炭へ落ちて、じぃーっと音をたてる。もう秋なのね〜。

 でも、昼間は非常に蒸し暑い。実家では殆どクーラーをつけません。でも、ご近所がクーラーをつけているため、窓を開けている我が家には、その熱気が入り込んでいるようで、以前より非常に暑い。風もない。

 意気揚々と勉強道具を抱えて行ったのですが、暑さに負け、犬が寝ている場所を横取りし、だらだらと過ごしてしまった。

 実家を出て、数年になりますが、お金のことを考えると実家に帰った方が良いし、家族も帰ってきて欲しいと言います。祖父は、完全にぼけているので、その世話で、精神的に母は時々壊れてしまう。こういう家のことと、上手く付き合えると良いけれど、なかなか難しいものだなと。

 もし、実家に帰ったら、上手くやっていけるのかしら。一人で部屋でだらだらしていると、実家に帰ってちゃんとした生活をするのも良いなと思うが、いざ帰ってみると、ううん、いまいち居心地が悪かったり。。。

 でも、結局は実家でも、ごろごろしていたわけなので、私が私を律することができなければ、どこに居ても一緒なわけなんだけれどねぇ。。。

 それにしても、炭で焼いた秋刀魚は美味でした。やっぱり、庭があるのはいいなぁぁぁ。実家の方が、土いじりもできるしな。。。


2002年09月01日(日) 夏休み

 9月頭から授業が一つだけ再開するということで、明日学校へ。久し振りの学校に脅えております。

 そういえば、都内の学校は明日から2学期。今頃、明日からの学校の再開を楽しみにしている子、脅えている子、宿題が結局終わらなかった子、私が小学生だった時のように未だに明日から学校が始まるという事実を信じられず、受け止めきれずにいる子、いろいろなのでしょう。

 小学校、中学、高校と、私は決して夏休みに学校に行きませんでした。 休みというからには、普段行っている場所に行ってしまったら、休みではないではないか。という理由だったように思います。

 大学に入り、普段行く場所である大学は、義務で行く場所ではなくなり、行きたくなければ行かなくても良いという環境になりました。それから、私は、休み中の学校が好きになり、わざわざ勉強会を夏休みに学校でやってみたりしました。

 そんな私も今では、普段学校に行きたくなければ、行かなくても良いという身分ではなくなりました。となると、再び休み中は学校に行きたくなくなるわけです。しかし、休みは休み♪と言っていられる身分でもなくなりました。寧ろ、休み中になんとかしなければ、夏以降が思いやられる・・・という気分でいっぱいの私であります。

 そんなこと言いつつも、数週間学校から完全に離脱し、旅に出てしまった私。いえいえ。後悔はちっともしていません。

 やっぱり、休みってのは、完全に休むってことは重要だなと、金曜日位からトクトクと湧いてきた、やる気を感じて思ったのでした。

 それにしても、8月が去るのは早いものです。
 


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