FILL-MIND [フィルマインド]心情記 

   
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2002年09月30日(月)  ■冷静と情熱■

 日々が世話しいと、純粋に自分の読みたい本を読む時間を捻出するのは、至難の技でもある。
 私の本棚には、まとめ買いをしたまま忘れ去られてしまっている新書も、少なくない。そのうちのひとつを昨日一気に読破し、かなり満足度が高い本日。

 以前からずっと読みたかった。昨年秋に映画を先に見て、その気持ちはさらに高まった。
 映画は大手スポンサーがついて商業ベースでの話題性が高い作品だったけれど、良いものは良いと素直に思う。

 純度の高い恋愛小説って、心の栄養になる。現実から離れた異次元に引き込まれている間に、ささくれた想いは柔和になり、感覚は増殖されていく。

 年間、数千の新作が出される中、数本しか映画も小説も、私は見ることができない。それらが、ほとんど神がかり的に自分の感性にマッチしてた時の喜びはひとしおだ。それは、人との出逢いにも当てはまるけど。

 さて、秋の夜長、まだもう一冊、読まなければならなくなった。

「冷静と情熱のあいだ  blu」を読み終えて、主人公の順正の心の趣を知るだけでも十分に完成度は高い。しかし、もう一人の主人公あおいの心の内を知らなければ、この小説は終わらない。
「冷静と情熱のあいだ  Rosso」が読める時が待ち遠しい。

 一つの事柄を男の視点と女の視点、両方から探っていく手法。私の創作に通ずる。そこに、冷静と情熱は共存している。




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2002年09月27日(金)  ■創作の幅■

 私の文章作成時間は最近は専ら通勤時間。
 携帯メールにパコパコと文字を打って作文を仕上げていく。30分程度の時間では500文字が限界で、ちょうど1メールの最大文字数に収まる。3メール分書ければ創作のだいたいの起承転結はまとまる。調子がいい日は朝昼晩の空き時間にそれをこなし、深夜、家に帰って仕上げる。そんなペースでやっている。

 ルーティンワークだけでない日中の隙間に創作をするのは、かなりしんどい。ある意味仕事で頭使っていた方がずっと楽だと思う。

 それでも書きたい想いは取り留めがなくて、暇をみつけては携帯に向かわせる。
 なんだか脳にこんな密度の濃い生活を課していると寿命は縮まりそうって思うのだけど。不思議。体は自然に慣れて、いつの間にかそんな環境に対応できるようになっている。

 そうやって人は自分の幅を増やしていくのだろう。

 1年前にはじめて"夏の日の妖精"をWEBにのせた時から、創作の幅は少しは広がっただろうか。広がっていると信じたい。



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2002年09月25日(水)  ■別れの宴■

 この日、親子ほども違う年の離れた方の送別会を開いた。この九月で定年で現場を退くこととなった取引先の方だ。
 と言っても、その方の同期の方と二人で最後の祝杯をあげる場に、私も参加させて頂いたというのが正しいが。

 最初から最後まで終始笑いが絶えなくて、本当にいいお酒だった。

 仕事で年輩の方と飲む機会はわりとある。一応独身女性の部類に入る私は、それこそおじさん族には重宝がられる時もある。本当のところ、そういうのは疲れることも多いが。

 でも、その晩は世代や性別を超えて、こんなに楽しめるのかって少し自分が驚いた。
 華が欲しいだけの場合とは、明らかに違っていたからだろう。きちんと一個の仕事人として迎えてくれて、同じ視線で語ってくださる紳士な対応があったからだろうし、とても私の仕事を理解くださったゆえでの、楽しい時間だったような気がする。

 実際は定年で同僚の方は系列会社に残れたが、彼は別の会社へ行くことが決まっている別れでもあった。きっと胸の奥には様々な想いがあるのだろうと思う。考えると少し切ない。

 そんな時期にわずかでも私の存在で和ませられたなら、本当に嬉しいことだ。
 また、仕事が離れてもきっと会おうと約束して別れた。

 出会いを喜べる楽しい時の経過に、感謝はこぼれ落ちる。そんな大切な日を、心に記しておきたくて…。

 日付は遅れてしまったけれど、ここに更新しておきます。(2002.9.29記)


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2002年09月24日(火)  ■探究心■


激しくなければ心じゃない。
強くなければ想いじゃない。
深くなければ、愛せない。

切なさの向こう側。

心が映し出す信念の鏡。危うさはいつも表裏一体。

ひとつひとつを解き明かしていくように真実の中を浮遊する。
現実は痛く悲しく、顔をしかめたくなることばかりで、苦しさは募る。

でも、ほんの一瞬、輝く一塊の岩石を見つけだす瞬間。
必ず訪れるその喜びにまた会いたくて。だから探求はやめられない。

探し続けたい。麻薬のように妖しくても。

何よりも深い探求のその先。許すという痛み。
私はただその一点を極めたくて、人を想う。

諦めない真のこだわり。許容点に到達する時。
自分を許し、人を許し、運命を許して。

深い部分に潜む真実。決して 逃げていかないもの。
見つけ出すために、今日もまた歩む。あてなどない長い道のりを。




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2002年09月23日(月)  ■影響力と潜在力■(後半 街角綴:高尾)■

私が誰よりも、何よりも好きで、大切にしている女流作家がいます。

彼女はデビュー当時、今の旦那様とは違う男性と、一緒に暮らしていました。
ちょうど大きな賞を取った前後に、その彼が逮捕されて強制的に離れなければならなくなり、しかも彼は酒に酔った上での婦女暴行のような容疑だったと記憶しています。情報ソースが曖昧なので、不明確な点が多々あり正確なことが書けなくてすみません。
その手の話に全然疎くて、当時まだ、私自身が彼女に興味がなかったため、全て後から知った話ゆえ。

若い女流作家の大賞受賞と強烈なスキャンダラス性が相まって、かなりマスコミを賑わしその作風からも、嫌らしく書き立てられていたのだろうと想像できます。
また、皮膚の一部のような存在で一緒に暮らしていた彼の裏切りにも耐えなければならなかった心情。どれほど深く傷付いていただろうかと思うと、痛みに胸を襲われます。

その中で、彼女は意欲的な執筆を続け、年間数冊の単行本をあげていました。
その頃の書籍を見ると、本当にがむしゃらに書いている感が否めないものも見受けられます。
その頃の背景を感じながら読み直したら、きっともっと胸詰まる想いになるでしょう。時間が有る時、一度作品を時系列に並べて読み返してみようと思いつつ、なかなか実行できないままだけど…。


こんな話を書きたくなったのは、ただひたすら書く、そんな心境が今の自分にクロスしてくるような感覚だと思えて…。もちろん、全然背景は違うけれど。

どんな状況でも、どんなに辛くても、貫くべきことはやり抜く。むしろ、感性が尖っている時だからこそ書かずにはいられない。彼女のそんな姿勢を手本にしている部分は大きい。

人は誰しも何かしらの影響力を受けて、育ってゆくもの。私にとって彼女の作品から滲み出る、醸し出すパッションは、絶大な力で私の基盤を作ったと言っても過言ではないかも。(ちと大袈裟かな…)

ただ、書く。それだけで救われる日々もあるのかもしれない。書き続けたい。だから、今日も。

女流作家の名を伏せたのは、あまりにも大切な存在なので少し恥ずかしいからかな。多分、分かる人は分かるでしょう。私の文面から見ても、ばればれだし…。

さぁ、がんばろうと想いをこめて。


2002年09月23日(月)  ■街角綴:高尾■

ごくたまに、身近に薄っぺらいって思えてしまう人と遭遇し、戸惑う時がある。言っていることと中身が伴っていないタイプ。決まってそんな人ほど大口を叩く。

痛々しくもあり、情けなくもあり。それでも人間だから話してみると健気さを感じて、つい情が移る。それも、深情けの一種と言うのだろうが。

*  *  *

だいぶ前に、いい大人になってデートコースに東京で一番高い山、高尾山登山を選んだ人がいた。わざわざ早起きして、私はお弁当までつくって。
誘って来たのはひょんなきっかけで知り合った高校教師。現代社会が専門らしく、時事事項とかその私的な解説とか、よく喋っていた。バブル崩壊後の経済やら企業戦士うんぬんやら。
でもそれがとても陳腐で…。

学校という守られた世界だけに通用する理屈。マスコミ情報だけで出来上がっていく論理。職業教師という見おろす立場の人からものを教わったのは十代の頃しか覚えていないけど、こんなにリアリティに欠けていたんだっけって、内心少し焦った。

母校の恩師はこうではなかったはずだと慰めながら歩いた山道。確か、季節はさわやかな風の吹く山菜の旬な頃だった。

頂上で食べたお弁当。半熟の茹で卵をえらく気に入ってくれて、出来栄えの良さをとても誉めてくれたっけ。そんなとこ、いい人だったな。


薄っぺらな言葉たちは心に何も響かせない。

体験が伴っていない言葉は、心に響かせることは難しい。でも、真摯さを感じ取り、育たせることはいくらでもできる。そこにある形にだけ捕われて放棄してしまった時、薄っぺらなまま宙に舞う。芯の伴わない言葉しか表せない貧しさを思う。


路線の分かれ道で離れて、わらびをお土産に買って、一人で戻った帰り道。とても疲れて、中央線高尾駅のベンチに座る。夕日に染まる奥多摩の山々を眺めて、茜色に映る空に身を委ねて。

*  *  *

数年が過ぎ、また同じ地に降り立つ。雲は空を覆ってぼやけた空気をつくる。
山の頂きを見上げるように母が眠る場所。秋の彼岸。まだ出来たての墓に出向いた。通り過ぎただけの想い出と共に。

半年後、またここに訪れる時は暖かい陽に浴びていたい。薄っぺらでない人生を。薄っぺらでない言葉で奏でていたい。

初秋の休日。東京のはずれ、高尾で想う。




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2002年09月22日(日)  ■感動の伝染■

昨日、ディズニーランドに行った。

2〜3年ぶりだったし、スターライトタイムのほんの4時間程度だったが、あの場所は心を和ませる不思議なパワーに満ちている。

パーク内に入る前に、その舞台裏を垣間見る機会を得ての入場だったのだけれど、そこに集まるスタッフのプロ意識の高さに、頭が下がる思いひとしおな感動的な1日だった。

ほとんど、10代や20代のアルバイトで大半を担っているスタッフ層。
そこにある誇りと情熱は、開園20年来の成功をすべて物語るかのように素晴らしくて。

演出と外部の人間向けに作り上げられた偶像が少しはあったかもしれない。
でも、来場者に素晴らしい1日を提供するための、スタッフ一人一人の徹底された心配りの背景を感じて、私もがんばろうという気持ちがとても湧いた。

人の頑張りは、人に伝染する。

次は私の頑張りを、誰かに伝染させたい。


日々の出会いは感動の宝庫。巡り合えたチャンス。
そんな、1日1日が積み重なって人生は出来上がる。

満月の晩は、素敵な想いを私に届けてくれた。嬉しさと喜びと。
その姿はおぼろに霞んでいたけれど…。

十五夜の出来事。心が満ちた夜だった。


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2002年09月20日(金)  ■感性の坩堝(るつぼ)■(後半 街角綴:九段下)■

私がよく行くサイトに毎日更新している個人サイトがいくつかあるのだけど、とても意欲的な更新頻度にすっかり脱帽している。

また、それだけ言いたいことが沢山ある感性の豊かさにもいつも驚かされ、反面、じりじりと焦る時もある。

そのうちの一人の方は、既に10日分も原稿が溜まっている、と先日書いていた。大したものだと感心し、今は、なるほどと納得する。

ここ数日、湧き起こる感覚は最大値で、感受性は非常に高くなっている。胸動かされる感動に様々に出会う。時間が許せば、私でも今なら10日分などすぐ書けそうなくらい。

一度、感性の基盤をくすぐられると、心って面白いほど敏感になるものだ。刺激の善し悪しは別にして、このチャンスを見逃すのはあまりに惜しい。

想うことは尽きない。
感受性の育つ秋。それもオツかな。明日は中秋の名月。

と言いつつ"創作物"の更新頻度に変化はない。
不純物ばかり、湧いてくる感受性。……。ま、いいか。

とりあえずは、すすきの風情を味わって、月の魅力に照らされて、団子の味に舌鼓を打って。
知恵はそれから絞ろうか。



2002年09月20日(金)  ■街角綴:九段下■

九段下という響きは、神楽坂と同じくらい好きだ。

それらの街を詳しく知るわけではないけど、名前からして情緒が漂っている。なんとなく知的。街マニアもきっと好む町に違いない。私の場合、かなり感傷的な個人的嗜好である点は、言うまでもなく…。

九段下駅には都営新宿線と半蔵門線と東西線の三本の地下鉄が入りくんで乗りつけている。乗り継ぎは迷路のように地下通路をめぐる。すきま風のように思い出を運んでくる微妙な距離を歩いて。なつかしさと苦さと。

---クラスメイトの片想い男の子と、初めて二人で行ったコンサート。この駅から、武道館に向かった。ろくに会話もできなくて、痛々しさばかりが思い出されて。遠い昔。

---バイト先で知った、好きだった人が通っていた大学がこの駅にはある。電車で通りすぎる度、偶然会えるような気がして胸を弾ませたものだ。結局、一度もそんな偶然はなかったけれど。

---せわしい日々に追われながら、通りかかったレトロチックな造りの外装。どうしてもそのホテルに泊まりたくて、わがままを言って彼にねだった。離れることなどないと信じて疑わなかった甘い夜。小さな部屋の窓から見えた駅の入り口は、ぼんやりと切なくて…。


久しぶりに降りた迷路。行きたかったホームに何度も、何度も迷った。ぐるぐると同じ道を巡って。はじめて来たわけではないのに。

やっと目的地の路線に辿り着いた時は、なつかしい顔で頭がいっぱいになっていた。
今頃、彼らはどうしているだろうか。幸せになっていてと願う。

もっとがんばればよかった、とか。もっと優しくすれば良かった、とか。今だから思いつける苦さ。時間が心を溶かしていった過去。

きっといつか、今を同じように振り返る日がくるのだろう。
秋晴れの午後。九段下で。想う。


※新カテゴリーつくってみました。「街角綴」想い出と語る街の風景。そんな感じに、ノスタルジックに。東京以外にお住まいの方、すみません。かなりマイナ−路線な街並みかも…。





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2002年09月19日(木)  ■時候記:柔肌に…■

『柔肌に 熱き血潮に触れもみで さびしからずや 道を説く君』

言わずと知れた明治の詩人、与謝野晶子のあまりにも有名な唄。
少し冷える季節になると何故か思い出す大好きな唄だ。

---柔らかい肌も、熱い血潮の通う心も、触れようともせずただ我が道を説いて行く君。さびしい。そんな気がする---

ME流の解釈。

たぎる情熱を感じて、想い迫る言葉ひとつひとつが、心に染みて消えていかない。

確か去年も、木枯らしの季節に思いだし、この唄をWEBに綴った。
今年は少し季節が早い。

今朝、北関東の日光と尾瀬では霜が降りたそうだ。
季節は動く。忍び寄る深い秋の気配。


風邪などひかずに、穏やかな日々への祈りを。皆のもとへ。




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2002年09月18日(水)  ■心情記:想う■

人を想うって、どういうことなんだろうって…。
何かある度に考えている自分に気付く。

自分が得たい喜びと、人に与えていたい喜び。
想っているだけで満足していられるなら、悲しみは訪れないのに。

人は貪欲な生き物で、あるべき姿をいつも追い求め、望んでいる。
何故、現状に満足して今を生きていけないのだろう。

深い探求は止まず、進む道は遠い。
そろそろ休みたいと思っているのに、多分きっと本心はまだ探し続けていたいのだろう。
だから、傷付いて病んで迷っても、また、明日を夢見る力は湧いてくる。

人の心は深い。人を想う気持ちはもっと深い。

通ずる道はどこに続いているのか。
今だ私にはわからない。





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2002年09月16日(月)  ■心情記:復活の三連休■

つくづく、思う。
私と長くつきあっていける人たちって、かなりのもの好きで、かなりの忍耐強い人たちなんだなぁって、改めて思った。

FILLではそんなそぶりは、全然出さないけれど、私はかなり短気でよく怒る。

父曰く、何でも無い時に、何でもない人に突然怒りだすから、周りにいる人間はかなり戸惑うらしい。

それを言うなら、父もまた昔は、しょっちゅうタクシ−の運転手などとけんかして、家族を困らせたものだ。
それが遺伝したんだわい。と毒づいてみる。

いろいろと対人関係を思い起こすと、今もしぶとく、辛抱強く、懲りずに、私を快く迎えてくれる人たちとは、決まって過去に大きな喧嘩をしたか、激しく突き放している。
全く、そんなんでもつきあってくれている皆に、仏のようだと、感謝が尽きない。

関係が親密であった過去の男性群(群という所が見栄丸見え)も、実はかなり愛情深く私を受け止めてくれていたんだと、今さら感じてみたりして…も遅いが…。

この短気は遺伝だから仕方ないが、短絡的思考回路はもう少し正していきたいと、望むところ。

『人間関係は白黒ばかりではダメだ。グレーゾーンをつくらないといけない。』
私を深く愛してくれた人の言葉だった。

もう今は、私はその人も黒に追いやってしまったけれど。
そんな昔を思い出す。あの頃と全然変わってないな、と自分を顧みる。

失ってしまう前に、こんな傷を負う前に、なんとかできたのかもしれない。
なんともならないから、人間なのだけれども。



私はなんとも激しい性格だ。それが売りでもあるが。

こんな逸品は今どき稀少価値だと思うのに、世の男どもは柔で困る。
後になって手放した阿呆は、きっと地団駄踏んで後悔することだろう。

と、らしい強がりも復活。

さて、新コンテンツも立ち上げて、ほとんど寝てない頭なのに、何故か爽快な気分だから可笑しい。
立ち直り早いと言わないように。

泣いて泣いて泣いて泣いて。

その深さに比例して、反動は大きく返ってくるものだ。
それを活かせるかどうかは受け入れた傷の深さに、これも比例しているから不思議な因果関係だと思う。

子供が大泣きした後で、ケロってしているのと同じなのかもしれない。

と言っては、心配してくれた皆には怒られてしまうな。
ま、そう言って少しずつ元気になっていく姿を、喜んでくれるに違いないと、調子良く思って舌を出す。

私って、幸せな性格だなぁと思える。きっと幸せな人に助けられているからだろう。

どうか、皆も幸せでいて欲しいと願って。寒空の三連休は終りが迫る。




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2002年09月14日(土)  ■心情記:癒えぬ深さ■

※創作はもう少し。まだ、もう少し。

胸がきゅんと締めつけられて。こんな突然に訪れる涼しい夜だから。特に。

雲が晴れていればきっと、満ち足りた月を覗くことができただろう。
揺れる月明かりに迎えられて、家路に着く道を歩けたら、少しは涙も乾いただろうか。

朝とか、夜とか。一人になる時間は、どうしてもその傷はズキズキと痛みを増してまだ燻る。
それも、しばらくは仕方ないと、心得ているけれど…。

どうしてこんなに深いのだろう。
治癒を拒む傷に疎ましさをぶつけたくなる。やりきれなさに心は沈んで。参る。ホント。
今の神様はことごとく意地悪らしい。

もしも私が、飲んだくれのあばずれでいられたら、酒をたんまり煽って少しでも気付け薬にするのに。
もしも私に、楽器が弾けたら、センチメンタルな曲を選んで、気が遠くなる程奏でていられるのに。

こんな言葉しか生み出す能力しか持ち合わせない私は、たまらない劣等感に苛まれる。

痛々しい言葉たち。端で見ている人は何を感じるだろう。

なんだか、とても切ない気がする。
なんだか、とても見ていられないよね。

わかっているのに、ままならない。

苦しい日々。早く溶けてしまえ。



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2002年09月13日(金)  ■心情記:未来永劫■

※まもなく、創作再開します。

ありがたいことに、日常は変わらず忙しい。
働かせなければならない心は沢山にある。そこには小さな喜びも様々に散りばめられていて。

日常が動いていれば、気持ちのチェンジャーは敏感に作動して笑みを運んできてくれる。
忙しい毎日もまんざら悪い要素だけではないと、こんな時に思いおこすから。連鎖する幸運を思う。

悲しみに浸かりきってしまいたくて、吐きだめにFILLを使わせてもらった。
自分を偽らずに正直で居続けるっていうのは、言う程簡単ではない。

徹底的に自分のために使った言葉。
そろそろ創作に戻れそうな。喜び。

なんだか長い一週間。
感覚に満たされて、満ち足りて過ごした一週間。
悲しいとしか語らなかったのに。

それでも、訪問してくださった皆様ありがとう。

これからも無理はせず、偽らずにいられたらいいと強く思う。

今得たもの、未来永劫消えぬもの。
傷であったのだとしても、それは深い思い出となるだろう。

感じる心が鋭敏でよかった。自分勝手な心の機微でも。

いつも何かをみつけていよう。いつも何かを感じていたい。

出会いってすごい。運命に感謝して。喜んで。
自分を好きでいたい。人を好きでいたい。

出会うものすべてに、ありがとう。


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2002年09月12日(木)  ■心情記:趣味の範囲■

※創作休止中

こうやって、苦しみや悲しみを人に露呈する表現は、あまりいい趣味ではないと、正直思う。

本来、言葉とは人を豊かにさせるために使われるべきで、自己満足なだけの道具に使うのは、FILLの創意にも反す。訪れてくれる方々に心配をかけてしまうのは、実際、とても心苦しい。ごめんなさい。

だからこそ、私は想いを創作に変換させて描きたいと、いつも望んでいた。それが本意。
されど思うように感情がままならないから。そんな今がとてもはがゆい。

でも、こんなふうに考えている。

いつも面白おかしく笑ってばかりいられたら、それはとても幸せなことだと思う。
でも、涙して悲しいと嘆く憂いや、耐え難くあえぐ辛さや、収まらぬ苛立ちに奮起する怒りを、感じぬままに日々は過ごせない。

もし、本当に感じずにいるのだとしたら、心は貧しさに息絶えてしまうだろう。

辛いからと言って目を伏せたままでいたら、悲しいからと言って他に気を紛らわすだけでいたら、あまりにつれないじゃないか。自分に湧き起こってくるそれらの感情は、自分の過程であり、分身なのだから。

どんな感情も、皆、それは自分を育む経験が生んだのだと。
哀しみは決して自分にとって毒となる感情ではないと。


深く想いをめぐらせられた出会い。それはとても豊かで、贅沢な思いだ。時が過ぎればきっとそう言えるだろう。本心から。

ふと涙してしまう切なさは、紡ぎあった時間はもう二度と戻ることはない、そんな事実が胸を締め付けてくるから。知りたくなかった事実。失うとはそういうことと、受け止めるには、遠い。

情熱を冷まさなければならぬ選択もまた、趣味じゃなかったっけ。


少しやりきれなくて…。

まだ少し。痛くて。



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2002年09月11日(水)  ■心情記:心模様■

※創作は休止中

*  *  *

私は、何を望むのだろう。
私は、何に望まれるのだろう。

そこに、何があったのか。
ここで、何を知るべきなのか。

誰もいなくて。空気は寒くて。
深い、深い地底で。開放は私を自由にさせる。

溶けてしまいたいと願う。この体に。すべてを。
痛みも、悲しみも、何もかも。自分に取り込んでしまいたい。

真実だけを吸収させて。
心を震わす何もかも。皆、分身にして、自分になりたい。

愛おしい感情たちに。私は、今を受け入れる。

*  *  *


人間って、自分の知る範囲よりもずっとずっと、丈夫にできているものだと、いつも思う。

簡単に壊れてしまう時もある。何でもない傷に治癒に迷う時もある。
けれど、耐え忍ぶ強さも、生きたいと思い続ける生命力も、当たり前のように心は持っていて。
いざとなればいつだって力を集結させて問題解決にあたる。
真っ暗な道を光もなく歩いているのに、決して絶望だけに投げ出されない術を知っている。

辛さが和らいだと言えば嘘だ。
でも、目が慣れて暗い場所でも動き回れるようになったというのが正確。なのか。

いつも嫌だ嫌だと避けて通ろうとするのに、出くわしてしまう落とし穴。きっと私はそういう性分なのだろう。

暗闇もまんざら悪い世界じゃない。ここでしか会えない感情たちにも、久しぶりだと挨拶してる。
何でも凝り性の私は、まだしばらくはここで堪能していそう。な趣き。


心模様。すべてを自分に吸収したい。それが私の原点です。

訪れるものすべてに、ありがとう。と、言える自分でいたのです。




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2002年09月10日(火)  ■心情記:ごめんとありがとう■

※創作は休止中

最近の私は、もうここ数年、友達に自分から用も無く電話をするということをしなくなった。忙しい日々の中で、ただ何でもない話というものに裂くゆとりが消えてしまったせいだろう。

だからといって友達に会いたくないわけではないのに。連絡はめっきり滞ってばかり。すっかり私の不義理は板についてしまった。

そんな私が連絡するのは、決まって失恋した時だものだから、皆は口を揃えて分かりやすい性格だと皮肉を言う。

それでも久しぶりに語る近況を喜んで聞いてくれて、癒される心に時は和む。

それから、お決まりの小言も忘れない。悩んでいる時に話せと、水臭さをなじるのだ。それが私らしくもあるなと言って微笑む。暖かい涙は誘われてゆく。

こんな私で、ごめんとありがとう。

体に溶け込む普通の日々。感謝を心に忍ばせて。


連絡しようか、なつかしく。

分かち合う。

その一言を噛みしめて。





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2002年09月09日(月)  ■時候記:母の納骨■

昨日、母の納骨を終えました。
親族というものに始めてまともに触れ、思いに胸が詰まります。

父にも母にも沢山の兄弟がおり。子供の頃、正月には祖母や叔母の家に出掛け、集まる親戚の多さにお年玉の数を喜んだものです。

大人になって、そんな集まりにも顔を出さなくなって、今ではほとんど慶弔時にしか会わなくなった人たち。

胸が切なくなりました。

皆一様に年をとって、老けた叔父や叔母。昔の記憶がよみがえり涙腺はゆるむ。
当たり前のように出掛けて、当たり前のように小遣いをもらい、当たり前のように優しかった人たち。
母が倒れてからこの数年、本当によくしてくれて。いつも足早に駆けつけてくれました。

血に受け継ぐものって何だろう。

都会に暮らし、一人で生活をし、好きに毎日を過ごしてる自分。
今後、いつ子供を生むかもわからない。生まないかもしれない。

そんな自分がとてつもない無責任に思えて、苦しくなった。

私にはもう、あんな大家族で集まるお正月を過ごすことはないかもしれません。これからどこに嫁ぐかも知れず、この血筋で繋がっていく同じ関わりは、もう二度とくり返さない。

涙がこぼれ落ちる。

理不尽とさえ思うのに。継承にむせび胸は痛む。

あと何年、側で笑っていられるのだろうか。刻む時がリアルに迫る。手を合わせて拝む父の姿。

受けた恩恵を、伝えていかなければならない。伝えたいと願う。
それが、血というものなのだと、思えた。

ただ、ただ、当たり前に生きていたい。
蝉の泣く森を仰いで、墓地の丘に祈りを捧げて。

残暑に蒸せる暑い初秋。思い深く。感傷が痛かった。


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2002年09月08日(日)  ■心情記:苦悶の日々。創作休止。■

 しばらく、創作は休みます。

 いくつか、あとは簡単に直してアップするだけのお話ができていたのですが、霹靂のごとく心を襲った悲しみが癒えないと、心を入れ込んだものなど上げられそうになくて…。すみません。

 強がりを言って平気に過しているけど、発作のごとく訪れるそれを収めていくには、まだ、しばらく時間が必要みたい。
 ここFILLは当分、そんな私のリハビリ場となりそうな…。自分に正直なものを映し出す言葉。それらを紡いでいきながら、今の辛さを乗り越えていこうと思います。それを小説にまで高められたらいいのだけど、フィクションが介入すると違う姿に仕上がっていくものだから。今は、その忘備録、というところの心情記。

 辛さにも、いくつか種類があります。
 乗り越えていく辛さ、乗り越えられない辛さ、理解を得られない苛立ち、想いの叶わない葛藤、傷付く痛み、失う哀しみ。
 何より、人を痛めつけるものは、失う哀しみ、虚無感に他ならない。今の私はそんな辛さ。

 心にぽっかり空いた空洞、この傷の痛みは、どんなに泣いて喘いでも柔らぐことはない。ただ、耐えて忍ぶ以外、治癒の道はないから。歯を食いしばって、溢れる涙を堪えて、胸を締め付ける動悸を抑えて、ただ、ただ、時を過すしかない。

 どんな代替えに費やしたところで、この穴は埋まらないんだよね。時間が風化を促し、膿が乾いていくように、傷にかさぶたができて、皮膚が再生されていき、穴は埋まる。その時を、じっと春を待つ動物のように、動かず、足掻かず、無理をせず、待つしかない。

 経験は私に傷を治癒に向ける力を教えてくれたけど、どうして傷を負わない手段は、いつも上手くいかないのだろう。まるで健闘家ばりのファイティングスピリッツまでは凄いのに、これではいつまでたっても勝利できない劣等ファイターだな…。

 なんだか、支離滅裂な日記のようになってきた。心が崩壊してしまう前に、やるべきことをやって寝よう。


※納骨は無事済みました。今回、家族、親族のあり方に思う所が一杯あります。血の繋がりって本当に貴重。改めてありがたいことだと思いました。それはまた今度の機会に…。


2002年9月8日 日記風に



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2002年09月07日(土)  ■変革記:心機一転■

後になって思いおこせば、ちっぽけで、大したことでもないのに、仰々しく大袈裟に思えてしまう、その時は。
悩みなんて、大半はそんなもの。

心配をかけて、皆様ごめんなさい。

つい、自分に辛く苦しい時は、自分だけが困難を背負って、大変で、苦しくて、悲しい、一番の被害者のように振る舞ってしまうのは、私の悪い癖です。

前に、上司の命日に書いた記述で、自分に命じた想いを思い出して、やっと元気に戻れます。(参照
周りにいる、自分を信じて支えてくれる人たちを、心配させ哀しませてしまうこと、それって何より罪なんですよね、きっと。

闘うことは私の意志です。でも倒れて、傷付いて、孤独に耐えることなど美徳ではないって今頃気付いて。
傷付くとわかっていても挑まなければならない時もある。でも、闘わなくても歩める道を探るような、そんなゆとりも時には大事なのかもしれない。なんて思えて。
逆境って不思議。忘れてた何かを必ず運んでくるものだとやっぱり思う。

辛さも、苦しさも、困難も、少しは人に頼ってみて。喜びも、楽しさも、感動も、人と共有しあって。そういう人とのわかちあいを、もう一度思い出さなきゃね。
そんなことも忘れて、私は今まで何に躍起になっていたのだろうか…。

いつか、掴むであろう分かち合える喜び。未来にある、待ち受ける出会いに胸ときめかせて。

「明日、考えよう」風と友に去りぬの台詞を書いてくれてありがとう。(>ふくふくさん)
スカーレット・オハラの名言。人はその言葉に、何度勇気を奮い起こさせただろう。
私も大好きな言葉です。

心を休めて、深呼吸して、一歩、一歩。
ありがとう。皆の言葉が心に染みます。
(>パプリカさん、>らびちゃん、>ムサシさん)

自分を取り巻く愛情に気付かない愚かさに、恥ずかしい思いで一杯です。

大好きな自分に正直に。想いを祈りに託して。出会いに感謝。それがFILLのポリシー。

いつも、ご訪問いただき、皆様本当にありがとう。
ポリシーに恥じない更新を地道に続けていきますので、どうぞこれからもよろしくお願い致します。



2002年9月7日 明日は母の納骨です。[FROM ME]




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2002年09月05日(木)  ■独り言:戦闘詩補足■

多くの人たちに支えられて生きているって思っています。家族や友人や良き理解者たち。

なかなか忙しく会う機会も減ってばかりの人たち。
でも、遠くの空で無事を祈り、私の幸せを願ってくれている。
自分を大切に思ってくれる存在がどれほど勇気づけられているか。思うと感謝がやみません。

しかし、現実の様々な葛藤や障害や選択に立ち向かう時、その舞台には一人で立たなければならない。周りの応援を力に変えて、意思と決断を一人で引き受けていかなければならない。

私はとても甘い人間だから、つい惰性に逃げてしまいたくなる。

待っていてくれる皆の優しさに甘えてしまわないように。側に味方が誰もいなくなって、たった一人になっても戦う誇りを捨ててはならないと、自分を振るいたたせるのです。

でもね、知ってる。そんな挑戦を痛々しく見守っている皆の気持ち。

だからこそ、がんばれるんでもあるんだよね。傷ついて病んで、ぼろぼろになって。そんな私を最後には、がんばったねときっと言ってくれると思う人がいる。

私にはその安心感だけで十分。ありがとって心で唱えて、また明日に挑めるのです。

そんな強き心であり続けたい。と心の祈りが書かせた言葉です。戦闘詩。


……、これ昨日書いていて、アップできなかったのだけど。


ごめん。違うの、まじ泣き。
いや、負けそう。本当は。もうだめ。辛い。悲しい。悔しい。切ない。痛い。苦しい。

そんな心の内を少しだけ吐き出したい気分がどうしても止められません。
世の中って冷酷。信じていたものなど簡単に崩れてしまう。
何もかもが、自分のせいだから。

そんな、弱気を今日だけは許してください。壊れそうな心で…。


 
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