FILL-MIND [フィルマインド]心情記 

   
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2002年10月31日(木)  ■■■■ご連絡■■■■

いつも、FILLにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。
こんな辺境地サイトに足を運んでくださっている奇特な方々へ、ごめんなさい。 どうしても気持ちが振るわず、創作に意欲が湧きません。 心自体が行きづまってしまって、やり過ごせそうになくて、 しばらく文章をアップさせません。
私の身の回りを心配される方もいるかもしれませんが、大丈夫です。元気です。
真に響く言葉を奏でられるようになったら、 また、戻ってきます。
がんばります。いつも見守ってくれていた皆様ありがとう。  


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2002年10月29日(火)  ■使命■

とても息苦しい日、行く先に迷って不安で壊れそうな心に、手の施しようがなくなる。
そういう時の処方箋を、やはり私はまだ上手く見つけられない。

小説を書くことは、一種のそういう自分への陶酔であるのだとも思います。自分を投影させたり、こうあるべきと理想を託したり、湧き起こった感動の在り処を確認したり。

数日間、ここにさえ何をどう書けばよいか、わからなくなる程、言葉を失っていました。
何がそうさせているのかわかりません。そんなに落ち込むような、辛い出来事ばかりが続く毎日ではないです。心配ないです。

ただ、大きな不安に押しつぶされそうになり、何も立ち行かなくなる。すべて捨ててしまいたくなる。そんな自分の未熟さを恥じ入り、せめて、人を傷つけないようでいたい。と心を励ます。でも、芯に潜む真実は傷つかなければ得られない。その矛盾が苦しい。

深いため息は、誰も人を救わない。前を歩いている自分でいたい。背筋を伸ばしていたい。

心に溜まる重い言葉たちの群れをどう解き放せばよいのか、見つけることのできない、苦しい日々が続いています。

抱え込めないのに、抱え込まなければいけない矛盾も。

人は何に救われるのだろうか。

そんな、問いかけが使命だとするなら、私にはその答えはほど遠い。





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2002年10月24日(木)  ■謝りたい訳■

孤独が熔ける人になりたい。

どんな人間になりたいかと聞かれたら、私はそう答えるだろう。ふとそんな言葉がこぼれ落ちてきた。

私が創作の世界に唯一といっていい程、自分の存在価値を感じていたのは、その世界は孤独な自分との葛藤の中でしか生まれてこない世界だからだ。

尊敬する純文学作家たちは口を揃えて同じことを言う。最近また、個を確立している人を知って喜びを溜めた。

自分と同調できる人とか場所とか。人生のうちに何度か、そんな巡り合わせに涙ぐむ瞬間を、神がかり的な幸運と思わずにはいられない。

創作の世界を知り得た時、その閃光に包まれて鳥肌のたつ感覚だった日を今も覚えている。その日から私は、いつも遠い向こう岸に待つ人を持つ身になった。笑っているでもない、泣いているでもない複雑な表情で感性の人たちはじっと見つめながら、辿り着くだろう私を待つ姿が見える。少し妄想的な空想は酔いどれな世界だと失笑をかうだろうけど。

今も、大して先に進んではいない所で、寄り道や回り道をしながら夕暮れに立ち止まってしまったように、立ちすくんでばかりいる。目的がぼやける時、今まで通用させてきた価値観は途方もなく意味を失う。

また、同じ洞窟に迷いこんでしまった自分を、すまないと思う。
私を信じ待ってくれている全ての人たちに、ただ謝りたいと気持ちが揺れる。まだ出会わぬ君にも。諦めていない自分にも。

風が頬を叩く。鋭く心を刺していく。木枯らしはきっともうすぐ。

落ち葉は炎に熔けて舞うように、孤独が熔けて心は熱くありたい。



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2002年10月20日(日)  ■ためらい■


臆病な心はいつも、前に進みゆく足を引っ張る。

/本当の瞬間はいつも死ぬほど恐いものだから/逃げ出したくなったことは今まで何度でもあった/終わらない歌を歌おう/くそったれの世界のため/全ての屑どものために/(ブルーハーツ・終らない歌より)

行く先が恐くて進めなくなる時、私は決まってこの歌を思い出す。
始めてライブで聴いた10代の頃は、はじけて泣けた。
青臭い歌詞に、若さ特有の傲慢さがにじむ。
それでも、私だけではない誰もが、立ち向かわなければならない現実に突き進んでいるのだと思い起こさせてくれる。

踏み出せばそこに真実と喜びがあるならば、進まなければならない。
恐れずに手を伸ばし、全てを掴み取らなければならない。
たとえ粉雪のように、手のひらで溶けてしまうのだとしても。だ。

せめて、臆病な躊躇なんかに諦めてしまわない勇気くらいは、もう一度だけ振り絞ろう。
何度失敗をくり返しても。何度涙に暮れようとも。それが、信念であるならば。



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2002年10月19日(土)  ■古傷■


 そんなに大袈裟に酷いことをしてきたわけでもなく、目立って故意的に傷つけたわけでもないと自分を慰めてきた。その時、真剣に考えた結果、そう選ばざるを得ない道を正直に進んできたはずだった。

 それでも、間違いなく私の言動で、苦しめたり悲しませたりしてきた過去は存在している。胸は締め付けられる。救われない落ち込みに陥ってしまった。

 もうずっと遠い昔の出来事で、もう既に私のパーツから抜け落ちてしまった人のことだ。私ではない誰かと幸せを紡むいでほしいと願って別れた人。あまり幸せの方向に向いていない近況を聞かされて、私は困惑な感覚に溺れそうになる。もう、私には何をしてあげる力もない。ただ幸せを祈ることしかできない。

 別離は過ぎ去った古傷にも、時に容赦ない仕打ちを心に突き刺していく。世の中の人たちは、こんな恋の残骸にどうやって折り合いをつけているのだろうか。

 愛しあえた時を、やるせない苦さに埋めてしまわないように、人はいつも幸せでなければならないのだと思った。常に、今よりも明るい未来を見つめていなければならない。後悔に押しつぶされ、現在も未来も見失わないように、貧弱な過去を振払っていかなければならない。

 誰も、不幸であってはならないと祈り深く胸に刻んだ。なす術のない今を、私たちはそれでも生きていなければならないのだから。幸せと幸せに折り重なる日がいつかきっと、訪れていてほしい。




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2002年10月18日(金)  ■変化■

ある日突然。

という感覚を私は好む。昨日とは違う何か。今まで感じられなかった発見。新たな出会い。それはとても胸を弾ませる。

でも、唐突に現れるそれらは、またある日突然消え去ることも多い。

昨日まで自分を占領していたはずの世界が、ふと、面白味のない世界に変わってしまう。
あんなに夢中だったのに…。極彩色の世界は一気にモノクロに変わる。

その時のさみしさったらない。

外的要因にせよ、内面的な飽きにせよ、今まで心を震わせていたものがそうでなくなる瞬間はなんとも言い難く、心に穴をつくる。(まぁ失恋もその一種。…余談だが)

でも、一度心から離れてしまったのにまた周期的に戻ってくる時がある。
そんな巡り合わせは、後に多くの恩恵の存在に気付かされる。
影響されるべき、淘汰されて生き残るもの。

昨日、継続における幸福論を思い、長い時間に保ち続けられる影響やモチベーションを考えた。

その辺りにあるロジックや真理を、掴めそうでいて掴めないはがゆさに、今降り回されている最中。

喉の奥に小骨が引っ掛かっている。そんな感じ。というべきか…。




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2002年10月17日(木)  ■幸福論■


当たり前の中にある、普通過ぎる小さな幸せ。
その積み重ねを見失ってしまう時、不幸はそっと肩を叩く。

まるで落雷のように訪れる新しい出会いや、魅惑的な出来事。
唐突な遭遇は、いつも衝撃的に現在を打ち砕く。

ちりばめられている選択と願望と。
何故、そう感じたのだろうか。
何故、そのカードを選んだのだろうか。
何故、何が、そうさせたのだろうか。

そんな問いかけを繰り返していると、創作の糸口がでてくるのだけど、感じ得た一コマをどう切り抜けばいいのか、わからなくなってきてしまった。

当たり前のことが当たり前にできなくなる時、不幸がそっと肩を叩く。


継続。

それが一番、幸福を象っているのかもしれない。




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2002年10月15日(火)  ■殊勝な気持ち■

 起きたい時に起き、食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。

 仕事がない時は、わりとこんな生活をしている。
 仕事があっても、毎朝定時に起きる所くらいしか規律は守ってないが。
 ……野生児か!私は。

 私の改めるべきところはどこかと人に尋ねたら、まず、そのしたいようにしてるところを正すことから始めたら?と助言された。それから人の話はちゃんと聞けとも。

 そんなに聞けていないのかと、少しショックだった。

 何故、こんな殊勝な質問を突然、しかも以前はけんかばかりしていた昔の男にしてみたのか。(成長してない私は内心はやや腹立ち気味に聞いていたのは言うまでもないが)

 最近少し親しくしてもらった同世代の人が、とても素直に自分の欠点を直そうとする姿勢を垣間見て、すごく凄いことだと感心したから。

 まず真っ先に、自分で自分の不足な部分をあげるとすれば、謙虚さだろう。多分周辺の人たちは揃ってうなずくに違いない。

 わかっているのだから、気づいたのだから直すべき。もっともだ。直す方向に努力しようと、思った行動だった。




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2002年10月14日(月)  ■覚醒と錯覚■

 ある時私は、自分の持っているものさしと世間一般の人の持っているものさしの違いに違和感を覚えて、価値観がよくわからなくなってしまう。

 夢や希望に迷った若い頃はそれは頻繁に自分を焦らせたし、苛立たせた。

 しばらくの間、ほんのわずかの順応とどうでもいいはずの責任が、いつの間にかそのものさしのズレから自分を遠ざけていた。即物的な問いかけばかりが自分を占めるようになった。

 私が表現すべきことは、表現できることはまだ、ずっと深い奥のほうに眠っている。まだやっと、その入り口をみつけただけに過ぎない。
 日々やらなければならないことばかりの応酬。それに追われてばかりで頭を廻らせてしまうのは、もういいように思う。それもひとつの大人だと心は知っているけれど。

 しばらくぶりに湧き出る自分の感覚を確かめて、媚びない自分をみつける。
 遅くはない、思いついた時に全ては始まるのだと経験は私に諭してきた。

 この休日、感性の本に浸って少し自分の深い何かを思い出した。そんな気がする。ただ浸っているだけかもしれないけれど。

 今書いている創作の続きは、昨日二回目を上げたけど、多分もう書かないと思う。ごめんなさい。そこを見ていた心がもう遠くにいってしまったから。




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2002年10月13日(日)  ■反転■


例えば道に転がっている石ころにも、いつも通り抜けている雑踏にも、心動かされる時がある。
ありきたりの日常であるはずなのに。

箸が転がるだけで笑いころげてしまうという頃のように。感受性のアンテナは順調。

雲のない空がきれいだとのぞむ。
澄んだ空気をさわやかと感じる。
まっすぐな陽差しに幸を思う。

感覚の言語に満たされる季節が嬉しい。
ほどよく乾いたさわやかな陽気。秋爛漫の日。

だけど、雨の日からはじまったお話を続けさせる邪魔をして、閉口している。

そんなふうが面白い。
バランスとアンバランスの間。負と陽の逆転。相反する対象に、引っ掛かりは存在している。
感受性が発揮される部分。

男と女。昼と夜。悲しみと喜び。

長いシーソーの端に座っているようで…。いつも急降下と急上昇。

 
体調は順調です。
今年は良いことがない年だと、そろそろ認めないといけないようだ。
強がりな強引なプラス思考も、そろそろパワー切れになってきたし。


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2002年10月12日(土)  ■痛み■

 いつも険しい道を選ぶ癖がついてしまったせいで、楽だったり、遊んでばかりいられたりすることは自分にとって自ずと選択の除外対象になってしまった。
 その弊害か、とうとう体にきてしまったようだ。一昨日から具合が悪く、昨日病院に行ったら、石がたまっているらしいと言われた。
 そんなにひどいわけでなく薬で治る程度だし、今日はだいぶいい。心配には及ばない。

 私は逆境を好むくらいだから、ストレスを溜めないたちだったのだけど、明らかにストレスによる原因が否めない。やはり大事にしないといけないと思い、昨日今日は完全に仕事を休んだ。

 ただ仕事だけのストレスならいいのだけど、どうやらそれだけじゃない重い糧が心には、まだのしかかっている。

 完治するには、自分が思うよりもずっと時間がかかるのかもしれない。
 全く、厄介な引っ掛かりに立ち止まってしまったものだ。やれやれ。

 それでも、時は流れていくもの。
 明日にある未来を信じて、今はじっと先を見ていよう。喜ぶべき出会いを考えていようと思う。



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2002年10月07日(月)  ■不機嫌■

すごく朝から、機嫌が悪い。嫌な感覚が溜まっていく。あまりよろしくない。
昔、こんな日はよく泣いた。

会社の台所で、ロッカー室で、同僚捕まえて泣いて愚痴をこぼす。
家に帰れば、父親相手にサラリーマンはやってらんないと、わめく。
男ができれば、かわいそうに呼び出して私の総攻撃の的になってもらう。

っていうのは少しオーバーだけど、誰かに思いきり吐き出してしまうことで、たいていの不機嫌は収まった。

キャリアを積むと、泣くほど嫌なことにも対処法を覚えるのだけど、本当に泣きたい時に泣けないという、弊害もついてくる。から困る。

私に、怒ったり泣いたりせず、穏やかなまま過ごせる日なんて来るのだろうか。
喜怒哀楽をきちんと表に出さない自分は、自分らしくなくて嫌いって思っているうちは、来ないだろうな。
いいのか、悪いのか。複雑な不機嫌。

今日もイライラと腹立つ虫と奮闘しながら、こなしていく午後。
お仕事は辛いことばかり。だけど、辞められない面白さがそこにはある。

複雑な不機嫌。




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2002年10月05日(土)  ■奇跡■


 甚大な気持ちとは、いつ生まれてくるかわからない。
 深くをつきつめていく先は、やっぱりここに辿り着くから面白い。

 久しぶりに会った親友は、変わらずに元気そうだった。彼女と会うとほっとする。快い人。小さい頃は、よく家にも遊びに行ってご両親にも世話になった。二人ともお元気らしい。良かったと安心する。
 
 もし、彼女と出会うことがなかったら私はどうしていただろうと、思う。
 考えたくない。存在がなくなることなど、考えられない大切な人だ。

 何故、彼女と出会えたのか、そういう運命を考えると感謝しないではいられなくなる。
 彼女を生んでくれたご両親に。出会わせてくれた偶然のつながりに。離ればなれになっても、私を気にかけてくれている心意気に。彼女の幸せを守ってくれているだんな様にも。ありがとうと伝えたい気持ちひとしおに、短い楽しい時間は過ぎた。

 出会いとは、本当に奇跡的な出来事だと思う。ひとつひとつを積み重ねて深まっていく理解。長い間の関わりの中で、意見が食い違ったり、障害があったりしても、互いが求めあって、思いやる気持ちを忘れずにいられたから、つきあいは途切れずに今日まで続いている。

 いろいろな、沢山の別れを通り過ぎてきた。それらはどこかで、求めあう気持ちも思いやる気持ちも、欠落してしまったのだろう。失ったものの切なさは、今も深く胸に刻まれる。だからこそ続けていられる奇跡に、感謝が絶えない。

 どんなことも、どんな人とも、続いていくこと。それはとても大きな心の作業と、図り知れない奇跡的な積み重ねがあって、成り立っているのだと思える。

 
 すべての出会い、今自分が置かれている環境を、必然だと私は考える。
 今、こうやって無事に生きていられること、やりがいを持っていられること、大切な人を思っていられること、なんとも幸せである自分に気づく。


 甚大な気持ちは、いつ生まれてくるか。感謝が尽きない日々が嬉しい。



 今週は、夜アップさせる気力まで残っていなくて、3日分まとめ更新などとズルしたけど、毎日思うことは様々。心とは深いものです。 


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2002年10月04日(金)  ■信頼■

 信頼を積み重ねて、人間関係って構築されていく。信頼って何なんだろう。
 何ごともない日常に、波たつ心は、めまぐるしい毎日。

 繋ぎあった関わりをある地点でぷっつりと、故意的に切ってしまうことが私にはある。もちろん、そうせざるを得ない状況が様々にあり、私なりにその人との信頼の構築や回復はできないと思うからなのだけど。

 出会いは自分に必要なものが訪れ、不要なものが離れていく。その法則に逆らわずにいようとしているだけなのに。去っていく人や物たちへの寂寥感はどうにも収めようがない。

 必要性という言葉が、利己主義的で人を利用するような意味あいにもとれるのかって。そういう自分と常識との食い違いにも、いつも面喰らってばかりだし。

 感情に左右されない普遍的な繋がりに賭けたいというのが、私の根底にあるように思う。普通のやりとりの先にある地点に行きつかなければ、スタートラインですらない。みたいな…。
 自ら断ち切って仕掛けてみることで、試している。なんとも臆病で片輪な心情が起点の行動のようだ。青すぎるとも思う。


 今夜、親友とそんな話に暮れた。彼女は言う。

「MEの人に向ける要望は複雑でかなり理解に難しい。でも純粋…」

 心底の奥まで理解し、信頼から発せられている言葉だとわかる。何に救われるのか、本当によく知っていてくれている。年に数回も会えないでいるというのに。

 信頼関係って何なんだろうか。縁ってどう繋がっているのだろう。

 それが分からなくなって迷う。いつまでたってもその問いは続くようだ。私には。



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2002年10月03日(木)  ■オ−プンマインド■

 インターネットの世界はオープンマインドな思想が良いところなんだと語る人に、ここのとこ影響を受けている。

 その人は、主には企業間のそれを言っていたのだけど、個人ホームページにも同じことが言えるのでは、と私なりに思った。

 テキストサイトと呼ばれている日記ページなどの多くは、極めてパーソナルな考えや発想、心の内を開け広げにしたり、人それぞれの趣味やこだわりの隅々を開示したりしている。

 よほど親しい仲でも表面に出し得ない部分を、容易く披露できる。極端に言えば、世界に向けてそれを発信しているのだから、なんと懐の深いことか。まさに情報公開の妙。

 私にとって創作を続けるためにあるFILLは、小説がフィクションと言えど、自分と、自分が触れてきた心の最深部をクローズアップしていく作業場だ。インターネットというツールを使うことで、水を得た魚のように望みを重ねられるようになった。

 今までのリアルライフだけでは体験できなかった不思議さと新鮮さの感覚で、自己開拓されている傾向は確かだ。

 人それぞれ、インターネットの楽しみ方は違うだろうけど、私にとって今のところ、自分を豊かにさせる、とても有効な媒体になっている。そんなふうでFILLを開設したことも良かったと思える今日この頃。

 そして、こんな私におつきあいくださる皆様に感謝がいっぱい。ありがとう。

 オープンマインドって言葉、フィットしていて、かなりお気に入りになりそう。





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2002年10月02日(水)  ■台風エピソード■

台風が過ぎた。
暖かい南風が、まだ夏の面影に未練を残しているようで、10月のそれは痛みが激しい。
私の被害は、傘の骨が2本曲がった。今春買った、モスグリーンのお気に入り。


私は、記録的な被害を残した伊勢湾台風が上陸した日と、同じ日生まれだ。
だからではないが、自分の性格とかを、たまに台風のようと思うことがある。

一気に中心部の勢いを加速させ、激しく荒々しく海をとどろかせ、大地を揺すぶる。
マックスに巻き起こる風の渦は、情熱を乗せて留まらずに吹き抜けていく。
生暖かい風に熱帯の空気を感じた時、最大風速地点はもう、かなたへと遠のいている。
爪痕は時々、深い。


昔、「台風一過」を「台風一家」と勘違いしている人がいたっけ。
台風が集中して発生することを言うのだと思っていたらしい。
毎年、今年はどれがお父さん台風だったのだろうと想像を巡らせていたそうだ。

昔、台風は女性の名前で呼ばれていた。
「今年最大の台風は、各地で被害をもたらしたキャサリン台風だった」
「いや、実はうちの奥さんもキャサリンでさぁ。……。」
そんなふうな、ディスクジョッキーのジョークがあったのだろうと、想像に容易い。

男の人のセンスって、時々どうしょうもないって感じるけど、時々、的を得ていると憎めない。
(と思う前に、ばかと言ってるけど。)

台風は過ぎた。



21号はまだ北へ、猛威を振るっている。各所の被害のニュースは痛々しい。
皆が無事でいることを、少しでも早く復興されることを、祈ります。




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2002年10月01日(火)  ■帰る場所。■

 昨日(正確には30日の昼間)、一気に読み切った本のことを書いたれど、ここに更新した側から我慢しきれなくて、本屋に駆け込み片割れのもう1冊を買った。

 残業もほどほどに切り上げ、ほとんど通して4時間かけて、さっき読み終えた。
 とても充実した気持ちになった。
 この感覚が忘れられなくて、驚くべき集中力が働いてしまう。小説って魔法だ。


 帰る場所。
 人は一体いつ、どんなふうにして、それをみつけるのだろう。
 眠れない夜、私は、人恋しさと愛情とを混合してしまわないように、
 細心の注意を払って物事を考えなければならない。

 (冷静と情熱のあいだ Rosso より引用)』

 今日読んだフレーズの中で、一番、今の私に響いた言葉。

 同じ難問を抱いて、私はいくつ傷つけてきたのだろうか。いくつ傷ついたのだろうか。と考え込む自分と出会う。

 ただ、純粋に想えばいいだけなのに、その周辺に附随してくるよけいな感情たちに、大抵の決断は侵されてしまう。その度もう二度と、そんなふうに迷わないでいようと誓うのに、夢中になった時、全ては振り出しに戻っている。学習できない経験値は、不様なだけでしかない。そのくり返し。だから人生は時々、絶望の淵を私に見せる。

 決まってそんな時、言葉たちは私の中で躍動して外に飛び出そうとうずうずし始める。そう、まるで今の状態のように。

 こういう感動の積み重ねが、純度を上げていくのだと、思う。

 感性で仕上がっている本を読み終える度に、呼ばれているような気分になる。
 その感覚が忘れられなくて、鉾先はまた、新たな発見へと前に向う。小説って魔法だ。


 
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