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2002年06月27日(木) ■創作メモ:かふくはあざなえるなわのごとし■ |
「禍福は糾える縄の如し」
今日、とある講演でこんな言葉を耳にしました。
私の創作作業とは、何かに触れて得た感動とか、想いとかを、自分の中で消化して新たに生まれ出る言葉に変換させ、人に伝えたいと思う作業です。
でも、情景や心情とぴったりマッチする自分の言葉って意外に見つからないもので、そこで立ち止まって先に進めなくなるなんて、しばしば。
それでも頭の中を引っ掻き回していると、ふと使ったこともないのに、これぞって語彙に出会う時がある。意味を調べて、自分の文に当てはめてみて、しっくりときた時の満足ってはかり知れない。
記憶の中では、いつ、その言葉に出会ったのかもまるで思い出せず、おそらく意味もうる覚え。なのに脳みそは、その情景と意味を捉えて必要に引き出す能力を持っていて。その時点からその一句は自分のものになり、使いこなしてゆけるようになる。そんな人間の能力ってすごい。記憶って奥深い。
「糾う(あざなう)」 意味:より合わせる。縄などをなう。
先日、この言葉をはじめて使ってみました。 今日、この言葉で語った人の講演に胸を打たれました。
人も、言葉も、出来事も、出会いって不思議。
そういう出会いを重ねて肥やされていく自分を思い、背筋は伸びる。 運命への感謝を、また思い起こさせる時でもある。
そんな昨今の心情のごとく。
読み】 かふくはあざなえるなわのごとし 意味】 災いと幸せは、よりあわせた縄のように、互いに表裏をなしている。災いと思ったことが幸せに、幸せと思ったことが災いに、いつ変わるかわからない。 出典】 史記(しき) (ことわざわーるど http://www.kotowaza-world.com より)
※ 温度差の絶対値 執筆中 2002.6.21に記す
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1ヶ月ほど前になるのですが、美空ひばりさんの命日が5月28日でした。
その頃、自分は母の葬儀の真っ最中で慌ただしく、連日実家にいて、母の供養のためか、父の好みか、演歌ばかりを聴かされていました。昼間からよくこんなに演歌のチャンネルがあると感心する程、ラジオや衛生放送の演歌番組ばかりに部屋は占領されて…。 そしてその日はどこも美空ひばり特集。それも代表曲ばかりが10曲くらい、ほとんどエンドレスでかかっている状態。 (後から、分かったのですが半分は父が録音テープを流していたらしい)
その日から私はすっかり、ひばり通。 おかげで歌詞までじっくり聴き入り、感慨深かく今も残っている曲をどこかに記しておきたくて…。そんな私的目的な今日の更新です。
人気トップ1ではないと言えど「愛燦燦」の歌詞は、さすがと思わせる言葉使い。時代を超えて続く根強い支持にも、うなづける迫力とプロの作詞家の天性を感じました。
♪ 愛燦燦とこの身に落ちて、 わずかばかりの運の悪さを、恨んだりして 人は哀しい、哀しいものですね あぁ、過去たちは瞼に憩う 人生って不思議なものですね ♪
記憶だけで書いているので2番までは正確にでてきません。2番の歌詞では、未来を嬉しいものだと語っています。
うん、そうだよね。と、素直にこの歌詞を受け入れられる時、自分に与えられた境遇とか出会いとかを幸運だと思える。
過去や未来全てを含めて沢山の人の愛に注がれて、私は生かされてきているのだと、たったひとつの歌詞は思い出させる。名曲とは、凄い力を持っているものです。 でも、いくら、にわかひばり通になったとは言え、私がカラオケで美空ひばりを歌うことはないでしょう。きっとふと思い出す曲になるだろうけれど…。
ちなみに、母のおはこは「川の流れのように」だったらしい。 1度くらいは、聴いておきたかったな。母の美空ひばり。今は叶わぬ願い。
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2002年06月08日(土) ■私 信:母の二・七日■ |
やっとここを更新する気力がでてきました。ずっと留守にしていて、ごめんなさい。いつも立ち寄ってくれた方々、ありがとう。
心境を語るべく、沈黙を破る言葉を探っていました。でも、本当に心が波立っている最中って、伝えたい言葉って浮かばないのね。まるっきり表現者失格。
悲しみやショックというのとは、少し違う。ずっと、心が落ち着かなかった。義務的な些事に気を奪われて。やりかけの仕事が気掛かりなまま。自分の存在に迷うばかり。決めごとが過ぎれば何事も変わらない毎日。人にとっては通り過ぎただけの訃報。
母親を亡くすということ自体が、まだ本当にはよく飲み込めていません。世の中の人はどうやって消化していくのだろう。こういう現実。未来はいつまでも続くと信じきっていられた両親との時間。幸福な日常とは忍びよる不幸に気付かずにいられる怠慢な日々のことだ。
2週間が過ぎて、当たり前の時間の中に溶け込んでも、胸から立ち退かないのは寂しさ。親を失うとは、そんな心の穴を抱えて生きていく自覚をつくるものなのかな。一人で生きる術をひとつずつこなしていくような。試練。
浜に出かけて海風を受けるままにいたいと思ったり。各駅停車に乗ったまま見知らぬ土地に逃避したくなったり。でも、現実は容赦なく私を捕まえにくる。もう、ロマンチックな幻想ははるか彼方なのだと知る。
夏の日の妖精を書いていた頃の、猛暑を彷彿とさせる暑い日。2002年の6月8日。母が死んで14日目です。
二・七日(になのか)という言葉、初めて知った。人の死はとても重い。でも物語りのようにドラマティックにはいかない。日々は忙しなく、慌ただしく駆け抜けていく。
涙も乾いて、また足は前に行く道を探す。歩き続けるための一歩を。
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