フ チ な し 



年越し。

2002年12月31日(火)


年越し・・・・カレー。

しかも ロジャで購入した「お姫様カレー」

カレーが 密かなブームをみせている。



今 注目度ナンバー1は「メーヤウ」。

半年ぶりに再会した友達に 紹介してもらったのだ。


このお店

付近の大学生から

熱烈なラヴコールを受けているらしい。


悪友であり良友。

2002年12月30日(月)



零時すぎ 遅い帰宅になるはず・・・だった





しか〜し

帰省してきた友達の中でも なんだか邪悪な奴から

「召集メール」



地元で 駅近の ロイホに零時半。

昼過ぎまで眠っていた事実に かまけて のっそり向かう


すでに いつものメンバー(2人)が 比較的目立たない禁煙席に

どっかりと 座っている。

まったく・・・(苦笑) と思う反面 



なんとなく、この後の予想できない事象に期待してしまう自分がいる。

去年は この店のポイントカードを突然「交換する」と言い出し

まぁ交換するなら「クッキーにしよう」となった。



しかし、その数が半端じゃない。



 
クッキー10枚入り包みを7本近く・・・。

一般的ファミレスがそうであるように

この店も「持ち込み禁止」。



我々は、そんなことお構いなしに 

紙袋からハミ出たその「ブツ」を 店のものだしぃ〜と

その場で開封し バリバリと食べた。

朝の四時まで・・・・・。

女三人がクッキーをひたすら食べてる姿は 周りには異様に映っただろう。

この時点で 店のブラックリストにはアップされただろうと

よくわからぬ達成を持ち帰った覚えがある。




さて 例年とおりのメンバー3人と 終電を逃した女子を加え

トークタイム開始。

近況というよりは ほとんど 名言特集のような 

腹がよじれるような話題から

ハートフルな話あれば

世論について語り

人間のあるべき姿について語り

・・・・・・・

・・・・・・

・・・・

・・
気がつけば 朝の8時。


ドリンクバーを良いことに 

「自分史上最高居座り時間」をマークしてしまったのです

誰一人ねむらず 無言の時間はほとんどなく

滞ることをしらない 弾丸トークに初参加の女子は

かなり目の下にクマをつくっておりました。



毎年恒例になりつつあるこの行事だが

来年も参加できたら と思うジブンいるわけで・・・
 

懲りないおバカなんです。



帰省シーズン到来。

2002年12月28日(土)


地元通学のジブンには、うれしぃようで切ない時期。

友達が、一斉に実家に戻り始めてしまうから。

でも

裏返せば「再会の時期」。



今夜は、「高校時代の友達飲み会」PART2。

条件:担任の先生以外。

先日、女性だけの飲み会が開催された為、参加者の半数が男という状況。

ってことで適当に理由つけて、さっさと帰って来た。



帰りの電車で、古い友達が帰省してきたぞ、とメールが入り、

それじゃぁ、飲み直そうといコトになった。

駅前で待ち合わせ、スタバで雑談。


近況をある程度話し終えると、

お互いに示し合わせた様に相談、懺悔話。

時間の積み重ねは、相手を身内のような存在にし、

昔のジブンに帰してくれた。



店の閉店を機に帰路につくとき「家まで送るよ」と私は申し出た。

相手を送るコトは、ジブンの中でほとんど習慣化しているが

彼女の場合、すこし意味合いが異なる。

なぜなら、「相手を送る理由」を当てた唯一の人物だからだ。



彼女が玄関に消えるのを確認して、踵をかえした。

≪ジブンの価値を下げるようなコト、するなよ。≫


彼女が残した別れ際のコトバを、反芻しながら

玄関を開けた。




ミレナリォ

2002年12月27日(金)


ミレナリォ行って来ました。

「光の彫刻」とかなんやら。

アーチの下したを通るのに1時間近く待たされ、

寒ぅ〜

肝心のアーチの中も

途中立ち止まることも許されず、観客はほとんど小走り状態。

それでも外よりかは内から見た方が見ごたえ有りですね

てか、見るだけなら有楽町側から見た方がゆっくり見えます。

写真に納めたいなら、新丸ビルの何階はわかりませんが、

ガラス越しに綺麗に見えます。

個人的意見で恐縮ですが、イルミネーションは

ある程度の儚さのようなものがないと美しさは半減するような気がします。

ミレナリォの奥に街路樹をつたう星形のイルミネーションの方が

良かったりしちゃいます。

クリスマスに行ったらたぶん人見に行くことになりそうだなぁ〜、

と思いつつその場を離れました。


今日は飲みぃ〜(≧▽≦)/

2002年12月26日(木)

今日は、高校時代のトモダチと飲み会です。

参加条件:女性であること




オンナだけの飲み会で「クリスマス明け」となれば

話題は嫌でもソッチいくわけで・・・。









やれ、何をもらったとか

やれ、何処にいったとか




んでも、不思議なコトに

あーだこーだ言いながらも、

誰しも過剰反応を装いつつ、とっても冷静なのだ。





オンナって怖いなぁ〜〜〜・・・。






その日一番の盛り上がりを見せたのは、







『交通事故のおける 示談金について』



クラスの中では幾分「天然」がかった子が 大学生になってから

交通事故二回ほど経験したそうで

横断歩道の上であったにもかかわず、2万円の示談金だったそな。


それに対して みーんな揃って

「安過ぎる!」

「うちのママは40万もらったわよ!」←マジ話のようです。

「2度あることは3度ある、次はもっと上手くやりなさいっ!」

などなど、自分としては相場がわからないので

なんとも言えなかった・・・けれど



トモダチの示談金をあげる方法が凄かった。

・バックの中身の化粧品をすべて弁償してもらう

・意味もなく病院に通う

・会社の人に頼んで時給をあげて、損失金として提示する



おぃ、それって犯罪の域では?と思われるモノもありました




でも一番よかったのは

その被害者だった天然の子いわく、

「だって病院まで送ってもらうときに、

 自分は動けなくて加害者に乗せてもらうじゃない?

 話してるうちにさ。なんか悪いなぁーとかおもっちゃって・・・」

との発言に







「そんなのケータイでタクシー呼ぶのよっ!!!」

と司法書士をめざす子が激を飛ばした。


一同:「おぉ〜」


でも携帯にタクシー会社の電話番号が入ってる子なんて

実際かなり少ないだろう?

とツッコミたいと思ったのは

私だけではないはず

内緒だけど。


パミコン

2002年12月23日(月)

まぁ くだらない話。


某電気店のネオンサインを見つめながら

世の中不景気だね的な話をしていたとき、

「パソコンを家庭電化製品に加えるかどうか??」

という審議があったことを聞いた。

名前について 言えば、

家電=「ファミリー」

パソコン=「パーソナル」=「個々の」

Q、それじゃ家庭で使うパソコンは?

A、「パーソナル・ファミリー・コンピューター??」


「パーソナル・コンピューター」=「パソコン」
「ファミリー・パソコン」=「ファミコン」

それじゃ・・・・「パミコン」??


同席していた人に「なんか生き物っぽい」と言われた。

ファルコンじゃぁーないのよ?

自分で自分の口に驚くのはコレが初めてだ。


つ、つかれたぁ〜

2002年12月22日(日)

誰かのためにプレゼントを選ぶのって

結構辛い・・・。


「安息日」

2002年12月21日(土)



祖母宅から先日解放。


精神的にボロ雑巾・・・。

明日から

母の手料理を堪能できるはず・・と思いきや

旅行バックに、夫婦そろって 荷造りを。

電話が鳴れば

苗場某ホテルから姉貴宛に予約の確認。


皆さま 浮かれポンチのご様子。


冷蔵庫に、ひしめくレトルト食品が・・・

げぇ〜。


________________________


《神は、七日目にすべてのわざをやめて休まれた》

《年末仕事が終われば骨休み》

先読みできないのが 人生です。


失われていない今日。

2002年12月20日(金)

電子レンジから出てきたのは

変わり果てた姿のピザでした。

真っ黒コチコチ。

どうやっても不味い。

_____________________


軽いホームシックでしょう。

祖母と二人。素敵な生活のはずでした。

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現実は ナカナカ。

冷蔵庫の中身は物体X(エックス)が大漁。

賞味期限が 3年前とか出ちゃいました。

祖母が薦める食事は 孫として断ることは許されません。

でも材料は 物体Xの可能性が 限りなく高いのです。



すでに お腹が 情熱の国状態。



今朝 体が 自宅に帰りたいと 不服申立てをしました。

不作為したら胃袋は訴訟されます。

始発電車に乗ってました。

はははは。

_________________________



明日までの辛抱。

「君は生き残れるか!」














モーニングコール

2002年12月17日(火)

あなたが

「起こしてあげる」

と約束したから

親からひとつ目覚まし時計を借りた。

勝ち負けじゃないけど

電話が来た時に

寝ぼけたままじゃイヤだから。

明日は絶対起きなきゃ。


明日のために

2002年12月16日(月)

朝焼けと共にベットの ハジッコに三角座りをしながら 少し眠る。

これだと 誰かに 起こしてもらえる確率が高い。

「あんた!なにやっての!!」と案の上、母上に怒鳴られ起床。

風邪引いたらどうするの?と問われ

親の愛って不滅だなぁーと何となく思う。

あぁ幸せ。



皇居で レンタサイクルを利用した 

だだっぴろい道路を 我が物顔で走るのは 気持ちがいい。

毎週やってるらしい。 また行きたい。 

今度は車輪が小さいのに乗りたい。




銀座の鳩居堂へ寄り、マザーリーフとキルフェボンをハシゴして

人形町の松栄堂へ寄ったが 休日休業だった 凹む

そのまま 高田馬場のティーヌンへ 

トムヤムクンラーメンを 鼻水ちょちょぎれながら 完食。

タイ旅行を 思い出して 懐かしくなった。



帰りの電車の中 

ふっと 眠気がしたなーと思ったら 

ぽーんっと眠っていた 

でも乗り過ごさずに 済んだ、よかったよかった。


家に帰って 大原に少し手を出して 家族と談笑。
父が夜中外出して 母が寝た。

今日は寝る。


昇華。

2002年12月15日(日)



数分、心が昇華した

気分が とても イイ




いつも こんな 

穏やかな ものであれば いいのに

心の底から そう願う 

そう願う。


結局

2002年12月14日(土)

眠れば 明日はダメになる〜なんちって

夜中に 散歩に出ることにした。


こんな夜中に というよりも この寒さに

散歩する物好きは少ないわけで 

結局 鼻と口が 

ヒリヒリするような寒さを満喫して

帰宅した。


自分がアホだなぁーと思うけど 夏よりもそう思う感覚は少なく

ちょっと救われた気分になる。

*ちょっと凹み*
貸し出しされたカセットが同じ講義だった時。


始発・地下鉄。

2002年12月13日(金)


5時03分。

コーンクリームスープの缶を 今年はじめて買った。

これを飲むと 冬だなぁ と思う。



>>>>>>>・・・・・<<<<<<<<<



今日は今年最後の金曜日の講義。

睡眠の暴走を 回避するために前日から友人宅に身を寄せた。

だが、なれない寝床のせいか 30分くらいに一度は目が覚めてしまう。

四時過ぎ やはり 自宅に戻るコトにした。


電車の始発を待つ人々は 土地柄のせいか 年上が ほとんどで 

昼過ぎの 半蔵門線よりも 混み合った。


地下鉄から埼京線に乗り換えると 乗ってくる人の質も随分と変わる。

夜のお仕事帰りっぽい人が なんとなく 目についた。

朝なのに きっちりとお化粧をして 

ノーメイクのジブンは 少し顔をジャケットに埋めた。



5時55分に最寄り駅到着。

近くの公園で一息入れる。

缶紅茶の暖かさが どうしようもなく 優しかった。

空には 白銀色の星が 朝焼けに負けじと 輝いていた。






 


冬眠

2002年12月12日(木)

以前はあんなにあった食欲が

緩やかな低下を見せはじめた頃

なんとなく

いつもとは違う感じはしていた

つまり こう

睡眠が大暴走するのだ

夜更かししたわけでもないのに

たいして疲れていないのに

ふと目が醒めたら

昼過ぎで あったり

夕方であったり

そのうち 次の日になっても

おかしくない眠り方なのだ。

質が違うというべきだろう。


通常は 眠りにおちることがあっても

浮き上がることが案外容易にできた。

しかし いまの眠りは底無し沼のような

際限のない。


できたぁーーたぁーーたぁー!!

2002年12月11日(水)


数日前 ジブンのホムペをイジリ中。

プチュッてデータが さよならも言わず イスカンダルへ 逝った。




うごぉおおおおお



ってなって 今日。




とりやめにしよか どしよか 考えてる間に 



やっぱり つくるぜぇ〜とわけもわからん 闘志が 沸いた。








んで   できたぁー


下から入れまする。


うほぉーい



追伸
(あっでもジコショウカイは まだです) 


あれっ?

2002年12月10日(火)




夢の最中。

「そろそろ起きなさいよ〜〜」と頭上から母の声が・・・・。

心地よい布団の感触に フガフガしながら 

薄目を開けると窓の外が暗い。








・・・・随分はやい時間に起こすんだなぁ・・・?





時計をひっかき寄せると


短い方が”4”を指している。






よっ、4じ?(えええぇぇっっつ!)

んなこたぁーない!!!






ヌッと顔をみせた母が 暖かさそうなコートを着ている。

仕事、終わってるんだ〜て・こ・と・は。




あぁ・・・違う違う・・夕方の四時なのねぇ・・・あらぁ〜。









おかしいな。

そんなに寝不足ってわけじゃないのに





・・まさか 冬眠してたか!?





た、たぶん 熊とかも 

「あれ?もう春なんだぁー、昨日まで冬だったのにぃ〜」とか

言ってるんじゃないの?

怖っ!!




・・・まさか 老衰とかも

「あれ?もう彼の世なんだぁー、昨日まで現世だったのにぃ〜」とか

逝ってるんじゃないの?



エヘ。
(意味もなく布団の中で ニヘラぁーっと、笑ってみる)


「まぁ、いっかぁ〜 起きよっと。」(本当は内心ドキドキ)





起床後は ぶっ壊れたホムペを補修して

ツタヤで「ドールズ」のサントラを借りてカードを更新。

無料で一本ビデオが見れたから

「ウッディー・アレンのおいしい生活」をチョイス。


あぁーでも やることイッパイで

一週間借りて見られるか、どうか・・不明。

けっこう危ういな・・・って今日潰しちゃったしねぇ〜ハハハ。



まぁ、そんな日もあるさね。



シロ

2002年12月09日(月)

雨は 1時過ぎに 雪へと変わった。
私は、窓から身を乗り出してその変化を刻々と楽しんでいた。
「雪になったわよ」
姉が、頭の雪を払いながら部屋に入ってきた。窓を開けていた私に、
「寒いよ、閉めてよねっ」と、姉貴が顔をしかめた。
チェッと小さく舌打ちをして、私は立ち上がり片手で結露で塗れた窓を閉めた。すっかり冷たくなった体を布団の中で丸くして、
「明日、積もるかな・・・」と、誰に尋ねるともなく、ぽつりと呟いた。


翌朝、私は外いつもと違う明るさで目が覚めた、まぶしぃ。
台所には母と姉の声が聞こえる。父はまだ起きていないようだ。
枕もとの時計を見ると、七時前だった。今日は、大学が午後からで10時まで眠っていられる。けれど昨夜の雪が降っていたことを思い出すといてもたっても居られずサッと布団を上げて居間へ向かった。

「おはよう・・。」
台所に入ると味噌汁のいい匂いがした。
「随分と早いわね、こりゃ雪も降る訳よねぇ〜」
キチンと化粧をしてコチラをみる姉、今日の姉貴は少し眉が細すぎる。
「無駄口叩いてないで早く行きなさい」と母が姉のお尻を叩く。
はぁーい、と調子よく姉は答え玄関へ向かった。
私は、テーブルにつきタバコを吸う母を目の前に味噌汁をすする。
ドドッと、隣の部屋から父が外出用の格好で現れた。
「それじゃ火、よろしくね」と父の登場に母も玄関へ消えた。

一人の朝食を片付け終わると、時計は7時15分を指していた。
昨夜、雪を眺めた窓を開けると、寒さに体をプルッと震わせた。町は雪に覆われ、通勤する人々はヒョコヒョコと歩きずらそうだった。
「出たい!」と思うが先か、後か私は、上着をひっかけて手袋もせずに駆け出た。

近所の公園には、何人かの人が散歩にきていた。みな、暖かそうな格好で自分は妙に薄着でまるで浮いている。それでも初雪を踏みしめようとヤッキになっていた私はで他人の視線などいっこうに構わなかった。そして公園の林の中で少し開けたところにまだ、誰にも踏まれていない所を見つけた。少し緊張しながら自分の足をゆっくりと下ろす―ざくっと小気味良い音がした。うひ〜、と声にならない声をあげて私はそのヴァージンスノーを汚すことに数分夢中になった。途中、何人かの友達に雪が降ったと、他愛もないメールをやりとりしながらその行為は20分ほど続けられた。

八時半に家へ戻ると、母を送った父が帰っていた。
ただいま、というと。随分早いね、と声が帰ってきた。
私は熱いコーヒーを飲んだ。



お買いあげ〜♪

2002年12月07日(土)


朝 目が覚めると 雨の気配。



ニヤリ


意識は明確に。

心臓は 早鐘のごとし。

太陽が黄経255度の点を通過。

クマは冬眠へ。

南天の実は赤く色づく。

「大雪」







久しぶりに

姉貴から

奪還した愛車の調子を

確かめる ついでに

「買い物」へ 行きましょう


マイナーでローカルなお店を3、4軒。

地図があっても迷うよな お店へ行きましょう







■結果

・ワンピース 2枚
・コート 1枚
・カシミヤセーター 1枚
・ハイネック 1枚
・ボールペン 2本
・ビタミン飲料 1本(途中で補給)



夕方 14時から 18時まで

雨脚は 時間の経過とともに より強く。 

愛車(MTB)は いたって快走を続ける。

車道も歩道も ドキドキするほど 艶っぽい。

傘を持った人の間を 縫うように走る。

濡れたフロントガラスに映る自分。

にじむ公園の鳩。

吐き出す息の白さが 外気の冷たさを 感じさせた。





帰宅したワタシを迎えたのは 

母の苦笑いと マグロの焼ける匂い。


幸せ?




はふぇ〜

2002年12月06日(金)




両親も、姉貴も、仕事がある








だから


家に最初に帰ってくるのは ワタシ。











夕食を家族全員で 済ませるコトも

幼い頃から そんなに多くなかった。







ダレか 

ドコカで 働かなければ

イマの生活 と コレカラの生活を   

維持 デキナイ・・・。




なんとなく 知っていた。







19時まではダイジョウブ、待てる。



でも20時30分を過ぎると 

なんとも言えない 嫌なムードが・・。






わかってる。 





―遅れてるだけ・・忙しいんだ。

―年末なんだしぃ〜。


自分に言い聞かせるように 頭の中で呟く。

それでも誰も帰ってこない事実は 

目の前からは 消えない。




「ダイジョウブ。」

口に出すと何とも空虚な響き。

なんか悔しいなぁ・・。 




泣き入りそぉーー

お腹へったしぃ・・。

「冗談抜き・・で お腹へった・・・。」


もちろん 言葉を返す人もイナイ。






こんなに玄関の鍵が開く音を 

待ち遠しく思ったことはないだろう。


両親の写真

2002年12月04日(水)





父が、居間に写真を飾った。














帰宅した私が、写真について声をかけると

父は、うれしそうな、恥ずかしそうな顔をした。



夕方バイトに出た。






バイトを終えて

12時近くに帰宅すると、姉貴がまだ起きていた。



 

そして写真を指さし、

「おかぁーさん達がいなくても、上から
              ちゃんと見てるよってコトらしいよ・・。」







・・・・・へぇ・・なんだかなぁー・・・


















自分 半泣きしました。













弱いんですよ こういうの。

















実は、居間には「もうひとつ写真」があるんです。







それは、「1才の私と5才の姉貴が映っている写真」。







いつか

私が家に何日も帰ってこなかったとき、





母がその写真の前で泣いていたと、聞かされたことがあった。










父は、そんな写真に向かい合わせで新しい写真を置いた。








その写真の中には「両親の並んで微笑む姿」。














いつか

両親がこの家へ帰ってこなくなったとき

私がその写真の前で泣くコトになるのだろう・・・そんな気がした。



 


今日は

2002年12月03日(火)

ボンクラでした

いや、色ボケ?

どっちにしても、情けない。


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カーニヴァルなお腹。

2002年12月02日(月)


起きると、猛烈に腹痛。

とりあえず、お腹を下に数分、回復を待つが気配なし。

ってことで 今日はタマゴを温める親鳥な気分で一日終了。



お腹の中はリマのカーニヴァル状態。

腹が減ると切なく人の気持ち わかる、今なら。

明日は 講義がヒトツだけ 気持ちラク。


月初めだから。

2002年12月01日(日)

12月初日というわけで張り切ってみました。

今日一日。
朝の7時出発

芝浦ふ頭の某ビルで買い物。

「九州じゃんがららぁめん」食べに秋葉原まで行き、
雨の中20分程寒空の下ならぶ。

ついで、「デジカメを買うための資料を集め」との題目で
新機種をお触りしまくる。

そのまま家に帰るのが嫌だと駄々をこね、「東京大仏」を参詣。

お寺近くの格安バッティングセンター(25本/200円)で
80キロの低速ボックスで、25本中、5本をカスル

今日は1日だから映画を見たいと駄々をこね、
DVDで「ロード・オブ・ザリング」鑑賞。

魔法使いのヒゲじじぃが、谷底へ転落するシーンと
人間役の茶髪のおにぃーさんが、敵の襲撃で死んじゃうシーン、
総2カ所でひとり号泣。(ヒトが死ぬトコ弱いんだよね・・・)

ちなみにエルフ役の長髪弓矢男を姉貴が「カッコイイ」と賞賛。
まぁキレイな顔で、確かに汚れ役ではなかったね。
主人公の男子、濃ぃ〜顔で夢に出てきそうだ。
よっ、看板息子。


そんな、こんなの一日終了。

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