un capodoglio d'avorio
2004年08月31日(火) |
ノースポイント・ポートタウン(第2話) |
北海道文化放送開局30周年記念の特別番組、 それがこのノースポイントというドラマで、 ぜんぶで6話あるみたい。 「ポートタウン」というのはその4・5・6話にあたる作品。 去年放送された、そして主演は、宮崎あおい。
あおいタンフリークのあいだでは、 当然見ておかなくちゃな作品。 特にその第2話は、あおいタンの演技がすごいっ。 と評判が評判を呼び、伝説になりつつあったし。 たまたま、第2話だけレンタルで並んでたので即ゲット。
最初に目を引くのは、ローファイな映像の仕上げ。 解消度の低さ、コントラストの薄さが、 ロケ地の小樽の雰囲気とあわせて、レトロな空気をかもしだす。 50分くらいの作品ながら、少ない登場人物の背景を、 少しずつ併せて重ねていくことで映える中間色、その階調。
そんなに、盛り上がりがあるわけでも無いけれど、 デリケートでナイーブなお話、それはすなわち、 あおいタンの透明感にすべての期待を寄せているプロダクション。 そして、あおいタンは、やはりすばらしい。 最新作『ラブドガン』よりも、ずっとずっと、いい。
顔、変わったかなー、でも顔、変わる年頃だよねー。 いまが過渡期なのかも知れないけれど、 でも、このころのあおいタンは確かに敵なしだったと思う。 明るく振る舞いつつも、シングルマザーの母に対する、 愛憎半ばする想い、その小さなこころの闇。
そういう自分のこころの底のほうの闇から、 気泡がフッと浮かび上がってくるときの水面の震え、 それがあおいタンの表情だ。 さっきまで無邪気に笑っていた女の子に、 スッとあらわれる内面の深淵へのパースペクティブ。
2001年のヴェネツィアで激賞された、 『害虫』のときのあおいタン演じるサチ子。 その変奏のひとつのバージョンなんだと思った。 後半のクライマックス、クルマの助手席の彼女が、 涙があふれるまでの長いシーンに、彼女の輝きが詰まってる。
流す涙がキレイなのは、当たり前っす。 誰が泣いてもブラウン管でなら美しいに決まってる。 そんなとこにあおいタンの才能を見るのはちょっと違う。
あおいタンがすごいのは、泣くまでの感情の小さな波を、 長回しのシーンのなかで、本当に細かく表情に映しとるところだ。 小さな小さな気泡がプッ、プツッと弾ける波動を映す解消度だ。
ローファイな映像の仕上がりだからこそ、 彼女のハイファイな表現が強いコントラストになったのかも。 あおいタンを見るなら『ラブドガン』よりも、 こっちを勧めます、わたしは (でもいちばんは『害虫』か『ラヴァーズ・キス』かな)。
2004年08月30日(月) |
"Roma" di Federico Fellini |
『フェリーニのローマ』を見る。
『フェリーニの道化師』ほどの衝撃は、無いかも。 でも、『道』よりも好きかなー、私は。 この時期のフェリーニは、唯美主義と言っていいくらい、 シーンの美しさにかけてる気がする。
とくに。
豪雨のなかの高速道路。 ローマ名物の渋滞を、降りしきる雨のなか、 滲んだ窓ガラスの向こうに映し取るシーン。
あの地下鉄の工事中に発見された、 古代ローマの地下遺跡、色鮮やかな壁画が外気に触れてしまい、 あっという間に消えていってしまうシーン。
ローマカトリックの枢機卿たちが、 色鮮やかな僧衣のファッションショーを物見する、 想像上の風刺(郷愁)のシーン。
そしてラストの、 暴走族がローマの市内をうるさく駆け抜けていく、 そのヘッドライトに浮かび上がる、コロッセウム。
すべてが、それはもう、美しい。 フェリーニはとんでもなくロマンチストだと思う。 しかし、かれのロマンチシズムはセンチメンタリズムじゃない。 失われていく古き良き時代を守護すべきだとは思っていない。 失われていく古き良き時代を復興すべきだとも思っていない。 そこが、ただの甘ったるいロマンチストとは一線を画す。
じゃあ、かれは何を望むのか。 フェリーニは、ただ、その失われていく最後の姿を、 葬列として美しく飾りたいのだ。 仰々しい追悼の文句でもなく、わざとらしい涙でもなく、 ただただ、その葬列を美しく飾ってやりたいのだ。
そこにのみ、フェリーニの優しさは注がれる。 『ローマ』と『道化師』にどかがやられたのは、 このカッコヨサ、凛々しいけどマッチョじゃない、 フェリーニのロマンティシズムにだと思うのです。
先週はあべチャンの出番が少なくてがっかりだったけど、今回はまた、完全にギラついた男の色気が戻ってきてらぶ。希有なヒトだよ、ほんとに。というか、第七話は、色気というよりもダークマターみたいな感じだったけど。
水野美紀も、どかはあんまり好きくないけれど、きょうは良かった。あの、真犯人・田端からぼこぼこに殴られた(メイクをされた)顔は、美しかった。適当に色とかつけるだけに留めておくオプションもあったろうに、しっかりと目、腫れあがって痛々しく顔、くずれてたもんね。TBSエンターテイメントの志を見た気がした。
演出は、うーん、まあ許すって感じかなあ。逆光のシルエットに映える白亜の聖母子像のカットに、モーツァルトのレクイエム・ラクリモーサを流すのは、かなりベタだけど、とにかくまっすぐにやりたいんだろうなー、軽く薄く短く(それはつまりフジのドラマ)に流されずに。でもテーマソングの松たか子の新曲は、どか、けっこう好きかも。松たか子はなにげにいい気がする、いつも。
一気に真犯人なども判明して、あべチャン扮する峰島を中心とする犯行グループもはっきりして。で、来週の予告編では、なんだか峰島と永井が、対決なんぞしちゃったりして。テンポ速いなーと思ったんだけど、まだ、次回で八話目なんだよね。全部で何話なんだろう、これ?
と、考えると、まだメインストーリーに深く関わってないキャラで、それなりの役者がやってたりするのが気になる。例えば、別所哲也がやってる郡司とか、黒川智花がやってる藤堂とか、200万のなぞとか。うーん、展開は気になる。気になるけど、それにのめりこむって感じにはならない。
やっぱりこのドラマでいちばんおもしろいのは、あべチャンの演技、ただその一点につきるんだなあ。
2004年08月28日(土) |
The 7th Renewal ! |
doka's homepage、めでたくリニューアルです! さきほど、ニューバージョンをリリースしました。 ふううううう、つかれたああああ。 いろいろ、グチだの文句だのつぶやきつつの作業でした 涙
「ID for WebLIFE」というソフトに、 いままでのソースをそのままゴソッとつめこんじゃった感じ。 市販のweb作成ソフトに頼るまい、っていうモットーは、 悩みに悩んで捨てることにしました。
にしても、市販のソフトはベンリだけど、 ちょっと凝りたくなるとすぐ、つまづいてしまう。 限界が低いから、簡単に操作できる。 というのは、クルマといっしょなんだなあ。
たくさんたくさん妥協して、 たくさんたくさんやせ我慢して、 たくさんたくさん時間使ったので、 とりあえず、もう、満足、いいでしょ、はあ。
ちょっと注目して欲しいのは写真かなあ。 ほぼすべての素材を自前でカバーしました。 とくに、イギリスのやアラスカの写真は、 これまで出さなかったやつです(mixiでは出したけど、少し)。
やれやれ、おーわったあ。 さあ、勉強するぞ、わたしっ。
@梅田スカイビルのシネ・リーブルにて観る。・・・、衝撃。ちょっと、 どかの、どか史に残ると思われるくらいに気持ちいい映画。
山間の小さな町に暮らす、一家の話。みんなそれぞれヒトには言えない、小さな悩みを抱えてる。のどかな田園風景をバックに、自分の世界に「ちょっと」ディープに没頭しちゃう彼らのエピソードが、淡々とつづられて。・・・と、こう書くといっしゅん、しぶくてじみーな映画?って思われそうだけど、とんでもない。「ちょっと」ディープに、の「ちょっと」がミソなわけで、大ウケです、笑いまくりです。
CGを使うのだけど、その使い方が子供の「妄想」な世界をそのまま再現することに使われるから、とにかくうひゃーなシーンになる。巨大化した自分が山の向こうから自分を覗いていたり、額から小さな電車が空に向かって走り出したり。でも、それは「妄想」だけど、ウソっぱちなの?
と、言われると、決してそうじゃないというところが、きっとポイントなんだと思う。どかは笑いながらも、ちょっとキゥっと同時に切なくなったりするものね。だって、それウソっぱちじゃなくて全部、ホントウなんだものね。みんながみんなそれぞれの世界を抱いていて、他人から観たらつまらないことでも、本人にとっては大きなプロブレムなわけで。でも、他人にはもう、分かってもらえるはずなんかない。と、小さな子供まで、割り切って日々暮らしてるところがポイント、しかもそこに悲壮感は無い。諦めたんじゃない、割り切ってるから。
まあ、ここから悲壮感を展開しようとすると、松本大洋の「Go,Go,モンスター」になるんだろうな。しかし、石井サンは笑いをとった。
ストーリーは上記のような基本ラインをふまえつつ、けれども波の立て方がとても上手い。恣意的なドラマチックな展開は無いけれど、それでもちゃんと、淡くてきれいなカタルシスがちゃんと待ってる。説教くさくないけど、でもスッとなにか大切なことが言葉じゃなくて映像と音楽で心に織り込まれる感じ。石井サンのすてきなところは、ギャグのセンスやCGのセンスじゃなくて、もっと見えないところにあるんだ。
小学校1年の女の子役の坂野真弥チャンの演技がずばぬけてすばらしい。なんなんだ、この娘は。あと母親役の手塚理美サン、転校生役の土屋アンナっちも良かった。みんな「ちょっと」ディープに自分の世界にのめりこみつつ、けれどもみんな夕陽で、繋がっている。リトルテンポの音楽も、カメラワークも、ぜんぶがきちんとこの一点に収斂してくる。薄っぺらい予定調和のではない、もひとつのユートピアを映し取って、この映画は傑作だ。
2004年08月26日(木) |
パルコ・プロデュース「鈍獣」 |
この夏の小劇場界最大の話題作@シアター・ドラマシティ。ここで芝居見るのって、中学ン時の「レ・ミゼラブル」以来じゃないかな、多分。あのときはまだ「梅田コマ劇場」だったけれど。脚本が宮藤官九郎、演出が河原雅彦、出演が生瀬勝久、池田成志、古田新太(あと女の子)。それはもう、濃いラインナップ。いささか、濃すぎる。
感想。「あれ、こんなもん?」・・・ちがうな、「やっぱり、こんなんだよね」かな。ちょっと落ち着いて考えてみたら、立役者三人そろえて舞台に上げちゃったら、歌舞伎の「顔見せ」みたいになっちゃうものね。歌舞伎だったら、様式の力で並び立ってしまうけれど・・・。クドカンの脚本のおもしろさは理解してるつもり。でも、彼のナイーヴな毒とか、グレーゾーンでのたわむれとかは、立役者じゃなくてもできるんだよね。
「もったいない」んだと思う。脚本が彼らに要求するところのものは、きっと朝飯前でクリアしてしまう人たち。じゃあ朝ご飯のあと、三人の立役者はなにをするかというと、身体をもてあまさないように余技に走る。もちろん、真剣勝負な余技だから、見応えはたっぷりなわけで、客席はドカンドカン受けまくるわけで。生瀬サンとか、もう殺人的に楽しいものね。
でも・・・、こんなもんでいいの、みんな? だって、八千円もするチケットだよ? 安くないよ、高いよ、あえてこだわるけど、八千円の芝居は、普通に考えたら高すぎる、おいそれと行けない値段だ。青年団やつか芝居が四回から五回観に行けるもの。だから、とても期待値を高くしていったどかだけど、仕方ないじゃない。
「怖さをスパイスに」とパンフでは謳っていたけど、怖くない。たしかに、成志サンが血まみれでゾンビのごとく蘇るシーン、スポットとか効果音で仰々しくかざりたてるところはネタとしてウケを狙っているのはわかる。そのかわり、多分いちばん怖い、成志サンが窓から出てくるシーン。あと、生瀬サンが成志サンを撃つシーン。それもそんなに怖かない。「シャープでない、いやーなにぶーい感じ」とクドカンは言うけれど、そしてその美学はとても分かるけれど、でも「いやーなにぶーい」のと「中途はんぱ」は違うじゃない?
「いやーなにぶーい」ところを狙おうとして、シャープになってしまうエッジを切り落とすことに専心しすぎて、後にはほとんど何も残らなかった。いや、ちがう、三人の立役者の余技が残ったということなんだと思う。二本あった「キオスク」のショートコントがいちばん面白かった。という感想を持つ観客がとっても多いと言うことを、すこし、プロダクションはじっくり考えるべきじゃないのでしょうか?
そんななかで、いちばんどかが良い印象持ったのは河原氏の演出。すごいストレートで緻密で、達人達の余技を許容しつつ、締めるところは締めて、ゆるくてスカスカな脚本を、ギリギリまでしぼってスッキリ仕上げてたと思う。そう言えば、役者・河原サンはまえに「トランス」で見たけど、演出家としては初見だなー。乙葉チャンや野波サンなど、舞台初体験の女の子の動きも含めて、とてもいいプランで仕上げていたと思った。
役者では、生瀬サンが圧倒的に良かった。役どころもあるのだけれど、いちばんシャープな小ネタを、観客に気付かれなくても繰り出していたところがアナーキーで好き。逆にとってもオーガナイズドな演技は古田サン。もう、古田ブランドが確立されちゃってるので、不安はなく安心できるけれど、どかはあまり刺激がないかも。前に観た、生瀬サンと古田サンのふたり芝居「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」のときは、古田サンもけっこうドキドキ観られたのだけれど。成志サンは役に拘束されちゃって、もったいない。あの役なら、別に他の人でもいい。うーん、役としてはストーリーの焦点として目立つけど、演技としては生瀬サンと古田サンのふたりの恒星に飲まれかけていたなー。つか芝居に出てくれないかなー、もいちど。至上最強の木村伝兵衛だったのに。
クドカンさんの脚本の作風はとてもかっこいいしおもしろいけれど、今回の本のデキはイマイチだったと思う。やっぱり、そんなにビッグネームじゃない役者を、自分の意のままに好き勝手に虐げられるシチュエーションだと、クドカンさんの本は生きると思う。それはクドカンさんだけではなく、松尾スズキさんにも当てはまる。毒、とか、差別、とか、性、とか、悪、というものを描くのは、そういう種類の権力が必須なのだと思うのです。
2004年08月25日(水) |
"La Strada", e "I Crowns" di Federico Fellini |
フェリーニの『道』と『道化師』を観た。 『道』は二回目かなあ、昔にみて思い出ぼんやり。 『道化師』ははじめて、ずっと気になってた。 ホントは『アマルコルド』が観たかったけど、見つからず。
フェリーニは、やっぱりいいなあと思う。 ヴィスコンティよりもパゾリーニよりも、 やっぱり、フェリーニでしょー! って思う、これは片寄ってるかなあ?
『道』のジェルソミーナが、やっぱりかあいい。 うーん、かあいいかあいい、らぶらぶ。 「石ころでさえ、なにかの役に立ってるのよ」 ってことを諭されたときに輝く、彼女の顔・・・。
でも、どかは今回『道化師』のほうにやられまくり。 フィクションとノンフィクションが混淆される、 例のフェリーニスタイルの極致なんだけど、 でも、このスタイルでなければならなかったとなっとくする。
時代遅れになってしまい、居場所を失った、 ピエロやサーカス団員たちへのまなざし。 それは中途はんぱに甘やかすものじゃなくて、 冴えて透徹する、けれども同時に温かい感じ。
ラストシーンの大団円、 画面のなかでは歌って踊って花火が鳴って、 てんやわんやの大騒動で楽しいシーン。 しかしどかは涙なみだ、、、切ない、切なすぎる。
いちばん印象に残ってるのは、 パリの元ピエロがシャボン玉をたくさん作って、 それで芸をするシーン。 それはそれは、美しいシーンでした、本当に美しい。
女王ファインモーション、復活!
この日の日記は、これだけで、いい。 これ以外に、語らなくちゃなことは、なにひとつ無い。
まあでも、それもなんだし。
下馬評では、三強が抜けているとされた。 先行するスピード能力に定評がある、良血馬のローエングリン。 G2G3では圧倒的な勝負強さ、好意から粘り混むバランスゲーム。 そして、ファインモーションである。
ローエンとバラゲーも、どかはキライじゃないし、 だから、三連複も買ってみる。 でも、もちろん、あとは単勝にガツンとつっこむ。
・・・無事に走ってくれればいい、 ケガだけはしないで欲しい・・・、でも。
レースは、もう感動的のひと言。
武豊が、なんとスタート直後シンガリにつける。
まさか、後方一気?
ざわつく道頓堀WINS。 ファインはどちらかというと、前目でこれまでレースをしてきたし、 スパッと切れる脚というより、グイィンと延びる脚だから、 好位抜け出しがベストと思われていたからだ。 ローエンとバラゲーの実力馬が馬群を引っ張る。 三角、まだファインは最後尾。 そこから、大外を通って武豊がまくる!
四角出口で、先行する二頭以外をほぼ捉える、 まだ、武豊は鞭を入れない、入れないけど、 脚色は悪くないっ・・・「これは、クルッ!」
二年前に見せた、時間を融かしてしまうほどの、とは行かないまでも、 ストレートのターフを染め上げていくオーラが見える。 どか、この時点で涙こぼれる。 二頭はまだ、五馬身ほど先行、とどかないかも。 でも、このオーラが見えればそれでいい。
武豊、鞭を入れる、ファイン、さらにシフトアップ。 のびる、のびる、くる、くる、くる、、、、きたー!!!!
ゴール後、ジョッキーは鞍上ではげしくガッツポーズ。 G1レースを勝ち続けるこの日本最高のジョッキーが見せた、 G2レースでは珍しい仕草は、この北の大地で行われたレースが、 歴史的に重要な、女王の再戴冠への道行が始まったことを告げていた。
号泣。
2004年08月12日(木) |
なら燈花会(&ペルセウス座流星群) |
猿沢池のあたりからポチポチ歩き始める。すっごい、水面に映りこむ灯籠のろうそく。日が沈んでからは涼しくて、風がヒンヤリしていて気持ちいい。浴衣ッ娘がたくさんいて、どか、ほくほく(なんだそれ)。
猿沢池南岸から、対岸の興福寺五重塔を眺める。水辺という場所が持ってる、魔術的な空気。
興福寺の境内から奈良県国立博物館に向かって歩く。もう、奈良公園内いたるところが灯籠で飾られる。点じゃなくて線、そして面で広がる雰囲気、すばらしい。
結構たくさんの人出で最初はびっくりしたけど、ぶらぶら歩くと適度にヒトも少なくなって気分良く歩けた。この右の灯籠の後ろには鹿クンと鹿チャンがいて、ポヤーっと柔らかい明かりの向こうにつぶらな瞳。でも、立派なツノ。。。うらやましい。 笑
そして、どかがもう、言葉を飲んでしまった風景、浅茅が原近辺。奥に向かってゆるやかな芝生が広がり、まんべんなく配された灯籠。素敵なことは、その灯籠のあいだをぬって歩けること。天の川に浮かぶみたいに。
これは定番、春日大社の参道。このあたりもヒトが少なくて、風が気持ちいい。明かりがステキなのじゃなくて、明かりのまわりが完全に闇に沈んでるのがステキなんだわ。と思う。それにしても歩けど歩けど灯籠の連なり・・・。
春日大社から、新公会堂に抜けてその前の芝生。ここもすごかった。見渡す限り眼下に広がる無数の明かり。遠くに見えてるのは東大寺の大仏殿。芝生に腰を下ろして、ポヤーっと風に頬を当てる。幸せ。
そうそう、ここで腰を下ろして、腕時計見てみたらもう20時30分。ペルセウス座流星群の極大は20時と聞いてたので、ちょっと、がんばって空を見上げてみる。。。ふたつくらい、何とか小さいのを視界の端にひっかけたかなあ。寺社仏閣をライトアップする照明が強烈で、けっこう空が全体的に白んでしまっていたのもあって、流星群観賞には良い条件では無かったかも。
でも、燈花会と流星群にはさまれるという経験は、とってもロマンチックじゃない? ふふ。
それはともかく、予想してたよりもずーっと幻想的で素晴らしかったので、燈花会、行って良かったでした。
映画はハリソン・フォードが主演してた、ドラマはうちの両親が昔見てたとか言ってた。アメリカの「逃亡者」を、舞台を日本に置き換えたこのドラマ。どかが見ようかなと思ったのは、阿部寛が出てたから、ただ、それだけ。
あんまり期待しないでいたからかも知れないけれど、これが、けっこう毎週楽しみになりつつ。小首をかしげたくなるところも、ややあるんだけど、それでもやっぱりTBSだなあと思う。やっぱりドラマはTBSだ。日テレは垢抜けない。フジは軽すぎる。TBSは地味だけど、ちゃんと作る。
どかは前述の映画もドラマも未見なのだけれど、どうも基本的なストーリーはほぼ踏襲してるみたい。何者かに妻を殺された夫が、いろんな作為によってその殺人の犯人として仕立て上げられる。搬送中の事故をきっかけに逃亡を図り、真犯人を探し出そうと試みる。しかし彼を追いかけるのは凄腕の刑事。壮絶な逃亡劇の始まり・・・。
このシンプルで分かりやすい骨太のストーリーがイイ感じ。でも・・・、とどかは思ってた。広いアメリカなら逃亡を続けるドラマも可能だろう、でも、この狭い日本、逃げるったってどこに逃げるんさ。この逃亡と捜査にそれなりの真実っぽさと迫真性が無いと、見てられないだろうなーって。
杞憂だったみたい。少なくとも第4話までは。いろいろ、勝因はあると思う。まず、製作スタッフが惜しみなくお金を使っていること。第1話の搬送中の事故のシーンや、広域捜査網を張ったシーン、東京湾花火大会のシーンなどなど、火薬や車両やエキストラをかっちり用意できていて、薄っぺらい感じがしない。それはお金の使い方も上手い、ということなのかも知れない。演出、撮影など、TBSのエースクラスが投入されていて、イイ感じ。ドラマはスタッフが重要だ、本当に。
それ以外に、脚本もなかなかかっこいい、というか上手い。その懸案の逃亡劇の「迫真性やリアリティ」に関して、逃亡を続ける永井徹生のアイデアは紙一重でチープさを逃れてる。ネットへの書き込みで捜査網を攪したりするなど、巧みに「いま=21世紀」「ここ=日本」の設定を、あの骨太のストーリーに馴染ませてると思う。羽田じゃなくて成田(第4話)!っていうのも、思わず唸っちゃったもんね、どか。
でもね。こういうスタッフ陣のガンバリだけじゃやっぱり「イイドラマ」になったとしても「見たいドラマ」にはならないよね、どかにとって。例えばやっぱりプラスαの「野島的モノローグ」や「クドカンの軽妙さ」とか、「あおいタン♪らぶ」が必要なんだと思う。
どかにとって「逃亡者」のプラスαは、ずばり阿部寛! すごいよ、めちゃくちゃカッコイイ!
いや、実はキャスティングに関してはちょっと不満があって、主役・永井役の江口洋介はちょっと線が細いし、神奈川県警の刑事・尾崎役の水野美紀はどか、このヒトあんまり好きくなくて上手くないと思うし(お顔はキレイでも)。警視庁捜査一課・管理官役の極楽とんぼ加藤は、滑舌悪くてセリフ聞こえないし。
でーもー、それでもー、阿部チャンがいればそれでいいのだ、うん! 阿部チャンは永井を追いつめる、捜査一課のアウトローな凄腕の刑事、峰島役なのだけれど、これがもう、むちゃくちゃかっこいい。すっごい悪役なんだけど、もう、永井との会話で見せる静かな凄み、あの大きな目の刺すような輝き、後頭部から首〜肩へのラインの色気、背中に染み込む哀感、そんななんやかやから奔流のように溢れるフェロモン。もう、ジャニーズのガキタレなんか、十把一絡げでポイッ。な、カッコヨサ。
こう阿部チャンが、負のオーラをまとう刑事ってことで、あの「モンテカルロ・イリュージョン」を、どかに彷彿とさせる。もちろん、今回の阿部チャンは、オカマでも無いしホモでも無いし新宿2丁目で立ちんぼなんてやってないし元棒高跳びの選手でも無いんだけど (^_^;)
|