un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2004年01月30日(金) 中央道昼特急大阪号!

というわけで、2ヶ月ぶりに上京するどか。メインイベントは、元同僚かまぽんの結婚パーティへの出席。付随してみんぶの練習に3回ほど出られるかなともくろんでみたり。

で、東京へ向かう交通手段として選んだのが、中央道昼特急大阪号!なんかいかつい名前だけど、要するにJRの長距離バスで、夜行じゃなくて日中に走るやつね。これがねー、いいんだなー、どかは大好きなのね。

まず、とにかく値段が安い。そして2階建てのバスなので、眺めがとても良い。この2点につきるかと。それはもちろん、時間はかかるんだよね、8時間くらいか、渋滞抜きにしても。でもねー、まったりウトウトしたり、音楽聴いたり、本を読んだり、3回あるSAでの休憩でお茶を買ったり深呼吸したり、山を見たり、川を見たりできるのは、すごい気持ちいいのさ。特に天気が良いとね。

どかは夜行バスが苦手で、あの閉塞感がもう死ぬほどイヤで(面堂終太郎か?)、一睡もできない経験を2度ほどしたから、昼のバスも怖かったのだけれど、全然違う乗り物だ。もはや違うジャンル。

12月に飛龍伝のために上京したときは東海道昼特急だった。今回は、中央道昼特急にした。比較すると、時間は東海道のが少し有利。でもね、景観は中央道が圧倒的に素晴らしい。中央アルプスや諏訪湖を眺めながらまどろむことの何という贅沢さよ。でも東海道もかなり良かった、浜名湖とか晴れてるともう絶景だったし。

何より「旅に出る」という感覚が嬉しいわけだ。新幹線や飛行機だと単なる「移動」だけど、このバスに乗るんだ!と思うと、前日からウキウキしてたものね、どかったら。いやー、若いなーワタシ。ね、若いでしょ、ね、ね?でも、真面目に、お金で時間を買うということも有効だと思うのだけれど、時間でお金以外に余裕を買うということも、とっても有効なのだよと、声を大にして言いたいのね、どかとしては。

夕方、けっこうたっぷり寝たからそれほど疲労も無く新宿に着き、すぐにICUのE-GYMに向かう。松本のぶうや修論明けのくまくまと再会しつつ、現役さんと一緒に踊る。さんさをチラとやっただけなのに疲労全開。・・・若い?


2004年01月29日(木) ちょっと待って、神様(〜第16話)

ふとしたチャンスをつかまえて、この世に残ることができた竜子だけれど。でも、辛いことがたくさんたくさん。たまに良いことがあっても、やっぱり辛いことがたくさん。残してきた夫から深い感謝の言葉を聞いて涙ぐんでいても、すぐ次の瞬間、会社の同僚の女性が夫を支えようと心をくだくシーンにばったり出くわしたり。

そんななか竜子が少しずつ、かつての自分の人生への踏ん切りをつけることができるようになってくる。悪いことだけじゃなくて良いこともあったのだから、その「小さな喜び」をただ抱きしめて黄泉路をたどろうと決意しつつある。

でも、ひとつ気がかりなのは、いま身体を借りている秋日子のこと。日々の生活への現実感が稀薄で、さらに両親の離婚問題で嫌気が差している。「もうずっと、このままでいいよ」などと、竜子にもらしてしまうほどに、傷つき疲れている。

そうこうするうちに、ついに、秋日子と竜子の「エクスチェンジ」に周囲の近しい人間が気づき始める。竜子は、秋日子の友人ふたりに、真実を告げることを秋日子に承諾をとる・・・。

・・・と、こうプロットを書き進めてみても、つくづく良くできたストーリーだと感心する。緩急自在で隙が無く、かといって視聴者に気疲れもさせずにメッセージをきちんと伝えてくる洗練度。それを支えているのは、宮崎あおいの演技力だ。

アップダウンの激しい<竜子@秋日子>と、優しいけど疲れている<秋日子幽体ver.>を、本当に見事に演じ分けている。とくにこの第4週では、幽体ver.のときの切なすぎるほどに透明な眼差し、表情が、特に素晴らしい。泉ピン子とのマッチアップも良かったのだと思う。大御所がちゃんとフレームに入ってくるから、肩の力が抜けてスッキリした凛々しい本質が出せているのだろうか、とも思うわけで。

なんだかとても解説的な文だけど、ともかくもいよいよ残すところは最終週!最後かも知れないあおいタンの制服姿、目に焼き付けるんだー(結局それかい)♪


2004年01月28日(水) Syrup16g "My Song"

昨年末にリリースされた5曲入りマキシ。レミオロメンの"朝顔"と並行して聴いていたのだけれど、あっちと違ってこっちはなかなか文章に出来なかった。ポップじゃないから?違う、そうじゃない。ポップな条件である、メロディは磨き抜かれて聴きやすい。でも他の部分があまりにもズタズタで・・・。

1.My Song
2.タクシードライバー・ブラインドネス
3.夢
4.イマジン
5.テイレベル

ズタズタすぎて、メロディのポップさなんて吹き飛んでしまう。

いままでのシロップ、例えばあの激烈な印象の"coup d'Etat"でさえも、今回の曲たちほどにはどかを打ちのめさなかった。周りに充満しているウソの価値を、切り刻んで破砕して分解して微分していくこと。そしてその攻撃する対象は結局自分に返ってくること。そこで「狂気」にすがらないこと。「狂気」に安易にすがっていこうとする自分の背中を冷静に見つめてしまうほどに、vo.五十嵐サンの目は冷徹だったということ。「狂ってしまいたい」と言うことすら、最も唾棄すべき敗北であるということ。「でも、じゃあどうすればいいのだろう」と、途方にくれる小さい背中、もしくは膝を抱える細い腕。それがシロップの音楽だった。

しかし、シロップは次のレベルに進んでしまった。この5曲では、途方に暮れることすら、辞めてしまった。希望とは言えないまでも僅かに残る躊躇、未練、追憶。膝を抱える少年は自らの中でそんなものさえも、攻撃していき、壊滅してしまった。後に残るのは、空っぽ。空白が、あるだけ。そして唯一の逃げ道だったはずの「狂気」すら、残されていない。

だから、こんなにも怖い。狂っている男のほうがまだマシだ。そこには僅かにも治癒という余地が残されているのだから。シロップは冷静に、冴えた瞳で、虚勢でもなく、自嘲でもなく、優しく微笑みながらこう告げるのだ。


  明日死んじまっても
  別に構わない
  本気でいらないんだ
  幸せはヤバいんだ
  (Syrup16g「♪夢」)


この瞳がせめて狂っていてくれれば、どれだけ救われたのだろう。

かつて野島伸司はこういうセリフを書いた。


  ときどき心ない人に出会うと、
  後ろから殴りたい衝動にかられますが
  僕たちは傷つけるために生まれたわけじゃありません
  ときどき心ない人に出会うと、
  不安定になり、息苦しくなりますが
  僕たちは傷つけられるために生まれたわけじゃありません
  (野島伸司「ストロベリーオンザショートケーキ」)


かつてつかこうへいはこういうセリフを書いた。


  人が愛を告げるのに、
  もっともみじめな勇気を必要とする時代です
  (つかこうへい「ストリッパー物語」)


リアリストであるこの3人の表現の出発点は同じなのに、かくも出てくる言葉は異なる。そしてどかは、この2人の作家と同じように、このひとりのボーカリストも依然好きなままなのだ。けして言葉が上っ滑りしないというこの3人の共通点は、きっと、あのミニマムな風景に触れてしまったという経験を共有しているからだろう。ただ、つかサンや野島サンはひととおりくぐり抜けた先人であり、五十嵐サンは現在も沈降しているということ。

どかは、がんばってついていきたい。

息を止めて。

目は開いて。


2004年01月27日(火) The 4th Renewal Cut Off!!

02.02.21 OPEN
02.07.25 RENEWAL
02.12.07 JOIN IN ENPITU
03.01.15 THE 2ND RENEWAL
03.02.04 BBS OPEN
03.03.18 JOIN IN ONWAR PROJECT
03.05.05 THE 3RD RENEWAL

と、来た doka's_homepageの歴史。そしてきょうついにメジャーアップデート、都合4度目の全面リニューアル完遂!!

04.01.27 THE 4TH RENEWAL

今回のリニューアルのテーマはずばり「ゆうざびりてー」。お、思わずひらがなで書いちゃった、だって流行の言葉すぎて恥ずかしいんだもん。でもね、大事なことだと思うのね。「美学とはやせ我慢と見つけたり」というのは某偉大な詩人の言葉だけど(注:どかは詩人という肩書きも持つ)、でも「やせ我慢」は自分でするものであって、他人に押しつけちゃいかんと思うのよね。アクセス数云々という話ではなく、矜持として。で、その方針に則って以下の通りポイントをひとつずつ実施した。

1.フラッシュマテリアルを外すこと
:これまでトップページに2つのフラッシュを設置していた。<メニュー>と<カウンター>である。これがどかにとってかなりのオキニで「我ながらこのページ、大好き」とナル度爆発するくらいだったのだけど。やっぱでも、重かったし、使い勝手が抜群かというと、決してそんなことは無かったし。でも問題が。doka's_homepageは極端にメニュー数が多く、フラッシュメニューを外すとなると、どうしてもページは増えてメニュー記述が煩雑になっちゃいそう・・・。

2.<au/infobar>ショック
:・・・と、悶々と悩んでいたところに、あのグッドデザイン賞受賞のケータイが登場したわけで。ミーハーどかは速攻機種変。で、やっぱりこの<タイルボタン>は可愛いし使いやすいし美しいし言うこと無いわね、という結論にたっしたわけで (^_^;)。これなら、ページが増えてもなんとかなるかも。

3.脱欧入亜
:で、できるだけ「ゆうざびりてー」の原則に則って、アルファベットを消していくことにした。英語を辞めて、全部イタリア語で書いてやろうかしらん。とも思ったんだけど、で、確かにそうすると見た目に瀟洒になりそうだったんだけど、やっぱ、だめよねって。絶対、綴りとか間違いそうだったしね。

4.フォント大きく
:3と同様、原則に従うと当然こうなる。以前はフォントを大きくすると、ちょっと幼くなるよねーと思って、小さめに設定したんだけど、でもでも読みやすいのが一番でしょ。と思い、全体的にフォントを大きくした。内容が伝わんなくちゃ、仕方ないもんね。

5.CSSを極める
:で、1〜4をしっかりやろうと思うと必然的に、HTMLだけではにっちもさっちもいかなくなる。いままで逃げ続けてきたCSSをちゃんとやることに決める。ここからが地獄だった。CSS自体は論理的なシステムだし、ひとつずつ覚えていけばなんとかなったんだけど。問題は、やはり、ブラウザによる差違だった。

6.表示確認の徹底
:で、どかはマックのブラウザ6種と、ウィンドウズのブラウザ2種とで徹底的に表示確認しながら、ピクセル単位で調整を続けた。全てのページについて。死ぬかと思った。ってか死んだ。まじ、もう、死ぐ。で、悟ったのは「IE」は決して優れているブラウザでは無いと言うこと。CSSの規格は世界標準で定まっているのにもかかわらず、独自の規格をいつまでも採用していて、もう、マジでむかついた。特に、マック版IE!殺意を抱くほどに、苦しめられた、最後まで。逆に標準の規格にかなり則っていた優等生のブラウザはモジラ系のブラウザだった。やっぱ最後はオープンソースなのねえ。

7.でもやっぱ、美しいのが好き
1〜6までクリアしたあとで「それでもやっぱ美の追究を辞めたらおしまい」的メンタリティーが蘇り、トップページにJavaScriptを組み込んだ。ウフ。更新するたびに画像が入れ替わるのです。

と、まあ、こんな感じ。ブラウザの差違に関しては、妥協はギリギリまで拒否って可能性を探りながらやって、実際どのブラウザで見てもほぼ、一緒なはず。一番アブナいのはマック版IE。一番大丈夫なのはモジラ系ブラウザ(MOZILLA・FIREBIRD・NETSCAPEなど)で、マック・ウィン問わず。その中間なのがウィンドウズのIEでした。可もなく不可もなく。やはり画面表示、色調に関してはマックに少し利がある気がする。ひいき目ではなく、冷静に。

とにかく・・・、しばらくパソコンには触りたくない、いま朝の6時。何度目の徹夜だろう。おやす、み・・な、さ・・・・・い (。o゜)


2004年01月26日(月) 野島伸司「プライド」(第3話)

野島サン、がんばってるなあとホント思う。自分の表現したいことと、プロダクションから要求されることとを、ギリギリまでせめぎ合わせて、なんとか成立し得る点を探り続けてるなーって。ありがちなスポーツとラブストーリーの枠組みのなかで、それでも予定調和に堕さない自分の世界をなんとか織り込もうと試みる。

がんばってがんばって「くさび」を打ち込んでも、その「くさび」を突っ込んでそこから彼の世界を深化させて提示することは野島サンには許されない。本当に野島サンが表現したいのは、そこから「先」なのに。でもできない。突如、ズドンと重たくなる。一気にデッドエンドじみた荒涼とした風景を見せられたら、視聴者は引いちゃう。TBSの金曜10時ならそれは許されても、フジの月曜9時でそれは許されない。

だから、どかはせめてその「くさび」が打ち込まれた瞬間の響きを、余韻を、忘れずに記憶することをちゃんとしようと思っている。第1話から、野島サンはあきらめずそれを必死に続けているのだから、ただ、その、余韻だけを。

チームを辞めるようコーチから勧告された後輩に対して、ハルも同意。チームメイトは気色ばむけど、そこには何かハルなりの気遣いや意図があるのではと水を向ける亜樹。


 ハル ないんだよね、とくに理由が
    ただオレはなんというか

 亜樹 なんというか?

 ハル ぬるいヤツと、ずるいヤツがきらいなの
    1番を目指さないヤツ、むかつくんだよね
    「自分が自分らしくあればいい」なんて、
    ハナっからそういう言い訳用意してるヤツ
    もうヘドが出るんだよね

 (・・・中略)

 亜樹 1番になれないヒトだっているわ

 ハル そんなこと分かってる
    分かってるけど、オレが言いたいのはそこじゃなくて
    あきらめないで目指せってこと
    「自分らしくあればいい」なんてさ、
    限界まで目指したヤツだけが最後に言えることでしょ

 (野島伸司「プライド」第3話より)


英雄的なキャラクターとしてのハルの裏側にあるのは、ひたすら寒々とした風景である。亜樹が「冷たい」と感じたのも、道理である。


 亜樹 それがあなたのプライド?
    そんなの、誰も着いてくるはずないわ
    あなたには、誰も

 (野島伸司「プライド」第3話より)


「そう、そこからもすこし、詰めてみようよ亜樹ちゃんっ」とどかが思った瞬間、ハルは茶化してこの「くさび」は、打ち込まれたまま残される。もちろん残されている以上、全く無駄になるわけではない。どかがちょびっと物足りないのは、いつもよりもテーマの深化が遅いというスピードの問題なんだよね。

ま、話がずれたけど。「優しい」とか「包容力」とか、そういうありがちな主人公像によく見える要素が全く無い、無いどころかセリフにしての全否定、マニフェスト。がんばったなあ、野島サン。「自分に厳しく、他人に厳しい」というこのキャラクター、どかは小説「スワンレイク」のアンを思い出す。アンは「情緒レベルの選民思想」という極めつけの思想を具現化したキャラクターだった。そして最後は自壊する。

ハルはどうだろう。「ゲームとしての」恋愛と宣言してしまった以上、亜樹にも出口を求めることは出来ない。ハルのプライドはこのデッドエンドを、どうクリアしていくのだろう・・・。

がんばれ、野島サン。


2004年01月23日(金) ちょっと待って、神様(〜第12話)

竜子が乗り移っている秋日子は、家出した自分の娘を追いかけて名古屋から渋谷に出る。本人達以外には、神様しか「乗り移り」の事実を知らないのだから、この秋日子の行動は周りの人間には「なんで、ヒトんちの子供のことでそこまでするの?」という感想がわき出てくるのが自然だろう。

でも、周囲の人間は、当の竜子の家族たちですら、声にして言わない。「いくらドラマと言ってもねえ」という向きも視聴者の中にはあると思うんだけど。でも、何となく、竜子in秋日子の「馬力」に押し切られて、画面を見入ってしまう。この「馬力」が、このかわいい女子高生に宿っているというアンバランスが楽しい、うん、楽しいから。

でもきっと、この渋谷にて娘を救い出す顛末を、宮崎あおいの秋日子ではなく、泉ピン子の竜子がそのまま映像として映っていたら、視聴者はここまで画面を見入ることがあっただろうか?おばさんが、おばさんとして、活躍するというところには「異化」が起きる隙間はない。なんのへんてつもないことが、なんのへんてつもないまま。それがドラマとして成立するだろうか?

と考えていくと、どかはとたんに我にかえる。

このかわいい女子高生の「ルックス」が無ければ、おばさんの「馬力」などを全く顧みる余地が無かったであろう自分に気づく。「ルックス」至上主義で浅薄な表層を滑っていくように浮世を流れる世間の風潮に気づく。ルックスと演技を兼ね備えたアイドルの存在が無ければ、このドラマを成立せしめないこの日本という社会の貧しさに、ふと気づくのだ。

でもこんな現代批判を明瞭に指摘するセリフなんかはどこにもない(これからあるかも知れないけれど)。そういうメタ的なメッセージは、あくまで言外ににじませ、あくまで行間に織り込む、そんな奥ゆかしいドラマだったのだと、どかは3週目まで観終わって初めて気づいたの。

第3週の秋日子が魅力があったのは、あくまで中身の竜子のパーソナリティによるのだ。おばさんパワーなのだ。あの「馬力」なのだ。そんな秋日子に告白してしまう茂多クン・・・。どうなっちゃうのか知らん、これから。

・・・と、ここでレビューを終えたらキレイなんだけど、でもどかは宣言してしまう。

ワタシは、あおいタンのルックスが好きでえすっ。外も中も、どっちも、好き(爆)!


2004年01月19日(月) 野島伸司「プライド」(第2話)

やっぱり、天下のフジが威信をかけているんだなと思うのは、
お金の遣い方が上手いなーということ。
別にキムタクやその他キャストに払うギャラ、という意味ではなく、
オープニングの映像その他本編のカメラのカットとか、
さりげにすごい凝ってるなと。
そういう細かい仕上げまで手を抜かないのは、どかは好きで、
月9というブランド戦略も、悪いことだけではないのねと思う。


第2話、素直に面白かった。
ちゃんと生活の葛藤にアイスホッケーの試合がかみ合って、
オーソドックスながらも、ドラマの醍醐味が詰まってたし。
野島サンの脚本で、こんなにストレートな味わい、ほんっとに久々。


でも、ちゃあんと、伏線は伏線で進行していく。
いつか奔流となって全てを押し流す凶暴とは、
少しずつ、山の谷間、岩の間にある細い水の線から始まるのだ。
野島サンの得意とする手法に、
メインのプロット以外にいくつかのサブプロットを並置するということがある。
ハルと亜樹の(ある意味数字ゲッターの)メインストーリーではない、
傍流のストーリーに、どかは野島サンのメッセージが、
かなり色濃く顕在化している気がする。
いや、第2話のメインストーリーもすごく面白かったし、
亜樹が最後に自分を取り戻してハルとの関係が良好に見えたとしても、
でもこれって、2人の関係が、より「ゲーム」として虚構の度合いが深まった。
と、思ったりするとそのキャッチーな演出の裏の「孤独」に鳥肌が立ったりする。


でも、どかは第2話のハイライトはあえて、
ハルと、ハルが尊敬していた安西コーチの未亡人・容子との会話であると思う。


 ハル ずっと想い続けるのって無理ですか
    ずっと、安西さんのことを想って生きていくってできないですか
    俺イヤなんですよ
    これから先、容子さんが誰かと恋愛するの
    誰にも心を許して欲しくないんです

 容子 厳しいのね、あなたの愛情って

 (野島伸司「プライド」第2話より)


ハルには別に容子サンへの慕情があるわけではない。
このセリフはただ、ハルの「古き良き女(=母性)」への切望があるだけだ。
ここに見えるのは具体的な関係からくる感情ではなく、
抽象的な概念への、だがだからこそ強烈な「信仰・祈願」がある。
ハルと亜樹のストーリーにはまだ、その強烈さはにじまない。
でも、野島サンは野島サンの内側に溢れる「テーマ」を、
ついに押しとどめることができず、こういったサブストーリーに発現させる。


あと、第2話で、ハルがどうしてこういった「祈願」を持つに至ったか、
なぜ自分では恋愛をゲームとして捉えることしかできなくなったのか。
という理由としての彼の過去のエピソードが語られる


また、亜樹の長セリフが2つあり、長セリはあまりに野島色が強くなるから、
敬遠されるかも、と思ってたのに、それぞれが良いセリフで嬉しかった。
うん、良かったなあ、あのセリフは。


 亜樹 私は、いつまでも自分のことを好きでいたいの
    強くて、偉くて、かわいい女でいたいの
    寂しさなんかに負けない、目を逸らさない
    それが私のプライドなの

 (同上)


この最後の部分だって、よくよく考えてみれば、
現代の「孤独の神髄」を語っていて、限りなく辛い内容なのだけれど。
でも、これを竹内結子は精いっぱい凛々しく、
明るい目でまっすぐ大和(坂口憲二)を見て話すから、
メッセージのニュアンスがまったく変わってくる。
野島サンの脚本は言葉が強い。
だからこそ、逆説的だけど、キャストの演技が重要。
竹内さん演じる亜樹は、もしかしたら何とかなるのかも。
と、このセリフのシーンでどかは思った。


第2話、良かった、すごく。
「腕相撲」は笑ったけど(笑うよね?)、でも良かった。


2004年01月18日(日) 補足 BIG CAT

昨日のライヴについて、あと細かいこと。


BIG CAT はキャパ1,000人くらいの大きさ。
AXや BLITZと比べてもかなり小さかったこと自体はどか、
すごい嬉しかったんだけどなー。
でもちょっと、苦手な印象のハコかも、なんでかな。
どかがけっこう死にそうだったのは、
ハコの影響もあったのかもと思うの、こう凝縮されすぎで。
単純にキャパが小さくても、
もっとステージに広がり持たせられると思うんだけどな。


あと、大阪・ミナミと、東京・渋谷の、
シロップファンの客層の違いについて。
大阪のほうが、圧倒的に、男性が多い。
あと大阪は東京と比べて、カラっと明るい雰囲気があった。
渋谷のフロアは「ある種の雰囲気」を持った女の子、
多かったもんなあ、いかにも「シロップ好きですー」という。


「でもでもこれはシロップのライヴだよな」と思い、
よくよく目をこらすと、やっぱり、いた。
沈没しかかってる女の子は、やっぱりいる、
そうだ、シロップはそういうところで最も響く音だもんな
(ワタシもそう見られているのか?)。


やっぱり、昨日の五十嵐サンの調子はベストではなかったと思う。
そうやって好不調の波が激しいのも、ウソがなくていいとは思うけど。
でも、ハイロウズのヒロトやオーチャンの、
あの強靱かつコンスタントなパフォーマンスと比べると、少し寂しくもある。
ベストの五十嵐サンをまた見てみたいなと思いつつ、
5月のナンバ・ハッチにてのライヴは見送るつもり。
ちょ、ちょっと、時間を起きたいかも。
それくらい、昨日のライヴは、良い意味で「重たかった」。


・・・っていうのを、きょうの言い訳にするつもりはない。
ない、けど・・・、ヤバい「博物館学3」!!
う、うちくびごくもん、なのか、ワタシ、ぐふ。。。


2004年01月17日(土) Syrup16g @ BIG CAT

昼過ぎからの玉川の科目試験を大阪城北詰の会場で受けて、
で、明日もまだ試験があるというのに強行軍でライヴを予定にねじこむ
(これで明日の「博物館学3」の単位落としたら打首獄門だなワタシ)。
どかはシロップのライヴは2003年03月28日以来10ヶ月ぶり。
何せ去年一年間で3枚のフルアルバムをリリースした、
空寒くなるほどの加速度を持つバンド、
SHIBUYA-AXからどれくらい変わったか楽しみ。


セットリストは以下の通り、
本編がちょっと短いかなと思ってたら、
アンコールを3回も・・・。


01.Reborn
02.夢
03.パープルムカデ
04.Everything is wonderful
05.タクシードライバー・ブラインドネス
06.生きたいよ
07.Sonic Disorder
08.神のカルマ
09.回送
10.ex.人間
11.coup d'Etat〜空をなくす
12.My Song

en1-1.もったいない
en1-2.イマジン
en1-3.シーツ

en2-1.生活
en2-2.明日を落としても
en2-3.汚れたいだけ

en3-1.(中畑ドラムソロ〜)落堕
en3-2.真空
en3-3.She was beautiful


シロップは改めてライヴバンドだなーと思う、
スタジオよりもステージでこそその真価を発揮できるという意味で。
vo.の五十嵐サンの平熱よりも高い体温が伝わってこそ、
あのヒリヒリするほど冷たい詞の浸透度が増していく。
その五十嵐サン、AXの時よりもまたスケールアップしてた。
以前なら一曲歌ってそれで、ホールをアイスブルーに染め上げる。
という感じだったのが、今夜はワンフレーズでそれを成し遂げる。
みたいな、感じがしたのね。


ただ・・・、それだけスケールアップしていたら、
良い意味で余裕が出てきてもいいのになと思っていたら、
その「利息」を全て使い切ってなおも焦燥を「捨てられない」から、
アップアップ度(良い意味でも悪い意味でも)が、AXの時よりも増している。
だから、さらにグーッと胸の奥に差し込まれる感じ。
きっと、それがどうしようもなく、シロップがシロップな所以なのだろう。
「楽」は避けなくてはならないというオブセッション。
「生」は疑わなくてはならないというオブセッション。
そのオブセッションは、こんな時代だからこそ、
すさまじいまでのリアリティを生む。
凡百の「なんちゃって」パンクバンドやギターポップをまとめてポイできる、
それくらいの摩擦熱だ、~(>_<。)\ イタタ。


そう、摩擦熱、予定調和からは決して起きないこの摩擦を、
シロップは全て、バンド内で「まかなっている」。
バンドとオーディエンスの間でそれを求めるということが、
五十嵐サンにはできないらしい。
その臆病さ、その、いじらしさ。
だから、オーディエンスは、シロップのライヴに立ち会うと、
目の前の小さなシャーレの中で起きている化学反応を、
しっかり心に収めていけるというメリットの代償として、
疎外感を感じずにはいられない、五十嵐サンが感じる疎外感を、
自らのものと、引き受けることに結果としてなるという構造。


では、そのシャーレの中の化学反応とはどういうものなのか。
「感情ではなく論理としての絶望」を余すところ無く拾っていくその詞と、
バンドの演奏との間に発生する摩擦熱がトリガーである。
五十嵐サンのボーカル、キタダサンのベース、そして中畑サンのドラムの演奏、
「詞」の下方への底知れない吸引力にあらがう、
「パフォーマンス」の地面に立ちつくす力、地面を掴む足裏の感触。
これが、シロップにとっての唯一の命綱である。


ところが今夜、五十嵐サンはかなり追いつめられていた。
アンコール一曲目の「♪もったいない」では、感極まって歌えなくなり、
演奏を止めてやり直すという「醜態(あえて言うけど)」。
ボーカルのその窮地を救ったのは残りの2人だった。
中畑サンのドラム、えげつないほどのインパクト。
上手い、というのではなく、強烈。
なんてエモーショナルなドラムを叩くのだろう。
ハイロウズのオーチャンのような重たくタイトなドラムではなく、
もっと、こう、扇情的な感じ。
そしてキタダサンは、中畑サンとは対照的に、
冷酷無比な、けれども抜群のカッティング。
どかが知る限り、キタダサンは日本で最も上手いベーシストだ。
このリズム隊の背水の陣的な名演が、溺れかけたボーカルを救い、
シロップの輪郭をかろうじて保つことに成功する。


そうして今日のシーンの中で、あの唯一無二な「冷たい世界」がBIG CATを覆う。
寝不足かつ、精神的に疲労気味のどかは、ホールの最後方の壁によっかかり、
見ていたのだけれど、もう、2回目のアンコールくらいから、すごいダウナーに。
シロップがシロップとしてすさまじく良いだけに、
どかはどかとして、自分を保つのがしんどくなる。
摩擦熱に冒され、クラクラしてくる、辛い。
ハイロウズのライヴなら、自分の心がスーッと空に向かって飛び出すのに、
身体もがんばって追いついてかなくちゃだから、体調を整えなくちゃいけない。
でもシロップも、体調、大事だなーと身に沁みて思う。
心がドーンとダウナーになっていくのを、身体でしっかり支えなくちゃいけない。
バンドのメンバーが演奏でかろうじて補完するその作業を、
オーディエンスは自前の身体で、足をふんじばってフロアに立ちつくさなくちゃ。


「ウソの希望」ではなく「ホントの絶望」を抱きしめるということは、
かほどに、熾烈な作業であったのだ、ちょっと油断してたな、反省。


8曲目の「♪神のカルマ」から12曲目「♪My Song」あたりは、
どか、かなりキた、涙をこらえて、ステージを凝視し続ける我慢の時間。
とくに「♪ex.人間」は良かったなあ、良かった。
あと、シロップとしてはかなり珍しい、五十嵐サンがギターをおいて、
ハンドマイクで絶唱した「♪落堕」は、一気にどかを追い込む。
もうタップ寸前、オちそうなどか。


失敗したなー、ちゃんとコンディション、整えていくべきだったなー。
でも、行って良かった、大阪に帰ってきても、
ちゃんと、リアリティを確認するチャンスは与えられるのだ、うん。



↑ミナミ・アメリカ村のBIGSTEP、BIG CATはここの4F


2004年01月16日(金) ちょっと待って、神様(〜第8話)

けっこうつらい展開だったな、今週は。
見ていて、胸にグーッと差し込まれる、というか。
秋日子の中に入っている竜子の悲哀が、
胸に、迫る。


  自分がこれまで、家族とシェアしていたと思っていたこと。
  自分がこれまで、家族とシェアしていけると思っていたこと。


そんなことが、次から次へと否定されていき、挙げ句、


  自分が死んでも、世界は変わらない、何も。


ということを、竜子が思い知らされるという展開。
そうなのだ。
このドラマ、というかストーリー、すごいね。
こんな根元的なテーマだったのだ。
良くある、あなたのこと大切に思っているよ、とか、
良くある、あなたのこと死んでも思っているよ、とか、
そんなありがちなペラペラの方便が滑り込む余地のない、
「死」にまつわる当たり前な事実から、物語は、始まったのだ。


第2週目の今週は今週で、
あとに残された家族が、様々な苦境に立たされているのを、
秋日子の目で知ってしまう竜子は、
なんとか助けてあげたいと奮闘する。
しかし、いくらがんばって奮闘しても、
うざがられたとしても、ありがたいと感謝されることは少なく、
何より「助けてあげられない」
(他の生存している他人のほうが、よっぽど的確に支えてしまったり)。


スーパーハイテンションでがんばる竜子も、
だんだん、うちひしがれてきて・・・。
秋日子の身体で健気にがんばる姿も、
少しずつ、ブルーに染まっていき。
けっきょく「死」というものが明らかにする、
人間の孤独とは、動かしがたく真実であるという壁。
何が孤独って、残されたヒトよりも何よりも、
死んでしまった当人の孤独ほど、
救いがたく切ないものはないのだということを、
視聴者は、知る。
竜子役の泉ピン子がへたり込んで声を殺して嗚咽するその涙に、
秋日子役の宮崎あおいその背中を眺める時の切ないその眼差しに、
視聴者は、見る。


NHKが上手いのは、こんなに真実すぎるテーマを、
重たく辛いテーマをドラマで表現するときに、
竜子が実体化した時の泉ピン子の女子高生の制服姿や、
宮崎あおいの明るくキラキラしている華で、
若干軽くかわすことが成功していることだ。
この「変化球」は、とても上手い、効果絶大だ。


けれども、視聴者は心の何処かで知っている。
「変化球」では最後まで、ほんとうの「大打者」をかわし続けることは、
不可能だと言うこと、重たい事実が最後はのしかかってくると言うこと。


そして。


そして、最後は、宮崎あおいと泉ピン子の華で、
カタルシスへと導いてくれることを祈る。
この祈りこそ、このドラマの視聴率そのものなんじゃないのだろうか。


2004年01月15日(木) とっくり投げ

などと言う変わった決まり手が飛び出したらしい、
大相撲初場所、国技館。
画面で見ても、けっこう大変そうだったな、あれは。


格闘技のなかではボクシングが一番、好き。
逆にかなり苦手なのは、実は、K−1だったりする、
なんだかゲーセンで上手いヒトがバーチャで対戦してるの、
眺めてるみたい、ショーアップからなにから、好きくない
(でも前田日明のリングスは好きだったの、渋いなワタシ)。
で、相撲はというと、かなり、好きなほう。


お気に入りの力士は、気づいたらいなかったんだけど、濱ノ嶋。
とにかく顔がうるわしかった、歌舞伎顔で。
あと、身体も美しかった(・・・ヲイ)。
そんで、何より「ファイトスタイル」がどかは好きだったな。
小兵なのに、ぜっったいに引かないんだよな。
立ち会いで変わったり、はたきこみとかしないの、相手が横綱でも。
かつ、技もそんなに豊富じゃないから、
がんばって寄るとか押すとかおっつけしか、ないの
(そりゃ、勝てんなあ)。
最高位は小結、でもどかは番付幕内ギリギリのところで、
低空飛行を続けていた印象が強い、でも応援したの。


濱ノ嶋がいないいま、むしろ、キライな力士がはっきりしてる。
千代大海関、もう、まちがいなく、キライ。
なぜキライか。
いろいろあるけどやっぱり「ファイトスタイル」。
あれだけ身体に恵まれて押せる力があるのに、
引いたり、変わったり、はたいたり、
そういうこすっからい勝ち方をするのが許せない。
大関だろう、仮にも。
格下相手に、はたくなよ。


で、好きな力士、んー、恥ずかしいんだけどなー。
恥ずかしいけど、朝青龍、好き。
小兵ながら鬼神のような強さ。
全盛期の貴乃花とやらせたかった。
とにかく強い、しかも小兵なのに「変化」しない。
もちろん濱ノ嶋みたいに手持ちの技がないこともなく、
出し投げなどの切れ味などは寒気がするほど。
勝ち身が実に速い、とにかくとまらない、電光石火のスピード。


こんな華のある「ファイトスタイル」なのにね、
でもどかが一番グッとくるのは、
彼がいま角界で一番の「悪役」ということだ。
ニヒルでべらぼうに強い「悪役」・・・、かっこよいわん。


レビューシリーズ、相撲も追加するかワタシ?
(いや、しないよしない・・・疲れて血迷ってるんです、ぬはっ)


2004年01月14日(水) 遅ればせながら

今年のどかのテーマなど、さらしてみたり。


「アンテナ感度の保守」、以上。


自分の研究、ベストを尽くすのなんか当たり前。
テーマにすることすら、おこがましい。


でもだから、そのベストを尽くした上で、
つか芝居や青年団、野島ドラマやあおいタン、
岡崎京子や松本大洋、↑The High-lows↓にSyrup16g、
そんな表現者たちへの敬愛を、
ずーっと優しく抱きしめていられるくらいの、
それくらいの「腕力」をキープすること。
そういう風に言い換えてもいいかも知れない。
でもね、これからの毎日を想像すると、
すっごい大変だと思うのな、そういうことって。


だから、ううん、「キープすること」ではなくて、
「キープしていたいな」、なのかも知れない。
そうしたら「テーマ」っていうより「祈り」なのかも。
いわゆる「約束」としての「テーマ」は、そうすると、


「ベストを尽くす」、


になるのかも知れない。


「約束」は守るものだ。
「祈り」は・・・、祈ろう。


2004年01月13日(火) とりあえず、

近況報告など。
レポート、ついに書き終わり。
でも、評価Dで再提出などになってしまう危険あり。
とくに超迷テーマの「西洋美術史」あたり危険信号
(専攻なのに・・・)。


そしてその後は今週末の科目試験にむけての試験勉強。
これも超迷問題が予想される「西洋美術史」あたり、
やっぱり危険信号。
というか、この担当教官って・・・。


で、試験対策がテンパってて、
行き始めたばかりのゼミ、
泣く泣く欠席させていただく。
というか背に腹は代えられないしなあ、むう。


加えて、今週初めからの寒波にどかは少しまいっていて、
風邪をひきかけていたりもする。
フジ月9の感想や、あおいタンへの募る思いなどなど、
綴りたい気持ちはあふれるばかりなのだけれど、
とりあえず、野島サンもあおいタンも(ついでにキムタクも)、
ごめんっ、待っててっ
(・・・いや、待たないから誰も ヾ(- -;))!


・・・というわけで、某Eクンもね、
返信はちょっと、遅れてしまいそう、
申し訳ないけれど、少しだけ待っててくだたい。


2004年01月12日(月) 野島伸司「プライド」(第1話)

別にどかは、期待していないよ・・・
と、あちこちに書き散らしてた気がするけど、でも。
キムタクはどかはどちらか言うと苦手な役者の部類だけど、でも。
竹内結子も、どかはいままでちゃんと見たことないからイメージ無いし、
坂口憲二もどちらか言うと、やっぱり好きくはないし、でも。


でもそれでも、野島サンの新作ドラマが毎週見られるかと思うと、
それはやっぱり、どかにとってはドキドキしてしまう幸せな気持ち。
うれしいな、うれしいよ。


・・・そいで、第1話なのだけれど。
感想は、つづめて言うと「ホッとした」ということになるのかな。
「数字」を狙いにいきます、と制作陣が宣言していただけあって、
かなり、軽くポップな展開、でもそれは予想されたこと。
どかはでも、そこかしこのディテールに、ピンと来ることができたから、
それはつまり野島エッセンスとでも言えるモノで。


一番分かりやすかったのは<古き良き時代の女>というフレーズ。
最初の、バーのシーンでキムタク演じるハルの口からこれを聴いて、
あっ・・・と思った、「来た来たっ」。
小説「ウサニ」にも登場したポイントのひとつ、
女性性の変遷というテーマに、重なってきたなあと。
それ以外にも<恋愛とゲーム>の相似なども、
それこそ去年の「高校教師」などで掘り下げられたテーマだし、
<寂しさと恋愛感情>というのも同じ「高校教師」で、
かなりの深化を見せたしね。


そりゃ、物足りないのは物足りない。
例えば時任三郎演じるコーチ・安西がアル中でずっと入院していて、
で、その妻・容子サンが孤独と不安に苛まれて、
他の男性の優しさにほだされてしまうというエピソード。
ハルは容子のことを<古き良き時代の女>と認識していたのに、
それが裏切られた気がして、責めてしまう。
「ワタシだって、オンナなの!」と容子が吐露するシーンは、
いつものシリアス野島ドラマならば、
こっからドーンと救いのない展開へと落としていく箇所だ。
しかし「プライド」では軽く流してしまう。
万事そんな感じで、野島エッセンスはそれなりに顕在化してるのだけれど、
そっからドーンと落とさず、
リズムとスピードとキムタクのキムタク演技で、サッとかわしてしまう。


でも、それでも、ちゃんと野島エッセンスはかすかだけど、
幾つか伏線として辛うじて張られているから、どかは嬉しかったのね。
うん、これからに期待。
きっと、カタルシスはいつもよりも随分薄くなってしまうのだろうけれど、
いいの、野島サンがドラマを書いてくれるっていうそれだけで、
もう、嬉しい。


さて、キムタク、どかはもうちょっと様子見かしら。
プロパーキムタクファンにはきっと、評判、芳しくないだろうと推察する。
タダでさえバタ臭い演技が、野島サンの言葉でさらに・・・。
でも、どかはキムタク演じるハルの役どころ、
もっともっと英雄的になっちゃうかもって思ってたところだったから、
割と、人間的に弱い部分を感じさせるくだりがあって、少し安心した。
そうじゃないと、野島エッセンスは、枯れちゃうから。
あと、ヒロイン・亜樹を演じる竹内結子サンについては・・・、
ちょっと、思うところがあるので、保留。


 亜樹 いつ寂しいなんて言った
    誰があなたに寂しいなんて言ったのよ
    そりゃそういう時もあったかもしれないけど
    そんなんで誰かを好きになったり、あたしはしない


 ・・・


 ハル 寂しさなんて感じたことないよ
    一度も


 (野島伸司「プライド」第1話より)

それぞれ、別のシーンのセリフだけど。
亜樹は「寂しさ」を認めて、ハルは「寂しさ」を認めなかった。
きっと、これは、ハルのほうが苦しむことになる、予兆だ。


2004年01月11日(日) 天保山へ

去年の11月末から始めたバイトから帰ってきて、
昼、ぽけーってしながら家族とご飯食べようとしてたら、
いきなり鳴り出す nishikigoiクン(携帯のことね)。
「すわ、なにごと」と思って出てみたら、


  あー、いま梅田に来てるんよー、
  ちょっと○○ポン、きょう時間とかあるかなあ?


と、懐かしい声、あ、けーこサンかあっ。
どかの大学ん時のサークルの先輩同士の夫婦・Tサン夫妻。
むかし、どかが踊りを教えてもらった、
ご主人のTサンはいま、備前で陶芸家をやってはる。
その奥さんけーこサンからの電話やった。


  ははは、今度はこっちがいきなり来てみましたー


って、報復なのか? (-^〇^-)
というのも先日、どかが両親のドライブデートにつき合って、
備前に焼き物を見に行ったとき、
前もって連絡しなかったにも関わらず、
「Tサーン、いま、備前に来てまーす」と連絡したんだけど、
さすがにいきなりだと会えなかった。
という、前振りが去年の11月末にあったんさ。


で、バイト上がりでちょいくたびれてて、
しかもレポートの締め切りは近いし、
科目試験のテスト勉強もしなくちゃなのだわ。
と弱気に頭をよぎるところもありつつ、
でもでも、せっかく大阪に出てきてくれてるんやし、
2人とも大好きな先輩なので、会いに行くことにする。
待ち合わせはベイエリア・天保山マーケットプレイス。
どか、大阪出身なのに、これがなんと「初・天保山」である!
地下鉄中央線・高井田駅までチャリで出て、そこから乗り換え無し。
案外、近いやん・・・。


大道芸人が人だかりを集めてるマーケットプレイスの前で落ち合い、
少しだけ、お茶してT夫婦とまったりおしゃべりタイム。
いやー、ちゃんとがんばってるヒトはやっぱりまぶしい。
で話題は、最近の某サークルを取り巻く状況のなんやかや。
とか、あとは同じく岡山県で家具職人やってるサークルの先輩、
Kサンのなんやかや、とか。
・・・笑った、笑った、来て良かったー。


昔、第1男子寮と第2男子寮、すぐとなりに住んでいて、
空いてる時間に、訪ねていって「踊りましょー!」って、
昼寝してたTサンを無理矢理起こして、
ジムの横の芝生のうえで練習を見てもらったんを思い出す。
あのころ、よもや9年後にこうして大阪のベイエリアで、
お茶することになろうとは思いもよらなかったな、当たり前だけど。
当たり前だけど、すごい不思議だなーとモカを飲みつつ思った。



↑晴れたり曇ったり、でも風は変わらずずーっと冷たかった、ごっつい


2004年01月09日(金) ちょっと待って、神様(〜第4話)

ついさっきの第1週分の再放送で、
どかが見逃していた第1話をしっかり観ることができた。
やれやれ、良かった良かった。


わりと人格が入れ替わったりするというのは、
ドラマの常套手段、ありがちな展開だけれど、
このドラマがそのありがちな陳腐さに終わらない原因は、
そのギミック・仕掛けにのみ頼らない、
すうっと深い心情がちゃんと描けているからだと思う。
泉ピン子演じるおばさん・竜子の、
家族に対する一方通行な愛情の空しさ。
宮崎あおい演じる女子高生・秋日子の、
生きているリアリティが持てない乾いた諦め。
そんなこんなが、それぞれの瑞々しい演技の底に、
ちゃんと重石として沈められているから、
プロットが上っ滑りしていかないで、
きちんとくさびとして心に引っかかってくる。


手前ミソだとは思うのだけれど(勝手に「手前」にしてるどか)、
でも、あおいたんはやっぱり、演技派だなーとつとに思う。
自分と同年代の等身大の女子高生を演じているのではなく、
おばさん竜子が中に入っている女子高生を演じてるのね。
その一方で守護霊みたいな秋日子自身も演じているから、
純粋に、一人二役でがんばってるの。
単なるポッと出のアイドルには、
あの振幅の大きさは出せないでしょう。


竜子の夫が秋日子の家を訪ねて、
ふと目にとまったベンジャミン(フランクリン)を
是非引き取りたいと請うシーンは今週のハイライト。
そのときの秋日子の表情、良かったな。
目。
目がいい。
バーモント・アイ。
すっごい力があって忘れがたい表情だったよ。


やばい、どか。
かなり幸せだわ、いひ。


2004年01月08日(木) ちえねつ

きょうも昨日と比べたら、とーっても寒い日だった。
なぜ、どかが京都に行く日はとことん底冷えするのだろう。
出町柳の駅を下りた瞬間、キーンと脳髄に響く感じ、くー。
去年の暮れのストイキツァさんの懇親会のときに、
明けからゼミに参加させて下さいとお願いした。
したら、O先生は「あー、いいよいいよ」って言ってくれて。
それでありがたく、きょうから、参加などか。


・・・5分で後悔。
うーん、でも「後悔」っていうのはちょっと正しくないな。
だって、最初から分かってたもん、ついてけないの。
イタリア語とフランス語ががんがん飛び交う内容。
どかは、もう、どこを読んでるのかさえ、
分からなくなるのがたびたびで、
耳をキツネのようにぴょこんと立て、
目をミミズクのように皿にして資料をあたる。


しかも、語学のレベルだけじゃなく、
知識レベルも、ちょっとすんませんっ、という感じ。
13時から始まって終わったのが19時。
もう、どかは口も聞けないくらい疲労困憊。
アタマも痛い、知恵熱だよ、ちえねつうっ・・・。


はあ。


なんでどか、合格ってんだろ?
まったくもって分からん、分からんぜよ。
懇親会のときに、
「人環のなかでもこのゼミはレベル、すっごい高いよ」と、
脅されていたのを、帰りの京阪電車で思い出す。
あれ、誇張じゃなかったんだ、ぐふ。


と泣き言を並べていても始まらないから、
どか二等兵、CIAOから頑張りましゅ(ってまだお前、CIAOだけかあっ)。


帰ってきてぐでーとしてたら、23時。
あー、あおいたんの時間だー♪
というわけで、いそいそとチャンネルを合わせる。
・・・やばい。
一気に疲れが抜けていく、とろけるう。


やっぱり人間、疲れたときはアイドルだ。


2004年01月07日(水) 東大阪市立郷土博物館

玉川の「考古学」と「民俗学」のレポートを書くために、
地域の歴史系・民俗系の博物館を見学しなくちゃなどか。
それできょう、東大阪市立郷土博物館へ行った。


大昔、小学生のころに一度、社会見学で行ったっきりだったなー。
そのころの記憶で思い出せるのは2つだけ。
ひとつは、展示が「河内木綿」をテーマにしたものだったこと。
で、その展示内容よりも何よりも、強烈に覚えていたのが、
博物館に至るまでの道のり、すっごい坂道だった気がする・・・。


出かける前に電話をして行き方をたずねる。
近鉄奈良線・瓢箪山駅の南口を出て、稲荷神社の鳥居をくぐって、
境内を抜けて、山に向かってまっすぐ歩く・・・、はいはい。
で、歩いたわけだ、これがやっぱりけっこうな坂道。
そうそう、この登りだー、記憶とちゃんと合致するー。
かなり細い道でクルマがすれ違うのもぜったい難儀する、こんなん。
だって、もう、生駒山の中腹だもん、ここいらってば。
ごっつい不便なところにあって、しかも「郷土史」がメインの博物館。
繁盛するはずがない・・・。
ま、もちろん一般の来館者をターゲットになんて、
はなからしてないのは知ってるけどねん。


着く。
見る。
見る。
読む。
見る・・・。


「考古学」のレポートはばっちり大丈夫そうだけど、
どかがかつて見た「河内木綿」の展示が無い・・・。
「民俗学」のレポートがちょっとキツそうだったので、
職員さん(学芸員では無いと思う)に話を聞く。
したら、ごっつい親切で、過去のそれについての企画展のパンフ、
コピーして、どかにくれたのね。
やー、あれだけ閑古鳥が鳴いてるのに、
この素晴らしいホスピタリティには、グッと感激してしまうどか。
どかがコピーを待つ間、


  あのー、△△小学校のものですが、社会見学の件で相談を・・・


と、事務室に入ってきたのは、多分先生なのだろう2人組。
ああ、こうやって同じように小学生がこれから何度も何度も訪れて、
学芸員さんは一生懸命に説明するのだろうけれど、
でもきっと、展示のことはほとんど頭に残らないで、
そのかわりにここに来るまでのあの強烈な坂道のことは、
「うげー」って嫌気をさしたことと共に、
ずーっと覚えていくんだろうねー。
と思ったら、なんかちょっと、微笑んでしまったどか。
それでいい気がした、まったく問題なく、良い気がした。


職員さんに心からお礼を言って、建物の裏の林にある、
古墳群をチラッと散歩する。
何と、石室のなかまでふつーに歩いて触れる。
誰もいない山の林のなか、木漏れ日が優しく降り注ぐうちに、
石室に積もっている落ち葉の音を聴きながら、
ぽけらーって歩いて歩いて。
乾いたサラッとした光がありがたく思えて、
さあ、ぼちぼち帰りましょうとどかは坂道を下り始めて、
「あ」と思って目を上げる。


夕焼けに美しく染まる大阪平野がダーッと一望。
一瞬、心が空っぽになった。
そして思う、どか。
私は大阪に、帰ってきたんだあ。
実感として、帰ってきたんだなあと、しみじみと。


(そしてまたしても FinePixチャンを置き忘れ、まぬけどか)


2004年01月06日(火) JRA年度代表馬決定

誰もが予想したとおりの結果に落ち着いた。


クラシック牡馬2冠のネオユニヴァースでもなく、
春天と宝塚を制したヒシミラクルでもなく、
そして、17年ぶりの牝馬3冠を達成したスティルインラブでもなく。
2003年度の年度代表馬の栄冠に輝いたのは、シンボリクリスエスだった。
クリスエスが獲ったのは秋天と有馬の2つ。


けっこうモロい印象が拭えないんだけどなー。
宝塚とJCのせいだろうけど。
確かに引退レースのグランプリ、最後の直線の9馬身差の圧勝劇には、
クリスエスに全ての華が収斂されていくダイナミズムを感じたのだけれど。
でも、なぜか引っかかるどか。
そりゃあ秋天はクリスエスに乗っかって馬券獲らしてもらったけどさ。
でも、あれは好きだからじゃなくて、
ファインのライバルがこんなところで沈んでもらっちゃあ困る。
的な感じで、負けたら許さんぞおっという意気込みで。
そう・・・、どかはクリスエスになぜか惹かれなかった。


でもでも、秋天、有馬記念ともに2年続けて連覇
そして結果として2年連続の年度代表馬
「2年連続」ってすごいことみたい。
どかがさっき、ざっとあたってみたら、
なんとこれまで日本競馬史上、
2年連続で年度代表馬に輝いたのは2頭しかいないの!
クリスエスの前にこの偉業を達成したのは「あの」シンボリルドルフ!
「あの」G1レース7勝を達成した、史上名高い最強馬である、
「あの」ルドルフ以来なのだ、クリスエスくんってば。


展開が向かないともろい。
横綱相撲で勝てるほどの実力は無い。
そしてタニノギムレットやファインモーションと比べると、
「華」に欠ける。
どかは意固地になっていろいろ難癖つけちゃうのだけれど、
でも実際、ギムレットは怪我で引退し、ファインは知っての通り苦難の道行。


というわけで、どかも大人にならなくちゃだわ・・・はい。


クリスエスさま、2年連続の年度代表馬戴冠、
本当におめでとうございましゅ。
確かに引退レースの有馬記念は格好良かったでしゅ。
実力に加えて全ての運をも引き寄せてきて、
史上空前の「ハッピーエンド」にしてしまったこと、感服でしゅ。
サイアーとしての第二の人生、がんばってねー。


でもでも、ファインとの子は・・・ウーン。
(~ヘ~;)複雑。


2004年01月05日(月) ちょっと待って、神様(第1話)

どかの2004年「あおいタン初め」はこのドラマから。
NHK総合の深夜枠の連続ドラマ。
どかは不勉強なことに、このドラマの原作が何か。
きょうまで知らなかった。
なんと、あの巨匠・大島弓子の名作中の名作である、
「秋日子かく語りき」らしい!
ポップなタイトルに変更されていたから、全然気づかなかった。


というか、どうなんだ、この変更は。
もし原作通りのタイトルを据え置けば、
きっと、マンガファンならば必ず即反応していたに違いないのにな。


それはともかく。


まず、第1の失態。
どかは「秋日子かく語りき」、なんと未読である(涙)。
かつて、さふぁいあ嬢から借りて読んだ「綿の国星」に衝撃を受け、
ぜったい読まなくちゃだわと思っていた作品なんだけど、
そのうちそのうち・・・
と思っているうちにきょうになっちった、フェーン( p_q)。
こうなったら、ドラマ終わってから、読むことにしよう。


そして、第2の失態。
こんな日記のタイトルにしておきながら、
なんとどか、きょうの放送を見逃したのーっ。
ああああ、バカ馬鹿BAKAばか、どかのばかあーっ。
もう、もう、私なんてあおいたんにふさわしくないのかも、
エグエグ (/_<。)。。。
はぁ、凹むなあ、新年早々、ったくー。


あ、あおいたんは去年も、映画「ラヴァーズ・キス」で、
吉田秋生原作の脚本に挑戦していたし、
マンガの名作に縁があるのかも知れないな。
じゃあ岡崎京子の「リバーズエッジ」とか、
将来やってくんないかなーとか妄想を走らせたり。
映画「害虫」で見せたあのドライかつ切ない演技なら、
きっと、出来ると思うんだけどなー。


などと、コビコビしてみたりして、
きょうのミスを情状酌量で軽くして欲しいなと願ったり。
・・・って、誰にコビて、誰に願ってるんだ、私。


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