un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年07月31日(木) たまには「日記」

朝から、東大の本郷キャンパスに向かう。
なんだかセーラー服だの、ブレザーだのの女の子がたくさん。
おおっ、なんだこれわっ、そういうお祭りかっ
(やっぱりこの辺が、アホ・・・)!!


と思ってたら何のことはない、受験生の子たちへ、
キャンパスと校舎を開放する日だったらしく、
そういえば、親子連れで来てたり、学ランの男の子もいたり
(なぜ最初に彼らは目に入らない、ワタシよ)。


というわけで惣一郎のアドバイス通り、
提出用のどかの学士論文を「銀杏メトロ」で製本して一息つく。
暑いなー、ひさびさに暑い日、やっと夏っぽくなってきたかー。


帰りは新宿に降りて、2つの紀伊国屋をハシゴして美学史関連の本を探す。
新宿はヒトが多くて、さらに、暑い。
で、三鷹に戻って、きょうは ICUの美術史の先生にご挨拶に伺う。
近況報告して、で、ちょっと勉強のことで相談に乗っていただく。
いろいろ、論文とか本を見せていただいて、アドバイスをもらって。


その後は図書館にそのまま入って、勉強をすることにする。
すでに日は落ちて、空はどんより曇り空。
いつもの2階の東側の席に着いて、カリカリ、コリコリ。
ふと目を上げて、本棚の上に視線を滑らせたら(これが図書館の醍醐味)、
赤い背表紙に目がとまって、グーッと目眩が始まった。


「横浜 対 PL学園」


・・・で、ふと思い当たって、
さっき、1年前の日記(→観るの、スポーツ)を読み直してたら、
やっぱりね、ごめんなさい、ワタシ、嘘ついてましたネ。
スポーツを見て、泣いた記憶はそこで「4つ」って書いてるけど、
わたしは、あの「横浜 対 PL学園」を部屋で観ていて泣いてましたね、
まぎれもなく。


あんなすごい試合、観たこと無いよ。
怪物・松坂 対 強豪・PL学園・・・、どかはPL学園を応援してて、
延長17回、何度も何度も横浜に勝ち越されて、
何度も何度もPLは追いついて、追いつくたびに泣いてたよ。
じっさい、あの1試合だけで充分一冊のドキュメンタリーが書けるほどの、
まさに空前絶後の試合だった、プロではあんな試合は、無理だ、
例え今年のタイガースでも。


最後、打たれたPLのエース上重クンは、チームメイトがみんな、
悔し涙で頬を濡らしていたのに、ひとり笑って、周りを励ましてたんだよね。
準決勝、横浜が6点差を逆転して勝ったことよりも、
決勝、松坂がノーヒット・ノーランで優勝したことよりも、
あの準々決勝のが、人々の記憶に残る試合だった、なーって。
そんなことを思いながら、その本を読んで休憩した。


2003年07月28日(月) バシスタばんざい 2

(続き)


どうもきょうは三鷹ふれあい祭り、というイベントらしい。
でも、もはや、そんなことはどーでもいいっ。
だって、なんだか、ワタシんちの下、すごいことになってるよ?





↑「すごいこと」の図


かっこいいなあ、バシスタ。
で、去年の ICU祭にもいたどかの知り合いのよーこサンをさがすも、
残念ながら、ここにはおらないみたい。
引退しちゃったのかなー(クスン)。
でも、むちゃくちゃかっこいい、ヤバい。
ワタシ、生物学上♀だったら、ぜったいこれやってるよ、まちがいない。
というか「祝祭」という言葉をここまで地でいける何かを、
どかは他に知らない。


やー、他にもカッコイイ写真、たくさんあるんだけど、
アップしないもーん(バカだ、ワタシ・・・ってかアブナい?)。
でもー、サンバはどこまでも完全な総合芸術だなーと、つとに思うな。


視覚はバシスタ嬢たちのフェロモンにケーオーされ、
聴覚をバテリア(楽隊)サンたちが心地よく刺激し、
かつ触覚までも、その重低音の波動でビリビリ腰を直撃する
(じっさい、ウチの部屋の窓、ビリビリしてたし)。
すげーすげー。


どかはもし自分が8年前に神楽に会ってなかったら、
何やってただろーなー、って時々考えるけれど、
で、多分、演劇の深みにズルズルはまってたかなー、役者かしら。
って思ってたけど、サンバもありよね、ありあり。
神楽とはあまりに正反対の世界。
内に込めていく自己完結の「二間四方」に対して、
外に発散していくコミュニケーションのストリート。
でもな、リズム感イマイチくんだし、だめかしら、やっぱ・・・。


なんて思いつつ、もいちど下に降りて、
焼き鳥とか、ビールとかで安く気持ちよくなって、
ちゃんとした祭りも「一応」やっとくことにした。


で、部屋にもどって、ヘッドホンつけて、机に向かって、
でもココロはテキストから3光年くらい離れて、
「あー、バシスタかっきーなー、てへ」なんて思ってたら、
また何かがどかをヒットした。
で、ベランダに出たら・・・。





ちゃんとした、祭りだった・・・、うん、これも、また、良いな。


2003年07月27日(日) バシスタばんざい 1

んー、なんだか部屋の外がうるさいぞぉ。
誰か歌ってるし、チンドン屋みたいなキンキンしてるし、
もー、なーにー!?
って思ってベランダから下の通り見てみたら、合点。
あー、おまつりねー・・・。


まあ本通りに面してる部屋でしかも2階だから、
「とっても」良く音が聞こえてくる。
騒音じゃないのだから、良しとするか、
と思いつつ、ヘッドホンかけて机に向かってたら、ピク。


ん?


自分のなかで何かが反応した。
なんだ、この高揚は。
なに、なに?
ヘッドホン外して、耳を澄ませたら・・・、
聞こえてきたよ。
あれだ、あれ!


そっこー、テキスト放り出して靴履いて、通りに出る。
駅前に向かうっ・・・いたー!!





ICUのサークル・LAMBS(ラムズ)だあ、
やっぱさあ、サンバだ、サンバーッ。
勢いあまって、きれえなおねーさん(バシスタ)を追い越しちゃった・・・。
ととっ、おし、部屋に戻ろう。
部屋に戻ってベランダから見よう、サンバを。





・・・来た来た♪
いいなー、サンバ。
やっぱサンバだよ、サンバ。
パレードやらせたら無敵だよなあ、この芸能は。
日本の踊りでかろうじて対抗できるとしたらエイサーかな?
去年の ICU祭以来かなあ、ライブで見るのは。


やっぱし、このリズムは大好きさ。


(続く)


2003年07月26日(土) 岡崎京子「ヘルタースケルター」追記

少しだけ追記。

絵。

本気で、すごいことになってる。
作者の「直し」が入れられない状況だから、
連載当時のまま、時に雑ともとれるような線の乱れもあるけれど、
一気呵成に読ませるコマ割りの構成力。
映画のワンシーンかのようなショットバック。
クローズアップで映しとられた絶望とテンション。

このりりこの物語にとてもふさわしいスピードときらめきが、
ひとつひとつのコマに溢れていて、奇跡的ですら、ある。
この絵を「雑だからキライ」と言い切ってしまうヒトの、
救いようのない不幸をどかは声を大にして言いたい、くらい。

どかが普段から思ってることを、まさにこれ以上ない適切なカタチで、
表現してくれた、そう言うことなんだと思う。
ズバリ、本当にビンゴで言い表されたから、なかなか、
ショックが大きくてうまく感想が出てこなかったんだな、きっと。

ともかく、どかは、りりこを、全肯定する。
全肯定、出来ると思う。
これまで生きてきた時間のほとんどを裏打ちとして、
彼女の、あの、壮絶なクライマックスを肯定するよ、
うん。

ネタバレにも程があるから、クライマックスの内容は書かないけど、
ほんと、一度、読んでみて欲しい、すごいから。
そして、頭で明らかにかき鳴らされるりりこへの「拒否反応」と、
目と胸で、相反してどうしようもなくりりこへ惹きつけられる「憧憬」とを、
ぜひぜひ、体験して欲しい。
その相克のなかから、きっと、
いまの自分を取り巻く透明のもやを燃すことが出来る、
小さなライターが手に入るのだから。


  止まっちゃいけない 進むのだ 進め!
  もう始まってしまっているのだ
  (岡崎京子「ヘルタースケルター」)


2003年07月25日(金) 岡崎京子「ヘルタースケルター」

  いつもひとりの女の子のことを書こうと思っている。
  いつも。たった一人の。一人ぼっちの。一人の女の子の落ち方というものを。
  一人の女の子の落ち方。
  一人の女の子の駄目になりかた。
  (岡崎京子「ノート(ある日の)」より)


これは『ちくま』1996年1月号に収録されたテクストである。
本作「ヘルタースケルター」は95年7月から、
事故による中断の96年4月にかけて『フィールヤング』に連載されたから、
このテクストはまさに執筆中の作者からこぼれた貴重な資料。
そう、このマンガのなかで主人公りりこは、際限なく落下していく。

「欲望」がテーマだ。
りりこは自分をモデル・女優として売り込むために全身を整形する。
すでに、もとの原形をその身体に求めることは不可能であるほどの整形は、
絶え間ない「資本投下」による「メンテナンス」「薬剤投与」を、
この先半永久的に要求するモノだった。
世間の羨望を一身に浴びるトップアイドルの位置まで
のぼりつめたりりこを待っていたのは、
「メンテナンス」の限界による、破綻だった。
必死のメイクでごまかしつつも身体がどんどん崩れて、
さながらゾンビのようにただれる彼女はついに、
「美容整形」の事実をフォーカスされる・・・
この「美容整形」クリニックの非人間的施術の捜査を進めていた、
麻田刑事とりりこが邂逅するとき、次のフェーズの扉が、開く・・・

と、こんな感じのプロット、すごいよな。
でも、実際にコマ割りを見ていくと文字で読むよりも衝撃は、でかい。

りりこはとにかく、自分の欲望を全肯定していくように見える。
ただでさえ世間と周りにはさまざまな欲望がぬめぬめうごめいていて、
そんな資本主義の世界をうまく泳いでくには自分の欲望を抑えちゃダメ。
抑えた瞬間、あなたは推力を失って、ぬめぬめの海に沈んじゃうよ?


  幸せになれるチャンスを恐れてはいけない


これは89年に刊行された岡崎ベスト5に入る名作「PINK」のテーマだった。
けれども96年の岡崎サンは、さらにその先へと進んでいたのだ。
欲望は肯定するしかない、その先には、もはや、幸せも、無い。
私たちは、もはや先に待つ幸せすら、考えてはいけない。


  それでも欲望を、肯定しなくてはならない


実際、りりこは、地獄へ真っ逆さま、自然落下を続けるその瞬間にも、
決して後悔しないし、ましてや自分を哀れむことは決してしない
(他人に哀れまれることだけは、絶対、我慢できない)。
自分の欲望に対して、身体を張ってそれを生きてきたという、
誇りからか、微笑さえ浮かべながら、底の見えない「急流滑り」を続ける。
私たちはりりこのその激しすぎる没落の姿に打ちのめされるのではない。
りりこが、どれだけゾンビのようになろうとも決して目線を落とさず、
キッと私たち読者を見返してくるその、瞳の透明さと強さにやられるのだ。
うん、やられる、やられるよ。
とりあえず、口は聞けなくなる、しばらく、読み終えたあと、衝撃で。
食欲も無くなる、目の水晶体の痙攣が、なかなか止まない。

髪の毛が抜けて、皮膚がただれて、週刊誌にたたかれるりりこは、
それでもなお、私たちの目に魅力的に映るという事実から、
逃れようとしても、無駄である。
ここには「力」があり「リアリティ」がある。
欲望の表層を上滑りして無機質な砂をかみながら笑う私たちには決して無い、
「闇」とそして結果として浮かび上がる「光」がある。
本当の漆黒の暗闇に際すると、望月峰太郎の「ドラゴンヘッド」のように、
ヒトは足がすくんでうごけなくなる。
そこで引き返してみんな、薄い薄暮の中、生きることになる。

何を?

永遠の退屈を。
異常な倦怠を。
それはつまり有り体にわかりやすく言うたれば、
あらかじめ四次元ポケットを手に入れてしまったのび太に等しい。
全てが手に入るけれど、「何も手に入らない」。

しかしりりこは進んだのだ。
「十字路」の上で、善と悪の彼方で。
それでも、何かを「手に入れよう」としたのだ。


2003年07月23日(水) 白井サン、ありがとー

朝から風邪でダウンしてて、ぼけぼけ。
へろへろしつつファンサイトのBBSを見てたら、
一気に熱が上がりそうなニュース。


  ↑The High-lows↓のキーボード・白井幹夫サン
  ツアーファイナルの7/13大阪城野外音楽堂をもって脱退


え・・・。

白井サンは、The Blue Heartsの頃からずーっと、
ヒロトやマーシーと一緒にやってきてる長いつきあいのヒトなんだ。
長さが即、価値というわけではないけれど、
ブルハ後期のライヴ、あの Train-trainの印象的なピアノを弾いてたのは、
全部、白井サンだったの。
日本でもっとも演奏の上手いバンドのひとつ・ハイロウズの中にあって、
ベース・先人クンやドラムス・おーチャンみたいな、
圧倒的なテクニック、超人的なリズム感があるわけじゃなかった。
ときどき拍子を外したりもしてたし、
決して「上手い」キーボードでは無かった。

でも、ハイロウズのキーボードは白井サンじゃなくちゃ感が強かったよ。
あの激しいたたきつけて雪崩落ちるような、
それこそ「ジェリー・リー・スタイル」みたいなカッコ、好きだもん。
「ロック」というよりも、「ロックンロール」というよりも、
「ロケンロー!」って感じなプレイ、
けれども音は決してマッチョじゃなかった、そこが大好きだった。

ハイロウズの他のメンバーはなんか、
勢いがあって真っ直ぐで素敵なんだけどどこか、子供っぽくて、
それがいいんだけど、白井サンはひとりで背負ってたよ。

何を?

「エロ」と「ワル」を。

まっすぐキラキラ光る、スーッと伸びてく流れ星のウェーキーの中に、
向こうを透かして見える漆黒のブラックホール白鳥座X-1の影。
その黒さこそ、ステージ上の白井サンだった。
そんな、光と影を見事な配分でシェイクして、
ハイロウズは他のバンドを圧倒する強度と広がりを持つ美しいカクテルだった。
メンバーが一人でも変われば、同じ曲をしてもそれは別のバンド。
どかはこれからもヒロトとマーシーとハイロウズは、
自分の一部として持ち続けるけれども、
第一期のハイロウズとして最高傑作の「エンジェルビートル」を残して、
何かひとつの流れがここに完結するようなたたずまい、だね・・・

このニュースはファンクラブの会報に掲載されたらしい。
大阪城野外音楽堂でも、どかがいた日比谷野外音楽堂でも、
ひとこともそんな話、出なかった。
「らしいなー」って思う。いかにも、ハイロウズだ。
人によってはこのファンを突き放したようなバンドの対応は、
非難されるだろうけれど、
どかはこの冷たくもいさぎよい対応に、逆にほだされてしまう。
ファンサイトのBBSを見てると、白井サンのあのみょーなダンスが思い出されて、
涙がこぼれてしまうけれど、でも、ハイロウズらしいこの顛末に、
冷たい手でヨシヨシされてる感じで、なぐさめられる気がする。


  いきさつも、理由も、何も言わない。
  でも、白井サンがいたハイロウズの史上最高の音を、
  君らに届けた、他になにか、欲しいかい?


ううん、何もいらない。
何もいらない、それで充分。
どかはただ、白井サンのベストアクトを、
今までのライヴの思い出の中から、いまもう一度、再現するだけ。

どかにとっての、白井サンの代表曲。
「ジャングルジム」
「マミー」
「一人で大人 一人で子供」
そして何より、
「ハスキー(欲望という名の戦車)」だった。

笑いながら、泣いてしまう、ような。
ハイロウズナンバー中、いまでももっとも盛り上がる
この「ロケンローナンバー」に、
そんな清濁込み込みの混沌をもたらしてくれたのは白井サンのピアノ。

白井サン、ありがとー。


  枯れ葉のような舟で
  ユーレイ船に会った
  そしてもう戻らない
  もう二度と戻らない
  うたおうハスキーボイス
  (作詞作曲・甲本ヒロト「ハスキー(欲望という名の戦車)」)


2003年07月21日(月) '03 Rd.8 GREAT BRITAIN/Donington Park

楽しみにしてたドニントン、懐かしい
(年寄りの思い出話は一年前のレビュー参照)。
イングランドのどっちつかずの天気は今年は落ち着いてくれたらしく、
予選からずっと、ドライだったらしい、やれやれ。
どかが応援してるのは、中野「王子」真矢クン、
次いでイタリアーノ・トリオ。
意地を見せたのは、トリオでまだ唯一勝ってない「マフィア顔」、
マックス・ビアッジだった。

ドニントンってば、とっても難しいサーキットで、
前半の高速セクションと後半の低速セクションの落差が激しく、
マシンのセッティングを詰めるのがとにかく大変らしい。
前半はラップタイムを削っていくライダーの技量がモロに出るし、
後半は度胸一発ブレーキングでガツンと飛び込めなくちゃ差されちゃう。
ドッグファイトが(他の超一流ライダーと比べると)得意じゃないビアッジは、
当然、前半はともかく、後半に弱みを抱えていると言える。
帝王・ロッシはもちろん、前半も後半もどっちも強い、
GP500時代からこのコース三連勝というのもうなずける、
ちなみにロッシ人気は本国イタリアに次いで、イングランドで高いらしい。

ポールから飛び出したのはビアッジ、行けっ。
スタート出遅れのロッシは序盤、次元の違う走りであっさり二位に浮上、
追撃態勢を整える、1周目にウカワ、第1コーナーで転倒、
はい、ごくろうさまー、チャオーッ
(・・・しかし、このウカワの転倒が後々禍根を残す、まったく)。

全30周の決勝、レースの見所はここから15周目までの、
ロッシのプレッシャーに耐えながら逃げるビアッジの、
彼に出来る精一杯のギリギリのライディング、
実力世界第2位を証明する走りだった。
よくがんばったよ、ビアッジ。
ロッシも余裕があったんじゃない、本当に、
抜くに抜けないくらいのペースだったもん。
持ち前のスムースかつワイドなライン取りでコーナリングスピードをかせぎ、
後半セクション・メルボルンヘアピンも死ぬ気で突っ込んでたもんね。
どかぽん、感動したっす。

しかし、帝王のプレッシャーに屈してちょうどレース中間の15周目、
ビアッジ、シケインで痛恨のオーバーラン、2秒強、一気に離される。
こうなると、パチンとスイッチを入れるロッシ、
一気に離して勝負を決めようとするけれど、
ビアッジもがんばって食らいついていく、ガンバレっ、ビアッジ。

どちらかがミスしたら状況がガラっと変わる「静かな」ドッグファイト、
しかし、さすが帝王、そんじょそこらのプレッシャーには負けない、
むー、ほんっとうに、弱点、無いなー、こいつぅ。

でそのまま決着、3着は「おまえ自信つけただろ」ジベルナウ。
カピは4着、王子は9着かな、だめだようー。

好レース、では無かったけど、でもまあ、
あのビアッジとロッシのほぼ同じタイムでの併走は、
静かな緊迫感あったし(K-1のベルナルドとフィリオの試合のように?)、
勝つべきヒトが勝って、良かった良かった、ウカワもこけたし。

って思ってたら、BS2の実況が終わったあとで、
MOTO-GPのオフィシャルページ観て、唖然とする。
なんと、ロッシ、ペナルティで10秒加算され3位降着!!
なんでなんで?と、よくよく記事を読んでいくと、
1周目でウカワがすっころんだせいで、2周目の第1コーナー付近で、
イエローフラッグが出てたらしい。
イエローフラッグとは要するに「危ないから、いま、抜いちゃダメよ」フラッグ。
なのに、ロッシがそのコーナーへの突っ込みで一台パスしてたから、
それを、表彰台でのシャンペンシャワー、
さらに勝利インタビューまでやったあとでオフィシャルが裁定したらしい。

・・・どっちらけ。
ウカワ、なんて間の悪い男なんだ、ったく。
もしかして、このページでさんっざんこきおろしてるのを見て、
それで、彼は腹いせにやったのかしら・・・、ってことは無いな。
ゴメン、ウカワ。

でも・・・だめだ、やっぱりこの人、好きになれない。
別に才能の欠如は悪ではないのだから、
積極的に忌み嫌わなくちゃいけない理由ではない。
どかがひっかかるのは、8耐とかでホンダへヘコヘコご奉公して、
それでプレミアマシンを手に入れたりとかするやり方がひっかかるだけ。
まあ、それも、ヘコヘコご奉公されてうかうかプレミアマシンを支給する、
ファクトリーもファクトリーだけどさ。

あ、ちなみにこのドニントンから全てのRC211Vを擁するチームに、
一台ずつプレミアマシンが支給されたらしい。
ビアッジもようやく、ロッシと同じ舞台に立てたわけだ。
つまり・・・、ウカワ、もう、表彰台には届かないだろうな・・・。
勝つなら、オランダまでに勝たなくちゃだったね、かわいそう。
応援してもいいけど、お願いだから、むやみに転けないでね。
おねがい(どかぴん、性格、ワルっ)。

なんてね。


2003年07月20日(日) ラヴァーズ・キス(映画)ー大丈夫?ー

(まだ、続き)

返す前に、もいちど、観る。

・・・んん、良質の少女マンガのエッセンスとは、
やはりいいもんだなあと、ココロから思う。
しっかりと基本や伝統みたいなものをおさえつつも、
作者がちゃんと自分の試行錯誤や悩みなんかを添えているから、
陳腐に堕さない、ピッとしてるよ、ピッと。


藤井  嫌いなんじゃなかったのか、夜の海

里伽子 嫌いだよ、夜の海
    怖くて・・・なのに目をそらせない
    そのまま、歩いていきたくなる

藤井  ・・・おれはそのまま、歩いていったこと、あるよ


藤井が成宮クンで里伽子が平山サンなわけで。
さいきん、全部、闇を全部打ち消すような方向で、
世の中全部ガーッと持って行かれつつあるような感じ。
でもちゃんと闇とかの存在を、
出来る範囲で自分のなかに収めてくことができれば、
きっと明かりも自分のなかに舞い込んでくるし、多分。

ラヴァーズ・キスでは、どかーんとラストに、
特大のカタルシスが待っているわけでは、ない。
少しはあるんだけど、でも、あの高校生の恋愛な感じ、
切ないキゥゥっとくる感じが、シンシンと額から浸みてくる感じ。
役者の数名(・・・2人かな)は確かに、ちょっと拙いなあと思うけれど、
でもスタッフも含めてなかなかの若くて勢いのある才能が集まっていて、
それでその才能が、この触れてしまったら壊れてしまう、
デリケートで微妙な「切なさ」の羽毛を、
鎌倉の箱庭的世界にフゥッと漂わせるためだけに力を注いでいる。
そういう、ぜいたくな、映画なんだと思う。

ノスタルジーとは、断じて認めたくない。
認めたくないけれど、観終わって、ツタヤに返しに行く道すがら、
自分の思い出がむくむく頭をもたげてくるのを、
防げずに、茫然としてしまう。

稲村ヶ崎の夕日を見つめるときも、極楽寺の紅葉を眺めるときも、
相手の目をのぞき込むときも、そしてキスの瞬間に目を閉じたときでさえも、
あおいたんを筆頭に、登場人物たちの目はまっすぐ、
澄んだ光でひとつの方向を照らしている。
かつて自分の目は、確かに、そんな感じだったと信じている。

でも、今は、どうかな、大丈夫だろうか。

まだ、大丈夫、かなあ?

・・・がんばらなくちゃ、うん、がんばらなくちゃなんだわ、やっぱり。
どかに自然にそう思わせて、これはやっぱりイイ映画である。

少女マンガのロマンティシズム爆発だろうとなんだろうと、
たまにはこんなのも、いいのさ、うんうん。


2003年07月19日(土) ラヴァーズ・キス(映画)ー特別な瞳ー

(続き)

平山綾サンって、どか、嫌いじゃない。
ってか、好き、っていうか、かなり好き、なんだけど最近出過ぎかなあ。
いや、ドラマとかなら別に何も言わないけれど、
バラエティとか、あんま出過ぎると、つかサンがいつだか言ってたように、
無駄に華をちらしちゃって、良いこと無いよー、ホリプロだからか・・・

で、演技、結構良かった、思ってたより、良かった。
ちょっと薄っぺらいところが、役柄にちょうどよくハマって、
うん、良いかと思う。
おかお、美しいよね、キレイだよ、うん、キレイ。
でも、常盤貴子に似てる気がするなあ、ナニガって、演技が少し。
顔もそう言われてみれば、ちょっと面影が重なるし。
主役なんだからもっとこう、グッと来るものが・・・
とか最初思ったけど、でも逆にこの「複眼」的構成だと、
主役のこの娘がこのくらいのほうが、全体としてシックリ来る気が。
プロデューサーはそこまで考えてたのかしら、したら、すごい。
あおいたんとのマッチアップになると、ちょっと平山サンきついんだけどね。
さすがに映画への出演回数の差なのか、女優としての器の差なのか、
でも平山サンは悪くないと思うの、あおいたんがやっぱすごすぎる・・・

成宮寛貴クン、「高校教師」とは全然違うまっとうな不良クン。
いいなー、イメージだけど、吉田秋生サンは不良をかっこよく描くの、
上手そうなイメージで、今回の成宮クンってばずばりそんな感じ。
ちょっと影があって、身体張ってて、でも、目は澄んでいて。
どかが女の子だったら、やっぱりこういうタイプが好きなのかしら。
うん・・・、そうかも、かっこいい、じゃあ、お前、こういうタイプ目指せよ、
・・・いや、ボクにはむりでスゥ、なんでよ、だって、顔が・・・
と、思わず葛藤が始まっちゃいそうにカッコイイな。
でも野島伸司が描くようなああいうどぎついキャラクターを、
しっかりこなせるようになっていって欲しいなあ。
若さの煌めきじゃない、人間の凄みを得られないと、
いわゆるアイドルで終わっちゃうし・・・がんばれ、成宮クンっ。

そして、あおいたん・・・

もう、言葉もない・・・

はあ、何を言えばいいのだろう。
とりあえず今までで、一番カワイかった。
姉役の平山サンとのマッチアップでは圧倒的な存在感、
存在感って言葉、嫌いだけど、でも他に言葉が見つからない、凄み?
静かな、穏やかな、うるさくない、怖くない凄み・・・を感じる。
ああ、女優なんだなーこの人は、どうしようもなく。
と、どかは思ってしまうんだなー。

あおいたんの感情はすごい。
こう、顔の仕草やセリフのイントネーションこそが演技だ、
そう思ってる甘ったれた若手の役者とは、天と地の違いがある。
ハレー彗星とれれれのおじさんの手に持ってるのとは違うくらい、違う。
あおいたんはその感情を生きてる。
ふりや仕草ではなく、フレームからはみ出して、
そこにちゃんと、存在している。
そこでぐりぐり練られた感情が、その目を通して爆発する。

特別な瞳だ。
悲しい感情は普通の役者の10倍くらい悲しくなるし、
嬉しい感情は普通の役者の10倍くらい嬉しくなる。
それを、別に身振りを大きくしたり、声を大きくしたりしないで、
目、瞳だけでそれを周りに納得させてしまう。
伝達することはだれでもできても、納得させることはだれにもできない。
ああ、あなたはいま、悲しいのね・・・
と観客に思わせるのは簡単だけれども、
ああ、悲しい・・・
と観客を引き込むのは誰にでも出来ることではない。

「害虫」のころからすでに、この持って生まれた「瞳」は輝いていたけど、
あのころは、その「特別さ」に無自覚だったような気がする。
あおいたん、ここに来て、その「特別さ」を良く自覚し、
自在に使いこなすために、ある種の意識を研ぎ澄ましている気がした。
「害虫」、「パコダテ人」そして「ラヴァーズ・キス」と、
確実に、この娘、輝きが大きくなってきてる・・・。

ううー、らーぶーーっ。

・・・

あおいたんと、平山サンの姉妹は、劇中、仲が悪かった。
それは、妹が想ってる女性が好きなのが姉だから、
ということと、幼い頃からうまく意思疎通できなかったから。
けれども、姉を思ってる女性が失恋し、それで妹も失恋し、
そして姉も彼氏と離ればなれになってしまって失恋し、
そこではじめて、姉妹は並んで座って、調律のずれたピアノを弾く。

「また、ピアノ練習しなよ」とあおいたんが言って、
姉が好きなベートーベンのテンペストの楽譜を贈り物として手渡す。
それは最初の方のシーンで「いつか渡せる日がくるのかな」と言いつつ
楽譜屋サンであおいたんが買ったプレゼント、
ああ、姉に渡すために買ったんだねと、観客はここではじめて気づく。

「あんたに私の気持ちのなにがわかんのよっ」

とは前のシーン、別れなくちゃな事実にうちひしがれてるときの、
平山サンのセリフ・・・

「お前におれの気持ちの何がわかるんだ」

そう、答えはひとつしかない「何もわからない」。
他人のことなんて、ヒトは何にもわかんない。
このセリフは、ちゃんと心を込めて、まっとうに受け止めれば受け止めるほど、
自分と他人との間に横たわる、
圧倒的喜劇的海溝的に深く暗い溝の存在に気づかせる。
でも、この溝の存在に気づいてからが、ヒトが踏ん張るべき勝負が始まる。
溝の向こう側の人間の表情が暗くて見えない、
よーく目をこらしてみたら、ちょっと顔が上を向いてるのがわかる。
なんで上を向いてるのか分かんないけど、何かあるのかしら。
ふと自分も上を見上げると、水の向こう、波に乱されつつも、
切なく光る、月がある。
「ああ、なーんだ」と思って、相手を見ると、
相手もこちらを見て微笑んでいる。

他人に何かをしてあげられると思っている人間にはバチがあたる。
これは岡崎京子の名文句だ。
ここには同じ思想がある。
同じだけの深い暗い溝と、同じだけのかすかなわずかな明かりがある。
その明かりに背を向けて、深い溝をのぞき込む勇気。
明かりを背に感じつつ、暗い闇へ対峙する優しさ。

「ああ、なーんだ」。
あおいたんと平山サンは見つめ合ったあと、
その言葉の代わりに鍵盤を鳴らした。
ちょっとくらい調律が狂っていても、関係ない。
ちゃんと、2人とも、明かりを背中に感じているからだ。

はあ・・・いいもん、見たなー。
絵造り的にも、スタッフ、結構意欲的な試みをしてたしね。
どかは最初の長回し、好みだったなー。
あおいたんのオーラをちゃんとこぼさずすくい取ってたのが、
まあ、何と言ってもいちばんだけどー。

あおいたん、今度は舞台なんだよねー「星の王子さま」。
でもなー、チケット、高価いよぉ、
しかもミュージカルだしなあ、びみょー。
でも演出白井晃だしー、ちょっと白井サン、頑張るかもだしなー。
んー・・・ともかく・・・

あおいたん、らーぶー。

(あともすこし続く)


2003年07月18日(金) ラヴァーズ・キス(映画)ー重なる視点ー

先週、やっとレンタルに並んだ宮崎あおいの最新作。
ここんとこ忙しくて「さあ自分へのごほーびに見ましょう♪」とか
思ってたら、またプラス2つのレポートを一晩でやっつけなくちゃで、
それは自業自得なのだけれども、まあともかく、やっと、ごほーび♪

吉田秋生の同名の原作を映画化、監督は及川中。
6人の高校生が織りなす瑞々しい瞬間を綴った映画、
キャストはあおいたんの他に平山綾(いまは改名して平山あや、かな?)、
市川実日子、石垣祐磨、阿部進之介、そして成宮寛貴クン。
成宮クンはもちろんどかのレビューでもおなじみ、
上戸彩主演の「高校教師」で、キーとなる役所だったヒト。

この男3、女3の関係性のなかで完結していく、
「片思い」や「片思い」、そして「片思い」、
ちょっぴり「両思い」がテーマなわけだけど、
6人中、4人が同性のことを想ってるのがポイントね。
で、実際におつきあいできるのはそれ以外の2人なわけで。

まあここまででは普通に切ない、普通な映画かなあと思うわけだけど、
でも実はちょっと違う、違うのは構成、それは「視点」だ。

つまり、時間軸がいくつも錯綜するのが、特徴。
まず基本となる短編・平山サンと成宮クンのストーリーがまずあって、
その次にまた時間が戻って、いまさっきのストーリーにも出てきたひとり、
石垣クンを主人公にして石垣クンから見たストーリーが紡がれる。
さらにまたリセットしてこんどはあおいたんの視点で紡がれて・・・
例えばね、中庭で平山サンが成宮クンのことをバチンと平手で打つシーン、
それを次のストーリーでは石垣クンと阿部クンは屋上から見ていて、
また次のストーリーではあおいたんが教室から見ていたり。

どかがこの手法で思い出したのは村上春樹の「アンダーグラウンド」。
あの一人称の語りを重ねていくことから、
ドキュメンタリーの手法ではたどり着けない、
「客観性」を越えた「リアリティ」へ挑戦したあの作品を思い出した。
特に村上春樹が発明したわけでも無いと思うし、
吉田秋生の発明でも無いと思うの、この手法、
それほど目新しさがあるわけじゃないし。
でも、やっぱり、時として、有り得ないほどすさまじいリアリティが、
グーッと発動する瞬間が生まれたりするのだ。

ひとつのストーリーでは拾えないけど、
捨ててしまうにはもったいないエピソード。
でもそもそも「捨ててしまっていい」エピソードなんかあるわけなくって、
事実はひとつかもしれないけれど、真実はひとつじゃない。
とくに恋愛に関してだけは特にそうだ、なんて当たり前のこと。
ひとつの両思いの影には4つの片思いが存在する、
そんなことさら言葉にしなくてもいいことを、
言葉にしなくてもいいように、映像でそっと拾ってくれる。
それが、いいんじゃない?

鎌倉というロケーションも、もはや反則だと思う。
「パコダテ人」のときの函館もそうだけど、鎌倉、きれいだもんねえ。
まだどかがマーチくんに乗ってたとき、
あんまり遠乗りはしなかったけど、鎌倉だけは、良く行ったもん。
第三京浜すっ飛ばしてさ、平日とか行くと気持ちよかったもん。
海もあって、山もあって、お寺もあって、紅葉もあって、町並みきれいで。

  おいおい、これいじょお、ほかになにのぞむっちゅうねんっ。

ってつっこみたくなるよね?

でもね。

望むんだな、それが。

彼ら彼女らは、あのきれいな街で、さらに望むのだ。
それは何て、うつくしいことなのだろう。

それぞれが何かしらのトラウマを抱えていたりするところは、
少女マンガのいわゆる方程式を感じさせたりするのだけれど、
この「複眼」構成の説得力と、そしてこの6人の絶妙に切ない人間関係が、
既視感を打ち消してさらに新鮮なリアリティを呼び起こすほどの効果。
吉田秋生、どかはまだちゃんと読んでないんだよね。
「バナナフィッシュ」は、なぜだかあの絵柄に入っていけず、
一度、挫折したきり、「桜の園」は読んでみたいなと思いつつ。
でも、映画見て、原作を読みたくなった。
「複眼」構成のギミックに頼りっぱなしではなく、
実はその目新しさの下に、丹念に織り込まれた色鮮やかな網目模様のセンス。
とにかくこの6人の設定にはさりげなく圧倒的なセンスの良さを感じた。

・・・あ、でもひとつ。
あの「夏服のカップルの幽霊」は、必要だったのだろうか?
ちょっと疑問、でも石垣クンの夢を見たあとの結末は、最高に笑った。

にしても・・・
いいなー、こういう世界・・・
ってか、こういうキス。
そうだよねー、キスってさあ、くちびるとくちびるにくる確率ってば、
すごいすごい小さいことなんだよねー、泣いちゃうくらい小さいよねー。
と、思わず過去を振り返って、月明かりの中、
片思いのときに片思いの相手にしたキスは、
たしかにとても、とても・・・うん・・・
It's something specialだと思ったり、する。

(続く)


2003年07月12日(土) '03 Rd.7 NETHERLANDS/Assen (Dutch TT)

1949年に二輪のワールドチャンピオンシップが始まって以来、
毎年欠かさず使用され続けている、唯一の由緒あるサーキット、
それがオランダ・アッセン the Circuit van Drenthe!
ちなみにここだけは「ITALIA GP」みたいく「GP」とは呼ばれず、
「TT」と呼ばれるのも、素敵すぎてまいるよ「DUTCH TT」なのさ
(どかが知る限り「TT」を使うのは他にマン島だけかと、渋すぎ)。

アッセンの特徴は、とにかく一周が6kmを越えるロングコースだということ、
さらに、二輪専用のコースであるため路面の状態が良いこと、
そして、ほとんど起伏が無く平坦なコースであること、
また、ランオフエリアの芝生が広く、目に映えて美しいこと、
あと、クネクネコーナーが続くけどそのほとんどが中速か高速コーナーで、
低速コーナーがほとんどないため平均速度は高くなること。
この最後の特徴故に、アッセンではライダーの実力が露わになると言われる。
低速コーナーへのガッツン突っ込みとドッカン加速だけで勝負が決まる、
マシンパワーにものを言わせるサーキットが氾濫する中、
古き良き、そして美しいサーキットなのだ。

しかし・・・いいことばかりでもない。
アッセンにはもう一つ、決して外せない特徴がある。
それは通称「ダッチ・ウェザー」。
晴れていたと思ったらいきなり激しい雨、という不安定な気候はとかく有名。
残念ながら、MOTO-GP決勝直前、ウォーミングラップ中に急に降り出した雨で、
レースはウェットとなる、あああ、やだー。
そしてこのヤな予感は、的中する。

雨男・ジベルナウの大逃げが炸裂。
追いかけるのはビアッジ。
カピロッシやバロスではなく、この2人が雨で速いのは合点がいく。
ライン取りもキレイだし、スロットルワークもデリケートだ。
カピやバロスの豪快さではなくスムースなマシンコントロールが雨で強い。
でも、全然、ドッグファイトも無く、淡々と、
雨粒に濡れて美しく光る芝生の中、鮮やかなカラーリングのマシンが、
ラップを重ねていく・・・。

なんか、イタリアやカタルーニァの混沌と狂乱はどこにいったのだろう?

しかも、帝王・ロッシも不調、目に見えてやる気がないのが分かる。
ここで無理してすっころぶよりも3位で得られるポイントをとるのは、
とてもリーズナブルな判断だとは思うけど。
うん、ロッシは悪くない、悪いのは「ダッチ・ウェザー」だ。

王子・真矢クンも不調、ヤマハ勢のなかでもパッとしない。

というわけで、やっぱりウェットコンディションは、
つまらないって言ったらいけないんだけど、、、つまんないもん。

次だ次。
次はいよいよ、イギリス・ドニントンパーク!!
どかも観戦に行ったことのある、アッセンと並ぶ世界最良コースの一つ!
ライダーの実力が問われる、見応えあるサーキット、
例年、ロッシが圧倒的な煌めきを見せるコースで、
対抗馬は出てくるのか?


2003年07月07日(月) CHARA @赤坂BLITZ(「青」の相対性理論)

(続き)

そうなのだ、ハイロウズはステージ上だけで美しくも完結するけど、
CHARAは、観客席も含めて、大きな空気を作ってすっぽり覆ってしまう。
ステージ上からメッセージを観客に送るのではなく、
自分も含めたコミュニティをその「声」の魔力で形成してしまうんだな・・・。

先にあげたセットリスト、
基本的にはニューアルバムの「夜明けまえ」のナンバー中心。
6曲目の「ハートの火をつけて」と7曲目「みえるわ」に、まずやられる。
クゥーっ、かっこいいー、シャウトとウィスパーの間、
そこに未来も過去も全部溶けて、ここに広がって。
バンドもどんどん乗ってきて、ぐいんぐいんのグルーヴが腰を直撃する。
CHARAはなんか、演奏もひっくるめて、
ちゃんと自分の世界に責任を持ってる感じがする。
ソロでやってるヒトって、結局自分だけ、
ボーカルだけ、ギターだけ、あとは適当にってヒトが多いけど、
CHARAはあくまでロックンロールで音を作ってくる、そこがエラいなって。
自分の「声」に始まって、ドラム、ベース、キーボード、コーラス、
ライティング、会場、そんななんやかや全てに気を配って、
完全な彼女の世界を作り上げる、フィクションがリアリティを持つ瞬間を、
この人はちゃんと、おさえている。

そして圧巻の11曲目から雪崩をうってのたうつブリッツ!
「スワロウテイル」→「ミルク」→「やさしい気持ち」→「スカート」、
と、一気に「静」と「動」の振幅が大きく、最大限に拡大されて。
YEN TOWN BANDはなにげに苦手な、どか、でも「ミルク」からは、
否応なく巻き込まれてしまい「やさしい気持ち」のイントロで涙腺崩壊。
訳わかんない、私、なに泣いてんだろう、突然。
でも、すごかった、あの重たいドラムとベース、ギターフィードバック、
そして黙示録的に明日が無いかのような、シャウトシャウトシャウト。
グゥーッと自分の「時間」が圧縮されて、
過去が限りなく薄いトレぺみたくなって向こうがすけるかのよう。
止まらない涙、そして始まる大好きな「スカート」!
あの、サビに入る瞬間、世界中の全ての窓が開かれていくような、
サイケな開放感、圧縮された過去はパースペクティヴを取り戻し、
未来に向かって、音もなく投企されていく自分の、「時間」・・・。
リーズ駅で止まらなくて苦しかった涙が、
いつの間にか、きょう、ブリッツでは乾いていた。

そしてアンコール、出た「BREAK THESE CHAIN」!
本当に日本語の美しさを感じさせる詞、
あの岩井俊二の「FRIED DRAGON FISH」の主題歌で有名になったけど、
岩井サンにとりあげられるまでもなく、この曲は名曲である。
YEN TOWN BANDの時、何曲か英語で歌ってたけど、
CHARA、英語で歌うの、ヤなんだって、本当は。
確かに彼女のオリジナルアルバムはオール・日本語。
アーティストのささやかな意思表明だけれど、
でもどかはこういうところに、大切な姿勢が顕れるんだと思う。
ピアノを弾きながらのアンコール、けれども、
ブリッツを包むムードの濃度は極大値に達していて。

光と同じ速度で光を見たら、それはどう見えるのか。

一番深い青と同じ彩度で一番深い青を観たら、それはどう見えるのか。

CHARAが打ち立てたのは、バラードにおける相対性理論だ。
たった1つの「色」を繰り返し繰り返し歌い続けて、
つきることの無い彼女の才能は、このたった1つの「色」の
ヴァリエーションを生み出すことにのみ捧げられていて、
ヒロトがたった一人、みるべきものを周りに失った後で、
空を見上げ続けているように、
CHARAもたった一人、氾濫する「青」の中でも、
自律的に存在できる「青」を探し続けている。
そんなシジフォスの神話みたいな「無駄な潰え」のフィクションを、
それこそ神話になるほどのテンションで続ける姿に、
私たちは、「祈り」という言葉を感じずにはいられない。

「無駄」を省き続ける即効性のドラッグにまみれたオリコンチャートの中で、
まったくそれに背を向ける形でせっせせっせと石(意志)を積み続ける姿は、
限りなく美しい。
「花の夢」は、いまでも聴くたびにへこんでしまうくらい大好きな曲だけど、
あのまるでシャーウッドの森の奥にある沼ほどにどこまでも深く、
底なしに暗すぎる辛い辛い曲は、CHARAの全ての曲の中でも一番美しい。
つまり、そういうことなんだよ、ぜんぶ。

「花の夢」と「あれはね」、聴きたかったな。
いいや、また、今度、聴けるかも知れないっていう楽しみをもらったもんね。
あ、あと、CHARAのファンサイトをぶらーっと観てたら、
このツアーでのCHARAは結構、声の調子が良いときと悪いときがあって、
ブリッツはかなり良い方の部類に入っているらしい。
ラッキーだったのかな、良かった。


追伸 CHARAがMCで言ってたけど、赤坂BLITZ、この8月で閉鎖なんだって?
   うそーーー!!
   ショックーーーー!!
   ハイロウズが一番映える、一番純度が高くなるハコだったのにーーー。
   なんでなんでーーー、TBS、まちがってるよー。
   ACTシアターはいっくらでも潰して良いけど、ブリッツはだめーーー!!

   どか、断固、反対。


2003年07月06日(日) CHARA @赤坂BLITZ(リーズ行きの列車にひとり)

CHARA TOUR2003 "BEAUTIFUL DAYS"。
ツアーファイナル、赤坂ブリッツ。
セットリストは以下の通り。

1.Beautiful Day
2.初恋
3.オーシャン
4.神秘の家
5.スウィーティー
6.ハートの火をつけて
7.みえるわ
8.心にこない
9.ハロー
10.Sunday Park
11.Swallowtail Butterfly〜あいのうた〜
12.ミルク
13.やさしい気持ち
14.スカート
15.うつくしい街
16.Beautiful Scarlet
17.I wanna freely love you
(以下アンコール)
18.青(未発表新曲)
19.BREAK THESE CHAIN
20.Violet Blue

どかはチャラが出産する前、
「スワロウテイル」や「やさしい気持ち」でブレイクする前から、
ずーっと、好き、多分「シャーロットの贈り物」や、
「罪深く愛してよ」ぐらいから入った気がする。
この世界に。
どかの中でチャラナンバーのベスト5を挙げると以下になる。

「BREAK THESE CHAIN」
「あれはね」
「タイムマシーン」
「花の夢」
「スカート」

この中でも一等一番個人的にどかに「近いとこ」にあると感じるのは、
空前のヒットを記録した畢生の名盤 JUNIOR SWEETに収録されている
「花の夢」、どうしようもなくある種普遍の基底音として、
どかの呼吸を裏打ちされていると感じるくらい。

そのときどかはイングランド北部のヨークから、
同じく北イングランドのリーズに向かう単線の列車にひとり、乗っていた。
いわゆる幹線ではない、地方都市同志を結ぶイギリスの鉄道は、
一般的にかなり寂れててよく言えば良い味があるのだけれど、
自分が疲れてるときには、
なんだか周りの「錆」に自分が差し込まれる感じがしてしまう。
静かに発狂していく自分を冷静に把握しながら、
ため息をもらしつつ外を見た、曇り空から降りてくるエンジェルズラダー。
それに照らされる、小さな村の灰色の屋根。

神かけてそのとき、私は特定の思い出や、恋人を思っていたわけじゃない。
自分は基本的に後ろ向きな人間であることを自覚するけれど、
そのときは、ただ、ぼんやり、
内の「錆」と外の「光」を混ぜようとしてただけ。
なのに、いつの間にか、目から涙があふれているのはなぜでしょう?
それが止めようと思っても、なぜ泣いてるか分からないから止まらなくて。
MDウォークマンがそのとき流していた曲が、
実は「花の夢」だったことに気づいたのは、列車を降りて随分経って、
小雨煙るリーズの街でヘンリームーアの彫刻を観ていた時だった。

その後はずーっとこの曲だけをオートリピートにして、聴き続けた。
とにかく、救いのない、音も、詞も、救いのなさすぎる、暗い目立たない曲。
実際あの列車に乗るまでどかはこの曲を、
「ひとつの曲」として認識してなかったし。
でも、そのとき、どかはとにかくその暗い暗すぎる世界に染まりたかった。
告白すると、そのイギリス行きの前にどかはひどく落ち込んでいたのは確かで。
でも意識的に自分の小さな「青」に浸る前に、
もっと濃ゆい「青」ラピスラズリの雪崩に飲まれてしまったような。

どかにとって、CHARAとは、あのリーズ行きの陰鬱な電車、あの固い座席、
車内の据えたような匂い、窓から見えるイギリス特有の低い曇り空、
「錆」に差し込まれて、本人は気づいてないけど、でも実は、
意識の下では気づいている、致命的な自らの危機、割れそうな自意識の皿。
リュックを背負った、いまにもほどけそうな情けない、後ろ姿、その輪郭。
そんなイメージのネットワークを瞬時によみがえらせるドラッグである。
過去の空気を、一瞬で現在に呼び起こし、それを未来に投げる、
ハイロウズが空間を操るのだとすれば CHARAは時間を操作する、
そんな魔女的なイメージ、とても個人的なのだけれども。

それくらい、強い磁場を形成してトリップさせてしまう「力」とは、
全て、彼女の、あの特別な「声」に帰着する、あのSOMETHING SPECIALな「声」。
例えば UAとか MISIAとか 宇多田ヒカルとかの曲を聴くと、どかは、
その「歌唱力」を強く意識させられるけれど、CHARAは違う。
そう例えば、前にカマポンと一緒に聴きに行ったビョークの「声」みたいに近い。

CHARAの「声」はあるレンジで魔力を発動するのだけれど、
それが何と彼女は2つ、そのレンジを持っている。
こもっているんだけどスッと通る「あの」ウィスパーボイスと、
爆発しながら説得力をまき散らすシャウトである。
普通ボーカリストがせいぜい1つしか持てないでいるその魔力のレンジを、
2つも持ってしまっているのが、まず、ぜいたくと言うものである。

声自体がすでに、類い希なる「静」と「動」のイメージを布置するけれど、
さらに彼女のナイーブかつ抽象的なイメージの詞と、
良く整理されているから聞きやすいけどでも実は懲りまくっている曲が、
「静」のイメージをサポートし、
ライヴで彼女がこだわり続けているロック色の強い演奏、
ガンガン重たいリズムセクションや「もろ」グランジっつう感じのギターの
かなりキてるバンドサウンドが「動」のイメージをサポートする。
いきおい、ブリッツは彼女の精神世界に飲み込まれていく。
観客はその「静」と「動」の間で絶え間なくふわふわ揺れ続ける浮標である。
それは、例えばヘタなジャズのコンサートのようなイライラ感ではなく、
魔力の発動による「時間のトリップ」で、思わず茫っと意識が遠くなる。
そして・・・、気づくと、意識よりも先に、涙腺が壊れている。

(続く)


2003年07月05日(土) THE HIGH-LOWS @日比谷野外音楽堂

初の、野音、またはやおん、またはYAON。
ぜったい一度は、ここでハイロウズを聴きたかった。
ささやかな夢が、やっと適うー。
梅雨真っ最中、日中はスカッと晴れてた空が、
夕方から曇天が立ちこめてきて・・・持つかなあ?
まだ周りは明るい、進む客入れ、
誰からともなくいつものかけ声がなる、ああ懐かしい・・・

  GO, HIGH-LOWS, GO シャンシャンシャン(←注:手拍子)!!
  GO, HIGH-LOWS, GO シャンシャンシャン !!


そして、メンバー、登場!
あ、ヒロト、頭丸めてるー、ブルハ時代みたいっ。
以下、きょうのセットリスト(少し自信ないけど)。

1.TOO LATE TO DIE
2.曇天
3.青春
4.ハスキー(欲望という名の戦車)
5.罪と罰
6.つき指
7.マミー
8.毛虫
9.アメリカ魂
10.俺たちに明日は無い
11.エクスタシー
12.ななの少し上に
13.一人で大人 一人で子供
14.いかすぜOK
15.夏なんだな
16.不死身のエレキマン
17.ミサイルマン
(以下アンコール)
18.モンシロチョウ
19.相談天国
20.真夜中レーザーガン

気づけば夜のとばりが降りていてその中に、
ステージ上のメンバーは浮かび上がっている。
森の向こうからやってきて、バンドの爆音をなぜて吹き抜ける初夏の風。
天井が無いっていうのも、いいなあ、
だってこう、ハイロウズとヒロトのベクトルが分かりやすくていい。

誤解を恐れずに言うと、ハイロウズとボーカル・甲本ヒロトは、
オーディエンスとのコミュニケーションを求めることは一切しない。
ファンのみんなに何かしらのメッセージを伝えようとすることもしないし、
ファンの熱狂喝采を受け取ることを志向することもしない。
そう言う意味で、ハイロウズは本当に「自己中」を地で行っていて、
いわゆるエンターテイメントではないのは明らかだ。

でもね、この「自己中」、ただの「自己中」ではない。
それこそアンプも観客席も夜空も映り込むくらいにピカピカに磨き上げた、
最高の「じこちゅー」なのだ。
ハイロウズのメンバーとヒロトは、ひたすら、
ステージ上でぐるぐるぐるぐる回り続ける。
ぐるぐるぐるぐる回って回って、パンッと弾けて、
光は真っ直ぐ、真上に、夜空に向かって放射される。
彼らのベクトルは地表に対してあくまで垂直に屹立する。
ヒロトのあのブルハ時代から有名な、
「訳の分からない、無駄な」ステージアクションは、
メッセージを伝えるためには明らかに非効率的だ。
あんなに首を振ったり肩が痙攣したり開脚ジャンプしたりせえへんかったら、
もしかしたら2時間くらいライブを続けられるんちゃうん?
と思うけれど、ヒロトにしてみればエネルギーをそういうアクションに
投入しなくてはならない、例えライブ時間が80分が限界だとしても、
それは絶対そうでなくてはならないのだ。

何のために?
光を空高く、まっすぐ放射するためにだ。
じゃあ、詞と音は?
それらは超高速で駆け上るときの摩擦で光り輝く、スターダストだ。

観客は観客で、その真っ直ぐ垂直に伸びるベクトルの、
あまりの(光速に達するまでの)加速度に度肝を抜かれ、
そしてそのまま空に心を吸われていっちゃうのな。
流れ星が目に入ったら、願い事を唱える前にそれを目で追ってしまうように。
無意識のうちに、ヒロトとハイロウズの放つ光に、
私たちは勝手に巻き込まれて、勝手に空高く上がっていく。

この「勝手に」というところこそが、
「ハイロウズ経験」の有する最も大きな美点であるとどかは思う。
すごい、オトナなんだよ、ハイロウズは。
その辺のJ-PUNKだか何だか知らないけど、
がちゃがちゃやってるオコチャマバンドとは東京と天竺くらい、
それくらい大きな開きがあるのだ。

ハイロウズも、観客も、それぞれ、視線が交わらない。
でも、それぞれ自分の立ち位置にいながらまっすぐ上を見上げて、
どんどん自分の心を高く飛ばすだけ。
おたがいがおたがいにもたれ合ったり、寄っかかったり、
押したり、引いたり、助けたり、励ましたり、そんなの一切、無しね。
そういう、潔さと、冷たさ。
冷酷と、凛々しさ。
結局、一人でいることしかできないということ。
隣に誰かがいるほうが、もっと寂しくなるということ。
そんなところからしか、何も始められないけれど、
そこからならば、ほんの少しだけ、何かやれるかもしれないということ。
ハイロウズが福音をならすことができる場所は、
辛うじて残されたそんな小さな場所なのだ。

しかし、少しでも「場所」があれば、空には無限の星空がある!

いきなり3曲目に「青春」が来たのにビックリ。
もう死ぬほど繰り返し聞いてきたはずなのに、
「青春」のあのイントロが鳴るだけで泣けるのはなぜだろう。
すぐに「ハスキー」に入ってしまうから、
どかのちんけなスタミナ配分はふっとんでレッドゾーン。
9曲目の「アメリカ魂」は、某首相に聴かせてやりたいなーと思う、
あまりにタイムリーな響きにずーっと笑顔で縦乗りで。
12曲目のヒロト作のナンバーのなかの最高傑作「ななの少し上に」、
14〜15曲目の「いかすぜ」から「夏」への”アクエリアス繋がり”も、
かっこよすぎて、鳥肌が立ちっぱなし。
ニューシングルの「夏なんだな」はやはり、もしかしたら、
ハイロウズのスタンダードになるかも知れない名曲だ。

しかし何と言っても、7曲目の大傑作スローナンバー「マミー」につきる。
野音のスタンドで、薄暮の中、風に吹かれながらあの、
マーシーのギターフィードバックを、ヒロトの絶唱を耳にして、
心を動かされないヒトは、ぜったい、ぜったいにいない。
それまで縦乗りで痙攣していたスタンドが、ピタッと足をとめ、
もちろん手拍子もなく、歓声もなく、ただ、4,000人の観衆が立ちつくす。
日比谷の森は福音で満たされ、どかは空へと一気に駆け上がる。
足下でポカリのペットが倒れても、イタリア語の再帰動詞がうざくても、
ディディ=ユベルマンの著作が理解不能でも、頬を涙が伝っても、
いまはただ、この瞬間はただ、この「流れ星」と一緒に。



そして、アンコールが終わるまで、雨は一粒も降らなかった。


2003年07月04日(金) ひとつだけ

イラク特措法案、衆院で無事、可決。

つかこうへいはかつて言った。


  相手の立場への想像力を教養と呼ぶのだ


自衛隊の隊員は彼の地で銃口を向けるとき、
その対象への想像力を持つことができるのか?

イエローケーキをむざむざ食べさせられた国民の気持ちを、
ちゃんと汲んでやることができるのか?


全てが、取り返しのつかないことである。
取り返しがつかないことは、本当にもう、
どうにも、ならないことなのだ。

でもどれだけ、取り返しのつかないことになっても、
まだ、つかなくないことが、僅かでも残っているはずなんだ。
それを探して、そこで、ふんばること。


でも、ひとつだけ。

池澤夏樹が指摘したことは、断じて正しい。
小泉純一郎の論法は、ファシズムのそれである。
ヒトの言うことには耳を貸さず、
自分の意見を、キッと前を見据えて、話すだけ。
国会での党首討論が一番顕著、そこには議論はおろか、対話すらない。

どかはアイドルも好きだしカリスマも好きだ。
でも政治にアイドルはいらない、カリスマもいらない。
政治にだけは、アイドルやカリスマを持ち込んではならない。
政治には、ちゃんと相手の意見を聞いて、自分の意見を述べて、
それぞれの価値観をすりあわせながら、着地点を根気よく探す、
そういう普通に対話ができる、論理的な「凡人」がいればいい。

政治に、カリスマは、いらない。


2003年07月03日(木) ある映画のワンシーン、から

1:映画のワンシーン

  前後に一つずつシートがある戦闘機が雲のなかを飛行中。
  前のシートの上官が後ろの部下に「いま、何時だ!?」と訊ねる。
  それで部下は自分の懐中時計を取り出すが、
  なぜかその鎖に繋がれた時計が顔の前にピョコンと立ち上がる。
  ?、と、部下はその時計を下に押し下げようとするけど、
  何度トライしても、その時計は手を離したとたん、
  部下をからかうかのように、空に向かってピョコンと立ち上がる。
  部下の身振りはなかなか滑稽で笑えるシーン。
  
さあ、でも、なぜだろう?
種を明かせば簡単なはなしで。
この戦闘機は、雲の中を飛行していく内に、
天地が反対になっていたために、
懐中時計が「自然」に重力にひっぱられていただけのことだ。
それだけのことなんだけど、私たちは笑いながらこれを見てるんだけど。
なんで、いったいなんで、「おかしいことが目の前で起きているのか」。
考えてみると、含蓄の向こうに見える、空恐ろしい風景。



2:1996年・朝鮮

  人民は飢えている、これが社会主義か?
  人々は私のことを狂っていると言うだろう。
  しかし私は狂っているのだろうか?
  実は彼らこそが狂っていて、
  私は正常なのだ・・・

いまは韓国にいる、元・北朝鮮の最高幹部ファン・ジョンヨブが、
亡命を決断するに至った心持ちを綴った手記。
「人々は私のことを狂っていると言うだろう」。
この一節にこめられた時代の狂気。
ファン氏をあらがいよう無くひっぱったのは「自然の」重力、だ。



3:1930年代・ドイツ

よく言われていることだけれども、別にヒトラーは、
超法規的な手続きで権力をにぎったわけではない。
あくまで当時の民主主義的に、手続きを踏まえてナチスは第一党になった。
ハイデガーをはじめ、主だった知識人も支持に回った、
人々の大勢については、何おか言わんやなのだ。
当時、ナチスに反対できたヒトは、ナチスからの弾圧を受ける前に、
周りから「狂っている」、そうレッテルをはられたのだろう。
不況とインフレに喘いで極端な「近視」状態の人民には、
分かりやすい変革の「力」に、敢えてたてつく理由が理解できなかった。
自然の「重力」すら見えなくなることは、かくして簡単におこりうる。



4:2003年・日本

日本共産党の最近のニュースと言えば、
議員がセクハラで辞職したという「あの」党にしては珍しいゴシップ。
でも、それよりももっともっと、ニュースにすべきことがあった。
何と言っても「あの」共産党が、自衛隊の存在を認めたのである。
この共産党史上最大の「転向」についての是非については不問にする。
でも、皮肉なことにこのニュースはこの国の、
「一億総右傾化」を最も象徴していると言わざるを得ない。

いちおく、そう、うけいか・・・

もちろんこのことをテーマにするとしても、
わざわざ上記「転向」を引き合いにだすことも無いはずで。
イラク特措法案は明日、衆院を通過する見込みらしい。
小泉純一郎が首相になってからこっち、
この国は呆気にとられるくらいのスピードで、
いままでいろいろあった「争点」のほとんどをうっちゃりながら、
どんどんある方向に進み続けている。
イージス艦を派遣したときは「戦争」の後方支援、
今度は、銃を担いだ自衛隊員がその銃を使う展開になる。
この2つだけじゃなくて、アフガン空爆のころからこっち、
彼が通してきた法案はほとんど、そんなベクトルに整列している。

なんなんだろう、この圧倒的な怒濤の流れは。
自分がおかしくなってしまったのかと思う。
依然、小泉の支持率は高水準にあるし、ううん、
もはや支持率うんぬんの話でもなく、
彼は民主主義の手続きに則って一国の首領になったのだから、
もっと大きなスパンの、もっと何か、こう、救いのない。
で、一部で小泉の次の首相待望論が盛り上がってるのが、
某都知事の石原「三国発言開き直り」慎太郎なのだから、
なおさら、もう、よくわかんないっち、
右傾化どころじゃないでしょ、彼が「力」を手に入れたなら、
真右(まみぎ?)っす。

なんで、議論が広まらないんだろう、周りのすました顔は、
エイリアンなのかしら、と電車の中、思う、怖い、怖い。
みんな、小学校や中学校で、義務教育で、
「歴史」を、日本史や世界史を学んできたのは何だったの?
いま目の前に広がっている、こんなに分かりやすい、
これは「デジャビュ」でしょ?
比喩とはレトリックであり、これとこれは似てるからこうなるよ。
という言い方のほとんどは欺瞞だけれど、
でも、ここまで符合しない点がないというほどそっくりさんじゃない?



5:いつか、どこか、

・・・もはやこの国で、誰も自衛隊を「違憲」だと
   言わなくなったという事実。

・・・狂っていると言われたファン氏が、
   亡命後も「狂っている」と軟禁される。

・・・イラン特措法案、原案通りに可決、依然下がらない、支持率。

・・・それらはどかにとって、胸元から目の前に屹立する、懐中時計だ。



6:追伸

見過ごしそうで、歴史の教科書にも載ってないけど、銘記すべきこと。
あの映画を撮った喜劇俳優であり映画監督が、
まず最初に戦わなくてはならなかった相手は、ナチスではなく、
「民主的」な連合国サイドであったこと。
この映画を発表したときにまっ先に迫害したのは、
ヒトラーやムッソリーニではなく、
周囲のアメリカの「まっとうな」人民だったことである。



7:参考

チャールズ・チャップリン「独裁者」


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