un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年06月30日(月) THE HIGH-LOWS "夏なんだな"

ハイロウズ、半年ぶりのニューシングル発売。
アクエリアスの宣伝でかかってる、あの曲。
次のニューアルバムがいつ出るか、まだ発表されてないいま、
やはり、買わずにはおられないどか。

かっこいいんだ、これがまた。

やはり、何のかんの言って、シロップだの、ナンバガだの、
レディへだの、コラルだの、リバティーンズだの言っても、
ヒロトのこの歌い出し一発で、全て吹き飛んじゃうもの。
反則だけどなー、反則だけどでもー・

ロックンロールにレフェリーはいない。
だから、誰も、止められないんだな、あの声を。

3曲入ってて、全部、マーシー作。
2曲目の「プール帰り」はサンシンの音色とかがフィーチャーされた、
スローナンバーで、初っぱなの


  ♪プールの帰り
   アイスクリーム(ハイロウズ「プール帰り」)


という掟破りの体言止めの連鎖にヤられる。
3曲目はライヴではおなじみの「ジェリーロール」、
ほんっとうに久しぶりのマーシーボーカルナンバー。
ヒロトのハーモニカが格好良すぎ、グイングイングルーヴする。

でも、やはりどか的にはタイトルにもなってる、
「夏なんだな」が好きかな。
よくよく読んでいくと、ちょっと隠微でエッチな歌詞なんだけど、
ヒロトが歌うと、ぜんぜん隠微な感じしないでからっと明るくて、
そのギャップが、またグゥーッとくる。
具象的な世界を歌いつつ、その奥に別の次元を織り込ませるのは、
ヒロトの楽曲でもおなじみの、ハイロウズナンバーの特徴。
世のヒトはハイロウズのことを、
テンションだけ高くて歌詞が薄い「ロックバカ」とか見てるようだけど、
ちゃんと、歌を聴いてない証拠だ、ぜんぜんヒロトの声が、歌詞が、
届いてないんだな、鼓膜に、頭に、胸に。


  ♪熱帯夜をくぐり抜けて 
   いろんな無に顔を貸して
   自分でいるよりほかなく
   蚊に刺されている(ハイロウズ「夏なんだな」)


このパラだけで起承転結、オチまでつけてるのは、驚愕だ。
へんに抽象的な響きを並べて、言葉の自動性に酔いながら、
「絶望ごっこ」をしているオコチャマバンドが氾濫しているいま、
ハイロウズのこのオトナな言葉へのセンスは、明らかにオリジナルだ。
彼らはとてもシャイで恥ずかしがり屋だから、
あえてオトナ然とした態度も演奏も歌い方もしないのが、
また、カッコイイ。

ズドーンと迫力ある鉄槌が降ってくるようなイメージ、
シロップがS&W、ナンバガがワルサーのかっこよさだとすれば、
ハイロウズはナパーム弾な感じ、デリンジャー銃でもいいけど。
シロップやナンバガに無いものをハイロウズは明らかに持ってる。
それはかつて、一世を風靡した、時代を制覇したという経験。
そのイイ面でも悪い面でも、経験。

経験を踏まえた疾走こそが、この世の中で一番凛々しく切ない。
だれがなんといっても、そうなんだ。


2003年06月29日(日) G1宝塚記念

きょうは某大学の研究室で勉強会に参加、
ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」と、
ドブレの「メディオロジー」の輪読を続ける。
しかしちゃっかり、おさえるところはおさえるどか、
なんてったって・・・。

なんてったって、春競馬を締めくくるG1レース、宝塚記念、
ファン投票で選りすぐられた馬たちが集うグランプリ。
去年の出走馬はしょぼかったけれど、
今年は史上最高メンバーがそろったという前評判の高さ。
確かに「ただ一点」を除けば、
G1馬が7頭立てという超・豪華ラインナップで・・・

昨年の年度代表馬・シンボリクリスエスを筆頭に、
アグネスデジタル、ダンツフレーム、ヒシミラクル、イーグルカフェ、
三歳馬でこの春2冠のネオユニヴァースなどなど。
おそらく現役最強決定戦となりえたほどのこのレースに、
しかし、ああ、なぜしかし、どかのアイドルは出走しないのかしら、
ファインモーション嬢・・・、超が10個つくほど残念。

というわけで、去年の年度代表馬の座を、
有馬記念の勝利でファインモーションから奪ったクリスエスには、
死んでも勝ってもらいます、3馬身ほど、ちぎってもらいます。
そうじゃなきゃ困ります、ファイン以外に負けたら許しません。
という、どう考えてもあまり合理的ではない心情から馬券を買ったけれど、
でも、そもそもクリスエスは一番人気。
あの大柄な黒く光る馬体は、まるで悪魔のよう、
何か凄みがあって、ファインのオーラとは別のある種の凄みが漂う。
なんつったって、去年のMVPなんだから、勝ってもらわなきゃあ。

というわけで馬単一着流しで勝負、5番クリスエスから・・・

1・サイレントディール(アンカツ騎乗の三歳馬、斤量が魅力)
2・アグネスデジタル(G1レース6勝のオールラウンダー)
6・ネオユニヴァース(最強三歳馬で三冠を目指すスター、デムーロ騎乗)
9・ツルマルボーイ(末脚魅力・ヨコノリ騎乗)
16・タップダンスシチー(評価急上昇の先行馬、有馬二着)
17・ダイタクバートラム(武豊の意地が炸裂、か?)

へ流したんだけど。
そして例によって、ヒシミラクルは買わない。
だって、やなんだもん、あの芦毛、なんか華が無い。
G1二勝してるけど、人気しないの、よく分かる。
やっぱ、このメンツだと、ネオとかクリスエスが魅力だよー。

そしてそして・・・。

好位で4角に入ってスパートをかけるクリスエスだが、
直線半ば、急坂を上りながら、なぜか伸び悩み、
外からまくってきたのは、ああ、芦毛のあいつ、
「また、ヒシミラクルだあー・・・」
(実況の声もなぜか断末魔に聞こえた、彼もヒシは嫌いなのだろう)。
2着はがんばったヨコノリ、ツルマルボーイが追い込む。
3着、クリスエスを再度かわしたタップダンスシチー。
4着、やはり古馬の壁は厚かった、ネオ&デムーロくん。
5着に、やっとこさ、いっぱいいっぱいのクリスエス。

はあー、へこむ・・・。
直線半ばまでは堂々の横綱相撲だったけど、
んー、横綱を張るには、長期休み明けは厳しかったか、クリスエス。
ファイン以外に負けるナヨー、お前が負けたらファインがかわいそうー。

というわけで、秋競馬はヒシミラクルが中心でまわる予感、
でもどかは、ぜっっっっっったい、買わないもんね、こいつ、ふんっ。

・・・

さっきニュースステーションで、例の、
ヒシミラクル単勝1,200万つっこんだ「神」のニュースをしてた。
すげー、競馬のこんなトピックが、ニュースステーションの、
しかもスポーツじゃなくてトップ枠で放送されるとは。
その「神」への配当は、新聞各紙で報じられてるとおり、
2億円・・・・!!!
2chの競馬板が、エラい騒ぎになってた、あの直後。
しかし・・・、どかには出来ないっす。
ヒシミラクルを当てたから「神」なんじゃなくて、
1,200万を馬券につっこめたことが「神」だよなあ。

・・・やれやれ。

ん?
ベンヤミン、誰それ?


2003年06月28日(土) 青年団「海よりも長い夜」(再観劇)

  焦らず、弛まず、一本の細い糸をたぐるようにつけられる、
  デリケートな演出に、どかは初めて、主宰の執念の恐ろしさを感じた。
  感情に対する理性の布置、チタニウムではなくオブラートを作る狂気。


二度目、しかも例の富士見市が会場で遠い。
でも、前回の印象(→@シアタートラム)があまりに強烈だったし、
どうしてももいちど、観たくなった、絶対、傑作やもんこれわ。

どかの友人のバンド one tone(→@STAR PINE'S CAFE他)のメンバー、
ゆうやクン&ちなつサンにふじみ野駅でピックアップしてもらって、
3人で観に行く、ソワレ@富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ。
ついてみると、メインホールの舞台上にあしらえた特設の客席、
大きいステージを区切って使う、小劇場劇団の裏技的設営、ひさびさに。
でも、マルチホール(→暗愚小傳で使った会場)があるのに、
わざわざこっちでするのはなぜ?と思うどか
(この疑問はアフタートークで主宰自らの口より回答された>つまり、
 こんな舞台の使い方もあるんだよと、富士見市民に、提示したかったんだと)。

まあ、暗い。
とにかく、暗い、重い脚本。
青年団の作品中、最もどんより暗い会話劇のなかの1つだろう。
どかが、この舞台を「ソウル市民1919」と並んで最重要な青年団とする、
第一の理由は、前半からじっくり練り込まれる狂気が立ち上がる瞬間、
その完全なる沈黙の「響き」なんだと思う。

その「個人」をじわじわと締め上げる沈黙とは、なんなのだろう?

それはきっと、「集団」の不能性の暗闇から、しみ出してくるもの。
そして「理想」が原罪的に免れよう無く侵蝕されていった残骸。
たぶん、そんななんやかやを、ぎぅーっと圧縮したら、
この舞台の終盤みたいに客席に対して、
とんでもない求心力をもつ沈黙が生まれるのだろう。

二回目で特に印象が強かったのは、ラストの沈黙もさることながら、
序盤から中盤にかけての、プロットの展開の仕方の巧みさ、そして、
役者につけられた演出の、おそらく現在の小劇場界随一の細やかさだった。
どかはもう、開演時点で、出てくるキャラクターの相関関係を全部知ってたから
(例えば、夫婦とか同僚とか敵対関係とか不倫関係とか、ね)、
なおさら、微妙な関係の2人の細かな表情とかが、
興味深くて仕方がなかったな、多分初見の観客が気づけないであろう、
一瞬の表情の曇りとか、そんなのを追っていけばいくほど、
主宰の劇世界構築にかける、ナイーブな執念が身に沁みる。

それぞれ登場人物の個人個人をみてると、ごく普通のヒトたちなんだけど、
少しずつ、少しずつ、それぞれの関係性のなかに生じる不協和音が、
いつもの風景に混じっていって、そのいびつな響きが、
まっしろなステージ上に徐々に徐々に染みを作っていくんだよね。
この「徐々に徐々に」という作劇にこそ、どかは今回、感銘を受けた。
いきなり染みが大きくなりすぎそうになったら、ギミックを入れて、
軽く笑いをとったり、客席をなごませたり、その後は、
意表をつくような少しヘビーな展開をどんっと持ってきたり。
とにかく客席は気づいたら主宰の手のひらのうえでころころ転がされる。
いぜん、平田オリザが何かの本で言ってたことは、誇張でも何でも無いんだな。


  仮にも演出家を生業としているヒトならば、
  カルト宗教なんて、かんたんにはじめられる。
  集団心理を軽く操るノウハウぐらい知らないと、
  演出なんて務まってないんだから。


そう考えると、空恐ろしい職業なのだわ、演出家ってば。

そう。
で、そうやって丹念に丹念に演出と役者によって練り込まれていく異世界で、
いつのまにか(この「いつのまにか」というのがポイント)、
その染みはもはや漂白も追いつかないような、
致命的なものになっていることを観客は知り、愕然とする。
だけどもう、どうしようもなく「沈黙」に絡め取られて抜け出せない。
耳を覆いたくなるような、不協和音の沈黙が延々と鳴り響いて止まないラスト、
観客はそれぞれの「印象」や「感想」を胸に抱いて、
それぞれの「海よりも長い夜」を泳いで現実世界に戻らなくてはならない。
カーテンコール、ぼんやりと舞台上の役者に拍手を送りながら。

どかは「理想の原罪的侵蝕」を思いながらも、でも、
ラストシーンの、女子寮の先輩と後輩が一緒に歌を歌うシーンを思い出して、
涙ぐんでしまう。
その女子寮の先輩と後輩というのは実は、
市民運動のリーダーを務めた男性の妻とその男性の不倫相手なのだけれど、
もう胸がふさがってしまうような辛くて厳しい修羅場のただなかで、
それでも2人は、一緒に寮歌を口ずさむ、その歌の美しいメロディ。
きっと、いや間違いなくこの2人は、この終演後もこの劇世界が続くとして、
さらにドロドロの辛い毎日の現実にもがかなくてはならないのだけれども、
ただ、この時は、ただ、いまだけは、
不協和音のただ中にかき消されそうな美しいメロディをそっと唱和して。
明日にはもう、この明かりはどこにも無いかも知れないけれど、
これが最後かも知れないけれど、でもいま、確かにここには、
明かりがある。

この「いま」と「ここ」という2つのことを、
どれだけ説得力を持って、リアリティを付与することが出来るか。
それこそが良い演劇の唯一無二の絶対条件であるとするならば、
どかは青年団作「海よりも長い夜」こそは、この劇団の、ひいては、
日本小劇場界史上屈指の傑作だと思うのである。

と、大仰な文句をいいつつも、どかの心はアフタートークで出てきた、
女優、辻サンの可憐さにポワーッと昇天していた。
大好きー、辻さんー♪
上手いし、カワイいし、もう、ぽわー(・・・アホだ)。

見終わって、one toneのお二人と一緒に夕食。
パスタを食べながらこの舞台の感想とか、先日のライブの話、
彼らの創作活動についての、いろんな話をして面白かった。
ゆうやクンは、ほとんど初めて会話をしたけれど、
見たまんまの優しくて穏やかな人柄で、ほんとうにイイヒトだなーって
(ちょっと、自分が恥ずかしくなるどか)。
実はどかと高校が一緒というちなつサンと、
超ローカルトークで盛り上がったりして、楽しかった。


2003年06月27日(金) パコダテ人(映画)ー宮崎あおいのオーラについてー

宮崎あおい嬢は先に見た「害虫」とこの「パコダテ人」以外にも、
映画の出演作はけっこうあるみたい。
で、サントリーの「緑水」とかクノールカップスープ、
あと東北のDOCOMOのCMは全部、あおいチャンらしく
(なぜ、関東はサカグチふぜいが出てるんだあ、おかしいよ・・・?)。
まあ、その東北DOCOMOのCMまできっちりチェックした上でどかが思うのは、
自分のチャンネル切り替えの確かさだった、すごい集中力だなあ。
その辺のアイドルにありがちな自分の「素」をだらしなく流すのではなく、
もっともっとありがちな作られたお仕着せの「演技」をするのでもなく、
きちんとその場の空気と自分の接点の摩擦の中に説得力を落とし込む術を、
おそるべきこの1985年生まれはすでに知っている。

「パコダテ人」でも、本当にそうだと思う。
周囲の熱狂と、かけがえのない家族との挾間で、
自らに降りかかったこの「しっぽ=不条理」をどう受け入れていくか、
そして熱狂が迫害に変わったとき、自分のスタンスをどうとるべきなのか。
「害虫」のときの、自分の痙攣する心をネガティブに内に抱え込んだ、
その余韻を感じさせるような静かな哀しみではなく、
もっとポジティブで、不条理に対して身体を張って、
肩で風をきって歩いていく風な優しい悲しさを感じる。
その透明な瞳が、
まぶしい笑顔が、
物憂げな横顔が、
いじらしい口元が、
すべてが1つのベクトルに向かって、
日野ひかるという主人公がが何を恥として、
何を大切とするかに向かって収斂されていく。
ありがちな「素」やかたどおりの「演技」が混じらないから、
このドライビングフォースは途切れない、途切れないから、
観てる人の気持ちがどんどん巻き込まれて連れて行かれる。
顔だけ見ていればそれほどむちゃくちゃ目を惹くわけではないのに、
動いている彼女はワンシーンごとに、どかの網膜にシュプールを残す。
そのシュプールはずーっとのびてのびて、見えなくなるくらいのびて、
ついにアラスカのオーロラの向こうに届くくらい。

いろんな不条理が自分の身に降りかかってくることをあるとき知って、
で、そんなことに怯えながらうつむいて肩を振るわせて、
自分の力ではどうすることもできないようなショックとは、
時間が過ぎることの痛さをただ伝えにくるものだと知り、
そしてそれに留まらず、後ろからむりやり時間を押して、
その摩擦でひじやひざや感情はすり切れて。
でも、それでも時間を止めてくれる美しいものがこの世にあると信じて、
それは例えばマイナス40℃の吹雪の中、
雪のなかに寝っ転がってひたすら夜空が晴れるのを待つように、
もしくはマイナス5℃の中、奈良の盆地を30時間歩き続けて、
その果てにたどり着く木津川のめのう色の川面の美しさに息を飲むような、
そんなものの存在を信じることくらいしか、せめてそのくらい。

吹雪く曇天の向こうのオーロラの明かりを。
80kmの山向こうの川面の煌めきを。
ヒトは志向することができる。
鴻上尚史がいみじくも語った、人間最後の自由。

宮崎あおいの澄んだ瞳には、そういう遙かなベクトルがあって、
そしてその輝く笑顔でそのベクトルをちゃんとこの世に着地させられる。
この距離感こそが、彼女のオーラ、ベンヤミン風に言うとアウラだ。
そのアウラをまとって、この映画で日野ひかるは、
ピノピカルになり、函館はパコダテになった。

そんな稀代の映画女優の魅力を精いっぱい引き出して、
泣かせて、笑わせて、ちょっといまいち、
ディテールがずれてるなあと思えるところもあるけれど。
あと「害虫」のテーマソングが、解散しちゃったけど、
日本最強のライヴバンドの1つ、
ナンバーガールでごっっっつい格好良かったけど、
でも「パコダテ人」はさすが北海道というか、
ホワイトベリーで、それがちょっと・・・(気持ちは分かるが)。
ひっくるめて、でも、大筋で良質なコメディで、とても良いと思うどか。
海外の映画賞をとった「害虫」よりもこっちのが好き。

日野ひかるのぶっとんだ姉役の松田一沙、
ひかるのしっぽをスクープした新聞記者役・萩原聖人、
あとサブキャラだけどクライマックスでめちゃくちゃかっこいい、
男やもめの子持ちしっぽ持ちサラリーマン古田役・大泉洋の三人は、
出色の出来、とくに大泉さんのエピソードを、
最後にあおいちゃんのメインプロットに絡めてくる脚本は、
とても上手くまとめられて良かったな。

にしても・・・、
あのピカルちゃんと古田さんが取り押さえられるクライマックス、
最後のオチは、ひさびさに爆笑、あれはウケる、楽しい。

そして、最後の最後にしっぽが消えて普通の女の子に戻りました。
と、するのではなく、パコダテ人のカップルが誕生するあたりに、
センスの良さを感じる。

なんだかベタ褒めだけど、それもこれも、きっとアウラが原因なんだわ。

らーぶー♪宮崎あおい、らーぶー!


2003年06月26日(木) パコダテ人(映画)ー2つの極についてー

函館って、すっごいキレイな街で、学部時代、
憧れだけでひとり、ひょいッと訪ねたことがある。
あの大正・昭和初期のテイストの町並みのなかを抜ける路面電車。
朝の市場のおっちゃんもごっつい優しかったし、
ウニ丼もイクラ丼も美味しかったし、
土方歳三ゆかりの五稜郭もあるし、
港町を少し外れたらけっこう寂れてて、それも良かった。

そんな函館を舞台にした、コメディー。
ビデオで観たんだけど、なんといっても、主演・宮崎あおい!!
まあ、ふざけたタイトルから連想される通り、
ふざけたシチュエーションなんだけど、
でも、ちょっと、立ち止まって考えてみたら、
「おっと、意外に深いのね」みたいな。

そのシチュエーションとは・・・


  函館に住むひとりの女子高生のお尻から、
  ある日、しっぽが生えてきました。


っていう「おーいっ」と思わずつっこみたくなるような不条理。
でもたった1つの「ウソ」を作っておいて、
それ以外は全て「ホント」で囲むというこのプロット展開は、
ちゃんとすれば、とても大きな効果を時に生むよね。
そう、青年団・平田オリザが得意とする作劇法だ。

その「ホント」の部分をどれだけしっかり練り込んでいくかに、
物語の説得力は拠るのだけれど、そこは「パコダテ人」、
意外としっかりがんばってるのね。
コミュニティの中に異質なものが入ってきたときの、
その群衆の対応のしかたの「推移」という焦点で観ていると、
コメディなのに、背筋がヒヤっとするものを感じたりする。
うん、おもしろい、おもしろい。
最初は無視、それからワーッともてはやして一転、迫害が始まって・・・。
オリザならこれだけで舞台を仕立てるのだろうけれど、

「パコダテ人」ではこの「ぬえ」のように千変万化する群衆に対して、
決して変わることのない、美しい定点を配置するのだけれど、
またこれが、上手いなあ、とても上手い。
その定点とは、主人公の「家族」だ。
やっぱりどこかずれてるへんてこな家族なんだけど、
そのへんてこ具合が「ぬえ」と比べると、なんとまっとうに見えるのだろう。
家族愛とかいうと、くさくて、きもちわるーい感じだけど、
コメディでデフォルメを忘れてへんから、すっきり笑えて、
ちゃんと泣けるように作ってあるのが巧みだなあ。
最後、警察に包囲された時の家族の姿は、なかなか良かったあ。

さて、この「ぬえ」と「家族」という2つの極の間で、
翻弄されて悩み苦しみつつも、自分の足で立ちたいと思いがんばるのが、
我らが主人公、じゃなくて、どかのめがみたま、
宮崎あおい嬢なのだー(続く)。


2003年06月25日(水) '03 Rd.6 CATALUNYA/Barcelona

噂は本当だった。
ムジェロをさらに上回る、好レース、見せ所満載だった。
やっぱりねー、観客がレースを作るんだよ。
上半身裸の男が、爆竹バリバリ鳴らして、
その白煙のなかをついてこそ、1000ccのモンスターは走るんだよ・・・

バルセロナにあるカタルーニャサーキットは、
ながーい直線を、低速コーナーでとりかこんだ、
典型的なパワーサーキット、王子にはいかにも辛いなあ。

まあ、例年というか、Moto-gp界のお約束ごとの1つに、
イタリア人・日本人は母国のレースに強いけど、
スペイン人は母国のレースでは潰れるということがある。
イタリアと同じくラテン系なのにね、
スパニッシュはなぜかみな、ガラスの心臓。
まあ、はた目に観ても、世界で二番目に熱い観衆はイタリア人で、
それを凌ぐのが唯一、スペインやカタルーニャのスペイン人だから、
プレッシャーもちょい、強くかかるのかも知れないけれど。
クリヴィーレとか、弱かったもんなーいつも転んでた。

でもジベルナウは頑張った、プレミア211Vに乗っているとはいえ、
表彰台をちゃんとゲットできるのだから大したものだ。
しかし、残念ながら、彼の地で話題を独占したのは、
歴史的な偉業を達成した、イタリアのライダーとファクトリーだった。

ロリス・カピロッシ&ドゥカティ、ついに初勝利!!!
勝ったー、ついに勝ったー、おめでとーカピー!!
GP最高クラスで日本のメーカーに勝ったのって、
いつまでさかのぼるのだろう、おぼろげなどかの記憶だと、
イタリアのカジバでエディー・ローソンがGP500ccを勝ったレース以降、
記憶にないなあ、うん、あれ以来じゃないかな?
カジバも「ステディ」エディのセッティングの才を得て初めて勝てた。
とすると、カピロッシはあの偉大なチャンピオン・ローソンに並んだのか?
原田哲也の二度目のチャンピオンシップを、かつて、
故意にぶつけて潰した悪役のイメージは、もう、彼方のものになったね。
いまではどかのお気に入りのライダーのひとり。
あの「直線番長」のドゥカティをスライドさせまくりながら、
マシンと格闘しているサマはスリリングでエキサイティングだ。
ロッシのスライドは磨いた刀身の上を渡るようなヒヤッと冷たい感じがするけど、
カピのスライドは、熱い、熱いッすよ、んーラテン
(インタビューではクールなのにね)。

そしてそのドカ&カピの偉業よりもドカが熱くなったのが王子の劇走!
がんばったよう、中野真矢!
格好良すぎる、何がって日本人最高位なんてことではなく
(だって、そんなの当たり前、ノリックもいないんだしね)、
そのライディングスタイルと、ラップタイムだ。
中団から抜け出して先頭集団へジリジリ追いつくときの、
王子の走りは何か、気高いものを感じる。
よけいなモノをそぎ落としたミニマムな誠意を感じる。
彼はスライドは最低限しか使わない。
250cc上がりらしく、かつ、いまでも250ccのスペシャリストらしい技術で彼は、
コーナーを誰よりも高いスピードでスムースに回っていく。
往年の原田哲也にイメージが近い(原田のラインはさらにタイトだったけど)。
ブレーキと立ち上がりよりもコーナリングスピードでラップタイムを削っていく。
中継画像で派手なアクションを観られないから、GP初心者には、
あまり速いとは見えないかも知れないけれど、
彼は現役Moto-gpのトップライダーの中で、最も異質なスタイルで、
変わらないタイムをたたき出す、革新者なのだ
(強いて言えばビアッジが近かったけど、最近彼も、ドリフトキング)。
イタリアに引き続きの堂々の第5位、完全にトップライダーの一員だ。
ヤマハファクトリーのチェカが4位で後れを取ったのが悔しいけど、
ま、チェカはスパニッシュだしね、おまけだおまけ。

でもね、その王子よりもどかが強烈にヤられたのはね、またしても帝王だった。
ロッシ、きょうは序盤ずーっとトップを走り、中盤、カピとちょっと競りあって、
で、あまりに暑かったのでしょう、集中力を欠いたッぽいミスを珍しくして、
それでカピに抜かれて後ろについて、そしてその後、
さらにでかいブレーキングミスでコースアウト・・・。
いっきに順位を6位(だっけ?)くらいまで落とす。
もうレースは終盤、前を行くカピの姿はおろか、5位の王子も見えない、
そんな状況で、パンドラの箱は、開いてしまった。

実況も、ただ、ただ、「ロッシ、スイッチが入りました!」としか言えない、
超・究極のスパート、レーシングレコードを更新しながら前を追いかける!
やばい、まじでやばいよ、鳥肌たちまくり、速い、速すぎ。
そして、集中して速くなればなるほど、転ばないのが、帝王たる所以。
ぜったい「スイッチが入る」とこの人、ミスしないんだ。
先頭集団より一秒以上速いラップタイムを刻んで次々前を行くライダーを、
その歯牙にかけていく、超人ロッシの映像、お茶の間に流すには刺激が強すぎる。

結局、カピ&ドカには届かないけれど、なんと2位にまで浮上して、
最後の最後までアタックを続けてゴール。
イタリアメーカーの偉業を讃えつつも、GP関係者の印象に深く残ったのは、
「いつものヒト」の「ほんとうのすごさ」だった。
どれだけ滑らせても絶対レコードラインを外さずに深くつっこめるから、
一番ブレーキングに強い。
誰よりも早くアクセルを開けてもハイサイドのすれすれをキープできるから、
脱出スピードは誰よりも速い。
口で言ってしまえばそれだけのこと、でも、あの映像のあの凄みは伝わらない。

このレース、観れて良かったなー。
最終ラップ、王子も頑張って、4位のチェカにしかけてかっこいいし。
やっぱ、全てのスポーツの中でGPのドッグファイトほど熱いものはないなあ、
どかにとっては、と思うのであります。

次は、伝統のアッセン、オランダGP!
楽しみだ、ガンバレ、王子!


2003年06月24日(火) one tone@STAR PINE'S CAFE

昨日の6月23日、夜19時40分ごろ、階段を下りていく。
どか、one tone二度目のライヴ(初見は→@MANDA-LA2
@どかのお気に入りのライヴハウス、吉祥寺のすたぱ。
お気に入りぃゆうても久しぶりやなー、二年ぶりくらいかなあ?
最近みょーにライヴハウス行って、ぐでーっと溶けたい衝動が強くて、
ちょっと、困惑気味だったどか、ノリノリでグデーする気満々(謎)。

今回の編成は one toneの2人プラス、高橋ピエールさんというギタリスト。
ツインギターかあ、どんなやろ?
っておもてたら、すっごい、ぜいたくやの、響き。
キラキラ、キラキラ、アラスカで見たダイヤモンドダストみたい、
光源がたくさんたくさん目の前で瞬いて、パースペクティブがくらくら。
特に一曲目はびっくしだったなあ。


 セットリスト
(今回画像はなしです、なんだか撮るのためらわれて・・・ごめんなさい)
 1.女性上位時代(アルマンド・トロヴァヨーリ)
 2.碧の鼓動
 3.明日から吹く風
 4.足跡
 5.君のところへ
 6.うたかた


映画のサントラからのカヴァーらしい、一曲目。
ぼさのばーっとした気持ちよく溶けてしまえるどかの欲していた感じ。
ぐでーって出来るんだけど、でもなんか上等な気持ちになれる、
不思議な空間、キラキラ、ギターが2つ鳴ってて、重なって。
ボサノヴァのバッキングって、すっごい、色っぽいねえ。
なんか二人のつま弾く指先を見てたらポワーッとなる。
にしても、なんて上手いんでしょう、この人たち・・・
時折目配せして楽しそうにしてるのも、イイ感じ。

5曲目の「君のところへ」はやはりお気に入り。
何て言うのでしょう、こう、私が、とても必要としている曲だなって。
「あったほうがいい」のではなく「なくちゃだめ」感がひしひし。
客観的に良いというより、個人的に大事なナンバーだと強く、思う。
<わたし>は重力という磁場に絡め取られて、いま、ここから動けない。
でもでも、舞い上がる風船やひこうき雲へ祈りをたくしている自分は、
ほんのわずかの一瞬だけ、身体がスゥッと軽くなる気がする。
それは「気のせい」、でもこの「気のせい」が、宝物でいとおしく思う気持ち。
うんうん・・・。
<いま、ここ>という定点でたたずみ続ける説得力が、
他の楽曲では少し薄いのかな?っていう気がして、
でも他の曲ではなくどかがこの曲に強く惹かれる理由はきっと、
祈りから生まれるこの「気のせい」がここにはあるからだと思う。
スゥッと軽くなる、プールに飛び込んで一瞬、浮力にハッとする感じ、
身体が軽くなると、気持ちまで軽くなる、そんな「気のせい」だね。

そしてボーカル。
MANDA-LA2の時と、基本的には同じなのだけれど、
でもより、ある種の姿勢が徹底しているなあと感じた。
なんだろう、ステージに上がるミュージシャンの中には、
自分の世界観、自分の表現、自分の主張、そんなのを、
楽器と音をつかって構築しようとしている人たちがいる。
どかはその構築していく強度が強いアーティストに惹かれる傾向が強くて、
例えばハイロウズやシロップとかは、もう、
圧倒的なそれぞれの世界観を、
ドォンッとステージに載っけちゃうことができる。
そういうタイプの表現なんだとどかは勝手に理解している。
そのステージに突如現れた世界観に、オーディエンスは勝手に圧倒される。
その「勝手さ」具合がまた、快感だしね。

でも one toneは違う。
ステージ上に世界観を構築するのではなく、
聴いてくれているヒトの向こう側に、ソッと何かを置きにくる感じ。
気づいたら、どんどん、自分の内側をライスシャワーのような木漏れ日が、
さらさら触れながら流れている感じ、
視床下部の裏、三半規管の隣、そんなところを通って、気づいたら、
ステージを向いてる自分の後ろっ側に広がっている、切なく涼しい空気。
オーディエンスは前につんのめるんじゃなく、
その後ろっ側へ、少しもたれて、その心地よい空気につかる感じ。
リラックスできるけど、ぐでーってなるけど、
それは怠惰とか甘えではなく。

どかがボーカルに感じた姿勢というのは、
オーディエンスの存在をちゃんと意識して、
それでステージ上で完結するのではなく、
ソッと自分のメッセージを置きにいこうという姿勢。
世界観の構築というところに意識をまわそうとしていないし、
そもそもそんなことしなくてもいいから、力みが無いし、観客に緊張を強いない。

また、2本のギターが本当に力みとか、緊張とか、
そんな言葉とは無縁な場所で、キラキラ、キラキラ、すごい美しい。
ボーカルと同じで、だから演奏技術とかが鼻につくことはないし、
構築ではない別の目的地の方角をちゃんと知っているから、
そんなデリケートなボーカルのベクトルを阻害しないし、
ちゃんとマッチングしていける。

また、行きたいな、定期的に聴きたい感じ。
「選択」ではなく「必要」な感じがする、どかには、はあ、いいな。

風呼(→@渋谷DESEO他)のゴバル嬢も来てて途中から二人で聴く。
そしてゴバル嬢お薦めのこの日トリだった扇谷一穂サンのライヴに、
どかは圧倒されてしまい、なぜかブルーに。
すごいな、なんなんだ、あの声は・・・。
なんかマーチクンとかフィットとかbbが並ぶ信号待ちに、
いきなりヒノレンジャーが、がーんっと飛び込んできたくらいのショック。
はあ、なんなんだ、いったい・・・。


2003年06月18日(水) '03 Rd.5 ITALIA/Mugello

やー、やっとGPらしいGPを観た気がする。
久しぶりに、本当に久しぶりに、楽しめたな。
GPがいつもこんな感じならいいのにな。
以下、ポイントを箇条書きに。


1:ムジェロには7年前に実際GPを観戦に行ったどか、懐かしい。
  あの日は暑かったなー、きっと今年のこの日みたいに。
  GP250CC、ビアッジが圧倒的な速さで勝利したんだよ。
  GP500CCは思い出せないなあ、原田を思いっきり応援したよ。

2:ムジェロは良いコースだ、高速コーナーと長いストレートは必須だよ。
  オランダ・アッセン、イギリス・ドニントン、
  オーストラリア・フィリップアイランドとはるくらい良いコース。

3:スカッと広がる晴天、タイヤには厳しいけどレースは断然、ドライだ。

4:イタリア人の大観衆、炸裂する爆竹、
  イタリアで唯一サッカーと並ぶほどの人気があるスポーツ。
  それがGP、熱狂する雰囲気は最高。

5:およそこの地上を、2つのタイヤで走る限り、
  彼と彼らより速い人間はいない>3人のイタリアーノ共演。

6:普段シュアーなグリップ走法をとるビアッジすらドリフトしまくり。
  3人のイタリアーノがサイド・バイ・サイドで後輪流しながら、
  クリッピングに飛び込んでくる、総毛立つダンスin Over200km/h。

7:抜け出す帝王・ロッシ、追うカピとビアッジ二人の、
  今期最も熾烈なドッグファイト、信じられない才能とライバル意識。
  160km/hでフルバンクしてるときにガンガン接触、
  コーナーに突っ込むブレーキしながら、
  お互いにらみ合ってガン飛ばしまくり(危ないよ、前見ようよ)。
  すごかった、もはや格闘技。

8:そしてどかが鈴鹿の悲劇以降、もっとも応援している、
  大チャンの永遠のライバル・中野真矢(通称・王子)、華麗に復活!
  マシンを自分寄りのセッティングに詰めて、予選二位、
  一時は、三人のイタリアーノに割って入る敢闘賞。
  かっこいー、おうじーっ!!
  最終的に5位入賞、ヤマハでは一番手、でかしたーっ。

9:マシン繋がりでいくとカピは結局ビアッジに勝利してとうとう二位。
  イタリアのメーカー・ドゥカティ、イタリアのサーキットで、
  イタリア人のライダーで、とうとう二位になっちゃった!
  ホンダやばいよねー。
  だって<帝王ロッシとプレミアver.のRC211V>の組み合わせでないと、
  もはやドゥカティに勝てなかったんだよ、それってヤバいよ。

10:ヤバい繋がりでいくと、もはやホンダは宇川からプレミアver.、
  とりあげるべきだ、とりあげてビアッジ、もしくは玉田に与えるべきだ。
  プレミアver.RC211Vに乗っていて、あのラップタイムはもはや恥。

11:玉田繋がりで、玉田さんがこのレース、一番かっこよかったかも。
  15周ごろから23周のファイナルラップまで、
  唯一、イタリアーノ・トリオと同じラップタイムを刻めたヒト。
  スタートの出遅れで18位だったのに、ファイナルラップ、
  とうとう4位走行中の王子をかわしちゃった!!
  すげー、玉田さん、すげーよー。

12:かさねがさね、宇川くん、そのマシン、降りなさい。

13:序盤だけだったけど、でも。
  王子が地上最速のイタリアーノ・トリオに割って入って、
  一時、二位を走ってたとき、
  はじめてどかがずーっと幻視として見ていた大チャンの姿に、
  重なってくれるライダーが来たーって思った。
  王子、ありがとう、これからだね。
  ヤマハのエースとして、是非、一勝、まず一勝を目指そう!


将来、イタリアに留学に行ったら、絶対、ムジェロ、行ってやる。
すごい熱気と観衆、ビールをかっくらいながら、騒ぐンだもん。
これは、決まりなんだもんね、決まりー。

ふと思ったこと。
日本のダービーは観衆10万人を越えて、
イタリアのダービーはわずか5千人ほど。
日本ではGP人気は、割に合わず低調だけど、
イタリアのGP人気はめちゃくちゃ高い。
ちょうど逆ジャンね。
両方、それぞれすぐれたライダーとジョッキーがいるのにね。


2003年06月16日(月) 害虫(映画)2

「リリィ・シュシュのすべて」は、男の子や女の子が堕ちていくときの、
その放物線がスーッと角度がキツくなる時の
「加速度」の大きさを描こうとしていた。
「害虫」は、女の子が堕ちていくときのその放物線、
上昇から下降に移りゆくその瞬間、その刹那「加速度」がプラスからゼロ、
そしてマイナスになるその微妙な移行を映しとったと言える。

たしかにテーマとしてはありきたりなんだけど、
映像的にも岩井俊二みたいな「絵本」みたいな煌めきも無いんだけど、
最初から、製作はそれを目指してないんだなー。
つまりさあ、これは「宮崎あおいスペシャル」なんだよ。
2001年時点での宮崎あおいの瑞々しい演技が、
この映画のコンテンツの全てであり、
宮崎あおいの魅力を引き出すための、他の道具立て全部なんだなー。
その割り切りが、コンペティションにおける勝利をもたらしたんだよ。

きっと。

それくらい、もちろんひいき目バリバリのどかが観てるんだけど、
でも、宮崎あおいは、演技、上手だと思う。
演技というか、演技以外のオーラというか、ベンヤミン風に言えばアウラ?
が、もう、素晴らしい、なんというか、
ゴマキが既に失って久しい、アヤヤが失おうとしている、
あの、女の子の一時期にのみ、宿るはかない輝き?みたいな。
それをマックスまで引き出してかつ、自らの演技で裏打ちをしていくから、
表象としてはこれ以上ないくらい、胸に迫ってくるものがある。
映像を撮っているカメラが全く、センチメンタルを介入させないだけに、
なおさら、宮崎あおいが真っ直ぐ、観ている人の胸に飛び込んでくる
(いや、妄想じゃなくてね)。
上戸彩も歌はヘタクソだけど演技はまあまあ、だと思ってたけど、
宮崎あおいは上戸彩みたいく世の男ども全てをがーんと持っていくほど、
美人では無いわけなんだけど、でも映像の中で動くと、
いや、動かなくても「面食い」うんぬんではなく、あのオーラがスーンっと、
響いてくる感じ、分かる?
分かんないかな、分かんないよね、でも。

一番印象的なシーンは学園祭でつきあい始めた彼氏とのシーン、
二人っきりの教室で、彼の不用意な発言。
あおいちゃん演じるサチ子は何も言わず机に手をかけ、
そのままガーッと引きずって教室から出る。
整然と並べられていた机と椅子が乱れていく映像。
それを上から撮って、うん、素晴らしいな。

あと、何と、蒼井優も出てるんだよ、この映画(「W・AOI」きゃー)!
蒼井チャンはサチ子を助ける親友役。
お顔で言うと、明らかにあおいチャンよりも蒼井チャンのが美しい。
でも、アウラの差で、誰がどう見ても、こちらが主人公だと納得する。
でも、蒼井チャンも上手かったよー、うん、上手かったー。
というわけで蒼井チャンは関脇です、かくていっ
(あやたん交え三つどもえのレースか?)

蒼井優は「リリィ・シュシュのすべて」でも出てたね。
なんかいろいろ、どかの好きな世界というのは、
すべからく繋がっていく不思議を感じる。
サントリーの緑水のCMから、岡崎京子とかもふまえて、宮崎あおい。
確かな才能が、確かに福音を受けているのを確認できることは、
この世の中を生きている上で欠かせない、幸せな瞬間だ。

サチ子の放物線はその上昇を止め、まだ下降も始まっていないその刹那・・・

  ネコや犬が轢かれるのってね、
  道路の途中で一瞬怖がっちゃって、
  足が止まるからなんだよ。
  一気に走りきらないと。

  ねえ、クルマに轢かれる気持ちって、
  分かる?

とてもオカザキ的な世界、でも、あおいチャンなら、うん、イイさ。
許す、ってか、赦させてーって。


2003年06月15日(日) 害虫(映画)1

最近、知っているヒトは知っているのだけれど、
どかの中の「偏向的アイドル格付け」に異変が起きている。
女神であり東の横綱(・・・)である上戸彩が、大関にランクダウンした。
ああ「あずみ」を観に行く勇気が無いからダメなのかな、
でも「高校教師」以来、彼女の輝きに触れてないし。

しかしものごとにはすべからく、相対的な面がある。
あやたん(・・・)のランクダウンとは、
同時にある女の子のランクアップを意味している。
というわけで前置きが長いけどいま、
どかのなかで不知火型土俵入りを決めてるのは、宮崎あおい!!
懐かしいねー、というのは一年以上前、
どかはすでにこの日記で彼女に反応してたのさ
(参照→「めいくゆーキラキラ」ちょっと誇らしかったり)。
先日、アンアンだかノンノだかのページにモデルで出てたの、
あおいっぴ(・・・)が、それでもう、やられた
(やっぱ疲れてるときは、アイドルっす)。

というわけで前置きが長くなったけど「害虫」、主演・宮崎あおい。

  2001年・第23回ナント3大陸映画祭コンペティション部門
  審査員特別賞&主演女優賞受賞 (←あおいっぴ)

というプライズ以上に、いろいろとキテる映画だったの、
もちろんビデオで観たんだけど。

プロット自体は、けっこうありきたりだったかも。
中学一年生の女の子、サチ子は他の娘から浮いてしまう女の子。
小学校の時、先生と微妙な関係になったり、
父親は早くに亡くして母親が男の家でリストカットしたり。
で、そんな噂が教室に広がって、なんとなく学校に行かなくなって、
港町のスラムで路上生活者やフリーターの少年と過ごす時間に安堵したり。
ひとりの友人の助けを借りつつ学校に一度は戻ってみるものの、
同級生の彼氏のデリカシー欠如や、母親の恋人に襲われたりと、
彼女の中の虚無感が広がり、路上生活者と犯罪に手をそめてしまう。
しかし、自分自身のやっていることが怖くなってしまい一路、
北を目指してヒッチハイク、小学校のその先生に会いに行く・・・

という感じ。
岩井俊二の「リリィ・シュシュのすべて」に通じるところがある
(ああ、これもレビュー書かなくちゃ)。
ひとりの普通の女の子(男の子)が、この明るい闇夜の中で、
いかにして堕ちていくのか、どこにたどり着くのか。
そんなことがテーマなのだけれど、岩井サンが偏執的趣味性を基調に、
特異なまでに美しい映像と少しのセンチメンタルで撮ったのに対し、
「害虫」の監督・塩田サンは、もっとドライ。
岩井サンの映像ほど自意識がにじまない、でも普通に美しいカットで、
極力言葉による説明を排して、映像で語るという強い意識。
偏執的趣味性の代わりにスラムのジャンク的世界を補完的存在として据え、
できるだけセンチメンタルを排して撮った感じ。

・・・こう書くとタイムリーでしょ、そう、岡崎京子的映像なのだ。
川沿いの草むらの映像や不思議な少年と普通の少女など、
直接「リバーズ・エッジ」を想起させるシーンもあり、
絶対、この脚本、オカザキをふまえていると確信するどか。
なんというか、ドライやし、川が流れるのをほとりで眺めてる感じが。

にしても、テーマ自体がありきたりだし、
あまりにケレン味の無いドライな撮り方では、
映画として辛くないか?と振り返って思うのだけれど、
でも、これが成立しているんだなー、映画として。

(続く)


2003年06月14日(土) 岡崎京子について

1996年5月に新聞で彼女の事故を知ったときの、
あの鈍器のような衝撃はいまだに生々しい。
最初にどかの口をついて出てきた言葉は、

「そんなん、、反則やんか、、、」

だった、何が反則かというと、
彼女の作品世界を、そのまま作者が生きてしまったら、
まんま伝説に、いや、伝説を越えて神話になっちゃうじゃん。
と思ったのね、どかは。
そんなん、ひっくりかえった安い予定調和じゃないか。
そんなん、許さへんよ、ぜったい。

彼女の作品はそれほどに、強く、すさまじく、ドライで、
陰惨で、でも軽くて、救いを敢えて提示しないところが救いで、
リズムがあって、そんなのをひっくるめて魅力に溢れていた。
最近オカザキを知ったヒトに向かって、これだけは言いたい。
岡崎京子は、あの不幸な事故に遭う前から既に明らかに天才で、
心あるヒトは彼女を褒め称えていたことを。
安易な神格化は、したくないし、許せない。
事故になんか、遭わなかったら遭わないほうがいいに決まってる。
それを「夭折の天才漫画家」なんて安いコピーはつけるな。

だいいち。

岡崎サンは、しっかり生きてる。
このイマの空気を、しっかり吸ってる、頑張ってる。
勝手に殺すな。

作家・高橋源一郎が雑誌で言ってたことは、断じて正しい、曰く、
「日本漫画史上最高の天才の『新作』が3本も読めることの幸せさ」。
新作がカギカッコ付きなのはもちろん、
ここ二ヶ月ほどで出版された3つのオカザキ作品の単行本は、
事故に遭う直前までに彼女が描きあげていたものだから。
しかし、そのうちの2つ、
「ヘルタースケルター」と「うたかたの日々」はオカザキフリークの間では
伝説の長編であり、単行本化を望む声が事故直後から
日増しに高まり続けていた、半ばそれこそ神話と化していた作品なのだ。
連載当時のコピーがヤフオクなどでプレミアで取り引きされたり、
読んでいるヒトが少ないため噂が噂を呼んだこともそれに拍車をかけて。
どかは3ヶ月前に吉祥寺のパルコブックセンターで、
「来月、ヘルタースケルターついに刊行」の張り紙を見て腰を抜かしたもん。
信じられんかった、マジで。

岡崎京子の扱うテーマは、誤解を恐れずに言い切ってしまうが、
世界の虚無感に対抗する手段としての、
より深い自己の虚無感の覚醒、認識、深化である。

岡崎京子のマンガ家としての画力は、圧倒的である。
石原慎太郎が岡崎京子の最高傑作の誉れ高い「リバーズ・エッジ」を評して、
「絵がヘタクソである」って言ったらしいが、
自らの審美眼の無さをさらけだしていて哀れである。
「私は嫌いだ」って素直に言っておけばいいのに、
下手に批評家ぶってコメントするからこんな暴言を歴史に残すのだ
(ま、ちょっと違うけど「三国発言」もこのコンテクストで)。
でも、石原慎太郎に限らず、オカザキって絵、上手くないよね。
的発言が、この期におよんで後を絶たないイマの日本って、
なんだかんだ言ってサブカル世代、情けないなーって思う。
全然、見る目ないじゃんみたいな。

分かりやすく言うと、どかはルーベンスもミレーも苦手な画家である。
で、ミレーについては「絵も下手だし、個人的に嫌い」と言う。
でもルーベンスについては「絵は確かにめちゃ上手いけど、でも嫌い」。
さすがに不遜極まる私でも、ミレーの絵は下手だと言えても、
ルーベンスの絵が下手だとは言えないよ、あのデッサン力はやはり図抜けてる。
それと同じ意味で、岡崎京子のことを「嫌い」と言ってもかまわないけど、
「絵が下手だ」という言い方は著しく自らの評価を落とすから辞めた方がイイ。
ほんとやめときな、しんチャン?

「うたかたの日々」はおそらくオカザキ作品史上、
もっとも丁寧な作画が施された作品だ。
「ヘルタースケルター」はオカザキ作品史上屈指の、
ラフで荒いペン入れがされている作品だ。
でもどちらも天才の才能の小爆発が全てのコマで起きていることを、
これを読む全てのヒトに知ってもらいたい、な。
マンガは、まず、絵なんだから。

さて、それではまず「ヘルタースケルター」から、
感想文を書いていきたい。
とびとびになるだろうけれど・・・


2003年06月08日(日) G1安田記念

というわけで、どかは自分が出演している日でも(明日の日記参照)、
ちゃあんと馬券は買ってしまう、ホント辞めなきゃいいかげん・・・

もちろん、府中にてのこの春のマイル王決定戦、
発走時刻には、どかは赤坂で衣装着けてバテバテだったわけで、
リアルタイムでレースを見られていない。
だから、一応、買った馬券と、結果だけ。

どかは安藤勝己とビリーヴという組み合わせはもう、絶対信仰なので、
5番ビリーヴから馬単一着流しをとる。
結局ビリーヴは9番人気となり、オッズもオッズだと思ったから、
総流し風に、ダーっと以下へと細かく流した。

1・2・3・4・7・8・12・14・15・16・18

ダントツ一番人気は8番ローエングリン鞍上後藤。
二番人気は大外18番テレグノシス鞍上「ダービージョッキー」デムーロ。
いろいろ気になる馬はいるけれど、で、
最近は「勝つ」馬券を買うようにしてるんだけど、
でもやっぱり、ビリーヴとアンカツの組み合わせは、
栄光の高松宮記念の記憶と結びついて、
どかの中では、ドンピンの味わいだもの・・・

さて、結果。

一着はよみがえった異能の才、3番アグネスデジタルが勝利。
すごいなあ、海外含めG1レース、5つも勝ってきた馬が6つ目だもの。
やっぱり、レースはタイムで決まらないと、つとに思う。
馬には持ちタイム以外に、やっぱり「格」があるの。
そういうのを見せ付けられた日はやっぱり、爽快感があるなー。
二着は今春不調の武豊が意地を見せた16番アドマイヤマックス。
一番人気のローエングリンは三着、頑張ったけどねー、格の差だねー。
さて、愛しのビリーヴ号は12着に沈む。
やはり1,600mは長すぎたんだよなー、
秋の1,200mは勝ってくれることでしょう、きっと・・・


2003年06月06日(金) 藤本企画「魂込め」2

さて「まぶいぐみ」の役者サンたち。
何人か北区つかの役者サンが出ていたの。
代田サンと井上サンはやっぱり滑舌が厳しいなあ。
それぞれ「いい味」があって、
それがつか風の戯曲にマッチはするんだけど、
自分の「味」で勝負する前に役者として、
セリフをちゃんと客席に届けることはしないといけないと思う。

そういう意味では岩崎サン、さすがだったー。
岩崎サンのセリフが、この舞台をギゥーっと要所要所で引き締めていた。
というか、岩崎サンがいなかったら、
この舞台はちょっとキツかったんじゃないかと思うくらい。
華があるわけでは決して無いんだけど、堅実に、
カチッと心情を、苦しみを、妥協を(その役のね)、
切なく観客席に届けることをしてくれた。
イントネーションの幅が広くて自由に使えるんだよね、この人。

また、弘役の馬場サンも、なかなか良かった。
どかが見たこと無かったから、藤本企画の役者サンなのかな。
しっかり、目の前のヒトに向かってまっすぐセリフを、
自分の気持ちと感情をぶつけていたのが、地味だけど良い。
いつの間にか引き込まれる。
岩崎サンのようなテクニックは無いけれど、
その分朴訥な説得力があって、いつの間にかどかは引き込まれていた。
最初はあんまし上手くないなーって思ってたんだけど、
いつの間にか、ね。

さあ、そしてテイさん。
「熱海」の水野が「動」のイメージなら今回のウタのイメージは「静」だ。
水野の時ほど、胸にグーッと差し込まれるようなセリフの響き方は、
あんまし無かったかも知れない、なぜだろう?
とくに序盤のウタの姿というのは、印象が薄かった。
でも、あるシーンでどかは瞠目する。
岩崎サンと代田サン、そして馬場サンがそれぞれの背景をさらけだし、
そしてそれぞれをいたぶり痛めつけ、ギリギリまで罵倒しあう辛いシーン。
その三人の「対話」を端で静かに聞き続けるウタの姿だ。
それぞれのネガティブな思いがどんどん加速していって掛け合わされて、
ドーンっと絶望へと落ちていくその「対話」を、
ただ、じっと受け止めている。
ボヤーっと突っ立っているわけではない。
それぞれの悲しさと痛みをきちんと心におさめていくという決意。
シンパシーを試みる想像力を、決して絶やさず諦めず、
持ち続けていくという強さがあるからこそ、ジッとしていてなお、
客席に届く確かなリアリティだ。
端でテイさんがちゃんと踏ん張っているからこそ、
ぶつかり合う三人はどんどん、相手に踏み込んで行けて、物語も進むのだ。

このシーンに限らず、今回の舞台ではウタの「受け」の演技が、
冴え渡っていて、それはあまり目立たないかも知れないけど、
やっぱりどかにとってはいちばん一番、この舞台では説得力があった。
言葉も何も言えなくなる痛みに際しても、
目も何も見えなくなる悲しみに際しても、
耳をふさいで目をつぶしたくなる苦しみのなかでも、
まだ人間には、そこで踏ん張りつづけるという選択が残されている。
そんな辛い選択なんか諦めて、目を開いていても何も見ていない、
耳はあるけど何も聞いていない、そんな人間だらけな現在だけれど、
そして自分も、自分だけがなぜそんな辛い場所で頑張らなくてはならないのか、
自問自答して悲しくなって、目も耳もふさぎたくなることもあるけれど、
それでもウタの静かに立ちつくすあの姿に勇気づけられる。

どかとしては他人の気持ちをしっかり受け止めたあとで、
爆発するテイさんを見てみたかったけれど(熱海の水野みたいに?)、
でも、それでも、充分、今回の舞台は良かったなーと心底思う。

あ、あと「魂込め」で、テイさんとともにいちばん良いなーと思ったのは、
カーテンコールで見せた、出演陣による唐船ドーイ。
どかが大好きなエイサーの演目。
楽しそうで良かったなー、一緒に太鼓叩きたーいって思ったもん。
ってか神楽やってなかったらエイサーやってただろうな、私。
って思うくらい、沖縄料理は苦手だけど唐船ドーイは大好き。
うん、まあ、演劇で最後に踊りでもってハッピーエンドにするのは反則だけど、
でも、これだったら仕方ないなーって笑って許しちゃう。

許しちゃうな、なかなか楽しめた舞台だった。
女子高生に囲まれるのも、なかなか良いし(?)。


2003年06月05日(木) 藤本企画「魂込め」1

都内某所にての公演、ある方のご厚意で観に行ける運びに
(本当にありがとうございました、感謝いたします!)。
演出の藤本聡サンは、つかこうへいのお弟子サン筋にあたるヒト。
いままで気になっていたのだけれど機会が無くて。
今回とても楽しみにしてきたのは、何と言っても主演、金泰希サン!
いまだどかの中には余韻が残っている、水野役の熱演in「熱海」。
つか戯曲のヒロインはこのヒトしかいない。
どかをしてそこまで信じ込ませるあの演技をもう一度。

と、思っていたのだけど、やっぱりこれはつか戯曲ではないし、
別の泰希サンが見られるかも知れないと思いつつ、幕は上がる。

芥川賞作家の日取間俊の作品が原作。
「魂込め」、まぶいぐみ、と読む。
それは魂が抜け落ち、精気を失った身体に文字通り魂を戻す儀式のこと。
あるひとりの男の肉体から、魂が抜け落ちたそのときから、物語は始まる。
男の中には、アーマンと呼ばれるオオヤドカリが巣くい、
日に日に衰弱していく。
親代わりのひとりの女性・ウタが魂込めを始めるが、
まわりの人間の思惑はウタの誠意とはかけ離れたものであった。
しかし、それらの思惑は沖縄を巡る様々な事象が背景にあって・・・
と、いうのがストーリー。
沖縄の絶望と悲劇が、現実と生活が、ぐるぐるうずまきになって、
たくさんのヒトが傷つけて傷つけられて、という展開はまさに「つか」。

そうなのだ。
思っていたよりもとても「つか」っぽかったのだ。
そしてそれなりに深い悲しみや深い痛みがそこにある戯曲も、
役者の高いテンションや長ゼリが連発する演出も、
純粋につかこうへいの劇作を間近でつぶさに見ていたと思われる、
藤本サンだからこそできるコピーなのだろう。
でもねー、つか路線ではやっぱり、つかこうへいは越えられないよー。
まず、何よりも、悲しみも痛みも、
藤本企画では「それなり」という印象を持ってしまったどかだった。
もちろん、バカにしているわけではない。
普通、ちゃんとした悲しみや痛みを客席に届けることは、
とても難しいことで、それを十全にまっとうしようとしていた
役者たちはなかなか好感が持てたもの。

でもね、つかはそのさらにもう一段深い悲しみと、
もう一段高い志をわしづかみにするという不可能へ、挑むんだ。
この「もう一段」を求めることは普通は有り得ない展開、
でも、そこを妥協しないから、どかはつかがすごいんだと思うの。
沖縄の「辛さ」も「悲しみ」も「弱さ」も良く分かった。
それをそのまま、きちんと伝えることはできている。
でも、つかならその下に潜む、大いなる「悪」を、
高らかなるまぶしい「希望」を提示できていたんじゃないか。
そんな想像を止められない。
だから、藤本企画にはつかの模倣に留まるのではなく、
全く新しいスタイルをどかは求めていたのかも知れない。

それでも、どかがつかこうへいを知らなかったら、
この戯曲は充分すぎるくらい衝撃的だし、
良い出来だと絶賛していたかも知れないんだけど。

役者サンについては明日の日記で。


2003年06月04日(水) コンプリシテ「エレファント・バニッシュ」

マチネ観劇@世田谷パブリックシアター。
最初の一般発売では、うかうかしてて獲れなかったチケ、
追加で売り出された「ベンチシート」に滑り込んで、
前から二列目中央という位置にびっくし。
ロンドンの劇団・コンプリシテの演出家、
サイモン・マクバーニーが日本の役者で作る舞台、
原作は、彼の地でも人気の村上春樹の短編集「パン屋再襲撃」。

マクバーニーは野田秀樹が親交があって、
野田がことあるごとに褒めそやしてたから興味があった
「イギリスの伝統に反した、フィジカルな作劇」。

そしてもちろん、村上春樹作品の舞台化ということも、
村上春樹ファン(マニアではないのよ)のどかとしては気になる。

でも、今回、観に行くことを決断した最も大きいポイントは、
主演の二人の役者である:吹越満!高泉淳子!
どかの中で至高のランクに位置される二人が同時に見られるんだから、
その他演出ストーリーがどうであろうが、観に行ったことでしょう。

さて、その短編集からチョイスされた作品は、
「象の消滅」と「パン屋再襲撃」、
「タイトル不明(眠れなくなる女性のはなし)」だった。
<文学>というのはある意味無敵な表現手段であり、
時間、空間、その他全ての障壁を行間で飛び越えることができる。
それを時間、空間、その他全ての障壁にとらわれまくる
<演劇>というメディアで再表出を目指すのだからのっけから大変。
な、はずなのだが、マクバーニーはその大仕事を楽しんでしまう。

無数に浮かぶ蛍光灯や、可動式の小さな複数のモニター。
必要最小限の小道具や、役者をつり込むワイヤー。
そんななんやかやが黒い素舞台にボゥっと浮かぶ。
技術に溺れるのではなくとまどうのではなく、
それを手の内にいれて出し入れすることの効果を楽しむ余裕、
言い意味での演出家の余裕が感じられる。
その「アーティフィシャル」な空間のまにまに、
役者がするりと顕れて、ふぅっと消えて、物語は進んでいく。
<文学>における行間にあたるものを上手に生み出して、
それはまるで魔法みたい、ちゃんと、村上春樹してるんだ、びっくし。

  <演劇>が<文学>に負けてたまるか

というマクバーニーの挑戦というか気概というか、
そんなのをどかは感じてみたりして。
つかが役者の汗とシャウトでものがたりを進めるとして、
野田が役者の言葉遊びとスピードでものがたりを進めるとして、
マクバーニーは役者や小道具が全て連関しあう空間ごと、
ものがたりを包摂していく感じ。
そうして、この舞台で<演劇>は、
<文学>に対して互角以上のリアリティを生み出して見せた。

例えば、どかが前に見た宮沢章夫の「TOKYO BODY」も、
映像を駆使して、凝ったステージングを志向し、物語を解体して、
「現在のリアリティ」へ形而上的に挑んだ意欲作だった。
そして、この宮沢サンの「現在のリアリティ」への挑み方が、
マクバーニーのそれに近かったんじゃないかと思ったりした。
結果は、マクバーニーの圧勝、
それはものがたりを捨てたものと拾ったものの違い以上の違いがあった。
村上春樹の作品に潜む、現代のリアリティを、
21世紀の役者の身体を使ってもういちどあらいだせたという成功は、
日本人ではなく、イギリス人という立場だからこそできたのだろうか。

ま、ここから先へ進むと村上春樹の原作への批評が混じってくるから、
一歩引いてしまうのだけれど、
そしてどかはこの短編集を読んでなかったし(だからマニアじゃない)、
けれどもマクバーニーやそして現在のイギリスにおいて、
村上春樹が高く評価されるのは良く分かる気がする。
「統一性」という概念と「不条理」という概念は、
それが喜劇的であるのとどうじに悲劇的であるという意味合いで、
21世紀になってもまだ、有効なのだなあと、カーテンコールしながら思う。

でも、よくよく舞台を振り返ってみると、
やっぱり、これは吹越サンがいないと成り立たない舞台だわ。
吹越サンは「ソロアクト」や「ニンゲン御破算」の時みたいに、
その不条理な身体を爆発させてはいなかった。
けれども、その普通な身のこなしの中に、絶妙なテンションを感じさせて、
やはりたぐいまれなる得難い舞台役者だった、相変わらず、すごい。
舞台装置の作り方は有り得ないほど洗練されてるから、
ふっと見逃してしまいそうになるのだけれど、でもひそかに、
でもちゃんと、この舞台の説得力はひとえに吹越サンの身体に拠っていた。
抑えた演技とは単にテンションを落としたそれだと
誤解している役者は、生の舞台では通用しないよねー。

高泉サンは遊◎機械ラストショウの「Club of ALICE」以来。
すっごーい、楽しみにしていたのだけれど、うーん。
吹越サンと違って演出と自分との距離感を捉えることでいっぱいみたい。
あんまし余裕が感じられないかなあ。
持ち味の軽快さが、舞台装置のまにまに絡め取られてる感じ。
それでも他の役者と比べると段違いなんだけど。

堺雅人サンは初見だけど、本当にさわやかクンだねー、ハンサム。
どかが女の子だったら、絶対、こんなタイプにだまされそう。
健闘してたなー。

宮本裕子サン、カワイかったあ、らぶ、まあまあ健闘。

全体的に良かったし余韻も沁み渡るいい舞台。
でも、どかは吹越サンと高泉サンをもっと解放した舞台が観たいなって。


2003年06月01日(日) G1日本ダービー(東京優駿)

  140,000という数字のリアリティとは。
  抽象的な価値ではなく、具体的なリアリティとは。


競馬に関わるヒト全てがいちばん大切に思い、
夢見て焦がれるレース、ダービー。
去年はそう聞いても「そうなん?」と思ってたけど、
一年間、通してシーンを見てきたいまは自然に納得がいく。
やっぱり、春天よりもジャパンカップよりも、
そしてグランプリ・有馬よりも、ダービーなんだ。

台風4号の上陸に伴い前日は強い雨がターフに降り注ぎ、
大一番の馬場状態は、ちょっと残念なことに「重」。
でも昨日から比べるとずいぶん良くなったみたい。

パドックに行く。
今まで見たこともないような人だかり、
馬体自体が、もう見えない。
予想と予感の気配に押しつぶされそう。
異様なテンション、雑踏との距離感が上手くとれない。
軽い耳鳴りが止まないなか、偶然空いたベンチに座って、
印を入れた「勝馬」の最終チェック・・・迷う。
すんごい、迷ったー・・・あげく、決定。
軸は1番人気、13番ネオユニヴァースだ。
あの伝説の皐月賞、サクラプレジデントとのタイマンたたき合い、
結果、首差の決着だったけど、でもその「首一つの差」こそ、
パンドラの箱だ、開けては成らない狂気の領域。
イタリアの若き天才、鞍上デムーロも信頼できる。
単勝で勝負することも考えたけど・・・相手を探すことにする、で。


馬単一着流し 13・ネオユニヴァース(全知全能) →
1・サクラプレジデント(2番人気・皐月賞の因縁・絶対性能)
5・エイシンチャンプ(5番人気・二歳馬チャンピオン・しぶとさ)
16・サイレントディール(4番人気・鞍上武豊・追い切りの良さ)
18・ザッツザプレンティ(7番人気・鞍上安藤勝己・重馬場得意)

三連複 13番を軸に上記4つを組み合わせて


こんなで、ポイントは3番人気の3・ゼンノロブロイを外したこと。
ロブロイは鞍上ヨコノリでそれは魅力だったんだけど、
藤沢和厩舎というのが引っかかる、なんか、ヤで。

さて、発走前、新スタンドの四階まで上がって、観戦体勢を整えて。
この日、府中の東京競馬場に集まった観衆は、13万9000人。
その14万人ものヒトが、一斉に歓声を上げて、
自分に出来る限りの祝福を捧げる場。
それが日本ダービー。
もう、ファンファーレがかき消されるくらいの大歓声、
東京ドームはもとより、阪神甲子園球場の「六甲おろし」も、
これにはかなわない。
かなわないのは、大歓声やざわめきのデシベルなんかではもちろんなく、
空間に満ち満ちる福音の濃度においてだ。
半泣きで「あー」とか「うー」とか意味不明な発声でうめくどか、
発走前にもはやテンションは振り切れてしまった。
140,000という数字のリアリティを、頭よりも先に身体で体感するどか。

そして、発走!
2,400mのスタミナ戦。
ホームストレートの坂を上がって、そこからさらに、一周。



↑再びこのゴール版の前に帰ってきた瞬間が偉大な歴史の1ページ


第4コーナーを立ち上がって、
逃げ馬エースインザレースを追いかける、ゼンノロブロイ。
そして直線半ば、ネオユニヴァースの神々しい末脚が炸裂する。
先にスパートしたザッツザプレンティを易々と捉えて、
エースを抜き去り、ロブロイをも捉え、駆け抜ける!
府中の杜が、沸騰する、記憶が、飛ぶ。

結局、2着にどかが敢えて外したゼンノロブロイが来たため、
3着、4着がどかが流したサイレントとザッツだったけれど、
ダメはダメ、はずれははずれ。
でもねー、武サンもアンカツもすごい頑張ったよ。
馬の絶対能力から言えば、3着4着はもう100%の出来だ。
特にザッツは、皐月賞8着の惨敗から見事にここまで持ち直したよなあ。
ロブロイも、ヨコノリは100%の騎乗だった、でもネオには勝てない。

ネオユニヴァースの凄さは、
切れ味鋭い末脚が持続することにあると言われる。
でも違うよね、どろまみれの馬の顔に、それは違うと書いてある。
本当の凄さは、道悪を全く意に介さないタフネスと、
馬群の中に割って入ることも恐れない勇気だ。
すげー、かっこいい、強いよー、うん、強いー。

どかは「力」を信仰する。
絶対的な「力」を信仰する。
中途半端な「力」は一番嫌い。
石原慎太郎とか小泉純一郎とかジョージブッシュとか、
ああいう中途半端なくせに「力」を執行する輩は一番嫌悪する。
絶対的な「力」は、そんなチャチなもんじゃなくて、
例えば牡馬二冠のネオユニヴァースのあのスパートだ。
例えば牝馬二冠のスティルインラブのあの伸びだ。
この二頭、三冠を達成する可能性はかなり高いと思う。
牡馬牝馬が同時に三冠を獲った年っていままであるのだろうか。

もしかしたら、いま、どかはすごい歴史に立ち会っているのかも知れない。


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