un capodoglio d'avorio
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2002年07月31日(水) 野島伸司「この世の果て」1

1993年の初夏、まさに一世を風靡したドラマが放送される。
平均視聴率は28.4%、そして・・・
瞬間最高視聴率37.8%!
この数字は現在に至るまで未だ破られていない数字だ。
「ひとつ屋根の下」、このドラマで野島伸司は天下を獲った。
世間は彼の次に放つ物語に注視する、そしてそれは意外なベクトルをつけられたものだった。

1994年1月〜3月にかけて世に問われたのが「この世の果て」。
前作と同じフジ系での放送で、世間はこぞってこのドラマについていくと思われた、が。
平均視聴率は22.9%、今の水準から言えばとんでもなくいい数字だが
(現在ドラマはそこまで数字がのびない)、
なにせ天下を獲った作家、並の作家ではないのだ、野島は。
なのにいきなり、この6ポイント近くのダウンは、当時の状況を鑑みて普通じゃない。
理由は簡単、シンプルやな。
あまりにも暗くて悲惨だからだ、特に第五話以降・・・。

「野島伸司、嫌い」というひとは割とよくいる。
その気持ちはとてもよくわかる。
たぶんでも、彼/彼女が嫌悪するところは、どかが好きなところとそれほどずれてはこない。

どかはでも、好き。

キャストが、実は凄い、凄すぎ。
主演の二人が三上博史と鈴木保奈美(そもそもこの二人からして好き嫌いが分かれる)!
準主演の二人が桜井幸子と豊川悦司(でもたぶんこの二人はみんな好き)!
桜井幸子は野島職人だから、もう、本当に生き生きとプロットの中を泳いでいる、安心感。
鈴木保奈美も「東京ラブストーリー」以来の当たり役だとどかは思う、
このくらい濃いプロットでないときっとこの人はバランスがとれない。
そしてトヨエツ。
トヨエツは絶対、主役よりも少し脇に下がった方がカッコいい、というのがどかの持論。
どセンターでピンを背負うには少し薄いんだと思う、顔ではなく演技が。
でも脇についたときはもう、格好良くて格好良くて、きぅ。
そして三上!
もう、言うことなし。
野島の圧倒的なセリフとプロットの強さに負けない力でブラウン管の中で踏ん張れるひと。
他の役者(例えばジャニーズ)が、
脚本の強さからオフセットして細かい表情や小手先のごまかしに逃げるところ、
彼は真っ向からそのドラマに対峙していく。
だから「野島伸司的大展開を見せて奈落にロープなしバンジーを決め込んだら、
あらあら底はハリ剣山ぐっさり上から隕石どっかん」な第五話以降も(ひどい例えだ)、
視聴者は一緒に落ちていくことが出来たのだ。
三上博史という役者個人の演技が信頼できたからだ。

<続く>


2002年07月30日(火) 「国際」と「北極星」

きょう某カード会社の国際セクションは朝から人事異動で揺れていた。
どかが前の部署にいたときからよくお世話になっていた(お世話していた?)先輩を含む
数名の社員が海外勤務を命じられていた。
どかのよく知ってるその二人は香港と韓国の拠点にそれぞれ転勤するらしい、ふーん。
二人ともどかの二つ上だから、どかも、あと二年か・・・
なーんて、そんな気は毛頭ないのに、シリアスぶってみたり・・・
する暇も無いのが今のどかがいる送金セクションだったりする、
火曜日は一週間で一番忙しい日、たくさん叱られて、少しも褒められず今日も終了、はー。
でもそうやんなーやっぱ。
前のオーソリセンターからはいくら異動つったって、いきなし海外はなかったもんな。
自分がいま「国際」にいるんだと実感する。

そんな「壮大な」スケールの職場から帰ってきて、徒歩五分の銭湯へポチポチ歩く。
\400の入浴料で果てしなく気持ちよくなった後は、
その隣のコインランドリーで乾燥機がゴウゴウいいながら回るのをポケラっと眺める。
汗を流して気持ちよくなった身体と汚れを流して気持ちよくなった衣類をつれて帰る途中、
エビスビールを買ってかえって部屋で「きゅ」。

最高、言うことなし。

「壮大」なんてたった今、この時には全然いらへん、なんて思う。
この超ローカルな手に届く幸せをかみしめることが、
今自分にできる精一杯だし、それで自分を少しずつ次の場所に連れて行ければ、それで。
大切なのは、自分の舳先をあやまたず目的地に向けること、
そのために「北極星」を見失わないこと。

その「幸せな」一日の締めとして、昨日借りてきたドラマの続きを観る。
これは、どかが今まで観たドラマの中でベスト・オブ・ベストな作品。
通して見始めるのは二回目かな。
前に見たのは確か1997年の8月。
それから6年経って未だに自分の真ん中に入ってくるか、確かめてみたい。
こんなところにも「北極星」はあるんちゃうんかなあ。
・・・三上博史、大好き!
今やってる「陰陽師」はあまりに可哀想。
彼はきっと舞台の上がブラウン管の中よか、きっと映えるんだと思う。
というわけで「どかレビューシリーズ」次回はこれです。

<野島伸司「この世の果て」>


2002年07月29日(月) 豪華賞品

「心理療法個人授業(河合隼雄・南伸坊共著)」読了。
イマイチ面白くなかった。
南伸坊の描く漫画は可愛らしくて滋味溢れてて好きだけれど、
聞き手としてはイマイチくんだった。
それでもさすがに河合先生なので、
ピカピカ光る箇所がいくつかあったのは楽しかった。
でも、河合先生は自らの著書にもたくさん面白いのがあるし
(例えば「イメージの心理学」「物語とふしぎ」とか)、
共著、対談形式にしろ優れた物はほかにある
(吉本ばななとの対談「なるほどの対話」とか、そのまんまの
 「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」とか)。
河合先生はやくざみたいな顔と子どもみたいな顔、
二つ持ってるという洞察は、南氏も鋭いなと思ったけど。
よし、次は小説を読もう。

昼休み、これを読み終えてふーっとコーヒー飲みながらぼけぼけする。
チャリの名前がまだ決まらない。
先日、二つほど応募があった。
「オパールちゃん」と「RC211V」。
両方、長野の山奥からの応募だった、全く・・・
でも、今のところ、この二つしか出ていないし、
ほかに応募がなかったら、この二つからしか選べないし、
みんな、ほら、応募しよう、ほらほら。

当選商品は、うーん、よし、日記一日分、スペースあげる。
匿名あり・内容自由・削除なしで掲載するよ、だから、みんな応募しよう!


2002年07月28日(日) 夏休みの取り方

レッチリのニューアルバム、凄すぎ。
ハイロウズの新譜がなかなか出えへんし、ライブもあんま行かれんくて、
いろいろスランプやし仕事つまらんし(あ)、とフラストレーション溜まりっぱなしやったのが、
一瞬、溜飲が下がった、それくらいかっこいい。
やっぱしロックだ、ロック!

・・・

最近、夏休み、取り方間違えたかもとよく思う。
すでにひと月前に取ってしまったそれをどかは
「合宿」プラス「転居」に充てたのだった、それはそれで満足なんやけどぉ。
でもでも!
「FRF(フジロックフェスティバル)」プラス「例大祭」という組み合わせも捨てがたかったあ。

今年のFRFはメンツが凄い、凄すぎる。
なんとハイロウズ、二度目の出陣!
さらにさらに、レッチリが来るのだ、苗場に!
ああああああ、行きたーい。
去年はオアシスが来て大盛り上がりだったらしいけど、オアシスなんてスカプウのプウくらい、
今年は凄いんちゃうかな、ああ、レッチリにヒロト。
魅力的すぎる。

というか、ヒロトに会いたい。
もう殆ど禁断症状が出てるよ、日記でもつけたけど、一月末の八王子が最後だもんな。
去年なんか年に五回くらいライブ行ったりもしてウハウハだったのに、
今年はもう半年も「ヒロト断ち」してるよ、私ってば。

早池峯神社の例大祭も行きたいっ。
「合宿」よりもむしろ、行きたい感じ。
あの宵宮の日、夕方頃、宿でうとうと昼寝してたら森の向こうから

  ダダンダダン、ツツ、ツツ、ダダンダダン・・・

と、神楽拍子がぼわーっと聞こえてきて、参道をポチポチ登って音に近づいていく感じ。
または本宮の日、岳神楽のすべての演目が終了してテンションが一気に下がっていく弛緩、
「祭りの後」にポケポケ参道を降りて行くときの充足感。
やっぱし祭りだ、祭り!

どかからこの二つを奪った罪は果てしなく深いぞ、会社よ。
ぜっっっったい、忘れてやらへんもんね、絶対だ。


2002年07月27日(土) チャリのスピード

チャリ屋さんが開店するのを待って、昨日手に入れた愛車(名前未定)を修理に出す。
ついでに防犯登録の名義変更の手続きについて質問。
急いで三鷹駅前からバスに乗りガッコに向かう、ちこくちこく。

ガッコに着いてみたら、さんさの円がジムいっぱいに大きくてびっくりした。
おお、夏休みなのにこんな大勢、どないしたんや、みんな。
どらが太鼓を叩いている、やっぱりウマいなあヤツは。
身体の調子は絶不調で、腰の踏ん張りも聞かないし膝もぎくしゃく、スタミナもあんまし。
全部クーラーだ、クーラー。
先週土曜日も辞めようっておもてたのになーと、後悔しつつ八幡を精一杯ちゃんと踊った。

師匠夫妻が帰国、一ヶ月チョイぶりに顔を合わせる。
よーこセンセに「よく留守を守ってくれたね、さすがどかぽん、ありがとう」と褒められる。
褒められるほどのことは何もしてないんやけどな、とガラにもなく照れてしまう。
自分自身がスランプの泥沼に苦しんでいても、何かしらを評価してもらえるということは、
幸せなことだなあと、思う。
やっぱりもがき苦しむこと自体には全く意味がないとしても、
その時間が裏打ちされる可能性はまったく皆無ではないのだ。

洗車に使うスポンジのように水浸しな感じなまで汗をかいて練習終了、また痩せたか・・・
その後すぐ駅前に戻ってチャリを請け出す。
おお、乗って走るではないかあ。
普通に走れるチャリがこれほど有り難いとは。
と感慨にふけりつつ下連雀から大沢を目指す。
学生時代からチャリで走り回っていた地域、まる3年ぶりにまたペダルをこぐ。
なっつかしー・・・
一気にいろんな思いでが噴出してきて危うく溺れそうやった。
歩くんじゃなくて、マーチ君で走るんじゃなくて、このチャリのスピードで走らないと、
よみがえらない思い出というものがあるんかな。
確かに学生時代は一日たりともチャリに乗らない日は無かった気がするし・・・

ところでネコバス氏にもサファイアにも「どかにはチャリは似合わないですね」と言われる。
なんでやねんと聞くと二人とも
「えだって、何でおれが汗かかなあかんねんフッ、って感じじゃないですかあ」
って、全く別の友人からほとんど同じ表現をされてへこむ。
こぉんなにさわやかなスポォツマンなのにぃ。

と、言うわけで愛車の名前を募集することにする。


2002年07月26日(金) BICYCLE RACE

 「チャリが欲しい」

と、思った、どかはある日、そう思った。
思い立ったが吉日、チャリゲットオペレーションを発動した。
まず、オーソリで同期だった友人、かまぽんに連絡を取る。

 「ねえ、もすこしで今の家、引き払うんやろ?
  チャリ、私に売らへん?」

 「おお、いいけど、今あのチャリ、パンクしてボロボロだぞ?」

 「ええよ別に、なおして乗るし、全然。
  一旦見に行ってもええかな?」

というわけで今日会社上がって帰宅し、コインランドリーに行って洗濯だけ済まし、
かまぽん家に向かう、途中でネコバス氏と合流。
着いてブツを見せてもらうが、予想以上に廃れ方が酷い。
カゴにはビニール傘が10本以上かかっており、埃まみれな感じ、要するに、

  無かったことにされた物(by「哀しい予感」吉本ばなな)

だった、まさに。
でも色は白で(磨けばきっと)かわいいし、変速ついてて速そうだし、
フレームは一応ってかちゃんと「GIANT」だし、引き取りたく思います、ハイ。
というわけで、井の頭公園の南あたりにある奴の家から、
三鷹駅前の私ん家までパンクしたチャリをごとごと、押して帰った。
気づけば日付が変わりそう。
明日の朝、練習行く前に修理に出していこっと。

さしあたりネコバス氏と中華のファミレスに入り遅い遅い夕食。
そうやん、晩ご飯食べてへんかったやん、まだ。
ビールうまかったー。

以上、オペレーション1st.フェーズ終了。
BGMはクイーンの名曲「BICYCLE RACE」、だった。


2002年07月25日(木) キャッチアンドリリース

きょうも職場はハードだった。
比較的舞い込んでくるデータ量がさほど多くなかったため、
"ISSUER INVOICE"なども、そりゃあ大変やったけれど、致命的なミス無くこなす・・・
でもこなしたらこなしたで、

  どかくん、なんだか暇そうね、みんな大変なんだから手伝ってよ

と、言われのない責め苦にあう。
苦渋の表情を浮かべないと、他人の辛さを推し量ってくれないのか、横の席にいるのに。
って、それは甘えか、でもなー、いいやそれは。

会社を上がって「チーズフォンデュ大会」に合流。
参加者はどら・ハルコン・サファイア・惣一郎、そして私。
名目は「サファイア卒業おめでとーの夕べ」らしい。
軽く飲みながら、気のおけない連中とわいわいやりながらぐでー。
ハルコンのニューマキシシングル、今日発売だったらしい。
みんな、ディスクユニオンへ急げ、平積みになってるんやって!
あとはサファイア嬢の卒論研究で被験者として参加した心理実験の内容で盛り上がった。
なんだか話を聞くとどかのデータは使えないから削除されたらしい、ちぇ。
サファイアに叱られながら参加したのになー。
でも、私も実験に際してのグループ分けのクイズで、クレーとカンディンスキー、
見当違いが一点あったらしいから情けない、ってか、恥ずかしー・・・
美術史専攻やったらパーフェクトが当たり前やのにな、確かに微妙な選択が混じってたけど。
次は負けんで、サファイア(ってか勝利者はどこにもおらん)。
帰り、そうとう疲れてたけど、行って良かったな。
落ち着くんやろなーと思って向かったけど、やっぱり落ち着いた。

気のおけない友人とのさわやかな一時っていうのはとてもはかなくて、
それを意識したとたん、どこかに飛んでいってしまいそう。
全く当たり前のように自然に訪れたこういう幸運を、
ごく当たり前のように享受しつつ、何気ない顔をしてやり過ごしつつ、
でも、ココロの奥の方でそっと感謝して、明日はまた別の明日。
力を抜いて、サバイブして、ふっとやってくる幸せにすがりつくのではなく、
釣りのようにキャッチアンドリリース、でもキャッチのときに幸せを自覚して、
リリースの時にお礼を言う。

余計な力は使わず、ほわほわ、ふうふう、へけへけ。
なんか、そんな感じで。
ともあれ、卒業おめでとう、サファイアさん。
一山超えたって感じやね。


2002年07月24日(水) Rd.9 GERMANY/Sachsenring

「ホンダ、だいっきらい」くらいの勢いの論陣を張っていたが、少し優しくしようと思う。
いいニュースを聞いたから。
天才「加藤大治郎」ついに最強マシンRC211Vゲット!
次のレースより大チャンはロッシと同じ待遇を受けることになる・・・
と、手放しで喜んでいいのかなー。
怪我で戦線離脱のカピくんはともかくもここんとこ数レース大活躍のバロスではなく、
なぜに大チャンなんだろう、日本人贔屓(たたかれそー、向こうのプレスに)?

7/21開催、ドイツのGP、なぜにザクセンリンクを使うんだろう、嫌い、ここ。
ドイツにはホッケンハイムリンクっていう素晴らしいサーキットがあるのにー。
しかしながらタイトでコーナーが連続するツイスティなザクセンは、
アッセンと並んで2ストがもっとも4ストに肉薄できる可能性のあるコース。
ガンバレ、原田・加藤・中野・阿部!
そしてガンバルナ、宇川よ(怪我上がりだけど、ごめんな)。

そして、2スト勢は今までの鬱憤を晴らすように、スパークした!
残念ながら引っ張ったのは予選2位の中野「王子」真矢ではなく
彼のチームメイトであり仇敵のオリビエ・ジャック。
彼とバロスの2ストマシンがレースを引っ張るっ、ロッシは出遅れた、面白い、最高の展開!
久々にエキサイティングなレースだー。
阿部、加藤、中野は食らいついて行けてるっ、ドイツの観客もちゃんと盛り上がってるっ。
しかーし、大チャンに悲劇。
スズキワークスのアホに巻き込まれてクラッシュ、
なんかスズキのうざいマシンの下敷きになってた・・・
大丈夫かな、大チャンンン、せっかく次からニューマシンに乗れてこれからって時なのに。
もしこれで加藤が不振に陥ったら、スズキ、許すまじ。

依然2ストコンビは飛ばす、ロッシが本気になった。
本気になってコースレコードを更新しながら追いつめるが、
2ストコンビもレコード級のラップタイムで逃げる。
一瞬、ロッシが前に出るが、珍しくコーナーのツッコミでミス!
あっという間にジャック、バロスが脇をすり抜けていく・・・
ああ、しかししかし。
テール・トゥ・ノーズで全力で逃げていた二人は、バロスがフロントから滑ってしまい、
ジャックも巻き込まれてしまいクラッシュ。
気づいてみればいつも通りの顔ぶれ、だけど久しぶりに本気の本気、必死のロッシを観た。
パンドラの箱を、開けてしまったんだろうな、
仮に二人のクラッシュが無くても1位は変わらなかったとどかは思うな。

Moto-GP Rd.9 GERMANY/Sachsenring
1位:ヴァレンティーノ・ロッシ HONDA
2位:マックス・ビアッジ YAMAHA
3位:宇川 徹 HONDA


2002年07月23日(火) Rd.8 GREAT BRITAIN/Donington

7/14に開催されたBRITISH GRANPRIX、会場はどかが6年前に訪れたドニントンパーク。
前回のファンドレンテ、そしてオーストラリアのフィリップアイランドとこのドニントンが、
世界最良のサーキット、ベスト3だ・・・とどかは勝手に考えている。
ポイントは四輪F1のコースと二輪GPのコースは重なることもままあるが、
F1にとっていいコースと、GPのそれはかなり異なると言うことだ。
上記に挙げた三つのコースは、シーズンを通して二輪のみ、
もしくは二輪中心にレーススケジュールを組んでおり、
レース場が金儲けに走るのならF1をはじめ、四輪をガンガン走らせれば良いのにそれをしてないことが、
二輪GPのためのいい環境を今によく維持しているといえる、
まあ、もちろんそのレイアウトが一番大きな要素だが。

ドニントンパークは、前半の高速セクションが特徴的、ここではライダーの技量がもろにでる。
そして前回のアッセン同様、2ストライダーにもチャンスがあるとすれば、このセクションだ。
下りながらの高速カーブが続く前半はリズムと勘がものを言う。
決してマシン任せな乗り方をしていたのではタイムが出ないところだ(後半は出るんだけど)。

5連勝中現在6勝のヴァレンティーノ・ロッシは125ccでも250ccでもここで勝っている
(やはり彼は技量の面でもスキが無い・・・)。
しかしながらっ。
なんと原田哲也様がついについに三番グリッドをゲット、決勝レースは期待期待!
といきたいところなんだけどな、無理かな、やっぱり。
2ストは軽いマシン、ハナから燃料をあんましつまないでやる一発勝負な予選は、
相対的に比べると決勝レースよか有利なんよな、2ストに。
そしてその懸念はレース開始三分で裏付けられる、有り難くなーい。
チェカが突っ走る、ロッシが追う、ビアッジがすがる、という展開。
ああ、原田様は10位以下まで落ちてゆく。

・・・

思い出すな、6年前、ビアッジと原田が250ccで熾烈なタイトル争いを繰り広げてた頃。
速いのはアプリリアのビアッジだけど、ドッグファイトになれば負けない原田が格好良かった。
6年前のドニントンではビアッジが勝った、んだと思う。
でも初めてのヨーロッパで、初めてのGPに一人で行ったどかはもう舞い上がってたな。
確かサマーコースのロンドンへの泊まり旅行を途中で無理言って切り上げて一人、
電車でドニントンに向かったんよ、怖かったー。
めちゃくちゃ暑い日で、途中でサングラス勝って、Tシャツから出てる腕がジリジリ焼けてくのが聞こえた。
チケットはやたら高価かった、でも、夢に見たGPに触れた時の感動は、
それまでの不安も手伝って、否が応でも高まっていった。
帰りはえげつない渋滞で、バスもこず、タクシーもつかまえられず、
日が暮れゆく道ばたでその車の列を呆然と眺めていたどかに、

  日本人の方ですか?

と車の中から声をかけてくれた日本人の夫婦。
最寄りの駅まで送ってくれて涙が出るほどうれしかった。
やっぱり自分で何かを選んで、頑張ってサバイブして、そして何かを掴むことは、
普通にすばらしいこと。

・・・と昔話に終始してしまうくらい、ロッシは盤石。
退屈だろーな彼、辞めるって言いそう。
もし、そうなったら、どかは、ホンダを許さない。

Moto-GP Rd.8 GREAT BRITAIN/Donington Park
1位:ヴァレンティーノ・ロッシ HONDA
2位:マックス・ビアッジ YAMAHA
3位:アレッサンドロ・バロス HONDA


2002年07月22日(月) 蜷川幸雄「オイディプス王」2

もう一つの理由は、悲劇とうもの自体が私にあっていないのかなと思いました。
オイディプスが一つ一つの事実で追い詰められていくのは、やはり息が詰まります。
全編を通じて流れる重い雰囲気に耐えられないと思いました。
これは、私自身の問題なので、作品には関係ないのでしょうが・・・

結局この舞台の最大の失敗は演出です、非現実的な空間を冷めた目線で見てしまうのです。
東儀さん、万斎さんがもっている雰囲気は現代劇、そしてギリシア悲劇の場では異質な存在です。
だからこそ、舞台上ではその異質な存在が非現実の空間を創るのであると期待していました。
また、私が感動した蜷川作品は、シェークスピアと中国の京劇の融和がなされたものでした。
この作品では、一つ一つの要素が素晴らしいだけ、全体が宙ぶらりんでした。
普通の現代劇の役者以上に、万斎さんは彼自身の雰囲気を持っています。
その魅力が引き出されていないので、彼を使う意味がなくなっていたように思います。
その異質さだけが際立って舞台に入り込めませんでした。

日本代表がトルコに負け、サポータがたまってる渋谷を歩く帰り道、悲しくなってきました。
大好きな蜷川、万斎さん、東儀さん合作の舞台を見て、感動しない自分が悲しかったのです。
田舎の高校で演劇をやっていた時代、東京の演劇に憧れ本やビデオで最新の演劇情報を集めていました。
時代遅れの脚本に固執する高校演劇が嫌で新しい演劇をやってみたいと思っていました。
大学に入り、野田秀樹をはじめとする派手な演出の舞台に魅了されました。
評論なんてせず、ただひたすらうっとりしていました。
そんな、わくわく感を自分はなくしてしまい、
プチ評論家になりさがってしまったのかと愕然としました。

しかし、いつまでも同じ自分であり続けるということは不可能です、そしてやはり私は舞台が好きです。
いい役者、演出家、音楽家の舞台だからと言って、
それだけで感動することが出来なくなった自分とこれから付き合っていかなければなりません。
どかさんからのお話に乗ってこの感想文を書こうと思った動機もそこにあります。
自分が今からどんな風に舞台を楽しみたいのか、それを探るために面白くなかった原因を書きました。
そしてその答えはまだでそうにありません。
でもきっとこのままの宙ぶらりんの気持ちでこれからも舞台を見に行くことでしょう。
こんなつれづれな感想を書くきっかけを与えてくれたドカさんに感謝します。
長くなってしまってごめんなさい。
最後まで読んでくれた人、お付き合いいただきありがとうございました。

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1 この日記帳システム上、一日のページに載せられる字数に制限があるため、
 二日に渡って掲載しました。
2 上記制限により、句点を数カ所変更しましたが、それ以外は全く校正・変更はしていません。
3 とてもいい劇評だと思いました、感服です(どか)。


2002年07月21日(日) 蜷川幸雄「オイディプス王」1

まずはじめに私の自己紹介をします、私はどかさんが所属している民族舞踊団体の後輩です。
今回「オイディプス」の感想をどかさんに話したところ
「それを文章にしたらHPにのっけてあげるよ」
という言葉をいただいたので、自分の感想を文章化するという初めての経験をやってみることにしました。

私は演劇も狂言も、詳しくもなければこだわりをもって鑑賞することもありません。
高校時代に演劇部で、大学生になってからは有名どころの芝居を見ることだけが私の舞台経験です。
そんな私はかなりミーハーなものの見方をします、つまり、かっこいい役者、美しい舞台、荘厳な音楽・・・、
そんな単純なことに感動する性質ですので、その芝居にいくら崇高な思想や主張が流れていても、
ミーハー的要素が流れていなければ面白いと感じることが出来ません。
ですから、これから述べる感想も、ミーハー女が観るとこんな感想になるのかと流してください。

さて、この舞台はギリシア悲劇の名作を蜷川という私の好きな現代劇の大御所が演出し、
狂言界のプリンス野村万斎が主演、そして雅楽のプリンス東儀秀樹が音楽と言う豪華で、
私のミーハー心を満足させる布陣でした、だから、当日券に張り切って並びました。

なのに・・舞台が始まったとたん???・・・でした。
最初にテーバイを襲う不幸に民が嘆き悲しむシーンで始まるのですが、
坊主頭の役者10人ほどが「ウォー」と叫びながらなんども床に体を投げ出しています。
その様子に全然私自身が感情移入できないのです。
私は大げさで、非現実的演出は嫌いではありません。
というか、演出は派手なほうが好きであったりします。
しかし、この舞台を眺める自分の冷ややかな眼差しに自分で驚きました。
「でも!まだ万斎さん出てないし、東儀さんの音楽もこれからよ!」
と自分に言い聞かせて舞台を見つめました。
そして万斎さん登場!なのに私の心ははずみません。。。
たしかにかっこいい、声もいい、王様としての威厳もある。
しかし私はこの舞台の万斎に惚れることが出来ません。
彼の持っている飄々とした爽やかさが王様の威厳で全て消えていたような気がします。
もちろん、これは悲劇なので主人公が爽やかだと都合が悪いのでしょうが、
なんだか息苦しい空気しか感じることが出来ませんでした。
全てが明らか(父親を殺し、母親と関係を持って子供まで出来た)になり、
その悲劇を嘆くシーンもさすがに迫力はありましたが、それだけでした。
人間的な弱さ、悲しみが表現されていないと思いました。
東儀さんの音楽は、全編を通じて流れていました。
が、なぜ東儀さんの音楽でなければならなかったのか、
つまりあれだけ存在感がある音楽を流す効果がはっきりしません。
それまで私は「きれいな音楽ならいいじゃん」と思っていましたが、
それは良質の舞台を見ることができた、その結果の話であったのだと痛感しました。
要するに、音と演出がずれ、その音が素晴らしい分だけ違和感が増していったのです。


2002年07月20日(土) 横浜国際花火大会

練習が終わって学食でぐずぐず。
遠いよなあ。
すっごい人混みなんやろ?
なあんてぐずぐずしてたけど、いろいろ細かい事情が積み重なり、出発する。
16時30分の新宿湘南ラインに乗った時点でもう、おかしかった。
異様な人口密度、そして横浜駅で根岸線に乗り換えようとしたとき、
半自動的に頭をよぎったのは一年前の明石の悲劇、こわっ。

石川町で降り、くまさんと合流、みんなそろってから発泡酒を買い込んで、
「港の見える丘公園」を一路目指す・・・

大阪にいた頃の花火のイメージは、まず、富田林の「PL花火大会」、そして「天神祭」かな。
PLのんはごっつい凄かったイメージがあるけど、でも、全体的に人混みが超苦手やからなあ・・・
テレビで観てたらええんちゃうのん、てきな?

果たして、行ったら行ったでやはり楽しかった。
「港の見える丘公園」から観る花火は予想してたよりも角度もキツかったし、
大きさもそれほどではなかったけれど、それでもチョイ遅れてくるあの「音」を体験できただけで。
パアッと空が明るく焼けた後で、
「さあ、音がくるぞ、あれ、こない、こない、なんで、おかしいな」
って思ってたら不意に<ドォンッ>とお腹に食い込むのが快感。
19時30分くらいから始まった花火は20時35分に終わった。
なぜ最後に終わった時刻を5分刻みで覚えているかというと、
一番感動した花火を観た瞬間時計をパッと確認したから、そしてそれが締めの一発やったから。
今でもあの最後の一発は鮮明に覚えている、跡形もなく消えて完全な再現も不可能、
見た人の心の中でだけ、でもそこでなら永遠に生きられる芸術、っていうのは芝居と一緒だ。

その後、みんなで座ってビール飲んで買ってきた「巻きずし」食べて、
なぜか興に乗ったくまさんが踊り出す。
そしてなぜか興に乗ったどかも扇を取ってしまう。
するとなぜか興に乗ったみんなでさんさを踊ってしまう、
そしていつの間にかギャラリーを巻き込んでいる。
妙にうまいなあと思って聞いてみたら、やっぱりね。
飛び込みで参加した人たちってば、あの「ジモリ」の卒業生やったんね。
いやー、狭いっ、この世界。
っていうか、ちょっと怖かった、なぜにそこで「円環」が閉じるんやって。
まいまいがそのうちの一人と連絡先交換してたみたい、もしかしたらジムに来るかも、楽しみ。
っていうか「興に乗る」という慣用句を地で行けるというのが、
踊りをかじって良かった点の一つやな、これはもう、絶対。
現代をふつうに生きてたら、まっとうに「興に乗る」ことのなんと難しいことか・・・
締めはエディンとセバスティアン、元気が良くて観てて気持ちよかった、ジムよりも全然いいやん!

帰りはエディン・セバスと与太話しながら。
やー、疲れたけど、元はとったぜ。


2002年07月19日(金) In the Deepest Puddle

なつなつとお茶の水で夕食。
惣一郎も一緒にって思ったけれど彼はすでに彼地に立ち去っていたので捕まえられず。
オムライスを食べた、お腹いっぱい。

彼女と話しながら、ずっと奈良美智の絵が頭の中にイメージであった。
何でかわからへんけど。
・・・月曜日から金曜日までの、五連チャンの過酷さよ。
・・・というところから凝ってきた自分の心象なんだろうか。

なあんて安い自己分析などしつつウチに戻って、画集を開けて眺めてみた。

「深い深い水たまり」

うん、少し落ち着いた。
寝る前に昔の佐々木隆さんのVTRを観る、あんまし悩まず、水晶体に流し込む。


2002年07月18日(木) つか「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」3

昨日、ずっとのばしのばしになっていた「熱海」のレビューをアップした(→こっち)。
冷静に読み返したら、これは劇評ですらないことに気づき、補足。

伝兵衛自身がかつての恋人であり同じ棒高跳びの選手、速水雄一郎殺害の容疑で逮捕されるシーン。
彼への想いを寄せつつ10年間捜査室で彼に仕え続けた水野朋子は、
「待っていていいですか?」と伝兵衛に聞き、彼はそれに答えてこう言う。

部長 水野君、私は片端ですから、その種の人間ではないんです。
   出来ることならあなたを強くかき抱きたいのですが、私には出来ない。
   私に出来るのはこれだけです。

と、言い手錠に繋がれた右手を差し出して水野と握手をする。
ゾッとするほど美しい。
手錠があらゆる意味で象徴に見えてくる、「片端」という言葉が痛い、カタワ・・・

あらゆる「手錠」に繋がれたところから実は始まるこのドラマ。
自分がかつて愛した男はこの世にもうおらず、自分の隣にいるこの女を愛してやろうにもそれができず、
過去の競技生活においても結局6メートル88はクリアできていない。
男との痴情のもつれでオリンピックを棒に振ったからだ。
そうして自分はこんな狭い捜査室にいて、うだつの上がらない下着ドロの前科持ちの捜査にあたる。
かつて美しかった身体も張りが失せ、しわも刻まれてきた、脇腹の肉も落ちない。
口を出せば昔の男の話ばかり、けれどもやはり男が好きで今でも新宿二丁目の街角に立つのが日課。

観客はその惨めで滑稽な設定に堕とされた伝兵衛を笑ってしまう。
が、笑っていいのだろうか?
はたして自分たちに、彼を笑う資格があるのだろうか?
笑うことで必死に自分と差別化を図ろうとしていることが、
実は自分がそうだと裏で認めている証ではないのか。
「長嶋茂雄殺人事件」のレビューでも書いたが、つかの仕掛ける笑いは罠だ。
ここで笑ってしまう自分の後味の悪さ、
それすらもラストのカタルシスへと繋げる推力にする凄まじい演出。
そういつの間にか観ている自分たちも手錠に繋がれていることに観客は気づいていくのだ。
「この緊縛から逃れたい」
「壁を越えて鳥になりたい」
「でも寂しいのもイヤだ」
そんな気持ちを一身に背負って6メートル88に挑む阿部ちゃんは、
そのとき「人類の重さ」を背負っているのだ。
つかの言葉はそれだけ、重い・・・

ギリギリの「崖っぷち」を四人の登場人物はフルスピードで走る。
だからこそ、大山は自分がパンツ泥棒であることを認め、陸連から酷い差別を受けた事実を晒す。
水野は部長に一切優しくされず、ついに堪えきれなくなって親に「部長と結婚する」と
言ってしまったことが暴露され「昔の男」に負けた惨めさが露呈する。
山口アイ子にしたって、結局競技者としては一流になれず、
最下層の売春婦として何とか生計を立てていたことが暴かれてしまう。
ヒトには誰でもできれば見たくない、見られたくない自分を持っている。
できればそこを隠したまま「ヒトはヒト、自分は自分」でいられたらそれでいいと思っている。
最近の日本は、特にそうなってきている。
でもつかは「笑い」のオブラートで包みつつ、お互いの「恥」を暴きどん底の惨めにまみれて、
その中からわずかに光る、星のかけらを拾い上げる。
その作業は果てしなく酷く、辛く、やるせなく、汚い。
実際、今まで一緒に「つか芝居」を観た友人で肯定的な感想を持ったのは僅か二人だけ。

でも、どかはつかを支持する。


2002年07月17日(水) 中野にて

朝、寝坊する。
寝坊して遅刻の危機なのに、中央線ではなく総武線を選ぶあたり、
ねっからの「なんちゃって」サラリーマンやな、私は。

一昨日発覚した7/10のミスの後処理で今日も残業、HSBCに詫び状プラス依頼の英文メール作成。
異動早々何通の詫び状を作っているのだろう。
ってかそんな詫び状を作る羽目になるような危ない橋を、異動早々渡らせるな、会社よ。

残業を二時間で切り上げて中野に向かい、昨年度民舞会長(沖縄より一時帰国)と会って飯食う。
少し以前よりも弛んだ雰囲気だが思ったよりも元気でホッとした。
フランス亭で肉を前にして、いろいろ話す。
沖縄はやはり彼女のパラダイスらしい。
おいしいご飯や毎晩の飲みや楽しい友達や怖いけどドキドキ台風の話を聞いてると、
今すぐにでも飛んでいきたい衝動に駆られる、
沖縄料理は苦手やけど。

 ・・・・・

 「やっぱ目的に向かって進むのっていいよねー」
 「いや、まだ向かってへんて、そろそろ向かおうかなって」
 「うん、でもいいよ、それ」

 ・・・・・

 「引っ越ししてさあ、少し気分回復したんよ、やっぱ環境ってごっついでかいよな」
 「うん、そう思う、沖縄行って私も良かったし」

 ・・・・・

 「そうやってさあ、相手へのほんとに想像力に欠けてたんだよねー、
 言うこといちいちがさあ」
 「辛いねー、でもそこでキレないところがエライッすよ」

 ・・・・・

 「やー、神楽スランプなんよー、ムッヅカシイ精神的にほんまに」
 「うーん・・・うん」

 ・・・・・

なあんて会話をしつつ、ビールを飲みつつ、気分がいいなあとひとりごちていくどかだった。
彼女と会うと、人生頑張らなあかんよね、って時々思う。
そんな印象を持つヒトってだんだん少なくなってきたけど、貴重だわ。
でもお互い、今は大変かも。
フレー、フレー!


2002年07月15日(月) 縦に伸びるベクトル

朝起きるの辛かったー。
が、なんとか起きて総武線に滑り込む。
仕事自体はわりかしスムース、細かいミスが二つ三つあっただけ・・・だったのだが。
さあ帰ろうかなと思った矢先、また発覚、ああ今度はマレーシア。
もうシンガポールとかマレーシアとか、やだー
(ってどかが悪いんやけど、そもそも)。
ってか相性が良くないんちゃうかな、あっちとは、うん。

そうそう昨日のレビューで書き忘れたこと。
最初の一編に出てくる「箱」と、最後の一編に出てくる「箱」は、
何気にリンクしてたんね。
さっきシャワー浴びながらふと気づいた、繋がる円環。
それをどこにも行けない終わった人生ととるか、井戸を掘ったり梯子をかけたりできるか。

あ、さっき魔神ブウのホームページとリンク張った→こっち
でもあそこへ行ったヒトはびっくりするやろな。
ワンダーランド、異世界、紅のブウ。
近日中に猿田彦氏主催のサイトにもリンク予定。
あ、言っちった。
というわけで、猿田彦さん、よろしくー。


2002年07月14日(日) 村上春樹 「神の子どもたちはみな踊る」

三日前、下りの総武線、阿佐ヶ谷あたりで読了。
久しぶりの村上春樹、読み始める前になんだか緊張した。
「いまの自分で村上春樹を味わうことができるのか?」
大げさな身構えかも知れないけれど、
仁成や江國を読み始める時とは明らかにテンションが違う。

どかは基本的に短編小説は好きではない。
いちいち、その都度、その小説の世界に心を溶かしていく作業が面倒くさいからだ。
長編小説は最初の導入部分で骨が折れるけれど、その後は小説世界の中でたゆたうことができる。
短編小説はそれに比べると、いささかせわしい。
それでも村上春樹ならば、短編でもどかは、読む、うん、読む。
絶対に外れがないという全幅の信頼によるのだろう、それに短編嫌いのどかにも分かるくらい、
彼は短編小説の名手だ。

阪神大震災の衝撃により、ヒトの内面、奥底に隠れていた「闇」が露呈してくる・・・
そんな六編を集めたのがこの本。
けれどもそれぞれの登場人物は自分の内に潜む「絶望」とそれぞれなりに格闘を始める。
そんな共通点が、バラバラのストーリーには隠されている。

あまりにも有名な「春樹節」の文体は、これまでにない完成度を示し、
そのさりげないけれど実は強度の高い文体に織り込まれたのは、
「ハッピーエンド」への飽くなき執念。
面白いなあ。
本当に格好いい。
「阪神大震災」は確かに大きな衝撃だった。
あの瞬間、どかは二度目のセンター試験を終えて二次試験はどこに願書を出そうかな。
と思いながらうつらうつら夢を見ていた。
突き上げるような衝撃は永遠に続くかのように終わらない。
怖いのはその衝撃自体ではなく「終わらず続くのか?」という<永遠>が怖かった。

そんな突拍子もない絶望がこの世にあるとしても、
もっともっと深い絶望が人間のなかにはハナからあるのだ。
その「開き直り」のスタンスを手に入れてようやく作家はあの未曾有の悲劇と対決することができた。
そしてその対決に、紙一重で、本当にきわどいところで勝利した。
KO勝ちでもない、リングアウトでもない、フルラウンドどつきまわしてまわされて、
挙げ句の判定で村上春樹は辛くも勝利した。

  まずはこの話に出口をみつけなければならない(「蜂蜜パイ」より)。

最後の一編のクライマックス、主人公は自分のなかの「袋小路」が現実化してしまったことに対して、
明確な決意を固める。
何が何でも最後をハッピーエンドにするのがスターの華だ、と語ったつかこうへいのように。
その決意は次の文言で締めくくられるのだ。

  たとえ空が落ちてきても、大地が音を立てて裂けても(「蜂蜜パイ」より)。


2002年07月13日(土) 盛りだくさんな一日

松本よりぶうが上京する。
師匠夫妻が不在だが、親方、猿田彦氏、ぶう、どか、くま氏、惣一郎・・・と、
往年の(?)OBOGが久々に揃うジム、なんだか懐かしい。
けれども合宿の少し前より、神楽がなんだかスランプまっただ中などかはやはりイマイチくん。
八幡をやってもしっくりこないし、折角のぶう上京にあわせて鞍馬をやっても、むむむ。
たぶん、ウィークデイを何とかしないとウィークエンドの調子もあがらない、分かってる。

その後学食で昼食、まいまいとまさよんと就職活動についてちょい話す。

SCHに戻り昔の海外公演のビデオでアイヌ「色男の舞」を初鑑賞、楽しい。

そしてサカイの駅前の天狗に行ってぶう氏を交えて夕食。
なんと参加人数が11人と、みんぶでは久々に多人数な会食。
その後、なんと誰一人抜けずにカラオケに突入。

猿田彦氏が「真夏の果実」を熱唱していたら地震。
彼は気づいていなかったらしいがあの部屋にいた誰もが、彼が引き起こしたに違いないと信じる。
白眉はモディの中島みゆき「旅人のうた」、くまさんのさだ「恋愛症候群」、
ぶうの"最終兵器"爆風の「45歳の地図」など。
どかは次の三曲。

1 ZIGZAGセブンティーン(シブガキ隊)
2 デイドリームビリーバー(タイマーズ)
3 TRAIN-TRAIN(ザ・ブルーハーツ)

その後先週に引き続き三次会に突入しパパスクラブで、
猿田彦氏・くまさん・エディ・セバ・どかの五人で「おバカ飲み」。
夜が更けていった。
終電がでてしまった後の街はなんだか不思議。
差し込まれるような鋭い空気が和らいで月面のようにふわりふわり。

・・・ふわりふわり。


2002年07月12日(金) 半休とって

・・・だから、どか的に一番好きな宮崎アニメは「紅の豚」だ。
何がいいって、最後は空中戦ドッグファイトではなく、浜辺で殴り合いの喧嘩になるところ。
「かっこいい」とはああいうことかも、別にアンチ駿じゃあないんよね。

きょうは「時には昔の話を(by猿田彦氏)」が頭の中で鳴ってしまい動揺。
でもそれをB.G.M.にしつつ半休をとって、三鷹市役所に向かう。
転入届を出した後三鷹警察署に行って免許証の住所変更。
そのまま水道の自動振替手続きを銀行へ・・・
と思っていたらそれは15時のタイムアウトに間に合わず無念。
でも二つ片づいたから良しとしよう。

ネコバス氏と合流し吉祥寺で夕飯を食べる、うまかった小龍包。
でもまぶたを閉じればよぎる猿田彦氏の流し目、ああ。
その後帰って、初めて近くの銭湯に行く。
¥400って高価っ(たかっ)と思ったけれど、入って極楽。
気持ちよかったのー、草津の湯ー。
会社のこと、完全に忘れるくらいにー。


2002年07月11日(木) 台風一過のカフェでつらつら

もすこし「視点」の話。

地平線があって、消失点があって、その一点にむかって物質を並べると不思議な効果があることを、
550年ほど前にイタリア人は考え出した。
それが「遠近法」と呼ばれる技法。
遠近法はあくまでも人間が恣意的に生み出したテクニック、
二次元の平面に擬似的に三次元を表出させる魔法である。
中世のスコラ的バインドから解かれた人間が、自意識を拡大させて世界の解釈に乗り出した。
という説はどかは片手落ちだと思う。

ならばなぜ、宗教改革が始まった150年後、彼らのご自慢な「遠近法」は歪みだしたのか。
「遠近法」に必要不可欠な要素の一つは地平線。
人が拠って立つ地面がしっかりしていないところではその自意識の拡張は不安定になる。
美術の中の遠近法も然りで、スコラ的バインドを嫌ったと言っても、
教会の存在に裏打ちされていた当時の市民は、
知らず知らずその空気をカンバスに反映させてしまったのだ
(断っておくがどかはマニエリスムやバロックアートを嫌いではない、むしろ好き)。
その先の美術史はこの筋で言えばある意味分かりやすい。
ついに地平線をスポットライトの向こうに消してしまったジョルジュ・ド・ラトゥールやレンブラント。
地平線を淡くぼかして消してしまった印象派達。
そもそもの視界を徹底的に分解してしまったキュビズムとピカソ。
うん、分かりやすい。

さてじゃあ「俯瞰」が持つ構造的視点は何を意味するのだろう。
それは一見、自らの自意識の拡大により世界のあり方をはかろうとする、
究極の「遠近法」のように思える。
が、視点が高くなるにつれて地平線はどんどん遠くに消えていく。
そもそも、つまるところその視界を得るためには人は地面に足をつけていられない
(皮肉だと思う、ラピュタを作った人がどんどん高いところに登ったのだ)。

翻って魚眼的視点は、地面(水中)に潜ってそこから上をみた視点。
もちろん地平線は見えないが、そもそもそこは地面よりも下なのだ。

「視点」は宗教だ。
それは世界の解釈。
どかはマクロな視点よりミクロな視点が好き。
細部に神はやどる。
たとえばケルティックスパイラルの末端の渦、その微細なカーブにもいるし、
駒場アゴラ劇場で観る青年団の役者達、そのあまりにナイーブな演技でつくため息の余韻にいる。
$500,000の海外送金申込書や¥50,000,000の小切手にはいないと思うんだ。


2002年07月10日(水) 台風6号の中で

一昨日の日記の続き。

「俯瞰」というのはつまりこういうことだと思う。
腐海がこの世に生まれてきた理由を、人類を絶滅に追いやる張本人としての性格から解放し、
地球全体の壮大な歴史の中で語る構造性のこと。
もしくはタタラ場という古代製鉄工房をセル画のなかに落とし込み、
自然と人間を隔てる臨界線に現代の人類を取り巻く「出口なし」を投影する構造性のこと。

「魚眼」というのはつまりこうだ。
花田花男が読売巨人軍に入団し、9回裏ツーダンフルベースで代打としてコールされるが、
周囲の罵詈雑言に圧倒されて立ちつくすも、息子茂雄の姿に自己を取り戻し空を見上げた時の空。
もしくはピンポン(もーすぐ映画ロードショウ!)のペコが、膝のけがを押してインハイ予選に出場、
仇敵ドラゴンからセットを獲った時のピンポン仮面の決めポーズ。

別に説教クサいとか教訓的だとか言うのではなく、問題はどこに視点を置くのかだ。

シロが言った最後のセリフ。

  もちもーち、こちら地球星日本国シロ隊員。
  おーとーどーじょー。
  今日もこの星の平和はキチンと守りました。
  どーじょー。
  この星はとても平和です。
  どーじょー。
  おーとーどーじょー
  (松本大洋「鉄コン筋クリート・三巻」)。

これは決して脳天気な夢見がちな現実逃避路線の言葉ではない。
「俯瞰」で最大公約数的な把握をすることも大切だけれど、
でも魚の目から見た世界には確かに直線はなく、その視界の中にすべての不幸と幸福が詰まっている。

シロ隊員は自らの中に「平和」を作ることができたのだ。

ソコカラ ナニガ ミエル?


2002年07月09日(火) お片づけ

めいくゆーキラキラの精神で、部屋のお片づけを進めているけど、
いまいち終わらへん。

やっぱし最近、例のミスの後処理で残業が続くからやろか。
帰ってきて、ふーって息ついたらもう日付変わるもんな。

でもそのわずかな時間を見つけて続けてきた格闘も十日間、
そろそろ、ゴールが見えてきそう。
ガンバレ、私。
・・・でも朝ご飯は食べようね。

明日も朝早起きで出勤、でも引っ越す前よりも気が楽。
なぜか?
座っていけるからさ、ふふん♪
総武線万歳!


2002年07月08日(月) 丸山真男と松本大洋

高校生の頃、必死に理論武装したかったあの頃のどかには三つの柱があった。

哲学者ジャン・ポール・サルトルの「実存主義」。
詩人石原吉郎の「ラーゲリ的言辞」。
政治学者丸山真男の「政治的思想と行動」。

石原はかなり異質だがあとの二人は結構通底するものがあると、今でも思う。

きょう会社の「上の人」と軽い議論になった。
仕事の進め方がテーマなのだけれど、
一瞬にしてどかの今の会社に対する姿勢が、図らずも浮き彫りになってしまい、
互いが互いの動揺を隠すために議論のテンションを半オクターブ上げる必要があった。
もはやどかは今いる会社に「目的」は見いださない。
かろうじてあるとすればそれは「手段」。
自分のなりたい自分になるために必要な時間、場所、空間。
けれどもそこで自分の自己表現の場を見いだすことはきわめて難しい、うん、難しいな。
それは人並みにふつうに仕事はしてるし、一応<国際>にもたどり着いた。
でもこの時間はあくまで手段なのだと、
言い聞かせることが唯一自分の「人間の質(byつかこうへい)」を維持する道な気がする。
でも一方では今日言い合いになった「上の人」を尊敬もするな。
ちゃんとどかの目を見て話をしてきたし、だからつい私も本音が、ねえ。
私の本音、それはつまりこういうこと、二者択一。

A: 自分が信号無視をしても決して事故にならないような交通法規の整備
B: ほかの人が信号無視をしても自分は決して信号無視はしないという決意

たとえばの話だけれど。
でもきっとそういうことなんだと思う。
「上から見る俯瞰的視点」よりも「下から見上げる魚眼的視点」が好き。
鉄コン筋クリートの「宝町」を、なぜ松本大洋がパラダイスにし得たのか。
俯瞰的視点を選べば宮崎駿の「高み」に行けたのになぜ彼は魚眼的視点に固執したのか。

・・・・

「手段」と「目的」。
「俯瞰」と「魚眼」。

「金獅子賞」をもらうよりも「虹組」に入隊したいんよ。


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