un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2002年06月29日(土) Rd.7 NETHERLANDS/Assen

the Circuit van Drenthe at Assen !!
アッセンのファン・ドレンテ・サーキットは世界最高の二輪レースコース。
1949年にGPが始まって以来現在に至るまで、唯一、毎年GPを開催し続けているコース。
この偉業はその卓越した、というより浮世離れしたコースレイアウトによる。
全長は長く、コース幅は狭く、大きいコーナーは23を数えるが細かいコーナーを含めると、
あと15はその数が増えるだろう。
しかしながらアベレージは低速ではなく、むしろ高速コーナーの組み合わせが多く、
アベレージも高速になっている、ライダーの実力が出るサーキットだ。
四輪F1で言えばモナコグランプリに相当するレースだ。

そしてこの高速コーナーが連続するアッセンは2002年度GPにおいて、
もっとも2スト勢に可能性があるサーキットとも言われていた。
2ストと4ストのマシンの差がもっとも如実に出るのが、低速コーナーの立ち上がり。
しかし名うてのテクニカルコース、ファンドレンテでなら2ストにも勝機があるかも知れない。
世の心あるGPフリークはこの由緒あるダッチTTを心待ちにしてきたのだ。

そこで、ついに来た、大チャン!
となれば良かったのだけれど、大チャン、不調・・・
こんな冴えない大チャンはみたことがない。
ああ、真矢くんも前回のカタルーニャでジャックのアホが無茶したせいであかんし。
原田さまにあらせられても、全く精彩を欠いてて、うー!
せっっっっかくの、アッセンなのにぃぃぃぃ!

ところが日本勢がだめでも、頑張ったよ、2スト。
NSR500のアレックス・バロス!
ロッシを抑えて一時トップを走る快走を見せる。
やあ、息が詰まるようなレイトブレーキング、さすがに現GPライダーの中でも、
一番の「ブレーキングの鬼」!
彼が前にいたら、抜き辛いだろうな、さしものロッシも・・・
と思ったんやけどな。

あかんかー。
ロッシ、どこまでつよなってもたんや、きみわ。
あっさりかわされてロッシがフィニッシュ。
まーでも、バロスは今期一番声援を受けたライダーだろう。
第二戦でロッシを偶然かわした宇川なんかよりもずぅっと声援を受けていただろう。
なぜならバロスは明らかに人の力でロッシを追いつめていたのだから。
そこに、ヒトの燃えるような意志が見えたのだから。

あ、そうそう、宇川は転んでたみたい、ああ、ふうん。

Moto-GP Rd.7 DUTCH/Assen
1位:ヴァレンティーノ・ロッシ HONDA
2位:アレッサンドロ・バロス HONDA
3位:カルロス・チェカ YAMAHA


2002年06月25日(火) 行ってきます

岩手県大迫に合宿に行ってきます。

・・・その前に。

エディン君、ネコバス君、どうもありがとう。
本当に助かりました。

この御恩は忘れません。

・・・これから東北自動車道をマーチ君で突っ走るのかー。
うー、疲れるー。
眠いー。
がー。


2002年06月24日(月) つか「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」2

山口アイ子は砲丸投げの選手であり、自分のコーチである立花を竜飛岬の浜辺で殺した。
その山口アイ子を熱海姫浜の波打ち際で殺した大山金太郎は、
その立花殺しも自分で被ろうとする。
しかしふんぞり返った伝兵衛の前で水野朋子と速水健作は、その大山を追いつめていく。

水野 いいですか、山口アイ子さんが浜辺に流れ着いたヤシの実でも拾って、投げて殺したとしたら、
   アルゼンチンの巨人ブリスベン・F・ワイズの23メートル50の世界記録を抜いてるんです。
大山 それがどうしたんだ。
速水 金メダルが取れる距離だよ。
水野 そうです、もしアイ子さんがモスクワに出てたら金メダルが取れた距離なんです。
   自白したらどうです、アイ子は殺しましたが世界記録を出したんですって言ったら、
   供養にもなるじゃないですか。

この水野のセリフは実は後半の浜辺のシーンで彼女扮する山口アイ子の口から再度語られる。

大山 アイちゃん!
山口 でもでもでも、その位置からウチのいた場所までは25メートルはあったばい。
   金ちゃん!そん距離がどういう距離かわかるね。
   うちらの夢、アルゼンチンの巨人、ブリスベン・F・ワイズの記録に勝った距離ばい!
   うちがアトランタに行けたら金メダル取れる距離ばい!

この劇中、もっともテンションが上がるシーンの一つだ。
ふつうの演出家なら決めセリフを小出しにしたりせず、最後までとっておくものだ。
だが、つかは違う。
中盤、劇の展開部であらかじめ一度聞かせておき、観客の心の片隅にその言葉を置きに来る。
それがつか演出。
そしてこの繰り返しは、ある条件が整った時には、絶大なインパクトをもって観る者に迫る。
それは役者のテンションが繰り返しの弛緩を補ってあまりあるほど高かった時だ。
怒鳴ると言う意味ではない。
静かに語っても、ゆっくり話しても、自らの狂気を渦巻かせて行けばそこにはリアルな場ができる。
つかはその場を作る自信があるからこそ、このさりげない、けれども危険な賭に出られるのだ。
「熱海」の代名詞である「浜辺のシーン」だが、内田有紀はここでは踏ん張っていた。
「銀ちゃんが逝く」の小夏よりも「飛龍伝2001」の神林よりも、山口アイ子はよかった。
そしてそれは阿部寛の木村伝兵衛が最後を必ずハッピーエンドに導いてくれる「華」があるから、
と無防備に役に没頭できたからではないかと思うのだ(これまでは「華」はほとんど彼女一枚だった)。

そうしてラストのシーン、十三階段を上り首に縄をかけた伝兵衛が、
幻のロスオリンピックに出場し、6メートル88の「鳥になる」記録へ挑戦する。
4年前、ほんっとに立ち姿と身体が美しかった阿部ちゃんも今、
少しずつ老いを包含し、体のシルエットも4年前とは変わった。
上半身裸で舞台のセンターに一人立つこのシーン、このシルエットの差は致命的・・・
かと、最初思ったのだが、それは杞憂。
なぜなら観客の目はもはやその体には行かないからだ。
すべては彼の目!
あの何が何でも「鳥になってやる」という伝兵衛の狂気と、
そして何が何でも「ハッピーエンドにする」という阿部寛の狂気故に。

伝兵衛は結局、首をつられるし水野朋子という一人の女性の愛に報いることもできない。
けれどもこれは紛れもないハッピーエンド。
生命を全うする幸せからも、自分に思いを寄せる相手に応える幸せからも、
そして自分が思いを寄せる相手に応えてもらう幸せからも見放されたところでなお、
彼は自らの狂気のみを恃みに「鳥に」なれたのだから。


2002年06月23日(日) つか「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」1

STARRING Hiroshi ABE !!
「熱海殺人事件・モンテカルロイリュージョン2002」@紀伊国屋ホール。
マチネの当日券を狙って並んだ、合宿のせいで行けなくなったチケ。
でもこれは絶対行っとかなあかん・・・そんな予感、ううん確信があった、果たしてそれは正解だった!
阿部寛、文句なしのつかヒーローになった!

つかこうへいの代表作「熱海殺人事件」にはいくつかバージョンがある。
女・木村伝兵衛の「売春捜査官」、マザコン木村伝兵衛の「サイコパス」などがあるが、
「モンテカルロイリュージョン」はその中でももっともイロモノ度が高い、
バイセクシュアル木村伝兵衛で、あて書き10割のつかが阿部寛のために書き下ろした脚本。
内容は熱海姫浜の波打ち際で起きた殺人事件の容疑者を追いつめていく捜査室でのバトル。
これが「熱海」の基本構造で付加価値がバージョンによって異なってくるが「モンテ」では、
木村伝兵衛部長刑事(棒高跳び)と容疑者・大山金太郎(棒高跳び)、
そして水野朋子婦人警官(女子ハードル)の三人がそれぞれ、
陸上競技のオリンピック選手だったという伏線が張られる。

「モンテ」の初演は1993年、どかは再々演を98年に観た、忘れもしないあれはパルコ劇場。
あのときもいい舞台だった。
阿部・伝兵衛を脇についた最高のつか役者がフォローする構図
(最高のつか役者=山本亨・山崎銀之丞・平栗あつみ)。
2002年、再び舞台のセンターにピンを背負ってたつ彼を支えるために集まったのは、この三人:
1「最後のつか役者」春田純一←この人はつかの舞台に関して言えば絶対に信頼できる。
2「北区のホープ」小川岳男←芸の幅が若干狭いがツボにはまるとかなりいい。
3「アイドル未満役者未満」内田有紀←つか芝居挑戦三度目の夏、もういいわけできない。

当初のどか予想では春田さんが舞台を引っ張り、小川さんがそれをフォローし、
阿部ちゃんが必死に食らいつく、内田有紀はその辺でふらふら・・・
と、思っていたら、ちょっと奥さん!

阿部寛、ブレイク!
始まって20分、どかは目の前で何が起きようとしているのか、にわかに信じがたかった。
そこにいる木村伝兵衛のリアリティは、銀之丞や筧利夫のそれと同等やった。
セリフはあんまし変わらない、他の役者はむしろレベルダウン、なのにこのリアリティ。
ひとえに阿部ちゃんの狂気にのみ拠る結果だ。

・・・あの春田純一が阿部に引きずられている。
内田有紀は阿部に舞台の「華」を任せられるせいか力が抜けてまあまあいい。
小川さんは阿部ちゃんと春田さんの胸を借りて精一杯をぶつかるいい感じ。
そう、中心は阿部なのだ。
太陽は阿部であくまで他の三人はその周囲を移動する惑星。

「TRICK」などのテレビドラマで ブレイクしてオフビートな芸の引き出しが増えたなー。
って思ったけど、よもや舞台で通用する、劇場を包み込む狂気を育んでたとは思わんやん?
劇中、前半の導入から後半の展開部にかけてのつなぎ目、転換の契機に「抱きしめてTONIGHT」に入る。
4年前、この歌は銀之丞と山本亨が脇につき三人で派手に踊りつつカクテル光線の中での披露。
今年「抱きしめてTONIGT」のイントロが流れたとき、舞台にいたのは阿部ちゃんただ一人。
つかこうへいは、思ったのだ。
このドラマツルギーの要であるこの最重要歌を支えるのは、もう阿部一人の「華」で十分だ。
阿部ちゃんは一本のピンスポットの中、一人で歌い、舞台を支えきった。
このシーンがそのままラストの壮絶なカタルシスの保証なのだ・・・

<2へ続く>


2002年06月22日(土) ごった返し

練習のため、ジムに向かう。
何だか集中できない、何故か仕事のことが頭を過る。
あかんなあ、こんなんじゃ。
集中、集中。
でも、膝がずいぶん良くなって来た。
三番叟をそこそこ真面目に踏んでも、割と平気。
まだ違和感が残るけれど。
ようやく、合宿を前にして目処がついてホッとする。

その後、惣一郎のフリスビーの誘惑を断ち切りマーチ君に乗る。
来るべきその日に向けて、部屋のお掃除に入るためだ。

・・・

ほこりがイーッパイ!
ゴホゴホ。
気管支がくるちい。
ゴホゴホ。
でも高校の卒業文集とか出て来て、赤面。
普通そんなところでファンゴッホについての絵画論なんてぶたないよな。
あーはずかちい。
部屋はごった返し。


2002年06月21日(金) ラッシュはヤ

体調、悪し。
また貧血気味になってくる。
新宿の手前、下くちびるの感覚が無くなってくる、
うう、ヤバいヤバい・・・・

(中略)・・・

猿田彦さんが三鷹市芸術文化センターの音楽練習室を借りて、
ピアノの弾き語りリサイタルをするといふ。
少しだけ覗きにいく。
あー、楽器ができるっていいなーと思う。
まいまいにしろ軽井沢嬢にしろ、さらっと弾くもんな、すごい。
猿田彦さんのビリージョエルは予想通り、濃かった。
弾くだけじゃ無く、歌うだけじゃ無く、
その視線の配り方までコーディネイトするところが、神髄。
やーさすが、スターさんだわ、
楽しかった。


2002年06月20日(木) Rd.6 CATALUNYA/Catalunya

長ーいホームストレートと、
長いバックストレートを持つ高速サーキット。
と、言うことは必然的に4スト有利。
ホームストレート終わりの最高速度計測によると、
宇川のRC211Vが315km/hほど出しているのに対して、
カピのNSR500が302km/hほどしか出ない。
ストレートで時速10kmの差があったら対等に勝負することなど不可能だ。

1st.LAPにゴッツイむかつくオリビエ・ジャックがゴッツイおばかなミスをして、
コーナーに飛び込んでいった中野真矢をはじめとする
日本人ライダーを巻き込むクラッシュを演じる。
おかげでもう最初っから今年お決まりの面々。
まず4ストだけどスズキなロバーツと2ストのカピ&バロスが脱落。
そしてヤマハのビアッジとチェカも脱落。
いつものロッシ君と宇川のバトルとなる。
ただし微妙にこれまでと違うのは早々にロッシが先行策をとったこと。
ほんの少しだけ、面白くなる。
というのはやはり前を走るのは不利、
コーナリングの癖や得意/不得意なポイントなどを後続車に悟られてしまうから。
これまでとは逆に宇川が後ろから巻くって差すことができるか注目。
ってか、そんなの到底無理だよ無理無理。
という結論を心待ちにして果たして達成されたので満足。
宇川は所詮、Last LAPにロッシ君にかるーくちぎられて独走二位となったのでした。

めでたしめでたし。

Moto-GP Rd.6 CATALUNYA/Catalunya
1位:ヴァレンティーノ・ロッシ HONDA
2位:宇川 徹 HONDA
3位:カルロス・チェカ YAMAHA


2002年06月18日(火) 赤い凝集

きょうの午後三時、隣の課のテレビはつかなかった。
例のごとくどかはテンパリパリパリで、冷や汗たらりん。

たくさんミスや失敗があって残業突入したころ、
「負けたみたい」という囁きが耳に入る。

午後七時半、外に出てみると妙な雰囲気。
街が何だかふぅっと浮いている。
街が浮いた分、歩く人たちが少し沈下した感じ。
表情や感情とかそんな直接的な落胆、という意味では無く。
なんとなく街と人が乖離していく感じ。

妙だなーと思いながら三鷹に向かった。

その後、韓国ーイタリアをテレビで少し観る。
フィーゴと違ってトッティにはあまりオーラが見えなかった。
韓国を素直に応援できた。


2002年06月17日(月) BGM

行きしの中央線の中、iPodくんをリピートにして、
ずーっっっっと「桜のころ」を聞き続ける。
うん、こんな哀感たっぷりな曲のどこが応援歌なんだろう。
ヒロトが声をわずかにかすれさせて
「ほーんとーうーじゃなくてもー♪」
というところでは何故か泣きそうになる。

というわけで午前中、次々と他通貨決済の伝票を立てながら、
頭の中は「桜のころ」だった。
「音楽隊のパレード」が遠くなっていった。

さて昼、休憩から戻って来て、一瞬眠たい時間があった。
その後、結構テンパリながら端末に向かっていたら、
いつの間にかBGMが変わっていた・・・
イエローモンキーの「JAM」になんととって変わっていた。
吉井さんのダミゴエが頭を回る、うー。
絶対、あれが原因だ。
土曜日のカラオケだ。
初舞台を踏んだ一年生が歌ってたもんな、確か。
おそるべし、セバスチャン・・・!


2002年06月16日(日) 教授&ヒロト「桜のころ」

坂本龍一作曲/甲本ヒロト作詞の「桜のころ」購入。
ワールドカップ日本代表の応援歌というふれこみ。
パッと聞くと、あまりにもハイロウズとは異なる曲調、歌唱法。

ハイロウズとはまた違うメロウなヒロトと、それでも変わらないリアルなヒロト。
スピードとパッションを抑えても裏側からにじみ出るテンションが、
教授ならではな繊細で洗練されたメロディラインに乗ってくる。

歌詞がさり気ないけれど、すごい。
これはサッカーを歌ってはいない。
もっと普遍的な、もっと個人的な。
直接慰めたり囃したり盛り上げたりしないで。
押し付けがましくなく突き放してもいず"BLUE HEARTS"ではなく"HIGH-LOWS"的言葉。

多分サッカーのサポーターはこの曲を選ばないだろう。
そしてヒロトもそれを本気で求めてはいない。
分かりやすい「癒し」に走られることへの拒否こそが
"BLUE HEARTS"への終止符の意味だったとすれば・・・
だからどかは"HIGH-LOWS"とこの曲を支持するのだ。

ハイロウズっぽくないこの曲にこそハイロウズのエッセンスが明らかに見える。
ブルハからハイロへの「転移」に振り落とされた人はきっと少なくないはず、
でもまずここから入って欲しい、ヒロトはやっぱり、ヒロトなのだ。


2002年06月15日(土) 民舞出演 「OPEN CAMPUS」

だいたいこの膝で、さんさの太鼓なんて無茶なんだよな。
いっちばん関節に負担かけるんちゃうのん、これわ。
なんて呟きつつ、太鼓をしょってバチを握る。
きょうは太鼓はどか一人。

持ち時間は15分、短い。
さんさの中から五つ選んでやることに。
わずか15分、最初っから全っ開でトバすことに決定(勝手に一人で決定)。
ギャラリーは予想通り少ない、でもそんなことはハナから分かってる。
見せるために踊るんじゃない、問題は自分のテンション、
それを散らかすのでは無く、まとめていければ。
「歩キダイコ」が終わる、カトカトカトカト・・・

終わって、やー、爽快。
かなり気持ち良かった。
かなり激しく解放してもたなあ、まあいいか。

ICUの魔女先生とボソッと会話。

「やあ、どかくん、おつかれさま」

「暴れちゃいました、すんません・・・でも気持ち良かったんですよー」

「まあ、それが一番よ、いいじゃんいいじゃん」

「そっすよね、はは」

かなりスゥッとしたな、きょうはー。
あんまし好きじゃない言葉だけど「癒された」気がする。
「癒し」って、外から来るのでは無くて、内側から来るのな。
みんな血まなこになって自分の外に外にそれを求めるからおかしくなってくる。
自分の内で何かが破壊されたり崩壊したりした反動で、
本当は「癒されて」くるのに。

  人は状況や外からの力に屈するんじゃない、内から負けがこんでくるんだわ。
  と心の底から私は思った。
  今、まさに終わらせたくない何かが終わろうとしているのに、
  少しもあせったり悲しくなったりできない。
  どんより暗いだけだ(「満月」吉本ばなな)。


2002年06月14日(金) ごめんよ・・・

何故か3時頃、隣の職場に置いてあるテレビのスイッチが入る。
会社の向かいの某○治大学の前のスクリーン前にも人だかり。
隣のビルの2Fからも歓声が聞こえてくる。

・・・そんななか、どかは中国と格闘していた。
同期の女の子に質問して質問して・・・わからへんねんもおぉ!
あーもう、わからんっちゅうねん。
ただでさえヤヤコシイのにチャージバックや各種経費や
為替差損や為替差益が全部コミコミの伝票なんて、あぁ。
簿記なんて全く知識として持ってへんし。

って悶々とパソコンと、異動以来最大の混乱を抱えつつ、
冷や汗をかきながらタイムリミットとどかが戦っているとき、
某国代表はベスト16入りを決めつつあったらしい。
でも本気で心のマージンがゼロになりつつあったどか的には、
最も効率良く精神を逆なでしてくれる、最悪なノイズな歓声だった。

でも本当は素直に応援したい気持ちもあったんだよう。
ああ、巡り合わせで、スッと祝福するのが難しかった。
日本代表よりも、サポーターよりも、職場の同僚よりも、仕事それ自体よりも、
何より小さい自分が、残念だ。

・・・ごめんよ、日本。

でも夜の韓国ーポルトガルは家で観戦。
最初は韓国を応援してたけど、9人になってしまったポルトガルが気の毒でそちらを応援。
フィーゴのオーラを観て「ああ、スターさんはこういうのなんだ」と神妙したり。

その後、帰国したネコバスくんと食事する。
お土産、どうもありがとう。


2002年06月13日(木) 後方支援専用

きょうは、中国も、インドネシアも、香港も、何とかこなす。
でも、全く自信にならず。
だって、ただの幸運だもん、ミスがなかったのなんて、はあ。

会社帰りフラッと入った書店で平積みになってる本。
「ガンダム占い」!
帯がかなりキテる。

ザクとは違うのだよ、ザクとは!

はははははははははっ。
面白い。
言ってみたい、これ。
ってか松本のぶうがめちゃくちゃ好きそう。

動物占いは「さる」。
源氏物語占いは「冬海の源氏(薫)」。
ガンダム占いだとなんなんだろう、ビグザムとかゲルググがいいな、
あ、ギャンとかズゴックでもいいかも、シャア専用機だったら最高・・・
なんてパラパラめくってみると。

ジムキャノン。

買うか、こんなん!
あーむかむかする。
ちえ。
さー、メシだメシ。


2002年06月12日(水) 複雑な

水曜日は一応、月曜日と火曜日の喧噪が一段落する日。
新しいことを覚えさせられる日。
きょうは昼過ぎからインドネシアと中国向けの送金オペについて、
研修を受けた・・・が、中国、難しいすぎ。
香港上海銀行(HSBC)経由で送金するのだが、
こんな複雑なアプリケーション、とてもじゃないけど起票できひんよう。
ふぇーん。

幸運が重なり割りと早く上がることに成功する、三鷹へ直行。
芸能研では鳥舞からみっちり練習していた。
テーピングをがっちりして参加。
最後の30分、師匠を借り出すことに成功、「山ノ神」を見てもらう。
複雑な段取りだけど、こっちのがHSBCよか数段やりがいがある。
けっこう夢中になって踊ったら、帰り、膝が引きつるように重たい。

やば。


2002年06月11日(火) めいくゆーキラキラ

サントリー緑水の、今やってるCMが大好き。
あの、ヒロインの女の子が川に入っていって
男の子が「どこいくの?」って追っかけんの。
んでもう一人の女の子が男の子を追っかけて「きゃっ」って。
岩に腰掛けて笑った後のフッと寂しそうにする表情が好き。
っていうか、すぅきぃぃ。
きぅぅ。

ヒロインの女の子は宮崎あおいちゃんという(おお、あおいちゃん)。
1985年生まれ・・・
・・・いいの。
いいのぉー。

きょうは仕事、ひどかった。
新しいことをたくさん覚えてるところ、
にしても、なかなか上手く行かない。
致命的なミスはなかったけれど、でも細かいミスはひっきりなし。

でもどかのこの夏のテーマは決まったし、明日もとりあえず、
起きるぞー(っていうか決意するほどのこと・・・なんだな、うん)!

というわけで、めいくゆー・・・


2002年06月10日(月)

「ダブリンと鐘つきカビ人間」は、
実は"CELTIC"な要素をちりばめた作品だった。
ポーグマホーンという劇中の最重要アイテム聖なる剣は、
まさに"CELTIC CROSS"をモチーフにしていた。
ケルトとは、すなわち無限に連なる螺旋の世界、
永遠に続く森林への畏敬を基調とするロマンティックな文化。
日本ケルト研究の第一人者の鶴岡真弓氏は、
RICHARD DADDというあるVICTORIAN PAINTERの作品に
"CELTIC SPIRAL"の継承を認めた
(詳しくはどかの卒論を・・・参照しちゃだめ)。

シベリアの森林がいま、燃えているらしい。
既に灰になった面積は東京都の三倍らしい。
「地球の肺」を食い荒らした原因は地球温暖化らしい。
そのロシアは京都議定書への調印には消極的らしい。

あーあ、そんなに空を汚したら、オーロラが見えなくなるよ。
奇麗なブレークアップが起こっていたとしても、
奇跡の"CELTIC SPIRAL"が赤く天空を染めたとしても、
空が煙りで曇ったらなにも見えないんだよ。
私は、ヤだな、そんなん、ヤ。

補足
昨日の試合のあとモスクワで日本人学生五人が
ロシア人に囲まれて暴行されたらしい。
青いメガホン持つまえにやることがあるだろうじゅんちゃん。


2002年06月09日(日) G2プロデュース 「ダブリンの鐘つきカビ人間」

FIFAワールドカップ、日本ロシア戦というとっても天王山なその夜、
なぜかどかは渋谷にいて、センター街を突き進んでいた。
目指すはパルコ劇場。

伝説の名作(どかの中で)である「人間風車(11/18/2000参照)」のカンパニーが手がけた作品。

ストーリー。
ある国籍不明な中世都市、街中が奇病に冒されていた。
目が見えなくなったジジイや心と裏腹な言葉しか話せない娘、カビ人間になってしまった者。
そんな中悪役な神父と市長が結託して偽装放火をしかけカビ人間の仕業という噂を流す。
心と言葉が逆になってしまった娘はカビ人間を何とか助けようとするが。
という感じかな、プロットは。

その言葉裏腹少女が「きれいなお姉さん」水野真紀、カビ人間に「ナイロンのエース」大倉孝二、
悪役市長に「元木村伝兵衛部長刑事」池田成志、ジジイ役に「天井桟敷出身」若松武史・・・
と、役者を数え上げるとさすがにG2プロデュース、豪華につきる(天保12年に匹敵するかと)。

楽しかったー。
ギャグの密度で言えば明らかに「人間風車」を上回る。
着ぐるみの奇抜さと、後藤「大王」ひろひとの軽さが特に秀逸。
でも、二年前の作品と比べるとエンタメに針が振れすぎてるかなという感じ。
もすこし言葉を継いでみると、全作は豪華な役者をそろえつつもあくまで主体は脚本にあった。
今回の脚本は豪華な役者を押さえきれず、というか役者の個人技を奔放に爆発させる演出だった。
まあ、役者芝居はもともと大好きだし、なんと言っても池田成志がいるし、不満はないんだけど、
でも「人間風車」のイメージを持っていったから少し違和感。

さて、成志である。
筧利夫の例は言うに及ばず、最近は小劇場系の舞台役者がテレビでの露出が増えてきた。
上川隆也、生瀬勝久、阿部サダヲ、そしてあのテレビを忌み嫌っていた古田新太でさえ、
最近はよくブラウン管に観るようになったが成志はあまりでない。
一番資質が近いのはやはり筧利夫だろう、
同じ第三舞台出身だし、スピードとテンションはかなり近しい。
二人とも鴻上演出を受けつつもつか演出の洗礼を受け、
史上最高の当たり役をそれぞれ持ったことも一致している
(筧の山崎一平in飛龍伝・成志の木村伝兵衛in熱殺)。
昨年暮れに第三舞台十年間封印公演「ファントムペイン」を観に行った。
そのとき生の成志は初体験、その後「天保12年」で二度目の成志、そして今回三度目だが、
三度目が一番そのなかでは良かった。
正真正銘の悪役を、生き生きと楽しそうにぼけをかましつつ演じていた。
そう、筧と成志の資質の違いがここでは生きていた。
つまり筧が「愛嬌」と言う名の引き出しを持っているのに対し、彼は「妖艶」のそれを持っている。
明らかに主人公の大倉や長塚京三の息子、圭史を食ってたもんな、うーん、ラブ。
かっこいい。
かっこいいけど。
勿体なーいー。
だってえー。

後藤ひろひとの脚本はたぶん、いま、一番人気のある小劇場系のホンだろう。
それはウェルメイドを基調としつつも三谷幸喜よりも若干ベタに起伏をつけた分かりやすさ。
ひっくり返せば「予定調和」。
劇団☆新感線やキャラメルがウケるのと同じ理由で大王の脚本はウケるんだと思う。
でも、成志は筧利夫と張るくらい圧倒的なポテンシャルを持っていて、
そのポテンシャルは予定調和を崩してなおハッピーエンドを志向するという逆説的テンションなはずだ。

あー「つか芝居」で成志を観たいなー、と思いつつ泣き虫などかはエンディングで泣いてたんだけど。
てへ。


2002年06月08日(土) ベスト?

昨日も結局仕事の後19時20分ごろにジムに着いた。
テーピングをかちっとしてから一人で
「ヨセ足」や「オノヅカイ」「サンノケハイ」など、
部分部分を一人で流してみた。

きょうはジムに着いて、初めから舎文部分まで一通り通してみる。
やはり「山ノ神」はまだまだ自分には早すぎる演目、
困難極まりなし、うぅぅ。
足は、そのときには、痛みはない。
でもスタミナが全く持たない。
足が完治したら走ろうかな、少し。

稽古のあと、学食で御飯、バカ山でフリスビー。
「もはや毎週のルーティンワークじゃん」
という突っ込みが入りそうだけど、
でもこれが一等気持ちいいんだから、全く良し。
天気がほんっとに良くて、肌がジリジリ焼けていく。
空の青と、バカ山の緑のはざまを、白いフリスビーが切り裂いて飛んでいく。

やー、ベストだ、ベスト。

その後吉祥寺に出てCDを買う。
"IN THE SOUP"と"SMORGAS"。
なかなか良かった。
東急裏でいとしの金 泰希ちゃんを発見!
と思ったらもちろん、人違い。
ちぇ。
ベストちゃうやん、ちゃうちゃうー!


2002年06月07日(金) 池澤夏樹 「バビロンに行きて歌え」

朝の御茶ノ水のミスドでフレンチクルーラーとともに読了。
ごめんなさい、白状すると、アメリカンを飲み干しながら泣いていました。

中東の一国より船で東京にやって来た一人の若き兵士。
名も無く、パスポートも無く、武器も無く、知人も無く。
さまよい歩く異邦人と、ある一場面ですれ違い、ふれあい、通り過ぎて行く幾人かの男女。
ナラティブを時折変えながら、その元兵士の存在に中心点にとりつつ、
都会に生きる人間像を鮮やかに照射していく・・・

江国の「神様のボート(4/15)」もそうなのだが、どかはナラティブがころころ変わる小説は好きじゃ無い。
この作品も基本的には一人称は主人公ターリクなのだがある章では彼の恋人だったり。
前にも書いた気がするが、池澤さんはあんまし小説書くのは上手じゃ無い。
まだ読んだこと無いけれど、きっとエッセイの方がノビノビと書ける気がする。
「マシアスギリ(5/20)」や「プリニウス(4/18)」と比べると、それでもまだ力が抜けて、
軽い筆致が感じられるのだけれど、武骨さがそこかしこに・・・
でも、いいのだ、池澤は、これで。

ターリクは徹底的な弱者として、物語に登場する。
彼がまず向き合うことができたのは、捨てられた犬である。
しかしそこから彼は少しずつ、自分の居場所を作っていく。
そして彼と出会い、別れて行く人たちはみな、最初はターリクを弱者として認めるが、
その後どこかで自らの弱い部分に気付かされ、何かの関係が新たに始まったり、終わったりする。
このシンプルな構造が、シンプルな故、読者にストレートに響いてくる。

ロックバンドのメンバーにボーカルとして参加し、徐々にメジャーになっていくサクセススト−リーは、
少しプロットとしては陳腐な気もするのだけれど、
戦場からやって来たかれの声が特別だったということにはリアリティがある。
ハイロウズの「不死身の花」を思い出した、すごい個人的な印象だけど。

  大きすぎる不当感に押しつぶされたことを認め、
  それでもそこに立っている自分を確かめるという、
  心の往復過程を繰り返していたのだ(「倉庫のコンサート」より)。

ターリクの声はそんな声だった、世界は自分を入れる器なんかじゃ無いという納得の声。

とりあえず、池澤はこれでひと段落かな、何となく、どかも落ち着いた気がする。
彼の実直なストレートボールに、たとえバントだったしても、バットに当てられた気がする。
池澤を初めて読んだとき、まさか彼に涙腺を緩めさせられるとは思わなかった。
でも、結局、東京という全てを飲み込む大海のような都会に、
自分の輪郭をイコール居場所として刻みきったターリクは美しい。

純粋に、憧れる。

なぜなら、全てが意志の力では無いけれど、
全てが偶然の力でも無いからだ。

日本に着いたばかりの彼は全く居場所を持てないでいたのだ。
某国大使館職員はそのときの彼の後ろ姿を見送りながら、こう語った。

  振り向くこともなく坂を下りていった若者の後姿には、
  その年頃の人間だけに時おり見られる天使の庇護のしるしのような特別の自信が見えた。
  どこまで状況が緊迫しても、自分だけは切り抜けられるという信念が、
  その痩せた身体を包んでいた(「ブルー・プレート」より)。


2002年06月06日(木) 平田オリザ共同演出 「その河をこえて、五月」

「2002年日韓国民交流年記念事業」として新国立劇場が主催として立ち上げた舞台。
作・演出ともに日本と韓国の劇作家・演出家が共同で担当し、その日本側代表が平田オリザ。
キャストも半分が韓国人、セリフもほぼ半分が韓国語でその部分は字幕が入る。

ストーリー。
2002年春、ソウル、漢江の河原、遊覧船乗り場の近くに咲く桜の木のした。
語学学校の生徒の日本人とその韓国語教師が花見をしにやってくる。
そこに教師の家族や、学生のガールフレンド(韓国人)、道に迷った観光客(日本人)が紛れ込む。
言葉の通じない状況で何とかコミュニケ−ションをとろうとする姿、出会いと別れを折り込んだ会話から、
切ない哀感とほのかな共感が立ち上がる。

オリザにしては緩いな、という印象が僅かながら拭えなかったけど、分かった。
脚本も演出も二人三脚やったんよな、この舞台って。
それもさすがオリザ、名目上だけのありがちな「共同」なんかじゃなく、
ほんっとにフィフティ・フィフティの「共同」を成し遂げたらしい。
それでいて「オリザにしては」という印象が青年団マニアのどかからでるくらいだから、
かえってその完成度の高さが浮き彫りになるというものだ。
いつもの青年団の手法を取り、オリザの代名詞である「同時多発会話」も日本語と韓国語で実現した。
これは面白かったなあ、全然違う響きの会話が、同時に目の前で鳴ったときの快感。
基本的には「日本」と「韓国」の構図なんだけれど、
「日本」の中にも年齢や職業、性別によっていろんな立場の人がいて、「韓国」も同様。
安易なステロタイプに堕しない清廉さは作家の面目躍如だ。
その11(登場人物は11人)の立場がそれぞれ重なったり摩擦したり、
そのときに鳴る聞こえるか聞こえないかのかすかな音を拾うのが青年団であり、オリザなのだ。
音楽も入らず、照明もベタで、盛り上がりもほとんどなく、役者も激昂しない。
人によっては退屈にしかならない自分の舞台の特性を演出家はしっかり理解し(とにかくお利口なのだ)、
必ず計算し尽くされたタイミングで自然に「笑い」を入れてくる
(そして「笑い」の後には必ず少しの「緊張」を入れてくる)。
そういったパターンが見えて来てしまうのは、アゴラ劇場に通ってきたからだろう。
でもでもそれでも、どかは「笑う」し「泣く」のだ。
日本人サラリーマンと韓国人サラリーマンがお互いに卑下しつつ貶しあうシーンは笑ってしまうし、
フィナーレ近くに韓国人老女が日本語で歌うシーンでは思わず涙ぐんでしまう。
面白いな、うん、これは面白い。

さて、珍しくオリザの舞台でドキドキしたどかだった。
金 泰希ちゃん!
もう、ゴッツイ、かわいいのー、っていうか、ラ−ヴーっっ!
キュウウウウってしたい、うーもう、ゲホ、バタン(死)。
大体韓国人の女の子って好きだったけど、もう声もすごいいいし、全部、好き。
早速調べたらなんと「ハングル講座」「とっさのハングル」「韓国語講座」など、
各種NHK番組に出演とのこと、よしどらに携帯番号聞いてきてもらおう、うん。
そしてなんとなんと「二等兵物語」でつか芝居に出演してたらしい。
あああああ、何で見にいかんかったんやろおおおお、ばかばかばかばか、どかのばか。

あ。
作品の話。
「日韓」をテーマとしても、オリザ最高峰の一つ「ソウル市民1919」には劣ると思う。
それでも「共同」作業の達成の偉大さを鑑みると、幸福な夜でした、マル。


2002年06月05日(水) テーピングと1.5M

夕方から班のMtg.があり、そのせいで仕事が滞る。
「残業しちゃだめ」水曜日なのに残業、またふつふつと不満が。
別に退社後なんの予定もなくて御飯食べて寝るだけだったらいいけどさあ。
というわけで19時過ぎ退社、ダッシュで三鷹に向かう。

芸術文化センター第一音楽練習室に着くと「八幡」の稽古中。
最近芸能研、あついなあ。
エディン氏や親鳥女史が必死に足拍子を踏み、それをどらが教えていた。
どかは左膝にテーピングを巻いて固めてから合流。
少し踏んでみる・・・うん、大丈夫かな。
と言うわけで八幡をマイマイとノリちゃんと一緒に流す。
うーん、気持ちいいな。
一月近く、まともに身体動かしてなかったからな、あの披露宴を抜かして。
足が温まってから少しだけ「山ノ神」の寄せ足を師匠に見てもらう。
僅かなブランクがどれだけ身体を鈍らせるか、愕然。
逆に、それだけ張り詰めた状態を維持してたのか。

終わってテーピングを外すと、足が痺れている、調子乗り過ぎか、しうん。
エディン、マイマイ、どら、どかでガストにて食事。
占いで盛り上がる、盛り上がってるうちに雨が降って来た。

帰宅するとNTTより、ADSLを8Mから1.5Mに変更工事終了しました。
と、留守電。
試しにネットサーフィンしてみたら、確かに、安定している気がする。
速度は変わらないけど(360kbps)、ばらつきが少ないかも。
親方のアドバイス、聞いて良かったな。


2002年06月04日(火) Rd.5 ITALY/Muggelo

いやー、我ながらアマノジャクだなーと、恥ずかしくなる。
同じスポーツでも、きょうというこの記念すべき日でも、何故かDIARYはこっち。
いいじゃん、別にー。

実はどかは1996年の夏に、このサーキット、行ったのだ。
暑かったなあ、あの日は本当に。
250ccクラスで原田とビアッジの因縁の対決が火花を散らしていた。
スタンド(と言っても芝生の丘なんだけど)で「ハラダーッ」って叫んだら、
周りのイタリアンのヤンキーにシバカレそうになった、怖かったー。
そのあとはサングラスかけて場所変えて日本人なことを隠してた、
ごめん、原田、こんな小さいボクで。

さて、今年のムジェロ。
面白かったのは三位争い。
ホンダの宇川とヤマハのチェカの争い、最終ラップまで続いたドッグファイト。
もちろんドカはずぅっと念じてたさ。
「ウカワ、負けろ!」
しかして、ウカワ、最強マシンの恩恵に預かり三位表彰台確保、全く嬉しくない。
本当のヒーロー、加藤大治郎は非力なNSR500を駆ってアタックするも転倒リタイア。
二戦続けてのリタイアって大チャンにしては珍しい。
彼は天才肌のファストライダーだけれど、元チャンピオンのケビン・シュワンツみたいに、
「優勝か転倒か」というタイプでは無く、FASTとSTEADYを両立させるタイプだからだ。
マシンを言い訳に負け続けるのを潔しとしないんだろうな、
本当にギリギリまで攻めてるんだろうな、
その結果としての連続転倒なんだろうな。
その辛さ、君には分かるまい、ウカワ。
レース後インタヴューで
「まーこのコースは苦手なので3位でよしとします、センキュ」
などとのたまう君には。
ってか、YZR-M1のビアッジに引き離されて負けたことに恥じるべきだ。
ってか、英語でインタヴューに応えず日本語でヘラヘラ話していることをまず恥じろ。
というか、彼には非は無いのかもしれない。
マシンを前に進める本能、レーシングライダーとしての才能に欠けることは別に彼の責任では無い。
責任は、加藤や原田にRC211Vを供給しなかったHRC (HONDA RACING COMPANY) にある。
図体デカイくせにちっちゃいなー、ホンダも。

突然一言集、其の一。
Rd.2 SOUTH AFRICA/Welkomの決勝後、ピットに戻って来たロリス・カピロッシ
「あのマシンを見ただろう。ウカワでも勝てるんだ、あのマシンなら!」。
これが負け惜しみで無いことはGPを3シーズン以上見続けている人なら誰でも分かる(どかは10年)。
そして今年、カピは加藤と並んで抜群に頑張ってるかっこいいライダーの一人だ。
4ストに乗れない理不尽な運命に敢然と抗してコーナーを立ち上がる様は感動的だ。

一言集其の二。
GP史上でも屈指のヒーロー、ヴァレンティーノ・ロッシ
「RC211Vは乗るのが簡単すぎてつまらない」。
・・・。
そう、もはや彼はコメントの対象とすべきライバルも見つけられないのだ。
その言葉を裏付けるかのように、残されたリザルトは・・・

Moto-GP Rd.5 ITALY/Muggelo
1位:ヴァレンティーノ・ロッシ HONDA
2位:マックス・ビアッジ YAMAHA
3位:宇川 徹 HONDA


2002年06月03日(月) 僅かな遅れ

朝、少し寝坊する。
わずかな遅れが、中央線のラッシュは致命的な変化が起こる。
吊り革確保できず。
しんどかったー、チャミズまで。
っていうか、普通に拷問。

帰りは比較的楽。
サカイで降りてジムに向かう。
すると今夜は師匠夫妻が不在。
どらが孤軍奮闘していた。
とりあえず太鼓などたたく。
行って良かったな。

まだ月曜日なのにリミット近くまで疲れてる。
やばいなあ。
もう、寝なくちゃ。
寝よ寝よ。

あ、あしたはワールドカップ、日本戦らしい。
夕方になると職場、浮き足立つんだろうな、少し、ヤダ。


2002年06月02日(日) 腰ぎんちゃく讃歌

さあ、きょうはG?「安田記念」!
天皇賞(春)以来勝ち馬券をグレードワンレースで穫っていない。
NHKマイル・オークス・ダービーと三連チャンで外しているので今日こそは!
と思っていたが行くの辞めて、民舞の月例会に顔を出すことにした。
まあ、ダービーが終わって武豊はフランスに帰っちゃったし、
武様のいない府中なんてね。
と思ったり(実はまた負けるのが怖かったりして)。

松本より暇人ブー(改名したらしい)が上京。
ようやくロードスターを運転させてもらう、気持ち良かったのー。
なんかねー、低いの腰がー。
やっぱ低姿勢よね人間、傲慢高飛車は敵よね。
なんてスポーツカーを賛美するわりに、久々のマニュアル、怖かったのね。
エンストはしなかったけど、クラッチ減っただろうな。
マーチ君の次は、でもでも絶対、マニュアルに乗るんだー。
やっぱ「ファン・トゥ・ドライヴ」でしょ。
そのあと運転席に座ったブーのシフト捌きに見とれてみたり。
くそー攻めてるんだろうな、ワインディングを。

ジムではほとんど踊らず。
ぼけらーっと観てた、みんなの。
後半、神楽拍子が鳴りだしてからは、ちょっと気持ち的に辛かった。
普段の練習ではどうってことなかったのに、足拍子を踏めない左膝が心底悔しかった。
鞍馬も結局できへんかったし。
ごめんよ、ブー氏。

そのあとお好み焼きパーテー。
何と久々にくわじーさんが合流、面白かった。

「なあに、どかぽん、まだ辞めてないのー、あははは」
「ええ、まあ・・・(あなたもね)」

なんていう会話を楽しみつつ夜はふけていった。


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