un capodoglio d'avorio
2002年05月31日(金) |
松本大洋「ナンバー吾(2)」 |
どかが今一番心待ちにしているマンガの単行本の二巻が書店に並んだ。 連載と言っても季刊の雑誌なので単行本は年に一回ペース。 それでも自分が生きているこの時間に少しずつでもこの物語が紡がれていくことの、 何と幸せなことだろう!
この才能を前にして今さら何を言えるのだろう。 どかの中では前作「GOGOモンスター」で「ナウシカ」と宮崎駿を超えたと思っていた。 そしていまこの「ナンバー吾」で松本大洋は漆黒の暗闇の中を、 自らの才能の光で照らしつ進む彗星になったかのよう。 お手上げ、降参、感服、おもしろすぎ。
カッコイイとはどういうことなのだろう。 宮崎駿はカッコイイをポルコロッソに託して「紅の豚」を作った。 宮崎アニメの中ではどかはこれが一番好き、ああ、確かにカッコイイと思った。 ケンシロウやサエバリョウなんかよりずっとずっと。 そして「ナンバー吾」の主人公吾(ファイヴ)は松本大洋の中のカッコイイが結晶したのだろう。 うん、カッコイイ、殺し屋、スナイパー。
岡崎京子や望月峯太郎のすごさはまだ何となく話すことができるけれど、 松本大洋はもう圧倒的で上手く言えないところがある。 もちろん具体的な才能の表出ならすぐに羅列することができる。
「ヒトコマヒトコマの構図の秀逸さ、印象度」 「世界のリアルを描き出す、卓越したデッサンの正確さ」 「世界の雰囲気を写し取る、線の書き込みと大胆な省略」 「キャラクター設定の巧みさ」 「伏線の折り込み方の自然さ」 「研ぎすまされた一つ一つのネーム、多弁に陥らない凛々しさ」 「美学」
例えばこの辺のことはパッと思い付く辺りのところで、 このどれか一つをテーマに選んだとしても、 どかの「褒めそやしたい欲」は泉のように湧き出るだろう。 例えば「美学」。 松本大洋は「才能至上主義」だ。 いみじくもつかが残したセリフ「才能に勝る努力無し」を、圧倒的説得力で語るのを得意とする。 けれども「じゃあ才能の無いやつは不幸で終わるのか」というところで、 ここからが作家それぞれの「才能」の見せ場なのだ、 例えばつかが、最後まで一人、内角球を投げ続けたように(5/16参照)。 大洋はつかほど泥臭くなく、もっと手法が洗練されている。 弱者の「リアル」をその洞察力と想像力であぶり出し、自らの画力で輪郭と陰を与える。 結局彼等は絶望のうちに死を迎えるとしても大洋の手による美しい、 あくまで美しいコマのなかに彼等の「リアル」が息づく刹那があり、シンパシーを喚起する。
「いつかは努力は報われて才能を凌駕するよ」 なんて本人が信じていないようなことを言う作家より、どれだけ大洋は誠実で優しいのだろう。
どかは66ページで泣きそうになって、103〜105ページで総毛立った。 そう、何より大洋が凄いのは、彼の上記の美点すべてを備えつつ、 どこまでも完璧にエンターテイメントとして成立させてしまうところだ。 そりゃあこんなに深くて濃いくて絵も凄くて疲れたサラリーマンや大学生が電車の中で読んだら、 疲れてすぐに寝ちゃうくらい重厚な作品だけれど、 しっかり腰を据えて読んだらこんなに楽しめるマンガはちょっと無い。 腰を据えることが、条件だけど、あくまで。
にしても、吾はカッコイイ!
きょう洗面所でうがいしてたら寮の風呂に入って行ったおじさん。 そのあと聞こえて来た口笛"It's a small world"・・・ やっぱり少し笑えて、なぜか無性にジィンンと涙腺を刺激、ジィィンン。
ゴホゴホゴホゴホ。 とりあえずみんな頑張ったね、おつかれさま。 ゴホゴホゴホゴホ。
熱が出てると途端に踏んばれなくなるどかぽん。 壁のレオナルドが歪む〜。
ゴホゴホゴホ。 ネコバスくん、おつかれ。 ゴホゴホゴホ。
朝起きたら喉が痛い、扁桃腺が腫れてそう、息がしにくい。 実は昨日の夜から悪寒がしてたんだよな、むう。 でも会社、行く。 高円寺手前で気が遠くなるが、がまんがまん・・・
昼、カマポンとランチ。 いろいろ話す。 話していて、彼と一緒に行った去年の二つのライブ、 RADIOHEADとBJORKを思い出す。 レビューをアップさせたいな、でもまとまった時間が無いと・・・
戻ってまた仕事。 午後も山ほど処理する仕事は溜っているが、朝程時間に終われなくて済む。 タリーズコーヒーのカフェラテを飲みながらいつも通りやってると、 だんだん咳がひどくなってくる。 のど飴も効かない。 集中力が途切れる。 とたんにミス連発、同期の女の子にやんわり叱られる。
ゴホゴホ、風邪かなあ。 何とか治さなくちゃだぉ。
予想通り、仕事はきつかった。 が、集中力をしぼりきってミスを最小限に抑えていく。 午前中が、しかも朝の9時から11時が山場なのね、海外送金班ってば。 前の職場とはエライ違いだ、昼間際と夕方にピークが来てたもんな。 きっと疲れというのは、その辺りの差からも来ているのだ、うんうん。
と、二日前の日記を読み返して語弊がありそうで、あんまししないけど、補足したい。 なぜもう「人のために踊らない」か? 誤解を恐れずに言うと、それはつまるところ、 どかは「地元の保存会員/神楽衆ではない」からだ。
自信と意欲は讃えられても、 不遜と傲慢は許されない。
今夜は仕事上がりで、衣装を返すためにガッコに寄った。 30日のイベントへの出場を控えて練習に打ち込む後輩を見てて、 「何だかいいなあ」と思うとともに、 この讃えられることと許されないことが頭をよぎった。
2002年05月26日(日) |
G1東京優駿(日本ダービー) |
パー、パパパー、パパパー、ジャジャジャジャーン、パパパパー、ジャジャジャジャーン!
競馬に携わる者、馬主・調教師・ジョッキー・記者・予想屋・ファンのそれぞれが、 一年の目標にするレース、それがダービー。
NHKマイルでは苦汁を飲んだけれど、再度、武豊とタニノギムレットコンビから流す。
2(ノーリーズン)-3 3-4(ダイタクフラッグ) 3-7(モノポライザー) 3-17(タイガーカフェ)
タニノギムレットは1番人気なのだが、2番人気の外国産馬シンボリクリスエスと 4番人気のNHKマイルを勝ったあのテレグノシスはあえて外した。 それまでは五月晴れな底抜けの青空に恵まれていた府中の杜は、突如曇天模様、発走間際。
息苦しい。 これまでで一番人口密度の高いスタンド、緊張する、タケサマ・・・発走!
サンヴァレーが先行、なんと2コーナーでもうギムレットが3位につける、早すぎないか。 2コーナーから3コーナー出口で、一旦ギムレットは下がる。 府中の直線は国内最長の500メートル、スタンドからは遥か彼方に霞む馬群・・・ まず抜け出したのはメガスターダム、やば、ノーマークやん。 と、それを追うのがマチカネアカツキとシンボリクリスエス。 タイガーカフェはズルズル後退、ああ。 シンボリクリスエスがメガスターダムを捉えて、あと150メートル、 スタンドの絶叫にかこまれて、でもただ一頭の馬に注目している、静かに、静かに。 ・・・来た、ギムレット。 歓声とざわめきが遠くなる、時間が止まる、ギムレットが詰める。 あと50メートル、並んだ。 ・・・タケサマ万歳。
最終コーナー、外側に馬を振った武豊は前のスペースを確保しつつ、タイミングを待っていた。 狙いすましてサシきる、強いレース、鳥肌が立った、半泣き。 すぐにスコールのような雨が降ってきた、遠くで雷までなりだして、実に象徴的だ。 土砂降りの雨のなか、ウィニングランでスタンド前にギムレットが戻ってくるまで、 スタンドの大多数のファンは動かないで、ユタカコールを続けた。 ユ・タ・カッ・ユ・タ・カッ・・・ あれだけ勝ち星を量産している、生涯連対率が4割に届こうかという、 本場ヨーロッパのG?も穫ってしまった不世出のジョッキーが、 声援に応えながら馬を下げる一瞬、ギムレットの背中で小さくガッツポーズをした。 武豊は日本ダ−ビー3勝目、この記録は史上初である。 スコールと雷鳴の中、あっさりと紙屑になってしまった馬券を握りしめながら、 でもギムレットから流して馬券を勝った自分が凄い嬉しかった。 1番人気だろうが、万馬券だろうが関係なくて、同じ条件で一回きりのレース、 オッズなんかじゃ図れないくらいあの時間の止まった瞬間は貴重だ。
一つだけ全くよけいな存在がいた。 小泉純一郎だ。 全くよけいなコメントをしていてむかつく。 彼の買った馬券と同じ馬券を買わなかったことが救いだ。
その後最終レースが終わる頃、最終コーナーの向こうに大きくくっきりと虹が出た。 しかも二重に、美しく、大きく。 ずぶぬれになりながら、武豊の前の芝を重くはさせまいと配慮した、どこかの神様はきっと、 その橋のたもとにいたのだろう。
ひざは僅かながらマシになりつつある、 でもまだ階段が普通に厳しいレベル、うぅ。 さらに明日はどうしても不可避な出演が待っていて、 「売れっ子舞い手は辛いね」なんてひとりでカワイ子ぶっては、 独りひざを抱えて部屋にいるやるせなさ(ちょっと嘘)。
思わず昨日は、野島伸司から引用してしまった。 ばればれだが、野島ドラマが大好きなどかである。 超高視聴率を記録した「一つ屋根のした」よりも、 TBS3部作(「高校教師」「人間失格」「未成年」)が好き。 そしてもっと好きなのが「この世の果て」。 でも最近の「美しい人」とか 「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」も良かった。
今クールに放送されてる「ゴールデンボール」は観てない。 なんだか主演の二人があんまし好きじゃ無いことと、 ドラマの雰囲気自体がイマイチ、う〜んって感じ。 でも「ごくせん」よりも全然気になってはいる。 誰か見てる人、感想教えてくれないかなー。
僕は悲しいから 哀しいになり 寂しいになり いつか優しいになり そして美しいになる (「野島伸司詩集?」より)
なんだか話す言葉の一つ一つが刺々しくて、 そこにいると辛くなってしまうような人がいる。 なんでそんなに言葉の響きが"offensive"になるのだろう。 他人に対して余裕が無い、ということは、 裏返せば自分に自信が持てない、ということ。 そんなに必死になって守らなくちゃいけない自分の領土には、 いったい何が実っているのだろうか、黄金の稲穂?
自分の領土の作物なんてハナから分かってもらえなくて結構、 という立場は分かるけれどじゃあなぜ、 話すときに人の目を見ないのか。 人の目を見ないと言うことはそれだけで相手に対する、 一つの所信表明になっていることに気付いているのだろうか。
きっと「美しい」人間はこんなこと書かないで、 スッと流せるのかもしれない。 でもどかはまだ「美しい」ところまで辿り着けないから、 「仕方ないじゃん」とは言えない、情けない・・・
だってさあ、稲穂は黄金だから奇麗なんじゃ無くて、 たくさん実ったお米の重さで、頭を垂れて揺れるから奇麗なんじゃん。
なんだか最近、ほとんど日記を書いてないことに気付く。 もともと「日記の合間なレヴューのページ」と思ってたのに、 いつのまにか「レヴューの合間な日記のページ」になってた。 でもぜんぜん良し、いっこうに良し。
というか日記。 あんまし書きたくなかったけど、既に知っている人も多いが、 ひどく、左ひざをいためてしまう。 きっかけは例の「二連チャン」出演。 日曜日の夜からジンジン痺れて、朝には偉いことになってた。 もちろん早稲田での舞台が全ての原因と言うわけでは無く、 今までの疲労の蓄積が爆弾として左ひざにしかけられてて、 導火線が引火しただけ 「来る」としたら右足首か左ひざのどちらかだとは思っていた。
レントゲンを撮ったら骨は大丈夫みたい。 でも靭帯損傷の手前だって、おいしゃさん。 そんなわけで今夜は久しぶりに 芸能研@三鷹市芸術文化センターに参加するも、 一切まともに踊らず、ぼけらーと太鼓叩いたり、など。
「いやあ、全然踊れなくなって、人の踊るのをぼんやり観ていて、 初めて、どれほど自分が踊りを好きだったか分かったよ」
なあんてたわ言言う程暇じゃない。 どかは痛みがひざに走った瞬間、大げさじゃ無く泣きそうだった。 そのとき既に、自分の自己表現の手段が奪われていることに、 コンマ1秒で気付いたのだから。
2002年05月21日(火) |
Rd.4 FRANCE/Le Mans |
Moto-GP第4戦、フランスGPを録画で観戦。 スペインGPでの予感を裏付けるかのように魅力的なスターティンググリッド、 ついにヤマハの悪代官、マックス・ビアッジが来た! カピもGPきっての悪役だったけど半端に更生しちったからな、今、正真正銘の悪役は彼のみ。 その彼のヤマハYZR-M1がRC211Vと共にフロントローに並んだ。
やっぱホンダ帝国万歳なレースじゃつまんない。 だってロッシはハナから皇帝だし、宇川とロッシは全く役者が違うし、宇川が二位になって、 それは実力じゃ無くてホンダがRC211Vが速すぎるだけなのに、さも自分の実力かのように、
「まー今日はポイントもとれたしいいでしょ。センキュ」
とかインタビューで言うの聞くのもむかつくし。 そして、むかつくしと言いつつも、結局このRd.4もそのパターンになってしまう、お馴染みの1位2位。 ビアッジは頑張ったなあ(留学時代のあだ名はマックス、彼から取った、 マックス時代のどかを知ってる人間の何人がこれを観てるのだろう、ブウ氏以外で)。 少しずつ、ヤマハのマシン開発が進んでるんだろうか、盟友カルロス・チェカは転んだけど、 彼は終盤までロッシを抑えて前を走った、快挙だ、偉いっ。 そしてその前を行く三人に追いすがったのは性能の劣る2ストの日本人、大治郎とノリックだ。 大治郎はすごい気迫だった! 明らかに加速やトップスピードで劣るマシンを駆って、 火の出るようなアタックを全てのコーナーで続けた、身がすくむような直線終わりのブレーキング。 しかし日本の至宝はポツポツ降り出した雨に足下をすくわれ、ハイサイド転倒 (ハイサイドとはコーナの出口でアクセルを開け過ぎて、遠心力で一気にふっ飛ぶ危険な転け方)。 そしてその後をついて前の4ストを追っかけたのがノリック。 ノリックも偉かった、前三台と同じペースを維持してたもん。 悔しいんだろうな、宇川ごときに4ストを取られるのが、 「たかが8耐でホンダのご機嫌取りしてたくせにー」って。 そして小雨のなか、マシンまかせにふらふら走ってた宇川を、 気まぐれのように抜いたロッシだったが、雨脚が強くなり、 レッドフラッグ、レース終了、28周のレースの22周目だった。 いつものロッシだったらもっと終盤まで宇川を泳がせて、さも何の気にもならなかったかのように 鮮やかに抜き去るのがパターンなのだが、今回は抜くの早かったな、そしてそれがラッキーだった。 いつ赤旗が振られるのか、皇帝ロッシもそこまではさすがに分からない。 でも、今のロッシはその「運」を呼び込むくらいのオーラがあるな、強い、強いよ。 大チャンピオン・ドゥーハンの最盛期、もしくはレイニーやローソンが強かったころを思い出す。 宇川のことなんか、ここで書きたくもないから省略。
加藤は残念だったけど、ノリックはすごい集中力だったし、原田や中野も少しずつ上向きだし、 チャンピオン争いの行方はもう決まったも同然だけれど、一戦一線で観て行けばとてもエキサイティングだ。 大ちゃんがロバーツJr.(これも大嫌い)を抜き去った瞬間は、気持ち良かったな、思わずガッツポーズ。
しかしどかって、GPに関しては好き嫌い、激しいのな。 改めて気付いたさあ。
Moto-GP Rd.4 FRANCE/Le Mans 1位:ヴァレンティーノ・ロッシ HONDA 2位:宇川 徹 HONDA 3位:マックス・ビアッジ YAMAHA
2002年05月20日(月) |
池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」 |
前世紀初頭、ドイツの美術史家であるフランツ・ローが、 20年代のポスト表現主義の新傾向を差すために創出した単語。 そしてその後40年代後半、ベネズエラの小説家アルトゥロ・ウスラル=ピエトリによって、 折から台頭したラテンアメリカの小説のやはり新傾向を差すために使われた単語。 それが「魔術的リアリズム」である。 足して二で割る式の定義で言えば「日常的な現実性」と「非日常的な幻想性」の融解。 さらに直裁的に言えば「具体的な日々の描写の積み重ねが幻想的な全体の世界を描き出す」とか。 2000年のどかが読んだ本の"best of the year"となった、 G.Garcia Marquez "CIEN ANOS DE SOREDAD"(ガルシア=マルケス「百年の孤独」) は、この「魔術的リアリズム」に則った代名詞的な名作である(すっごい面白い!長いけど)。 さて、前置きが長かったが「マシアス〜」は池澤流の「魔術的リアリズム」である。 つまり政治・経済・官僚・娼館・神話・伝承・呪術・亡霊がごった煮な風合いの「ながああい」小説なのだ。
「スティルライフ」において池澤は染色学・天文学についての知を文学に活用した。 「真昼のプリニウス」においてそれは、火山学であった。 かつて物理学を大学で選考した作家はこの作品においては、植民地支配〜世界大戦〜冷戦における、 島嶼国家の成立史を下敷きに豊かな、あまりに豊かな物語を立ち上げる。 そしてなによりどかが唸ったのは、どれだけ話が大きくなっても筆致の極め細やかさが一向、 落ちることがなかったことだ。 それこそが小説を魔術の色彩に染めあげる決め手である。
世界を分析するのでは無く、綜合すること。
知識による神話を拒否し、身体による実感を選択すること。
自らの足を洗う時の流れの飛沫と、生命の海へ返上する自分のちいさなエゴと。
池澤のテーマは、どれだけ物語の器が大きくなっても、基本的には変わりはしない。 自分の世界が周りの世界に包まれ庇護されているという思い込み、 決して庇護はされていないと気付き、精いっぱい世界に対し自分の輪郭を刻もうとする行為。 そうしてそれに失敗し、世界は自分とは無関係に並立してたっていることに気付いて行く。 ナビダード民主共和国第二代/第四代大統領のマシアス・ギリもそうだった。 現世の卑俗な政治・経済の領域において優位な地位を気付いた彼は、 しかし島古来の神話・呪術の領域より制裁を受け、失脚に追い込まれる。 失意のマシアスは自室でロウソクを灯し亡霊を招いて対話を持つ。 亡霊は友に対して静かに語りかける。 そのセリフは一見、突き放したような冷たさがあるが、でも、実はほのかに優しく、 もし友人と仲たがいをしたり、会社で上司と衝突したり、 不幸にも恋人と海を隔てて別れなければならないとき、 きっと他のことばよりも「フェアー」に響くのだろう、そのセリフ。 池澤夏樹は「フェアー」な作家だ、ようやく、彼の本質が見えて来た気がした。
この世界では、個人はきみが思っているほど個人ではないよ。 生きた者、死んだ者、たくさんの人間の考えや欲望や思いが重なりあって、 時には一つの意志のようにふるまうこともある(池沢夏樹「マシアス・ギリの失脚」)。
2002年05月19日(日) |
G1優駿牝馬(オークス) |
心配された天気、曇りがちだが何とかもちそう、 お昼前に武蔵野線を降りてTOKYO RACECOURSE「府中競馬場」へ向かう、有象無象の欲望の群れ。 G?レース優駿牝馬、通称オークス。 クラシックの一角を占める由緒正しい、重要な、レース。 東京第7レースから参戦、絶不調。 今日、武豊は府中の杜には来ていないらしい、ちぇ。 ということを言い訳にはしたくないが、第10レースまで、どかの馬券はかすりもしない。 おおお、競馬ってむずかしーっ。
ネコバス氏「地球はあなたを中心に回ってるわけじゃないのよ、分かった?」 どか「・・・うん」
というネコバス氏も今日は絶不調、全く来なかったりする。 さて、オークス、牝馬の祭典、女の修羅場。 池添騎乗のユウキャラットから流すことにする、本命の一角だし。 でも気になるのがスマイルトゥモロー、オーロラビジョンの返し馬の走る映像に惹かれる。
ど「良くない、あれ?」 ネ「う〜ん」
結局買わない。 6-13(ウィルビーゼア:ヨコノリが乗るから) 6-14(シャイニンルビー:もう一つの本命馬) 6-17(マイネヴィータ:何となく) そして迷った挙げ句追加したのがスマイルではなく、 6-7(マイネミモーゼ:何となく)
ネ「スマイル買わなかったの?」 ど「う〜ん、うん」
スタンドは超満員、オーロラビジョンに映る人の顔、顔、顔! あの中に自分がいるのかあ、小さいなー、自分・・・ 見上げれば雲が多くなるも、隙間からもれる光線、エンジェンルズ・ラダー・・・ 荒井由美的な雰囲気に包まれていいことが起きそう・・・ううん、起きて、ょぅ。 パー、パパパー、パパパー、ジャジャジャジャーン、パパパパー、ジャジャジャジャーン。 合わせて、手に持った競馬新聞をスタンドのみんなと一緒に叩く、叩く、叩く・・・ そして発走!
ユウキャラット、スタート後からすぐ二位につける、ばてないのかな、心配。 ウィルやルビーは遥か後方、目の前の直線を通り過ぎて一コーナから二コーナーへ消えて行く。 大丈夫、まだ、大丈夫。 三コーナーから四コーナー、ユウキャラットまだ二位、そこから直線500メートル! 頑張る頑張る、が、マイネミモーゼも追いすがる、お、いいじゃん、あ、外から伸びるのは・・・ あああああ! スマイルだああああ! スマイルトゥモロー伸びる伸びる、ゴール直前、差しきったあああ! 二着は、、、チャペルコンサート。
・・・・・・・・・・・・・
ま、スマイルを買ったとしても6流しだから取れなかったんだけどさ(ユウキャラッとは3着)、 でもさスマイル、かっこ良かったなー。 買ってたら、もっっと盛り上がれたんだろうなー、お金じゃ無く。 教訓その1:気になったらとりあえず後悔しないため、押さえる 教訓その2:世界は自分のためにあるわけじゃないのよ
そう、全て外しちったのだ・・・ とぼとぼ帰りかけるとなんとオーソリOBの現システムのナグモンと遭遇。 彼も困った笑顔をしてたから取れなかったのかなあ・・・
でも次はいよいよ、東京優駿「日本ダービー」だあ!
2002年05月18日(土) |
つか「長島茂雄殺人事件」2 |
小川刑事の葛藤はどちらを選んでも後ろ向きの結論であるところに皮肉がある。 「警護」したとしても過去の自分の無念さを、一人息子の無念の死を、蔑ろにすることを意味し、 「復讐」したとしてもスターになれない凡人の自分のひがみの発露としかとることができない。
重ねて言うが、つかは「弱者に対して、優しい」。 その優しさは最後の最後にあらわれる。
フィナーレで長島は、神の慈悲にも似た優しい言葉を、自ら振り回し続けた周囲の人間に投げかける。 徳光和夫や、小川刑事は、その言葉を聞いてしまうともうどうにもできない。 天真爛漫、天衣無縫なスター長島は、不可侵な領域におわして圧倒的な華を周囲に散らす。 普通の作家ならここで幕を降ろすのだ、論理的にも破錠しない。 が、つかは違う。 殺人事件が未遂に終わりプロットもひと段落着いた後で、尚、小川刑事を舞台に残すのだ。
何のために? それは彼に内角球を克服させるためだ。
因縁の内角球を打つために、長島から受けたアドバイスをもう一度心に噛み締め、 バッターボックスに入る、足場をならす、バットを構える、ボールが来る! 臆さない鋭い踏み込み、華麗な腰の回転、そして快音! このバットの快音一つで、全ての観客にハッピーエンドを納得させてしまうのがつかの魔法。 殺人事件なんてどうでも良く、大切なのはスターと凡人はどこまでも深い溝に区切られて、 なお、凡人はスターを夢見て努力を続ける余地が残されていると言うこと、 ひとり取り残されてもつかは、弱者のために最後まで内角球を投げ続けてくれるのだ。 その残酷さと優しさを知ってしまうと、どれだけ役者の不足の実際に絶望しようとも、 そうそう、つか芝居を観に行くことを辞められるものでは無い。
北区つかこうへい劇団の現劇団員の中ではやはりトップの小川岳男の説得力はさすが。 一人舞台に座り、過去甲子園に行った仲間達に「野球なんか辞めちまえ!」と電話で話す姿に、 どかは泣けて仕方が無かった、逆接の何と痛いことか。
村山実の息子役の川端博稔も良かった。 世間の全ての人が父親の無念さに背を向け長島の華を讃えたとしても、 自分だけは父親を支持すべきだったと涙にくれるシーンは秀逸だ、上手く流れを作っていた。
赤塚篤紀/吉浦陽二のコンビも好き。 セリフが普通に言えてたので、ホッとした、この劇団ではそれだけでとりあえず貴重。 友部康志/黒川恭祐もまずまず、自分の居場所にちゃんと説得力を持たせられていた。
でもあとは・・・、芝居がエンターテイメントであるならば、要らない。 だってエピソード、説得力無いんだもん。 新入劇団員は言うに及ばず、山本や嶋と言ったベテランもだめだと思う、もはや。
つかは上記の劇団員を脇にまわしたプロデュース公演をやるべき。 役者を育てる才能は他に任せても大丈夫だが、 至高の「つか芝居」を作れるのは自身以外にいないのだから、 池田成志や筧利夫、山崎銀之丞や山本亨などの優れたつか役者を集めて一本やってほしい。 この荒んだ世の中に一番必要とされているのはその至高の「つか芝居」だと、 どかは本気で信じている。
2002年05月16日(木) |
つか「長嶋茂雄殺人事件」1 |
両国・シアターχにて観劇、久しぶりの「つか芝居」なぜか緊張する。 戦後最大のスターである長島茂雄を殺せるとしたら、それはいったい誰なのか、その動機は? 物語は野村前監督、同夫人、カツノリ、徳光和夫アナ、阪神村山実投手の実子、などなど、 虚実入り乱れた登場人物が長島という一点の周りで振り回され掻き乱され、 人生を棒に振っていってしまった様から、混然とした愛情と殺意が立ち上がって行く・・・ つかの基本的なテーマ「スターの華と凡人の努力の残酷な差」の一つのバージョンがこの舞台。
完成度は、やはり高くない。 「二等兵物語」や「ストリッパー物語」の時と同じシリーズだと思う、 エンタメ度は二の次に、一人一人の劇団員にピンを当ててあげようという恩情がそこにはある。 自身の著作の中でつかはシェークスピアの「タイカス・アンドロニカス」という戯曲の 登場人物の圧倒的な多さとそれがほとんど死ぬことを茶化して、 劇作家は役者からのつけとどけに埋もれていたのだろうと書いた、皮肉なことだ、 この作品も「タイカス〜」の特徴と重なる部分が少なくない。 さて、そういったネガティブ面に目を瞑って舞台を振り返ってみたい。
つか戯曲の特徴として良く挙げられるのが「弱者への優しい視点」である。 例えば「蒲田行進曲」の大部屋役者のヤス、例えば「ロマンス」のゲイのスイマー牛松、 「飛龍伝」の中学出の機動隊員山崎、「ストリッパー物語」のヒモの重さんなど、 社会的、関係的弱者が重要な登場人物として舞台に上がり、そして観客は彼等を笑ってしまう。 それはつかの罠だ。 つかは弱者を容赦無く舞台上で叩きのめし、いかに彼等が無力で無価値なのか、 それをギリギリまで突き詰めて追い込んで行く、その過程は滑稽なまでに残酷で。 いや、残酷だからこそ時に滑稽に映り観客は思わず笑ってしまう。 でも、その弱者への嘲りを含んだ笑いを、幕裏の劇作家は冷徹に観ている。
「貴様のその笑いは、それすなわち他人への嘲り、自分の矮小さの証明に他ならないんだ、下司がよ」
そういうつかのつぶやきが聞こえてくるのである。 そう、決してつかの「優しさ」は分かりやすい「いたわりの温かさ」をとることは無い。 むしろ、弱者が(そして私たちが)さらけだしたくない(直視したくない)部位を暴き、 衆目にさらしていくことでギリギリまで追い込んで行く、そういった残酷性にまず、顕われる。
例えば今回、この予告殺人事件の主担当となった小川刑事は以前、野球を志したという設定だ。 しかし内角球がどうしても怖くて打てない、腰が引けてしまう、克服できない。 だから野球の道をあきらめるのだが、最後に所属していたチームが読売巨人軍。 彼が引退した後に入れ違いで立教大学から一人の男が入団してくる、という伏線が張られる。 小川は自分はのちに大スター長島茂雄となるその男のせいで、 引退に追い込まれたという現実を直視したくないがため、 野球というスポーツから距離を置き、野球というスポーツを憎み、一人息子にも野球は一切させない。 その「ひがみ根性」は自分が好きで好きで仕方が無かった野球をあきらめざるを得なかったという 無念さの深さと相まって、とても強烈な陰険さで周りに波及しついには一人息子を死なせてしまう。 この事件の担当になってから、過去の長島に対する恨みが顕在化してきて自分は長島を 「警護する」のか「復讐する」のかで激しく葛藤する。
以前イタリアのジェノバに三浦カズが移籍した。 が、イタリア人が「カズゥ、カズゥ」と敬意を込めて名を呼んだのは、坂田和人だった。 坂田は1994年からイタリアのメーカー・アプリリアのワークスチームに在籍し、 世界チャンピオンになったのだ。 日本のメーカーではなく、純粋に速さを認められて実力でイタリアに行ったのだ。 原田哲也だってそうだ。 ヤマハでチャンピオンになった後、 イタリアの名うての悪役ビアッジにずっと勝てないシーズンが続いた。 そのときの名言「ビアッジに勝てないのでは無い、アプリリアに勝てないのだ」。 アプリリアは翌年、原田をエースライダーに迎え、ビアッジを放出した。 原田の「ビアッジに〜」のセリフに説得力を認め、 原田のレーシングライダーとしての才能を評価した結果だった。 この二人は間違いなく、ヨーロッパでも最も知名度の高かった日本人スポーツ選手だった。
なぜ日本ではGP熱が高まらないのだろう・・・
原田は今年MOTO-GPクラスに参戦している。 世代交代が進んで、今は、上記二人が中心だったころとは異なり新人類も台頭している。 昨年、誰も寄せつけない圧倒的な速さと強さでGP250の世界チャンプになった加藤大治郎を初め、 一昨年、世界各地のサーキットで加藤とバトルを繰り返したプリンス・中野真矢や、 ホンダの若大将、宇川徹などなど。 ゼッケン56で鈴鹿GPで勝って「バリバリ伝説」ファンを狂喜させた阿部ノリックも、 青木三兄弟の長兄、宣篤もこのクラスで走っている。 これだけ、日本人がGP最高のクラスに集まったことはこれまで無かった。 そしてその日本人ライダーの前に圧倒的な壁として存在するのが、 イタリアの若き天才、バレンティーノ"皇帝"ロッシだ。 今年最高のマシン、ホンダRC211Vとのコンビはもう誰も寄せつけないほどの速さ。 でも、大チャンなら・・・ と先のスペインGPを観ていた人は思ったはずだ。 でもどかの最もお気に入りは原田"クールデビル"哲也で、 原田と大チャンと真矢くんとロッシとビアッジあたりがドッグファイトで抜きつ抜かれつ。 をやってくれると、すっごい嬉しいんだけどなあ・・・
1<ラグビー>1991年1月 神戸製鋼VS三洋電機:イアン・ウィリアムスのロスタイム60メートル独走逆転トライ
2<GP250>1993年9月 スペイン・ハラマ最終戦:原田哲也が逆転で世界チャンピオンとなったカピロッシとの激闘
3<GP125>1994年9月 アルゼンチンGPで優勝し、世界チャンピオンとなった坂田和人レース後のインタビュー
4<テニス>1996年4月 フェド杯、伊達公子がシュテフィ・グラフに最終セット12-10でついにつかんだ勝利
今夜はサッカー日本代表の試合があるらしく、明日は代表メンバー発表らしい。 会社でも周囲がそわそわ。 でもどかはあんましサッカーに思い入れが無い、人並みに、ヒデかっこいいとか思うくらい。 サッカーよりはずーっと、ラグビーのが好き、大好き。 そう、スポーツ観戦自体が嫌いなのでは決して無い。
最初に挙げた四つがこれまでどかがスポーツ観てて泣いた瞬間。 そして今でも、ラグビー、テニス、GP(二輪ロードレース世界選手権)の三つは、お気に入り。 あとはボクシング、リングス(終わったけど)、阪神巨人戦は気になるかな。 あ、おうまさんれーす! あれはスポーツなのかなあ、でも、赤丸急上昇っ、というか、もうハマったかな。 じゃあ、競馬を入れたら四つだな、どかにとって最高ランクの観戦体験を与えるスポーツわ。 ライブ史上主義のどかはもちろん、その四つのスポーツはライブで全て体験している。 ラグビーは花園で、GPはイギリスとイタリアで、テニスはウィンブルドン、おうまさんは(略)。
書きたかったのはGP。 今年はいろいろ過渡期でこれまでGP500と呼ばれた最高カテゴリーのレース(四輪だとF1に相当)が、 MOTO-GPと称する、2ストと4ストという違うエンジン構造のバイクの混走カテゴリーになった。 その「混走」のせい(だとどかは思うのだが)で緒戦日本GP、第二戦南アGPは、 イマイチ盛り上がらないレースだった。 「もーGP追いかけんの、ヤメヨかな」 とさえ思ったが、第3戦スペインGPはうってかわってかなりかなり面白かった。 というわけで明日もGP編を続けたい。
きょうは頑張って練習に出ようと思っていた。 そのつもりで自分の仕事や周りの仕事を片付けていった、かなり誠実に。
でも・・・
全く納得のゆかないことがあって、その所為で練習には行かれず残業。 一応、抗議してみたものの、全くダメだった・・・ あー腹立たしー。 思わず職場で舌打ちしそうになったくらい、腑に落ちない。 仕方ないから心の中で舌打ちした。
ちっ・・・
・・・どうしようかな。
・・・あーなんだ簡単じゃん。
・・・この会社、嫌いになればいいんだ、よし・・・
OK、この会社、また一つ嫌いになった。 これで明日も、電車に乗れるだろう。
その後二次会のカラオケがお開きになって、電車組が帰って・・・ 駅前の飲み屋にて三次会、突入! タロウさん、親方、山の人氏、エジンバラくん、どかの五人でどかの終電間際まで飲む。
例えば。
例えば、 「人から好かれたい」とか、 「人と衝突するのが面倒くさい」とか、 「人より上手になりたい」とか、 「人と違うものを身に付けたい」とか。
そういうのって全部「人(他人)」からスタートしている思想で、 それが毎日のまん中にこびりついてしまったら、息苦しい。 その「他人」スタートの思想は客観的な立ち位置を確保しているように見えて、 その実、他人との間に壁を作ることにしかならないから、 結局自己中心的に孤立を深めて行く。
いかに力強く苦しんでいても同情の余地はないわ。 (吉本ばなな「満月ーキッチン2」より)
この小説のえり子さん程に身体を張って生きて行くのはめちゃくちゃ大変だけれど、 それでも自分は「自分」スタートの思想でいきたい。 だってそこでなら身体を張る大変さを請け負ってもいいと思えるから。
「自分のなりたい自分になりたい」し、 「自分の意見を人にぶつけていきたい」し、 「自分の納得の行くところまでやりたい」し、 「自分が胸を張って誇れるものを身に付けたい」。
その上で他人の立場への想像力を持つことを努力していきたい、そう、これが努力目標。
なんてことを、ぼうっと考えた日曜日だった。 ジャーマンランチを食べて、昼寝して、髪切って、餃子食べて、一日が終わった。
さ、仕事仕事。 そして、努力目標。
朝早くクラブハウスに着いて今度の17日にある、 「日本スポーツ人類学会」でのワークショップについてミーティング。 何とどかは「三番叟」と「八幡」の2演目にダブルヘッダー。
「無理っすよ、きっとスタミナも続かないし、ほら他に踊れる人もいるし・・・」
と一応がんばって言葉をズラッと並べて無謀な抵抗を試みたのだけれど、師匠の
「いやどかくんで」
の短い一言で運命は決定、それはまるで健さんの「口べたですから」のような効果的なフレーズ。 ああああ、不安だぉぉぉぉぉ。 だって「八幡」一つやるのだってその20分間のために体調や気持ちを整えるために、 その日一日使ってやっと、なのにさあ、 「三番叟」なんて4年くらいは本番やってないのにさあ、どしよ(最後にやったのはJr.の時か)。 でも、期待されて評価されてるのは素直に嬉しいし、うーん。
というわけでその後の練習は珍しく、千早という三番叟用の衣装を着けて2回通した。 予想通りバテバテになる、でも2回目には何となく千早の扱い方を思い出す「そうそう」って感じ。 昼御飯を学食で食べて、クラブハウスに戻って衣装を揃えて、さて新歓まで間があります・・・ というわけでお決まりのフリスビー@バカ山となる。 新入生がみんな上手でびっくり、なぜいきなしまっすぐとぶんだ、きみらわ。 フリスビー大臣の山ノ神さんに見せてあげたいな、そしたら
「りゃまよ、でかした」
とか言われそう、元気かな、山ノ神さん? そうして新歓の刻を迎える。 会場は武蔵境駅前の天狗、なんと総勢20名強の参加、すげー。 でまかせの「民舞伝統の一発芸披露」に先駆けてエヂンバラくんがヨガを見せる。 その後セバスチャンが「ドカベンの岩城(?)」をする、かなりつまらなくて笑える。 そゆとこで、物怖じしないのは大事な才能だ、うんうん、かわいいぞぉっ。 会としてもわりと盛り上がってたし、良かったんじゃ無いかなあ、まやっちの鞄も可愛かったし(うん)。 そうして二次会はお決まりのカラオケ、誰が決めたのかな、誰(てへっ)? この時点で若干減って14名、惣一郎が合流。 人数が多かったので一人一人はそんなに歌えなかった、 のに、どかは三曲歌ってしまう、ごめんみんな、ちなみにそれはこれ。
1 大阪で生まれた女 (BORO):1番初めにマイクが回って来たので「つかみ」で、でも好き。 2 ガラスの十代 (光GENJI):しっとり系を選ぶひとが多かったのでこのベクトルを担当。 3 青春 (THE HIGH-LOWS):ラスト間際、完全に自己チューに楽しみたくなったので、暴走。
やっぱりハイロウズはいいなあ、ライブに行きたくなる。 ブリッツ、行きたかったあああああ!
金曜日って忙しく無さそうで結構忙しいみたい。 なんだかんだで結局、残業コースだった。 でもきょうは先輩に頼んで、少しだけ早くあがらせてもらい、 急いで三鷹にむかった。
前の職場の学生アルバイト達が、 私ともひとりの学生担当の 送別会を催してくれたから。 思ってたよりもたくさんの人数が集まってて、嬉しかった。 夜勤のエモエモやヌマニイ、イケダンとかも来てくれたり、 すでに退職してたチヨッペとかが来てくれたり。
いやー、今の職場と全く雰囲気が違うなーと再認識。 なんかオーソリのブースは、 いろんな方向にベクトルが散らかっていて、 それが集まるとあんな混沌としたバイタリティになるのねえ。 今の部署は研ぎすまされた一つの大きな矢印、と言う感じ。
ちらかったベクトルをまとめるのは大変だよな、当たり前。 そもそも「まとめる」ことなんて不可能でそれを何となく 誘導することが唯一できること。 そんな雲をつかむような仕事は、やっぱり、楽しかったよ。
ひさびさに笑った気がした。 やっぱだめだめ、全部忘れてバカ笑いしないと、だめだめ。
呼んでくれたみんな、どうもありがとう。
2002年05月09日(木) |
津田雅美「カレカノ(13)」 |
今朝は頑張ってテンションを上げて行こうと決意。 例えれば「足がつって溺れるのを待つ」のではなく、 「ウェートを抱えてダイブしてマンタに会いに行く」くらいの構え。 始業時はドキドキしたけど・・・成功! やっぱ攻めないとね、うん。 ミスは少なかったし全体像も見えて来た、よしよし、うんうん。
さて「カレカノ」最新刊の感想を。 独断と偏見によれば、津田雅美はスランプに陥っていた。 一時期は一世を風靡したくらいの高い人気を背景に、 連載を嫌が応でも続けなければならず、 そのためサブキャラにいちいちスポットを当てインターミッションを展開する。 けれどもそれぞれのキャラをいまいち掘り下げることができず、浅薄な時間稼ぎにしかとれない。 が・・・「カレカノ」は華麗に復活した、この巻は面白い、何と行っても「プリンチュ」アリマ編だ。
小説における文体が無視できない要素のように、マンガにおける絵は絶対看過できない要素だ。 少し前の津田さんは絵が乱れていた、ペン入れが雑だし、構図も迷いが見えて読みにくい。 でもここに来て深化していくアリマくんの世界に呼応するように、絵も真面目に丁寧に描かれている。 第1巻のころみたいなデフォルメとシンプリシティは無いが、その代わりに奇麗さ丁寧さが見える。 そりゃあ、松本大洋や岡崎京子のような「才能」には見劣りするけれど、好感は持てると思う。 その絵柄に支えられて(引っ張られて)物語はのっけからテンションが高い。
アリマくん分裂!
ユキノンはアリマと会ってそれまでバラバラだった自分を一つにマトメテいった、それは自己実現。 アリマも同じ道筋を辿るかと思いきや、違うのだ。 アリマはユキノンに会ってそれまでまがいなりにも一つにマトマッテいた自分が、 二つに分裂して行く道を辿って行く、それもまた自己実現のために。 う〜ん、アンビバレンツだねー。 これはでも、すっごい切ないなあ (ちなみに作者はアリマの内面の描写をある種の「凄み」でもって語ろうとする。 しかしこれは失敗している、なぜなら「凄み」を出すには あまりに華奢な筆致だから、でも「切ない」からいいと思う)。 アリマの殻はどんどん堅く、厚くなってしまうが、同時にユキノンへの気持ちも大きくなって。 この二律背反をしのぐためにアリマは他者を圧倒する優秀さをどんどん磨いて加速して行く。
怖いよう。
アリマくんは自分の内面を、唯一、アサピンにだけは話す。 アサピン、かっくいー、チョー好き。 どかのツボだ、この人。 「バタ金」のカヲルくんとはるくらい、ドカの中では「いい男」、タイプは正反対だけど。 かっこいいな「ホストクラブ」で働いて学費稼いで「美大」に通いたい、なんて・・・ じゃあ、どかもそれ、やるー!
まじめな話、このプロットだとアサピンがいないと話が重すぎて読者はついて行かれないだろう。 津田さんのバランス感覚は見事だな、アサピンになりたい(不明)。
1 朝からお腹の調子が悪く、著しく集中力を欠いていた、 周りには言えないけどそんなことは。
2 したら、当然のようにミスを連発、計算ミス、検印漏れなど。
3 退社間際、シンガポールのCITIBANKよりクレーム、 原因を調べたら、あああ、わたくしだった。
4 残業決定、大至急対応してさらにメールで詫び状、 慣れない丁寧な英文を作成する。
5 他のみんなは既に退社していたけれどOJT役の先輩は、 ついて残ってくれる、心苦しい、お詫びする。
6 やれやれと中央線に乗ったら八王子辺りで沿線火事、 下り方面全面ストップ、四ッ谷で立ち往生、そこから無限地獄。
7 通常1時間10分で帰宅できるところ3時間20分かかる、 もう、やってられない、 東大阪市立岩田西小学校の床の拭き掃除に使ってたボロ雑巾くらい、 クタクタに疲れた、すえた匂いがしてくるくらい。
8 さらに今夜の寮の賄いは、贅沢言いたくないけれど美味しくない。 お腹ぺこぺこなのに全部食べられなかったほど。
あーもー。
明日は頑張る・・・・よね?
やはりGW明けはえげつなかった。 朝は7時30分から出社して溜りに溜っているFAXや帳票の整理、 入力、計算に追われて、気付いたらもう夕方。 「マシン」の中で一人だけ人間でいるのはなかなか辛い。 でもなかなか「マシン」になるのも大変だぉ。
しかも18時過ぎに退社してそのまま三鷹に直行、 オーソリセンターへ向かう。 以前の担当業務について、現担当者の秀ちゃんとミーティング。 懐かしい雰囲気に浸っていたかったけれど、 事態が事態だっただけにそうもいかず。 ちゃんと集中してお話をする、あ、オーソリではどかも「マシン」なのかな。
そうこうしているうちにあっという間に一日は終わっちゃう。 iBookくんと挨拶したら、なんとカウンタが大台を突破していた!
へー。
みんなに読んでもらうために文章を紡いでるわけでも無いし、 自分はエンターテイナーでも無いので、お礼を言うのも変だから言わない、けど。
純粋な出来事の羅列ではなく、書きたいことをこのフォーマットに乗せて書く、 そのつもりではじめたのがそもそも。 でもメインで考えてたのは芝居と美術館、読書、ライブのレビューで、 そのレビュー以外の日はフツーっぽい日記風で、とも思っていた。 決して「オウマさん蜜月体験記」を書きたかったわけでも無く、 時事ネタに踏み込んで行きたかったわけでも無いのだけれど。
きょうiBookくんを前にして書きたいなと思ったこと。 1 MotoGP : SPAIN GPでの加藤大治郎の活躍、その才能の発露 2 マンガ : 津田雅美「彼氏彼女の事情」13巻 のレビュー 3 野球 : 阪神タイガース首位独走、貯金10 4 芝居 : 第三舞台「ファントムペイン」レビュー 5 奇跡 : UPがノビノビになってるアラスカ日誌 この辺りは本当にきょう、UPしたかったのだけれど、 どうしてもここで書かなくてはならないことが別にあったので仕方なく、書く (でもこの五つはいずれ絶対絶対、書くつもり)。
一般紙の夕刊に「海幕が米軍と裏取り引き!」という文字が踊っていた。 内容はアフガン空爆の際に、米軍の司令官に対して海幕が
「ぜひ、自衛隊のイージス艦などの出動要請を そちらからオフィシャルに出して下さい」
とお願いして頭を下げたということなのだ。 米軍からの依頼があったということであれば、国民も納得するから、 などという浅はかな立ち回りなのだろうか。 あまりにも露骨であまりにもお粗末な話だけれど。 結局、そうじゃん、シビリアンコントロールなんか日本ははなから無理で、 軍人が突っ走るんじゃん、アホか。 結局、小泉が「人道的支援をぉぉぉ」とか喚いてたのも、 第9条の軛から自国を解き放ちたいがための口実、きっかけに過ぎないんじゃん。 せっかくお金を注ぎ込んでそろえた軍備を使って世界に自慢したいだけなんじゃん。
何が「有事法制」だ。 今回の海幕の裏取り引きを個人的な独断によるものと小泉が言うのなら、 それは「私には軍人を統率することなど不可能です」と言っているのと同じ。 何が「有事法制」だ、そんなの通ったら前世紀前半に逆戻りするだけじゃん。
あー、むかむかする。
2002年05月04日(土) |
G1NHKマイルカップ |
いよいよ、府中開催のG1レースNHKマイルカップ! 朝から武蔵野線に乗り府中競馬場を目指す、凄い人、人、人。 もう府中本町の駅の改札から競馬場まで渡り廊下みたいので繋いでんのな。 確かにこの蠢き沸き立つ欲望の固まりが静かな住宅街を練り歩くのはゾッとしない (とはいいつつ、女の子だけのグループや親子連れできてる人がたくさんいてのほほんムードも)。
さて。
到着しておいちいコロッケで腹ごしらえをして、東京第6レースから参戦。 例によって武びいきな私は武流しで馬券を購入、馬場内から応援する。 例によって沸き立つスタンド、圧倒的なスピードで走り抜けてく馬群、 そして先頭は願った武、2着には願ったナンバー、やった! さい先良く勝ち馬券ゲットして超ゴキゲンなどかどか、比べて不機嫌なネコバス氏、ところがところが。 この後、やっぱり臨場感はスタンドよね、 と主戦場を移して臨んだ第7第8第10レース(第9レースは見送った)を全て外してしまう。 全然かすりもしなかったので 「やっぱりオウマさんってこあいよう、ううぅ」と今さら弱気などか。 馬連で片方はくるんだけどなあ、でもそんなことゆうたら、大方の人はそうなんだろうな。
スタンドはやはり、熱い! レースが一つ終わるとみんな次のレースの馬を見にパドックにゾロゾロ行き、 そしてレース発走前になるとゾロゾロスタンドに戻って来て人口密度がグンと上がる (あの広いスタンドに何人くらいいたのかと思い JRAのホームページで見たら最高収容記録は196,000人!凄すぎ)。
そして例によってファンファーレ! パー、パパパー、パパパー、ジャジャジャジャーン、パパパパー、ジャジャジャジャーン! どかは例によって武さま命で大本命の9番タニノギムレットから5・15・16へと流す。 9-15と9-16がそれぞれ一番人気、二番人気だからやっぱりガチガチの買い方みたい。 でもな、オウマさんが走る姿は美しいし、本命だろうが、大穴だろうが、かっこいいからいいのー。 発走! スタート後すぐ5のアグネスソニックが最下位でやきもき、5にはもう一人のオキニの横山典が騎乗。 ああ、やはり大本命に託そう!と、オーロラビジョンを注視、まだ馬群は肉眼では見えない。 第三コーナーから第四コーナーにかかり馬群が遠めに凄い勢いで移動している、武様はまだ後ろ。 さあ、直線、スタンドが沸騰する! 「わあああ」「まくれ、おらああ」「させさせさせえええ」「ゆたかーーー」「をおをををおお」 これだ、これだ。 世界自体から自分の立ち位置が猛スピードで横にズレて揺れる感覚・・・
「全てのネガティブスパイラルの断絶」
武は、動くのが遅かったよー。 どかは府中の長い直線の2/3地点で見てたけれど天皇賞のときよりも動くのが遅い、 自分の前を通り過ぎていくときにまだ5番手くらいだった、けれど。 そこから武がグッと馬群の流れから前にズレてくる。 逃げるのは1番テレグノシス、2番はなんと横山アグネスいつの間に! 「かっくいい、ヨコノリっ」と呟いた瞬間、ゴール、 超本命武豊鞍上ギムレットは3番まで追い上げたが連対には食い込めず、1-5で決着。 ウィニングランでどかの目の前に来た、 勝ったテレグノシスと勝浦騎手の笑顔がとても可愛らしくて、 キラキラしていて、微笑ましかった。 実はそのあと着順が審議に入り、1-5の連対が危うくなったのだけれど、結局10分後、ことなきを得た。 最終的に第6レースの勝ちだけでは元を取れずじまいだけどでもいいのー、勝浦さんかっこ良かったもん。
きょうニュースで、自民党幹事長の山崎拓が、 アラファト議長と握手している映像が流れた。
昨年の10/23「テロ対策支援法案」に反対した共産/社民に対して、 山崎拓はこう言った。
まるで原理主義のようだ(池澤夏樹「新世紀へようこそ」)
「原理主義」という言葉を明らかに誤読している。 きっと彼の頭の中には、 「イスラム原理主義者=タリバン=テロリスト」 というブッシュ的な公式があってその公式に基づいて、 「原理主義」という言葉にネガティブな響きをたくしたかったのだろうと思う。
そんな人がいま、アラファト氏と握手している。 なんだか、へこむ。 世界史で普通に出てきたやん、原理主義ってさあ。 世界史を全然勉強してないか、もしくは忘れてしまっているような人が、 この緊迫した非常時にパレスチナに飛んでいいのかなあ。
関係ないけれど、きょうも練習。 久々にさんさで太鼓をつけた。 その後、お好み焼きを食う。 ビールが最高に美味しかった。 幸せ幸せ。 マチャカズ氏が携帯メールを見て血相を変えて出ていったくらいで、 おおむね平和な民舞第二次新歓だった。
2002年05月02日(木) |
池澤夏樹「新世紀へようこそ」 |
池澤夏樹が昨年9月11日の事件を受けてはじめたメールマガジン、 「新世紀へようこそ」の最初の51回をまとめた本。 著者が発信したメールに対する幾つかの読者の返信、 さらにそれに対する著者のコメントなどが掲載されている。 何となく小説以外の本が読みたくなって、最初ノンフィクションを探していたんだけれど、 池澤という作家を信頼していたこともあるので純粋なノンフィクションでは無いけれど、 書店で平積みになっていた黄色い表紙に手をのばしてみた、それから2週間、読み終えた。
この人の文体は小説でもそうなのだけれど才気煥発というわけでは決して無い。 わりと純朴でまっすぐな、美辞麗句とは懸け離れた文体の人で、 メールマガジンの文体ではその発表形態との関わりだろうけれど、さらにその傾向が強い。 言い換えれば、ふつうの人がふつうに丁寧に書いたかのような文章。 でも彼は文体よりも内容の人で、今回はいつもにもまして直接的にメッセージが載っている。 一番読んでいて気持ち良かったのは、受信者(一般読者)に対して、 「彼が知識を披露する場」では無く、徹底して自分の特権的立場を崩して受信者の目線の位置を、 常に意識し続けているところだった。
さて、内容、だけど。
う〜ん、面白かった。
「テロは許されない、だから」という論法と、 「テロは許されない、しかし」という論法が二つある。 池澤は直感的に後者を選び、それを少しずつ吟味し、前に進めていった。 僕には少しこの内容を消化する時間が必要かもしれない。 でも直感的にはどかも既に分かっている、採るべきは後者だ。
特に面白くて惹かれたテーマが幾つかあったがそのうちの一つが・・・
「小泉氏の話法のファシズム性について」 どかが前々からずぅっと強烈に違和感を抱いていた小泉純一郎の物言いを、 極めて明解に分析してその構造を示してくれている。 この点に関しては「まさにその通り!」と思った、つまり・・・
a:テロは悪い b:テロは根絶しなければならない c:徹底的に戦わなければならない d:そのために英米はじめ国際社会が団結している e:日本だけが何もしないではいられない(だから自衛隊を出します) f:戦闘地域には行きません g:武力行使もしません h:人道的支援をするだけ i:それがなぜいけないのですか!
論理を次のステップに進めるときにいくつもあるはずのオプションを全て外して、 あたかも一本道で真実まで辿り着いているかのような勢いで熱弁を振るうのが小泉流。 しかもその一つ一つのステップで、 言葉の定義は限り無く曖昧にぼかしていることも、自分の熱弁とスピードで覆い隠そうとしている。 dからeにかけての論理的飛躍は不合理だし、fghの言葉の定義は滅茶苦茶。 そうしてiは決して相手への問いかけでは無く、全ての反対意見を圧殺する決め台詞。 平田オリザや青年団の役者ならきっと、鼻で笑うんだろうな、この人の「対話能力」の無さを。 「半疑問文」を濫用するほうが100倍ましに思える。
大好きなマンガ家、どかにとっての御三家。
望月峰太郎:「バタ足金魚」「バイクメ〜ン」「お茶の間」「ドラゴンヘッド」 松本大洋:「ZERO」「花男」「鉄コン筋クリート」「ピンポン」「ナンバー吾」 岡崎京子:「PINK」「カトゥーンズ」「愛の生活」「リバーズエッジ」
何だか、この三人の名前を並べただけで、懐古的香りがしてしまうのはなぜだろう。 最近のマンガも面白いのだけれど、この三人と比べてしまうと、ちょっと物足りない。 安野モヨコとかも面白かったけれど、岡崎京子を読んでしまった後では・・・
彼女は今、まだマンガを描けないでいる。 でも吉本ばななはそのインタビューをこう締めくくった。
生きていてくれるだけで、私は嬉しい(文藝別冊・総特集「岡崎京子」より)
ああ。
ああ、そうかあ。
あの天才の再起動を、単純に強く心待ちにしていた自分が恥ずかしくなった。 まだまだだなあ、私も。
|