un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2002年04月30日(火) 送金と家具

ゴールデンウィーク中日。
これまでのオーソリな自分には、
全く関係の無かったゴールデンウィーク。
ぼけぼけ世間様と歩調を合わせて休むのもいいもんねえ。
と思っていたら、甘かった。
きょうの職場は鬼だった、まさしく、鬼。

朝の8:40ごろから夕方の18:00まで、
ノンストップでルーティンが組まれてしまう。
しかも送金/清算という業務の性質上、
完璧な正確さを要求される。
また仕事の取引先が海外の代理店であるため、
時間制限もかなり厳しい、まさに分刻み。
ううううううううう、たくさんミスしてしまった。
周りを見るとみんなマシンと化していた、自分はまだまだ。

でもなあ、ああいうのを「人間疎外」ってゆうんちゃうかな。
せめて笑顔を大切にしよう、うん。

帰りの中央線は座席でグッスリ、
ヘトヘトで家に着いてiBookくんに挨拶したら、
岡山の家具職人くりふ兄さんから私信が届いてた。
なんだかいろいろあって本当に大変そうだけれど、
そのメールはどかにたくさんのエネルギーをくれた。

何を大切にするのか。
何を身体を張って守るのか。
そんなことをふぅううっと考えた。

とにかく、がんばれ、くりふさんっ。


2002年04月29日(月) G1天皇賞(春)2

東京11レースの後はもうすぐ、天皇賞の発走時刻。
オーロラビジョンに群集は注視する。

パー、パパパー、パパパー、ジャジャジャジャーン、パパパパー、ジャジャジャジャーン。
とファンファーレが鳴る!
どかの周りで心ある男達がそれに合わせて競馬新聞を叩く!
ざわめきがいっそう大きくなる・・・

発走!

ジャングルポケットから流して、マンハッタンカフェとナリタトップロードに流したどかは、
もうガチガチの本命狙い、ということになってしまうらしい。
でもそのジャングル・タケ様、出遅れる。
馬群のまん中より後ろに留まる。
「あかんやん、何でなんで?」
と思わず口走るも、周りの怒号歓声悲鳴に掻き消される。
実況の声がだんだん加速度をつけて速くなって高くなって、
府中の群集はオーロラビジョンの向こう、遥か西の空のした、京都の淀に思いを飛ばす・・
まだジャングルは上がってこない、もう最終コーナーが近い、
天皇賞は3200メートルと長丁場なのに、おうまさんは本当に一生懸命走るのであっという間だ。
最終コーナーの映像、ジャングルがポケットに入ったみたい、まん中より後ろで動けなそう、
心臓がキリキリしてきた。
鼓動が速くなる、時間が伸びる、空間がきしむ、感情が溶ける、群集は叫ぶ、馬は走る。
最後の直線、ジャングルはまだ来ない!
トップはマンハッタンカフェ、その後は少し距離が空いてる、
2番手は分からないけれど、まだジャングルは6番手くらい・・・
「エビナー!」「トップロードー!」「踏んばれ、バカッ」などなどの怒号の中で、
どかどかは「ああもう駄目だあ」と呟いた刹那、ジャングルが動きだした!
直線は後、半分しかない、武豊、叩く叩く、ジャングル、少しずつ少しずつ、大外から詰める!
3番手まで浮上、トップはマンハッタン、逃げる逃げる。
2番手だったトップロードとジャングルが競る、もう少しでゴールライン、ジャングル、伸びる!
「ああああああああああああ」
「わあああああああああああ」
「うおおおおおおおおおおお」
周りがこんな風に喚いていた気がして、自分はそんなふうに怒鳴っていなかったと思うけれど、
ぽかんと口をアホみたく開けていたのは確かでもう訳が分からず「ユタカーッ」て祈ってた気がする。
トップロードを捉えた、ゴールラインを跨ぐ!

・・・・・・・・・

1着 マンハッタンカフェ
2着 ジャングルポケット
3着 ナリタトップロード

結果的にはガチガチの大本命の三頭が競って落ち着くところに落ち着いたということらしい。
でも、でも、どかはもう、心が飽和してて、勝馬券を握りしめて、ぼうっと立ち尽くしてた。

うーん、競馬場は凄い。
テーマパークとしてとても優秀な施設だわ、これわ。
ネズミーランドに行くか、オウマさんランドに行くか、迷ったら、
千葉のネズミと遊ぶのに必要な金額を上限に定めた上で、
オウマさんと遊ぶのがいいかも知んない。
そして、オウマさんランドの最重要ポイントはお金の多寡ではなく、
その場にいる群集の中で、あのテンションのジェットコースターに身を委ねること。
「ハイロウズのライブを誰でも一度は体験すべきだ理論」の支持者として、
この体験の重要性はとても腑に落ちる。

うーん、競馬場は凄い。
どかどかはとても臆病なので、モノポリーのお金が大きく動かせても、馬券売り場では畏縮してしまう。
ので、自分で、少し安心、大丈夫、身は持ち崩さない、、、、よね
(あ、今回ほんの少し儲けました、いくらかは秘密です)?


2002年04月28日(日) G1天皇賞(春)1

その日は朝から晴れていた。
昼過ぎにマーチ君(深緑:大阪ナンバー)を府中街道に滑らせる。
針路は南、広い空の見える場所を目指して。
マーチ君が停まった場所には、見る人を圧倒する大きなスタンドがあった。
おずおずと人の流れに乗って中に入っていく、地下の通路は意外と丁寧に掃除が入っている。
カラフルな壁面の塗装が不似合いで、その不似合いな色が嫌が応でも心を沸き立たせる。
異様に長い地下のトンネルを抜けまぶしい光の洗礼を受けたその場所には、
東京で一番広い空があった。
遥か彼方に見えるスタンドに陣取る人の群れ、群れ、群れ。
ざわめき、オーロラビジョンに食い入るように見つめるおやじ、
息苦しい雰囲気、そして・・・ファンファーレ!

どか二等兵、行って参りました府中競馬場!
目当ては、京都で開催される天皇賞!でも何だか府中でもレースやってて楽しかったのー。
本当に雰囲気が面白かったのー、着いたらもう結構大詰めでー。
どかはウキウキワクワクキョロキョロ、未曾有のワンダーランドを満喫していたら、
階段に腰をおろしたネコバス氏はもう競馬新聞に没頭、
ペンを小刻みに震わせるその姿はレスタ−博士も真っ青。
どかも新聞を借りて読む、読む、読む。
東京11レースと、もちろん京都11レース(天皇賞)を買う。
やっぱしタケ様でしょう!と、7番ジャングルポケットから流す
4ー7/5ー7/7ー9。
「ガチガチでつまんないかなあ」と思いつつも「いい、タケ様だもん」と自らを納得させる。
レースの始まる前に馬場内からスタンドに移動、
この後の、スタンドでの体験は本当にエキサイティングだった。

発走時刻が近付くに連れてだんだん人口密度が高くなる。
手に競馬新聞、耳に赤鉛筆という古典的なスタイルを誇るおやじや、
なんだか訳の分かんない罵声を飛ばしてる学生君、年令不詳な化粧の濃いひとりマダムなど、
人種のるつぼ、でもみんな眼前に広がるターフを、オーロラビジョンを気にしてる。
息苦しい、なぜだか息苦しい、みんな緊張してる、こんなに空は広いのになぜだろう。
と空を見上げた瞬間、東京11レース発走!
右前方奥のゲートから一斉に馬群が移動したのが見えた。
ざわざわ(まだみんな静か)、ざわざわ(まだみんな静か)、
ざわざざわ(うん?)、ざわざざわわ(おぉすげえ!)。
スタンドは一斉に泡立つっ!
「行けぇ!」「オカベェ!」「踏んばれぇ!」「こらあああ!」「うわー!」「ぎゃふぅん!」
等など、きれいに右肩上がりでテンションがどんどんあがっていく、馬群が目の前を駆け抜けていく。
「大きい・・・」
馬ってあんなにデカイんだ、これがどかの第一印象、そしてもちろん、めちゃくちゃ速い。
どどどどどどど(←ひづめの音)、「行けええ」「おらあああ」「ぐああああ」(←人間の音)、
全てが混沌に溶けてしまいそうにエキサイトする周りの人間、おおおお、すげえ、としか思えない、
ボキャブラリーが抜け落ちたどか。
そうして終わった府中のレース、どかは一点買いを豪快に外していた・・・
寺山修司先生、あなたは偉かった・・・

<続く>


2002年04月27日(土) 劇団DaDa「花之伝言」

午前中の稽古が終わってから、
夕方からサファイア氏の集団心理実験のモルモットになるまでの間に観に行った。
振り付け兼コーラスで参加しているマヤマヤ嬢のお誘い、ICU・D館オーディトリアムに向かう。

基本的にお金を取ってチケットを売っている団体に関しては、
それが採算がとれているといないとに関わらずエンターテイメント性が問われなければならない。
別の言い方をすれば、オーディエンスのいかなる批判も享受しなくてはならないのだから、
どかも迷ったけれど、ここにレビューとして書く。

ストーリーは書くほどのものでも無かったので割愛。

一緒に観た惣一郎とも話していたんだけれど、
大体「精神病」「白衣・看護婦」「正常・異常」「トラウマ」などというのは、
既にテーマとしてはかなり使い古しの部類に入っている。
というか、90年代後半に大流行りだったモチーフで、それでもう一度舞台を作ろうと志すのならば、
「斬新な切り口の脚本」と「テンションの高い役者」と「奇を衒った演出」のうち、
二つ以上そろえることが必要不可欠じゃないかな。
今回、演出家は残念ながら、この中の三つ目の要素しか持つことが適わなかった。

贔屓目ではなく、コーラスとダンスは良かったと思う。
肉感的なスピードを舞台に持ってくるとそれだけで常ならぬテンションが舞台に降りてくる。
陳腐なストーリーの前後とは無関係に捉えるならば、
何本もの足でならされる足拍子やダンスはボォっと観ていても気持ち良かった。
あの歌は不思議。
ボワボワしてくる。
だからあ、いっそのこと芝居じゃ無くてえ、
「ダンスパフォーマンス、歌付き」のが芝居よかええんちゃうのん?
舞台美術、これは良かった。
正面奥の「白いむき出しの木」は少し狙いがあからさまで恥ずかしかったけれど、
黒い左右のスクリーンは使い方も含めてどかは好きだった。
照明も限られたインフラで可能性を追求していた、いいと思う。

役者、堅い、全然、狂ってない。
怒鳴ればそれで常軌を逸することができると思ってんのん?
怒鳴るのとテンションは違うやん?
あの「心の闇」と称したクネクネうねる人も何だか違う気がする。
舞踏っぽい動きは満喫したけれど「奇を衒」うのを狙っているのが目に付いてしまう
(もしもどかが演出ならばあのキャラクターは絶対派手に動かさない、
極力静かでおとなしめの少年/少女にするな、絶対)。
唯一の救いは、理沙役、この人だけは違った。
天使エンジンで観て以来だったけれどさすがに一人だけ、
あの舞台と、あの空白と、戦っていた。
「もう別れて欲しいの」と消え入りそうな声の呟きには説得力があった。
でもそれだけ。

あとは使い古しのテーマをどこかで観たことがあるような転がし方をしてたんじゃないかなあ。
脚本ラスト、ある程度の飛躍があってそれを「深み」としてとる向きもあるだろうが、
どかはそれを単純に「逃げ」としかとれない。

ダンス、コーラス、美術、照明、良かったのはどれも別に芝居の枠にとらわれない要素ばかり。
必然性は説得力。
1時間と少しという短い時間設定はとてもいい演出家の判断だ。
でも場所がオーディでも、学生主体の団体でも、いい芝居を作ることはできるはず。
ICUの劇団黄河沙の舞台を大学入学以降何度も観ているが、
そのうちの幾つかは今でも思い出に残る作品だ。
「フォーティンブラス」とか「アパッチ行進曲」とか。
だから間違いなく、まだまだやれるのだ。


2002年04月26日(金) ラスト10分

さすがに昨日の即上がりのせいか、
やんなくちゃな課題がたまっていて18時30分まで残業。
国際本部に来ていたシステムのナグモンさんと、
一緒に武蔵境まで帰って来る。
まだミンブに出られそうだと思い、
疲れていたけれど決心してICU行きのバスに飛び乗る。
裏目だった・・・

なぜか20時30分までの練習だと思い込んでいて、
あと30分踊れるし、ヨシッ。
って意気込んでストレッチしてたら、
「あと10分無いっすよ」て。
実は20時までの練習だったらしい、あああああ。

最近なあ、何だかウラメウラメだなあ、全部。
その後天狗に行ってナツナツ・ドラなどと、
就職活動談義で盛り上がる。
っていうかナツナツをネタに笑っていたという気もするが。

・・・いずれにしても、がんばれ、就職活動!


2002年04月25日(木) 引き算の世界

例えば何でもかんでも合理化すること。
合理化とは人を省きお金を省き労力を省き時間を省き、
何でも省いてしまって、
表向き何も省いたように見せないこと、
それが評価の対象。

でもその省かれた人やお金、労力や時間は、
一体どこにいくのだろう。
だれかがちゃんと責任を持って供養するのだろうか。

省略するためにあくせく時間を使って、
まあ、そういうのを強要するのがつまり、
会社というものかもしれないけれど、
省略することを一生懸命頑張っているうちに、
どんどん自分の人生が省かれていってしまう。
それは「引き算」の考え方。
どかは「引き算」よりも「足し算」や「くく」の世界がいいな。

「階段箪笥」や「船箪笥」を作っている、
岩手県在住の古家具職人の工房にはさり気なく、

「省略しない」

のはり紙が自らへの戒めとして張ってあった。


2002年04月24日(水) ELEVATION

U2のニューアルバム、
" ALL THAT YOU CAN'T LEAVE BEHIND "。
これをiPodくんに入れて通勤中に聞く。

三曲目の"ELEVATION"
の、イントロでボノがシャウトする。
そのシャウトは、それだけで一曲の作品を成立させるほどの、
説得力、圧倒的な加速度。

中央線に揺られながら目を瞑って、
ボノの声に自らの心を乗せた。


2002年04月23日(火) 花曇り

「花曇りの日曜日」っていうドリカムの歌があった。
イギリスに留学してた時の思い出の曲。
その娘が昔住んでいたというロンドン郊外の静かな街の、
一角の公園のベンチに座って一緒に口ずさんだ記憶がある。
その日はちょうど日曜日、きょうみたいな天気だった。

ふらふら度は少しマシになった。
でもまだ時折、おぼつかない足もと。
結構いつもよりもさらに早い時間に電車に乗ったのに、
中央線は全然混んでる。
一体どこにこれだけ人がいたのだろう?

会社はボチボチ。
覚えることが多すぎて、イレギュラーが多すぎて、
でも少しずつ周りの人たちに馴染むことができつつあり、
ホッとすることも。

昨日の深夜、偶然BS2で見たU2のライブの映像が印象的で、
きょうの会社帰り、アルバムを買ってしまう。

・・・すごい、いい!


2002年04月22日(月) ふらふら

今朝、中央線に揺られていたら、
急に吐き気がひどくなる。
頭がぼうっと圧縮されたような鈍痛を帯びて、
唇がジンジン痺れてきて立ってられないほど。
と、言うか本当に吐いて倒れそうだったので、
開いたドアから出たら、新宿だった。
ホームで10分ほど休んでなんとかチャミズへ向かう。

27歳の幕開け、さいてーだなあ、落ち込む。
朝御飯ちゃんと取ってないからなんだろけど、
貧血っぽい、激しく、明らかに。

夕方、オーソリセンターで上司と面談、そのまま直帰。
というか、R-GYMへ直行して稽古に出る。
また新たに新人さんが二人。
片方が東大阪出身と聞いてびっくりびっくり。
石切だって、なんと。
でも立ちくらみ。
自嘲しておとなしめでジムでいた。

というか一日中、
立ちくらみと頭痛は続いたなあ、
ずうっと、ふらふら。

どうしようかなあ。
明日になればましになるかな?

かなり不安、っていうか中央線、辛い。


2002年04月21日(日) さて

朝から雨。

ネコバスくんと一緒に食事をする。
小平のマ・メゾンに行った。
昨年の同じ日もここに来たなあと
しばし感慨にふける。

・・・

26歳のクライマックスは壮絶だった。
アラスカ/異動/新歓公演・・・
そうしていずれにせよ、節目の日。
この日を流さずに迎えられたことを素直に喜びたい。

同伴してくれたネコバスくんにはかんしゃっ。
ほんま、おおきにでした。


2002年04月20日(土) あうぅ

そうして昨日、打ち上げはコアメンバーで延々続き、
終わったのが27時頃のビッグエコー。
ちなみに栄えあるサバイバルメンバーは
ハルコン・ドラポン・ドカドカ・魔人ブウの4人。

足は節々が痛く(「鞍馬」踊りこみが足りなかった代償)、
声は枯れ(シブガキ隊「ZIGZAGセブンティーン」のせい)、
かつ寝不足という(魔人ブウの安らかな寝息のおかげ)
ぼろぼろな状態で稽古に出かける。
あうぅ・・・

新人くんが3人ジムに来ていて嬉しかった。
民舞で末永く踊ってくれるといいな、と思いながら太鼓をたたく。

声が出なくて足も痛くて眠い一日でも、
練習の後の「学食カレーツアー」と「バカ山フリスビー大会」、
そして「締めくくりのつばきでビールをキュッ」
で最高に気持ちの良い一日になった!

めでたしめでたし。

さてさて、ブウくん、お疲れ様でした。
多少このページには誇張がある気もするけれど、
寛容な君は許してくれることを僕は知ってる
(ね、許して、ね?)
また、本番一緒にできたらいいね。


2002年04月18日(木) 池澤夏樹「真昼のプリニウス」

実はアラスカに持っていっていて、でも彼地ではほとんど読みすすめられず、
江國の次に読みはじめたらサクっと読了したこの作品。
池澤ワールドには氏の代表作「スティル・ライフ」から入ったドカだった。

現代情報化社会に揉まれている女性火山学者が、
ある転機を踏まえて浅間山に登り山頂火口でひとり佇む場面までの中編。
テーマ的には「スティル・ライフ」よりも一歩前に押し進めている気がした。
「スティル・ライフ」は今も自分の中でベストの位置を保ち続ける大好きな作品だけれど、
「プリニウス」はスゥっと自分の心におさめるのが難しかった、テーマ的には延長線上にあるのに。
つまり今回のテーマは、

「一歩の距離を置いて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかること」
にかてて加えて、
「もう一方の世界の懐に飛び込んで衝撃と実感を得よう」
ということである。

う〜ん、過激だ、すごぉい。

話の後半に「噴火の可能性がある」浅間山頂を目指す主人公が
想起する重要なエピソードに、
「ウサギの罠」の話がある。
山ウサギは餌もつけない針金の輪っかの罠に自ら飛び込んで死んでいくことがある、という話。
このエピソードを主人公はこう捉える。

  本当は、ウサギは針金の向こうに何かを見たのではないか。
  それこそ言葉でも神話でもないものを。
  そして輪を抜けて向こうに行ってしまったのではないか。
  輪の向こうを見ようとして決断した自分に満足していたのではないか。

かなり刺激的な解釈だが、これこそがこの小説のコアなんだと思う。
唸らざるを得ないなあ、そう言い切ってしまう清々しさ。
要するに人間の理性や欲望や弱さや狡さが生み出す様々な世界の「切り口(=物語)」を拒絶し、
思いきって「世界自体」へ肉薄し自らの世界を深化させてその深化の加速度でもって、
この世の中に「確からしさ」を生み出せるはず・・・

う〜ん、確かにそうかもしれない。
でもまだ微かに引っ掛かるのは、なんだろうな。
河合隼雄の著作にも惹かれてしまう自分は、やっぱり「物語」の有効性を捨てきられないのだと思う。
昼下がりに垂れ流されている世相の表層を滑っていく浅薄な「物語」はもちろん気持ち悪いが、
けれども「人は自分の力で生きている(BY吉本ばなな)」のだし、
それである以上、人は自分のために自分の物語をひっそりと紡ぐ以外、
どうやってこの世界に自分を繋ぎ止めておけるのだろう、と思うのだ。
池澤氏が語る「物語」と河合先生が語る「物語」はきっと、厳密な意味で違うだろうし、
池澤氏があえて過激なテーマを世相にぶつけてみたくなった気持ちも分かる。
だから、なかなか割り切れないんだなあ、きっと。

ちなみに池澤氏は決して文章は巧くないと思う、そりゃあ江國節と比べるとごつごつしてるし、
情景描写なんかもすんなり頭に入ってこないところがある。
でも、そんな文体もカバーできるほど明確な主張と方法論は清々しさを通り越して、
ある種凛々しさをも感じるほど。
こんなに自分の中の違和感を放り出せず、いろいろ考えてしまうのに嫌な感じがしないのは、
その凛々しさ故なんだろう。

よし、次も池澤氏を読もう。


2002年04月17日(水) 有事法制

すっごい風の強い日、電車もとまった地区があるらしい。
昨日の酒が残ってて、もう、ほんっとに最っ低な気分でチャミズに降りたら、
ヘルメットにマスクという懐かしい出で立ちの全学連風に出会う。
なんだかでかい声でアジっていて、ああ、最近の ICU はノンポリでつまんないよな。
などと思っていたら、彼等が騒ぐのも無理はないとすぐに気付いた。
有事法案が閣議で決定したらしい。

誰がこの法案を推進しているのだろう。
経済面での施策では確かに小泉総理が前面に出てきて「顔」としては説得力があるけれど
(ちなみにどかは彼が大嫌い、その理由はいずれ)、
この有事法については彼が前面に出てきて音頭をとったり、
内容や方針の説明を具体的に議論したりという話はほとんど聞かない。
景気対策だのみずほだので大変でわたわたおたおたしているドサクサまぎれの印象は、
朝日新聞でなくても拭えないだろう(いわんや赤旗をや)。

いろいろ刺激的なご内容のようで、人権に制限を受けるとか専守防衛ヤンピとか、
でもそんなことよりもいっさい、まともな議論が起こってないところがヤダ。
小泉も(もう呼び捨て)議論を起こそうって言う気が希薄っぽいし。
それって、大日本帝国憲法時代の政府の体質と変わってへんのんちゃうん?
って突っ込まれても仕方ない気がする。

今後、自衛隊を軍隊として明確に憲法で定義するのを前提としてならば、
徹底的にシビリアンコントロールできる体制を作れるのであればこの法制はありだと思う。
でも、シビリアンコントロールする体制を作る時点でシビリアンコントロールできないんじゃ、
お話になんない、言葉遊びじゃなく。

社民党とか共産党とかも憲法9条一点ばりの立ち位置を少しずらさないと、
議論は起こんないよね、うん。

どちらかがどちらかを包摂している(正しい)という言い方はナンセンスで、
2者択一ではなく、2項対立ではなく、そこにパイプを渡すことが大切なんでしょ、ねえ?

なんだか政治じゃない別の話みたくなっちゃったけれど。

・・・そんなことより、明後日の「鞍馬」心配だ。
だって、一年ぶりか、衣装つけるのは。
その間、相方と合わせた回数なんて片手で足りるくらいっしょ。
大丈夫かいねえ?
ウシワカマルとゼンカイボウの間のパイプは誰がつけるのだろう。
アラスカ横断パイプライン並に長いのが必要かも。


2002年04月16日(火) 送別会

今夜は会社の前いたオーソリセンターの帰属する部署、
「信用管理部」の送別会が開催される。
実は4/5に「オーソリセンター」の送別会があったので、
二回目となるのだが、会社とは「括り」なんだなあと、
こんなときに一番、社会人を感じたりする。

オーソリセンターの時よりは大掛かりだったけれど、
でも気のおけない後輩や同期と飲めて楽しかった。
それがびっくりするほど楽しいのだ。
国際で如何に畏縮してるかだなあ、ほんまに。

異動したくなかったよ、オーソリセンター。
後ろ向きだと言われようが何と言われようが、今日だけは言いたい。

「上等兵殿、どか二等兵はやはり切なくて苦しいであります!」


2002年04月15日(月) 江國香織「神様のボート」

やられた・・・

江國香織は退屈だ、僅かなさざ波。
江國香織はキザだ、鼻につく体言止め。
この作品も、読みはじめてからすっごい時間がかかって、
それはどかどかが劇的に忙しかったのもあるだろうけれど、
それだけじゃなくて彼女の文体への拒否反応と物語への軽い失望があったのだろう。
と、日記で報告して終わりにするつもりだったのに。

きょうの会社帰りの中央線の中で最後の数ページを読んでいて、涙ぐんでしまった。
ああああ、やられた。
すっごい、悔しい。
半泣きだったもんな、ラッシュにもまれながら。
でもでもさ。
鼻につくんだよ、この人は、大体さあ。

  ペダルをこぎながら、ロッド・ステュアートをハミングした(「6.夏休み」より)。

なんで「ステュアート」やねん!
と突っ込みを入れたくなるやんか「そこはスチュワートでええんちゃうんかい!」ってさあ。
百歩譲って「スチュアート」だ。
なあんて、そんな些細なところにこだわってしまうのはきっと、どかどかが江國を嫌いだからでは無く、
やはり紙一重ではずされてしまうことへの歯痒さの裏返しなのだろう。
でもそういえば、ラストの「衝撃」を予感させる予兆はあった。

  一度出会ったら、人は人を失わない(「9.秋の風」より)。

とか、

  あのひとがかつてたしかにこの世に存在し、私を愛してくれたということを、
  示す証拠は何一つない(「15.2004・東京」より)。

とか、どかにとって「スンっ」と思えるほのかな感情の流れがあったことは認める。
重ねて繰り返すが、ほとんどは退屈な、半ば失敗作とも言える小説だと思う。
失敗とどかが言う最大の根拠はナラティブが二人居るわけだが娘・草子の語りに現実感が希薄である点だ。
あんなにませた江國節を使う小学生女子がどこにいるんだ。
でも悪い意味で曖昧な印象を引きずる作品の後書きで、作家自身は語っている。
「これは狂気の物語です」であり、「いちばん危険な小説」だと。
そこは確かに認めざるを得ないな。
恋愛の破滅的な側面を抑えたタッチで描くと必然的に、
狂気をたたえた世界観になっていくもんな。
その世界観こそ、どかが江國を切ることの出来ない理由であり、一番好きな点なんだろうな。
「破滅的な狂気」こそ。

やられた直接の箇所は、最後の草子から葉子への手紙と、ラストシーンだった。
読み返すと危ないから読み返さないもーん。

そして、この小説の構造は村上春樹の「スプートニクの恋人」に酷似している。
「スプートニク」はラスト、泣いちゃったもんな。
この二つの作品にやられてしまう自分は、きっとかなり本質的に病んでいるんだと思う。
いいんだけど、全然。

江國はもう一度、また何かを読んでみよう。
とりあえず次は江國から離れる。
この作品は、読んで良かった。
あやうく途中でやめてしまうところだったけれど、
最後まで読んで良かった。
既読江國作品の中では一番良かった。


2002年04月14日(日) プラド美術館展@国立西洋美術館

ごっつい、いい天気。
だったので、ついつい、凄い人出であるのは分かっていても上野公園に足を向けてしまった。
そう、行ってきました "OBRAS MAESTRAS DEL MUSEO DEL PRADO" !!
実際かなりの人出で最初は受け流せたものの、だんだんストレスになってくる。

さて内容だが、この前に来たオルセー美術館展なんかスカプウのプウくらい、どかどかはいいと思った。
エルグレコ、リベラ、スルバラン、ムリーリョ、そしてべラスケスにゴヤ!
もともとどかどかは、スペイン絵画が大好きで、特にスルバランやゴヤは本当に凄いと思う。
そして、ディエゴ・べラスケス。
べラスケスの絵を、素直に楽しめる目を持つことができて良かったなあと思うくらい、
そのくらいべラスケスは好き。
その割にまだプラドは行ったことが無いのが情けない。
ピレネーを超えるだけの元気があのとき無かったんだよなあ、ちぇ。

電車の中でも見られる「セバスティアン・デ・モーラ」も間違いなく西洋美術史上屈指の肖像画だが、
どかどかはべラスケスのもう一枚「彫刻家ファン・マルティネス・・・」の前でぼうっと時間を過ごした。

立っている彫刻家がこちらを向いているだけの絵なのだけれど、とても気持ちがいい。
べラスケスの魅力の一つは「黒と白」なんだと思う。
その鮮やかな対比は目の奥にじんじんと響いてきて視覚をダイレクトに撫でてくる。
また一方で彼は、描く対象の人物に鋭く肉薄していく才能もあった。
深い精神性をたたえた彫刻家の表情の描写は胸に静かな共感を生まずにおらない。
この視覚的快楽と人間的共感の間を行ったり来たりたゆたえることの、なんと幸せなことだろう。
昔はべラスケスの絵って何がいいのか分からなかった。
今となっては特に目新しい部分の無い、普通の平凡な絵だと思い込んでいた。
いつの頃からだろう、今では自分の中ではレオナルド/フェルメールと同列に鎮座する至高の存在だ。
この変化ってロンドンでウォレスコレクションを観たときだったっけ?

今回のスルバランは「聖エウファミア」が好き。
感情表現を極めて抑えた表現は17世紀のものなのに、なぜいま、こんなに新しいのだろう?

ムリーリョは月並みだけれど「無原罪の御宿り」。
画集で幾度と見たムリーリョの代表作だがあんなに大きいとは思わなかった、良い。

さて今回の展覧会のメインディッシュだったゴヤ。
なんだかディスプレイが彼の人生をいかにもトレースしてます的で、ヤだなあと思ったり。
つまり夢も希望も持って画業のスターとを切った彼が主席宮廷画家まで登りつめ、
そして虚栄の現実や悲惨な戦争を知り聴覚も失い絶望していくという「分かりやすい」物語。
でも、確かに、そうなんだろうな。
「日傘」に見られる一点の曇りも無い溌剌とした色彩構図、高揚感はあくまでピュアで壮快だ。
そして晩年の「ミルク売り娘」は陰鬱な色使い、かつての大胆軽快な筆致も鳴りを潜めている。
でも。
その娘の頭上から微かなひとすじの光が、本当にわずかに降り注いでる。
この「救い」にゴヤが自覚的だったとは思わない。
きっと彼は無自覚に朦朧と筆をとったのだろう、でもだからこそ、
この絵はプラドの一角を占めるだけの傑作になったのだろう。
「巨人」なんかよりもずぅっと説得力に満ちていて、いい、うん、いいな。

いい展覧会だと思う。
これ以外にもヨルダーンスやティントレットの佳作もあったし。
ストレスフルじゃない平日午前中に行きたいな。
でも無理なの、国際業務部勤務じゃ。
あー・・・・
ちぇぇ。


2002年04月13日(土) ほわほわ

土日、続けて休みなんて、違和感。
今まで土曜日は休みで日曜日はたいがい出勤だったからなあ。

練習に出て鞍馬を稽古、学食で御飯食べて、師匠の車を試乗、
その後ガッコに戻ってマサヨンの就職活動の相談を受けて、
タローさんとフリスビーで遊び、武蔵境駅前の天狗で夕食、
ナツナツ・親方・マサカズ・惣一郎の5人でカラオケ、
その後ネコバス氏とお茶する(盛り沢山だ・・・)。

でも何が一番印象的だったと言って、
練習が終わってから学食に向かうまでの間。
とっても新緑がきれいで、天気もとても良くて、静かで、
なんだか暖かくて、
「ああ、やっぱりICUは気持ちええなあ」
とひとりジーンときたことかな。
なんだか、チャミズの喧噪がどんどん遠く小さくなっていくような、
そんな心地よい春風に吹かれてうっとりほわほわ。

魔の5連チャンを乗り切ったご褒美だったのかなあ。


2002年04月12日(金) 歓迎会

ついに月〜金、5連チャン達成!
新しいグループの方々が、
どかどかを含めた数名の歓迎会を開いてくれた。

う〜ん、猫かぶっちゃったかな。
でも、ま、趣味の話とかして、いかに自分が宇宙人かは、
ちゃんと言えたと思うからいいか。
それにしても会社と言うのは、部署によってここまで、
カラーが違うのか。
と、びっくりした。

自分の異文化適応力への挑戦、
なんて大げさにとってみたくなるほどだけど、
ま、口火は切って落とされたわけだ。

でも、飲み過ぎたー、頭いたいー。


2002年04月11日(木) カワイ子ぶってもさ

今日で4連チャン目、朝フラフラだった。
やっぱり月曜日から金曜日の5連チャン、朝から出勤は辛いよう。
これが普通のサラリーマンのペース、と分かっていても眠いよう。
オーソリセンターのシフト勤務にどっぷりつかっていたせいで、
「普通の」サラリーマン、ドカぽん無理みたい、テヘっ♪
なんてカワイ子ぶってもさ、
誰も中央線のラッシュから救ってくれないんだよな、ちぇ。

BIGLOBE の RAKURAKU-HPパックが Ver.3 にアップした。
操作性が確かにアップしてスムースなのだが、不満。
自ら HTML のタグを使ってハイパーリンクとか張ろうとすると、
Ver.2 では何ともなかったのにバグが出て出来ない。
自分でタグとか組み込めないような設定なのか。
もっとフレキシブルなのがいいよう、NECさん!

北海道に戻った教授に焼いてもらった CD R でブラームスの一番を聞く
(1987;カラヤン;ベルリンフィル)。
何となく、落ち着いた。
ありがとう教授!


2002年04月10日(水) タイとアラスカ

仕事が終わってさあ帰りましょう。
って思ってたらリクルーティングでチャミズに来ていた
ミツル氏とマルくんに遭遇。
ブウタンさんと四人で夕食となる。

案の定、楽しい「バカ話」がスタートする。
みんながタイに行ったときの「オバカなエピソード」をたくさん聞いて、
久々に大声で笑った気がした、うん、楽しい。
「どかどかも今度行こうよ、タイ」
って途中参加のカマポンに誘われた。
嬉しかった、んだけれどなー行かないんだろうなー、きっと。
なんでかな?

楽しい、ということで言えば絶対アラスカよりタイなんだと思う。
御飯も美味しいだろうし、人も魅力なんだろうな、
アラスカと比べると遥かに遥かに。
そして彼等の体験と言うのは、
なんだかんだゆっても衝撃的だったのだろうし、
それは日常の断絶を確実に生み出すエネルギーのるつぼなんでしょう。
でもな、どかはやっぱり、アラスカだな。

金銭面の話だとアラスカ一回でタイは三回行ける。
でもな、僕は三年くらい海外旅行我慢してでも、
ブレークアップに遭遇できる可能性にひたすら賭けるな、きっと。


2002年04月09日(火) 我慢

相変わらず新入社員と一緒に御勉強な一日。

自分の予期していなかったチームに配属になる模様。
それは最初嬉しかったのだけれど、でもブルーになる。
残業、多いんだって、ちぇ。
やばい。
自分自身にぼけぼけしているフリするのも、限界か?
残業で自己表現が制限されるのは、ヤダ。
が、当面は頑張る。
自分で既に、期間設定はすんでいるのだけれど。
リミット、リミットね。

それはそうとiBook二代目くん、
今のところ快調、唯一の救いだ。
スリープからあっという間に立ち上がる OS X も、愛おしい。

今夜は無理だけれど3月半ばから4月にかけての激動の半月、
絶対その日記をアップしてやる。
というのがささやかな今の夢。


2002年04月08日(月) 初日

やれやれ、異動初日終了。

御茶ノ水は人が多くて疲れる。
かつ研修は暑くて眠くて疲れる。
さらに知らない人ばかりで緊張して、うう、疲れる。

ま、当たり前なんだけどね。

アラスカから帰ってきて、まだオーロラぼけが抜けてない。
なんだか集中力が、いまいちくんだ。

でも、実は知ってる。
オーロラぼけはとっくに治っていて、
恐ろしいほど冷静に頭が冴えていることを。
客観的にいまの状況を捉えてしまうと危ないから、
ぼけぼけを持続させていることを。

まず、3か月だ。


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