un capodoglio d'avorio
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2001年03月17日(土) つか「ストリッパー物語('01)」


これが'01バージョンのパンフレット。舞台でしか再現できず、いまだ活字化されたことがないつかこうへい幻の戯曲。20年越しの再演。16時開演@赤羽会館。しかし、今回の舞台は、初めてどかがつかに対して失望した舞台で。というか、裏切られたって感じ。

ストーリー。盛りを過ぎたストリッパー・明美は盲腸の痛みをおしてステージに上がった結果、得たのは腹部の大きな傷、失ったのは子供を産む未来。明美のヒモ・重サンは明美に殴られ蹴られながらもよりよき「ヒモ道」をまっとうするため献身的な日々。ある日女子中学生が明美のところに「アメリカにダンス留学したい」。明美、かつての自分の夢をその娘に託し、留学費用をかせぐため本番も厭わないで脱ぎ続ける。しかし、本番すら覚悟の苛酷な日々は、明美のカラダを病魔に蝕ませていった。そして、そしてその女子中学生は、重サンの実の娘であった・・・


という、まーおおまかなプロットだけ書き出してもこんな感じなので、細かいエピソードはもっとえぐく、確かに活字化はできんだろうなこれは。・・・っつうか、分かんなかったのね、ストーリーが、まじで。役者が有象無象20人くらい出てくるんだけど、彼ら彼女らが次から次にどなりちらして、で、またカツゼツが悪いからなおさら聞き取りにくく、それなのに、つかが全部の登場人物をリンクさせて複雑なプロットにしちゃったから、何がなにやら。

どかですら、だよ。どかは一応、つかフリークを自称できるレベルだと、思うの。'98以降のつか芝居は全部観てきたもの。速くて長いセリフ回しにもつか流の作劇術にもつか風文法にも慣れてるつもり。でも、この日はダメだった。がんばってついていこうとしたのだけれど、完全に振り切られた。というか、だれがついていけたんだろう、言葉が聞こえないのに。まあ、確かにハコが悪いのはある。赤羽会館は演劇をうつことが不可能なつくりだ。デカすぎるし音響悪くて、悪条件。でも、そんなん言い訳だ。ニュアンスでおそらく悲惨で陰鬱な運命に翻弄されつつ、でもそれを笑いながらグルグルうねってるのはわかるんだけどなあ。つかだって、演出取らせたら、日本一のヒトだ。この舞台が全然成立してないことなんて、自分が一番身にしみてるハズだ。

なぜ、つかはそれほど肩に力が入った演出になったのか。

なぜ、つかはそんな脇役全てを狂騒的にまつりあげる必要があったのか。

理由は簡単である。主役の2人の力不足だ。明美に渋谷亜紀。重サンに若手から大抜擢・赤塚篤紀。どかはこのころ、北区つかこうへい劇団の若手で少し光るやつがおるよーっていうネットの情報を手に入れたので、それで楽しみにして来てみたのだ。ところが、まだ、早かった。この「前向きのマゾヒズム」の純粋結晶みたいな橋本重三というキャラクターを演じるには、華が足らないの。結構スピードがあって、芝居もうまい。勘がいいのね、緩急を付けられて、ちゃんとポイントにはググッとうねるグルーブも持ってこられる。この日、板に乗っていた20人の中では、一番まともだった。

でも、重サンというキャラクターの、どうしようもない最低の「ゲスさ」と、ピカピカに磨き上げられた最高の「品性」、どちらも足りない、届かない。いいところまでググッと持ってくるんだけど、たとえば声を張り上げるとダミ声になってしまい通りが悪くなるという弱点そのままに、イマイチとどかないんだなあ、その極限に。どかの席は後ろのほうだったけれど、明美とのダイアローグ、このドラマ一番の見せ場で言葉が判別しないのは、もう、いかにどかがつか贔屓だからとて、フォローでけへん。

  重三 君の心が欲しいから、君の体が欲しいんだ。

という、有名なセリフ。このセリフだけは少し、どかに届いた。さすが赤塚クン、絶対の決め所は知ってる。でも、ワンフレーズだけじゃあ、2時間以上の芝居、持たせらんないの。

さらに輪をかけて間が悪いのが、明美の渋谷亜紀。全然あかんでしょ。踊ってるだけ。セリフは声が細くて神経質、それが怒鳴るともう、女性のヒステリーにしか見えない聞こえない感じられない。さらに、重サンががんばってセリフとココロをぶつけてきてるのに、ぽやーっとしてるから、明美の存在に説得力が全く無い。いちばん、スポットライトをたくさん浴びてるから、ああ、彼女はあそこね。って分かるけど、あれでスポットなしやったら、どこにヒロイン明美がいるか、きっとわかんないよ。全く。芝居があまりに厳しいから、ダンスもちゃんと見られなかったなあ。

  明美 いいじゃない。
     一緒に暮らして好きになって、
     一緒のお墓に入りたいって思ったんだから。

といういいセリフ、まったく響かない。重サンのことを想う気持ちが見えないんだもの。キツイよ。

で、重サンと明美は戯曲上、人生の辛酸をなめつくして酸いも甘いも知っていて、それでいてなお明るく朗らかに「ヒモ」と「ストリップ」に邁進するっていうすごい役なのに、赤塚クンと渋谷サンはまだなんにも知らない分かってない男の子と女の子がおままごとをしてるみたいだったの。つかもこれはキツイと思ったんだろうな。サブキャラを精いっぱい投入して、そのサブキャラの推進力で、真ん中2人を援護射撃しようと試みた。

しかしこれが完全に裏目。出てくるサブが全部、自分が何のためにそこにいるか分かってないヒトばっかり。自分たちは重サンと明美の2人の「純粋な愛」を加速させるために板にあがってるのに、そんなの無関係に自分に与えられたセリフ、怒鳴り散らしてそれがまた聞こえない。ストーリーがすごい入り組んでるから、一生懸命言葉追うんだけど、だんだんイライラしてきて。わっかんないからさあ、何言ってんのか。

モデル上がりのトロイ、元クラッシュギャルズの長与千種、元タカラジェンヌの森ほさちなど、三連発の飛び道具まで持ち出して、もう、大乱射戦のバトルロワイヤル。でも、あとには四肢累々の屍とむなしさだけが残って。嶋祐一郎・山本哲也といったベテランも、もはや知らない。発声、ちゃんとやってよ、って。客はさあ、お金払って見に来るんだよ。いくら若手育成のためだからといって、絶対越えなくちゃいけない一線があるはず。だって、それがエンターテイメントでしょ?というわけで、この芝居観たあとは、なんだか、悲しくって。今までつかさんを信頼して見てきたのに、ああ、もうどかには手が届かない場所につか芝居がいっちゃったんだって。

・・・さて、しかしながら、この舞台のあと、役者・赤塚篤紀は完全に自らの才能を開花させた。彼が自らの狂気を完全に解き放つための、最後の試練がこの舞台だったのか。彼はこのあと「新・飛龍伝」「熱海殺人事件」などで重要な役を水を得た魚のごとくむさぼっていく。いいなあ、上昇気流が目に見えるって。

・・・・・・それでも、どかはこの舞台は評価できなかった。もしかしたら、幻の名作は、確かに活字化されなかったけど、それは活字化するほどの戯曲じゃなかったからなんじゃ、とすら思った。でもどかは2年後に知る。それは過ちだと。やはりこれは幻の名作であり、'01の不出来は、つかこうへい自身の調子がきわめて低調だったからの故であると。

・・・・・・・・・蛇足。この芝居はプライベートでもあんまし良い思い出にはならなくて、というか、このあとケンカ。ああああ、でもこれがこのページのどかの辛辣な表現の理由ではないです。それは、誓って、もう。でも、あああ、ちぇ。いいや、それは、どうでも。


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