un capodoglio d'avorio
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2000年11月18日(土) G2プロデュース「人間風車」

どかの中でベスト3に入る芝居(2002.2.28現在)で、
それだけではなく極めて個人的な理由で最も印象的な芝居、絶対私はこの夜と舞台を忘れない。

ストーリー、実はホラー。
売れない童話作家の平川が近所の公園に子供達を集めて自らの作品を披露していた。
そこにある日、自分の童話の登場人物に扮装した男が現れる。
平川はその男が自ら恋に落ちた女優の弟だと知らず彼女の前で男を嘲ってしまい、
その後様々な人の悪意に巻き込まれて・・・

大阪の人気劇団「遊気舎」が97年に発表した作品の再演、
もと「遊気舎」主宰で脚本/演出/役者だった、後藤"大王"ひろひとは今回キャストの一人として参加。
大王以外にも珠玉のキャストが揃う
(生瀬勝久・阿部サダヲ・八嶋智人・松永玲子・大倉孝二・升毅・など)、かなり魅力的。
そしてそのキャストがことごとくはまっていたのが総和としてかなり高いパフォーマンスに繋がった。
特に生瀬と阿部は圧倒的な恐怖と宗教的なカタルシスを生み出した元凶であり戦犯であり英雄。
中盤以降物語が転がりはじめると加速度をつけて「人間の想像力」のネガティブで危険な側面が照射されていく。
想像力というのは限定された人間の輪郭から、唯一解放されうるジャンプ力があるかも知れないが、
そのジャンプは踏み切り位置がずれてしまうだけで全てを巻き込む奈落が待っている。
確かに、そうかも知れない。

想像力は人が尊厳を持っていきていくために、どうしても忘れてはならないもの。
想像力はたとえ人が途方に暮れる寂しさに負けようとも、最後まで残る唯一の武器。
けれども、そう言い切ってしまうことに安心してしまうと次には、正しく明るい世界に続く
「ジャンピングボード」を踏み外し、音も無く奈落に落ちていくのだ。
この警鐘を鳴らすだけでも後藤の書いたこの脚本は意味があった。
けれども後藤はそれに留まらず、奈落の底近くまでキャスト全員を突き落としたその後で、
「最後に残された僅かな」想像力で見事に奈落の深みを反転させ、
信頼と友情の高みにつなげる。

  「作家、見ててね、身体の羽を神様に返すから」
  「ああ、俺はここで、見てる。見てるよ、サム!」

これは絶対に泣ける。
前が見えなくなる位に泣いた。
最近のつか芝居ではあまり泣けないが、この大王には泣かされた。
つかと大王は「人間へのどこまでも優しい視線」はあくまで共通しているが方法論がかなり異なる。
まだそれをうまく説明できないのが歯がゆいが例えば大王のこの芝居、どかが号泣しているそのとき、
どかの想像力は全て舞台上のプロットに弾かれる様に高く舞い上がっていく。
しかしつか芝居の場合はどかが泣いているとき、それは自らのこれまでの経験を階段として、
一歩一歩噛み締める様に全てを嘆いて祝福していく。
書いてみればそんな違いだと思う(書き足りないな、また別の機会に書こう、うん)。

例えばどかが無人島に流されるときに「戯曲をどちらか一つ持ってっていいよ」と言われたら、
それが「人間風車」と「銀ちゃんが逝く」だったら即、後者を選ぶ。
でもそれはつかこうへい最高峰の戯曲だからそうなのであって、
それ以外のホンだったら例えつかでも、選ばないかもしれない、それくらいの傑作。

(この夜はまたもう一つの意味で特別だった、それについていつかかける日がきたらいいと願う)


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