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2000年06月18日(日) 青年団「ソウル市民1919」後編

(続き)

平田サンと青年団の舞台は、ある意味マンネリである。平温で日常を映し取るだけの作風。でもその共通点をもう少し詳しく見ていくと見えてくるものがある。

例えば、いくら「静かな演劇」とは言っても、平田サンの戯曲には、ほとんどの場合何かしらのイベント性がきちんと織り込まれている。例えば「住民運動の頓挫の危機(海よりも長い夜)」とか「第四次世界大戦(東京ノート)」とか「イラン革命(冒険王)」とか「建築現場で発見された遺構(さよならだけが人生か)」とか「結核と死(S高原から)」とか。もちろん今作の「三・一事件」などは最たるもので。

そしてそれらのイベント性が持つ大きな波動を背中に感じつつ、顕微鏡をのぞき込んでいくわけで。のぞき込むのは観客、演出はその顕微鏡の接眼レンズと対物レンズの透過性をただひたすら高めて行くのみに撤する。すると見えてくるのは次のこと。人間は日常から切り離されて生きていくことなんかできない。どんなに感動したり悲嘆したり激昂したり歓喜したりしていても、ぶっちゃけお腹は空くじゃない?という言い方もできるかな。でも、それよりももっとどかのイメージを言うならば。。。

「夕焼けの空に輝く星」だ。

それは太陽の強烈な光の波動にほとんどかき消されながらも、それでもかすかな自らの燃焼が生む波動をどかの網膜にとどけている営為だ。それこそが、青年団の舞台だ。そのときつかこうへいならば燃える夕日を描く。そのとき維新派の松本雄吉ならば凍るような月光を描く。しかし平田オリザはそのどちらでもなく、見えるか見えないかの小さな明滅に惹かれてしまうヒトなのだ。

普段の昼の世界では、大きく強い太陽の波動でかき消されてしまう明かりである。でも、金子みすずじゃないけれど、ちゃんと別の恒星は恒星で燃焼を続けているのだ。細かい不安や、切ないしがらみ、そんななんやかやを日々少しずつ処理しつつ、でも新たになんやかやは降ってくる。永遠に断ち切れないそのスパイラルを、そのままスパイラルとして提示すること。観客自身も巻き込まれてるスパイラルなのだけれど、平田サンは突き放した視点を設定してくれるから、そこにわずかなカタルシスが生まれる。この圧倒的なクールネス。距離感。遍在性。

そしてこの戯曲は、時間設定を80年前に設定してしまうことで、このクールネスは極点まで推し進められる。全くの同時代を扱う舞台では、平田サンはこの距離感をとるために徹底してドラマチック性を排するという手段に頼るのみなのだけれど「ソウル市民」シリーズでは、舞台の設定自体で観客に対して距離感を届けられるという利点がある。それを最大限に生かしているから、青年団の特徴がもっとも良く生かされる。

例えばシアタートラムの客席にいるヒトは、一応義務教育は受けているから「日韓併合」がどういう施策だったのか、その後日帝と朝鮮半島はどういう運命をたどるのか、その知識をもっているわけで、その視点から見ると、もう、登場人物たちが滑稽に笑えて仕方がない。無意識のうちに発言の前提が朝鮮人への差別を含んでいること、それに気付いていない日本人、それを聴きつつ端で机を拭いている朝鮮人の使用人。悪意の無い、差別。でも、それに対して、平田サンは説教じみたイデオロギーを戯曲に託している訳じゃない。ただ、提示しているだけなのだ。大きな時代の流れにあって、一瞬のそうしたさざ波を、映し取っているだけなのだ。けれども、その寄せては返す小さなさざ波のゆらめきを見ていると、なぜだか、泣けてくる。

きっとそれは、月から見た地球、いや、もっともっと離れた場所から遠く眺めた地球の明かりだからだ。私たちの人生はつまらないものだし、日本はきっと滅びるし、世界もきっと終わる、人類は、滅亡する。それでもいまここに、自分が存在することの当たり前さ。この当たり前具合を認識して泣いてしまうのだろう。かすかに明滅する明かりとしての地球、人生、自分。

青年団は、大きな流れにたゆたう小さな波をどんどん微分して微分して、そしてそのナノ単位まで分解し尽くしたミクロコスモスを再現することで、結局は全宇宙的な存在論としての真実を描いてしまう。登場人物の「ため息」ひとつに、民族自決主義の世界史的規模の激昂を織り込んでしまう。オルガンのひとつのキーの響きに、全人類の発生から滅亡までの運命を織り込んでしまう。平田サンが書く戯曲がいちばん良い出来で、青年団の役者の一軍がオールスターで出演すれば、それが可能な舞台になってしまう。

どかがあの時流した涙は、ガガーリンが地球を眺めたときの気持ちと同じだったんだろう。この舞台は、歴史的な上演だった。まぎれもなく、ベストだった。


2000年06月17日(土) 青年団「ソウル市民1919」前編

ソワレ@シアタートラム、S嬢といっしょに観に行った。青年団の舞台のなかでも、屈指の名演。たとえば、戯曲家における作品の位置づけで言うと、つかこうへいにおける「熱海殺人事件」にあたるのが、青年団における「カガクするココロ」。つかこうへいにおける「飛龍伝」にあたるのが、青年団における「東京ノート」。そして「蒲田行進曲」にあたるのが、「ソウル市民」だと思う。ならば、この「ソウル市民1919」は「銀ちゃんが逝く」に相当するか。そう思うくらい、この戯曲はすばらしい。

劇団の代表作「ソウル市民」は1909年のソウル(当時の名称は漢城)に暮らす日本人一家の生活の一瞬を切り取った舞台だった。そして今作は1919年のソウル(当時の名称は京城)に暮らす、同じ日本人一家の生活を切り取ったものである。ちなみに1909年というのは日韓併合の前年。1919年というのは「三・一独立運動」が起こった年である。ベルサイユ会議や民族自決主義に喚起されたこの独立運動は、日本の植民地支配下の朝鮮で起こった最大のものである。当初、独立宣言の朗読から始まり無血の示威行進へと発展したらしい。そして、まさに今作の設定は、1919年3月1日…。

しかし劇団の主宰、平田サンは舞台を総督府や街頭には設定しない。あくまで、ある裕福な日本人一家の客間が舞台であり、あくまで、そこに流れる「いつも通りの」日常を淡々と描出するだけである。この劇団の作品の例にもれず、もちろん暗転無し、BGM無し、スポットライト無しの、ストイックな、けれども逆にとてつもなく贅沢な作りとなっている。そのストイックな日常のなかに、けれどもそのまさに世界史に刻み込まれる歴史的なイベントのかすかなノイズが、ときおり紛れ込む。でも、それは日常を完全に乱すことはしない。普通劇作家なら、こんなにドラマチックなイベントだから、そっちを描こうとするよね。つかサンなら間違いなく、そっちを描く。でも、平田サンは頑なまでにドラマチックから背を向ける。

そして民族自決主義の大波に突撃する代わりに、ブルジョワ日本人家族のごくごくささやかなさざ波にフォーカスを取る。例えば内地に嫁いだけれど出戻った次女が次のお見合いを拒んだり、内地から京城での興行のために呼ばれた力士が訪ねてきたり、オルガンのレッスンに来た先生がその力士にびっくりしたり、住み込みの書生が「外で朝鮮人騒いでますよ」って報告したり、朝鮮人の使用人がいつの間にか家から姿が消えていたり、活動(映画)を観に行こうよって次女が書生を誘ったり。そんなトピックが、つか芝居みたいにくっきり分けられて長ゼリでたたきこまれるのではなく、あくまで日常だから、いろんな会話が断片的に、ポッとでたり、パッと消えたり、青年団の専売特許・同時多発会話などで淡々と続く。分かりやすいテンションの盛り上がり、ゼロ。分かりやすい説明セリフ、ゼロ。分かりやすい感情のこもった熱いセリフ、ゼロ。

いやー、でも、感動するんだよね。掛け値なしで感動したどか。ラストのオルガンの響きとそれに唱和する女優の歌声が、暗転にスッと引いた瞬間、どかはシアタートラムで痺れて動けなかった。泣いた泣いた。そしてその涙がどこから来たのか、全く分からなかった。青年団がいくらクオリティの高い舞台を続けているからといっても、どかがそこまでキたのはこの作品だけだった。

いま(2004年3月12日)なら、少し、この涙の意味が、分かる。分かってきた気がする。


(続く)


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