スケッチブックには色んな絵が描かれている。 雪の降り積もった公園の木々達が重そうにしている絵、 子供達が赤い顔をしながら、雪合戦している絵、 ポツンと置かれて淋しそうにしている雪だるまの絵、 急に積もった雪に立ち往生した車の困った顔の絵、 駅のホームで恋人の帰りを待つ白い息を吐く女の絵、 そこには色んな顔が描かれている。
希望だったり、愛だったり、混乱だったり、苦しみだったり、淋しさだったり…。 ―どんな事が起こるだろう―
僕はただスケッチが書かれていく過程を見ているだけ、隣で、君の。 暖かなスープを待つ少年のような心持ちで僕はそのスケッチを見る。 しかめっ面して被写体を見る君の顔はどこか美しい。 するどった気持ちが丸くなってそっと手を差し伸ばしてみたくなる。 赤い手をしながら必死にスケッチする彼女の左手を暖めてあげたい気分でいつもじっと彼女の左手を見ている。尖った気持ちが丸くなっていく時間…。
「少し歩いてみようか?」 新雪の上をゆっくり2人並んで歩いた。 「これからどうなるのかな?」 ミシッと音がする雪の上を撫でる言葉が彼女の耳に届くと 「振りかえったらきっと交互に2本の足が並んでるのよ、右足は右足同志並んで左は左で並んで」 「キレイにそろってるかな?」 「振り返ってみてみようか?」
キレイな直線がこっちを向いていた。4本の足が上手に2本づつ並んでいる、歩かには何もない。 ―2人は一緒に―
胸は震える、希望を胸に。いつも歩いている道が白い色をつけて違う事を教えてくれた。雪だるまは寄り添って僕達に微笑んでくれている。 明日は溶けてしまうかもしれない。そこにあった形跡も、跡形も無く。 けれど僕は忘れない、今日と言う日を。 明日に繋がる今日を。 白い息を吐いて歩いた新雪の上で描かれたきれいな直線を、 ―忘れない―
「さ、行こう!」 白銀の世界に響いた。
吸殻の山を眺めながら一人飲むコーヒー 気の遠くなるような時間を今まで歩いてきた。
彼女の写真を眺めながら一人飲むコーヒー 重ねた時間を取り戻しは、もうできないんだ。
「今日は私が炒れてあげるよ」 と僕に出したコーヒーはいつもより少し苦くて濃くて、別れを予感させた。
空っぽの部屋と君の写真と1人のコーヒー。 湯気だけが時間を動かしてゆっくりと僕は、君の写真眺めてる。
君と二人の写真見つめながら想うよ幸せの日々、 淋しさ紛らわすタバコ、日に日に増えた。 空っぽの冷蔵庫とカレンダー、想うよ幸せの日々、 1つずつ思い出捨てるため、流すよ涙。
今日部屋を出る事にしたよ メモに書いた最後の文字、涙で見えない。
空っぽの部屋と君の写真と1人のコーヒー。 誰も居ないのにメモだけ残した。 君の笑顔はこっそりポケットにしまった。
ゆっくりと朝が訪れる。
東から射す明るい日差しがカーテンを通り抜け、顔を覆った。 いつも隣にいるはずのミノリがそこにはおらず、寝返りするには余りに広いベッドの上で過ごしてきた日々にもそろそろ慣れてきた。 二人分の重さを背負っていたベッドのスプリングが鳴らす「ギシッ」という音も今では弱く力なく静かに役目を果たしている。時折悲しそうに鳴く音は誰かを思わせ、その度に胸に落ちてくる淋しさは部屋の無機質さとは裏腹に激しく確実に心へ染み渡る。慣れてしまった今もこの時折感じる淋しさには慣れることは出来ないみたいだ。
ゆっくりと上体を起こし、目をこすった。 まだぼんやりとしている頭と視界はおとぎ話の世界にいるような、ここは現実なのかどうなのか分からなかった。 テーブルにある1枚の写真が目に映った。裏返しのままにして置いてある写真…だけど表には誰が写っているのか、どんな顔をして誰と何をしているのかは分かっていた。徐々にはっきりとしてくる意識の中でそれだけは鮮明に頭の中で処理されていた。
ミノリとの楽しかった日々を彷彿とさせる1枚の写真、2人とも楽しそうに何の不安もなくレンズの前で屈託のない笑顔、出来上がった写真に日付と落書きの様な飾りつけをペンで書いていたミノリは 「これ、お気に入りの1枚!」 と誇らしげに見せて写真と同じように屈託のない笑顔を見せた。あの時は2人とも永遠が存在すると信じていた…いや、まだ信じているかもしれないが、それは2人の間には存在しないと言う事を知ってしまったのはそれからそう遠い話ではなかった。
写真を表にした、屈託のない笑顔が二つ並んで眩しすぎる2人の過去は、もうココにはないとこの写真が示してくれた。
ベッドから抜け出した。 「ミシッ」という音が鳴った。少し乱暴に、でも優しく。 テーブルに置いてある写真を裏返しにしてペンで 「good-bye」 それだけ書いた。
カーテンを開け、窓を開け放った。 優しい風と青い空が体を目覚めさせ、無機質な部屋の中を少し明るく彩った。 「さよなら」 窓の外、空の下、どこかにいるはずのミノリへ向け1つ届くと思って言ってみた。
コーヒーメーカーから少しずつ抽出されるコーヒーは一滴一滴、時間をかけて静かに音を立ててカップへと溜まっていく。 僕はそれを見ながら昨夜の事を思い出していた。 今日ではない昨日、少し前の事、今より前の事、1人の女性の事、…愛している人の事を。 キレイな鼻と大きな目をして僕を見つめるその眼差しは全てを吸いこむチカラを持っていた、もうその目を見る事は出来ないのだと思うと悲しく、見るもの全てがモノクロに見えて仕方なく、たまに音がするコーヒーメーカーを見ては現実に戻ったようなそうでないような…ポトッとコーヒーが落ちる音だけが響く部屋の墨にぼんやりと立っているだけの自分…。
恋をするといつも終わりを想像してしまう。始まりもしないのに、永遠を望んでしまう。目を閉じて彼女の事を思い出す…けれどもう何も思い出せない。何でだろうか…あんなに思っていた人の事をもう思い出せないなんて…。 ポトッ…また一滴落ちると、 ―好きだった― いつの間にか過去形に変わっていた。 もう思い出せない、気持ちは何も無くなってしまった。 漂流している気持ちがどこかへ辿り着こうともせずに、ただ流れに、想いに動かされてその度終わったとどこか納得している。 昨夜の事なんか忘れてしまった。
ポトッ…。 暖かいコーヒーにミルクを注いで飲む。マドラーで混ぜると茶と白が混ざり合う。 ―忘れなさい― と諭されるように。
「オカケニナッタデンワバンゴウハ、ゲンザイツカワレテオリマセン。 モウイチド、オタシカメニナッテカラ、オカケナオシクダサイ」
「さようなら」 ゆっくりとコーヒーを飲み干した。
次は四谷、とアナウンスが流れる。 男は 「降りるけど、どうする?」 と聞いた。 女は 「降りれば」 と答えた。 男は 「それじゃあ、又」 と言って電車を下りた、女の方を1つも向かずに。 女は思った、…愛されてない。
次は神田、とアナウンスが流れる。 女は 「降りるけど、どうする?」 と聞いた。 男は 「降りたければ降りればイイ。でも僕は降りないよ」 女は 「もう少し、一緒に居てもイイ?」 男は優しい顔をして頷いた。 その女の顔には幸せが満ちていた。
人ごみの中、一人ボーっと東京駅の新幹線改札口で悲しげな顔をした男が突っ立っていた。 その表情はどことなく諦めに似ていたが、それでも男は悲しみを表に出していた。 気になって声を掛けてみると、 「彼女がね、地元に帰っちゃったんです、僕は東京で暮らしていて彼女は 神戸で暮らしている。お互いの生活があるから仕方ないのだろうけど彼女も僕も仕事を優先させてしまっているんだ、どうしようもないね」 やはり悲しいお話だった。 私は 「迎えに行ってあげたらどうですか?」 と提案したが、彼は 「君は簡単に言うけれども、僕の生活はどうすればいいんだい?」 と言い訳めいた事を言っているから 「彼女は待ってるんじゃないんですか?」 と示唆したが、彼は 「彼女が来ればいいんだ」 と言い、こうなったら言うしかなく 「彼女の事好きじゃないんですね」 すると、彼は顔を上げた、驚いた顔をして。 「そうなのかもしれない」
一言だけ言ってその場を後にした。 彼が向かった先は特急券の売り場だった。 「彼に幸あれ」 私は呟いた。
2004年06月07日(月) |
さよならまたあいましょう |
いつもの駅、人の波、見付けた君の姿は いつからか忘れていた想い、風が止んだ。
どこにも行かないよ、約束したけど もう会えないよ、最後の一言。
溢れかえる想いの中で何一つ君にできなかった事、悔やんで。 もう会える事も出来ずに経ち尽くす、長い影が1つ。
想い出が時間を浄化してくれるならば、 もう一度時間よ、あの時に、あの頃の二人に…戻してくれないか?
何処にも行かないで抱きしめたあの夜はもう夢の中、さよなら。 淋しくて辛い想いを遠い君に乗せる、満月の夜に。
間違い無かった二人はきっとどこかでまた会える、だから… 悲しむのはもう止めにしたよ、いつか会えるなら飛び切りの笑顔で会いたいね。 会いたいね。
40歳を過ぎたであろう女3人組がアイスコーヒーを飲みながら旦那の愚痴を昼下がりの喫茶店にて言い合っている。
4人掛けの席に私から見て奥に2人手前に1人といった風に座り、奥にいる左側と手前にいる女性が煙草を吸っている。そのケムリの先は自らの命の灯火と言った所か、どこか悲しげに見えた。吸っていない奥にいる左側の女は他の二人より若く見えた。 3人とも金持ちの旦那持ちなのか、見栄を張っているのか着飾って若作りしている様子、それを3人とも意識しないで見せびらかしているのが、私のとってはとても気持ち悪く見えて仕方ない。首にしているネックレスも、腕にしているブレスレットも嫌な光を放ち、いかにも「高いのよ」と言わんばかりだ。
そのうちに会話も尽きたのか間ができ、それを埋めようとして奥にいる左側の女と手前にいる女が何らかの会話を始めた。会話に入れずにいた奥にいる左側の女が私の方を向いた。その瞬間、女性の目になったのを私は見逃さなかった。 ―媚びるような、誘うような目をして― 目が合うと小さく笑みを浮かべて、見つめてきた。目を逸らそうとするとその女は「ダメよ」と言わんばかりにこちらを見ている。
私は焦り急いでタバコに火を点け、少しでも落ち着かせようとしたが、その間も女は目を合わせたまま、外させてはくれなかった。 そして、笑みを浮かべたまま右手を3本突き出した。 まさか…と思ったが拒否する様して首を横に振った。しかし女は勘違いして今度は5本の指を上に向けた。
その女性とベッドに入る姿を想像してしまった私はケムリを肺に入れすぎて、むせてしまいそれが逆に良かった、女の視線をようやく解くことができた。 すると女は声に出して笑った。話していた女二人がどうしたの?と言ったが、「何でもないのよ」と言って二人を会話に戻した。
恐る恐る視線を女に戻すと、声には出さず ―冗談よ― と口だけで言った。 その時、全身の毛が逆立ち、毛穴という毛穴からじっとりした汗が吹き出た。 女は笑っている、まだ…。 私は…。
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