あたろーの日記
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2004年11月30日(火) 一冊で、二度美味しい・・・かも。

 旧暦10月19日。
 それにしても、今の暦と昔の暦、結構ずれているもんですね。
 現代人の頭の中はもう師走気分でいっぱいだけど、明治より前の日本人は、今時分はまだ10月を過ごしていたなんて。

 古井由吉の近著である随筆集『ひととせの』(日本経済新聞社)を、このところ毎晩寝る前に、一章ずつちびりちびりと文章を味わうように読んでいます。その中に、過去に読んだ本の内容をすっかり忘れてしまうのだけれど、考えてみれば、毎回始めて読むように読めるというのは「徳」なのではないか、というようなことが書かれていました。
 古井氏ほどの人でもそうなのか、と、ちょっと安心しました。実は私もそうなのです。私の場合、読んで1年経つともう忘れてしまう。まったくお目出たいことです。夢中になって読んで、面白いと思っても、そのうち、面白かったということ以外、本の内容についてほどんど思い出せなくなるのです。
 今、『さぶ』(山本周五郎著・新潮文庫)を読んでいます。もう何年も、いや十何年も昔に読んだ本の再読です。初めて読んだとき、私は確か高校生だったような気がします。あのとき読んで、面白くて感銘を受けた、そんな記憶があるのですが、小説の中身をほとんど覚えていませんでした。
 今、再読していて思うのは、果たして10代の頃の自分は、この『さぶ』に描かれていることを、どれだけ理解していたんだろうかということです。
一字一句大切に選ばれた言葉、情景が浮かぶような描写、息の吹き込まれた人物達。面白くて、本を閉じるのが辛いほどです。『さぶ』って、こんなに面白かったんだ。こんなに大切に書かれた小説だったんだ、という感じ。たぶん、昔と今とでは、登場人物それぞれに対する私の想いも違うような気もします。面白い、というのは前回読んだときも今回も同じ感想だけど、その面白い、の中身は大きく違っているような気がします。それだけ、自分も変化した、ということなんでしょうか。。
 一度読んだ本の中身を忘れるというのは案外幸福なことだし、と同時に、読み手も変化するのに合わせて読み方も変わるんですね。
 一粒で二度美味しい、ならぬ、一冊で二度美味しい、ですね。


2004年11月29日(月) 昔の知り合い。

 旧暦10月18日。
 今の居住地に引っ越して来てからもう何度も見かけているのですが、かれこれ10数年前の知り合いである女性を今夜も目撃。当時、個人的に親しく話したことはあまりなかったけれど、今、お互い顔を見合わせて記憶の糸をたぐれば、きっと、ああそういえばあなたとはあの時一緒だったわねえ、と、納得し合える程度には知り合いだったと思う。相手の方は私より何歳も年上で、化粧も全くしない、服装にも全くこだわらない、というのは当時から変わらず。なので私のほうは彼女を一目見て、過去の記憶がよみがえったのだけれど、彼女のほうは私の存在などすっかり忘れてしまっているだろう、私のほうから話しかけない限りは。
 しかし、彼女と私の自宅が近いのか、活動範囲がほぼ一致する。というのも、スーパー、銭湯、コインランドリーで週に最低2〜3回はお見かけするからです。じゃあ思い切って話しかけてみればいいのですが、それが出来ない。何故かって言うと、私が見かけるときの彼女はいつも、その日の仕事を終えて、一人になって、完璧気を抜いて「素」になってしまっているのですね。。夜9時頃スーパーに寄ると、彼女が総菜売り場で割り引きシールのついたお弁当をひとつひとつ手に取ってはじーっと眺め入っていたり、銭湯の脱衣所で素っ裸で背中ボリボリ掻きながら半ば恍惚の表情だったり・・・。ああ、こんな時に「お久しぶりです」なんて声掛けたらかえって悪いだろうなあ、と躊躇してしまう。で、私は気づかない振りをしているのです。うん、この先もその方がいいかも。私も「素」の自分出してアホ面で近所ほっつき歩いている時に、自分の「仕事顔」を知っている人にばったり出くわしたら、はっきり言ってうろたえるもんね。例えばスーパーで長ネギ一生懸命ひっくり返して立派なのを探してる時なんて、会社の人にあんまり見られたくないし。
 というわけで、彼女の穏やかな私生活を脅かすことはしない、ひいてはそれが自分のためでもある、という結論に達したのであります。はい。


2004年11月28日(日) 「死」について

 旧暦10月17日。
 今日は朝から良い天気。少し開けた部屋の窓から見える青空と、入り込んでくるひんやりした空気が気持ちよかった。
 こういう日は家にじっとしているのが辛いけど、しばらく本は買わないと決めたので、我慢して引きこもる。積ん読が凄い状況になっている。読んだ本より読んでない本のほうが多い我が家。狭いのに。どんどん本を買ってどうする?せっかく買ったのに読まずに奥の方に忘れ去っていくのは本に対して失礼だ、と、反省。だいたい、私は遅読なほうです。
 今日はひたすら読み、夕方からは文章を書く。ところが書こうとするも、ちっとも先へ進まずに、分からないこと調べてばかり。・・こんな1日でも、いつか振り返って自分の糧になっているんだろうか。すこぶる疑問と不安。でもこんな日を積み重ねていくしか、自分を満足させる方法はない、と思う。

 メンタルな部分でぶつかって、夏から病院に通い、病院でカウンセリングも定期的に受けてきたけれど、今月でもう行くのをやめた。薬ももう飲まなくてやっていけるし、先生もそれができるならそのほうがいい、とおっしゃってくれたので。ただ通院もカウンセリングも続いていく予定だったのだけど、自分からやめた。
 カウンセリングが本来どういうものかは私にはよく分からないけれど、私が受けたカウンセリングは、初めのうちは女性カウンセラーと1対1で、そのうち、私のケースは結構厄介な状況だとのことで、さらに経験を積んだカウンセラーも加わり、2対1で行う形になった。病院の先生もこの熟練カウンセラーに全面的な信頼を置いていて、あの先生に任せておけば安心ですよ、みたいなことおっしゃっていた。
 カウンセラーの方おふたりとも、人間的にはとても魅力的な方達なんだろうけれど、カウンセリングを受けるうちに、私のほうで疑問が湧いてきた。
 カウンセリングでは、私の「自殺願望」(と呼ぶべきものかは分からない)が一体どこから来ているのかを探るために、私の抱えている問題、主に家族関係とか、仕事の状況とか、それから過去に身近な人の死をどれだけ経験、見聞きしたか、ということを話した。話すことで私のほうでは心の中で自然と整理がついてきた、けれど、カウンセラーの先生方は、私の周りで亡くなった人が多すぎる(私は普通の範疇じゃないかと思うけど)、と、遠い親戚で自殺した人や不慮の事故や病気で亡くなった知人(そんなに親しくなかった人達も)の死が、私に影響を与え続けているのだという結論に至った。それで、金縛りになったり霊を見たことがあるかと聞かれたので、両方ともある、と正直に答えると、さもありなん、というふうに納得され、私の周りで不本意なまま亡くなっていった人達が私から離れないので、私が「死」というものに惹きつけられ、メンタルな部分で重く沈み込んでいるのだと説明くださった。
 沢山の死んだ人が私にくっついているのでこのままでは私が危ないということで、カウンセリングの内容は、次第に亡くなった人達と私との関係(つきあいの度合いとか血縁あるかとか)や亡くなったときの状況、それを私が見聞きしてどう感じたか、その後その人のことを思い出すことがあるか、などを聞き出し、最後に除霊のようなことをする形になった。カウンセラーの方は別に新興宗教とか、怪しげな商売をしているわけではなく、所謂「エネルギーワーク」と呼ばれることをしているようです。だけど、私には次第にこれらのことが疑問に思えてきた。私のメンタルな問題は、すべて、死んだ人達の霊に起因しているとのこと。それも少しは当てはまるかも知れないけど、なんか違う、もっと違うと思った。それじゃあ私が存在しないみたいじゃないか。私は生まれてからずっと自分自身を見つめてきたのに、経験して、考えて、いろんなことを積み重ねて今の私がいるのに、それが霊の影響下にあるなんて、なんかおかしくないか、という気がした。根本的な問題は、そんな所にあるんじゃない。日々呼吸して、考え、行動している私は私自身であって、この場合、探っていかなければならないのは、私自身の内部であって、亡くなった人達に原因を求めるのは筋違いのような気がした。
 霊の存在は認めるし、心霊現象も体験するし、先祖の霊に手を合わせることもする。霊が人に影響を与えるということだってあり得るとは思う。でも、自分のことを何から何まで霊のせいにされてしまうと、じゃあ私自身はいったいナンなの?という気になる。私だって日々考えて生きてるんだよ、と。
 それに、昔の人達は、今よりもっともっと、死を身近に感じていた。医療が発達していなかったから多くの人が病で亡くなったし、戦争や災害で一度に多くの人が命を落とすことも多かった。現代だって、私よりもっともっと多くの死に囲まれている人達が大勢いる。病院勤務者やレスキューの仕事をしている人達、僧侶や神父をしている人達。葬祭場で働いている人達も。
 カウンセラーの先生は、私に「死」のイメージを喚起させるものから目を逸らすようにおっしゃる。地震などの被災地のニュースや事件なども含めて。けれど、現実には「死」は私たちの隣り合わせだし、読む本だって、私たちが「生」を考えることだって、なにもかも、「死」あればこそだ。人間の「生」は「死」というものが存在するからこそ、光を放つし、深みを増す営みになるのだと思う。「死」について考えるな、人の死から目を逸らせ、と言われても、では私はどうしてこの世に生きているのか、という疑問に結局ぶち当たってしまう。

 病院に通ったこと、カウンセリングを受けたことがまったく役に立たなかったわけではなく、むしろ大変助けて貰ったと思っている。先生方にはとても感謝しています。行かないよりは行った方が断然良かったと思う。これから先も、精神的に辛くて、自分でもやばい、と思ったら、躊躇せず病院に行こうと思う。ただ、カウンセリングというのは、難しいもんだと思った。

 結局私は家族や周囲の人達のサポートのお陰で、精神的にとても楽になれたし、あれほど自分に対して失い掛けていた自信を少しずつ取り戻して、毎日毎日の積み重ねによって、これから先の自分がどう変化するかという楽しみも生まれてきた。人間死ぬか生きるかの二通りしかないんだから、どうせいつかは死ぬのなら、それまで存分に生きて自分の可能性を試してみよう、という気がする。そういう自分にいろいろなことを教えてくれるのは、周囲の人達だし、世の中の出来事だし、本だし、それから亡くなってしまった人達の「死」でもあると思う。

 なんか独りよがりの文を長く書いてしまいました。。。
 


2004年11月27日(土) ヨン様フィーバーに思ふ。

 旧暦10月16日。
 どこでどう間違えたか、私の日記の旧暦は1日ずれていました。すいません。
 午前中、依頼されていたエッセイを書き終えて、午後は小唄のお稽古に出かけた。例によってサボりにサボった練習、当然三味線の腕は停滞・・・じゃない後退していた。これじゃ江戸情緒もへったくれもない。明日からは自宅での練習もしっかり続けよう。と、自分に言い聞かせる。
 それにしても、女性ばかりのお稽古ゆえ、持ち寄ったお菓子囲んでの休憩時間に、ぺちゃくちゃお喋りの花が咲く。お稽古より話して食べる方が長い・・・ああこれは私にも責任あります。私も喋り始めると結構ウルサイので。
 
 巷はヨンさまフィーバーだ。テレビやネットのニュースを見てると、世の女性陣(特におばさま)が熱狂しまくっている様子が頻繁に映し出される。はてさて、実際どれほどの人達が日本のヨン様フィーバーに関わっているのでしょう。日本のすべての女性の好みがヨン様とは限らないぺ。あ、べ。少なくとも私の周囲では熱狂的ファンは見当たらない。今日もお稽古の際、「あたしあんまりいい男だと思わないわぁ」「あたしもなのよねぇ」って話してたもの。
 私は、うーん、ヨン様ステキだとは思うけど、さわやかだと思うけど、ねえ。あれだけ騒がれると・・・いかん、私の天の邪鬼の性格、治ってない。
 写真集が14700円っすか。うへぇ、高い。一体誰がそんな値段考えたんだろう。
 
 だけど、このヨン様ブームはちょっと異常だけど、双方の歴史を振り返った場合、日本人が韓国人の俳優さんに熱狂するのは悪くない傾向だと思う。日本と韓国、お隣同士だもんね。日本人が西洋人の俳優さんより、隣国出身の俳優さんに大騒ぎするほうが自然だし、お互いの文化交流が密になるような気がする。見ていてなんだか気持ちいい感じもするし。
 でも、おばさま達がコーフンしすぎて怪我するのは、ちょいと見苦しいと思うのだよ(それだけ日頃ストレスが溜まっているのか?)。


2004年11月26日(金) 銀杏拾い

 旧暦10月14日。
 勤め先のそばに立派な銀杏並木がある。昨日今日と昼休みは銀杏拾いに行きました。
 もうだいぶ銀杏も落ちちゃって、拾われた後だったのですが、それでもコンビニの小袋の半分くらいは行く量が拾えました。昼休みが長ければもっと拾えたのになあ。しかも、昨日の昼に拾いに行って、雌木を何本か把握しておいたので今日もそこを狙っていったら、「立入禁止」のロープが張られていて、並木のあちこちにクーペが。。。銀杏の紅葉に合わせて車の展示会でもあるみたいで、ロープ張られてたってあーた、その先に銀杏が沢山落ちてるんだから入らないわけにはいかないでしょう、なので堂々とくぐって銀杏拾ってたら、警備員さんに2回も注意されてしまった(食べることとなると1回注意されたくらいじゃ引き下がらない頑固者)。「お客様、ロープの中に入らないでください」って。おーい、私がいつからお客様になったんですか。私は別に車見に来たんじゃないです、銀杏拾いに来たんです。だからお客じゃないんですよー。あたしゃただ銀杏拾ってそれを自宅で食べたいだけなんですけどねー。・・・と言ったって通用するわけでなし、銀杏が沢山落ちている場所に堂々とクーペ止められちゃってるんだからもう諦めるしかない。仕方ないので立ち入り禁止じゃない場所をがさごそ草むらと落ち葉の間かき分けて、なんとか銀杏拾い続けました。
 ちなみに銀杏拾うときは割り箸が必需品です。人によってはかぶれるので直接手で触れないのと、臭いが強烈なのでなるべく間接的に拾うため。それから落ち葉をかき分けるため。
 今日は夜荒れ模様の天気になるそうなので、電車で通勤でした。なので、帰る際は銀杏を二重三重に袋に入れて、万全の臭い対策してカバンに入れたのに。。
 くっせーのなんのって。
 会社でもみんなから「臭い〜」と言われまくり。
 帰りの電車の中でも片隅でひっそりと小さくなっていた私。
「この臭いは銀杏です」
と、看板でも持って歩きたいくらいでした。
 でもでもでも、炒って軽く塩掛けた翡翠色の銀杏をつまみにクイッと呑む熱燗は最高じゃあないですか!それだけを楽しみに、ひたすら銀杏拾いです、これから。
 これから・・・そう、これからしばらく銀杏拾いをライフワークにします。しばらくってったって、期間も限られてるんですけど。外歩いてて銀杏の木見つけた時なんざ、きっと駆け寄って下を探しまくるでしょう。そのためにも、割り箸とコンビニの袋2〜3枚は必需品です、当分。
 今夜は風が強い!
 ということは、明日は銀杏が沢山落ちてる筈だっ。
 ・・・でも、東京都区内にいて、天然の食べられるものを自分で拾う、採取するっていうのは、ほんと貴重な経験だと思いませんか?実家に行けば、蕗の薹だの蕨だの栗だの胡桃だの、ちょっと車走らせれば山菜とか採りに行ったり出来るのだけど、都会じゃそうは行かない。でも、都市を彩る街路樹の下で美味しいものを拾うことができるのは、不思議で楽しいことだなあと思います。あと、なにがあるかなあ。ヨモギ・・・コンクリートだらけの区では全滅だけど、墓地やちょっとした住宅地なら少しはある・・・でも、犬のオシッコがかかってることを覚悟。あ、あとは柿とか・・でもこれはたいてい民家の庭だし。やはり都会では自分で採取して食べられるもの、あまりないですよね。だから、銀杏拾いは楽しい行事なのだ。


2004年11月25日(木) 耳掻き。

 旧暦10月14日。
 耳掻きを毎日しないと気が済まない。それもだいたい、朝と夜の最低2回は。会社に持っていく化粧ポーチ、私の場合アイシャドウなどのごく当たり前の化粧品が入っていない代わりに、耳掻きがしっかり入っています。ちょっとでも耳の奥で、ガサ、と音がするともう気になって仕方ない。トイレで耳掻きします。満員電車の中で、つい人の耳の中に目が行くことも。耳垢溜めてる人を見ると、私が耳掃除してあげたくなる。こんな風に耳掻きが好きな私は異常なのでしょうか。
 そういえば小学生の頃、妹に耳掻きをしてあげて、まだ下手だったので中耳炎にしてしまったことがあります。あれは可哀相なことをしました。
 人の耳掻きはしてあげたいけど、自分は他人に耳掻きをしてもらいたくありません。自分の耳は自分で掻きたい。耳掻きの醍醐味は自分でするところにある、と思います。まあ、膝の上にごろんとなってしてもらうのがいい、という人もいるので、人それぞれですが。ところで、耳掻きって、右耳掻く時は右手、左耳は左手使いますよね。耳掻きって右利きとか左利きってあんまり関係ないみたいですね。私は右利きだけど、左手でも自分の左耳を結構上手に掻くもんなあ。ペンは持てないけど。

 日頃お世話になっている方から、エッセイを書いてね、と依頼されたのですが、まだ書けてません。この週末には原稿を送らないといけないのに(汗)。自分の勉強にもなるからと、二つ返事で受けたのですが、いざ書こうとなると、固まってしまう。何百人もの方が読まれる会報のようなものなので、あんまりヘンなことも書けないし、かと言って私みたいな若輩者が背伸びして格好いいこと書いたって、読むほうはつまらないだけだろうし。
 けれど、人に文章を読んでもらえるというのは、私にとってはとてもありがたいことなので、いい機会を戴いたと思って大切にしたいです。
 それにしても、自分のこの日記は、毎日躊躇せずどんどん書けちゃうのに、人さまの誌面を自分の文章が埋めるのかと思うと、どうも、緊張してしまいます。。。(^^;)


2004年11月24日(水) 古本屋さんみっけ。

 旧暦10月13日。
 久しぶりに自転車通勤。行きと帰りはたいてい違う道を通る。さらに言うと毎日ルートがちょっとずつ違う。うろつくのが結構好きなんです。迷うくせに。
 市ヶ谷駅のそばを走っていて、とあるビルの前を通り過ぎて、「あれ?」と止まって、自転車降りて戻って、「お」と呟きながらビルの中に入った。
 「古書麗文堂」と立て看板が出ていた。店舗はビルの1階、奥〜のほう。ちょっと分かりにくい。店主の方曰く、こんなところに古本屋があるのかとビルに入ってきて、でもずいぶん奥にあるもんだから、店にたどり着く前にないやと諦めて帰っちゃう・・かも、それも納得してしまうような場所にあるんですが、店内は結構広く、10坪。ジャンルも多岐にわたる。漫画とかアダルト系がないのが嬉しい。今年の6月まで目黒の都立大学そばに店舗があったそうなのですが、都立大の移転に伴い、市ヶ谷に引っ越してきたそうです。
 ここで、『舌鼓ところどころ』(吉田健一著・文藝春秋新社)を購入。吉田健一も、今本屋さんでなかなか見かけない作家です。最近ハルキ文庫で吉田健一の食に関するエッセイを集めた1冊が出て、しかも旧仮名遣いという気の遣いようが嬉しいのですが、いかんせん、「グルメ文庫」というシリーズ名が気にくわない。ひねくれた性格の私。だから、それは買わない。その代わり、今日、『舌鼓・・』を見つけたから嬉しいです。
 お代を済ませたら店主のおじさんが、パソコンから目録をプリントアウトしてくれて、その場でホチキスで製本してくださった。
 いい古本屋さんをまた見つけたので、今日はいい日。
 麗文堂書店


2004年11月23日(火) 早稲田古書店街

 旧暦10月12日。
 天気が良すぎると家にじっとしていられなくなる。今日は自宅でやるべきことがあったのに、結局飛び出してしまった。
 高田馬場のブックオフに寄るも、欲しい本はなく、早稲田の古書店街へ。早稲田の古書店街は神保町より空いているところが好き。ただ、JR高田馬場の駅から結構歩くし、古書店も神保町ほど密集しているわけではないので、歩く歩く、とにかく歩く。でも好き。
 『遊歴雑記1・2』(十方庵敬順著・東洋文庫)が2冊で2800円だったので買った。近いうちに新刊本屋さんで購入予定だったけど、ちょうど良かった。他にも欲しい本がいくつかあったけれど、今日はやめて、明治通りに出て池袋行きバスに乗り、ジュンク堂池袋店の前のバス停で降りる。早稲田古書店の次は池袋大型書店へ行くという黄金ルートです。こんな誘惑、困ったもんです。
 ジュンク堂で文庫数冊購入。岩波文庫の「秋の一括重版」33冊が今月半ばに一斉に出ているので、本屋に行くたびにちょぼちょぼ購入しています。欲しいタイトルを一気に買えばいいのに、一気に買うと凄い買い物したような気になってしまうので、自分では節制しているつもり。だけどトータルで考えると支出は同じなんだから、私もアホだと思う。今日は『芭蕉七部集』を買った。今、『おくのほそ道』を読んでいます。中学だったか高校だったかで、古文の時間に習った時は、その良さがあんまり分からなかった。だけど、芭蕉の文章は味わい深いと今になって気がつきました。・・・古典はもっともっと読まれるべきだと思う今日この頃です。実は私は高校の古文の授業で、古文アレルギー気味になりました。古文の文法なんて、今でも分からないです。だけど、そんなめんどくさいことにこだわらないで(すいません)、自分の感覚に合う文章の音やリズムを味わいながら読んでいると、いつの間にか古文が好きになっていくような気がします。。
 話は変わりますが、現代作家で私の好きな方に辻邦生と古井由吉がいるのですが、このお二方の著作が、今本屋さんにほとんどないです。今、名文と言えば、まずこのお二人が浮かぶほどなのに(辻邦生は他界していますが)。決して作品が少ないのではなく、出せばしっかり売れる固定的なファンがいるはずなのに、それぞれの作品がどんどん絶版になっていくのです。他にも読みたいのに本屋さんにない作家も結構あります。今、売れる小説は凄く売れてベストセラーだの純愛ブームだのと騒がれてて、それはそれでいいけど、売れる本だけ大切にしないで、永く繰り返し読むに耐うる、読み応えのある小説も大切にしてほしい、って思います。・・・なんて書くと、流行の小説をバカにしてるように思われるかも知れないけど、バカにはしてないけど、いい加減にせえよ、位は思っています。今の日本の出版事情考えると、あんまりいい傾向とはいえないような。。。
 
 


2004年11月22日(月) お湯の色

 旧暦10月11日。
 近所の銭湯は日替わり薬湯とか漢方の湯がある。漢方の湯は赤銅色でいかにも漢方薬の匂いがするので、なんだか身体に良さそうなんだけど、問題は一方の、カラフルな薬湯のほう。
 表示がミントの時はマリンブルーのお湯だし、よもぎの時はモスグリーンじゃなくて、ビリジアングリーンだし、「コラーゲンの湯」に至ってはショッキングピンクなんです。一番まともそうなのがミルク色なんですが、それは「靄(もや)の湯」という。。なんだかよく分からないですが、ショッキングピンクのお湯に浸かってると、身体にいいんだか悪いんだかちょっと不安になります。もっと自然な色がいいんだけどなあ(笑)。
 


2004年11月21日(日) 猫はステキ。

 旧暦10月10日。
 アパート前の民家の屋根は、近所の野良猫達の格好の遊び場&くつろぎ場になっていて、私の机は窓際に置いてあるので、椅子に座ると開いた窓からちょうど彼らの姿がよーく見えます。
 天気の良い日はたいてい朝早くから屋根の上に何匹かいます。2〜3ヶ月前から見かけるようになった子猫3匹はじゃれあったり、ひなたぼっこしたり、ちょっと寒い日は身体を寄せ合って丸くなって寝てたり、たいてい母猫が屋根の上に一緒にいて、彼らを少し離れた位置から見守っています。可愛いんだこれが。ちょこちょこちょこっと屋根の上をはね回って、私の視界の中を行ったり来たり。「わ」とか「にゃー」とかちょっと声を立てるだけで、ぴた、と動きが止まって、声のしたほう、つまり私のほうをじーっと凝視するんですが、もうこうなるとこっちは嬉しくって、もっと構いたい(というか、構ってもらいたい)・・・のですけど、相手の方が忙しいので、いちいち相手してらんねえや、みたいな感じでまたひょいっともとの遊びに戻ってしまうもんですから、ちょっと寂しいです。彼らの身体が日に日に大きくなっていくのが嬉しいような、ちょっくらつまんないような気がします。ずっと愛くるしい子猫のまんまでいてくれると、こっちは楽しいのになあ、なんて思ったりして。
 窓際で向かいの屋根をボケーッと眺めてると、突如視界にのっそりと巨大猫が現れたりもします。この界隈のたぶん、ボス猫。見てるこっちが慌ててしまいます。案の定、すぐ後に、母親猫の凄いうなり声。子猫たちは母猫にぴったりくっついて、固まってる。・・・まあ、ボス猫としてはどうやらいじめに来たわけではなく、ただのお散歩、というか、縄張りの見回りみたいなものらしいので、親子にちょっかい出すことはあまりないようです。・・というか、このボス猫の毛の模様と、子猫たちのそれが同じなんだけど。もっと言うと、子猫たちが屋根の上を占領する前は、このボス猫がいつも屋根の上でごろごろしてたんだけどなあ。
 お向かいの家は、屋根ばかりでなく塀や庭にも、子猫一家の他に野良猫達がうろうろしていて、毎日必ず喧嘩声が聞こえます。凄いんだこれが。ウーとかフーとか、フオーとかギャーとかグオーとか。何十分、いや1時間以上睨み合う時もあるようで。ありゃ凄いエネルギーですね。で、睨み合い、唸り合ったあと、どちらかが意を決して相手方に飛びかかる。ウギャッ。バウバウバウッ。ギャギャウッ。・・・うひょー、ついに取っ組み合いっすか。。。と、机に座って聞いてる(否が応でも耳に入ってくるもんで)私です。
 近所で私に一番なついてくれている飼い猫(たぶんアメショーの血が混じっている、グレーの毛のくりっとした目)は、また一段と太った。というのも、彼?彼女?(太ってて局部の判別がつかない)はこの2〜3ヶ月、あんまり外を出歩かなかったらしいのだ。私が夜帰宅する時はいつも近所の車庫や車の上にいて、私も声をかけて撫でたりしてたのに、最近とんと姿を見かけない、と思ったら、先日ぶくぶくに太った身体を持て余しながらてくてく歩いていた。あっ、と思ったら、通りかかったこれまた近所のお兄ちゃんに、「スー、おまえまた太ったんじゃないのかっ」と叱られていたので、笑ってしまいました。
 ああ、猫と一緒に暮らしたいです。。。


2004年11月20日(土) 日展

 旧暦10月9日。
 招待券を戴いたので、東京都美術館で開催されている日展へ行ってきた。巣鴨からバスで千駄木まで行き、そこから上野の森へ向かうつもりが、ついでに、と、往来堂書店とか古書桃李とかにふらふら寄り道しているうちに、午後もいい時間になってしまい、慌てて早歩きで善光寺坂を上り、芸大側から東京都美術館へ向かう。この、JR上野駅から電車を降りて美術館に行くよりも格段に「通」っぽいルートがなかなか良かったりするのだ。へへ。単純な奴。お寺や古いお店も多く、なかなか趣がある界隈なので。もっとゆっくり散策したい地域。
 
 日展、混んでました、さすがに。しっかし、それにしても・・・圧倒されます。凄いなあ。日本にはあんな凄い絵を描く人達がほんとうに沢山いるんだなあ。主に日本画と洋画を見て回りましたが、なにせ作品の数が多いので、時間が足りませんでした。どれも力作で、とにかく圧倒される。画家1人1人の世界が、色彩と構図を通して観る側に訴えてくる。その連続。洋画も良かったのですが、私は特に日本画がいいと思いました。・・私も水彩と油彩をやっているのですが、なにせ、人様に見せられるような代物じゃあありません。基礎もなにもなってないし。だけど、展覧会に行くと、絵心を刺激されて、わくわくしてきます。
 それから、多くの日本人画家の作品展だけに、こちらの心の片隅に眠っている、かつて見た懐かしい風景や、または日頃表に出てこない心象風景など、その絵にぐいぐい引き寄せられずにはいられないような力を持った絵も多く、会場を歩きながら、心が洗われるというか、揺さぶられるような、そんな気がしました。
 展示してある絵の絵葉書も売っていたので、特に気に入ったものを数枚購入して、閉館時間になったので外へ。
 今度は暗くなったので電車で帰ろうと明るい上野駅に向かって歩いていたら、西洋美術館の少し手前の上野公園内で、若いマジシャンの男性が簡易ライトとラジカセで即席ステージを作りながら客寄せしていたので、興味津々で立ち止まる。と、何かが始まるんだとわくわくしながら駅へ向かっていた家族連れもぞくぞく集まってきた。上野の美術館博物館も5時の閉館で出てきてあとは駅に向かって歩くだけだから、みんな電車に乗る前にまだちょっと楽しい思いしたいんだよね。私も。
 マジシャンのお兄さん、言葉巧みに道行く人々を引き寄せて、いつの間にか彼の周りに半円の人垣が出来た。私は最初の方に立ち止まったので人垣の中でも前方の見やすい位置にしゃがんだ。面白いことを次々言ってみんなを笑わせながら、同時に手は目にも止まらぬ早業で、ステッキを空中から出したり、口からトランプを次々吐き出したり、タダ者ではない芸人にみんな大喜び。
 ところが。
 マジックが始まってまだ5分もしないうちに、公園管理事務所の人が3人ほど来て、マジシャンのお兄さんの傍らに立ち、やめるように言った。お兄さん、納得いかない様子だったけど、管理人は早くやめるように促している。えーっ。ちょっと酷くない?なんでー。そんな声が人垣のあちこちから聞こえてくる。私も同感。だって、公園でしょ?別にみんなに迷惑かけてるわけじゃない。道路でやってるわけじゃないよ。それに、もう観客は60人くらいになってる。動物園などから出てきた親子連れも多く、みんなわくわくしながらお兄さんの手品を見てたんだよ。だけど、管理事務所のおじさん達はそんなことお構いなし。公園の規則かあるんだろうけど、とにかく自分の職務に忠実というか、融通が利かない。マジシャンのお兄さんが「・・・じゃあこれが最後のマジックになります」と、無念そうに言いながら3つめの出し物。1本のスプーンが2本に。その間にも管理事務所の人達は、さっさと終えろ、みたいにつついている。マジックが終わった時、ギャラリーからはとても大きな拍手がわき起こった。お兄さんのマジックが凄かったからというより(だってまだ3つしかやってなかったからね)、管理事務所の仕打ちに対する非難の意味も込めて、お兄さんにエールを送った、そんな拍手だった。ほんとに大きな拍手だったので、お兄さんもびっくりしてたし、管理事務所の人達も居心地悪そうだったし、みんなと一緒に拍手した私自身もびっくりした。みんな同じこと考えてたんだと、ちょっと嬉しくなった。人垣から少し離れた場所で見ていたホームレスのおじさんが、管理事務所の人を、「なんでやめさせたんだよゥ〜」と、酔っぱらってろれつの回らない舌で叱っていた。
 路上の無名芸人を保護するのだって、文化活動だと思うんですけどね。
 上野の森も、もっと自由な芸術的雰囲気を作るべきでは。


2004年11月19日(金) 『淳』と『「少年A」この子を生んで・・・』を読んで。

 旧暦10月8日。
 眼の調子がだいぶよくなってきました。視力は相変わらず弱ってますが、眼球周りの痛みとか、疲労感はだいぶ軽減されて、今日は気がついたら頭痛が消えていました。首や肩のコリは慢性だから仕方ないけど、それでも楽になったような気が。。
 今週コンビニで買って飲み始めたサプリが予想以上に効いているみたいです。何を飲んでるかといいますと。。
 セブンイレブンで買ったファンケルの「ブルーベリー」と「記憶サポート」(いちょう葉&DNA、キャバ、ホスファチジルセリン)というサプリメントです。あとは、この1〜2ヶ月ほど飲むのをサボっていたキヨーレオピン
 それと、時々カイロを瞼に当てて、眼の周りの血行をよくしたり。それから銭湯の熱い湯船に首までしっかり浸かって(ほんとは眼まで浸かりたいんだけど)。
 これだけなんですけど、とても体調がよくなりました!どうせコンビニサプリじゃ良くならないだろうから、漢方薬局でも行こうかなと思ってたんですが、当分これで行こう。

 夜通っている大学の授業で、先生が、1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」をテーマとして取り上げられたのを機に、『淳』(土師守著・新潮文庫)と『「少年A」この子を生んで・・・』(「少年A」の父母著・文春文庫)を読んだ。
 土師さんは被害者淳君の父親。かたや加害者「少年A」の」両親。それぞれの手記。あれだけ日本中を衝撃させた事件なのに、その後出されたこれらの本に目を通していなかったのは恥ずかしい気持ち。読むきっかけをくださった先生に感謝です。
 双方の手記、読み始めるとどちらも止まらず、一気に読み進んでしまいます。おそらく、被害者の親、加害者の親、その両方の心情に深い共感を覚えるからでは。どちらも読むのは辛い、特に、『淳』の中の、行方不明だった淳君が異常な状態で発見され、父親である守さんが警察官に導かれて確認に赴くところ。。その後淳君の死を受け入れることが出来ず、ふとした拍子に面影を追ってしまうところ。。そして、顔見知りの「少年A」が逮捕されたと知ったときの、「この国ではA少年が罪に応じた罰を受けることはない」というむなしい気持ち。さらに犯人逮捕後も、少年Aの両親からは謝罪の意思表示がなにもないことに不信感を募らせていく様子や少年法についての実体験を踏まえた訴えを、正直に、冷静に、けれども大切な淳君を失った辛さに突き動かされるように書き進めてあります。
 『淳』を読むと、少年Aの両親に対する怒りがわき起こってくる。何度もマスコミ報道で言われていたけれど、当時、確かに犯人の両親が謝罪しようと必死になった様子は伺えなかった。けれども、『「少年A」この子を生んで・・・』を読んでいくと、やはり、この両親にも共感してしまう。土師さん一家と同様、子供に愛情を注いで育ててきた少年Aの両親。よかれと思って行ってきたしつけ、子育ての一場面一場面が、その後、間違っていたんだろうか、と、思い起こされる時の愕然とした気持ち。自分たちの産んだ息子なのに、全く知らない部分手の届かない部分がある、けれどもはやり、彼を産んだのはまぎれもなく自分たちで、彼の親は自分たちしかいないのだ、彼とともに一生罪を背負っていかねばならない、という悲痛な決心。そこに行き着くまで、息子が突然逮捕され、奈落の底に落ちたような気持ちと、少年Aの二人の弟達を含め、一家を守っていかねばない必死な逃避生活。読んでいて、この両親の手記・・・、被害者への謝罪の思いよりも、まず、息子が何故あんな酷い事件を起こしたのか信じられない、という衝撃と、とにかく一家が世間から身を隠すことに必死で、被害者(亡くなった淳君や彩花ちゃん、また少年Aが起こした他の通り魔事件の被害者達)への謝罪は気がついたら後回しになってしまったんだな、そして、謝罪しなければと思った時には自分たちの弱さが出てしまい、被害者の家族へコンタクトを取ることにも臆病になってしまったのだと、読んでいて納得しました。
 少年法はその後改正されましたが。。そして、少年Aは、今春、関東医療少年院から仮退院。今はもう21歳の青年です。その際の両親の長い手記が掲載された新聞のコピーが、今日の授業で資料として配られました。春、それが掲載された当時も読んだのですが、その時と今では、私の感想は変わったか・・・少し変わったような気がしないでもないですが、やはり、被害者の側に立つと、むなしさのほうが強いです。加害者の両親の謝罪の気持ち、罪をこれから一生かけて、息子とともに償っていきたいという思いは、誠実な気持ちであると理解できます。それと、息子が立ち直っていくその様子を綴ってある、これからも成長していく息子を見守りたいということも綴ってある。けれども・・・加害者はこの先変化し、成長し、辛いことも苦しいことも沢山あるだろうけれど、時には笑ったり嬉しかったり、何かに感動したりする経験を得ることが出来る。両親もそれを共有する楽しみがある。少なくとも、息子のこれからを見ることができる。
 だけど、被害者の親には、その機会は永遠に閉ざされているんですよね。
 辛いこと苦しいこと、人生の苦悩含め、一方では楽しいこと嬉しいこと沢山あるだろうし、子供が1人の人間として様々なことを考え、行動し、生きていく、その、人として当たり前の人生が、もうどうあがいたって戻ってこない。殺された年齢のまま、ストップしてしまっている。。
 加害者の両親の手記を読み、罪を犯した息子のこれからを見守っていきたい、という意味の文が出てくるたびに、被害者はこの世にいないけれど、加害者は生きている、それぞれの親にとって、どんな子供であれ、生きていると生きていないとではどちらが幸不幸か。。。そんなことを考えてしまいます。。
 だからといって、少年であった加害者が死刑になればよかった、なんて思っているわけではありません。彼がこれから歩いていく先、どんな辛いことが待っているだろうか、自分の罪の深さが深いままに、ずっと背負っていかねばならない人生、どうか自分が奪った命の分まで、大切に、思慮深く生きて欲しいと思います。。。
 授業で先生もおっしゃってましたが、本当に答えの出ない、難しい問題だと思います。

 奈良で小学生の女の子が誘拐され殺害された事件。一刻も早く犯人が捕まることを願うばかりです。どうしてこんな卑劣なことができるのか。。
 けれど、犯人が逮捕されても、殺された女の子はもう戻ってこないんですよね。ご両親の喪失感はこの先ずっと続くのだと思うと、気の毒でなりません。今、被害者のご両親がどんな心境でいるか。。。どんなに心情を思いやっても、当事者にしか分からない深い苦しみ、悲しさ。
 『淳』にも、連日被害者家族を容赦ないマスコミ攻勢が囲み、淳君を失った辛さと、同時に被害者の心情を察しないマスコミ陣からの心的な被害の拡大が書かれていましたが、奈良の事件ではそのようなことがないようにして欲しいと思います。犯罪被害者家族への取材は、どこかが代表して行うにとどめるとか、出来る限り最低限に、プライバシーや環境を尊重して行って欲しいです。


2004年11月18日(木) 『字通』『字訓』

 旧暦10月7日。
 雨が冷たいですね。折りたたみ傘をたたむときに、濡れた傘があまりにも冷たいので驚いてしまいました。当たり前だけど、夏の雨とぜんぜん違う。。
 大学の授業を終えて、ふと思い立って、隣駅のブックオフまで。妙に鼻が利くのです、離れていても、あそこら辺に何か掘り出し物がありそう・・・なあんて気がして、そうなるとそわそわ落ち着かないのです。それで、電車に飛び乗ってトコトコ出かけていきました。
 案の定、あったあった。ただし、今日の予算外。『字通』『字訓』(白川静・平凡社)が、それぞれ、5000円と4000円。あと『イスラーム辞典』(岩波書店)が950円。『字通』『字訓』は各2万円以上するので、とてもお買い得です。『イスラーム辞典』に至っては7500円が950円ですよ。しかも、3冊ともほとんど(まったく?)使われた形跡がなく、とても綺麗。うわー。欲しい。でも計1万円は予算外でちょっと痛い。でも、買おう。『字通』『字訓』はほんとに欲しかったんです。でも2冊で4万、これに『字統』を加えると6万・・・それを考えるとこのブックオフでの価格は夢のよう。これを逃してはいかん。
 と思いつつ、取りあえず店内をもう1周してから最後に持っていこう、と、その場を離れたんですが・・・5分ほど経って、いよいよその3冊を買って出ようと書棚の前に戻ってきたら・・・
 なくなってました。『字通』。
 がああん。
 直前に、若いお兄ちゃんがなにか大きな本を抱きしめているのにすれ違ったんですが、おそらく、その方でしょう。うはー。まさか、あれを買う人はあんまりいないだろうから大丈夫だろうと安心していたんですが。。。
 レジのお姉さんに聞いたらやはり私の前に『字通』買っていった人がいたそうです。「今日は辞書がよく売れます」って、そりゃそうだわなー。「これ、今日入ったばかりなんですよ。なんでも辞典が沢山入荷したんです」だそうです。まあ、いいか。他の2冊入手しただけでもラッキーだったんですよね。うん。それに、先に買っていったお兄さんだってきっととても欲しかったんだろうし。仕方ない。諦めます(←諦めきれない奴)。
 『イスラーム辞典』のほうは、執筆陣に知人が。定価で買ったことにしとこう(^^;)・・・も、もちろん、私が読みたいから買ったんです・・よ。


2004年11月17日(水) 眼の疲れ。

 旧暦10月6日。
 やっぱり頭が痛い。がんがん。
 肩や首の血行が悪いのが頭痛の原因だというのも今では実感として分かるけど、それと関係もしているけど、眼が痛いです。会社でパソコン画面見てると、眼がかなり疲労してしまいます。視力もさらに落ちて、画面上の数字がかすんで・・・うわーどうしよう。仕事にならないよー(笑)
 この、眼の疲労具合と比例して頭痛と吐き気もひどくなることが判明。なので、まず眼の疲れをとること。そうすれば頭痛も軽くなるようです。
 今は眼を酷使する環境ですよね、誰しも。みんなどうやって眼をいたわっているんだろう。特に私みたいに1日中パソコン見てる人多いと思うんですけど、みんなの眼は大丈夫なのかなあ。私、ほんと眼が痛いです。最近本読んでても、新聞の活字追ってても、チカチカして読みづらいですよぉ。やばいですね。
 コンビニでファンケルのブルーベリーのサプリメント買ってきました。眼に効くやつ。あと、眼にいいものもっと取り入れようっと。それから、眼の周りの血行をよくするために、カイロも眼の上に当てて休憩することにしました。今日それやってみたら、とっても気持ちよかったです。
 ちょっと眼精疲労対策研究しよーっと。


2004年11月16日(火) 青蛙房、野島出版のことなど。

 旧暦10月5日。 
 先週は体調悪くて我慢していたのですが、今日は退社後新宿紀伊国屋本店と、真向かいのジュンク堂書店へ。先に紀伊国屋に寄る。いつも待たされる地下のエレベーター前、誰もいない。。。どのフロアも心なしか空いている。特に文庫本フロア。ガラガラ・・とまではいかないけど、10月末に開店したジュンク堂にかなりのお客が流れていっているのがよく分かる。なんか気の毒になって、『東京かわら版11月号』(350円)だけ買ってあげる(おい。。)これは東京で行われる寄席情報がびっしり書かれている便利な冊子です。今月こそ、寄席に行くぞ!・・・でももうあんまり日がないなあ。
 向かいのジュンク堂に移動。開店して2回目。なのにこちらのほうが落ち着くのは何故?『江戸語事典』(三好一光・青蛙房)『北越奇談』(橘崑崙・野島出版)『江戸病草紙』(立川昭二・ちくま学芸文庫)『千年の愉楽』(中上健次・河出文庫)など購入。
 『江戸語事典』は前から欲しかったもの。古本で買おうと思っていたら、この夏新装版が出たのでちょうど良かったです。青蛙房という出版社、好きだなあ。あの岡本綺堂と縁の深い出版社だというのも、可愛いかえるのマークも、出している本も何もかも好き。ここから出ている本は全部買いそろえたいほど。味のある良い本を出版している。ただ、昔のように、函に入れてカッチリした本を作って欲しいのに、今は函なしです。残念。青蛙房の函に入った本を古書店で見かけると、ぞくぞくするほど嬉しいです。こういう出版社、どうかこれからもなくならないで欲しいです。
 『北越奇談』は、故郷新潟の、奇談を集めたもの。江戸時代に橘崑崙という人が記し、葛飾北斎が挿絵を描いたのですが、越後の奇談といえば、鈴木牧之の『北越雪譜』のほうが有名ですよね。『北越奇談』読んでみたかったのですが、原文がなく、現代語訳されたものを購入。この野島出版は新潟県三条市にある出版社です。ここもいい本を出していて好きです。なにせ、郷土の出版社だから、東京の本屋で見かけると嬉しくなってしまう、へんかな。
 ジュンク堂のレジで、購入額が1万円以上だったので、おまけにナイロン製の手提げバッグをもらいました。小ぶりで作りが結構しっかりしているので、ちょっとした買い物に使えそうです。ラッキー。

 書店を出て、賑やかではない方の地下鉄入り口から地下に潜ろうと階段を下りていたら、下の方から大きな声が。男の人が叫んでいる。よくあるゲリラライブの一種で、詩語りでもやってるのかな?と思い階段を下りていき、曲がったところ、長い足で階段を数段またぎながら、大手振り身振りで男の人が台詞を言っている。「そこで貴族は・・」「そのピアノが・・」とか、断片しか覚えていないけど、確かそんな感じのこと言ってました。そばでもう1人男性が見守っている。なーるほど。どこかの劇団の俳優さんが練習してるんだ。度胸試しも兼ねて。声が普通の人と違う。かなり鍛えた声のよう。まあ、あの地下鉄への入り口階段だったら、ほとんど人も通らないし、ちょうどいいのかも。私の前を歩いていたおじさんが、「信じられないね」と首をかしげながら呟いていた。練習していた仲間を見守っていた男の人と私と眼が合うと、なんだか申し訳なさそうに笑っていた。けど、いいじゃん。私には、前をゆくおじさんの携帯電話が最新型だったことのほうが信じられないよ。使いこなせてるのも凄い。
 あの辺り、新宿三丁目なんですけど、この前地下鉄下りたらホームのベンチに座って一心不乱にコンパクト覗き込んで顔にファンデーション叩きこんでいる人がいた。まあこんな所で熱心に、と思って思わずその人に目がいったら、完全に男性、お兄さんだった。そういう街です。女の私より化粧上手な男性が沢山いるので、ちょっと肩身の狭い思いがします。
 


2004年11月15日(月) ファルージャでの虐殺

 旧暦10月4日。
 米軍がファルージャで行っているのは市民の虐殺としか思えない。はっきり言って相当イカレてる。狂気の沙汰としか思えない。日本のマスコミ、もっと真実伝えろよ、と思う。武装勢力と見なされてどれだけ多くの市民が米軍に殺されているか、どれほどの市民が戦闘に巻き込まれ、また二次的に被害に遭って命を落としているか、米軍サイドからの情報ばかりでなく、イラク市民側からの情報ももっと伝えて欲しいと思う。市街戦で米軍は一体どんな武器を使用しているんだろう?反米武装勢力だけを掃討するなんてそんなすっきり終わるはずない。現地では市民にどんな被害が出ているんだろう?
 それにしても、このファルージャ攻撃がアメリカ大統領選挙の投票日より前だったら、選挙の結果も少しは違っていたんだろうか?それともアメリカ人は好戦的(言い過ぎ?)だから、行け行けムードでやっぱりブッシュ再選になっただろうか。・・・ファルージャへの攻撃、見事に投票後に開始しましたね。
 だけど、イラク戦争は終わったととっくの昔に宣言したブッシュだけど、相変わらず同じこと繰り返してるじゃないか、と思う。戦争中バグダッドを陥落させた時にも反米武装勢力を多数逃して、イラクは結局混乱したまま。で、今回だって、きっと同じ結果になると思う。他人の領土で武力で押さえつけようとして、結局反感買うだけ。自分たちのやり方押し通そうとするだけ。
 アラファト議長、結構好きだったんだけどな。妙に母性本能くすぐる(?)ような容姿も。テレビで見ると、意外にフレンドリーな感じがしたし。晩年統率力失いつつあったとは言われるけれど、やはりパレスチナ難民の人々にとっては求心力のある存在だったんだと思った、葬儀の様子見ていて。。イスラエルのラビン元首相の暗殺がなければ、アラファト議長とラビン首相で、パレスチナ問題はもっと違う方向に好転していただろうに、と、とても残念・・・・そして、ブッシュの再選決定とアラファトさんの死去が同時期というのは、なんだかとても暗示的。パレスチナ情勢も混乱していくのかな、やはり、それも、ブッシュの好む方向に。。
 イラク情勢も、パレスチナ情勢も、ブッシュの思惑のままに、アメリカが引っかき回してこれからどんどん悪くなっていきそうで、怖いです。


2004年11月14日(日) ラジオ深夜便

 旧暦10月3日。
 じんましんはだいぶ消えました。抗アレルギー薬が切れかかるとかゆくなるので、朝晩ちゃんと飲んで、あとは大人しくしてました。日記を読んでくれた友達がメールをくれて、やはり薬疹について教えてくれました。市販の風邪薬だって、油断ならないのですね。これから風邪の季節、普段より薬に頼ってしまう冬、特に気をつけねば。
 
 最近ラジオが好きです(前にも書いたような。。。)。もっぱらNHKラジオ第一放送を聞いています。さっき、民謡番組を聞き、そのままつけていたら「ラジオ文芸館」の時間になり、乙川優三郎の「屋烏」という短編小説の朗読が始まりました。消して本を読もうと思いつつも、そのまま最後まで聞いてしまいました。。面白かった〜。効果音(波の音とか)もあったし。小説の朗読って、自分の頭でイメージしながら読みたい向きには敬遠してしまうんですけど、落ち着いた朗読で、結構いいなって思いました。
 さてさて、今、傍らに置いた小さなラジオからは、「ラジオ深夜便」が聞こえています。23時10分から、24時まで、北原亞以子氏、逢坂剛氏の二人の作家による対談、「捕物帳の楽しみ方」が始まっています。今夜はこれを聞きながら布団に入ります。
 では、おやすみなさい。


2004年11月13日(土) 重たい猫

 旧暦10月2日。
 いい天気だったのになあ。。。ずっと寝てました。グスン。
 朝起きて鏡を見たら、顔にも蕁麻疹が広がっていました。顔真っ赤でまだら模様やんけ。昨夜飲んだ薬も悪かったようなので、それも飲むのはやめよう。朝食後、それ以外の頭痛薬と、抗アレルギー薬飲んだら、頭がぼうっとしてきたので、再び布団に潜って寝てしまいました。土曜の朝から寝るなんて勿体ない。
 ところが昼近く、ひどい悪夢にうなされてしまいました。悪夢?現実?かも分からないような。布団の上、腹から胸にかけて苦しくて目が覚めたら、上に大きな黒猫達が3匹ほど乗っていて、こちらを見ていました。昔実家で可愛がっていた黒猫に似ていたので、私は親近感が湧いて(どうして彼らがここにいるかはあまり考えずに)、「おいで」と声を出そうとするにも声が出ない。声を出そうとしているうちに、その猫達が私にはなんの親しみももっておらず、冷たい目で見ているのに気がつきました。私は声も出ず、身体も動かず、金縛り状態で、それを解こうと必死にもがいている間も、彼らは布団の上からじーっとこちらを見ています。猫達の重みがずっしりと身体に伝わってきます。そのうち、私の頭の上の空中から、黒いおかっぱ?の女性が何か意味ありげにニタニタ笑いながら降りてきました。彼女の身体はなくて、首だけ、スーッと。子供の頃、面白半分で覚えた般若心経、こういう風に怖い思いをしたときに心の中で繰り返すと、金縛りもフッと解けるのですが、今日はそれもまったく効かず、女性の顔は私の顔のすぐ近くまで来て、しばらく笑い続けていました。彼女と猫達が何を私に言いたいのかまったく検討がつかず、もう疲れてしまって、どうでもいいや、と思った瞬間、彼らの姿がすっと消えて、身体もすうっと自由になりました。やれやれ。寝返りを打って、しばらく横になったまま休んで、ふと思い立ち、今朝飲んだ薬の説明書きを読む。「セルシン錠」。筋肉の緊張(けいれん)を軽くする、と書いてありますが、精神的な部分にも少し作用するようですね。不安や緊張を取り除くともあります。この薬もやめよう。
 さっきネットで「薬疹」について調べていました。結構怖いんですね。医療に関することで素人判断はよくないですが、素人もある程度は知識持っておかないと、何事もお医者さん任せでは自分の身体を守りきることは出来ない、と思いました。どんなに名の聞こえた名医でも、患者さんは千差万別、人間の身体は複雑ですもんね。
 


2004年11月12日(金) 人マシーン

 旧暦10月1日。
 実は昨夜日記を書きながら、足とか腕が妙にかゆかったのです。いつの間に虫に刺されたのかな、と思いながら、ぽりぽり掻いていました。布団に入ってさあ寝よう、としたのですが、かゆさは増す一方、で、「このパジャマダニがついとる」と起きあがっては着替え、またしばらくして、「うう、これもダニダニ」だと言ってはまた着替え、しまいには1枚脱ぎ、2枚脱ぎ、もしかしたら毛布ダニだらけなのでは?と、毛布も剥いで上は掛け布団1枚になり、そんなことしててもぜんぜんかゆさはおさまらない。むしろ、身体全体がかゆくなっていく。当然、寝られない。「やだーっ、この部屋いつの間にダニだらけになったんじゃーっ」と、心の中で泣き叫んだ瞬間、ハタと気がつき、部屋の明かりをつけて、我が身体を見て、びっくり仰天。あちこちにミミズ腫れ。・・・じんましんが全身に広がっていました(^^;)
 それからがもう大変。夜が明けるまで、とうとう一睡もできず、とにかく布団の上でゴロゴロ転がりながら、ボリボリと身体中掻きまくっていました。もう、かーゆいのなんのって。うぎょーっ!ぐわわーっと叫びたい位でした。夜明けがこんなに待ち遠しい夜は生まれて初めてです。会社に行く前に急いで病院に駆け込んで、「先生〜、じんましんが出ちゃいました〜」「ありゃー」
 アレルギーに対処する薬を処方してもらい(私は注射が合わないので)、昨日出された頭痛薬でじんましんの原因であろう一番きつい種類を外して貰いました。アレルギーの薬は飲んで1時間ほどで効き目が出てきたので、かゆみが消えたときは、これまた生き返ったかのような気分でした。
 今、この日記書いているのは夜なのですが、さっき夕食後に頭痛薬とアレルギーの薬飲んだのですがまだ効いてこないようで、再びかゆいです。あーかいかい。。。もしかしたら、じんましん起こした薬は、抜いて貰った強いほうのじゃなくて、今夜飲んでしまった方だったのでは。。。などと、不安になってきましたが(笑)かゆみ止め、はよ効いてくれ〜。。。
 薬の副作用って、怖いですよね。私は自分に合わない薬が沢山ありそうなくせに、どれが自分にとって駄目なのか、はっきり把握してないのです。市販の風邪薬などでも動悸が強くなったりすることもあるので、薬には敏感なつもりだったのですが。。。周囲の人達に聞くと、みんなちゃんと自分に合わない薬を把握しているんですね。見習わないと。と言っても、こういう風に副作用に合ってみないと分からないんですよね、やっかいなことに。
 お医者さんから、今夜はお風呂禁止(身体を温めるから)、お酒も駄目(薬の作用を強めてしまうから)、などなど、いくつか注意事項を戴き、忠実に守って大人しくしております。楽しみな週末の晩酌も、今日明日明後日とも、我慢します。もうひたすらよい子で過ごす秋の週末。
 今夜はちゃんと眠りたいです。。(T_T)


2004年11月11日(木) 月下美人・・・私のことじゃないよ

 旧暦9月29日。
 頭痛が治らず、今日で今週は3日も会社を休んでしまいました。
 まるで頭の中がぐわんぐわん脈打っているみたいに、痛みが存在感を増して、吐き気も加わって起きていられず、珍しく食欲も失せてしまいました(それで昨日の日記も書けませんでした、すいません)。偏頭痛っつうもんは、しばらく我慢してやり過ごせば治るもんだと思っていたのですが、どうにも我慢できなくなって、今日はようやく病院に行きました。案の定、先生、私の首を掴んで、「あーあ、がっちんがっちん・・・」とにかく首と肩の血流が完全に滞ってしまって、これが主な原因らしいです。あとは、眼。とにかく、定期的に首や肩のコリをほぐす運動をすること、身体を温める食べ物を摂ること。で、血流を良くする薬や痛みを抑える薬など数種類出して貰って、しばらくそれを飲みなさい、と指導して頂きましたです。早速、その薬飲んだら、あの頭痛が嘘のように、すーっと軽くなってきました。すごい、生き返ったみたい。会社休んで寝てても、本すら読む気になれないほど痛かったのに、ほんと、それが嘘のようになくなってきました。具合悪いところがない、というのは、こんなにも楽しくうきうきするもんだったんだ、と、改めて日頃の健康管理の大切さを思い知りましたです。あと、年齢的に、身体がこれまでのようにはいかなくなってきているんですよ、とも言われました。30代半ばにもなると、いろんな変化が出てくるんだそうです。ああ実感。先生には、痛いときはやせ我慢しないで痛み止めを飲みなさい、と言われてしまいました。ははは。。。。。。。明日会社行ったら溜めてしまった仕事超速?で片づけないとです。
 しかし、不摂生で医者嫌いのくせに、いざ痛いとなると大騒ぎして、私って相変わらずお馬鹿さんだなあ。

 銭湯に行ったら、ロビーでみんなが腹這いになっているので一瞬ぎょっとしましたが、よく見たら、月下美人の花が咲きかけているのを眺めているのでした。カメラを手にしている人も。私も携帯電話のカメラ持ってみんなと一緒に腹這いになったのですが、開きかけたまま、変化が遅い。「あなたがお風呂から上がってくる頃がちょうどいいわよ」と言われ、それもそうだと、ゆっくりお風呂に入って出てきたら、綺麗に咲いてました。そこで1枚。夜花開いて、翌朝までには閉じてしまう、たった1夜限りの花だそうです。月下美人。小学1年か2年の頃、当時住んでいた近所の農家のおじいさんが丹誠込めて育てた月下美人が咲きそうだというので、私の家族含め、近所の人達が夕食を早めに済ませておじいさんの月下美人を見に集まり、花が開いていくのを何か神秘に取り憑かれたように眺め入っていたあの日のことを思い出しました。ほんとうは9月頃に咲く花らしいのですが、狂い咲きしてしまったそうです。でも、綺麗だな。


2004年11月09日(火) いろいろやってみる。

 旧暦9月27日。
 頭痛が治りません。風邪でもないのに頭痛が続くのは、肩こりがひどいときとか、度のきつい眼鏡やコンタクトレンズをし続けたとき程度しか経験がなかったのですが、とうとう私も偏頭痛持ちになったんだろうか。頭の中の血管がぼわんぼわん脈打つ感じ。おまけに吐き気も。なんにも手につかないよー。本屋に寄って頭痛に関する本立ち読みしてきました。頭痛持ちの人って、結構いるんですね。頭痛のパターンもいろいろあるんだ。原因も、勿論いろいろ。
 痛みが続くようなら病院に行くとして、取りあえず、身体の具合が悪いなら逆にそれを自分の身体を見直す良いきっかけにしてしまおう、ということで、会社帰りに自転車で皇居を回って、皇居前の広場で自転車止めて、すーはーすーはー腹式呼吸。周囲はジョギングする人達が多いので、プチ気功っぽいことしても違和感ないです。場のエネルギーって、結構大切だと思うのですが、私が知る限り、東京で最も場のエネルギーが綺麗なのは皇居あたりじゃないかという気がします。緑も多いし。東京のど真ん中になるのに、不思議なんですけど。そういう所に定期的に行って、リフレッシュしないと。
 その後銭湯の湯船に時間をかけてゆっくり浸かりました。薬湯と露天風呂に首まで入って、じーーーーっとして。
 帰宅してから、今まで定番にしていたコーヒーは我慢だ。今日はカモミールティーを飲んでいます。
 あとは、もう、日付が変わる前に布団に潜って、たっぷり眠ります。
 おやすみなさい。
 


2004年11月08日(月) 化粧水作ってみました。

 旧暦9月26日。
 頭痛が痛い・・じゃなくて、なかなか治りません。そんなに頭使ってないんだけど。目から来るのかなあ。我慢できない歯痛でない限り、痛み止めの薬を飲むのは控えたい、体質的に合わないので。
 コーヒー断ち、することに決めました。ついに。
 休日自宅にいると朝から晩まで5〜6杯は飲んでしまうし、会社に行っても飲み続ける。煙草がやめられない人を気の毒に思うけど、実は自分もコーヒー依存症なのです。マグカップが空になると落ち着かなくて注ぎに行ってしまう位。コーヒーの飲み過ぎも頭痛によくないような気がする。。(適量ならかえって良いみたいだけど)。私の場合飲み過ぎだし。ということで、今日、自宅のコーヒーが切れたのを機に、これからハーブティーとお茶とミネラルウォーターでいきます。なんだか身体の中に余計な毒素が一杯溜まっているような気がするんですよね。これから風邪の季節になると、私は人一倍罹患しやすくて周りに迷惑かけるので、健康管理、もっとしっかりやらねば。
 あ、でも、コーヒーを完全に断ってしまうのはつらいので、1日1杯、美味しいレギュラーコーヒーをゆっくり味わう時間だけは、お楽しみとして確保しようと思います。
 ちなみに今この日記を書きながら飲んでいるのは、ローズヒップとハイビスカスをブレンドしたハーブティーです。近所のスーパーで買った日東紅茶の。今度オーガニックのハーブティー、探してこよう。

 昨日、寝る前に、化粧水作ってみました。昨夜と今日の朝晩使ってみて、肌の調子がとても良いので自分でも驚いています。ご参考までに作り方を。。
★化粧水あたろースペシャル★(・・かどうかはもう少し使い続けてかぶれないか実験しないと分かりませんが)
〔材料〕
 精製水・・30ml
 ローズヒップオイル・・2.5ml
 グリセリン・・2.5ml
 精油(フランキンセンス)・・1〜2滴
〔作り方〕
 ビーカーなどに材料の分量を見ながら入れていって、最後にビンにに移し替えて、蓋をして振る。
 これだけです。超かんたん。
 手作り化粧品の本やサイトには、防腐剤としてグレープフルーツシードエクストラクトを入れたり、あと、たいてい、アルコール分としてエタノールを入れたりしているのですが、その、グレープフルーツシードエクストラクトなるものを買い忘れたのと、アルコール分が合わない肌なので(飲むのは平気なんだけど)、防腐剤なしの化粧水を作りました。その代わり、35ml程度の少量を作って、1週間以内に使い切るようにします。ちなみに、昨日購入したエタノールは、化粧品に入れるのではなくて、容器などの消毒用なんです。
 ローズヒップオイルも、フランキンセンスも、肌の老化に効果があるそうです。前に使って私の肌にとても合って気に入った基礎化粧品に、「オーブリー」というメーカーの、ローズヒップオイルを配合した化粧水がありました。また、同じく気に入っていた「ニールズヤードレメディーズ」というメーカーに、フランキンセンスのエッセンスを入れたクリームがあって、これもとても肌にいいものでした。なので、両方のいいとこ取り。ただし、ただ今自分の肌を使って実験中ですから、人様にお勧めはいたしません。あくまで参考程度に。。。
 
 アロマテラピーに使う精油は、世界中からそれぞれにとって最高のコンディションと思われる地域で栽培、採取された植物を使っています。精油のビンに書いてある産地を見ると、ほんといろんな国々から来てるんだなあ、と感動。と同時に、複雑な思いも。
 例えばフランキンセンス、別名乳香、オリバナム、は、北アフリカや中東諸国原産の低木から採れる精油だそうです。オリバナムの語源自体、ラテン語で「レバノン産の油」とのこと(『アロマテラピー事典』(パトリシア・デービス著・フレグランスジャーナル社)。私の手元にあるフランキンセンスの精油は、なんとソマリア産。大変なところから来たんだなあ。外務省のホームページ見ると、邦人退避勧告出てるし。。ソマリアと言えば内戦や干ばつが思い浮かびます。この精油、どんな経路でどんな人達の手を渡って、アロマテラピーショップに最終的に並んだんだろう。結構考え込んでしまいますね。。。
 蘊蓄っぽくなりましたが。


2004年11月07日(日) 手作り化粧品・・・に挑戦してみる。

 旧暦9月25日。
 池袋の東急ハンズへ。久しぶりにあのサンシャイン通りを歩いて、あまりの混雑に頭が痛くなった。ヤワだ。やっぱり人ごみは苦手です。ハンズには欲しい物が揃ってなかったので、西武デパートの中にある「生活の木」というアロマテラピーの店にも行った。さらに疲れた。必要なものを買ったらさっさと帰って来ました。まだ頭痛い。池袋はどうも好きになれない。新宿より歩きづらい街だと思う。渋谷よりはいいのかもしれないけど。なのに好きな店が多いのも池袋。リブロ、ジュンク堂、キンカ堂、世界堂(パルコの上にある)、生活の木、カリス成城、東急ハンズ、無印良品も西武とパルコに大きいのが入っているし、ユニクロもあるし、あとデザイン的に優れていて実用的な雑貨が置いてある店も多い。困ったもんだ。ガキ(失礼)も多い。
 
 ハンズとアロマテラピーのお店に行ったのは、昨夜、化粧水を使い切ってしまったからです。化粧水はシュタイナーの理論に基づいた農法(バイオダイナミクス)で作られたオーガニックハーブを原料とした「ヴェレダ」というメーカーのものが好きで(これはお勧めです!)、これと、たまに巣鴨の地蔵通り商店街にある「笑顔堂」というお店の「地蔵化粧品」(!)シリーズの赤い瓶の化粧水(中身はちふれ化粧品、これも結構良いです)を使っていたのですが、ふと、我が家の冷蔵庫に入っている精油(エッセンシャルオイル)を使って化粧品手作りしてしまおう、そのほうが安上がりだし、安心だし、楽しいわさ、と思い立ったのです。
 これまでの私のアロマテラピーと言えば、まだまだ初心者の域を出ていなくて、例えばお湯を張ったコップに精油を1〜2滴垂らしてアロマポット代わりにしたり(1時間くらいなら十分です)、マッサージオイルと合わせて肩こり部分等をマッサージしたり、ハンドタオルに精油をちょっと垂らしたり、程度でした。が、とうとう化粧品の手作りに食指が動いてしまいました。今まで使っていたメーカーのものが悪いというわけではないのですが、どうせ精油が手元にあるなら自分でいろいろアレンジしてみたいなあ、とも考えています。
 取りあえず、今日購入したのは、ローズヒップオイル、グリセリン、無水エタノール、シアバター、蜜蝋、ハイビスカスパウダー(赤)とローズパウダー(ピンク)、精製水です。トータル約5000円ちょっと。これが高くつくか安くつくかは今後次第なのですが、この材料と、自宅にすでにあった精油数種類で、化粧水、保湿クリーム、口紅、保湿用リップクリームなんかを作ろうと思います。シアバターはクリーム30グラム分しかないけど、あとの材料は半年〜1年分位作れる分量あります(たぶん)。化粧水は、精製水が薬局で100円くらいだから、都度たっぷり作ってたっぷり使える、これは嬉しいです。原料がはっきりしていると、安心だし。特に私は乾燥&敏感肌なので、自分に合ったレシピを研究したいです。できるかな?
 そうそう、経済的な効果も大きいけど、それ以上に、自分だけの化粧品だったり、防腐剤を入れずに少しずつ都度手作りする新鮮さとか、そういう楽しみがあるのがいいですよね。ただ、精油の扱いには注意を要するものもあって、例えば、柑橘系の精油が入った化粧品をつけて日光に当たると、シミになるそうです。だから、ちゃんと勉強してブレンドしないと。
 20代の頃は、デパートの化粧品売り場によく行ってました。あれはあれで夢があるし十分楽しいんだけど、口紅1本3000円とか化粧水1本4000円とか、美容液1万円とか、もう買う気になれないなあ。学生時代は買ってたくせに。私の価値観、相当変わってしまったみたいです。それに、パッケージ見て、「酢酸トコフェロール」とか何がなんだか分からない化学薬品の名前とか色素とか、高い化粧品買ってさんざん肌荒れ起こした経験あるので、今は化粧品の原料に気を遣います。
 ・・あと、ほんとは石けんも作りたいんだけど、これは大がかりになるので、さすがに手を出せません。
 


2004年11月06日(土) 消えていく文具

 旧暦9月24日。
 だいぶ前にこの日記に書いたのですが、とても気に入ってもう何年も愛用しているPILOTの製図用シャープペンシルがとっくの昔に廃番になってしまい、同じような細さ、軽さ、使い心地のシャープペンシルを見つけてこれもかなり気に入って使っていたのですが、こちらももう店頭では見かけなくなってきました。
LYRAのシャープペンシル、私が気に入って使っているのは茶色い軸の、0.9ミリのものです。先日、新宿の画材屋世界堂に、他のアイテムを買いに行った時、製図用品のコーナーも一応チェックしてみたところ、以前はあったはずの、この茶色い0.9ミリがないので、嫌な予感がして店員さんに訪ねたところ、やはり、廃番になってしまったとのこと。がーん。ショック大きいです。同じメーカー、LYRAの、青軸0.7ミリ、赤軸0.5ミリはちゃんとありました。けど、もしかしたら、この2種類も、近々無くなってしまう可能性がないとも言い切れない、と言われました。
 私の手は小学生並に小さいのです。なので、太かったり重かったりする筆記具は手が疲れてしまうのです。また筆圧も高いので、逆に軽すぎるものだと、余計な力が入りすぎてしまい、すぐ芯を折ってしまうのです。写真は左から、もう何年も愛用中のPILOTの0.7ミリ、真ん中がLYRAの0.7ミリ、同じく0.9ミリ。真ん中の青い0.7ミリは、先日世界堂で、茶色い0.9ミリが廃番になったと聞いて、失意のままに購入したものです。もしかしたら、この青い0,7ミリも、そのうちなくなっちゃうんじゃないかと心配して。。
 職場でも自宅でも、毎日のようにパソコンのキーボード叩いているけれど、これは「書く」という行為とは言えない、とかたくなに考えています。今時そんなこと言ってるなんて時代遅れだ、と言われるかもしれないのですが、自分の場合、「書く=手で思考する」ということではないか、と思うのです。キーボードで文字を入力しながらでも勿論考えるけれど、それと手書きを比べると、やっぱり違うんじゃないかなあ、って気がします。上手く言えないんですが、例えば漢字を書きながらその漢字の成り立ちとか意味とかは意識しなくても指先と視覚で頭の中に入ってくるし、感じ取れるし、ひらがなの柔らかさとか、そういうのを指先で生み出しながら、その紙の上に書かれた文字が今度は頭の中に駆けめぐっていき、次の文字へイメージをつなげたり、或いは文章のリズムを作り出したり、と、まだまだいろいろ出てきそうですが、とにかく手書きには手書きにしかない良さがあるんじゃないかと思うのです。あと、文字の形それぞれが持つ感触、これは大切だと思う。
 何を言いたいのかどんどん横道に。。すいません。というわけで、手書きも大切にしています。鉛筆とか原稿用紙とか、手帳とか、ノート、大好きです。で、外出の時などは、さきほどのシャープペンシル。手のひらサイズの手帳のリングに入れて持ち歩いたり、読みかけの本の余白に書き込みしたり、何かと手放せない存在になっているのが写真のシリーズです。0.9ミリは筆圧高くて字も大きい私には結構合ってます。あと、ミニクロッキー帳も持ち歩いているので、ちょっとしたスケッチにも使います。あ、それで、何が言いたいかっていうと、こういう、シンプルでオーソドックスな筆記具が廃番になるとほんと悲しいです。値段は500円前後、シンプルすぎてなんの変哲もないように見えるけど、自然に手にマッチして字を書くということを苦痛にさせないって、大切ですよね。今文具店にはいろんな筆記具が並んでいるけれど、機能とか目新しさよりも、こういうフツーで長持ちするアイテムを長く作って欲しいなあって思っちゃったりします。
 串田孫一氏の『文房具56話』(ちくま文庫)にこういう文章がありました。
 
 ・・・と同時に物は豊富でありながら、本当に欲しいものの買えない時代だとも思う。

 あーまさに同感です。


2004年11月05日(金) もう11月なんだ。。

 旧暦9月23日。
 昨日の日記で、アメリカ人はバカ、と書いたのを、ちと感情的に失礼な言い方だったかな、とも思ったけど、そのままにしておこう。この場合、バカ、なんてまだ可愛い表現だと思ったから。バカ、どころか、傲慢で恐ろしい国だと思う。ブッシュは今回の選挙の勝利を得て、今後さらにテロからアメリカ国民を守り、強いアメリカを作っていくと張り切っている。強い国を作るのはいいけど、軍事力を使って他国を叩きつぶしたり、国際会議の場で自分の主張を無理矢理押し通したりできることが強さの基準だと勘違いしているんだから困るよ。・・・アメリカ脱出してカナダに移住を考えるアメリカ人の気持ち、よく理解できます。ほんと、お気の毒です。ブッシュにはウンザリ--カナダ移民局サイトに米国からのアクセス急増(Yahoo!ニュースより)
 裸の王様になりつつあるブッシュとアメリカ。

 長岡に住んでいた知人と連絡が取れたと、別の知人が教えてくれた。地震の数日前に、長岡市から別の町に転居していたとのこと。そちらは震源から遠く、被害のない地域だったけれど、転居葉書も出す間もなく、今回の地震が起きてしまった。引っ越しがあと数日遅かったら、その知人も避難所生活をすることになったかもしれない。・・・地震の前に引っ越して無事だった人。地震の直前に自宅へ向かって土砂崩れに巻き込まれてしまう人・・・人の命運って、恐ろしいものだと思った。。。
 もう11月。東京は日中20度近くなるぽかぽか陽気が続いているけど、新潟は冬が早い。特に山に囲まれた被災地は、もう朝晩相当な冷え込みのはず。早くみんなが暖かい家で過ごせますようにと、願うばかりです。

 郵便局ではもう年賀葉書が売り出されている。早いなあ。アパートの大家さんであるおばちゃんとこの前年賀状について立ち話。おばちゃんは日本画をやっていて、私も絵を描くのが好きなので、そういう話になると止まらない(汗)。大家さんは、毎年、賀状に絵を手描きするので、準備が大変らしい。図案とか文字とのレイアウトなど、いろいろ教えてくれた。・・私は、年賀状は毎年手書きするのだけど、絵は年によって描いたり描かなかったり。時間に余裕のある年はアクリル絵の具などを使っていい加減な絵を描くのですが、ここ数年、ほとんどが、12月に入ってから予め絵のついた年賀葉書を買って、年末に帰省して実家で慌てて書いてるありさまなのです。でも、時間に余裕がないというのは、年末せわしなくなってから腰を上げるためにそう思えてしまうのであって、ほんとは、前もって少しずつ書きためておけば、結構ちゃんとした年賀状が書けるんですよね。それができない・・・世の中にはやっている人が沢山いるのに。毎年この時期になると思うこと。というか、決意。それが、今回は年賀状を慌てずきちんと書こう、それから、来年の手帳は毎回しっかり書き込もう(リフィルは11月始まりだったりするので・・)ということ。両方とも、実行できた試しがないです。うーー。今回こそは。


2004年11月04日(木) しつこく大統領選挙の結果について

 旧暦9月22日。
 アメリカっていう国はほんとに恐ろしい国なんだなと、つくづく思った。っつうか、アメリカ人て、ほんと、バカなんじゃない?で、結局自分たちのことしか考えてないんだ。要するに、ブッシュはアメリカ社会の権化みたいなもんなんだ。なんかもう呆れてなんにも言えない。ブッシュが当選してビンラディンもこれで一安心だろうし。
 でも、救いはケリー候補もブッシュと接戦を演じるほどに支持を受けていたということだ。だけどいかんせん、今ひとつ頼りなかったんだな。残念です。

 あんまり仲の良くない姉がいて、その姉がこの人と結婚するといって男の人を連れてきた。が、男を見る目のない姉が選んだのは、品が無くて暴力沙汰ばかり起こしている奴。姉のことはあんまり好きではないけれど、結婚相手のこととなると口を出さずにいられない。ところが姉は、自分の結婚相手なんだから余計な口出しするなと言う。でも、あんな暴力男と姉が結婚したら、家族であるこちらも迷惑をこうむるのは目に見えている。そのうち暴力で物を言い、財産も巻き上げられてしまいそう。そんな奴よりも、今ひとつ頼りなさそうだけど暴力が嫌いで、ちょっとは思慮深いある男性が姉の旦那さんになってもいいよ、と立候補してるんだけど、そっちのほうがまだまだいいや。

 なんか下手なたとえ話ですね。


2004年11月03日(水) 大統領選挙

 旧暦9月21日。
 アメリカの大統領選挙、ケリー候補の当選を期待してたのに、面白くない結果になりそうで、やだ。まれに見る接戦で、ほとんどの週で開票結果が出ても決まらず、残るは勝敗の鍵を握るオハイオ州でブッシュ候補がほぼ勝利、らしいんだけど、オハイオ州の暫定投票の開票を待って最終結果が出るとのことらしい。・・・でも、それでケリー候補がブッシュ候補を上回る可能性はあるのかなあ。なんとしてもケリー氏に頑張ってもらいたいよー。
 今回の米大統領選挙は、これまでの選挙以上に世界中の人達が注目してるし、世界中の多くの人達がケリー氏の当選を願っている、と、メディアで何度も伝えられている。ブッシュとその取り巻きの悪者達がまたアメリカの政権を握ったら、イラクはじめ世界情勢はもっともっと悪くなるんじゃないかと思う。暴力で世界を支配しようとする思想も恐ろしいし、それ以外にも、例えば地球温暖化に対処する為の京都議定書への批准を、世界で最も多く温室効果ガスを排出しているアメリカが拒否しているのも、ブッシュがアメリカ国内の経済を優先しているからだし、ブッシュ大統領というのは、ごくごく一部の人間達のためにその他多くを犠牲にして利益を得ることしか考えていないような政治家に思える。こういうのって、アメリカの中にいたら分からないのかな、ってくらい、アメリカにはブッシュ支持の人が多いんですね。分からないなあ。なんで?あれだけイラク戦争の大義名分が崩れて、戦争の是非が問われているのに。ブッシュ政権って、アメリカ以外の国々の人にとっては、恐怖政治だな、って思うんですけど。他国の内政にあれこれ言うのはよくないかもしれないけど、今回の大統領選挙はアメリカ国民だけじゃなくて、世界中の運命をも握っているわけだから、アメリカ人もっとよく考えてよ、って感じ。


2004年11月02日(火) 被災地の犬や猫はどうしているんだろう。

 旧暦9月20日。
 先日すれ違った親子、小学生の男の子がキョロキョロしていて私が前方から来るのに気がつかない様子だった。彼の隣を歩いていた母親が、「しっかり前を見て歩きなさい」と、彼に注意していた。
 同じ日に、近所の狭い道を、紐に繋がれていない向こうからヨークシャテリアを隣に歩かせながら散歩している女性がやってきた。ヨークシャテリアはキョロキョロせわしなくよそ見ばかり。で、私が目の前まで近づいているのにも気がつかない。「ほら、ちゃんと前見て歩きなさい」と、女性が犬に向かって言う。私が思わず吹き出して、彼女と目が合い、お互い顔を見合わせてくすくす笑い合った。
 犬と人間の違いなんて、一緒に暮らしている家族にとっては無いも等しいんですよね。犬でも猫でも、同じ屋根の下に暮らして、自分を頼りにしてくれている可愛い存在であれば、人間の子供と同様に、手放せないかけがえのない存在なんだと思う。家族には変わりないんですよね。
 地震や台風で被災地となった地域の、それぞれの家に飼われていた犬や猫達は、みんながみんな、飼い主達と一緒に避難所に連れ行ってもらえたわけじゃないんですよね、きっと。この前山古志村に一時戻ったときに、家の外に繋がれている犬にご飯を多めにあげて抱きしめた、という記事を読んで、また、牛や錦鯉などの動物たちを心配する声を聞き、被災地では人間も苦労しているけれど、動物たちも悲惨な状況下にいるんだと、悲しい気持ちになりました。また、避難所には犬は入れてはいけないと拒否されたために、犬と一緒に車の中で避難生活をおくっていた40代の女性が、エコノミー症候群と思われる症状で亡くなったということも聞きました。着の身着のままの避難生活では、どうしても人間の命を優先させてしまう、これは仕方のないことですよね。だけど、犬や猫や牛にも命はあるし、飼い主にしてみれば、飼う、という以上に、大事な家族の一員であるわけだし、置き去りにしていくのは断腸の思いではないでしょうか。かといって避難所につれていって、他の人達に迷惑をかけることはできないし。
 新潟の被災地でも、犬を連れて入れる避難所が出来たというし、確か阪神淡路大震災の時も、そういうタイプの避難所を設けたと報道していたような記憶があります。私の実家にも、犬猫合わせて6匹はいるので、この先どういう災害に見舞われるか、また、その時家の犬猫達はどうなるんだろうか、と、人ごとではないような気がします。
 数日前に新聞のカラー写真で見た、山古志村の犬、今頃どうしているんだろう?村が水没しつつあるけれど、無事にしているでしょうか。とても気になります。


2004年11月01日(月) ジュンク堂新宿店

 旧暦9月19日。
 一昨日の土曜日に、ジュンク堂新宿店が、新宿三越の7,8Fに開店したんですよね。すっかり失念していて、今日仕事帰りに寄りました。ジュンク堂だけじゃなくて、三越自体が新装開店だったみたい。エスカレータに乗って上にいくまでに、ロフトが3フロア、つい文具売り場を覗く。結構いいです。お洒落なデザインで使いやすそうな舶来品文具も充実、和風ブックカバーが綺麗にディスプレイされていたり。ただ日本製の昔ながらの大学ノートや原稿用紙が少ない。原稿用紙に至っては、たったの1種類。悲しすぎます。大学ノートはツバメのが置いてあったのは評価できるんだけど、種類が少ないです。
 と、ロフトに寄り道している場合ではないと、上に行く。目指すはジュンク堂なんだけど、実はあまり期待してなかったりして。だってデパートの1部分でしょ、とりあえず本屋入れてみました、みたいな感じなんじゃないかな、と思ってたので(なのに行く奴)。・・・と思っていたら、びっくり。書棚の間をうろうろしているうちに、じわじわと静かな感動が湧いてきた。これは9月の丸善丸の内店の開店直後に行った時にはまったく得られなかった類の感動でした。大きな入れ物(建物)作りました、ありったけの本詰め込みました、って感じじゃあないんです。新刊にかぎらず、多くの本を面出し(表紙が見えるように)して書棚に立ててあります。平積みはほとんどありません。書棚の高さは女性でも無理なく手が届く位、丸善のように視力が悪いと上のほうの背表紙が見えない、なんて悲劇もありません(すいません悪口)。上の本を取りたくて、脚立探してキョロキョロ、見あたらないので諦める、もしくは脚立でも届かない(丸善はまさにそう!悪口すみません)なんて屈辱もない。書棚と書棚の間はわりとゆったりしていて、全体的に探しやすいです。ゆったりしているし。だけど決して品揃えが少ないというわけではなく、非常に充実している、と思いました。特に文庫本コーナーは良いです。向かいの紀伊国屋も文庫本売り場だけは他のどこにも引けをとらないんじゃないかと思っていたんですが、ジュンク堂には負けちゃったかなぁ。紀伊国屋の新宿本店は、数年前に改装してから格段に使いづらくなったような気がします。なんつったって、エレベータが少なくて狭いので、店内に入る前に、エレベータの前でさんざん待たされます。且つ、文庫本売り場以外は、どうも分かりづらいんですよね、書棚が。・・と文句言いつつ、ジュンク堂と紀伊国屋が向かい合ってあるというのがすごく嬉しい私です。
 でも、ジュンク堂で本を選ぶ楽しさを知ってしまったら、もう向かいの紀伊国屋にはなかなか足が向かないだろうなあ。紀伊国屋は客足をだいぶ取られるんじゃないでしょうか。だって、まず、本の並べ方からして、意気込みが違うもん。ベストセラー売らんがなで並べてもだめだし。「これを読め!」みたいな主張がある棚ならこっちが引いてしまうけど、選びやすいように本の顔を出してみました、みたいな感じがして、ジュンク堂の本棚は結構好きです。丸の内の丸善は開店から4回位行ってみましたが、いまだに慣れない。でもこっちの新しいジュンク堂は、これから何度も通ってしまいそうです。


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