あたろーの日記
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2004年12月31日(金) 来年は平穏な年でありますように。

 旧暦11月20日。
 もう大晦日になってしまった。今年も早く通り過ぎてしまったような気が。でも、ほんとに災害や争いごとの多い年でした。来年は平穏な年でありますように。
 
 今年も、日記を読んでくださってありがとうございました。来年も、うだうだ呟きながら書いていきます。どうぞまたお付き合いください。
 
 あと1時間で年が変わります。東京の大晦日、除夜の鐘は聞こえてくるかなあ。「ゆく年くる年」見た後に、除夜の鐘聞きながら布団にもぐることにします。では、よいお年を。


2004年12月30日(木) 日頃の行いの悪さゆえか。

 旧暦11月19日。
 風邪が酷く、熱が38度台に。毎年末年始は私の最も風邪を引きやすい&こじらせやすい時期なので、一応気をつけていたはずなのですが、やってしまった・・・。こんな状態で帰省は無理。道中辛いし、実家で幼い姪っ子達に移してはならない。もともと今回の休暇は短いことだし、行って休んで風邪を治せるほどゆっくりできない。
 残念ながら帰省を諦めました。心配して電話をよこした母が、なんとか飛行場まで来れないのかと聞くも、今回はこっち(東京)で静かにしてるから、と答える。残念そうに電話を切る母に、申し訳ない気持ち。その後、飛行機のキャンセルをして、布団にもぐる。1日中、寝るか携帯電話のテレビを見ていた。帰省ラッシュを伝えるニュースはちと辛い。奈良の女児誘拐殺人事件の犯人逮捕。ああやっと解決したんだ。お正月を前に、ようやく、子供達が安心して遊べるんだ。でも、女の子は戻ってこない。悲しいお正月を迎える家庭もあるんだ。。皇族の婚約記者会見。NHKは、奈良の事件より記者会見のほうを重視。奈良の事件のほうが気になるこちらとしては、犯人逮捕の続報が知りたいところ。都庁勤務の黒田さん。正直言うと最初あんまり印象良くなかった。でも、記者会見聞いているうちに、なんか、結構マイペースで天然ぽいので、意外と感じのいい人なのかも、と思った。まあ、私がどうこう言う問題ではありませんな。ともあれ、災害の多かった今年、明るい話題は嬉しい。
 とは言うものの、あと1日で新年、心から祝う気になれないのは、やはりインドネシアやタイやインドなどで、まだまだ津波の被害で苦しんでいる人達が大勢いるから。。あの地域の人達は、一体どういうお正月を迎えるのだろう?そう考えると、東京のアパートで、1人迎える私のお正月はなんと恵まれていることか。
 夕方、近所のスーパーと八百屋に買い物に行く。
 帰省するつもりでいたので、冷蔵庫の中はほとんどカラッポ。幸い熱があっても食欲もあるので、野菜中心にしっかり食べないと。ちょっと八百屋とスーパーが一緒になったような店があって、野菜がべらぼうに安い。細ネギ3わ100円、ブロッコリーのスプラウト1パック10円、小松菜2袋100円、アボガド3コ100円・・・。もう市場は閉まってしまったので、買いだめしておいた野菜を売りさばくだけなんだそうです。でも安い。お正月は野菜が高くなるので、今のうちに少し多めに買っておこう。次ぎにスーパーに行き、乾蕎麦や豆腐など購入。重くなった荷物をやっとのことで持って帰ってくる。夕方、熱がまたぶり返してきたかも。出歩くのは間違いだったかな。。。と思っているところへ母から電話。元旦に着くように、煮染めやなます、きんぴら、鍋用魚介類、などなど、沢山送るから、とのこと。餅も入れるからね、と言われ、餅は食べ過ぎるからいらない、と言ったら、なんと十日町の知り合いのところでついて送ってきてくれた餅だそう。ならば、有り難く戴かねば。十日町に住む父の知り合いは、毎年この時期、美味しい餅を送ってくれる。甚大な被害に遭った地域なのに、今年もまた餅つきは行われたのだと思うと、感激する。
 さて、となると心配なのは、冷蔵庫。今日沢山買ったので、中は結構充実している。そこに実家からドドッと届くとなると、あとはもう、せっせと食べまくるしかありませんか。。。
 やばい。寝正月&食い正月になりそうな。


2004年12月29日(水) 雪だ

 旧暦11月18日。
 寒いです。東京は朝から雪で、日中ぼたぼたと降ってました。寒い、寒いと思いつつも、仕事納めの今日、結局いつもと同じ時間頃まで働いてしまった。。。帰りの電車が空いていてよかったですが。が。風邪引いたようです。ちょっと熱っぽい。明日、帰省できるかどうか、怪しくなってきました。とにかく、今夜は早く寝ます。明日元気に田舎へ帰ることができますように。。。
 ウー寒い。


2004年12月28日(火) さむい。

 旧暦11月17日。
 残業してぼんやりした頭で電車に乗り込む。と、あっちでフラフラ、こっちでフラフラ。ホームを大声で歌いながら歩くおっさんも。エスカレータの前の女性、足踏み外しそう。・・・もう、みんな酔っぱらってる。そうなんだな。ほとんどの会社は明日から休みらしい。が、私のいる会社は明日もあります。
 なので、明日も頑張ります。 
 寒い。急に冷え込んできましたよ。明日東京も雪が降るかもしれないというのは、本当かも知れない。寒い〜。
 おやすみなさい。


2004年12月27日(月) 津波

 旧暦1月16日。
 渋谷にて忘年会。渋谷久しぶり。渋谷はあまりにも賑やかすぎて、ノリがどうも違うので、呑むのはちときつかいも、と思ったら、お店のほうは駅から近い割に落ち着いていて、料理も美味しく、焼酎の種類も多く、十分満足できました。今度渋谷で呑むときはぜひここにしたいです。椿堂
 さて、年内に東京で呑むのはもう終わり。あとは仕事もプライベートも、やること溜め込んじゃって、かなり切羽詰まってます。明日明後日、もう少し頑張らないと。

 この年の瀬に、あんな酷い津波の被害。今年1年、ニュースを見るにつけ、神様や仏様はいないんだろうか、こんなことがあって良いのだろうか、という気持ちになることが多かった。
 家族が波に飲まれていくのを目のあたりにするなんて、どんなに恐ろしくつらいことだろう。この年の瀬に住む家を突然失うなんて、なんて酷いことだろう。
 新潟が少しずつ落ち着いてきたのにほっとしたのも束の間、テレビの画面を見て、この世の光景とは信じたくないような場面に息を呑む。
 


2004年12月26日(日) プリキュアを買って帰らねばならない。

 旧暦11月15日。
 今朝方、夢の中でやたらと喉が渇き、炭酸飲料を何本もがぶ飲みしていた。目が覚めた。やっぱり喉が渇いている。それも、夢の中で飲んだ炭酸飲料を飲みたい。がぶ飲みしたい。。。
 二日酔い気味でした。情けない。しかも、さっき昨日の日記を読み直してみたら、題名が抜けていた。最後も句読点で終わって、なにやら尻切れトンボ。しかもしかも、何?、酔っぱらった頭で、よくもまあ、酒が身体に悪いだ云々などと書けたもんですね。呆れますね。自分のことながら。
 でもさ、お酒を飲みすぎるとやっぱりよくない。翌日にまでアルコールが残ってしまうと、しらふのつもりが頭の働きが鈍くなってだるいもんだから、せっかくの休日でも時間を有効に使えない。これってほんとに勿体ない。酒がない人生なんてつまらない、とは、酒呑みが言う常套句ですが、私もそうは思うんだけど、酒を楽しむ人生はもっと後に残しておいて、今はほどほどにお酒と付き合おうと思う。お酒を味わうなんざ、やることやった人のすることですわね。私はまだまだちゃらんぽらん。。ちゃらんぽらんちゃらんちゃらん。。まだ酔ってるのか。・・・いえ、明日月曜だから、ブルーなだけです。せめて文面だけでも明るく。

 今日は都立中央図書館。佐渡関係の史料を調べまくり。『両津市誌 町村編』の下巻を見て、これは上巻も見ないと、上巻こそ必要だ、と思ったら、何故か上巻だけ所蔵されてない。司書さんの前で泣きそうになる。こういうもんなんだね。この上巻にはきっと私の探している情報が詰まっている筈。こういう場合は仕方ない。新潟県立図書館など、地元の図書館にはあるので、そこにコピーをお願いするか、家族に行ってもらうか。そう考えながらサイトを確認すると、ありゃ、どこの図書館も、明日から来年まで休館。一歩遅かった。タイミング悪し。
 だけど、今日は他の本で、思いがけない発見をしてとても満足しました。が、昔の史料って、ほんと、読めない。学生時代にもっと勉強しておくべきでしたと反省。
 帰り道、電車を乗り継ぎ、途中下車して、日本橋丸善行こか、新宿ジュンク堂行こか、紀伊国屋行こか、神保町三省堂行こか、迷う。迷いつつ途中で電車降りて、よし、あっち行こう、と歩き始めるも、結局やめる。途中で引き返す。なんて優柔不断。でも、年内はもう自分のための本は買わない。買うとしたら帰省のお土産の絵本だけにしよう。今年はもう、本屋をうろうろする時間なんて残されていないのだぞ、と、自分に言い聞かせる。あと1週間切った。今年あと5日。時間が、ないよ。
 年賀状、終わってない。。。
 
 帰宅すると妹から電話。妹の幼い娘達が、セーラームーンのおばちゃんが帰ってくるのを楽しみにしているとのこと。おばちゃんとはセーラームーンに悪いでしょ。でも、おばちゃんはつい先日美容院に行って、髪を少し切ってしまった。セーラームーンヘアにするほどの長さはもう無い。その旨伝えたら妹に「なんでー!」と、叱られた。妹の娘達が代わり番こに電話口に出るも、相変わらず何言ってるのか、分からない。でも、前より確実におしゃべりになっている。言うことがはっきりしてきている。で、今流行なのは、プリキュアというアニメだそうだ。プリキュアのケーキが欲しいと言われたのですが・・・。 


2004年12月25日(土)

 旧暦11月14日。
 神保町へ。
 電車通勤の日は通り道の駅であるので、週に2〜3回は徘徊する町なのですが、昼間時間を取って回るのは月に2〜3回。古書店は平日も閉店が早いので、ゆっくり見て回るとしたら、土曜しかありません、平日勤め人には。。。
 で、数店見て回って、古書会館入って、結局何も買わずに出て三省堂書店へ。そこで文庫本3冊買う。『旨いものはうまい』(吉田健一・角川春樹事務所)←結局買ってしまった・・・『詩の日本語』(大岡信・中公文庫)『美の法門』(柳宗悦・岩波文庫)。ほかに、『彷書月刊』の最新号。
 
 知人の、それも自分より2歳下の女性が体調を崩したこともあり、最近心底お酒を楽しめなくなってきた。。。といのも、彼女もお酒好きだったから。お酒を呑んでいて、頭はしっかりしているか否か、そればっかり気にしていた、でも、頭以外では気づかぬ部分が悲鳴をあげている、それが働き盛りの30代なのかも。それで、自分も人ごとではないような気がして、お酒を心から楽しむことが出来なくなってきたようで。正直言って、自分の身体にとって、どれだけの量のお酒が害になるのか分からない。これは単に酔った酔ってないの違いではない。私の肝臓、胃、他の臓器、細胞は、一体どれくらいの量のアルコールまで耐えられるのか・・・・・一般に、これまで言われてきた、酒が強い、という基準なんて、その場限りのものでしかない。身体には少しずつでも、アルコールが毒として蓄積されているのかもしれない・・・と考えてしまう。そう考えると、お酒が強いなどとタカをくくっていてはいけない。肝臓のアルコール処理能力だけでお酒と身体の関係を判断してはいけない。というわけで、このところ、心底お酒を楽しめない。
 と言いながら、新しい本を神保町で買うと、週末でもあるし、近所の居酒屋へ出かけていく。例の、年配のご夫婦のやっている、古い居酒屋。
 忘年会シーズンなので、グループ客が多い。いっとき客足が引いて、1人客が私含めて3人になったときに、電話が鳴る。おかみさんが、電話で話す声が店内に響く。・・・はい、13人ですか、9時45分頃に・・・鍋もの、はい・・・。
 おかみさんが受話器を置く。あよ10分後に13人来る。あたふたと席を準備するおかみさん。私含め1人客は、では今のうちに、と、肴を追加注文して、席を移動したり。
 客はほとんどが常連、近所の人達なので、たとえ話をすることがなくても、店内にはどことなく、おっとりした仲間意識が働いているようです。で、店を切り盛りしているのがご夫婦2人きりなので、店が混んでくるとてんてこまいになる。そこんとこ、お客もわきまえていて、気長&ちょっと気を利かせたりすることも。
 そういう雰囲気を楽しみながら、カウンターのはじっこで、吉田健一の酒にまつわるエッセイを。
 あっと、常連のおじさん二人組の会話から抜粋。
「俺なんか、今日、大掃除しちゃったよ」
「俺なんか、年柄年中掃除しちゃってるから、掃除大臣だよ」
 ・・・ってさ、なんか巧いなあって、ちょっと嫉妬した。これ、ろれつの回らない舌で言ってるんですよ、


2004年12月24日(金) クリスマスに蕎麦とはオツなもので。

 旧暦11月13日。
 友人と、銀座の松玄凛というお蕎麦屋さんに飲みに行った。銀座のビルの一角にある洒落た造りの店。若い客から年配カップルまで需要が高い店だ。蕎麦味噌、卵焼き、焼き物、サラダ、それからお蕎麦はコシがあって薫り高く、日本酒も美味しかった。店員さん達の振る舞いが丁寧で、とても居心地の良い店。雰囲気にも味にも満足で、会話も弾む。
 松玄凛の次は、ガルリ・カフェ(系列の店舗が銀座にいくつかあって、名前もそれぞれ違うので今夜行った店の名前を忘れてしまった・・・)。ここの和栗のモンブランは絶品です。友人に初めて連れ行ってもらい、食べて以来、大ファンです。他の人にはあまり教えたくないような、でも教えまくりたいような、とにかく美味しい。上の栗のクリームの下はほどよい甘さの生クリームで、その下はシャキシャキした歯ごたえのメレンゲ。こんなモンブラン、どこにも売ってない。食べることが出来るのはガルリ・カフェ系列のお店のみ。今夜久々に味わうことが出来て幸せです。
 
 クリスマスの銀座はさすがに賑やかでした。車体を低く改造した車やバイクに、トナカイやサンタの着ぐるみを着た若者達が乗り込んで、道行く人達の注目を浴びていた。トナカイの着ぐるみの上に電飾もつけてピカピカ光っている人もいた。ああいう目立つことを一度やってみたいような気もしないでもないけど。。。


2004年12月23日(木) シンクロニシティ

 旧暦11月12日。
 朝から寒かった。この冬一番の冷え込み。身体でひしひしと感じる、肉を刺すような冷たい空気。セーターの上にフリース着て、足は極太毛糸の虹色ソックス、それからフリースの膝掛けを腰から下に巻いて、ハロゲンヒーターを身近に寄せて、でもまだ寒い。動けない。私の部屋、もの凄く寒い(-_-)ま、理由はいろいろあるだろうけど。。。
 
 2、3日前のこと。いつも会社の昼休み、集団行動が苦手&昼休みはさっさとご飯食べてしまって時間を有効に使いたい私は机で食事を済ませるのだけど、たまたまその日は同じフロアのとある女性の席に行って、一緒にご飯を食べた。なんだか彼女とおしゃべりしながら食べたい気分になったので。
「あ、そーだ、今朝新聞読んでてあなたに見せようと切り抜いてきたのがあるのよ、ちょうど良かった」
 と、彼女が言うのを聞きながら、社員食堂で買ってきたお弁当を食べ始める。で、確か、今売れている『電車男』の話から、ベストセラー本の話題になって、いつしかブックオフのことに。
 ブックオフと言えば、私は先日、白川静の『字通』が格安で売られていたのを、タッチの差で別の人に買われてしまったことをまだしつこく根に持っていたので、「あーブックオフと言えばですね、ちょっと聞いてくださいよー」と、「白川静の『字通』がですね・・・」などと始めたのですが、そうしたら、彼女の表情が固まった。
「・・・ちょ、ちょっと待って。あなた、今白川静って言った?」
 と言いながら彼女は机の下のバッグをごそごそやって、
「これ、今朝の新聞の切り抜きなんだけど」
 私に手渡したのは、なんと白川静の『字統』(『字通』じゃなく)が20年ぶりに大改訂して発売されたという平凡社の出版広告の切り抜きだった。
 まったく、驚いたのなんのって。こうして文字に書くとごく普通のありふれた出来事のようにしか表現できない自分がもどかしいのですが、あの時はお互いびっくり、狐につままれたような感じでした。私が彼女に白川静の話をしたのはその時が初めてで、それまでは白川の白の字も出してない。でも彼女はその朝新聞読んでいて、下の広告欄に目が行ったとき、これは私が興味を持ちそうな出版物だ、と思って切り抜いたのだそうです。しかも、彼女とはそれまでにたびたび本の話をすることはあったけれど、何かを切り抜いて持って来たのはやはりその日が初めてだったのです。
 普段別々に食事しているのにその日に限って一緒に食べて、食べながらおしゃべりの中でいつしかブックオフの話になって、会社で字典の話なんてしたことないのにたまたま思い出して話したところ、相手もたまたまその話題の著者の切り抜きを私のために持ってきてくれていたという・・・。
 これはシンクロニシティですな。
 


2004年12月22日(水) 正露丸はどこに。

 旧暦11月11日。
 昨夜は友達と忘年会で帰宅が遅くなり、日記を書く間もなく布団に潜り込んでしまいました、スミマセン。
 昨日は3人で新橋にて飲む。女友達とたまに美味しいもの食べながらゲラゲラ大笑いしないと、発散しないと、日々持ちませんな。
 今夜は会社関係の忘年会・・・だども、こちらは欠席。
 ところで今週は日曜の夜からどうもお腹の調子が悪い。いつもぐりぐりだ。時々ぴーひゃららだ。そんな感じだから、昨日会社で正露丸を飲んだ。薬箱から正露丸の壜を出し、自分の机でさりげなく飲もうと持っていき、そっと3粒中から出した・・・つもりが、1粒床に落ちて、そのまま机の下に転がっていった。
 正露丸1粒床に転がって、行方不明になった。
 正露丸1粒行方不明。
 正露丸1粒。
 ・・・臭いだけが強烈に漂って。

 ごめんなさい。

 机の下、覗いてみた。携帯電話のライト照らして探してみた。
 でも、正露丸、見つからない。
 隣の女性は「やっぱり、臭いますね」
 今日は「もう馴れたから平気ですよ」と言ってくれた。
 
 でも、やっぱり強烈に正露丸は臭っていた。
 臭いだけが、どこかに転がっている正露丸の存在をアピールしていた。
 仕事納めの日に私の机の周りを大掃除したら、正露丸、見つかるだろうか。責任重大だ。それとも、もしかしたら、明後日出社する頃には臭いも褪せているだろうか。そうであって欲しい。
 せめて、正露丸糖衣にしておくべきだったと反省している。

 
 小学生の頃、お腹がすごーく弱くて、正露丸は必需品だった。
 ある日母が正露丸を30粒くらい、ビニール袋に入れて持たせてくれた。
「学校に置いておきなさい」
 言いつけを守り、私は自分の机の中に正露丸の袋を入れた。これでいつお腹が痛くなっても心強い、と、シンプルに安心していた。
 数日後の朝、学校に行くと、私の机を男子が5〜6人、取り囲んでいた。
 その中には、クラス一格好良くて、スポーツも出来る●●君も混ざっていた。一瞬ドキドキした。でも、いつも私にちょっかい出す憎たらしい●●もいて、私の顔を振り返ったとたん、ニヤニヤし出したので、嫌な予感がしないでもなかった。
 ともかく、期待と不安の入り交じった気持ちを抑えながら、平静を装って自分の机に近づいていった。
 男子達の塊が崩れて、私の机が見えた。
 その時のありさまを、私は一生忘れることが出来ない。
 机の上にあるはずのないものが。
 正露丸の入ったビニール袋が。
 机の上に出して帰った覚えはないのに。
 ・・・誰か私の机に勝手に手を突っ込んで出しやがった・・・。
 クッソウ・・

 あの日以来、私は自分の人生から気取るということを捨てた。
 どんなに気取ってみたって、正露丸なのである。
 
 それから、もうひとつ学んだ。
 人は正露丸の臭いに敏感だということを。
 

 


2004年12月20日(月) 朝から電話で起こされる。

 旧暦11月9日。
 朝7時前、枕元の携帯電話が鳴った。私は携帯電話を目覚まし代わりにも使っているので、寝ぼけながら手探りで携帯を掴み、鳴り続けるベル音を止めた。で、あと5分だけ・・・と思ったところでハッと目が覚めた。ベル音は目覚ましじゃない、電話の着信音だ。着信履歴を見ると実家から。月曜の朝早くから電話なんて、あんまりいい予感しない。どころか悪い予感がしてしまう。何かあったのかと慌てて電話する。
 父が出た。なんだ元気じゃん。
「お父さん電話した?」
「ああーなんだ寝てたのか」
「はあ、着信履歴見たら家だったからさ」
「おぅ」
「で、なに?なんかあったの?」
「うんーおまえな」
「はぁ?」
「秋葉原行く予定あるか?」
「・・・はあ??」
「秋葉原」
「・・はあ〜?なんでよ」
「秋葉原行ったらついでにパソコンの値段調べてきてくれ」
「・・・あのね、そんな暇なんかないってっ!」
「そうか」
「・・・なに、お父さんパソコン買うの?」
「そう」
「パソコンの値段なら今ネットでいろいろ調べられるから、ネットで見てあげるよ」
「そうか(急に元気になる)」
「あい」
「じゃあな、お父さんな、デスクトップ型な、あのテレビがついてる奴な、あれで富士通かNECがいいな(って、それしか知らないんじゃないかっ)。それで安い奴な、見といてくれ」
「・・・・・はいはい、分かりました」

 月曜の朝からこれだよまったく。
 思えば、この夏帰省した折に、私が実家でモバイル用のパソコンを開いてインターネットでいろいろ調べているのを、興味津々で覗き込んでいたのは、姪っ子達だけではなかったのでした。
 しかし、父がパソコンを買うとなると、しまいにはデジタル一眼レフにまで触手を伸ばしそうで、それも怖い。あれやたら費用かかりそうだ。母の目がつり上がりそうだ。・・・と考えてみたが、そこまで行かない可能性も大きい。だって前科あるもんね。むかーし父が買ったNECのワープロ、ほとんど使いこなせないままほったらかしだったから、私が貰ったんだ、かれこれ15年くらい前。それ、まだ私のアパートにありますが。たぶん、パソコン買っても同じ道を辿る可能性大。今は小学生の孫達のほうがきっとパソコン早く使いこなせるようになるでしょう。

 それにしても、パソコン=秋葉原、という固定観念は一体何なの?確かに新潟には家電量販店が少ない。だからって、秋葉原価格調べてどうするつもりだったんだ?謎だ。本人も分かってないんだろうけど。まあ、新潟にもヨドバシカメラがあるから(新幹線降りるとすぐある)、そこでいいんじゃないの?もしくは、通販とか。だけど、デルなんて安くていいよと勧めても、知らないメーカーは嫌だとか言うんだろうな。
 と、気がついた。実家にパソコン使える人間はいない。両親も弟夫婦も、少し離れて暮らしている妹夫婦も、誰1人としてパソコンを知らない(妹夫婦のパソコンは数年前に稼働したきり埃を被っている)。まさか。
 まさか私が帰ってくるのを待ってるわけじゃ。。。
 パソコン買うのからセットアップからメールの打ち方からネットに繋ぐのからなにからなにまで、私にさせるのでは。。。
 帰省したらゆっくり休みたいです。猫を膝の上に乗せて、ゆっくり本読みながら過ごしたいです。寝正月にしたいです。
 今からちょっとブルーです。


2004年12月19日(日) 10年続いている会。

 旧暦11月8日。
 文学の同人誌の忘年会に行った。創立10周年の同人誌。えっ?もう10年にもなるんだ。。。正直すごいって思う。メンバーに入れ替わりはあるけれど、人数的にはあまり変化せず、40人前後を保っている。年3回の会誌を出し続けて現在30号。小説、戯曲、詩、俳句、短歌、随筆・・と、ジャンルはいろいろ、書きたいものをどんどん書く、メンバーが出した作品は選りすぐり無く公平に掲載する、という形で、10年も続いてきた。紆余曲折は過去にいろいろあったけれど、様々な世代、バックボーンの人達がお互い刺激し合って発展してきた。また、会の運営を中心になってやってくれている人達の尽力によるところ、特に大きい。私なぞはその人達にいつもお世話になりっぱなし。。。
 こんな風に偉そうに書いている私は、10年前の今頃、この同人誌の創立時にちょうどメンバーになった。オリジナルメンバーなのだけど、実は、この2年ほど、会をサボりにサボっていました。毎月1回、半日かけてそれぞれの作品を合評する例会があるのだけど、それもサボって、会誌に作品出すのもサボって。ずいぶんと足が遠のいてました。同人誌に作品を出すこと、文章を書く、ということ以前に、何もかもに自信がなくなって、自分が嫌で仕方がなかった時期。素人が書ける書けないで悩むなんて贅沢な甘えだとも思うけど、そういうことより前に、自分自身の存在について悩みが深くなる一方で、模索ばかりしていた時期。そのくせ、まったく書かないでいることも辛くて、ネットで日記を書いていた2年間。
 このところ、ようやく、小説を書くのが楽しいと再び思えるようになってきました。書きたいことが湧きだして、とにかく原稿用紙に書いていこう、という気持ち。
 そろそろ、また出ておいでよ、と、仲間が声を掛けてくれて、サボっていたので行きづらかったけど、今日はプチ勇気を出して忘年会に顔を出してきました。初めて会うメンバーもいたけれど、みんな、前と変わらず温かく迎えてくれて、話がはずんだ。みんなと話していると、やっぱり、どんどん作品を書きたい、みんなに読んでもらい、批評して欲しい、という意欲が湧きます。いい意味で刺激になるし。小説を書くというのはもの凄く孤独な作業だけど、同じことをしている仲間が身近にいる、というのは、ありがたいことなんだと今更ながらにしみじみ思いました。
 来年に向けて、新たな気持ちになることが出来ました。


2004年12月18日(土) 小唄・髪切り・立ち呑み屋

 旧暦11月7日。
 小唄のお稽古に行く。私の三味線は相変わらず上達していません。でも、今お稽古している「小春」という唄はとてもお気に入りなので、頑張って練習しよう・・・と、思ふ。
 夜、急いで帰って来て、大塚にある美容院へ。平日なかなか行く時間がなくて、いい加減髪の毛切りたくてそわそわしていたので。美容院、1年振り?私は頑なに髪を染めない(痛みやすい髪質なのと、人と同じことをするのが嫌だというバカ頑固な性格ゆえ、あとどのみち生まれつき茶色っぽい)し、お洒落に相当無頓着なので、髪を切るときは、街角によくある1000円床屋さんに行くのですが、たまには美容院に行って、今風のヘアスタイルにしてもらわないと、と思ったのです。というのも、この夏帰省した折、実家の母に、「たまにはきちんと美容院に行って、少しは今風になりなさい」と、諭されたからなのでした。なのでまあ、この月末に帰省するまでに、母を安心させるような髪型にしておかないと、またなんか説教されそうなので。
 で、10月頃、大塚駅前で貰った美容院の割引チラシを保管しておいたので、それを持って美容院に行ったわけです。別に巣鴨の美容院でもいいんだけど、美容院も病院も、他所から転居してきた人間にはどうも選びにくい。それに、美容院は私の感覚では高い。これは価値観の違いなんだろうけど。なので割引チラシ配ってくれるお店に。
 実は美容院ってあんまり好きじゃない。ヘアスタイルをどうするか、美容師さんと相談する分には勿論構わないけど、その後、シャンプーしながら、ドライヤーかけながら、カットしながら、等々、美容師さんとの会話がめんどくさい。しかも、シャンプー担当とカット担当の美容師さんが違うので、相手が変わるたびに話も変わる。「髪が長いのに痛んでませんねー、何か特別なお手入れしてるんですかー?」「いえ、無頓着なのがかえっていいみたいです」「えーそうなんですかあ」「はい、てきとーにドライヤーかけるだけです」「でもこれだけ長いとドライヤーも結構たいへんでしょう」って、今日はそんな内容の会話を2人の美容師さんと繰り返すはめに。あーあーあー!だからめんどくさいっての!これが平日だったら、「今日はお仕事だったんですか?」「どんなお仕事されてるんですか?」となる。ほっといてほしい。私が1000円床屋が好きなのは、あんまり気を遣わなくていいから。美容院に比べると無愛想なほどだんまりで、ひたすらチョキチョキしてくれる。それが気楽。とは言え、それは私の感覚から言ったまでで、美容師さん達としては、お客さんとのコミュニケーションをとって、居心地よい店にして、さらには会話の中からお客さんのライフスタイル等を聞き出して、より似合う髪型を提供していこうという心構えなのかもしれないし、美容師さんとの会話も美容院での楽しみのうち、というお客さんも多いんだと思う。
 なんだけど、私は話すのが面倒だったので、しまいには雑誌読んでるうちに居眠り始める振りをすることに決めた。で、ついにはほんとに眠ってしまった。途中、ガクン、と頭がのけぞってしまい、危うく鋏が頭に刺さるところだった。危ない危ない。
 でも、さすが、美容師さん、想像してたより気に入った髪型にしてくれたもんね。文句たらたら書いた割には居心地は悪くない店だったので、今度もそこに行こう(やな客だな)。

 店を出て、自宅にまっすぐ帰るつもりが、ふと、立ち呑み屋の前で足が止まった。大塚駅周辺は、安い居酒屋が多い。と、立ち呑み屋も、何軒かマークしているのですが、女性1人では入りがたい雰囲気が立ち呑み屋には漂っている。特に大塚駅の周りは風俗店がやたら多い。薄暗がりとネオンの、とても猥雑な感じのする土地なのだ。ゆえに、おじさんの楽園だったりするのです。
 さて、くだんの立ち呑み屋、ボクシングジムの向かいにあって、いつもは混んでいるんだけど、今夜はえらく空いていた。土曜の夜ってそんなもんなのかな。私のアパートのそばの居酒屋は週末がピークだけど、繁華街の飲み屋さんは違うんだ。うしうし。ボクシングジムの練習風景を通りから見学して(外から見ることが出来る開放的なつくり)、というか、訳も分からずただほげーっと突っ立って眺めながら、うん、入ろ、入ろ、と決心して、立ち呑み屋に入った。
 店内には当然椅子がなく、厨房を取り囲むカウンターと、テーブル席がぽつんぽつんとある。壁の上についてるテレビで有線大賞の番組をやっていて、2〜3人のお客さんが呑みながら見上げていた。お客さんはみんな1人客で、常連さんばかりみたいだ。厨房の若いお兄さん2人も、お客さんの間を歩き回って接客しているのおばさんも、普通にやさしくて、居心地良い。お店の人の接客も気持ち良いし、お客さんもそれぞれ自分の世界に入っているので、初めての立ち呑み屋、まずまず成功。夢だったんですよね、立ち呑み屋に入るの。かれこれ7年前神田駅のそばに出来たその手の呑み屋さんに入りたくて憧れた、その時からの密かな夢。今日叶ってとても幸せです。立ち呑み屋さんて、お客さんのごった煮、って感じもいいなと思う。作業服着た肉体労働の人も、スーツ着たサラリーマンも、ビンボーな学生も、あと、色気のない酒呑みOLも、みんな好き勝手に自分の1日の締めくくりに、店に飛び込んできゅっとやって、綺麗な呑み方で呑んで、さっと夜の街の中を帰って行く。そういう雰囲気が好き。
 で、ですね。お店のおばちゃんが丁寧にお店のシステムを教えてくれた。お店のメニューは100円、200円、300円が中心。最初に1000円で100円券が11枚か、2000円で100円券が23枚綴られている回数券を購入する。注文したメニューをおばちゃんが運んできたら、テーブルの上に置いた回数券から、メニューの金額分の回数券を切り取っていく、という仕組み。わ、これはいいや。明朗会計だね。とても素敵だ、うん。とりあえず、今夜は1000円の回数券を買う。おばちゃんに1000円渡すと、私のテーブルに回数券を持ってきてくれた。これを置いておく。で、頼んだもの。中生(300円)、熱燗(200円)天串揚げのまぐろと玉葱(各100円)、ニラ玉(200円)、ニンニクの丸ごと揚げ(200円)。これで綺麗に1000円(100円券11枚綴り)の券を使いました。もちろん、余った券は次回にも回せるから、強いて使い切る必要はないんですが。で、最後に残った券の表紙を、残して集めてね、とおばちゃんに言われた。集めるとおまけがくるのかな。じゃ、集めようっと。
 端っこのテーブルで呑みながら、先日買った雑誌「ダカーポ」を読む。特集は「今年最高!の本」ということですが、セカチューとか、売れに売れた本がてんで相手にされてないところが嬉しい。だけど、もっとページ割いて徹底した特集にしてほしかった。これじゃ、出版業界の上辺をおさらいしただけじゃんか、という不満が残らなくもない。ちょっと消化不良でもある。
 約1時間、お店にいました。立ったまま呑む、というのは体力的にいかがなもんでしょう、と思ったけど、案外楽だった。テーブルに身体もたれさせていたから。よく考えてみると、ホテルとかでやる立食パーティよりかはだいぶ楽ちんだ。あれは寄っかかる場所もないもの。
 あ、書き忘れてました。お店の名前。「立ち呑み・天串の店 秀吉大塚店」


2004年12月17日(金) ABC


 旧暦11月6日。 
 仕事を終えてから用があって表参道まで出かけた。
 ふと見上げると、国連大学のビルのたたずまいが、雲間の夜空に向かってそびえて、なんとなくゴシック風だったので、思わず立ち止まってしばし見とれてしまった。
 ついでに久々に青山ブックセンター(ABC)に寄った。復活してから初めて。以前とあんまり変わっていない本棚の配置。品揃えはちょっと増えたかも。ただ、もう少し欲を言えば、文学をもっと増やして欲しい。今流行の作家だけでなくて。書棚に並んでいる本が、どうも、選ばれたタイトル中心に思えるのが少し気にくわない。ジュンク堂ほどまでとは言わないけれど、書店の押しつけでなく、ある程度の量の中から掘り出し物を探す楽しさを得たい。買う側としては。アートや写真、建築など、ビジュアル系はさすがだな、と思った。あと、絵本など、子供へのプレゼントに本を選ぶにはとてもいいかも。絵本のコーナーは以前より充実したみたい。できれば帰省の前に姪っ子達へのお土産を買いに寄りたいな。
 他の書店ではなかなかお目にかかれない、あ、こんなんあったんだ、っていう本が3冊ほどあったのですが、今日は我慢。今月は帰省やら忘年会やらで、何かと出費が多いのです。おまけに部屋は積ん読の本で一杯。遅読女王しばらく本を買うのお休みです。うーん。欲求不満が高まってますが。

 話は変わりますが、ジャーナリスト志葉玲の新イラク取材日記からの孫引きになりますが、こういうサイトがあった。Dahr Jamail's Iraq Dispatchesファルージャでの遺体の写真。あまりにもむごい。気の弱い私は見るのがとても辛いのですが、これが戦争の現実なんだと思うと、目を逸らしてはいけないのじゃないか、という気がした。アメリが大統領が何をどう言おうと、日本の首相がいかに巧妙な口実を作ろうと、戦争で人が死ぬということは、こういうことなんだ。


2004年12月16日(木) バス待っててくれた。

 旧暦11月5日。
 先日仕事を終えてから行きたいところがあったので、バス停に向かったのですが、バスが来るまで数分余裕あったので、2つのバス停の中間にあるビルの本屋に飛び込んで、欲しかった本を急いで買って出てきたら、後方のバス停からバスが発車したのが見えて、焦って、次のバス停まで走り始めた。こちらとしても少しでも早く目的地に着きたかったので、このバスを逃すと10分以上待たなきゃならないのは嫌だった。
 バスが私に追いつきそうなところで、止まった。赤信号。やった。と思ったら、私も赤信号だった。もぞもぞ落ち着かない態度で横に止まっているバスを何度も見やり、前方の信号も気にする。この先のバス停までゆうに200メートルはある。だめだな、この距離じゃ、さっさとバスに追い越されてしまう。でも、もしや、ということもあるから、試しに走ってみるかな。
 信号が青になり、私は猛ダッシュした。動き出すのはバスより早かった。だけど、当然のごとく、あっけなく追い越される。が、バスが走りながら、「プッ」「プッ」と、クラクションを3回鳴らした。ん???こ、これは私に対するなんらかの合図か。諦めろっつうことか、それとももっと速くということか???
 バスが前方に見えるバス停に停車した。あーもうだめだ。およそ100メートル。いや、150メートル???とにかく、だめ。とうてい私が走れる距離じゃござあせん。重い冬のコート来て、これまた何やらごちゃごちゃ入った重い鞄肩に掛けて。
 ところがです。もう諦めて次のバスにしようと歩きかけたのですが、バスは動かない。バス停で止まったまま。人通りの少ない道なので、他の乗客が降りる様子もなく、ただドアを開けたまま待ってくれているのです、わ、私を。。。うひゃ〜っ!!なんつう親切な運転手さん、いや、親切なのか、スパルタなのか、とにかく私は走らにゃならない。止まってくれた運転手さんと、待ってくれた乗客のために。もう必死です。嘘だろーっと、心の中で叫びながら、爆走しました。三十路女が全速力で100メートル。ぶっ倒れるでよ。
 バス、1分くらいは止まって待っててくれたんじゃないかな。エンジンまで止めて。私が小銭をポッケから取り出して、銭箱に入れて、座席に座るまで待っててくれた。なにせ、バスに乗ったときは、足がよろめいていたので。はぁ。もう頭が上がりません。足も上がりません。息だけ上がりました。感謝感激汗アラレ。乗車して運転手さんにゼーハーぜーハー言いながら、お礼もきちんと申し上げましたです。
 だけど、東京でバス待っててもらったのって初めてかも。田舎じゃ走り出したバス追いかけて止めたこともある(高校生の時)。とか、バス停以外の場所で止まってもらったことまである。東京じゃ考えられないことだけど。いやー、それにしても、今度から余裕もってバス停に行きます、はいm(_ _)m


2004年12月15日(水) 狐の行列

 旧暦11月4日。
 大晦日に。王子・狐の行列というイベントがあるそうで、最近地下鉄のホームなどにポスターが貼ってあるのをよく見かけては、立ち止まって見入ってます。いいな。面白そう。大晦日の夜に、みんなで狐のお化粧をして、狐になったつもりで練り歩くなんて。考えただけでもわくわくする。なんだか不思議なことが起こりそうだ。いつの間にか、人間じゃなくて、ほんものの狐が人間に化けて、紛れ込んでたり、と。あー絶対面白い。行きたい行きたい、でも、大晦日にはとっくに新潟に帰省しているので、無理です。残念。
 今年の春、飛鳥山に花見に行ったとき、北区飛鳥山博物館で「狐火幻影」という王子の狐にちなんだ特別展をやっており、それを見てから私の中では静かに狐ブームになっています。あと、眠くなり最後まで見てはいないけど、黒澤明監督の映画「夢」の中のエピソードのひとつに、男の子が林の中で狐の嫁入り行列に遭遇するという話があって、あれは結構印象に残った。
 さらに、またまた昔住んでた土地の話で恐縮ですが、子供の頃、転校ばかりしていたのですが、その中に、新潟県の福島県境にある、津川町という山間の町に住んでたこともあり(麒麟山酒造のある町です)、そこでは狐の嫁入り行列という祭りが恒例になっています。ただ、私が住んでいた当時はまだなかった祭りなのです。見たことないのでちょっと残念。いつぞや実家に帰ったとき、家族が「津川の狐の嫁入り行列はいいよ」と言っていたのを聞き、なにそれ?と、初めて知りました。
 昔住んでた土地と、今住んでる土地(王子まで自転車でちょちょいのちょいの距離なので)が、狐の行列つながりです。そういうこともあり、狐ブームなのです。
 王子のも津川のも、ここ数年始まった祭りだそうですが、こういう祭りを考え出す人達のセンスの良さに感激してしまう。それが現代人の感覚で、というのが凄いと思う。だって、狐が人間の世界のすぐ隣にいて、いろんな幻想的なイメージを喚起させてくれた時代っていうのは、江戸やそれ以前の時代、要するに、夜は真っ暗闇の世界ですよね。今みたいに明るい夜からは想像できないような暗い世界、せいぜい行灯の薄ぼんやりした灯りの中で、人間の世界とそうでない世界が隣り合って、あるいは一緒にまぜこぜになってた頃のことですよね。よく、妖怪がいなくなったのは、現代の夜があまりにも明るすぎるからだ、と言われますが、狐の行列も、まさに、明るすぎる夜と、人間の領域が狐の領域を侵害してしまったから、見ることが出来なくなったんですよね、きっと。
 そういう、真っ暗闇だった昔の夜、夜に畏怖を感じていた昔の人達の「精神世界」みたいなのを引き継ぐような祭りを現代人が生み出すっていうのは、結構重要なことなんじゃないかな、という気がするのです。闇の中で狐の行列という幻想を見ながら、きっと誰の心にも、人間以外のものに対する畏怖や親しみの想いがわき起こるんじゃないかと思うんですが、人間に不可能はないと錯覚してしまう今の時代だからこそ、忘れちゃいけない何かがうごめいているような祭りって大切な気がするんですよね。。
 あー、見たいなー、狐の行列。


2004年12月14日(火) 時代劇印象に残る場面

 旧暦11月3日。
 赤穂浪士吉良邸討ち入りの日。なんだけど、テレビで忠臣蔵どこもやってないね。なんで。やってよ。やってもどうせ携帯電話のテレビで見るんだけど。でも討ち入りの場面見たい。日本人は忠臣蔵が好きだ。お決まりの場面が好きだ。
 
 というわけで、時代劇のお決まりの場面なんだけど何度見ても、演じる人が違っても、ついつい見入ってしまう、その場面になるのを待ちかまえてしまう、というのを思いつく限り書きませう。
 ○赤穂浪士討ち入りの場面(特に吉良上野介を炭小屋にて発見!場面)
 ○水戸黄門印籠「これが目に入らぬか」場面
 ○本能寺の変で織田信長が炎の中で絶命する場面
 ○坂本龍馬暗殺の「俺は脳をやられた・・・」と言う場面
 ○義経を守りながら武蔵坊弁慶が矢を打ち込まれて立ったまま絶命する場面
 ○遠山の金さんの花吹雪場面
 ○「猿」と呼ばれていた頃の秀吉が信長の草履を暖めて気に入られる場面
 
 あとなにがあったっけ。。
 えーと、あ、そうそう。

 ○忠臣蔵の「殿中でござるぞ!」の場面
 ○弁慶と牛若丸(義経)が五条の橋の上で出会った場面
 ○白虎隊が飯盛山で勘違いから悲劇の自刃の場面
 ○川中島での謙信と信玄一騎打ちの場面

 史実に即してるかはともかく(^^)まだまだ沢山ありそうですが。。。思いつかない。。
 ごくごく個人的に、深く印象に残っている時代劇の名場面は。
 ●NHK大河ドラマ「独眼竜正宗」で、正宗のお父さんが策略によって河原で正宗の目の前で刺し殺されるところ。渡辺謙の演技は絶品だった。あれは泣かせます。
 ●同じく「独眼竜正宗」での名台詞。「梵天丸も、かくありたい」
 ●同じくNHK大河ドラマ「武田信玄」の、柴田恭兵が演じた上杉謙信。
中井貴一の信玄もよかったけど、柴田恭兵の謙信の存在感は凄かった。ぞくぞくした。なんか謎めいていて不気味な感じが良かった。ちなみに子供の頃一時期、謙信の居城である春日山城のそばに住んでいたことがあるので、応援するなら絶対謙信です。

 来年の大河ドラマはタッキーの義経かぁ。
 何年か前にも大河ドラマで(あれも忠臣蔵でしたね)結構はまり役だったので、期待しよう。最初見て、面白そうだったら毎週見よう。
 ・・・テレビ画面小さいけど。
 


2004年12月13日(月) 再びマニュアル一眼レフの時代だと勝手に思っています。

 旧暦11月2日。
 実は帰省間際に懸命になって先祖のことを調べているのは、実家の父のご機嫌を取って、ちょいと譲って貰おうとしているものがあるのでござんす。そんな魂胆もあって、慌てているのです。はは。
 単焦点レンズ。が、欲しいのです。愛用のNikonFM2のために。父はオヤジのくせにカメラ小僧で結構カメラを持っているので、レンズひとつ位たまにはねだってみようと思うのであります。実は、今使っているFM2も、10年位前に、初めて自分で買ったNikonのF601をぶっ壊してしまい、修理不可能とメーカーさんに言われて落ち込んでいたところ、オヤジがくれたもんなのです。F601がオートフォーカスだったので、マニュアル機のFM2を貰ったときは、正直言って、「またマニュアルかぁ・・・」と思ったのです。F601を買う前に、やっぱり父がずっと前に使っていたNikonのニコマート(マニュアル機)を借りていたこともあり。・・・父曰く、「マニュアル機で写真の基礎を身体で覚えろ」とのことで、その当時は、そんなこと言われても、やっぱり時代の趨勢はもうマニュアルじゃないのよ、なんて思っていました。で、昔は、綺麗な写真、写真集みたいな写真を撮りたい、って、そういう想いでカメラ構えてました。
 それからしばらく、あんまりカメラ触らない時期もあって、次に携帯電話にカメラがついてそっちのほうがお手軽なので、お手軽に画像を残せるってことにばかり気が行って、さらには2年位前にはデジカメも購入したので、カメラと言えばデジカメ、みたいに自分も思っちゃって、写真を撮る=記録に残す、ってな意味合いにしか捉えられなくなっている自分が出来上がっていました。
 でも、最近、久しぶりにFM2を出して、カビてないかとかチェックしながら掃除してたら、あの、カシャ、っていうシャッター音に急に懐かしさと愛しさを感じてしまい、しばらく遊んでました。フィルム装填からシャッター速度や絞りを調節して、ピント合わせまで、何から何まで手動のもどかしさが、妙に楽しく思えてきてしまったのは何故だろう?今時、なんでも自動になって、便利になった筈なのに、無骨な手動のカメラに惹かれるのはおかしいですね(笑)。
 もしかしたら、マニュアル一眼レフは、オートフォーカスの一眼レフや、デジタル一眼レフや、携帯電話のカメラや他のデジカメとは次元の違う所に魅力を持っているのかもしれないです。
 一眼レフカメラを始めた頃は、どうにかして綺麗な写真を撮ろうとばかり気が急いていたのですが、今は、そうじゃなくて、もっとゆったりした気分で、カメラとの会話を楽しみながらファインダーを覗いていたいなあ、っていう感じです。
 こんど時間が出来たら、FM2ぶら下げて、路地裏散歩にでも行きたいな。野良猫訪問。
 
 


2004年12月12日(日) ぬかるんだ小径を。

 旧暦11月1日。
 旧暦ではやっと11月に入ったのか、ふーん。。。
 今日もまた都立中央図書館。・・・雨が降ってしまった。雨女です、すいません。何故か私が広尾に行くと、雨が降る。なんかいっつも傘さして有栖川宮記念公園のぬかるんだ階段を上がって行く。
 佐渡関係の史料を片っ端から調べています。前にも書いたのですが、我が家の家系図は、昔、菩提寺が火事になり過去帳がすべて焼失したため、祖母の母の代位までしかさかのぼれない。これはいかん、私の両親の代で佐渡を離れてしまったので、家系図を作るなら今しかない、というわけで、佐渡の親戚に聞いてみたり、文献にあたってみたりして、調べることになったのです。ただ、家の歴史を調べるなんてのに興味を持っているのは父と私くらいなもんなので(笑)。でも、一応、私、史学科出たんです、が、文献はほとんど(まったく)やってない(泣)。古文書の読み方くらい、習っておけば良かった(反省)。
 夏に帰省した時にそういう話が出て、気がついたらもうすぐまた帰省なんですが、調べは遅々として進んでないことに今ちょいと焦っております。父と資料付き合わせてあーだこーだ検討する時間は、帰省した時しかないので、ちったあお土産持っていかないと。
 と思いながら中断していた調べを始めると、これが結構大変だったりする。けど、面白い。取りあえず、まずは都内の図書館にある佐渡関係の史料に出来る限り当たってみる。それで足りなければ(足りないだろうけど)、新潟県や石川県(どうやらそこから佐渡に移住してきたらしいので)の文書館などにも行ってみる予定(当分先)。あと、できれば父方の実家の周辺で古文書などを保存してある家や○○文庫と名の付くところにも行きたいんだけど。。それも先。でも、そっちのほうが近道だったりして。それにしても、我が先祖は、記録というものをどうして残してくれなかったんだろう?ちょっとうらむ。うらみながらも結構楽しんでる自分。
 今日は19世紀初めのご先祖の名前を見つけました。たぶん、家の先祖だと思う。。とある私塾の勧進に蘆竹20束出している。・・・他の人達はお金を出しているのに、うちのご先祖は蘆竹だ。なんで?別の意味で目立っているぞ?いろいろ想像してみる。蘆竹が貴重だったのか、それともお金があんまりなかったのか、それとも・・・。
 その、蘆竹を出したご先祖の子供か孫か、と思われる時代にももう1人、名前を確認している。これは偶然、とある新書の中の図表に載っていた。ただ、これはほんとに偶然なので、その出典にあたるのが大原則なんですが、その元となる史料が分からない。とにかく虱潰しに調べていくしかないです。こういう時、凝り性だというのは幸いですな(^^)

 帰りに、有楽町の富士フォトサロンに寄った。時々ふらりと立ち寄るのですが、写真を見ていると、心が落ち着きます。気持ちよくなる。それと、ちょっとクリエイティブな気分になる(笑)。
 
 
 


2004年12月11日(土) くっついている食堂のこと。

 旧暦10月30日。
 都立中央図書館で資料探し。晴れて良かった。たいした理由ではないのだけど、図書館は有栖川宮記念公園の中にあって、雨だとちょっと歩きづらい。それに何故か、私が行くとたいてい雨だったりするので。。
 それにしても、都立中央図書館の周辺は、お昼ご飯に適したお店がない。私の探し方が悪いのか、そもそもお洒落な土地なだけに、やっぱり庶民的なお店はないのか。ラーメンとか、牛丼とか、餃子とか、カレーとか、立ち食い蕎麦とか・・・神保町だったら当たり前に迷うほどある安い「くいもんや」系が見当たらない。かろうじてマクドナルドがあるけど、あとは例えばお洒落なカップルが軒先の傘付きテーブルの下でパスタをつついているような店ばかりだ。・・・探し方が悪いんだろうか。ほんとにないんだろうか(←しつこい)。
 なので、お昼ごはんは当然のように図書館の5Fにある食堂でとります。今日は麻婆麺。450円だったか480円だったか。猫舌ゆえ食べるのに苦労しましたが、不味くはない、ああいう公共施設の食堂としては私の知る限り上等なほうです。そんな言い方しちゃ悪いかな?でも、もう少し安くてもいいのに。定食600円台は都の施設としては高くないか?と思ってしまう。利用者の多くは学生だしね。
 実を言うと、公共施設や学校などの食堂が結構好きです。なんでかよく分からないけど、好き。商売っ気のなさゆえか、安さゆえか、庶民性ゆえか、自分でも分析不能。
 あ、ひとつ、確かなことがあります。それは私の初々しい高校時代にまで遡るのですが。。。私の通った高校はとある山の中腹にあるのですが、学食なるものがありませんでした。いや、校門のすぐ外側に「学生食堂」と立派な看板を掲げた古い店があったのですが、授業が始まると校門は閉まり、下校時間になるまで学生は校門の外に出てはいけない決まりで、当然、「学生食堂」というその店にも行くことは出来ない。行けるのは、ごく一握りの度胸ある上級生の男子のみで、昼休み、廊下の窓から見ていると、よく、校門を乗り越えて先生に叱られている彼らの姿が見えましたっけ。
 というわけで、私の母校には、学食なるものが実質的に存在しなかった。学生食堂、憧れだったわけです。上京して、大学に通い始めたとき、キャンパスに学食が3ヶ所もあったのにはコーフンしましたぜい。・・・そこから、私の「(建物の中に)くっついている食堂」フリークは始まったのであります。
 公共の図書館、主に都立日比谷図書館とか国立国会図書館支部上野図書館(今は国際子ども図書館に変わってしまった)とか、区立の図書館(住宅地の中だと食堂がついてない所も)はよく利用します(あるいは利用しました)。都立中央図書館みたいに上層階にあるのは珍しくて、たいてい地下にあって、ちょっとジメッとしている。もちろんデートには向いていない。でもそこが、なんつうか、あたし苦学生?っぽい気分になれてよかったりするのです。
 大学の学食は王道。なにが王道なのかよく分かんないけど、ともかく庶民派、安くて量が多い(最近はそうでもないみたい)、で、場合によってはまずい。で、場合によっては、あたし苦学生?よりもあたし体育会系?な気分になってしまう。むかしむかし、お茶の水の明治大学刑事博物館に行ったついでに、学食にも潜り込んでみた。カツ重はちゃんとお重に入って、味噌汁は蓋付椀で、びっくりした。さらに、肉はしっかり豚肉だったのには二重に驚いた。私のいた大学のはカツ丼=衣の分厚いトリカツ丼、だったので。とにかく質より量(トリさんごめん)だったので。。。また、これもむかし、上野の森にあるとある施設でバイトしていた時に、仲間の芸大出身の女性に連れられて、東京芸術大学の学食にも潜入。で、20年以上変わらぬメニュー、ということで、200円の豆腐ともやしをバター醤油で炒めて塩胡椒で味付けしたものをご飯に乗せただけ、という、でも意外な美味しさの激安丼を食べた。
 実を言うと、先日「日展」を観に上野の森に行ったとき、あの激安丼を食べようと芸大の校門を潜ったのだけれど、いかんせん、あれからもう10年以上経っていたので、学食棟がどこにあるのかぜーんぜん分からなくて、人気のない敷地内でキョロキョロしていたらひどく目立ったので、怪しまれると思ってそそくさと出てきてしまった。学外の人間がウロウロしてはいけないのである。ほんとはm(_ _)m
 今、夜だけ通ってる大学の学食は、うーん、うーん、うーん・・・。もっと美味しければいいのになあ。ハンバーグカレーを頼んだとき、レトルトのハンバーグをビニールから出してのっけていたのでがっかりした。まあ、学食はそれで我慢しなきゃいけないか。ただ、もっと安ければまだ耐えられる。とは思うのだけど、食堂の人の愛想がいいので、やっぱり食べに行く。学食の閉まる時間と、私の受講する講義の開始時間が同じなので、会社を定時に飛び出して、もし夕ご飯食べる時間があれば、学食に飛び込んで、10分でカレーライスを掻き込む。はふはふ。
 でも、今通っている会社の社食が、社食にしてはなかなか美味しくて、安いので、残業食はもっぱらこちらです。社食には満足じゃ。
 そうそう、よく、市庁舎などが新しく建て直されると、何故か、食堂のメニューが高級になってしまうことがあるけど、あれは解せない。それから、博物館や美術館(特に古くからある所)の中の食堂、というかレストランで、別に普通のメニューなのに、やけに高くて、待たされて、お皿の縁が欠けている、おまけに不味い、というのも納得がいかない(具体的なのは経験があるからでござるよ)。お皿の縁が欠けているのはそれなりの大衆性をうたい文句にしている店のみにしていただきたい。博物館や美術館のレストランのメニューは、多くが高すぎる。入場券と図録購入で、来館者は結構お金を使っているのだから、値段が高い=ゆったりした芸術気分を味わえる、という固定観念を捨てて、もっと気楽に食べることの出来るレストラン(というより食堂がいい)をくっつけて欲しいです。
 食べることとなると私も必死だな。


2004年12月10日(金) 藤沢周平の江戸。

 旧暦10月29日。
 会社を休んで諸々の用事を片づけに出かける。途中、BIG BOX古書感謝市を覗くも、欲しい本はなかった。最近、視力がさらに落ち込んでしまい、本屋の棚で背表紙を見るのも一苦労する。これは辛い。それから、自分でもやばいと意識するほどに、やぶにらみが増えた。
 古書感謝市では収穫なしだったけど、やはり高田馬場駅前の芳林堂書店にて、
『漆黒の闇の中で』(藤沢周平・新潮文庫)と、『本の雑誌1月号』を購入。『漆黒の・・』は、「彫師伊之助捕物覚え」シリーズ第2作。一昨日に第1作を読み終えて、次が読みたくて落ち着かなくなったので。藤沢周平の作品では、武家ものより町人もののほうが断然好き。『用心棒日月抄』は主人公が浪人で、これも大好きだけど。。。藤沢周平に孤独なアウトローで、それでいて人情味あるいい男を書かせたら、もう右に出る作家はいないんじゃないかと思います。元凄腕の岡っ引の伊之助も『用心棒・・』の青江又三郎と同じくらい格好いい。また1人、時代小説の中の好きな登場人物が増えました。もっと早くに読んでおけば良かったな。
 あと、藤沢周平の描く江戸の町がとても好きです。江戸の町々の地図がしっかり頭に入って書き進めているだけでなく、この作家は、光や匂い、空気の冷たさまで味方にして描いている。読んでいくうちにいつの間にか、読み手である自分も、江戸の暗い町並みの中を走り出しているような錯覚に陥ってしまう。
 藤沢氏の描く江戸の町に入り込みたくて、また読んでしまいます。


2004年12月09日(木) 壊れるか、目覚まし。

 旧暦10月28日。
 明日は所用で会社を休むため、一足先に金曜の気分なのですが、調子に乗って夜更かしすると、朝起きられなくなって、予定が押せ押せになってしまうので、早寝します。明日朝は普通に会社に行く時間に家を出ます・・・できるかな?でもそうしないと、ついだらだらして、なんのために休んだのか分からなくなりそう。。。
 そういえば、同じアパートに住む例のお兄さんの目覚まし時計の調子がこの数日おかしい。前にも書きましたが、ドラえもん目覚ましなんだけど、大音量で目覚ましが鳴っても部屋の主であるおにいさんは一向に目覚めない。何十分も1時間でも鳴りっぱなしなので、近所の住人がそれで目を覚まし、夏場は特に、耳をふさぐほどのうるささ。
 それが、その時計が最近、寿命がきたようだ。あんなに酷使したんだから当然か。
 ドラえもん主題歌に合わせてドラえもんだかのび太の声で「おきろー」と言うのですが、音楽がいかれてしまい、がーがー異音がする。
 そっか。
 ドラえもんも声優さん交代だから、時計も声変わりするんでしょうかね。
 
 うー。眠い。すごく眠いです。
 今夜はこの辺ですんつれいします。


2004年12月08日(水) 停車駅降車駅

 旧暦10月27日。
 赤プリ(赤坂プリンス)で派遣会社主催のクリスマスパーティ。派遣社員と派遣先の所属長が招待される。もちろん、タダなので行きました(笑)。
 立食式で料理は美味しく、ジャズバンドの生演奏つき、抽選会もあり、なかなか満足のいく内容でした。派遣会社をちょっと見直した。だけど、うーん。。。パーティもいいけど、商品券やちょっとしたボーナスで還元してくれるほうが嬉しかったりして。まあ、あれだけのパーティ開催するのも手間なので、感謝しとこ。
 
 帰りの地下鉄、もう次は私の降りる駅だというひとつ手前の駅で、ドアを開けたまま10分位電車が停車になった。車内アナウンスでは、前の電車が、途中の駅で車内点検をしているため、しばらく停車します、と言っている。もう〜。どうせ停車するならもうひとつ動いた次の駅で停車してくれよぅ、などど思いながら、読んでいた文庫本があまりにも面白いので、停車時間もさほど気にならず、読み続けていた。
 ようやくドアが閉まり、電車が動き出す。電車が遅れたことのお詫びと、次の停車駅を告げるアナウンス・・・あれ、ま、停車駅間違ってアナウンスしてら。一駅飛ばしてるじゃん、と、心の中で笑いながら、本を読む。藤沢周平の小説は、読み始めると止まらない。
 で、電車が停車したので、ようやっと自分の駅だと思い、降りた。
 車内アナウンスは相変わらず、間違った駅名を言っている。車掌さんも電車が遅れたから慌ててるのかな、なんて考えながら降りた。ら、・・・。
 ホームの看板も、間違ってら。
 じゃなくて。
 間違ってたのは、私でした。
 焦った。
 慌てた。
 一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなりました。
 ようやく、さっき10分間停車していた駅こそが、自分の降りるべき駅だったのだということに気がつきました。
 なにも電車の中で10分も突っ立てる必要なんてなかったんです。
 さっさと降りれば良かったんです。
 でも、たとえばその駅で電車が止まっている時、10分のうちの5分とか8分目に気がついて「はっ」とか言って慌てて降りていくのもマヌケですよね。結構恥ずかしかったりして。だけど、降りるべきだと気づかずにそのまま乗ってっちゃうのもぬけている。
 仕方なく、とぼとぼと歩いて、ホームのベンチに座り、逆方向の電車が来るのをしょんぼり待って、ひとつ手前の駅に戻ってきました。
 私ってアホかい。
 でも、そういうことって、たまにありません?

 今、夜中近くですが、今夜もご近所猫達の喧嘩が始まった。
 凄い、叫ぶようにお互い威嚇し合ってます。
 どっちも頑張れ。
 


2004年12月07日(火) いきなり故郷自慢を始める女。

 旧暦10月26日。
 曽我さん一家が揃って佐渡に定住。故郷自慢になりますが、佐渡はほんとうに良い土地です。日本海の厳しい荒波の中にあって、緑にあふれ、美しい海岸に囲まれ、国中平野の田園風景となだらかな山々と。そして古くから独自の文化が栄え、お寺や史跡も数多く残ります。住んでいる人々は海に囲まれているので少々気の荒い漁師の気風があるけれど、中身はみんな純朴でやさしくて、島だから閉鎖的かと思われがちですが、観光客慣れしているので外から来た人を心安く迎えてくれます。ジェンキンスさんも居心地の良さを感じるんじゃないでしょうか。
 私の実家は今は佐渡ではないのですが、両親が佐渡出身、私も佐渡で生まれ、子供の頃は夏も冬も佐渡の祖父母の家に滞在していたので、ほんとの、心の故郷は佐渡です。何度も自慢してしまいますが、佐渡は、特別な島です(他の島に行ったことないのにスミマセン)。同じ新潟県にあっても、佐渡は県内のどことも似ていない、日本のどことも違う、独自の文化と自然の美しさに囲まれた島です。美味しい米も、魚介類も、それからとびきり美味しい日本酒もあります。伝説や民話も沢山あります。
 みなさま、機会がありましたら、ぜひ、佐渡へ。


2004年12月06日(月) ちょっとずつでも。

 旧暦10月25日。
 昨日あんなに暑かったのに、今日は寒い。強風は午後まで続いた。
 自分のことについて落ち込みつつ、でもあんまり見下したって仕方ないんだから、続けるべきことをこつこつとやるしかないんだから、との結論に至り、自身を励ます。1日のうちで自分が少しでも夢中になり満足できる時間を過ごせたか。それが大切なのかもしれない。結果はあとからついてくるもので、今から先々の心配をしても仕方がないのかも。
 と言うものの、その日を振り返って、充足感が得られることの少ないこと。気がつくと今年も終わりに近づいている。
 でも、今の自分に満足していないけれども、失望もしていない。とにかく、昨日より今日、今日より明日、一歩ずつでも進むべし。


2004年12月05日(日) 乙川優三郎『かずら野』

 旧暦10月24日。
 明け方近くまで雨が降っていたような、おぼろに布団の中でそんな風に記憶しているのですが、起きたら青空が広がり始めていた。ただ、風は強くて、日記を書いている今、夜8時半でも、時々窓を打つような勢い。それにしても、日中気温が25度近くとは異状だ。部屋の中にいて、朝はセーターにフリースジャケット+ハロゲンヒーターだったのに、次第に熱くなり、フリース脱いで、ヒーター止めて、ついにはセーターも靴下も脱いでTシャツになった。一体何なの!?
 自分のサイトを久々にいじる。日記以外ぜんぜん手つかずだったので。といっても、大して変化がありません。。何故かシンプルな気分になったので(?)トップページをただ単に真っ白にしたのと、本棚のページを設けたのですが、今のところ何も中身を入れてません。ぼちぼち。。
 午前中パソコンをちょっといじって、あとは電源消して、アナログ生活。『かずら野』(乙川優三郎・幻冬舎文庫)を読んだ。夢中になってしまい、最後まで一気に読んでしまった。乙川氏は女性をしっかり書き込んでいると思いました。でも、女性だけでなく、男性の作中人物に対しても、深い愛情を持って書いているのだなあ、と感じます。どうしようもない人生、手のつけられない男、過酷な試練に耐えて、ある時は立ち向かう女、何もかもに、深い愛情を注ぎながら、筆を進めていったのが『かずら野』という作品なのだと、読んでいて思いました。
 乙川氏の文章には、独特のきめ細やかさ、感受性の豊かさが現れているように思えます。藤沢周平や山本周五郎など、私の好きな他の時代小説家にはないものが、この人の描く世界にはあるような気がします。


2004年12月04日(土) はじめての寄席

 旧暦10月23日。
 友人と御徒町の鈴本演芸場に行きました。(ちなみに写真に写っている人は無関係です)寄席、初めての経験です。
 最近落語にはまっていて、ラジオやネット、それから落語好きの知人に借りたカセットテープで聴いているのですが、実際に高座の噺家さんを間近で見るのは初めて。しかも12時半開演の16時過ぎまでの長丁場。何人もの噺家さんが入れ替わり立ち替わり、加えて漫才や曲芸、マジックなどの色ものも入るので、見応え十分、当然前夜は興奮してなかなか寝つけなかったです。
 同じく寄席初体験の友人と鈴本入り口で待ち合わせて中に入る。客の入りは最初さほどでなく、前の座席からぽろぽろと埋まっていくような感じでした。けれども、次第に増えて、最終的には満席になっていたのには少し驚きました。
 さて、寄席初めて二人組、座席で飲食OKなのを良いことに、それぞれお弁当とお菓子を買い込んで乗り込んできました。私は巣鴨で稲荷とかんぴょう巻の助六弁当と、塩大福、人形焼、彼女はバームクーヘンやおかき。遠足おやつの如く持ち寄ったお菓子を分け合い、最初から最後まで、ずーっと、ひたすら、食べていた。食べながら笑い、時には居眠りをし、寄席の魅力を余すことなく堪能した土曜の午後。堪能したのは舌のほう・・・いや、耳のほうでありますが。・・・周囲のお客さん達もお弁当やらビールやらチョコレートやら、持ち込んで食べながら聴いてはいましたが、最初から最後までひたすら口に運んでおりましたのは、私たちだけでしたろう。しかも前方真ん中の席で(笑)
 えっと、肝心の内容のほうです。古今亭菊丸「ふぐ鍋」、柳家喜多八「小言念仏」(これが一番面白かった)、三遊亭金馬「しわい屋」、古今亭志ん輔「野ざらし」、柳家三語楼「肥瓶」、などなど。
 一度どこかで聴いたことのある噺でも、噺家さんによって当然面白さが違うところが落語の魅力のひとつなんでしょうか。ラジオなどの音声のみと違って、高座の噺家さんの仕草や表情を一緒に見ることが出来るというのも大きいです。
 寄席通いが始まりそうです。。


2004年12月03日(金) 帰省の足

 旧暦10月22日。
 金曜の日記を土曜の朝書いています(^^)
 残業して自宅近くまで来て、いつもの居酒屋に寄って、新聞読んだりしながらホゲーッと呑んでました。新しい居酒屋を新規開拓してみたい気もするけど、お愛想言わなきゃならないようなお店は疲れる。一人でフラッと入って、ブスッとしててもそっとしておいてくれる所というと、やはり近所の年配ご夫婦の切り盛りするお店に落ち着く。居酒屋のおばちゃんと少し話しする。明日(もう今日だ)友達と寄席に行くざんす、とか、酉の市の話とか。
 
 年末の帰省、新潟に帰るとなると今年はちょっと苦心する。まだ新幹線が全区間運転再開してない。年末の帰省ラッシュに間に合うように復旧工事を進めてくれているそうですが、いかんせん、自然災害が相手だから、この先のことは確定できない。仮に年末までに開通したとしても、ふだんの年だって帰省ラッシュは凄いのに、今年はさらに凄いことになりそう。高速バスも考えたけど、数年前に一度、渋滞でバスがノロノロ運転の時に、酔って嘔吐した経験ある身としてはなるべく避けたい。となると、長時間掛けて遠回りして在来線で行くか、徒歩で山を越えるか、となるんだけど、この年末年始はカレンダーの関係で、そんなに休みが続いてない。今年の1月は5日が月曜だったので、仕事始めが5日だったけれど、来年の1月は三が日明けるとすぐ4日(火)が仕事始め・・・。なんとかもう1日休めないかと会社の経理に電話して問い合わせると、4日が決算締め日になりそうだねえ、とのこと。ぎょえ。決算締め日には、やっぱり出勤せにゃあかん、自分の担当業務を考えると。
 そんなこんなで、休みが少ないので、帰省にかける移動時間はなるべく短縮したい。汽車の旅は好きだけど、それは余裕のあるときに。
 で、なんと、今(そう驚くことでもないかな)、羽田・新潟間の空の臨時便があるのです。現時点では12月から1月4日まで。普段はないのですが。会社で同じく新潟に帰省する人に教えて貰って、このサイトから往復便を予約しました。
 国内線ドットコム
 このサイトは便利で助かりました。
 実家に電話したら、姪っ子が、じじばばと(私の両親)空港まで迎えに行く!と張り切っています。
 だけど、私、飛行機にまだ2往復分しか乗ったことないんですよ。旅慣れた友達と関西に行った時と、何がなんだか訳が分からず乗ってソウルの知人に会いに行った時と。飛行機に乗る手順があんまり分かってないの。乗ってからも落ち着かないし。関西に行ったときは、スッチーさんが前からワゴンでジュースとかパンを配り始めたのを見て、お財布を取り出して待ってたら、友達に大笑いされた。新幹線の車内販売とは違うらしい。羽田新潟間は30分足らずのフライトだから、コーヒーとかお菓子は何も出てこないのかね?そこら辺からして、まず分からない。


2004年12月02日(木) 牛さんが帰ってくる!

 旧暦10月21日。
 米ゲートウェイ日本に再参入なんだぁ、結局また戻ってきたんじゃないかぁ。ちょっと嬉しい。初めて買ったパソコンがゲートウェイだった。電話でゲートウェイの担当者と長々とやり取りして(初心者の私が質問攻めにしてしまったので)、自分仕様に組み立てて貰ったパソコン、届く日が待ち遠しくて、運送業者さんのピンポーンではち切れんばかりの喜びを抑えてドアを開けたら、どどんとホルスタイン柄の段ボール。。かわいくて、パソコンらしからぬ梱包に驚いた。しばらく私にとって牛=PCでした。
 今使っているNECのノートパソコン、あと何年も使うつもりだけど、それが壊れちゃったら、今度はゲートウェイにしようかな、また。。でもマックも捨てがたいので、悩みそうです。まだまだ先の話になりますが。でもゲートウェイさん、今度は撤退しないでくださいね。

 さすがに12月ともなるといろいろあって、平日の夜で予定が入っていないのはすでに6日だけになってしまいました。。。大学の授業の他はすべて忘年会です・・・どーしよ。忘年会がもう6コも。。でもまだ会いたい友達もいるし、年賀状も書かなきゃいけないし年末の帰省の準備(お土産買ったり)もしなければならないし・・・会社四半期決算だし(^^;)
 これは風邪引いてる暇ないですね。健康管理がまず基本だにゃ。
 湯冷めしないうちに布団にもぐります。


2004年12月01日(水) 白い蛾

 旧暦10月20日。
 朝晩の冷え込みが急に厳しくなってきました。今日から12月なんだー。朝家を出るぎりぎりの時間まで、電車で行くか自転車で行くか迷って、結局自転車を選ぶ。自転車は寒いし、最近自転車通勤サボり気味の身体にはちょっと辛い、それから自転車だと、本が読めない。読みかけの『さぶ』、ちょっとでも続きを読みたいんだけど。・・でも、電車も嫌だ。電車のほうがもっと嫌だ。朝の満員電車は、みんなむっつりして、むっつりしてるだけならいいんだけど、やけに攻撃的な感じの人も多くて、落ち着かない。ちょっと身体がぶつかっただけでも、親の敵みたいにキッと睨まれてしまったりする。都会の通勤電車の中とホームは異様じゃないかと思う。
 でも、たぶん私も同じだと思う。まさか睨んだりはしないけど、自分でも気づかないうちに、むっつりしながら歩いているんだろうな。
 だから、好きな音楽聴きながら、青空の下せっせとペダル漕いでるほうが楽しいのだ。今日の帰りにCD屋さんでU2の新譜買ってきた。明日からしばらくこれを聴きます。

 昨夜帰宅したら、白い蛾が窓の外側に張り付いていた。何時間も。今朝もまだいたので。帰宅したらいなくなってたけど、こんなに寒い時季に生まれてしまった蛾って大変だなあ。


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