あたろーの日記
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2004年06月30日(水) 元気。元気。

 旧暦5月13日。
 
 今日は元気でした。
 昨日は会社にいても、誰とも話したくないし、何をするにも億劫、1人になるとわけもなくボロボロと涙があふれてどうしようもなかったです。今日も午前中はしんどかった。特に地下鉄の人ごみは凄く息苦しい。朝起きて自転車通勤できない位雨だとがっくりです。
 でも、昨日あんなに凹んでたのが嘘のように、午後は割と元気でした。人と話すのが苦痛じゃなくて、月末の仕事、あれもこれもとどんどん片づけていかなきゃ、と思いながら目の前の業務だけ考えて、どたばたしてるうちにある程度メドがついて、ほっとして帰ってきました。なんだ、別に病院行くほどじゃないじゃん。・・・と思うほど、昨日と今日の違いが大きかったです。
 なんだけど、ここ数ヶ月、そういうことの繰り返しで、自分のテンションの落差にいい加減疲れてしまっているので、自分がハイテンションの時(と言っても、もともとあんまりテンション上がらない人間なので)も凹んでる時も、自分のこと、もうちっと客観的に見つめる目を持とう、と思うのであります。
 白状すると、うつ病です。うつ病の患者さんは今とても多いそうですし、心療内科や精神科に通うことは(私は初め抵抗あったけど)、さほど珍しくないんだそうです。むしろ、ストレスの多い現代社会で、精神的にタフでいることのほうこそ、難しいんじゃないのかって、私は思うようになってきました。まあ、私うつです、って言った結果、偏見持たれたり「あいつおかしいんだって」なんて思われるなら、ま、それでもいいやと思います。そう思いたい人には思わせておけばいいけど、今の世の中むしろそうじゃなくて、自分にもその可能性はある、とか、私もうつなんだよな、って思う人のほうが多いような気がするので、私の日記を読んでくださっている方がいる限り、正直に書こうと思います。
 って言っても、たいした病気じゃないんですよね、きっと。「気の持ちよう」でなんとかなる病気でもないのですが、治らない病気ではないそうなので、焦らずに行きたいと思います。

 通院の理由を会社の上司に聞かれて正直に答えたら、さすがにびっくりしていたようで。。。何を思ったのか、私の目の前で付箋紙を自分の頬に貼り付けてみたり、へんなポーズをとってみたりして、一生懸命笑わせようとしてくれました。いや、あんまり笑えなかったんだけどさ。なんか申し訳ないよなあ。まあ確かに、元々の性格もあったけど、自分でもおかしいと思うほど状況が変わったのはここ1年ほどで、明らかに仕事のストレスも大きいのだろうけど、あんまり気を遣わせたり心配させてしまうのも申し訳ない。結局、なんでも能力以上のものを1人で抱え込んじゃって、業務全体に支障が出るほどさばき切れてないのに、さも仕事こなしてるようにしてた自分がいけないんだよね。当然、文句言わなきゃ誰も分からないわけで。仕事が上手く行かないと、自分だけの問題じゃなくて、周囲にも迷惑かけてしまう。そこんとこ、あんまり考えなかったです。。。なので、これからは、もっと上手く上司の助けを借りようと反省しました。どうも、人にモノを頼むのが下手なんですが、助っ人になってくれる人も配属されたことだし、仕事、もっとスムーズに展開できるように工夫しないと。。。
 早いですね、明日からもう7月。よい1ヶ月になるといいなあ。
 


2004年06月28日(月) 心の風邪

 旧暦5月11日。
 心の風邪がひどくなったようで、何もかもしんどくなって、自分ひとりではもう対処しきれなくなって、先週病院に行ったら、しばらく通院することになってしまった。朝晩飲む薬、不味い。薬の効き目はまだない。あるのは、自分が自分の病気についてきちんと自覚して治していきたいという気持ちが生まれつつあることだけだ。だけど、どうしたらいいのかまだよく分からなくて、取りあえず病院に通うことだけはやめないでおこうと思う。根気強く完全に治しましょうと先生に言われた。だけどしんどい。いつまでこんなしんどい気持ち抱えて生きていかなきゃならないのかと思うと、辛い。どこからこんなしんどい気持ちが生まれてくるのか、自分ではどうにもならない苦しさ。
 だけど、まだまだ、おばあちゃんになるまで生きて、その間沢山やりたいことあるし。今はまだやり残したことばかり、どころか、私、なんにもやってないし、ここですべて諦めて投げ出しちゃったら、人生すごくもったいない。・・・そういう気持ちがまだ持てる自分にほっとする。
 脚本家の野沢尚さんが亡くなった。この前は作家の鷺沢萠さん。自分の心の病に気づいて、病院に通われていたのだろうか。。。もしそうでなかったとしたら、とても気の毒だ。適切な専門家の手助けがあれば、結果は違っていたのではないだろうか、と、悔やまれる。


2004年06月27日(日) スコス

 旧暦5月10日。
 小唄の演奏会を聴きに、本郷の水月ホテル鴎外荘へ行った。
 ホテルの敷地の中に、他の建物に囲まれて、森鴎外の住居が残されていて面白かった。住居の中は自由に見学できる(といっても限られた部分だけ)。『舞姫』を執筆したという部屋では普通に宴会が行われていてちょっとびっくり。
 それにしても、東大周辺て居心地良さそうだね。住みやすそう。鴎外や漱石が好んだという羊羹の「藤村」は、もうやってないのかなあ。。赤門前の本郷通り沿いには、規模は小さいながらも古書店が幾つかある。学生相手の営業らしく、土日はあまり開いていないのが残念。本郷通りから菊坂を少し入ったところに、小さな小さなお店があります。スコスステーショナリーズ・カフェ。オーナーは雑貨を巡る本まで出した方だそうで、気をつけていないとうっかり通り過ぎてしまう位ちっちゃなお店の中ぎっしりと、欧州の洒落た、或いは機能的な文具が並んでます。実はネットでその存在を知り、今日初めて立ち寄ってみました。・・・お店の雰囲気はとてもいいです。店員さんも感じがいいし、小さい店だけど真ん中にベンチがあって、そこに座りながら周りの棚から商品を手に取ってみたりして、何十分でも長居できそう。私はクリーム色のプラスチックケースに入った練り消し(スケッチ用)と、ステッドラーのちっちゃなちっちゃな消しゴムを買いました。見てて楽しい店内だったけど、ふだん私が愛用して手放せなくなっている文具、てっきりあると思ったのがなくて残念。白状すると、子供の頃から文房具に陶酔しているのですが、私が好きなタイプの文房具は、「シンプルで機能的なのを目指した結果、そこはかとなくデザイン的に可愛いものができた」「気分転換を狙ったものや奇抜なものではなく、使用する際のストレスがないもの、自分の生活の一部にちゃんと融け込んでくれるもの」です。気に入った文房具はとことん使い続けてます。長く使えない文房具は失格だと思っています。なので、かわいいものより機能的なもの。・・・スコスは機能的というより、かわいくてつい欲しくなってしまうもののほうが多かったような気が・・・。見てて楽しいのですが、ハードに使い倒せるような文具も置いて欲しいなあ、なんて思いました。でも、本郷あたりを通るたびに寄るだろうなあ、私(笑)。
 文具フェチにはお勧めです〜。


2004年06月26日(土) 毛皮ご苦労様です。

 旧暦5月9日。
 午後、出かけるのでアパートの2階から自転車を下ろそうと担ぎ上げたところで気がついた。
 
 ・・・階段の下で近所の猫が昼寝してら。
 ・・・携帯電話のカメラでそっと写す。といっても音が出る、「チロリロリ〜ン」
 起きない。おー図太い神経じゃ。こちらもいたずら心がうずく。
 足音忍ばせてもうちっと下まで降りて、再び「チロリロリ〜ン」
 きゃつめ、ようやく起きて、慌てて逃げていった。塀の外側見下ろしたら、相手もこちらを見上げていたので目が合った。悪かったね、せっかくの昼寝起こしちゃってさ。
 猫は気の毒だね。この暑いのに毛皮脱げないんだもんね。
 だけど、小さいし身軽だから、涼しい場所探すの名人(名猫)だからね、ちょっと羨ましい。
 ちなみに、写真の白いセメントの上のポツポツは、5月の連休に塗り立てで乾かない上をどこぞの猫が歩いてつけた足跡です。
 犯人はさてはこいつであったか。
 


2004年06月25日(金) 旅に出たいなあ。

 旧暦5月8日。
 どこかにふらっとひとり旅に出たいなあ。
 スケッチブックと水彩絵の具リュックに入れて、あまり観光客のいない、どこか静かなのどかな場所。
 あちこち見て回るんじゃなくて、ふらふらっと歩いて、ぺたんと腰を下ろして、スケッチしたり、詩を書いたり、ぼけっとしたり、寝ころんだり。
 
 今日もまた眠いです。1日中眠いのはなんでだろー。
 眠りの森の美女・・・ではなくて、微女っすよ。


2004年06月24日(木) もう寝ます。。。

 旧暦5月7日。
 
 すいません。
 一昨日から帰宅が遅くて、且つ、眠くて眠くて、夜はあっという間にゴロンです。なんでか知らないけど眠くて眠くて。
 というわけで今夜も早く寝ます(といってももう夜中だー)。
 おやすみなさい(*_*)


2004年06月21日(月) 人の死に鈍感に。。

 旧暦5月4日。
 
 イラクで韓国人が人質になったというニュースを見ていて、(この人も数日後には殺されてしまうんだろうな・・・)と思った自分が怖い。生きている人質の映像が流れ、数日後にはその人が死んでいる、その繰り返しに馴れてしまった自分が怖い。・・・報道を見ているこちらは無責任だけれども、人質となっているキムさんにとっては、今の1分1秒が長く貴重なはず。自分の命を恐怖の中で必死に抱え込んで耐えているはず。自分がのほほんとして過ごしている今この瞬間にも、絶望と一縷の望みとの間を震えながら行ったり来たりしている人がいる。彼の救出を必死に願う家族がいる。

 もちろん、人質を取って要求に応じなければ殺害すると脅す行為は許されることではないけれど、暴力につぐ暴力の世界になってしまった原因はなんだろう、とも思う。。
 人質が無事に家族の元に帰ることができるよう、祈るばかりです。


2004年06月20日(日) デリケートなことではありますが。

 旧暦5月3日。
 
 あまりの暑さに、自分がまるで腐食し始めた脂肉にでもなったよう。
 昼過ぎには限界が来て、読みかけの文庫本とお風呂セットリュックに入れて、銭湯へ。日曜の早い時間の銭湯はおばちゃんおばあちゃん達の社交場。
「暑いわね〜が今日の挨拶代わりだわ」
「30度超えてるわよねぇ」「超えてる超えてる絶対超えてるわよ」
「とうとう始まっちゃったわねえ選挙。終わるまで(街宣カーが)うるさいのよね」「だけど誰に投票したって変わらないじゃない。(公約)守らないんだもの誰も」
 脱衣所で、隣で服を脱いでいたおばあちゃんが私の顔を見ながら気まずそうに、「汗でズロースがぴったりくっついちゃって脱げないの」と言う。そう言われても困ります。「は、ははははは・・・そうですよね、暑いですもんね今日は」としか答えようがない。

 汗を流してさっぱりした後は、図書館へ。冷房が効いていてほっとする。小さな施設だけど、人がいっぱい。暑さに耐えられなくなったら図書館ですごす。勉強してて気が散ってしようがないときも、図書館かカフェに行く。

 『創価学会』(島田裕巳著・新潮新書)を読んだ。
 新書というコンパクトな体裁ながら、創価学会の本質について、とても分かりやすく手際よくまとめられていると思う。創価学会が何故ここまで会員数を増やして大きく成長したのか。それは、創価学会が現世利益を前面に打ち出していること、現代の日本ではすでに失われつつある「村」に匹敵するほどの機能を持つ、会員同士の相互扶助による組織、農村から都市に移り住み(家長でないため先祖代々の宗教にしがらみがない人達)、安定した生活が保障されているとは言い難い人達の受け皿となったこと、また会員達による熱心な(本書には「戦闘的な」という表現も使われている)布教活動(折伏)、などが理由としてあるようだ。特に、強固な相互扶助組織であればなおのこと、家族親族一同が学会員であれば、実際問題として脱会しにくいという事情(それまでの生活の保障を失うことになりかねない)もあるらしい。
 本書の趣旨はあくまで中立的客観的な立場で創価学会を論じる、というものであり、学会擁護の書でもないし、学会批判を前面に打ち出している本でもない。今や国民の7人に1人と言われる会員数を有する創価学会が、何故、既存の宗教をはるかに超える規模となったのか。氏は、こう述べている。
「創価学会が実現しようとしたことは、ある意味で、日本の戦後社会が実現しようとしたことであった。敗戦によって打ちのめされた日本国民は、豊かな生活の実現を求めて企業や労働組合といった組織を作り上げ、組織に忠誠を尽くしながら勤勉に働き続けた。その姿は、創価学会の会員たちの姿と重なる。一般の国民は、創価学会の思想や組織のあり方には賛同できなくても、追求する価値については、創価学会と共通したものをもっているのである。・・・中略・・・創価学会という組織は、日本人の誰にとっても決して遠い組織ではない。むしろ、私たちの欲望を肥大化させたものが創価学会であるとも言えるのである。」(『創価学会』)
 
 本書は中立を保ちながらも、創価学会という巨大宗教組織に孕む様々な問題の断片をいくつか提示してくれています。その上で、戦後の日本社会がある意味創価学会のような組織を必要とし、利用してきたのではないか、というようなことも述べています。私の知り合いにも、聞いたことはないけれどもしかしたら学会員の方がいるかもしれない。これを読んでくださっている方の中にもいるかもしれない。「創価学会」をネットで検索すると、学会員の人のHPが多いけれど、中には創価学会批判のHPもあります。他人の信じる宗教について述べるのは難しいですけど、今、日本社会で創価学会という組織がとても大きな影響力を持ち始めている、ということを考えると、非常にデリケートな問題ではあるけれど、日本における現象のひとつとして直視しいろいろ考えていくことは必要なのではないか、と思います。


2004年06月19日(土) なんだかんだとまた神田。

 旧暦5月2日。
 昨日はちょっと暗いこと書いちゃったかなーと朝になって思ったのだけれど、「うつ」って今とても多いんだって。だからそのまま残しておくことにしました。だって、日記を読んでくださった方の多くは、「ふうん、そうなんだー」と思うにとどまるかもしれないけれど、中には「私と同じだー」と共感してくださる方もいるような気がするので。私の書いたことが少しでも参考になればと思います。
 昨日の付け足しですが、「うつ」は病院で診察を受けて、薬を飲んで改善されるそうです。私も今度ひどくなったら素人判断しないでちゃんと病院に行こうと思います。うつ・不安啓発委員会公式ホームページは、昨日の講師の方に教えて戴いたのですが、とても参考になります。

 今日は久しぶりに神保町へ。
 靖国通りの古書店を見て回り、古書会館に行く。が、今日は古本に食指があまり動かず。本日のメインは三省堂と東京堂書店。新刊本です。
 岩波文庫の今月の新刊が16日に発売されたはず・・・と、わくわくしながら。新刊の『ブレイク詩集』、復刊の『近世畸人伝』『塵劫記』、それから復刊でも新刊でもないけれど『南無阿弥陀仏』(柳宗悦)、それと、新潮新書『創価学会』(島田裕巳)。あと、ちくま文庫の『内田百間集成1 阿房列車』を購入。
 ブレイクは、今、大江健三郎を再読しているので、岩波から対訳詩集が出ると知り、自分的にはとてもにタイムリーだと心待ちにしていたもの。『近世畸人伝』は、以前古書で探して持っているのだけれど、復刊となるとやはり嬉しくて買ってしまった。今、ちくま文庫からも、畸人研究会の手による畸人研究の本が出ていて、そっちも気になるのだけれど、やっぱり江戸時代の畸人の味わい深さには負けるでしょう、と勝手に推測。挿絵が好き。可笑しくって、かわいい。『塵劫記』は、江戸時代の和算書。私数学できないんですけど、これは面白そうです。絵がいっぱい。「ねずみざんの事」では、ねずみが沢山出てくる。うげげ。『南無阿弥陀仏』は前々から読みたかった本。浄土思想に深く心を寄せる民芸学者の書いたものを、その柔らかい文章をじっくり味わいながら読みたい。内田百間は、飄々としてユーモラスな感じが好き。呑みながら読みたい本。それから、『創価学会』は帯の「この巨大な宗教団体を我々はどれだけ知っているか」にひかれて手に取った。今日本で「学会」と言えば、学術研究の学会のことじゃなくて創価学会のことなんですね。公明党は連立与党の一翼だし。創価学会関連の建物は街のあちこちにあって、沢山の人達が出てくるのも見かけるし。・・・でも、創価学会って、実際どんな団体なの?と素朴に疑問が生じるわけです。今や日本人の7人に1人(本書)と言われる巨大な宗教団体に成長した創価学会。本屋に行けば池田大作関連の本で結構なスペースを使っているし。他人の信奉している宗教を論じることは難しい。この本は、「あくまでも客観的な研究者の視点から、現代日本社会における創価学会の『意味』を明解に読み解いた格好の入門書」だそうです。
 ちなみに、岩波文庫の「夏の一括重版」はこれまた読みたい本がずらりと揃っているので、待ちきれないです。だから岩波文庫って大好きなんだなー。


2004年06月18日(金) うつと自殺。

 旧暦5月1日。
 昨日はちょっとどぎつい題をつけちゃいましたな。だけどほんとのことだからそのままにしとこう。

 大学の授業で、「うつ病」がテーマとなり、実際にうつ病を経験して克服した方が特別講師としてお話くださった。
 ほとんどが20代になったばかりの学生さん達の中で、その講義を最もリアルなものとして受け止めたのはおそらく私だったろうと思う。
 お話の内容、なにもかもが、他人ごとではなく、自分自身が今抱えている問題として、切実に迫ってきて、正直、聞いていて辛い部分もあった。けれど、辛さを感じながらも同じような経験をした方の話をじかに聞くことで、救われた部分もあった。

 子供の頃から気持ちの浮き沈みが激しく、いつも1人で考え込んでいるようなタイプだったので、自分の精神パターンにはもう馴れっこになっていたのだけれど、30代になるかならないかの頃から、どうやらそれが悪化していたようで。強迫神経症(たとえば戸締まりが異様に気になるとか)も子供の頃からあったけれど、大人になったらもっとひどくなった。あまりにもプライベートなことなのでここには書けないのですが、20代半ばから今まで、自分1人では処理しきれない事柄を自分の中に全部抱え込んで、心のバケツをいっぱいにしすぎていたような感じ。苦労や経験は自分だけじゃなくて誰しもあることなんだろうけど、人よりちょっとしんどい思いもしていたような気が。。。だけど、なんでかな、長女だというのも大きいかもしれないけれど、もともと誰かに悩みをうーんと打ち明けるってことが出来ない性格で、自分の頭で全部処理してしまおうとする、で、結局もんもんとしていて。。。逃げ道がないんですね、どこにも行きようがなくなる、で、閉塞状況の中で、心のあちこちがポロポロッと、崩れ始める。崩れ始めると、中の核が外部に晒された感じになって、ちょっとした事件、誰かのちょっとしたひと言、または自分の犯した間違いに非常に敏感になり、ひどく傷つきやすくなる。そうして傷ついた心を抱えてまた独りで深く沈み込む。自分の中に閉じこもり、修復する。けれど、ストレスが多ければ多いほど、傷の修復にも時間がかかるようになり、そのまま沈んだ状態が長ければ長いほど、浮き上がる方法を忘れちゃったりするもんなのですね。。。で、そんな時、死んじゃおうかなと、思う。死んじゃったほうがラクじゃん、と。逃げ道がない、棘のついた枝をかき分けて進むか、それが嫌なら死ぬしかない、じゃ、楽なほう、死ぬほうを選ぼう。。。と。自分が生きていたって、自分にいいことがあるわけでもなし、まして他人の役に立つわけでもなし、とまで思ってしまう。私もやはり自殺を身近に考えたことがあるので実感としてあるのですが、本当に死にたいと思ったら、周囲に自殺をほのめかすようなことはしないものなのですね。自殺を阻止されたら困るわけで。だから本気で死にたいと思ったら、「死にたい」なんて誰にも言わない。直前までにこにこしている。だけど、今、自分がそこから離れつつあるから言えるのだけど、たぶん、世の中の自殺はもっともっと救えるはず。死しか逃げ道がない、という状況に追い込まれた人に、棘の道でもなく、死でもない、もっと楽な気を抜いて歩ける道があるということを気づかせてあげる、そういう取り組みが、社会にもっとあってもよいのではないかと思います。
 話がちょっとずつずれてしまいましたが。
 うつ病による自殺者は、今、交通事故による死亡者の数倍だそうです。自殺しないまでもうつ病の人は多いわけです。だけど、事故で怪我しましたとは抵抗なく言えるけど、私うつ病ですとは気軽に言えない。私も含めて、心療内科等に行くのはちょっと勇気がいる。がんじがらめの世の中で、どうしようもなくにっちもさっちも行かなくなってズドーンと沈み込んでいても、回復のしようがないわけです。また話ずれますが、最近ふと思うのは、今は日本という国全体が、うつ状態なんじゃないかなあということです。特に都会が。表向き明るくて常に変化し動いているように見えるけど、実は沈む一方で、複雑に入り乱れたマイナスの空気がアスファルトにどんどん染み込んでいくような感じ、といえば上手く伝わるでしょうか。そしてその都会に息を潜める私なんかも、閉塞感を自分の周囲と自分の中に感じて、時々息苦しくなったりしたりして。
 うまく話をまとめられないのですが、今夜はこの辺で失礼します。。


2004年06月17日(木) ブッシュA級戦犯。

 旧暦4月30日。

 夜の授業終えてどうしてもラーメンが食べたくなったので、学校近所の小さなラーメン屋さんへ。ラーメン屋兼居酒屋みたいな感じでこじんまりとしてわりと居心地良さそうな店内。
 常連のおじさん達2人組がテーブル席で大声でやりとりしていて、その声が店内を支配。気の置けない仲間同士なんでせう、小学生みたいに言い争いしてるんだけど、二人とも酔っぱらってろれつが回らない。
「そんなんじゃおめー、巣鴨は再生しないよ!」
 
 ・・・す、すがもさいせいっすか。
 巣鴨再生、巣鴨再生、巣鴨再生・・・
 味噌ラーメンをすすりながら、私の耳はダンボになっておじさん達の話に密かに加わってます。
 それにしてもスケールの大きい(?)話題だな。巣鴨再生。
 
 その後、おじさん達は、どっちが女房の尻に敷かれているかでまたもめ、そのうち青年会の帳簿の付け方でやり合い、で、時々ぶわっはっはと笑っていました。
 
 それにしても羨ましいっす。
 はたから見ると喧嘩してるのかとヒヤッとするほどヒートアップして激しく口の悪い言い争いをしながら、しっかりお酒を酌み交わしてる。どんなに脱線して話がもつれても、最後に帰ってくるところはお互い分かってるから、安心してるんだろうなあ。

 ☆☆☆

「米元外交官らブッシュ政権批判 外交安保政策の転換要求 」(朝日新聞)「元CIA長官ら、ブッシュ政権退陣求める異例の書簡」(読売新聞)
 
 今のアメリカは、国際戦犯が政権の中枢をになっているという大変恐ろしい国なんだけど、それについてなんの疑問も持たず(というか見て見ぬふりをして)ホイホイ言うことを聞いて全面支持して、実はアメリカの金魚の糞よろしくくっついて泳ぎながら、これを機に、過去の反省から日本が捨ててきたあれやこれやを復活させちまおうとしている自民党。と、お気楽脳天気な国民。イラク戦争を支持する小泉首相より、年金改革を強引に推し進める小泉首相のほうが厳しい評価を受けるなんて、やっぱ日本人て自分のことしか考えてないんじゃん、と、私も日本人なんだけど、なんか、これじゃいけないんじゃないかと思うわけです。もちろん年金改革が軽い問題だというわけじゃないんですけど(私がおばあちゃんになってももらえないんですよね、ほとんど。って、まじかよ)。
 
 でも、選挙近いけど、ねえ。。。
 ほんと、どこに票を入れればよいのか。
 民主党は結局与党非難のパフォーマンスだけで、じゃあ実際どんなことしてくれるんだろうとなると、不安だし。他の政党も頼りないし。ずれてるし。
 なんかねえ。。。
 政治、面白くないよね。。。
 かといってこのまま変化がないのも困るけど。
 
 
 

 


2004年06月16日(水) 血液型?

 旧暦4月29日。
 昔の職場で一緒だった友人達と久々賑やかな飲み会。
 もう笑いすぎて腹痛。アホなこと言ってげらげら笑っていた。
 ・・・しかし、一緒に働いていた頃からもう何年も経っているのに、昔のメンバー同士で会うと、お互いちっとも歳食ってないような感覚になります。みんな変わってないよなー。
 ちなみに、4人のメンバー、皆血液型が違う。
 みんなのまとめ役で神経の行き届いたO、変わった路線だけど分かりやすいAB、ABにつっこみを入れて場を盛り上げるA、自分勝手でマイペースなB(←私)。
 血液型心理学とか占いとか、どこまで当たってるのか分かりませんが、ひじょーにパターン分類しやすい顔ぶれでございます。


2004年06月15日(火) グリーンサムになりたい。

 旧暦4月28日。

 日中は暑いけれど、朝晩はそこそこ涼しくて、自転車気持ちいいです。
 通勤ルートがいくつかあって、時間に余裕のあるときは皇居周りも可能。お堀端は柳の枝がゆらゆらしてて、風情があります。丸の内や大手町のビル群を間近に控えていながら、むせかえる草の匂いと暗いお堀の水面。キンキラの都会の夜景の中に、シーンと静まりかえった皇居周辺の闇。私もおノボリさんですけど、観光バスでは見ることのできない皇居なのかも。
 それにしても、東京ってほんと狭いと感じるようになりました。

 ベランダのミニトマトの実が大きくなり、はや色づき始めようとしています。鷹の爪の白い花も幾つか咲き終わり、次は青い実が伸びてきそう。モロヘイヤの黄色い花、いつのまにか咲いてるし!いつの間にかクレマチスの青い花が2つ3つ咲いて手すりからぶら下がって、アラビアジャスミンの甘い香りの白い花が暗闇の中でぽつぽつと踊っています。ローズゼラニュームのピンクの小花は相変わらず次々と咲き繋ぎ、タイムの白い細かな花も賑やかです。。。
 朝出かける前に慌ててバーッと如雨露(と変換して気がついた。なんでこんな漢字使うんだろ・・・と思って「広辞苑」引いたら、ポルトガル語の転訛らしいです・・・いつ頃日本に伝わった言葉なんだべ・・・でも「雨露の如し」という漢字を当てはめるなんてセンスありすぎ)で水やり、帰宅してからもサッと水やりするのみで、ゆっくり花が咲いているのを見てあげることもできない。先日、1階の大家さんに「あなたのベランダ可愛い花が咲いてるわね」と言われてはっとなった。大家さんは昼間ちゃあんと見上げて花達を眺めてくれてたんだ。なのに、育ての親の私はただ水やるだけで。。。
 グリーンサム(緑の指)を持つ人は、水をやるにしても、植物たちが大きくなるようにと愛情を込めて如雨露の水をかけてあげるそうです。同じ水でも、植物に対する愛情を持ったグリーンサムの人が手にした水と、そうでない人がやる水では、植物に対する作用がぜんぜん違うらしいです。それは、実感として理解できるなあ。気持ちに余裕がなくて、ただ義務感から水をやってる時と、植物達と会話するつもりでうきうきしながら水をやったりしてる時とじゃ、生育状況が違うんですよね、やっぱり。
 下の大家さんも植物好きなご夫婦で、いろんな果樹や花を育てているのですが、私のベランダと違うんです、活き活きしてて、ぐんぐん育ってるって感じ。
 ちょっと反省しましたです、私。
 


2004年06月14日(月) いつも気になるヘンなもの。

 旧暦4月27日。
 
 気にしても仕方ないんだけど、でもやっぱり気になってまじまじと見てしまう街中のへんなもの。
 巣鴨のとあるちょっと古めのアパートの壁に、ぶちっと生えている水道の蛇口。
 昔、屋外用の水道があったのか、それにしたってこんな形で残るはずがないべ、と、通りかかるたびに立ち止まり、考え込んでしまう。ついひねってみたくなる。ひねったらどうなる?もしかして、ハンドルが屋外で、蛇口は室内にあったりして。んでもって、誰かが外でハンドルひねったら、中ではジャーッと水が出ちゃったりして。
 気になる気になるいつも気になる。

 東京駅のそばの、八重洲ブックセンター。
 この前会社で、八重洲ブックセンターの入り口には金の二宮金次郎の像がある、と言ったら、みんなに「うっそだぁ〜」と笑われた。
 が、いるのです、金の二宮金次郎。
 薪を背負って、本を読んでいるあの有名なポーズで。
 小学校の校庭によくある二宮の金さんの銅像が・・・金(色)なんでがすよ。
 八重洲ブックセンターは夜9時まで開いてるし、大きい割にはお客さん少ないし、文庫や新書も結構揃っているので好きなんですけど、1F入り口のあの金二郎像は解せないです。あの金さんの前を通るたびに、かつてふるさと創生事業の1億円で作って挙げ句盗まれてしまったどこぞの自治体の金の鰹を思い出してしまう。。。
 おまけにこの金さんに30円(だったかな)払ってお願いごとを紙に書いて箱に入れると願いが叶うという、そんな説明までついてます。
 撮り置きの写真がないので申し訳ないんですが、ほんとです。
 まったく、金の金次郎さん、気になる気になるいつも気になります。


2004年06月13日(日) 多国籍軍参加?

 旧暦4月25日。
 日米首脳会談で小泉首相が、主権移譲後のイラクでの多国籍軍への自衛隊参加させることをブッシュ米大統領に伝えて、それを慌てて追認する形で与党が多国籍軍参加の支持を表明。
 すでに非難の声は上がっているけれど、ほんとに、いつ、日本国内で多国籍軍参加についての議論がなされたのか。現在行われている自衛隊のイラク派遣でさえ国内を二分するほどの重要な問題で、それについても十分な議論がないのに、まさになし崩し的に自衛隊の活動範囲を広げているとしか思えない。
 少し前の4月30日、自民党の安倍幹事長がアメリカで講演したという記事を読んで、非常に奇っ怪な印象を持ったけれど「集団的自衛権行使へ改憲の必要性強調 安倍氏が米で講演 」(朝日新聞4/30)、では今回の小泉首相の多国籍軍参加表明は、“平和憲法”について「マインドコントロール」(安倍幹事長)にかかった日本を救うための布石になりうるとでも解釈すればよいのか。・・・ついでにこの安倍幹事長の「マインドコントロール」発言、アメリカでの講演だからでは許されない、十分に不適切な問題発言だと思うけれど、この講演についてマスコミがあんまり深く追求しなかったのが残念。
 それにしても、憲法改正についてはこれから十分過ぎるほどの論議がなされなければならないはずなのに、自衛隊の海外派遣(イラク以外にインド洋などにも派遣されている)、さらにはイラクでの多国籍軍参加、と、先に既成事実を作ってしまってから改憲問題を追いつかせよう、とするやり方に大いに疑問。しかも、そのために現在の憲法が、最も大きな特色である第9条について、すでに成文法として正しく機能していないのではと危機感を抱かせるほど曲解されている。。。
 国際情勢の現状に即しての自衛隊海外派遣の是非を視野に入れて、憲法改正論議を進めていくのは、今、必要なことかもしれない。戦後生まれで、義務教育を通じて日本の「平和憲法」について教わってきた1人として、まだまだ自分の意見も持てないほど分からないことだらけだけど、だからこそいろんな人の考えを知りたいし、どんな論議がなされているのか確認したい。
 
 だけど。。。
 アメリカが仕掛けたイラク戦争について、「米国の大義」と持ち上げて支持し、戦争そのものについてまったくの受け身でしかない日本政府とそれに追従するマスコミと、ほんとに平和ボケしちゃって(私も)なおかつ何でもかんでも右へ倣えの国民に、今、憲法論議をちゃんと続けるだけの基礎体力が果たしてあるんだろうか、と、不安に思いつつ、私ももっと勉強しなくちゃ、と反省しました。
 
 


2004年06月12日(土) ものもらい

 旧暦4月25日。
 右瞼にものもらい。ゴロゴロして痛い。おまけに風邪で頭痛い。昨日の寒さに油断したのが悪かったみたい。気がたるんどる。
 三味線のお稽古。新内小唄でも簡単なほうの曲なんだけど、上手く弾けない。つっかえてばかりでお師匠さんに申し訳ない。曲のテンポをマスター出来ない、とほほ。普通のお師匠さんだったらもうとっくに見捨てているであろう劣等生の弟子であります。しかし、反省すれど、それっきりなので進歩なし。次回のお稽古日までに、今やっている曲をまともに弾けるようになりたいです。
 ・・・と言いつつ、すでに今夜は眠くなっている。


2004年06月11日(金) 「Back On The Block」

 旧暦4月24日。

 ・・・週の締めくくりに、銭湯の熱い湯に浸かって、近所の居酒屋に行くのが一番の楽しみで(なんて色気のない・・)、今夜みたいな冷たい雨の夜はお客が他に誰もいなくて、読みかけの文庫本めくりながら、燗酒ちびちびと、私が知る限りでは最も美味しいオヤジさんの焼き鳥(居酒屋だけど近所の焼鳥屋より何倍も美味しい!)ほおばって、幸せなひとときでした。
 カウンターの隅っこに夕刊が置いてあって、サミットの記事よりもレイ・チャールズが亡くなったっていう記事の方が先に眼に飛び込んできた。
 レイ・チャールズ、死んじゃったんだ。。。

 帰宅して早速、クインシー・ジョーンズの「Back On The Block」引っ張り出して、聴いてます。1989年にリリースされた名プロデューサー、クインシー(Q)の傑作アルバム。傑作どころか、私には神業的な作品に思えます。確かまだ池袋の西武の前(だったと思う)にCD店「WAVE」があった頃、当時学生だった私は入ったばかりのバイト給料持っていそいそと買いに行き、飛んで帰ってパナソニックの小さいCDプレーヤーで聴いて、あまりのかっこよさにボー然としてしまったのを覚えています。
 あれから13年以上経ったけど、くだんのCD「Back On The Block」の凄さは全然色褪せない。当代きっての天才プロデューサーであるクインシー・ジョーンズに駄作はないのだろうけれど、この作品ほど密度の濃い芸達者なアルバムは他にないんじゃないだろうか?ジャズ、R&B、ラップ、ヒップホップ・・・クインシーの絶妙のセンスで心地よい順番に詰め込まれた曲はどれも何度聴いても飽きない。電子化された音と人間の声の融合。80年代が電子音と生身の人の声とメロディの組み合わせに試行錯誤した時代(多感な思春期を音楽に投影しながら過ごした身にはそんな風に感じたのです)だとして、その80年代音楽へのクインシーとしての答えと、続く90年代への序奏として、この作品があるのではないかと、そんな気がします。もう何百回と繰り返し聴いて、身体に染みついているくらいなのに全然聴き飽きない、BGMとして部屋に流していてもいつの間にか引き込まれている、なんでだろ、ホントに何度聴いても新鮮味を失わない。。
 クインシーの秘蔵っ子サイーダ・ギャレット(彼女のアルバムとしては「KISS OF LIFE」がお勧めだと思います)をフューチャーし、ティビン・キャンベル、エル・デバージ、アカペラのTake6などの若手実力派と、大御所超ベテランのサラ・ヴォーン、エラ・フィッツィジェラルド、レイ・チャールズ、バリー・ホワイト等々の共演、競演、饗宴。それからマイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、ディジー・ガレスピー、ジョージ・ベンソン・・・と、ロック界からはTOTOのスティーヴ・ルカサーも参加しているのがとても嬉しいです。個人的にはルカサーがギターを弾いている「TheSecretGarden」という曲が一番好き。ジェームズ・イングラムのヴォーカルもいいのだけど、バリー・ホワイトが出てくるとやっぱりゾクゾクする、曲も名曲だと思います。
 このアルバムに出てくるベテラン、もうほとんど亡くなっているんですよね。。サラ・ヴォーン、エラ・フィッツィジェラルド、バリー・ホワイト、マイルス・デイビス、ディジー・ガレスピー・・・そして、とうとうレイ・チャールズも。
 まるで、命終える前にみんなで集まって最高傑作でも作ろうかって、そんな雰囲気のアルバムだったのかなって気がします。で、こんなお宝級の作品を作ってくれたかの天才プロデューサーに感謝です。
 無人島に1枚だけCD持っていくこと許されたら、迷わずこれにすると思います。


 


2004年06月10日(木) ヤフーBBにはまいった!!

 旧暦4月23日。
 ヤフーBB、今度はこれですな。
 「ヤフーBB」モデムに欠陥、20万台無償交換へ(読売新聞)
 この前送られてきた顧客情報漏洩おわびの金券500円、郵便局で現金に交換しなきゃならなかったのだけど、行く暇ない、と思っているうちに交換期限過ぎてました。ちなみに、同じく顧客情報が漏れた東武鉄道の102@clubにも私入ってたんですけど、こちらは来年まで使える東武動物公園と東武ワールドスクエアの入園券が届きましたが、明らかに詐欺と分かる怪しげなサイトの請求書24万円分も届きました。ちなみに東武動物公園までとても行けないのでお子さんいる人誰がもらってください、入園券。
 で、東武のほうはおいといて・・・ヤフーBB・・・。
 ひどいじゃないですか、今度はモデムですか!しかも、不良品との指摘が昨年春からあったのに、発表は今ですか。。該当のモデム、たしか一昨年の夏に「12MBキャンペーン」とか言って大々的に宣伝してて、私もそれを機にAOLからヤフーBBに乗り換えたんです。その時送られてきた(でもモデムレンタル料は月額に入っている)モデム、確かに熱いです。熱いし、電話に雑音が入る、と言われればそんな気もする。まったくもう。
 ヤフーBBの情報漏洩に関して、顧客への対応はほとんど誠意が感じられません。裁判起こした人がいるけど、気持ち分かる。漏洩事件にかんするその後の調査結果もほとんど知らされてないし。一方で該当の加入キャンペーンは相変わらず派手だし、ソフトバンクはあれこれ事業拡大してるしで、被害にあった従来からのお客は悪く言えばまあ、ほったらかしですな。
 もうほんとに頭きちゃったから、他の接続業者に乗り換えようかなとも思うのですが、これが結構めんどくさくて・・・ねえ。そう思っているヤフーBBユーザーは多いんじゃないでしょか。そこのところをソフトバンクもちゃんと分かってるから、対応がいい加減なんです、きっと。
 お客が簡単に逃げていくような商売だったら、お客ももっと大切にされるんだろうなあ(-_-)


2004年06月09日(水) 向井亜紀さんのこと。

 旧暦4月22日。

 運転免許証更新通知のはがきが届いていた。で、焦っています。前回の更新からもうそんなに経ってしまったかと。。。もちろん、「優良」、引き続きゴールドカードです。ぜんぜんハンドル握ってないもんね、世のため人のため、自分のため。なんだけど、免許の更新はヒヤヒヤモノです。前回も苦労しましたです。。。視力検査。というのも、私の視力は、裸眼で0.01以下なのです、両眼とも。しかも、右眼はひどい乱視でもあります。コンタクトレンズ入れていても0.7まではとても見えない。それでも、今以上度を強くすると、こんどは頭が痛くなってしまうので、コンタクトもこれが限度なのです。5年前の更新時、もうやぶれかぶれに、視力検査の順番待ち中に、直前の人の「上、右、斜め右下うんぬんかんんうん」を丸暗記して、自分の番になったらその通り答えましたら、ことごとく外れだったらしく、その場で見事初めから視力検査やり直しとなったわけです。人の2倍も時間食ってしまったわけです。当たり前ですな。・・・で、今回はどうするか、もう、コンタクトの上に眼鏡を掛けて視力検査に臨むしかありません。さっき試しにやってみたら、あまりのドギツさにクラッときてしまいました。でもなんとかいけそう。はじめ、尚更字がぼやけて、それでもしばらく我慢していると焦点が合って、遠くの字がなんとか読める位にはなります。でも、指された記号に焦点合わせるのに時間かかる、というわけで、今回も視力検査は人の2倍かかりそうです。
 どうせこの先も運転しないでたぶん一生優良ドライバーなんだから、いっそ10年か20年更新にしてもらいたいと切に願う者でございます。

 話替わるんですが、向井亜紀さんの出生届不受理。うーん。。と考え込んでしまいました(お役所が勝手にプライバシーに関わることを公表したと向井さんは憤っています、ごもっともです)。向井亜紀さんてなんとなく好きになれなかったんですよね、今まで。「夫の遺伝子を残したい」という記者会見のイメージが強くて。子宮ガンとの闘いには共感覚えても、「夫の遺伝子・・・」発言の方がインパクト強すぎて、同性、同世代の私には、それが、「男性の遺伝子を残す」=「女性としての存在価値」であるかのような主張に思えて、それは向井さんの意思と別のところで勝手に歩き出してしまった言葉なんだろうけど、マスコミによって何度も何度も伝えられる向井さんのそのメッセージが、彼女の本来の姿とは違った姿を私の中で作ってしまったような気がしています。
 で、向井さんに対する自分の見方が偏っていたんじゃないかと気づかされたのは、先日の大学のとある講義がきっかけなんですが、彼女のHPmukai aki official web siteにある日記を読んでいるうちに、外向けだけど外向けでもない(女優さんだし、少なくとも私を含めてネットに日記を書く人はある程度外向けの意識がありますが)、問題に対する真摯な態度、まっすぐな姿勢が読む側に伝わってきて、この人の言葉にもっと耳を傾けてみよう、という気持ちになったのです。
 子供が欲しい、子供を育てたい、という想い。私もとてもよく解ります。街で小さな子供をヒステリックに叱り飛ばしている母親見ると、私だったらもっと違う育て方が出来るのに・・・・なんて思ってしまう。前を歩いている親子の背中を見ながら、自分が子供の手を引いて、夕ご飯の話なんかしながら家路を急ぐ姿を想像してしまう。ニュースで虐待され、命を落とす子供のことを知るたびに、世の中には産みの親でなくても、親として子供にあり余るほどの愛情を注ぐことの出来る親が沢山いるだろうに、なんて不条理な仕組みなんだろうと考えてしまう。・・・そして、向井さんの日記(さすがに、お役所に対して怒っていることが多いみたいですが)を読むと、こんな風に自分が「親」になることを切実に願い、行動し、子供達にあふれるほどの愛情を注いで日々子育てに奮闘しているのに、どうしてこの人は日本の法律では「親」として認められないのだろう、と、大きな疑問が湧いてくるのです。
 日本の生殖医療、倫理問題、法律問題、まだまだ3者とも検討や議論を重ねていかねばならない点が沢山残されている、その日本の枠組みを離れてアメリカでの代理出産という道を選んだ向井夫妻。けれど、アメリカでは夫妻は双子の子供達の親と認められても、日本では認められない。日本では、子供を産んだ女性があくまでも親。
 代理母出産。。。とてもとても、難しい、クリアすべき問題が多いと思う、倫理的に。女性の身体は子供を産むための道具なのか、という疑問も湧く。代理母出産が普及すれば、いずれそれが、貧富間の金銭授受を伴う行為に繋がりかねない。代理母制度が定着してしまうと、貧しい国の立場の弱い女性達が、自分の意思に反して代理母にさせられてしまう可能性だってあると思う。大げさなことではなく、そういう危険性も孕んでいる、元手がいらない、身体の一部を使うビジネスが(性、医療含めて)、搾取する側(子供が欲しいと願う人だけでなく、その気持ちを利用してビジネスにする人達も含めて)によって都合良く利用され、搾取される側に悲劇をもたらしている例が数限りなく多いということを踏まえて慎重に議論を重ねていかないといけないのでは、と思います。
 向井夫妻の場合も、アメリカでは認められていても日本ではまだ法整備のされていない代理母出産。現段階では、法律的に「親」と認められるのは確かに難しいかな、という気がします。ただ、法務省が、向井夫妻の例について、真剣に且つ血の通った対応をしてくれているのかというと、大きな疑問ですけど。
 だけど・・・。毎日のようにマスコミで報じられる、児童虐待や、親に殺される子供のことを思うにつけ思うのですが。生物学的には親というのは簡単になれるし、法律的にも、簡単になれる。生物学的に親=法律でも親、というのが法務省のいう「親」なんですよね。でも、精神的に、子供に対する愛情の深さでなる「親」っていうのは、必ずしも生物学的、法律的な「親」の数と一致しないわけですよね。それどころか、生物学的、法律的に「親」と認められなくても、精神的、愛情的に十分「親」の資格がある人も確かにいるわけで。。どういう親が子供にとって一番幸せな親なのか、を考えた場合、法律や行政がそれをサポートするどころか、逆に親子にとってマイナスの措置しかとれないというのは、果たして妥当なのかどうか・・・という想いも生まれるわけです。
 行政側の立場も理解できるのですが、現実に問題が起こっている、それを無視せず、議論の場を、と思います。


2004年06月08日(火) シャルトリューズ

 旧暦4月21日。
 
 先日、横浜のとあるバーで、「シャルトリューズ」というお酒を飲ませて戴きました。このリキュール、フランスの同名の修道院で長く作られ続けているものだそう。約130種類の薬草が入っているのだけれど、その原料や配合の割合は、民間企業に製造を委託した現在も、3名ほどの修道士だけが外に漏らさぬよう堅く守り続けているといいます。例えばシナモン、カルダモン、クローブ、コリアンダー・・・などが入っていると思われているのですが、確かなことは門外不出の製造法故、想像の域を出ないとのこと。・・・ふむふむと頷きながらカウンターの上でメモを取る私に、マスターが丁寧に説明してくださったのでございます(美味しいお酒を口にするとコーフンしてメモ帳をおっぴろげる悪い癖があります)。
 スパイシーでアルコール度が55度の緑色「シャルトリューズ・ヴェール」は、どちらかというと男性が好むそうで、女性に人気なのは、蜂蜜の甘さが感じられる黄色い「シャルトリューズ・ジョーヌ」、こちらはアルコール度40。小さいグラスにそれぞれ注いでもらい、「ヴェール」と「ジョーヌ」を代わり番こにチビチビ飲み比べていました。さすがに55度の「ヴェール」はストレートだとそんなに沢山飲めないのですが、不思議な位、くせになって、ちょっと間をおくとまた飲みたくなってしまう、「ジョーヌ」もしかり。甘みのあるお酒があまり好きでない私としては、「ヴェーヌ」のほうを気に入ったのですが、でも、両方ボトルで欲しくなったので、今度酒屋でみつけたら買ってみようかな、と思います。西洋の養命酒、みたいにも言われるそうですが、養命酒ほどの薬臭さはありません(昔養命酒を飲んでいました)。130種類もの薬草(ハーブ)が入っているだけあって、もういろんな味と香りが融け合って、もったり濃くてスパイシーさがたまらなく陶酔させてくれます。このお酒をカクテルにするのは難しい、バーのマスターのように熟練した腕もない私が自宅で飲む場合は、ストレートでチビリチビリ、眠る前の養命酒よろしく口に含んで、舌の上で転がしながら(玉露みたいに)、かの国の修道院に想いを馳せるがよろしいかと思ったわけでございます。
 ちょっと変わった癖のあるお酒が好きな方にゃあ、断然お勧めでっせぇ。

 ・・・ところで、お酒の師匠は、食事の前に必ず行きつけのバーに行きます。まだ外が暗くならないうちからカクテルを2杯くらいカクカクッといって、それから飲みながら食事、そのあとまたバー1〜2軒。その日もその後に中華街へ繰り出しました。だけど最後にちゃんと横浜から電車に乗ってきて、乗り換えの田端駅でパッと目が覚めた自分って、とても凄いと思いました。酒の流儀は分かりませんが、なんとなく、肝臓も鍛えられてきたような気がします。。。
 


2004年06月07日(月) その3。

 旧暦4月20日。

 朝、当たり前のようにいつも通り家を飛び出していった娘の元気な声を、夜にはもう聞くことが出来ないというのは、なんて残酷なことなんだろう。
 母親が病で亡くなり、そして娘がこういう形で亡くなり、ひまわりのような存在を次々と失ってしまった家庭で、残された父親と息子がどのような状態にあるのか、想像するだけで胸が痛む。
 御手洗さんの父親の手記、最後までまともに読むことが出来ない。まだ現実を受け入れることが出来ない父親。この先、どんな想いを背負いながら、娘さんのいない人生を歩んでいくのだろう。
 マスコミは出来る限りそっとしておくべきだと思う。こちらも知りたいことは沢山あるけれど、でも、遺族の気持ちを最優先にすべきと思う。


2004年06月06日(日) その2。

 旧暦4月19日。
 
 佐世保の事件。。
 加害女児の周囲の大人達、学校の教員や教育関係者、そして両親の言葉。誰もが皆、何故こんなことになってしまったのか、とショックを隠せず、責任を感じ、苦しんでいる。
 だけど、彼女の身近にいた大人達にも責任はあるだろうけど、同様に、日本中の大人達の責任もあるんだろうと思う。ニュース記事を読んでいても、とても他人事とは思えない。これは今の日本のどこにでも起こりうる事件なのかもしれないと暗鬱とした気持ちになる。だから、インタビューに答える大人達の言葉ひとつひとつが、重く伝わってくる。

 自分が小学6年生の頃も、クラスメート同士で交換日記もしたし、喧嘩もしたし、悪口もあったし、仲間はずれもあった。私も「あんな子いなくなってしまえばいいのに」と心の中で思ったこともある。誰かを言葉で傷つけたことも、逆に傷ついたことも。報道で知る限り、事件の彼女たちは私の小学時代と共通することも沢山あるようで、今も昔も変わってないんだ、とほっとする一方、大きく違っている点もあり、愕然として理解に苦しむ。
 「いなくなればいい」と思っても、その相手を世の中から本当に消してしまうなど、露ほども考えなかった、そういう発想すらなかった自分の少女時代から、今は大きく隔たってしまったのか。命というものは自分たちの手の届かないところにある、決して触れてはならない、触れることのできないものが命なのだという畏怖にも似た感覚。もしそれを犯してしまったら、取り返しのつかない事態になる、自分は今のままの自分ではいられなくなる、という想像力。・・・彼女の中から、何がそれらを取り払ってしまったのか、それとも初めから彼女の中にそういう想いが存在しなかったのか・・・。
 日本の大人達に、大きく重く暗い課題を突きつけられたようで、辛いけど、逃げずに考えていかなければいけないんだな、と思う。。
 


2004年06月05日(土) 子供を取り巻く環境って。。

 旧暦4月18日。
 
 佐世保の女子児童殺害事件。
 「またか」「ここまできてしまったのか」という驚愕。小学6年生が、明確な殺意を持って同級生を殺害するという凶行。小学校の教室が血の海になる、図工の道具として使うカッターナイフが凶器になる、同級生が血まみれで教室に戻ってくる・・・そんなことが実際に起きうるのか、と、自分の小学生時代の教室の様子を思い出しながら、佐世保の現場の惨状を頭の中で重ね合わせて、日本社会の抱える病巣のあまりの深さにただただ驚くしかない。
 子供の頃、外で遊んでいて、知らないおじさんには気をつけていた。悪いことをするのは大人の男の人だと思っていたので。まさか、同じ子供が刃物を持って近づいてくるなんてことはないと安心しきっていたし、女の人も怖いことはしない、と思っていた。なので、公園や近所の野原で遊んでいても、見ず知らずの大人の男性がいない限り、そこは完全に安全で安心できる環境のはずだった。
 でも、今の子供達の置かれた環境はまったく違うんだろうか。。。

 加害者の女の子が5年生の時に作られた文集に、好きな本を「バトル・ロワイヤル」とあったそうだ。趣味にはパソコンとも。
 別に文部科学省が薦めるような本だけを読むべきだ、とは思わないけれど、私が小学生の頃は、好きな本といえば真っ先に「赤毛のアン」や「シートン動物記」であったことを思うと、今の子供達の読書環境の変化にとまどいを覚える。書店の児童図書コーナーには、今もやっぱりモンゴメリやシートンが並んでいるから、読まれてはいるんだと思う。「ハリー・ポッター」だって大流行した。加害者の女の子も、「バトル・・」以外の本も読んでいたと信じたい。でも、「好きな本」と問われて「バトル・ロワイヤル」と書く、それだけ彼女の心にヒットしたのがその本だったのか、と思うと、理解しがたい。・・・理解しがたいというのは無責任な言い方かも。。それにしても、これだけの情報化社会になって、大人でさえ、膨大過多な情報の海の中で自分の足元がしっかり立っているのかすら分からない現代社会において、子供達はさらに、身の丈に余る情報量を浴びせられ、その柔らかい脳にどんな情報が優先的に入っていき、彼らを成長させているのか・・・テレビも、インターネットも、携帯電話も、映画も、本も・・・親たちが把握しきれない情報を、大人がまだ頭の柔らかく感受性の鋭い子供達にどんどん垂れ流しているその無責任な状態を、私たちはもっと反省し、深刻に考えないと、この先もこういう事件は起こってしまうのではと危惧します。
 パソコンも・・・パソコンは、自分も仕事プライベート合わせて日に10時間使っていて、ネットの恩恵に十分与っている身だけれど、実際使っていて、パソコン使用のメリットとデメリット、半々だと思う。メリットの量と同じくらいの量のデメリットがある。それも、いろんな意味である程度自分の使用限度をわきまえたつもりの自分が使っていて、だから、夢中になりやすく限度をまだ知らない子供が使えば、デメリットのほうが確実に増えるのではないかと思います。
 ネットの世界は広いようで狭いです。自分の中に舵取りをする場所を設けないと、ネットによって世界が広がるどころか、安易な手こぎボートでよどみの中に吸い込まれて安住してしまうような怖さがあると思います。大人でさえその舵取りの方法を知らないのに、簡単に子供にパソコンを与えてネットの世界に飛び込ませて勝手に泳がせてしまうのは、考えてみれば恐ろしいことではないかと・・・加害者の女の子や被害者の女の子の親だけを非難しているわけではなく、「小学生の息子や娘のほうがパソコン詳しくて」と笑う大人達(うちの家族も含めて)がもっと危機感を持たないといけないのでは、と思うわけです。

 偉そうに書いてしまいましたけど、私が書いたことと同じように今の大人達も思っているんだよなぁ。みんな、そういうことは分かっているんだけど、でも、実際どうしていいか分からないのですよね。パソコン取り上げれば簡単に済むって問題でもないだろうし。「赤毛のアン」読ませればいいってわけでもないだろうし。ネットや「バトル・・」だけでなく、もっと他にも原因はあるのだろうし。。。加害者の女の子の家庭環境も報道されているけれど、彼女の家庭が決して特異な例ではないと、泣きながら鑑別所に入る両親の背中を見て多くの人が感じたのではないだろうか、と思います。。。

 
 
 


2004年06月03日(木) 根性なし。

 旧暦4月16日。

 愚痴ばっかり書いてしまっては、ここを読みに来てくださる方々に、申し訳ない・・・と思ってはいるのですが、やっぱり今日も愚痴めいてしまって、すみません。
 結局、愚痴が出るのは、自分自身に満足してない、自信がないからなんですね。自分自身に満足してる人はあんまりいないかもしれないし、自信がない人も多いかもしれないけど、私は自分のことがあんまり好きでないんだと思います。今自分の置かれた状況に不満を感じているのは、裏を返せば自分に不満があるからなんですよね。自分が、自分自身のことなのに、とても異質でいびつな人間にも思えるわけです。自分って一体なんなのだろうと、悩んでしまうわけです。自分の生き方に自信がないわけです。けれど、自信がないのは実は自分の努力が足りないからだとも分かっています。根性なしなんですね。

 


2004年06月02日(水) やばい。

 旧暦4月15日。
 
 だけど仕事があるってありがたいことなんですよね。。。
 昔、派遣社員になる前に、数年勤めた職場を退職して、ほんとにやりたいことを中心に生活していこうとフリーターをしていた時期があって、さんざんでした。フリーターで、家賃7万近くのアパート代と国民健康保険と年金と食費と公共料金と生活必需品とあと本とか映画とか飲み代とか稼ぐのはかなり大変です。時給850円では無理がある。しかも、平日フルで入りたいと言っても、他のバイトとのシフトもあったりと、思うように入れないのです。高校生の作文の添削のバイトもしたり、葬儀の配膳のバイトなんかもしたり、いろいろやったりしましたが、世の中そんな都合良く働けるなんてないんだな、と実感しました。自由な時間作るより先に、家賃払えるかどうかの心配しなきゃならない生活が続き、また、世間のずるさというか裏側というか、地方出身の世間知らずではいかんのだと身にしみて学んだわけです。「採用時と話が違う」なんてしょっちゅうだったので。「稼ぐ」っていうのは、結構大変なことなんですよね。。。だから、派遣社員は時給制だけど、平日フルで確実に働けるから、結局それが一番なんだ、と、派遣になったばかりのころホッとしたのでした。
 なのに、働いているうちにだんだん不満が出てくる。。。働ける場所があるというのは感謝すべきことなんだってことを忘れかけてる。。

 ただ、やっぱり、ずっと派遣社員のままでは、自分にとっての自分の存在価値を見いだすのは不可能だとつくづく思う今日この頃です。最初から分かっていたことだけど、特にこのところそう思います。
 例えば、自分が母親であれば、子供にとって自分の存在が代替のきかない大きな存在であるように、子供のために自分が存在することが大きな生き甲斐であるように、また例えば、会社でこの仕事は○○さんのようなプロフェッショナルでないとできないと言われるように・・・でも、自分の新しい家族も、専門的な仕事も持たない私は今とても中途半端な場所にいます。いろんな生き方があるから、あくまでこれは私についてなんですけど、やっぱり、自分にとって自分の存在価値ってなんだろうって思ってしまいます。他人から、社会から見た存在価値じゃなくて、自分が自分をどう見ているのか、どこまで満足しているのか、っていうことです。
 なので、もうすぐ30代半ばにさしかかりますが、40歳までの約5年って、自分にとってとても大切な時期だと思います。40歳までの5年で40歳以降が決まるような気がして。そう考えながら年頭の計画で今年立てた目標の到達点を100歩とすると、5月終わった時点でまだたったの10歩しか行ってないので、落ち込みそうです。
 やばいよなー、こんな自分って。


2004年06月01日(火) 使い捨て。

 旧暦4月14日。
 
 派遣社員っていうのはまさに使い捨てなんだなあとしみじみ思うこのごろです。まあ、自分で選んでなったんだから文句言える立場じゃないんですけどね。でも、私が今働いている会社は、派遣の女性は完全に使い捨てです。もともと女性の地位が非常に低い会社なので、派遣ともなるとなおさらです。もっとも、日本の大部分の企業の実態なのでしょうが。
 私のやってる仕事は、実は誰でもできる仕事なんです。私だけじゃなくて、派遣の女性がやっている仕事は基本的に全部そう。いくらでも替えがきく。仕事を覚えさえすれば他の誰にでもバトンタッチできる業務なんだけど、量をさばききれずアップアップしてる私。それに加えて毎日毎日本社の経理部はじめいろんな方面に謝りっぱなしです。電話でも、メールでも。すみませんすみません。よろしくお願いしますよろしくお願いします。正直言ってかなり神経も体力もすり減っています。休日出勤深夜残業、経理の締めに間に合わず泊まり込んだことも(社員も残業三昧なんですが)。休憩時間などロクにとれない。一時は本気で過労死覚悟しました。今は何とか立ち直りつつありますが。でもやれどもやれども仕事は追いつかない。片づかない。ボロボロとミスが出るだけ。能力もないのが悪いんですけど。で、それで職名は「部長席付き」と呼ばれています。不思議な名前です。初めてこの会社に来たときから違和感感じています。席にくっついている「モノ」なんですね、非常に失礼な名称です。聞くところによると以前、「席付き」という職名は差別用語だからやめようと全社で決まったのだそうですが、相変わらずみんなで使用しているのです。こんなところからも女性蔑視の社風がかいま見れます。
 これでは自分の時間がなくなる、と、夜は大学の授業を週に3日入れましたが、結局時々欠席して残業をしないと終わりません。要領悪いのがいけないのかな。
 ただ、救いなのは、周囲の人達がいい人ばかりなのですね。部内の人も、上司も、悪くはないのです。周りの人達とのやりとりは楽しいし、学ぶことも多いです。IT業界だからか、みんなそれぞれに仕事沢山抱えてて、残業ばかり、忙しそうです。ともかく、周りの人達がいい人達だから続いているのですね。
 私だけがそういう状態じゃなくて、他の部署の何人かの派遣社員仲間も同じような状況です。私より残業が多くて、私よりかなりボロボロ(この前見たときは放心状態だった)の女性もいます。私なんてまだ自転車通勤して大学通う気力あるぶん元気なんだよね。同じ状況の仲間がいるから、まだやっていられるのかも。でも、やっぱり、派遣社員の置かれた立場は少し異常だと思います。自分で選んだ道とはいえ、いつでも首切られる状態、ぶっ倒れれば保障などほとんどない立場で、ボーナスなんてもちろんないし・・・。派遣社員をどう使うか、会社の方針、体質なんでしょうが。
 ただ、この会社だけじゃなくて、派遣社員なんて所詮、どこもそんな扱いなんですよね。特に突出した資格でもない限り。お気楽な仕事選んで「女の子」扱いされるのもテですが、いつまでも通用しないし、第一自分が嫌だしね。
 所詮、今の日本で、派遣社員と呼ばれる立場は、基本的に「使い捨て」だと思います。それから、一部の企業にとって、社員もまた「使い捨て」なんだと感じます。
 
 もともと、派遣社員をそう長くやるつもりなどなかったのに、何年も続けてるほうが悪いのです。なんのために派遣社員を選んだか、それは自分のやりたいことを勉強するための時間を作りたかったのと、正社員におちついてしまって、自分を追い立てる気持ちがなくなってしまうことが怖かったからです。ちゃんと初心に還って、気持ち立て直そう。いつまでも使い捨ての派遣社員でいたくないと思っています。

 派遣社員にもいろんな業務内容があるので、これを読んで気を悪くなさった方がいたらごめんなさい。事情あって派遣という形でしか働けない人もいると思います。それを否定するわけじゃないです。

 さて!今まで溜まってたものを噴火させてしまったので、明日から気持ち入れ替えて頑張ります!愚痴ばかりでスミマセン。
 おやすみなさい。
 
 
 
 


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