あたろーの日記
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2004年07月31日(土) 土ブラ

 旧暦6月15日。
 コンタクトレンズは使い捨てのワンデーアキュビューというのを使っているのですが、とうとう残り0日分となったので慌てて東京駅そばまで買いに行きました。コンタクトレンズ屋さんと同じビルに入っている眼科の処方箋が必要なのでまずそっちに。・・・土曜の午後ってこんなに混んでるんだ!親子連れも含めて100人近く??フロアの椅子に座りきれなくてエレベーターホールまでお客が溢れてました。2時間待ち、という声もどこからか聞こえて、がーんとなったけど、ここで帰るわけにもいかないので諦めて待ってました。幸い私は度数の調節とかはせず、医師の診察だけだったので1時間くらいで済みました。やはり結膜炎だそうなので目薬いっぱいもらってきましたが、結膜炎の治療って今は目薬だけでいいんだっけ?通院しなくていいのかな?

 コンタクトを買って、どうせここまで来たからちと銀ブラしようと歩き始めた。銀のブラジャーってあるかなとか、土曜にブラつくんだから土ブラにしようとか、ぜんぜん面白くない洒落を独りねちねち考えながら歩く。誰かが一緒だったら、そのくだらない洒落を聞かされる羽目になったんだろうけど幸い被害者はいなかった。
 「なか卯」があったので入ることにした。コンタクトレンズ買うのとお昼ご飯食べるのどっち先にしようと迷ってレンズ屋さんに行ってしまったので、もうお腹ぐぅぐぅ。店の前少し離れたところで女子大生らしき集団5人ほど立ち話してる。「『なか卯』って○○ちゃんの御用達だったんだって」「えーっ!よく行ってたの〜?」「もしかして1人でぇ〜?」「やぁ〜っ(笑)」
 私が店の中に入ろうとしたら背後で「ぁ」と小さく声がして、しーんとなった。悪かったね。
 店内にはどうやら外の彼女達の仲間とおぼしき若い女性が、店の雰囲気には似つかわしくないほど緊張した面持ちでうつむき加減に座っていた。しばらくして呼ばれて奥に行ったので、どうやらアルバイトの面接だと分かった。とすると、『なか卯』御用達の彼女はこの人?(ま、どうでもいいけど)
 牛丼が消えてからあんまり食べに行かなかったけど、久しぶりに行ったらやっぱりまだ牛丼はなかった。牛丼は吉野家より松屋よりなか卯のほうが美味しいんだけど。。で、豚丼。並盛り330円が280円でお得な値段になっていた。ラッキー。味は、牛丼ほどではないけど、まあ、美味しかったです。

 東京駅から中央通りを銀座に向かって歩いていくと、ペン・ステーション・ミュージアムというのがあったので入ってみました。1Fはカフェになっていて女性グループの声が賑やか。2Fは対照的にガラーンとしていて、とってもおちつけるミュージアム。PILOTの万年筆をはじめとする筆記具の歴史を概観。豪華な蒔絵の万年筆がずらーっと陳列されていたり、弘法大師の頃の筆もあったり、楔形文字の刻まれたロゼッタストーンのミニチュアレプリカも置いてあったり。入場無料でしかも居心地いいなんて嬉しいです。
 また歩き出して、次は警察博物館に入りました。ここも無料。入り口においてある白バイに、小さい子供達が白バイ隊ルックでまたがって記念撮影してました。制服が似合って可愛かったです。中には「警視庁創始者川路大警視」の業績を紹介するコーナーとか、大正時代に導入された赤バイなんてのも展示されてて、結構勉強になった。けどあんまり興味ない(分からない)のも多いのでそこそこ見て出てきました。
 次は伊東屋寄って、鳩居堂寄って、三越入って、マックのお店入って・・・どこも混んでました。マックのお店はiPod miniの日本発売直後だったのでさすがに賑やか。「シルバーは今日お持ち帰りできまーす」と何度もかけ声が。ということは他のカラーは入荷待ちなんですね、やっぱり。パソコンもiPodも買う予定はないのですが、銀座歩いていてあの真っ白いマックのお店の前を通るとついふらふらと引き寄せられてしまう。で、ぐるっと店内回って、みんながパソコンいじったりしてるの尻目に、iPodをクレードルから持ち上げてみて、「重い」って呟いて、またすぐ戻して、それで出てきた。マック欲しいけどパソコン何台も必要ないので、でも、マックって白くてお洒落だなーと思いつつ、今は関係ないや、と自分に言い聞かせて、だけどいつか使ってみたいけど、自分はWindowsでパソコン覚えてしまったので、とか、いろいろぶつぶつ考えながら出てきた。マックが銀座にあんなでかいギャラリーみたいなショップを出したのはうまい作戦だよなあ。
 教文館書店という本屋さんは、銀座のど真ん中にあるけど2階の書籍フロアはいつも静かで好きだ。でもそれは閑散としてるという意味じゃなくて、落ち着いて本を探せる店だということです。書棚の本の並び方に、店員さんの勉強具合が現れるものですが、この本屋さんは、本をよく知っているなあ、勉強してるなあ、って気がして、安心して本棚の前を歩けるのです。安心っていうか、正確に言うと、ちょっとわくわく、という感じかも。本を知っている売り手のいる書店では、本棚の前に立つと、本棚のほうから「これを読め」「あれは面白いよ」「それはあなたに必要な本だよ」と話しかけてきてくれるんですよね。逆に、本を知らない店員さんばかりだったり、売らんがなの精神でベストセラーや売れ筋本ばかりが尊重されている店の書棚の前に立つと、自分が読みたい本を探すことにばかり神経がいってしまって、書棚との静かな対話、っていう楽しみはまったくない気がします。世間で騒がれてたり映画化されてたり何かと話題になったりしてる本だけが本じゃない、誰もが読んでるから自分も読まなきゃ、みたいに思わせてしまうような書棚は好きじゃないです。そうじゃなくて、手に取る人は少なくても、長い年月をかけて、コンスタントに細々とでも読み継がれるような本の居場所をちゃんと作ってある書店って、とても信頼できます。といっても、そのやり方が難しいというのは、「誰が『本』を殺すのか」上・下(佐野眞一著・新潮文庫)を読んでみて、よーく分かりました。ところで、教文館もその本に出てくるけど、置いてなかったのは、売れちゃって入荷待ちだから?私の探し方が悪かったのかな?
 教文館の奥にある書棚の一角は、私が記憶する限り数ヶ月もしくは1年以上前からずっと、エリック・ホッファーが強い存在感を放っていて、気にはなっていたのだけど、訪れるたびに買うか買うまいか迷って、結局買わないでいた。けど、たぶん、今、私にとってエリック・ホッファーは必要な本なのかもしれない。とにかく無性に読みたくなって、何冊かある彼の著作の中からまずは「エリック・ホッファー自伝」(中本義彦訳・作品社)を選んだ。
 教文館を出て、ほんの一杯飲みたくなったのでコリドー街へ。焼き鳥もつ焼きのお店が密集してる地帯を通るも、さすが土曜の有楽町ともなると、女性1人で入って片隅に置かせてもらえそうな店はない。若い男女のグループが多くて、賑やかすぎてなんだか居心地悪そうだし、私みたいなのが1人店内に入って本なんか読み始めたら周りが引いてしまいそうな雰囲気だったので、焼き鳥は断念。こういうとき、おぢさん着ぐるみなんてあったらいいのに。
 そこで、以前友達に連れて行ってもらったお茶漬け屋さん、八十八楽に入った。ここはお茶漬けがメインだけど、おつまみやお酒(特に焼酎)も充実していて、小さくてお洒落な居酒屋です。女性1人でも入りやすいし、お茶漬けだけ食べて出てもいいし、居座ってお酒飲んでも居心地いいし、で、私が行ったときはカップルとか、女性同士とか、男性同士のグループでほぼ満席でしたが、1人なので片隅にちょこんと座れました。
 地鶏ごぼうのお茶漬けと、たこわさ豆腐と、冷酒(黒帯)の3品(銀座で1000円で収まるのが嬉しいです)頼んで、ちびちび飲みながら1時間くらい、ホッファーを読んでました。いつも思うのだけど、女性1人で入って誰にも邪魔されずに本を読みながら飲める、というのが私にとって居心地のいい居酒屋なんですけど、なかなかないです。だから、そういうお店を見つけると嬉しくて贔屓にしてしまいます。
 そういえば、あちこちの店から時折うおおおおおっていう雄叫びやら歓声やら悲鳴やら一斉に聞こえてました。サッカーの試合をテレビ観戦してたんですね。そっかー(さっかー)。サッカーのことはあんまり分からないけど、確かにウチで1人で見るより、どこかのお店でファン同士盛り上がってみるほうが断然楽しいだろうなあ。ちと羨ましかったりして。
 


2004年07月30日(金) 金魚のいる銭湯。

 旧暦6月14日。
 2番目か3番目によく行く銭湯は、最近浴室をちょっと改装して、浴室のど真ん中に小さな池を作り、水草で囲み、金魚を泳がせた。久しぶりに行ったとき、浴室のドアを開けて、思わず立ちつくした。みんなが裸でゴシゴシやってるのを尻目に、小さくて赤い金魚たちがスイスイ泳いでる。のぞき込むと足元に寄ってくる。思わず池に手を突っ込んでみたくなったけどがまんしてのぞき込んでいた。裸で金魚見るのってヘンな気分。お風呂から上がると番台のおばちゃんが笑いながら、「金魚見てると寄ってくるでしょう」と言う。銭湯のオヤジさん手作りの金魚池だそうだ。レトロで小さな銭湯の、今では何故かお洒落に見えるタイルと壁に描かれた山と海の絵。あちこちに観葉植物と、岩。そして浴室の真ん中に金魚の池。

 ロッカーの前で服を着ながら番台のおばちゃんといろいろ話し込んでいたら、おばちゃんが急に真面目な顔になって、「お姉さん、嫌いでしょう」と言う。「はい?」「嫌いでしょう・・・」
 しばらく双方の動きが止まった。おばちゃんの視線が、私の顔と、私の肩の向こうの、背後のロッカーの両方を行ったり来たりしていることに気づき、ぎょっとして着の身着のまま(ほんと)私が番台のほうに駆け寄るのと、おばちゃんが番台をさっと飛び降りて韋駄天のごとくロッカーに走り寄ったのが同時だった。
 おばちゃんとすれ違いざま、背後にあったロッカーを見る。おばちゃんが大きなご・・・ごきぶりをバシッと新聞で叩いて、ティッシュでササッとくるんで、ダダッとゴミ箱に捨てた。そして番台の前で凍りかけている私を振り返って微笑んだ。・・・そういえば道側の男湯の浴室、窓がバーンと開いてて、横を通るとき別の意味でギョッとしたっけ。その窓から入ってきたらしい。金魚だけでなく、ご○○○もいたりします。
 だけど強いおばちゃんが番台にいるから、怖くないのだ。


2004年07月29日(木) 立ち直りの早い女。

 旧暦6月13日。
 昨日あんな風に書いて、今日は自己嫌悪。書いたことに自分で落ち込む。
 会社や外で、人との言葉のやり取りを通して、自分がいかに自分のことしか考えていないか、ということに気づく。ものごとのマイナス面しか目に入らないようになっては駄目だ。視野が狭くなってしまったら、見えるはずの他の大切なことも逃してしまうような気がした。
 会社にも会話していて心が和む人達が沢山いるのに。
 1人でキリキリと被害者意識持っていては自分は全く成長できない。
 嫌なこともあるけど、それは自分がそこから何かを学ぶためにあるのかも。少なくともそう思いながら日々過ごした方が、不満抱えて生きるよりよっぽど得るものが多いんだきっと。今更ながら心の中で確認する。それに、顔がマイナスの方角に向いてたら、マイナスの世界にあることしか見えないものね。。
 
 人の評価なんてどうでもいい、という気もする。とても気にはなるけど、気にしたって仕方ない。人は誰でも、他人を評価できるほど凄くない。神様でもあるまいし。他人を評価するのが大好きな人も多いけど、馬鹿馬鹿しいや。評価するほうも、評価を気にするほうも。みんな死ぬまで一緒にいるわけでもないし。死んでからも一緒ってわけでもないし。私は私の仕事頑張ってこなしていくしかないんだと思う。・・・それにしても世の中なんでこう、偉い方々ばかりなんだろう・・・?・・・ま、深く考えてもしゃあないか。
 というわけで、妙に立ち直りの早い人間だったりします。
 要するに、他人に評価される人生よりも、自分で十分納得できる人生でありたい(なんで急に人生なんだ??)と考えたわけです。何故なら、自分自身について最もよく知っているのは、ほかならぬ自分なんだものね。。。


2004年07月28日(水) ロビーコンサート

 旧暦6月12日。
 会社の入っているビルのロビーでクラシックコンサートがあったので、残業抜け出して聴いていた。高原守指揮ニューヨークシンフォニックアンサンブル。この時期毎年恒例で、ビル関係者と家族は無料なんです。ヴィヴァルディ、ベートーベン、エルガーを堪能しました。特にベートーベン「交響曲第7番 イ長調 作品92」は圧巻でした。アンコールのエルガー「行進曲威風堂々」は好きな曲なので嬉しかったです(確か前回もアンコール曲だったような・・)。世界的に活躍してるソリストも沢山いる楽団の高度な演奏をタダで、しかも残業中にフラッと聴きに行けるなんて幸せです。

 だけど、その後仕事に戻って残業しながら、やっぱりこの仕事私にはもう無理だな、って思いました。
 どんなに残業したって、走り回ったって、休日出たって泊まり込んだって、50人近い技術職の中の「事務兼経理兼家政婦兼雑用係」の私は、職場では別に必要とされてないんだと改めて感じるからです。泊まり込んで仕事しても、実際仕事の能力がなければ、歓送迎会などの部の飲み会で、飲んだ勢いの上司に、「仕事ができるわけじゃないだろ」と言われその場にいる人達に笑いものにされるだけです。自分自身でも仕事ができる人間じゃないという自覚はちゃんと持ってるけど、自分でそう思うのと他人(特に上司)に言われるのとではわけが違う。自分が無能な人間だと自覚してるからこそ、他人からそう言われるのが辛い、ということなんて、自信満々の人達には分からないんだし、人を傷つけることなどたいしたことに思わないんだと思う。
 1年前に隣の部の同じ仕事をしていた女性がやめて、2つの部を引き受けて、その時躊躇したけど、上司達が「いざとなったら伝票作成でもなんでも手伝うから」とまで言ってくれたので、そこまで言うなら自分も期待に応えるよう頑張ろうと思った。文句言わないで頑張るのが美徳だとずっと思ってたので、友達にもあまり愚痴らないできた。でも、もう限界に近いと思う。仕事の量の問題じゃない。量的な問題は馴れで次第にだけど何とか毎月片づくようになってきた。そうじゃなくて、もっと違う種類の問題のような気がしてます。うまく表現できないのだけど。
 たぶん、1対1と、1対50における違いみたいなもの?例えば○○さん対○○さん、じゃなくて、「(部長)席付き」という奇妙で差別的な職名対50人という図式に、自分が耐えられなくなっているんじゃないかと思う。自分がついている業務に、会社が正社員でなく(正社員がやっている部もあるけど)、私のような女性の派遣社員をつかせているという図式の中に、自分が精神的にうまく当てはまらなくなってきたんだと思う。派遣社員で食べている自分を棚に上げてヘンな言い方だけど。
 もともと派遣社員を長くやるつもりはなかったけど、長すぎです。もう35歳だし。派遣社員でやっていける人も多いし、ならではの仕事もいっぱいあると思う。だけど、こう言っちゃ悪いけど、30代半ば過ぎた派遣社員はよほどのプロフェッショナルでもない限り、若い正社員のいる職場ではただのおばさんです。やめたって、次の派遣社員で補充すれば完了。存在感なんてないし、すぐ忘れられるだけ。

 と言っても、とてもすぐにやめられる状況じゃないので、みんなに迷惑かけないように、ちゃんと業務整えて、引き継ぎ資料作って、跡継ぎにきちんとバトンタッチしてからでないと。

 最近愚痴っぽくなりましたね。
 自分でも呆れる。。
 でも少し気持ち軽くなりました。どうもスミマセン。。
 
 


2004年07月27日(火) 動物王国???

 旧暦6月11日。
 ムツゴロウさんの動物王国が北海道から東京に引っ越して、明日、あきる野市にオープン。なんだかなぁ。。。
 ムツゴロウさんの動物王国って、動物のためにあるんだとばかり思っていたので、東京に移転すると聞いたとき、面食らって裏切られた(?)ような哀しい気分になりました。人間のための動物王国だったんだね。なんか、すごくがっかり。
 私も動物園や水族館好きだし、何回も行ったしこれからも行くだろうけど、東京にはもうすでにいくつかあるんだし、それで十分じゃない?って思います。少なくとも、北海道の大自然の中で、対人ストレスもなくのびのび暮らしていた動物たちを、わざわざ東京(自然があるといっても東京の自然と北海道の自然ってぜんぜん違うと思うし・・・)に移動させて、北海道で観光客が訪れた以上にもっともっと沢山の人達の相手をさせる必要なんてないって思うんですが。多くの人に動物との触れ合いを、なんて大義名分掲げているけど、結局それは人間中心の考え方でしかないような気がするのは私だけでしょうか。。
 東京に動物王国を作って沢山の人に動物との触れ合いの機会を与えたいというのが長年の夢だったそうなので、それに対してとやかく言うのも失礼な気もしないでもないですが、なんとなく、ムツゴロウさんの動物王国にある種の嘘っぽさも感じてしまうのでした。。。
 ちょっときつい言い方ですね、すいません(と言いつつ書いてる奴)。

 でも、やっぱり、納得いかーん。。。
 人間はエキノコックスがどうのこうのと騒いでるけど(それもまあ心配だけど)、それ以前に、北海道から連れてこられた動物達が東京のこの暑さに適応できるんだろうか、すっごく気の毒です。それに、ムツゴロウさんは鈍感(失礼)かもしれないけど、動物達は北海道と東京との空気の綺麗さの違いにも敏感なんじゃないかなあ。あきる野市つったら、今自然バンバンなぎ倒して圏央道作ってるわけだし。
 動物王国の動物達に、東京に来るのに賛成か反対か、アンケートとってみたいです。


2004年07月26日(月) キオーレオピン

 旧暦6月10日。
 このまま涼しい日が続いて欲しい・・・今なんて幸せな風。ほっとする1日でした。。
 
 この週末はぐったりへばってた私ですが、最近、キヨーレオピンなんてのを飲み始めました。この数ヶ月、会社で毎日、午後になるとリポビタンやアリナミンなどのドリンク剤を飲まないとエンジン切れそうな位どどっと疲れてしまって身体が動かなかったのですが、母に強力に勧められて飲み始めました。「今私が動き回れるのはこれがあるからなのよ」と、だまされたつもりで飲みなさいとプッシュされ、薬局に買いに行きましたら2本セットで5000円近く。高い〜と思うも、毎日買うドリンク剤とトータルでは変わらないか、と思い、購入。
 普通は1カプセルを朝晩2回飲むのですが、ここんところぐったりで、効き目ないじゃん、と母に文句言う前に、2カプセルを昨晩と今朝飲みましたら・・・元気でございました、今日は。
 まだまだ飲み始めたばかりなのでヘンなこと言えないですが、元気の素って感じです!
 ・・・と書きながら、もう眠くてダウン、なのでした。


2004年07月25日(日) すいません。

 旧暦6月9日。
 すいません、日記サボってしまって。。
 この週末はほとんど機能停止してました。。。いろいろやろうと予定組んでたのに結局からーっぽの土日。ぐぅたらに過ごしてしまいました。身体も頭もぜんぜん働きません。こりゃあやばいですぜ。
 明日はもう月曜日。今夜は早く眠ります。
 申し訳ねえですだ。。。


2004年07月22日(木) 疲れた。。

 旧暦6月6日。
 会社の歓迎会で、帰宅が遅くなりました。
 ・・・つきあいで参加する大勢の飲み会っていろんな意味で疲れます。。
 食べて飲んだくせに言うなーと言われそうですが。
 やっぱ、少人数でしんみり飲むのが性に合ってます。
 と言っても、仕事のつきあいも必要なんだろうなあ。
 だけど、お酒の力借りて普段言えないことを言い合うより、お酒はさまなくてもまともに機能する人間関係のほうが職場では大切なのではと思ってしまう、今日この頃。。
 


2004年07月21日(水) うなぎ

 旧暦6月5日。
 何度もしつこいようですが、今日も暑かった。。。会社の中にいても、会う人みんな挨拶代わりに「暑いね」。朝が暑い昼が暑い夜が暑い。ごめんなさい、帰宅しても頭の中がもわもわしてて、まともに書けません。あーあ。お年寄りが熱中症にかかるのが気の毒。つらいだろうなあ。だって、一応まだ若くて体力もある私だって、もうダウン寸前・・・というか、ダウンする以外にどうしろってんだお日様〜!
 今日は土用の丑の日なので、うなぎを食べました。会社を出て、大学にレポート課題を提出に行き、銭湯で汗を流してからうなぎの蒲焼きを買って帰宅。冷や奴とぬか漬けとビールを出して。うなぎ、スーパーの店頭で焼いてたのを買ってきました。静岡産だから高かった。でも、たまにはいいでないんかい?と1人納得して、奮発。レポート提出し終えてほっと一息つくつもりで、ビールのプルタブをシュッ。あーうんまい。
 新潟の実家にいるとき、うなぎは1回しか食べませんでした。18年親元にいてうなぎ1回。もともと新潟っていうのは海のものが豊富なので、うなぎはあまり食べない土地柄のような気もしますが、我が家はもっと特別。実は父が大の蛇嫌いなのです。なので、うなぎとか、あなごとか、蛇に似たものは一切駄目。食卓になんてもちろん上がりませんでした。1回食べたのはたしか中学生の時。生まれて初めてうなぎ屋ののれんを家族でくぐりました。どうしたものか、珍しく父がうなぎを食べてみようと言い出したらしい。それきりです。店の水槽で泳いでるうなぎを見て、父が何を思ったのかは分かりませんが、その後一家はうなぎを食べに行くことはありませんでした。
 今は自分の稼いだお金で、気兼ねなくうなぎを食べることが出来るので、幸せです(爆)。うなぎってこんなに美味しいものだったんだよね。
 でも、うなぎを食べたいと思わないウチの親のほうが、経済的で幸せかも知れないです。
 うなぎ高いもんねぇ。。。(-o-)


2004年07月20日(火) 逃げ場なしの熱帯。

 旧暦6月4日。
 夜帰宅してドア開けてですね、サウナ状態ですとね、もう、ぶっ倒れたくなります。せっかく銭湯で汗流してさっぱりしてきたのに、勇気出して部屋に入って、窓開けて扇風機つけるまでに、ドドッと汗が噴き出します。扇風機つけたってですね、吹いてくる風は温風です温風。ここでまたぶっ倒れそうになります。はーへーほー。。。
 朝自転車漕いでると、こりゃやばいな今日は最悪、と気がつくわけです、身体がいつもより重い。どうやら自分のせいではないらしい、空気がもわ〜っとしているのです、朝から。。。
 東京は熱帯と化してます。アスファルトばりばりと剥がしたいくらいです。
 あ、そうそう、銭湯のお湯の温度は41度でした。
 東京のアスファルトの上も41度くらい行ってます。
 


2004年07月19日(月) メモについて(長文すいません)。

 旧暦6月3日。
 大雨の被害まだまだ続きそう。水の事故各地であったし。あんまりいい連休じゃなかったですね。。。
 先日買った『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(福田和也著・PHP文庫)、面白かったです。
 資料の集め方や本の読み方っていうのは、今までに沢山出ている同様のテーマの本で、すでに他の方々が書いているのと同じだなあ、って思いましたが、さすが気鋭の評論家だけあって、本をはじめ資料に対する姿勢について、教わることが多いような気がします。受け身で本、資料、またインタビューの相手にあたるのではなく、積極的な能動的な態度で接することで自分なりの読み込み方、とらえ方、或いは情報発信の仕方ができるのだということが書かれています。その意味で、受動的な態度で視聴することが前提とされているテレビは、全く見ない、という著者にすこぶる同感。私の部屋にはテレビがなく、テレビを全く見ないと言うと、いまどき変人扱いされるのがオチなんですが、だって、テレビって、ほんとに面白くないです。テレビつき携帯電話くらいは買おうと思ってるけど、テレビから得ることは少ないというのが私の実感です。やっぱり変わり者なのかなあ(_ _+)先日ドアの隙間に、小さな紙が挟み込んであって、「お帰りなさい、NHKです」って印字されてました。ひゃ〜。めんどうだなあ。受信料を払いなさいっていう訪問があるんですよね、また。「うちにはテレビありません」なんて言っても信じてもらえないんだろうなあ、めんどくさー。
 それから、福田氏の言う、自分のよく分からない分野(文学だけでなく)については、まず信頼できる批評家や評論家を見つけて(プロでも、身近な人でも)、その人を指南役に知識を広げていったらいい、というのは、なるほどと思いました。自分の嗜好と似た案内役をうまく見つけることが出来れば、その人の示すモノを足がかりにして世界を広げていくことが出来る、というわけです。批評家らしい指摘だなあって思いました。私は無鉄砲に闇雲に進んで行って、ずいぶん回り道してようやくその世界の輪郭が分かるかな、って位ぬけてるので。。。新しい分野に足を踏み入れる時、自分の感覚もある程度大切だけど、現代のような溢れかえる情報網の中では、ある程度先を歩く人に教わりつつ進んだ方が賢いですよね。
 手帳についても書いてありました。
 手帳って、その人のこだわりが最も出るアイテムじゃないかなあって思います。福田氏はスケジュールも、取材メモも、全部1冊の手帳にまとめているそうです。忙しすぎるからこそ、1冊にしておかないと何がなんだか分からなくなってしまう、ってことらしいです。
 私、他人のメモ術にとても興味があるのです。書店や図書館でも、メモ術に関する本があるとつい手にとってしまいます。メモ術、手帳術、愛用の文具、こういう言葉に異様に弱いです。その人の毎日の繰り返しの中で培われてきた知的生産活動の最も象徴的な部分のような気がするからかもしれません。あと、文具フェチだからかも(笑)。

 一応、今現在私が愛用している手帳、メモ帳類です。この他に革製のシステム手帳があり、そこでスケジュール(といっても頭で覚えてられる位のスケジュールしかないです)管理してます。
 写真は、オレンジが「RHODIA」(ロディア)のメモパッド。いろんな大きさがあってこれは下から2番目の大きさのものかと思うのですが、No.12で200円。この下の150円のロディアの2冊が好きです。表紙を上にめくって、左手に持って、薄い紫の5mm方眼の上にメモをとります。方眼が鉛筆でも邪魔にならない薄さで、気に入っています。メモはミシン目から切り取ることが出来ます。机の上にいつもあって、ちょっとした走り書きメモにはこれを使っています。図書館等、外で調べ物する時にも例えば調べる予定の語を書き出すとか、文章を練るときに思い浮かんだ言葉を取りあえず書き留めておくときに重宝しています。私が知る限り、東京では、伊東屋、東急ハンズ、日本橋丸善の地下文具売り場、神保町の自遊時間(三省堂書店)、世界堂にあります。普通150円だけど世界堂の会員価格ならもっと安いです(^O^)。このメモ帳、最近日本でとても人気なんですよね。かわいいカバーなんかも売られてるし、PDA機器と一緒に持ち歩けるよう工夫された革製カバーも見かけます。私がロディアを初めて知ったのは伊東屋で、店の一角にオレンジのブロックがどーんと出来ていて、なんじゃこりゃーと興味津々で近づいて、おっしゃれじゃん、と手にしたのでありました。
 長くなりましたので次。右回りに、緑の、これはコクヨの「SKETCH BOOK」、たいていどこの文具屋さんにもおいてあって、150円です。トランジット用やレベル用もありますが、こっちは測量用なので今は使いません。というのは、昔昔の大昔(そこまで白状せんでいいって)、学生時代に発掘やってた時、これらの手帳が必需品だったのです。考古学専攻の学生のウェストポーチ(作業時はつけてました)や作業ズボンのポケットにはこの緑の「野帳」が必ずと言っていいほど入ってました。今もだと思うけど。。表紙が堅くて丈夫なので、少々乱暴に扱っても、ちっと位濡れても平気。中はロディアよりだいぶ小さくて薄いブルーの3mm方眼です。考古学から離れてだいぶたっても、使いやすさで長らく愛用してます。安いので用途ごとに買いそろえていけるし。私は、小説の下調べしたことを書き留めておく用に1冊、読書記録に1冊、それから今は他のメモ帳に変えたのですが、最近まではいつも持ち歩いてなんでもかんでも(美味しいお酒の銘柄や面白い話まで)書き留めておくメモ帳として使っていました。今後は、小説の下調べ用と読書記録用に使っていこうと思います。
 で、3冊め、黄緑色のは「Rollbahn」(ロールバーン)。これも、伊東屋、ハンズなどで売っています。一番小さい210円のものです。これもすごく使いやすいメモ帳です。最近伊東屋で見つけて、いつもカバンに入れて持ち歩くなんでもメモ用は、コクヨの野帳からこちらに乗り換えました。気に入っているのは、まず大きさ。いくつかサイズがありますが、私の手はとても小さいので、私の手のひらにちょうど良いこのサイズが気に入っています。だいいち荷物にならないし。それからリング。リングメモってあんまり好きでない(書くとき邪魔なので)なんですが、このメモ帳のリングはさほど邪魔な大きさでないし、愛用しているシャープペンがリングにすっぽりはまってしっかりセットできるところがすごく嬉しいです。さらに、ゴムバンド。これがあるとないとでは、荷物持ちの私のカバンの中で生き残る確率が格段に変化します(笑)。中の紙はクリーム色で、薄いオリーブグリーンの5mm方眼と紙質はとても書きやすいです。メモはロディア同様ミシン目で切り取ることが出来ます。それから、表紙もそこそこ堅いので、一番小さいサイズは、台が無いところで立ったまま書けるというメモ帳の最も大事な要素をしっかり満たしています。そして、今のところあまり使ってないですが、後ろのページに、ビニールのクリアポケットが5枚ついています。新聞などの切り抜きを取りあえず入れておく時なんか便利だと思います。あ、色も好きです。他にオレンジ、白、赤、ピンク、紺、青があったと思います。ロディアでビビッドな色に馴れたので、ロールバーンも黄緑にしてます(^^)
 最後は黒い手帳ですが、これは、「MOLESKINE」。やはり最近文具好きの間では人気がある手帳だと思います。ヘミングウェイも愛用していたとか。1500円は手帳としてはちょっと高めなのですが、文具って「気分」も大切だと思うので、この手帳も大好きです。映画「インディ・ジョーンズ」にも使われていたらしいです。「気分」って何?なんですが、もし文具店で見かけたら是非手にとってください。言葉で表すのは難しいのですが、手にしてみると、なんかこう、書いてみたくなるんですよね、「自分の記録」とか、「自分の歴史」みたいなのを。。人によっては旅行記だったり、日記だったり、取材ノートだったり、いろんな記録、自分だけの記録を大切に書き綴っていきたくなるような手帳なんですよね。オフホワイトで、鉛筆でもペンでも、書き心地の良い紙質です。やはりゴムバンドがついていて、中身を大切にしたいと思わせる作りです。私は今のところ無地(中身は罫有り、方眼、それから厚い紙質のスケッチブックなんてのもあります)を2冊持っていて、1冊は日記、もう1冊は仏教関係の語彙集に使っています。仏教用語で分からない言葉が多すぎるので、辞書で調べたことなどを書き留めて、自分専用の用語集をちくちくと作ってます(あんまり進んでない)。このモールスキンの手帳は、伊東屋、ハンズ、丸善、自遊時間で売られています。あと、ソニープラザにもあるらしいです。
 わー。
 長々と書いてしまいました。
 学校のレポートまだ書き終わってないよ〜。うひゃーっ!
 
 
 
 


2004年07月18日(日) 書くこと描くこと。

 旧暦6月2日。
 学校のレポートを書かなければならないのに、机の前で暑さにぐったりして、挙げ句、ごろんと横になって昼寝してもうた。だめ。書けんわこらあかん。原稿用紙4〜5枚なんざ・・・よく考えてみると、この日記は毎日原稿用紙1〜3枚くらいの分量だと思うけど、さしたる苦もなく好き勝手書いております(読んでくださる方ありがとうございます)。なのに、いざ学校の課題となると、書けませんのです、なかなか。今夜はもう眠いので、早く寝て明日朝から書こう。・・・自信ないけど。
 
 この連休に、思いっきり絵を描き文章を綴ろう、と思っていたのに、暑さでなかなか進みません。子供の頃もそうだったかなあって、夏休みの自分を思い出してみる。。。子供の頃から絵を描いたり、お話を作るのが好きだったのですが、今も相変わらず同じことやってる自分に笑っちゃいます。田舎の子供だったので、毎日暮れるまで外で遊び回ってもいたのですが、家でじっとしてるのも好きだったのです。
 今、机の上にはいつも、書きかけ小説の大学ノートと、卓上イーゼルに乗せた油絵のキャンバスがあります。毎日少しでもどちらかに触れないと落ち着かないのです。たった1行しか書けない日もあります。ノート開いても続きの言葉が浮かばない時も多いです。絵筆持っても、イメージと違う方向に絵が変わってしまうことも。だけど、ノートを開くか、絵筆を持って絵の具をキャンバスに乗せることが出来ただけで、その日の自分が最後は自分らしく生活できたような気がして、ちょっと充実した気持ちで布団にはいることが出来ます。
 思うに、小説を書くことも絵を描くことも、自分自身との対話なんですよね。どちらも、続けているうちに、自分でも知らない自分の奥底が言葉を持って、或いは色彩を伴って表面に立ち現れてくるような感じがします。誰にも邪魔されない独りの空間で、ひたすら自分自身と対話を続ける作業が、小説を書くことであり、絵を描くことなのではないかと思います。
 私の場合はこの二つですが、当然人それぞれのかたちがあって、音楽に携わるひと、職人さん、たぶん人の数だけ、それぞれ自分との語らいの方法があるんだろうなあ。


2004年07月17日(土) 往来堂書店

 旧暦6月1日。
 夕方ちゃりん歩(ちゃりん歩=自転車をゆーっくり漕ぎながらお散歩すること。〔注〕あたろーの勝手な造語)していたら、田端の道端でこんな建物発見。「熱帯魚 東京水族館」である。どう見たって、水族館の建物とは思えない。こ、これはいったい何?とコーフンしながら写真撮る。頭の中で「ダバダー♪ダバダバダ♪駄馬だー♪田端〜♪ダーバーダーバーダー・・・」と勝手に音楽が鳴リ続ける。
 帰宅後ネットで調べてみたら、どうやら(かつては?)熱帯魚の卸問屋のようで、今は音楽関係の貸練習場でもあるらしいです。なんだ普通じゃないか。水族館やってたほうが絶対喜ばしい。

 千駄木の往来堂書店に行ってきた。知人から、千駄木に小さいけれど個性的な書店がある、と教えてもらったのです。
 たった20坪ほどの、街の小さな新刊書の本屋さんなのですが、何故かとっても居心地が良くて、1時間も長居してしまいました。コミックや女性の水着姿が表紙の雑誌がほとんど見あたらず、入り口からいきなり岩波文庫やちくま文庫だったり、東京地域散策の類の本棚だったりします。普通の本屋さんだと入り口付近ではあまり立ち止まらないのですが、この本屋さんは入った瞬間からパタッと足が止まってしまいました。棚の本の並べ方に書店のこだわりがちゃんと現れてて、ただ本を売ればいいって感じじゃないのです。ベストセラーを目立つ位置にバンバン平積みしたりってのはないです。例えば落語関係の本のまとまったコーナーがあり、また日々の暮らしについて見つめたい人が読みたくなるような本が一カ所に集められていたり、とまあ、それは他の本屋さんでも同じなんですが、普通の本屋さんでは「趣味・実用」のコーナーにある「暮らし」テーマの本と、文芸コーナーにある「暮らし」テーマの本は離れた場所においてありますが、ここの本屋では一所にまとまっておいてあるので、とても探しやすいし、分野をクロスオーバーして新しい視点で書物同士をつなげて見ることができる、という面白さもあります。
 往来堂書店のように、書棚の本の配列にこだわった本屋さんて、最近増えてきているような気がします。神保町や代々木にも小さいながらもそういう本屋さんがあって、意欲的な店主なんだなあって感激しながら店内を回るのが楽しいです。
 で、『だれが「本」を殺すのか上・下』(佐野眞一著・新潮文庫)、『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(福田和也著・PHP文庫)、『谷中・根津・千駄木76号』を買う。佐野眞一氏は、『東電OL殺人事件』『東電OL症候群』(ともに新潮文庫)を読んで、その取材力と対象を見つめるまなざしに信頼が持てると思ったノンフィクション作家。福田和也氏は、実は嫌いな評論家。なんだけど、書名を見てつい買ってしまった。。。1ヶ月に100冊は頭がついていかないから必要ないけど、そのノウハウからちょっとでも学ばせてもらえることがあれば・・・と。


2004年07月16日(金) ほっとしましたです。

 旧暦5月28日。
 U2の発売前のCDが行方不明。ひどいなあ。早く見つかってよぅ。
 ・・・青山ブックセンターが閉店。ひえ〜!
 青山本店、結構好きだったのに!アート系が充実していて、そっち方面は個性的な陳列だったので、なにか新鮮なモノに触れたい、新たな発想が欲しいって時はふらっと出かけていました。あの界隈で本屋さんっていったらABC(青山ブックセンター)だったのになあ。。
 本屋さんの閉店って、ひとつの文化圏における、内臓みたいなものの「死」ではないかと思います。今、本屋さんが担う役割って、すごく大きいと思うんですよね、インターネットが発達して紙の文化は廃れていくのかと思いがちだけど、そんなことはなくて、逆に、ネットの良さは良さとして、紙に印刷された文字や絵や写真でしか伝わらないモノもあると見直されてきていると思います。今ちょうど、紙の書物が復権するかしないか、この先も生き残れるかどうかを占う重要な時代のような気がするのですが、だからこそ、本屋さんにはもっと頑張ってもらいたいなあって思うのです。
 本屋さん、これ以上減らないでほしいよ〜。

 会社を休んで病院。
 午前中はメンタルのほう、午後は婦人科。病院のハシゴなんて、ちっとも楽しくないのであった(飲み屋とちゃうもんね)。
 心療内科にてカウンセリングを受ける。1時間。カウンセラーの先生は40代のにこにこして親しみやすそうな女性。穏やかで、年上の女友達と喫茶店で会話してるような、リラックスムードの1時間でした。白衣着ていかにも専門家、って感じだったらどうしよう、と思ってましたら、近所の八百屋でばったり会いそうな感じの女性だったので、ほっとしました。その後診察で、薬も1種類に減らされたし、順調にいってます。
 午後は婦人科。ここ数日、腰痛と下腹部の痛みがあるので、まずは婦人科を受診しようと。
 と言っても、今日は腰痛も腹痛もほとんど(あるいはまったくと言っていいほど)なく、でもとりあえず不安だし、婦人科の検査をしばらく受けてなかったので、一応。
 午後の診察時間開始の2時に行ったら待合室には2〜3人しかいなかったので、「ラッキー、すぐ順番が回ってくるわ」という気持ちと「こんなに空いてるってことはもしかして評判悪いの?」という不安。が、違いました。待てども待てども私の番は回ってこない。本を読んでいても眠くなりすーすー寝てしまう。ハッと起きるも呼ばれた気配なし。また寝る。起きて読む。やっぱり寝る・・・で、気づいたのですが、その病院では、待ち時間が長くなりそうな場合は患者さんにポケベルを貸し出して、院外にいても番が近づいてきたらポケベルで呼び戻せるという合理的な方法を使っていたのです。なので、ポケベルで呼ばれた患者さんが、私の後からどんどん入ってきて、受診しては帰って行く。ポケベルの貸し出しについての貼り紙がしてありました。なーるほど。そういえば先日なにかの記事で、使われなくなったポケベルの新たな活用法として、病院での使用について書かれていましたが、実際目にして、便利だなあって思いました。
 で、診察の結果、婦人科系には異常はないので、腰痛をかばうことで普段使わない筋肉が痛いのではないかと言われました。やっぱ自転車ですってんころりんがいけなかったのかなあ。。。婦人科検査は久しぶりということで、ちゃんと検査してもらって、2週間後に検査結果を聞きにいくことにしました。が、「見たところ問題ないので安心していいよ」と先生のお墨付きをもらったので、ほっとして病院を出ました。ここで午後4時すぎ。
 とにかくよかったです。腰痛も腹痛もほぼ治まったし。どうやら盲腸でもないらしいし。昔からなんですが、医者嫌いのくせに、具合悪いと大騒ぎして、手術や入院になったらどうしよう、費用は?実家に帰って地元の病院で手術受けるか、親に東京に出てきてもらって東京で受けるか?仕事休む前にあれもこれも片づけてしまわないと、等々、診察前からあれこれ勝手にシュミレーションして不安になってしまうマヌケです。だったらはじめからもっと健康に気を遣えよなー、って、あとから思うんですけど。。。(今回も反省)。
 診察終わってほっとして院内のトイレで用を足してたら、便器の向こう側においたカバンが便器の上にガバッと倒れてきて、しかも、なんと、カバンのファスナー開けっ放しだったので、中から化粧ポーチとミニサイズの東京都地図帳がボッチャーンと、便器の中に落ちてしまいました。
 幸い水を流した後だったのですが、地図帳は使い物にならず、化粧ポーチは中までびしょぬれ。がーーーん。。
 地図帳はもうボロボロだったので買い換えようと思ってましたが、ポーチは・・・・・・・洗って使うしかないですね。あーあ。
 


2004年07月15日(木) 元祖癒し系

 旧暦5月27日。
 またまた登場ご近所猫。
 
 今夜はりりしい瞳で遠くを見つめるポーズだ。
 いつものように車の上でごろごろやってたところを通りかかって、いっちょ撮影したるか、と携帯を取り出したら、こんなかっこしやがった。
 役者でやんのー(ーー)自分が一番かわいく見えるアングルちゃんとわきまえてら。まったく。
 だけど、1日の終わりに彼(彼女?)の顔見て頭撫でて、それでなんだかほっとするんだよなあ。猫は元祖癒し系だ。

 最近注目してるブログ。
 ☆シバレイのblog☆ イラク取材日記
 米軍のイラク攻撃の際は人間の楯としてイラクに留まり、今もイラクに取材に行っている日本人ジャーナリスト、志葉玲さんのブログ。志葉さんはもちろん覚えてなんてないけど、前にとある場所で少し話を聞いて握手したので、その後無事に活躍されてるのかなあ、と、注目しているジャーナリスト。
 まだまだ若いので、時々「え、それは危ないんじゃないの」と、ヒヤリとする記事もありますが、テレビや新聞では決して報道されない、生の、ほんとうの戦争の姿、戦地の様子を、恐ろしいほどのフットワークで拾い上げて、真摯な言葉で伝えてくれるブログです。日本人人質事件や各国の人質殺害事件もあったりして、イラクにいても危険、「自己責任論」なんておかしな話も出てくる日本でも風当たり強いというのが今、フリージャーナリストを巡る状況かもしれないです。ジャーナリストの方以外にも、ボランティアでイラクにいる人達にとっても。だけど、自分の身の危険を冒しても、やはり真実を自分の目で見て、伝えたい、という人がいるのは、有り難いことだと思います。彼の書く記事を読んでいると、日頃自分が眼にする報道がいかに偏った、作られた内容であるかということがよく分かる。アメリカ兵がイラクで市民に具体的にどう接しているかなんて、新聞やテレビでは伝えてくれないのでは?
 このたびイラクを離れて日本に帰国するそうで、無事に帰国されることを願っています。
 


2004年07月14日(水) 盲腸。。。??

 旧暦5月27日。
 会社の社員食堂で、立食形式の懇親会があった。
 野獣の血が半分混じっている(と思われる)私の上司は、真ん中のテーブルの大皿から手づかみで料理を取ってその場で口に運んでいた。そして、蟹の足を殻ごとバクバク噛み砕きながら、「うまい」と、3本近く食べていた。蟹の甲羅を食べる人は、他になかなか見かけませんが、そういう人もいるのです。。。

 新潟の水害、映像で見れば見るほど、想像以上に大きな被害なんだと驚いた。実家のある白根市では堤防脇の市街地の一部に避難命令が出ているとのことだけど、その上流の三条市では被害が大きい。信濃川はじめ豊かな川と平野に恵まれた米どころだけに、昔から水害は多かったようです。だけど、私が物心着いてからあんなに大きい洪水は覚えがないなあ。。。早く住民の人達が普通の生活に戻れますよう。。
 
 なんかここ1週間、右の腰が痛くて、加えて右下腹も、なんだか腫れてるような痛みが。なんだろーといろいろ考えてみるけど素人では分からないのです。。
 2週間くらい前に、停止させた自転車にまたがったまま、リュックの中をいじってたら、バランスを崩して「あれ〜っ」、ゴロンッと自転車ごと倒れた。・・・走ってる時じゃなくて止まってるときに自転車で転んだっていうのはすんごく恥ずかしい。。しかも、マウンテンバイクで。。。その時にしたたか右の腰をアスファルトに打ち付けたような気がする・・・というのは、リュックの中身を守るのに必死で、それと止まってて転んだことの恥ずかしさの余り、自分の身体の痛みはすっかり後回しになっていたので、後から思いだそうとしてもその時の身体の状況をなかなか思い出せないのです。
 初めはその時痛めたからかなあと思ってたのですが、なんか違うみたい。。膝の擦り傷はいい加減治ってるし。あとはどうもこのところ腸の調子が悪い。色気無い話だけど、快便、というわけにはならない。野菜不足もあったし。もしかしたら腸??それと、女性で気をつけなければならないのは、女性器系のほう。それが一番不安なので、明後日会社休んで婦人科の検査に行ってきます。男性には分からないけど、婦人科の診察って嫌なんですよ。う〜。でも、評判の良い所教えてもらったので、とにかく行ってきます。
 で、さっき実家の母と電話で話していたら、母が、「あんた、それ、盲腸かもよ・・・」
 げっ。
 盲腸ですか!
 確かにまだやってない。
 うわー。。。。
 嫌だーーー。。
 盲腸だったら(他のもだけど)、困る〜。
 今入院なんて出来ないし、第一手術なんて怖いよ〜。
 盲腸なんてもん、すっかり忘れてたよ〜。。。

 取りあえず明後日病院行きます。。念のため、婦人科を先に受診します。
 もしですね、この日記がしばらく滞るようなことがありましたら、腹痛(盲腸・・・)がひどくなって病院のベッドの上にいると思ってください。


2004年07月13日(火) トモダチ

 旧暦5月26日。
 新潟の実家に電話してみたら、実家の周囲は被害はないとのこと。でも三条市に隣接する市だし、あのあたりは昔から水害が多い地帯なので、心配であります。それにしても、あっというまに水があふれて家が流されてしまうなんて怖いですね。稲作地帯だから、稲への影響も心配。東京は梅雨明けでもの凄く暑かったので、なんだか遠い世界のことのように思えるけど。。。早く落ち着きますように。
 
 ここのところ、薬なんていらない、病院なんて大げさ〜、とまで思うほど、普通な気分だったけど、やっぱ、プチうつ。自分のことが嫌になってしまう。・・・だけど、なるべく残業しないように、まだ明るい内に会社を出て、自転車漕いでると、プチ元気になる。銭湯に寄って、浴槽の縁に腰掛けて、足湯にして、ボーッとしている。ボーッとしながら、頭の中、ちょっとずつもみほぐして、嫌な気分を追い出すようにイメージする。お風呂上がる頃にはリフレッシュするのだー。
 
 もうずいぶん昔の話だけど。ネットが縁で親しくなった女性から、数人の仲間だけしかアドレスを知らない掲示板に誘われた。不特定多数の人が読む掲示板と違って、井戸端会議的な面白さがあるかなあと、最初は期待していた。
 けれど、その掲示板に書き込まれるのは、やはりネットで知り合った他の人達の悪口。最初はすごくびっくりした。もちろん、私だって、愚痴や悪口を友達と話すときもある。それで気が楽になることもある。誰かに聞いてもらうことによって、もやもやがすっきりして、頭切り替えて頑張ろうって気にもなる。また、人の愚痴を聞いて、ただ聞くだけで、お互いなんとなく解決の糸口が見つかるような、そんな場合もある。・・・だけど、言っちゃ悪いけど、その掲示板に書かれる悪口は、どれも、くだらない・・・要するに、あいつは生意気だ、みたいな内容で、はっきり言って幻滅した。悪口大会には参加しないであたりさわりない書き込みだけしていたら、感情がないのか、と書かれて、とてもショックを受けた。感情があるも無いも、人にうまく言えないいろんなもやもやを心の中に抱え込んで毎日えっちらほっちら生きてた(大げさ?)ような自分だったので、そう言われたことがどれだけ辛かったか。というか、そもそも感情のない人なんていない、みんな何かしら抱えて生きてるもんだし。しんどかったのでその方達とはそれきりですが。彼女も、彼女と一緒になって人の悪口を書き込んでいた仲間達も、自分たちが人に傷つけられることには敏感だけど、人を傷つけることには鈍感だ。そもそも、他人の悪口に終始し、自分は被害者だといつも思いこんでいる人っていうのは、実のところ、一番の加害者で、タフな人間なんじゃないかと思う。
 裏表の無い本音のつきあい(たとえ夫婦でも家族でもそんなの不可能に近いけど、限りなくそういうのに近いものとして)イコール、他人の悪口を共有すること、なんて、幼稚な考え方だと思う。もしくは、言い方は悪いけど、暇をもてあました主婦の井戸端会議(主婦の人ごめんなさい)。悪口に付き合わないのは気取ってるからだ、本音を隠しているからだ、としか他人を判断できないのは、貧相な発想だと思う。ハナから他人の悪口なんて思い浮かばない人だっているのだ。そういう会話に全く興味ない人もいるのだ。
 どうも、語弊があるかも知れないけど、女っぽい性格(大いに語弊があるな、差別ですな)すぎる女性とは合わないようです。私は合わないとは感じないんだけど、相手がいらいらするようで(笑)。だいたい、女同士の悪口噂話オンパレードの井戸端会議が性に合わないし、興味がないので、首を突っ込まない。お世辞の連発や意味のない会話の連続はつまらないので知らんぷりしてる。だから私はある種の同性から見ると、何考えてるか分からない人種らしいです。
 友人の数は決して多いとは言えないけれど、友人達は皆、私と中身が似たり寄ったりなので(ごめん)、気が楽です。本音でつきあえる友人同士というのは理想だけど、それって、何もかもさらけ出して喋るとか、秘密を持たないとかってんじゃなくて、互いの生き方をちゃんと見つめる眼があって、その上で相手のことを心から思いやる言葉が言える関係、ってんじゃないかと思う今日この頃です。
 偉そうに書いてますけど、まだまだ私は一方的に友達に寄りかかってばかり。私自身の成長が一番課題だな・・・と思いつつ、遠い道のりのような気がします(-_-)


2004年07月12日(月) 白てぶくろをはめて。

 旧暦5月25日。
 小泉首相にとって、民意なんてさほど重要ではないみたいですね。そ、国民はバカなのだ。バカだから、年金もイラク派遣も、首相の巧妙で欺瞞に満ちた説明をまったく理解できないのであーるよ。ま、どうせ一生懸命説明してくれても、やっぱり相変わらずちんぷんかんぷんでせう。我々はバカなのだ。
 首相の説明が足りないんじゃないってば。どんなに説明されても納得できないモノはできないのです。そこんとこ分かってない、っつうか、民意なんてどうにでも操作できると思いこんでるのか。
 人間、偉くなりすぎてはいけないのだ、きっと。
 昨日まではぺこぺこ頭下げて手を振りまくって「よろしくよろしく」と誰彼構わず挨拶してた人達も、議員さんになればえばりくさってお腹つきだして歩くのか。・・・そうでないことを祈ってます。いつまでも、普通の市民の感覚も忘れない、それでいてプロフェッショナルな議員さん、そういう人が政治家になって欲しいです。
 
 ところで、ふと疑問に思ったのですが、選挙カーから必死に振られる候補者の手は、なんで白なんでしょうか。みなお決まりのごとく、白手袋。腹黒い政治家も、明るい色のスーツ着たウグイス嬢もみーんな白手袋して手を振る。あれはどうしてでしょうか。何故に白?クリーンなイメージのため?目立つため?別に白い手袋じゃなくたっていいと思う。。。というわけで、先日選挙カーが目の前を通り過ぎてから、時々思い出しては考える。別に、軍手だっていいじゃん。軍手だと、働いてくれそうって感じがするし。労働者の味方って思えるし。指人形の沢山ついたカラフルな軍手だったらもっと目立つから、私だったらそうしますが(あんまり面白くないね)。
 思い出したのは、グリム童話の「オオカミと7匹の子ヤギ」。
 母さんヤギが買い物に出かけて、7匹の子ヤギが留守番をしているところに、お腹を空かせたオオカミがやってきます。「お母さんが帰ってきたよ、ドアを開けておくれ」、でも、ドアの下から黒い足を見た子供達は、「お母さんの足は白いのにおまえの足は黒い」と。そこでオオカミは小麦粉を足に塗り、再びドアの前に立つと、白い足に母さんヤギだとすっかりだまされてしまった子ヤギ達は、ドアを開けてしまい、うまく隠れることが出来た1匹を除いてみな食べられてしまいます。戻ってきた本物の母さんヤギと、残った子ヤギが、満腹になってぐーぐー寝ているオオカミのお腹をはさみで切って、中から6匹を助け出すというお話。
 白い手にだまされると子ヤギみたいに食べられてしまうのだ。
 そういえば、選挙運動の時に候補者が白い手袋をするのって、日本以外の国でもあるのかなあ。と、いうことで、またひとつ研究テーマが増えました(ほんとに調べてるのかっ)。


2004年07月11日(日) ごはん

 旧暦5月24日。
 あたろぐ、4ヶ月ぶりに更新しました〜m(_ _)m
 こっちに書いてることとだぶらないように、ベランダ菜園と料理をメインにしていくことに決めました。こっちの日記はぐちぐち独り言書くほう。あっちのブログは菜園とごはんの記録。
 やっぱり、日々の食生活は大切ですよね。予想される酷暑を前にして、すでにいろいろ身体の不調を感じる今日この頃。腰痛、胃腸の不調、手のしびれ、頭痛、肩こり、なかなか取れない疲労感、目の疲れ・・・。全体的にだるいのが当たり前の状態になってきている。うつ、っていうのは私の場合メンタル面での症状が大きいみたいだけど、そういう精神的な不調も、肉体的な不調も、いろんな原因が絡み合って生まれているんだと思います。その原因の大きなひとつとして、たぶん、食生活。心と食べ物って、密接に関係してるんだろうなあ、様々な意味で。栄養、味覚、シチュエーション、料理することの楽しさ、野菜を育てることの楽しさ。
 面倒なカロリーや栄養価の計算はできないけど、身体と相談しながら、食べたいものを美味しく楽しみながら作って食べる、をモットーにやっていこう。。。ということで、明日から、数ヶ月ぶりにお弁当作っていきます。
 なんつって、ちゃんと作れるのか・・・?

 これから銭湯行って、お風呂から上がったらロビーのテレビで選挙速報見てこよっと(相変わらずテレビないんです、うちは)。
 1票の重みかぁ。
 ここのところ、政治の動きを見てても、有権者1人1人が尊重されてないという気がしてならなかったです。国民の思いとは遠いところで勝手に動かされていく日本という国。だけど、選挙の結果で何かが変わるのかなあ・・・選挙のたびに国民はだまされているような気がしないでもない。政治家なんてみんな同じなんじゃない?って思ってしまう。立場が変われば政治家なんてみな同じ。。。かどうか、1票の重みが尊重されるのかどうか、これから先、見ていかなきゃならないんですよね。
 


2004年07月10日(土) フォー

 旧暦5月23日。
 地蔵通り商店街のはずれのほうを歩いていたチンドン屋さん。携帯のカメラににっこり笑って会釈してくれたので、1枚。田舎の妹に写メールで送ったら、新潟では見かけない、と喜んでいた。
 そうなのです。東京の商店街って、チンドン屋さんがいるから好きだ。上京したての頃は下高井戸に住んでいたのですが、駅前のパチンコ屋さんの前でチンドン屋さんをよく見かけた。初めて見た日は感激のあまり、後をつけてしまいました。チンドン屋さんの、郷愁を誘うどこか寂しげなメロディーが好きです。見られることを意識したド派手な格好。けれども、主役はチンドン屋さんではなく、あくまで宣伝対象だったりするところが、もの哀しくて素敵だと思う。
 そういえば、私が上京した15年ほど前に比べると、チンドン屋さんを見かけることがぐんと多くなったような。最近注目を浴びて復活してきている、という話も聞いたことがあります。
 あー田舎の姪っ子達にも見せてあげたいな。

 はやもう夏バテし始めてます。
 あまりの暑さに、料理しに台所に立つのも嫌。空腹を感じても、具体的に何を食べたいというリクエストも湧いてこない。ただただ、冷たい飲み物を抱えていたい、という気持ちだけ。こりゃやばい。今からこんなんじゃ先が思いやられます。ベランダのミニトマトやバジル、ハーブ達を食べてあげないとかわいそうだし。せっかく色づいているのだし。
 明日はタイ風カレー。鶏肉に、なすとベランダのバジル、ミニトマト入れて。ココナッツミルクとヨーグルトも足して。考えるだけでちょっとずつ食欲が湧いてきました。
 最近はまっているのは、フォー(ベトナムのヌードル)です。エスニック食材(最近はスーパーでも)のお店で、米から作られた平たい乾麺を買ってきて作ります。スープは、鶏肉、ニンニク、ショウガ、ネギなどで鶏ガラスープを作る要領で鶏肉だしを基本に作り、塩胡椒、ナムプラー或いはニョクマムで味を整えたり、トムヤムキューブ(1個200円くらいで売っている固形トムヤムスープの素)や醤油で味付けしたり、はたまた牛肉で作ったりと、アレンジの幅は沢山あります。茹でた麺を、スープと一緒に丼に入れて、合わせる野菜もこれまたいろいろ。現地風にミントやコリアンダー、バジルを盛るのもいいし、もやしやニラ、青梗菜も合います。あまりシナッとならない程度に蒸したキャベツも美味しいです。あとはサラダ油でザッと焼いた卵とか。最後に白ごまをパラッと。
 米の麺だからラーメンやうどん、そうめん(意外とカロリーある!)よりヘルシーだし、合わせる野菜や味付けも、エスニックにとどまらず、和風にアレンジできるので結構幅広く楽しめるところが気に入ってます。時間がないときは買い置きの鶏ガラスープの素を使ってもいいし。
 3年位前だったか、自由が丘の駅すぐ近くに、フォーの専門店があって、そこで初めて食べたのですが、とても美味しくて、その味を再現すべくあれこれやったりしているうちに、自分の味になってきました。
 ・・・と書いておきながら、今日のお昼はそうめんでした(笑)。
 
 
 


2004年07月09日(金) タイヤの空気抜かんでけろ。

 旧暦5月22日。
 昨日は結局雨も雷も来ませんでした、東京。すんません。
 今夜はちょっと暑さが和らいで。。。なんつうことはありゃせん。あぢィ。
 仕事帰りに、神保町の三省堂書店に寄った。書店の裏側に自転車を駐輪して、本屋の中に入って、珍しく15分くらいですぐ出てきたんですよ。で、自転車に乗ろうとしたら、後輪タイヤの空気が完全に無くなってました。抜かれちゃったんですね、たった15分の間に。近くで休んでいたお兄ちゃんにそれとなく尋ねてみたら、あのあたりでよく、自転車の空気抜いてるおじさんがいるらしい。疑っちゃ悪いけど、確かに、駐輪するとき、挙動不審のおじさんがいたわけですよ、そこに。なんとなく、そのおじさんかいな、と、想像しつつ、当のおじさんももういないし、いたとしても問いただしてどうなるわけでもなし、しようがないから、ペシャンコになったタイヤのまま自転車引っ張って、近くのスポーツサイクル屋さんに行って、空気を入れてもらいました。あの界隈はスポーツショップが多くて、まだ閉店時間ぎりぎりだったから助かりました。費用もかからなかったし。だから、なのかもしれないけど、特にその、空気抜いた相手に対して、怒りの気持ちは起こらなかったです、不思議なほど。・・・それよりも、別に教条的なつもりで言うんじゃないですけど、見ず知らずの他人の自転車の空気抜くことでしか、自分の気持ちをコントロールできない、もやもやのやり場がそういう行為にしかないっていう人がいることが、なんだか気の毒になってしまって。。気の毒、というのもあるし、とても意地悪な見方だけど、そんな行為でしか気持ちが満たされない人に対する密かな優越感というのもある、それから、自分はまさか自転車の空気抜くなんてこと思いつかないけれども、だけど、そんなことした人と、自分もどこか共通する心の闇を抱えているような気がして、世の中に、そういう仲間がいるという奇妙な安心感みたいなものもあったりして。いや、例えば周りに自転車屋さんがないような場所でそうされたら、きっと怒り狂ってたんでしょうけど、たまたま神保町で、困るようなことはなかったので、別方面でいろいろ考えながらその後帰ってきたわけです。よく考えると、やりきれない。他人の自転車の空気抜いて、人が困るのをどこからか陰でそっと覗って密かに満足している、それしか喜びがない人の心の闇。自分もその人の気持ち、分からないわけではないから、なおのこと、やるせない。
 
 
 近所の猫。私と一番仲の良い猫です。と言っても、当の猫にとっては、毎日通りかかる人間達の中の1人にすぎないようで。このところ夜が暑いせいか、バンの屋根にごろんとなってることが多いです。あ、寝てらぁって思って、近づいて携帯で撮影すると、あー分かったよ、ってな感じでむっくり起きあがって、身体を道路側に向けて撮影しやすいようにポーズ作ってくれた。ので、調子に乗ってチロリロリーンと写してたら、「もういい加減にしにゃいか、おめーは毎日しつこいんだからにゃまったく」とでも言うように、再びごろんとなってしまった。暑さに猫もやる気がなくなっているようで。
 そのくせ、猫同士の喧嘩声は毎日聞こえるので、あやつ、相手のレベルによって気力の使い分けしてるようです。


2004年07月08日(木) また暑い。で、ビールがお友達。

 旧暦5月21日。
 また言ってもいいですか?
 あぢィ〜っ!
 平熱35度台(女性は多いですよね)なので、もうぐったりですわ。お風呂上がりのビールがやめられない。
 と、今帰宅したんですが、窓全開にしてたら遠くの空がピカピカ光りまくってます。もしや・・・と、いうときはいつもここを見ます。
 東響電力 雨量・雷観測情報
 ここで、自分のいる地域をクリック拡大して、左側の雨量や雷雲、落雷をそれぞれ選ぶと、ほぼリアルタイムで近隣地域の状況含め、天候が分かります。・・・今高崎から秩父にかけて雷が凄いんだなあ・・・推移を見るとどうやらこちらに向かっているらしいです・・なので、早めに日記書き終えて、パソコンの電源落とします。
 自転車通勤だと気象情報がとても気になるのですが、普通の天気予報よりもこっちのほうが分かりやすいのでよく利用してます。特にこれからの夕立の季節は便利だろうなあ。

 大学の講義終わって帰ろうとしたら、同じ教室の男子学生に呼び止められて、講義で分からなかったところなんかを質問されたので、参考書なんぞを親切におせえてあげた。さよならしてすぐ帰ろうとしたらまた呼び止められて、学年や学科なんかを聞かれた。オーイ、君は近眼かァ〜っ。チャリンコ汗で化粧が剥げ落ちた顔を見ろよ(笑)。へへ。でも、悪い気はしないですな。若い殿方にお声をかけて戴くというのは。ただ聞きやすそうな顔してたからか。ま、どっちでもいいけど。ちと嬉しいな。・・・と、少しご機嫌になって帰って来て、あられもない姿でひとりビールあおってる三十路女。
 自分の長所は、単純で非常に分かりやすい性格だと思っています。
 言い方変えれば、ただのおばかさんってことですかね。


2004年07月07日(水) 戦争とこども

 旧暦5月20日。
 小暑。七夕。あぢい。ほんとにあぢい。銭湯行って湯上がりに、銭湯内にあるクーラーの効いたラウンジに行き、のんびり本読む。閉店までいたろか。うん、そうしよう。。。と思っていたら、ウルサイお姉ちゃん達ががやがやとやってきたのでそそくさと退散。・・・自宅はもわっと蒸し風呂状態。扇風機でも足りん!冷たいビール。・・・エアコンに馴れた身体にはそれでも駄目。ぐぅ。夜になっても涼しくならないのだ。ひー。環境にやさしい生活をする!というポリシーはがたがたと崩れゆく。エアコンなしでは生きられない現代人のあたろー。昔の人はよかった。江戸時代はこんなに地球暑くなかったし、地面はアスファルトじゃなくて土だったし、もっと風通しよかったはずだし。・・・冷蔵庫なんてなかったし。団扇しかなかったし。キンキンに冷やしたビールなんてなかったし。。。うーん。。。(-_-;)
 
 「どこに行ってもきれい。爆発も爆弾もない」
 日本の印象を聞かれて、モハマド君の言葉(読売新聞)。
 今の日本人には当たり前すぎて、そうじゃない状態なんて想像つかないけれど、イラクから来たたった10歳の男の子は、そう言った。
 10歳の子供にそう言わせてしまった世の政治家、大人達。ブッシュやブレアや小泉は、幼い子供達の目に爆発や爆弾が映る毎日をどう思っているのだろうか。
 なんかさ、ひどい話だと思う。。。自分たちは順調に歳を重ねていろんな意味で満ち足りた人生を送っている「偉い」人間達が、戦争を起こして、これからという子供達の未来を奪ったり、悲惨な経験を与えたりしてる。政治家の詭弁は戦争をなんとかして肯定してしまおうとするけれど、その陰でさまざまな形で犠牲になっていく子供達の存在は無視されている。言い方は悪いけれど、ジジイ達が子供達の未来を奪っていく。そうじゃないと言い切れるだろうか?戦争で、目の前で親や大切な人が殺されたり、自分の身体を傷つけられたりした子供達がいないと言えるだろうか?戦争は必要悪だなどという主張もあるけれど、そんな風に言う人間は、順調に歳取って生きてきた人間だ。殺されてしまったり、肉親を奪われたり、身体を傷つけられてしまった子供達は、そんな風には絶対言わないと思う。
 私も含めて、戦争の恐ろしさ、悲惨さを知らない人間達が戦争を論ずることの危うさ。せめて、戦地で現実を見ている人達の言葉に耳を傾けなければ、と思った。
 『戦争倫理学』(加藤尚武著・ちくま新書)を読んだ。
 「世界中の『世論』が、戦争に向かって走り出したときに、踏みとどまって、世界が狂気に陥っており、自分こそが正気であると言えるために、私たちは自分自身の位置を正確に測定できるような、羅針盤を持たなくてはならない。それが『戦争倫理学』である。」(以上本文より)
戦争が好きな世の政治家もに読んでもらいたいと思った。

 
 


2004年07月06日(火) おばちゃんの。。。

 旧暦5月19日。
 あづい。
 朝、自転車に乗っていて、自転車ごとフラ〜ッと倒れてしまいそうになるくらい、暑かった。蒸し暑かった。異様な気温と湿度の高さ。夜も暑い。いつもの涼しさがない。我慢しきれず、近所の酒屋に飛び込んでビール・・・でない、発泡酒を買う。今のところ一番美味しいと思う発泡酒はキリンの淡麗グリーンラベル。8割くらいはそれを買う。
 
 この前銭湯で、浴室に入る時、前にいたおばちゃんのハダカのお尻に、ちぎれちぎれになったトイレットペーパーがふんだんにくっついていた。・・・トイレで一生懸命拭いたんだなって、努力の跡だ。本来ならば人様には決して見せない自分だけの個室の日常。が、思わぬところで、本人も気づかぬまま、他人の目にさらされてしまう、その恐ろしさよ。お腹を壊していたのか、おばちゃん、お大事に。

 前にもちょっと書いたのですが、松岡正剛氏の「千夜千冊」が、明日7日、いよいよ千冊目を迎えるそうです。凄いなあ。本を千冊読むのは、やろうと思えば誰でも出来るけれど、読んだ本について、読み手を想像して解説していくのは、難しいことだと思う。読んだ本の理解度が他人に分かってしまうわけだし。しかも、松岡氏の場合、その日のテーマに選んだ本の範疇を超えて、ご本人の地の部分ですでに保有している知識も動員して述べている訳だから、やっぱ凄いと思う。碩学であります。
 ところで、松岡氏が最近始めたブログ、松岡正剛のにっぽんXYZも面白いです。
 
 


2004年07月05日(月) ノスタルジー

 旧暦5月18日。
 曽我さん一家の再会は大方の予想通り、投票日前に。金曜のゴールデンタイムと土曜日にゆっくりテレビで再会報道を見て、日曜に投票所に行く。。。世論って簡単に操作できるもんだと思っている与党。で、そう思わせてしまった国民。曽我さん一家の再会は喜ばしいし、時期は早いに超したことはないと思う。で、今回の再会が投票日直前に設定したのが、選挙を意識してのことではない、というなら、政府も、マスコミも、静かな環境を作って、一家をそっと見守るべきと思う。「感動イベント」として大々的に報道するんじゃなくて。

 昨日の日記読み返してみて、あれ、なんか話がうまく繋がってないや、と反省。すいません。なんでいきなり食べもんの話に。。。要は、ゆとりを持って生活を楽しもう、と決めたんであります。そういうことです。それで、昨日はあれから駒込の「赤とうがらし」という自然食品のお店に自転車漕いで行ったのですが。。。日曜は休みでした。がっくり。それにしても、巣鴨の地蔵通り商店街もいいけど、駒込や田端の商店街もわくわくしますね!特に「田端銀座」。巣鴨みたいにわざわざ遠くから買い物に来るような雰囲気じゃないんだけど(失礼)、自転車引っ張ってずりずり歩いて時たま立ち止まって、店先のショウケースのぞき込んだり、ひやかしたり、買い物に来るおばちゃん達とお店の人の会話何気に聞いてたり、っていうまったりな商店街が好きです。だいたいがおばちゃんやおばあちゃん達の御用達だから、商店街全体の動きがとろ〜りとろ〜りしてるんだけど、それでも何故か活気に満ちあふれているという。。。でもって、小間物やや文具店の中覗くと、何十年埋もれてたんだ!ってくらい他の店ではもう見かけなくなったようなパッケージの商品が、色あせたまま売られてたり。。それで、焼き鳥1本50円という破格値で売られていたので、つい、買っちまいましたわ。
 気取りのない商店街の、何年も何十年も繰り返されてきて当たり前になっている光景の中を歩くのってなんだかほっとする。新宿とか銀座とか、次々と新しいものが出来て流行に合わないものは消えていく慌ただしさの中だと、全く落ち着けない。
 商店街や銭湯って、ノスタルジーにどっぷり浸れるから好きです。


2004年07月04日(日) それで、生活改善!

 旧暦5月17日。
 土曜の日記をさぼってしまったので、今日は昼前から書いてます。
 昨日は1人で反省会やってました(-_-)
 
 先日病院に行ったとき、うつの他に、自分ともっと長いつきあいの症状があって、ずーっと悩んでいた(けどどうしたらいいのか分からなかった)ので、この際に一緒に治してしまいたい、と思って、先生にドドドッと訴えたら、だから焦らないでゆっくり治していきましょう、と、軽くたしなめられた。強迫性神経障害と、起立なんたらなんたら障害というやつです。前者は高校生くらいから、後者はそれこそ物心着いた頃、幼児期から。強迫性神経障害のほうは、私の場合そんなに重くないし、関係する本を読んでいたら、改善していけそうな気がします。今まで自分でそれが病気の一種だっていう意識がなかったんですよね。。後者の起立性なんたら・・のほうは、注射や採血や歯科麻酔の時、あるいや血や人体の内部に関するリアルな(血を連想させる)話、怪我や事故の詳細な話、またホラー映画のスプラッタな場面(そのくせホラー映画好き)、昔テレビでやってたフィリピンの心霊手術の映像(だから見るなって!)なんかに遭遇すると、血圧が一気に低下して、あれれ、と思うまもなく具合悪くなって横にならないと駄目という、やっかいな症状です。映画とか事故の話などは避けていればいいけれど、注射や血液検査の採血で、というのはほんっとに困ります。学校での予防接種や病院での採血で、ずっと毎回そうなのですが、親にも先生にも看護婦さんにも、「気の持ちようよ」とか「気が弱いのね」とか言われたり、他の子供達と別扱いになってみんなに不思議な目で見られたり、保健体育や理科の人体に関する授業で具合悪くなって抜け出したり、挙げ句そういう日は予め学校をサボる(^^;)なんぞしてきました。今日こそ、今回こそ大丈夫、と思いながら注射や授業に臨んでも、結局駄目なんですよね、今でもそう。「あー、またきちゃった」ふらふらふら〜の繰り返し。それでも人体の話なんかは、聞きながら内容を少し別の方向にずらして想像出来るようになったので切り抜けられるんですが、注射・麻酔・採血・・・それから今までは大病をしたことなかったのですが、これからはいつ手術を受けたりすることになるか分からないですよね、年齢的にも。あと、これが一番ネックなんですが、やっぱり、もし子供産む機会があるなら、子供産みたい、子供育てたいです、でも、婦人科の検査で自分の身体の中の映像を見せられただけで貧血になっちゃった経験があるので、こんな私で果たして子供産めるのか!?という悩みがずっとあります。普通に子供産んで育てている世のお母さん達がとても羨ましいです。それとも、オカンになったら肝っ玉に変身できるのかなァ・・・。今でもヘンな所に度胸はいっぱいついているくせに、誰もが平気なことにはからっきし度胸がない私なんでございます。ああ情けない。
 予定外のことまでつらつら書いてしまいました、すいません、戻します。
 で、そんなわけで、34年間生きてきて、初めて心療内科に通うのを機に、これまで嫌だな治したいな、でもどうすればいいんだろ、って思ってた自分の内面のよくない部分を、ついでに一緒に改善していこう、と決心したわけです。
 
 それで、自分のこれからの方針、みたいなのを考えようと、うつ病に関するサイトをいろいろ見て回りました。専門家の情報を載せているサイトもあれば、うつ病に罹っている人自身のサイトもあり、とても勉強になります。インターネットを100%崇拝はできないけれど、今はネットがあるから、メンタルな悩みについての情報を得るのも非常にラク。もしかしたら、ここまでネット社会が発達していなかった一昔前までは、メンタルな病気になった人は今よりもっともっと孤独感を味わわざるを得なかったのでは、と気がつきました。
 とはいえ、ネットにある情報すべてを手放しで受け入れることが出来ないのは当然で。。。
 うつ病の人達の日記、沢山読みました。とても共感できる、自分も同じ、ということいっぱい。服用している薬の種類や通院の状況の説明など、細かく解説してくれていて、とても有益でもあると思う。・・・ただ、ただ、沢山読んでいるうちに、申し訳ないけれど、ちょっとうんざりしてしまった自分。。。うつ病の人達の日記(私もですが)には、多くが、服用している薬の話題、診察の様子、自殺未遂、先生や病院に対する文句、会社や家族に対する不満、それから何もやる気が起きない、というようなことが繰り返し書かれていて・・・気持ちは分かる、辛いし苦しいのも理解できるし、私も同じなんだけど(って、自分で言うな〜)、なんだけど、病気に対して、現状に対して、何もかも受け身になっている人多いんじゃないか、っていう気がしてきました。うん、確かに、やる気がないというか、気分が落ち込んでしまって何もかも嫌、ただただ受け身になって通院する、薬を飲むということがそれでも能動的な行動ではあるのだろうし、ネット上で日記を書く、ということ自体、自分と見つめ合うことにもなるので、改善に向けての行動のひとつとも言えるのだろうけれど。。。
 うつ病を治したいという気持ちがあるのか、それともうつ病でいたいという気持ちがあるのか、治るか治らないかの違いは、本人の意思によるところが大きいのではないか、という気がします。。
 そんな風に言えるのは、私の症状がまだ軽いからなのかな。。
 だけど、愚痴りたくなるのも分かるし、愚痴も必要なんだろうけど、やっぱりどんな病気でも、病気を治すのは先生でも看護婦さんでも家族でも友人でも職場の人でもない、薬でも最新技術の医療でもない、本人自身なんじゃないかな。。。って、こんな私が言ってもぜんぜん説得力ないですが(笑)。いえ、病院や薬や周囲の人が全く役に立たないという意味ではなくて、本人が治そうとする意思のある・なしで、周囲のサポートや医療の機能の仕方がぜんぜん違うんじゃないかなということです。・・・気を悪くされる方がいるかもしれないけど、うつ病ということで、周囲も気を遣ってくれる、薬や医者に依存することである意味責任放棄できる、他の困難から逃れることが出来る等・・・うつ病である自分に酔ってはいけないんじゃないかって気がします。メンタルなものに限らず、病気や身体の不調って、今までの自分を見直してここらで仕切り直ししなさい、っていう意味なんですよね。それが意識されていれば、休息を取ったり環境を変えたり通院したり服薬したりすることも、改善へのステップとして望ましい方向に取り入れることが出来る。。
 
 と、偉そうに書いてしまったのですが、じゃあ自分はどうなんだ、というと、もともとの性格が性格なので(オイ、ニゲルナ〜)、難しいですが・・・やっぱ、自分の生活を改善することが最も大切かなって反省してます。
 仕事はもちろん続けていきたいし(続けなきゃ自分養えないもんね)、目標(って書くと、すんごく気恥ずかしいし嘘くさくなるんだけど)っていうか実現出来ればいいなと思うことも勉強続けていきたいし、大学のほうの勉強は、仏教関係でこれは精神的に非常に救いになっているので、こちらももちろん続けていきたいし。
 ただ、問題なのは、自分がこの2〜3年、基本的な日常生活の上での楽しみをあんまり見いだしてなかったことかも。前はオーガニック食品などに興味があって、玄米ご飯焚いたり、「大地宅配」というオーガニックフードの宅配システムを利用していたのだけど、残業が増えて帰宅が遅くなり、自炊する機会が減ったために宅配もやめてしまった。生きていく上での一番の基本、「食」について、自分の興味が薄れて、どたばたの毎日の中、どうせ1人暮らしだし、取りあえずお腹ふくれれば何でもいいや、みたいになっていたのは事実。食事もまともに作らない、食べない部屋で、他の日常生活に関するこまごまもおろそかになっていったのは当然のこと。基本がしっかりしていない自分の日常生活の上に蓋をするように、差し迫った忙しさにばかりかまけていた結果が今の自分だと思います。普通の当たり前の日常生活がいい加減な人間が自分自身の身体の悲鳴を聞き取れる筈もないですよね。
 今、メンタルな部分での不調の他に、手のしびれとか、肩こりやちょっとした睡眠障害や、身体のあちこちが悲鳴上げてて、これもうつと関係あるらしいのですが、そもそもうつになること自体、今までの自分の生活を見直しなさいというサインなんですよね。環境を整えること。それから自分にとって一番必要なのは、基本的な生活をしっかりすること。。落ち込んでたりやる気が出ない時って、なかなか行動できないですが、やる気が出ないなら、楽しみながらやっていく方向でアプローチしていこう、って気楽に思っています。
 
 ほらほら♪ベランダに。。左から、バジル、ミニトマト、鷹の爪です。毎日義務感に追われながら水やりだけはしていたけど、気がついたらみんなこんなに大きくなってました。この前ボケーッとしていたら、階下の大家さんが来て、「ベランダのお花に水をあげて!しおれててかわいそうよ!」と(^^;)そーでした。まったく。グリーンサムにはほど遠い。。育ての親の怠慢にもかかわらず、みんな元気に育ってます。朝、如雨露持って窓開けると、「ほらほら、僕たち、オーガニックだよん」と言ってくれるようです。んだ!まさしくオーガニックでねーか!このベランダは日当たりが良すぎるせいか、暑さに弱い植物は育ちにくいですが、強い植物たちには嬉しい環境のようです。別のプランターのハーブたちも元気です。なのに、ここんとこ、水やるだけでぜんぜん食べてあげてなかったなー。反省。かわいそうなことしてました。
 せっかくベランダで菜園してるんだから、ミニトマトやバジル達、スーパーで適当に選んでた食材や調味料じゃなくて、自然食品のお店に行って、美味しいお豆腐(天然のにがりと豆の味のお豆腐が食べたい!)や、生産者の顔の見える、土のついた野菜や、原料に安心できる調味料と合わせて食卓に乗せよう。そうすると、ごはん作るプロセスのひとつひとつが自分にとって楽しいものになるから。何年か前はそうだった。そういう時間を復活させよう。。。巣鴨って自然食品のお店見あたらないんですよね。隣の駒込に「赤とうがらし」というお店があるので、そこに行ってみよう。
 まずは、ちゃんとしたごはん。ですよね。。


2004年07月02日(金) ようやく週末。。。ほっ。

 旧暦5月15日。
 今夜も涼しいです。半袖で歩いてると、寒い。と言いつつちゃっかりコンビニで缶ビール買って来てやんの、こんにゃろ(←私)。
 
 病院に行ってから出社。経理課から電話。月曜の9時までにFAXしなきゃならない書類。がーん、明日の土曜出勤確定。。。がーん、がーん、がーーーーん。。。タダでさえ今日はなんだか凹んでたのに、一気にメモり下のほうにガターン・・・と凹んだ。
 と、思ったら、他にやらなきゃならない業務もわりとスムーズに片づいたので、明日やるはずだったことも一極集中でなんとかなんとか、メドをつけて帰ってきました。なので土曜はフリーダムだ。。。ホッ。
 終電逃しそうなので急いで会社を出てきたけど、部長はまだパソコンに向かってキーボード叩いていた。「あんまり遅くなっちゃ駄目ですよ」「むぅ」今日は、本来私がやるべき作業のやり方を聞いてきて、「これくらいならこっちでやるよ」とカチャカチャやってくれていた。嬉しいし、有り難いけど、申し訳なかった。私より部長のほうがよっぽど働き過ぎだし。私の状況が、誰かの負担になってしまうのはいけない、と思う。私もそれなりのお給料をもらっている身なのだから、相応に働かないと。周囲の人の気遣いに甘えてしまうのもよくない。
 
 実家にはまだ言ってない。電話する時間もないし、普段滅多に電話しないので、いきなり電話していきなりちょっとヘビィな話もしづらいし、田舎のほうだから心療内科とか精神科って聞くと、それこそ偏見ある土地柄なので。たいしたことないし、今とても多い病気なんだよと説明したところで、母に至っては話聞いただけで精神的に参ってしまいそうで、ちょっと言いづらい。言う必要ないか、とも思うんだけど、通院するからには一応知らせておいたほうがいいのかな、とも思う。
 と思い悩みつつ、先送り(笑)。
 
 


2004年07月01日(木) ニュースに音楽はいる?いらない?

 旧暦5月14日。
 今夜は寒いなあ。。
 ずーっと、気になってたこと。
 民放のニュースで、事故や事件について伝えるときに、バックで音楽が流れてるの、あれって、なんか嫌だ。人が事故で亡くなってるのに、それを伝えるアナウンサーの声や映像に合わせて、映画みたいに暗めの音楽や、不安感をあおるような曲がかかってるの、あれ、おかしいと思う。例えば自分の知り合いがその事故や事件の被害者で、自分が今すごく落ち込んでるときに、関係するニュース見て、しかも音楽付きだったら、腹が立つだろうな。うまく言えないけど、別に音楽つける必要ないじゃん。シリアスな現実を伝えるのに。映画じゃないんだし。なんか、ゲームみたいで。それともそれっぽい音楽くっつけないと、視聴者が報道の内容を理解できないというのかな。事件や事故を過去のものとしてドキュメンタリーにするならともかく。

 選挙の看板、1人1人の候補者をじーっくり見た。又吉イエス氏のポスターに釘付け。5回位繰り返し読んだ。ぜんぜん意味が分からないのに、なんとも人を引きつけてやまない文章であります。。。政見放送、楽しみにしています。
こんなサイトがありました。そういえばいたなあ、こんな人・・・。
 諸派・無所属系候補に光を!


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